08.第二章二話
皇都リュームは円形状の城壁と水路に囲まれた土地になっており、中心から第一区、第二区、第三区と分けられている。
第一区は皇宮、上位から中位貴族の屋敷や高級ホテル、ブティックなどが多く立ち並んでおり、上品で絢爛な光景が広がっている。
第一区を囲む第二区は、中位から下位の貴族や裕福な商家などが多く住居を構えている区で、更に北南でも区分けがされており、呼び方は第二北区、第二南区だ。もちろん数々の高級店も存在する。
一番外側の第三区は広いため、東西南北に分けられている。一般の人々が暮らしているのは第三区で、皇都で一番人の数が多く賑やかなのは、商業施設も集まっている南区だ。皇族や貴族のお忍びはこの第三南区で行われているのが大半である。
皇宮の周り、そして計七つのそれぞれの区画はメインとなる水路で区切られており、往来が自由な橋がいくつかかけられている造りとなっている。
現在、リーゼロッテ達がいるのは第三南区だ。
外に出るのは嫌いなリーゼロッテだが、買い物は割と好きな部類に入るので、定期的に行なっている。
皇都は帝国内でも一番賑やかで、最先端の流行が生まれる土地だ。そんなリュームを歩いて色々な店を見て回るのは、人並み以下の体力しかないリーゼロッテには厳しい部分があることは否定できないけれど、たくさんの書物、綺麗な置物やおしゃれな栞など、自分好みのものを見つけることが楽しくて仕方なかった。
名目上は皇都の街に瘴気が漂っていないか確かめるための見回りだが、その仕事は実際には他の聖職者や帝国騎士団警備隊のもの。要請があれば昨日の魔力暴走の時のように聖女のリーゼロッテが現場に赴くことはあれど、見回り自体は本来の聖女の仕事内容には含まれていない上、皇都は結界を張っているので、瘴気が発生すれば基本感知できる。
つまり、見回りなんてジークムント公認のいわゆる建前なのだ。
好きなことができる、自分のための自由な時間。聖女ではなく、ただ一人の少女として振る舞うことが許されている一時。聖女という地位についているリーゼロッテにとってはとても貴重である。
もちろん、身の安全のことを考えて一人での散策は許されていないため、クラウスとハンナが付いているけれど。それでも自由を楽しむことができるほど、彼らはリーゼロッテの生活の中に馴染んでいる。
リーゼロッテは目立ってしまう黒髪を茶髪に、瞳の色は黄緑に、それぞれ魔法で変えている。変装の時は大体この色で、ハンナをイメージすると自然とこうなったので、丁度いいからと姉妹設定にしている。
もっとも、姉妹であれば確実に姉であると見受けられるハンナが丁寧な態度を崩すことはなく、たまに不思議に思われたりするのだが。
クラウスも聖女の護衛として顔が広まっているため、髪と瞳は明るめの茶色にしている。リザステリアでは茶髪茶眼が圧倒的に多いので、紛れ込むには最良の選択と言える。
色を変えるだけでなく、軽い認識阻害の魔法を更に重ねがけしているため、誰もこの三人を聖女や聖騎士、聖女付きの修道女と結びつけることはない。
はたから見れば、裕福な家庭のお嬢様二人とそのお付きに見えるだろう。そして、三人と離れると記憶は曖昧になり、「そんな人達もいたなぁ」と、顔も名前も思い出せないが僅かに覚えている程度になる。そういう魔法だ。
「リロ様、本日はどうなさいますか?」
「そうね……」
ハンナにリロと呼ばれたリーゼロッテは思案する。お忍び等、身分を隠す際はリロという名前を使っている。
「栞は最近買ったし、雑貨を見て回りたいわ。本屋も行きたいわね。叔父様へのお土産は当然として、あとはお菓子と――」
聖女という立場に加え、幼い頃はかなり体調を崩しがちだったこともあり、リーゼロッテは外出をほとんどしたことがなかった。それが今は週に一回、こうして平民に交じり、皇都の街を回って楽しんでいる。
教会は慈善活動に力を入れているが、贅沢を禁止しているわけではないので、過度でなければ咎められることはない。それゆえにリーゼロッテは日頃から最高品質の最高級品に囲まれる生活をしてはいるけれど、皇族や貴族を含む富裕層の選民思想的な無駄な見栄やプライドはないし、偏見も持っていない。安くても良いものがあることを知っている。
安値で販売できるのは、技術者や仕入れ先など、商品に関わる人達の努力の賜物。それが実を結んだことで消費者は恩恵を享受できる。だから、平民に人気のリーズナブルな店に入ることに一切の躊躇も嫌悪感もないのだ。
「この出来でこの値段って、相当安いわね」
若い女性に特に人気な雑貨店の中。クリスタルガラス製品のコーナーに置かれている薔薇は、細部まで丁寧に作り上げられていた。キラキラと光を反射し、所々が鮮やかな赤で彩られている。まじまじと眺めれば眺めるほど感嘆してしまう出来だ。熟練の技術が窺える。
女神リンデローゼの名に因み、この世界には薔薇をモチーフにしたものが多くある。そんなわけで皆の目もなかなかに厳しく、自然と薔薇関連の製品はクオリティーの高さが求められるのだ。
「お買いになられますか?」
「うーん……」
