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05.第一章四話



「貴方達は下がって。彼に任せれば充分よ」


 悠然と微笑を浮かべれば、騎士達は挨拶も忘れて頬を染める。


「それより怪我人の把握、避難誘導を」

「「は、はい!」」


 己の役目を思い出した騎士達が直立して揃って返事をすると、リーゼロッテは眼前に広がる光景に視線を走らせた。新たに駆けつけた別の騎士二人が合流し、聖女がいることに驚愕していたが、先にいた騎士から事情の説明を受けてすぐさま怪我人の救助と避難にあたる。

 彼らの行動を確認してからすっと目を伏せたリーゼロッテは、意識を集中させ、全身を巡る魔力を操り、練り上げた。


「“感知”」


 瞬時に魔法を展開し、どこに人がいるのかを正確に把握する。見えるところにだけではなく、瓦礫に埋もれている弱い反応もいくつか確認できた。

 意識のある軽傷者は自力で避難できるけれど、足を負傷していたり、重傷で動けなかったり、そもそも意識を失っている人もいる。瓦礫の下敷きになっている者は自力での脱出は困難だ。このままでは避難完了に相当な時間を要することになるだろう。

 結界を張っているので、子供の暴走の被害がこれ以上拡大することはないし、ルードルフが速やかに抑えてくれるだろうからそちらは心配はしていない。すでにダメージを受けている建物が更に崩壊するかもしれないことが懸念事項だ。

 いっそのこと崩れかけている建物全てを魔法で固定する手段を用いればいいけれど、その前にまずやるべきことは、瓦礫の下敷きになってしまっている人達の救出。このまま固定してしまうと彼らを移動させることもできなくなる。

 見殺しにはできない。リーゼロッテは彼らを救うためにこの場にいる。


 治癒が終われば自らの足で動いてもらえる。でも、当初の想定よりも重傷者の数が多く、一人ずつ治療して回るのでは恐らく間に合わない。救えない命が出てくることになるだろう。

 あの子供が、悲しくて重すぎる罪を背負って生きなければならなくなる。まだ小さな、ただ己の力を制御できずに苦しんでいる子供が。

 別にリーゼロッテとはなんの関係もない赤の他人、ただ皇都内にいるという程度の共通点しかない子供だけれど、放っておけないくらいにはリーゼロッテも倫理観を持ち合わせている。


「クラウス、瓦礫の中の人達を」

「は」


 クラウスの魔法で、瓦礫の下敷きになっていた人々が丸い結界に覆われて出てくる。騎士達がぽかんとそれを眺めていた。

 全ての人を救出すると、クラウスはすぐに建物を魔法で固定した。これで崩壊の危険はもうない。後は怪我人の治療をして、現場処理は帝国騎士団に任せればいい。そこまでは教会の仕事ではない。


(完全詠唱は面倒だわ。怪我の選別も省く)


 一つ一つ、過程が増える要素は捨てる。絶対に必要というわけではない要素は無駄だ。簡潔に、効果範囲内にいる全ての者を術の対象とした方が、力は多めに消費することになるけれど、魔法全体の流れを考慮すると面倒は少ない。

 感知の魔法と同様、本来行うべき最初の詠唱をすっ飛ばし、リーゼロッテは力を練り、脳内に思い描いた陣を空に出現させた。


「“癒しの陽”」


 魔法と神聖術を組み合わせた術の発動で、陣の下に優しい光を放つ球体が出現した。まるで小さな太陽のようなそれは、その場を暖かい光で包み込む。宙で乱反射した光は余すことなく怪我人達を照らし、小さな傷から命を脅かす大きな傷まで、たった数秒で全てを癒した。

 皆の傷が完治したことを感じ取ったリーゼロッテは、ぱん、と手を叩いて術を解除する。癒しの太陽が消え、現場に広がっていたリーゼロッテの力も霧散した。


「お見事です」


 クラウスの簡潔な賞賛にお礼を返し、リーゼロッテは視線を動かし、一箇所に留める。

 瓦礫の中から掬われた一番近い負傷者は幼い少年だった。今は瓦礫の上に力なく横たわっている。血の痕からして足に大怪我を負っていたようだけれど、痕もなく傷は消えていた。

 少年は薄らと目を開いた。朦朧としているであろう意識の中、リーゼロッテの姿を捉えると、「だ、れ……?」と微かに声を零す。きっと暴発に巻き込まれたのがあっという間の出来事で、自分がどんな状況に置かれているのかまで頭が働いていないのだろう。


「もう大丈夫よ。ゆっくり寝ていなさい」


 目を細めて少年を見下ろし、凛とした優しい声で紡ぐ。ちょうどリーゼロッテの立ち位置では少年目線からだと逆光になり、まるで後光が差しているようだった。

 キラキラと柔らかな陽を纏った、不思議な金色の瞳を持つ少女。彼女の言葉に安心したように、少年は眠気に身を委ねる。


(……めがみさまみたいに、きれい……)