世界一の信仰者数を誇るヴァールリンデ教において象徴となっている薔薇にまつわる物は、飾られている花、壁や柱の装飾、置物等、教会にももちろん多く置かれている。紋章にも描かれている植物であるため、正直に言うと見飽きたというか、信仰心の薄いリーゼロッテにとってはなんら特別な物ではないのだ。
この薔薇のオブジェは文句のつけようもなく綺麗ではあるけれど、最終的には微妙だという評価に終わる。どちらかと言えば欲しいし部屋に飾りたい、でももっといい物があるような気がしなくもない、という程度だ。即決するほど心が動かされてはいなくて、悩ましいところである。
何より、鮮やかで純粋な赤色が、リーゼロッテはそもそもあまり好きではないのだ。他の色があればよかったのだけれど、あいにく赤色しかないらしい。要はオブジェそのものの完成度や価値ではなく、細かな部分の拘り――個人的な好みの問題である。
逡巡しながらふと視線を向けた先の物に、リーゼロッテは目を留めた。
ほんのり緑に色づいたクリスタルガラス製の、木の葉をモチーフにした小物入れ――リーフトレイ。端の方には生き物が載っているデザインで、淡い黄の鳥や猫、ピンクや白の兎、緑の蛙などがある。色味が落ち着いていて、薔薇よりもよほど心が惹かれた。
「こっちにするわ。綺麗なだけじゃなくて実用的だし、叔父様の分も買っていきましょう」
「承知いたしました」
自分用にはイルカを、ジークムントには鳥を選んで頬を緩めたリーゼロッテは、「お揃い」と嬉しそうに呟いている。お揃いは初めてではないが、毎度テンションが上がるものだ。
そんな主人を見てハンナも目元を和らげ、「お会計して来ますね」と二つを受け取ってカウンターへ向かった。
会計を済ませた後、三人は昨日の魔力暴走の現場へと向かった。聖女として現場でやるべきことはもうないけれど、様子が気になったのだ。
崩壊している建物のそばなど、一部は立入禁止となっているものの、大通りは瓦礫が所定の場所に集められ、人々が通れる広さが確保されていた。封鎖はされておらず人通りがあり、周辺の建物については専門業者による魔法での修復が始まっていた。
一番被害の大きい、子供と保護者だったらしいあの子爵がいた建物は、子爵の事業用の建物だったそうだ。その建物は完全に後回しで、他に被害を受けた建物から順番に着手されている。
「修復作業に取り掛かるのが早いですね」
「魔力暴走が原因だと判明しているし、現場保存の必要性がないものね」
現場周辺を生活の拠点としている者もいる。理不尽に突然日常を奪われた彼らへの配慮も、当然ながら必要となるのだ。彼らの怒りの矛先が子供へと向かないためにも。
住民には新聞で事情が説明されている。子供の魔力暴走の原因はあの子爵であったのだと。けれどそれは住民達には関係のないことだ。すでに完治していても怪我を負わされたこと、建物が壊れている現状を作り上げる一端となったのが子供であることが、事実であり真実なのだから。
子供に同情すべき余地はあっても、その皺寄せが自分達に来る正当性はない。ただ偶然、近場にいたというだけで、他所の家庭のいざこざに巻き込まれる筋合いはない。許容できるかは結局のところ人それぞれだ。
教会や帝国騎士団、国が揃って、子供は被害者であることを強調し、受け入れることを容赦なく強制すれば、余計に不満が溜まり、反発を生んでしまう。だからこそ迅速な対応が重要となる。
職人が魔法で窓ガラスを修復するのを眺める。集められたガラス片や新しいガラスを利用し、魔法で組み合わせてサイズを調整し、窓枠にはめていく作業だ。
物に術式や魔力をなんらかの形で組み込み、魔力を注いだりスイッチを入れたりすることで魔法を発動させる道具――魔道具による補助があるとはいえ、修復の魔法はかなりの高等技術に分類される。優秀な職人に依頼したらしい。
このような魔法や魔道具が開発されたのは数十年ほど前のこと。魔法技術の目立った発展はその頃から活発になったそうだ。魔法の歴史はとても長いけれど、昔は現代ほど魔法を使える者が多くはなく、研究はなかなか思うように進まなかったという。
「便利な時代ね」
魔法の発展に、リーゼロッテは純粋に感嘆した。
買い物に戻った三人は、人混みを避けるために大通りから離れ、脇にある路地に入ったところで足を止めた。
「大丈夫ですか?」
「そろそろ限界ね」
リーゼロッテの足に疲労が蓄積されている。ハンナが気遣わしげな眼差しを向けていた。
運動をほとんどしていないので当然のことだけれど、やはり体力がなさすぎるのを痛感させられる。ハンナとクラウスは全然平気そうなのに、リーゼロッテだけ時間の進みが違うのではないかと思えるほどに消耗していた。
買い物は充分済ませたし、いい気分転換になった。そろそろ切り上げて教会に戻りたい。いくら買い物は楽しいと言っても、やはり室内を好む性質には外出など合わない。
ため息を吐いたところで、クラウスがリーゼロッテ達の横を通り過ぎ、路地の奥を警戒した。それと同時に、リーゼロッテとハンナもそちらへ意識を向ける。
「――よお。ちょっといいかな? お嬢さん方」
奥から現れたのは、見るからにガラの悪い男五人だった。