 すう、と。少年は穏やかに眠りに落ちた。





 じゃり、と瓦礫を踏み締める音に、リーゼロッテは顔を上げる。

 気を失っているのか、ただ眠っているのか、意識のない子供を背負っているルードルフがこちらに歩いてきた。暴走で疲弊しているであろう子供を気遣い、あまり揺らさないように慎重に足を運んでいる。暴走を止める役目を無事に遂行したらしい。


「お疲れ様」

「はい」


 労いの言葉をかけ、リーゼロッテはじっとルードルフの顔を見つめた。主人のまっすぐな眼差しにルードルフが首を傾げていると――がら、と瓦礫が動く音がした。


「くそっ、くそッ!!」


 足下に重なる瓦礫に苦戦しながら、崩壊している建物から荒々しい声と共に人が出てきた。機嫌は見るからに悪そうだ。中年の男で、身に纏っている服は上質なものであったようだけれど、血まみれでボロボロとなっている。

 最初、この男の反応は瓦礫の下にあった。クラウスの魔法で瓦礫から救出された一人だ。

 リーゼロッテの術で怪我は治っているけれど、一番重傷だった。治癒術の力が一番注がれていたのだ。

 男からは子供の魔力の残滓が強く感じられる。直接魔力を、間近で受けたということ。つまり、あの子供の近くにいたということだ。加えて瓦礫にも埋まっていたはずなのに、即死しなかっただけでも奇跡だろう。心臓が止まって間もない状況ならともかく、聖女の術であっても死者を蘇生することは不可能である。

 完治しているとはいえ、あれほどの重傷を負ってすぐに意識を取り戻すとは。


 物凄い形相で辺りを見回した男は、こちら――正確にはルードルフが背負う子供を視認すると、更に怒りを露にした相貌でずんずんと近づいてくる。悪い足場に苛立ちを隠しもせず、舌打ちを何度も零していた。

 瓦礫の山を抜けて石畳に立つと、男はルードルフを睨みつける。


「おい、そのガキをこちらに渡せ」


 およそ人に何かを頼む態度ではない、上から目線で威圧的な言い草だ。

 明らかに子供に対して好意的とは正反対に位置するその様子に警戒し、ルードルフは背の子供を庇うように男に体の正面を向けた。


「渡したらどうする気なんだ」

「報いを受けさせるに決まってるだろう! 無能のそいつの面倒を見てやったというのに、生意気にも私の命令に抗い、あまつさえ私を殺しかけやがって……絶対に許さんッ!!」


 興奮している男の魔力が乱れている。けれど子供のように魔力暴走の心配はないだろう。それほど魔力量がない。並み以下だ。脅威にはなり得ない。


(この件の関係者ね)


 子供の魔力暴走の原因――恐らく恐怖か何かの、激しい負の感情。それをあの子供の中に植え付けたのは、状況と男本人の言い分から察するに、この男の可能性が高い。事情を詳しく聞く必要がありそうだ。


 怒りと憎悪で視界が狭まっているのだろう。人がいること自体は認識しているものの、それが誰なのかまでは意識が回っていないと見える。

 男が標的にしている少年を背負っている青年が着用している服が聖騎士の団服であることも、同様の格好をしている者が更に二人いることも、異変を感じてこちらに向かっている騎士がいることも、そして世界の最高権力者である少女がいることも、まったく気づいていないようだ。そうでなければ、リーゼロッテを前にこのような分を弁えない、無礼極まりない態度を取れるはずがない。

 美しい造形の顔立ち、この大陸では珍しい黒髪、神秘的な金色の瞳、シュトラール教会の色を基調とした上品なドレス、これまた珍しい紫の双眸を持つ護衛の聖騎士。皇帝でさえも傅くべき地位にある少女だと、一般的な常識を身につけていれば一目で理解できるはずなのだ。


「ほらさっさと渡せ! そいつは私の所有物だ、私がどうしようと勝手だろう! 無関係の人間が邪魔をするな! 私を誰だと思っているんだ? 子爵だぞ、下賤な平民風情がこうして目を合わせることすら不敬――ヒッ!」


 子爵だと言う男が激昂し、唾を飛ばしながらギャーギャー大声で怒鳴り散らす度、ルードルフの眉間に皺が寄り、雰囲気が危ない方へと変化していたが。ルードルフが手を出す前に、ダニエルが魔法で生成した刃を投げ、それは男の首すれすれをヒュン! と飛んで行った。

 刃に切られた髪が宙を舞い、地に落ちる。男は目を見開いて短い悲鳴を上げ、先程までの偉そうな振る舞いは見る影もなく恐怖に顔を歪めた。首に一筋、ツゥ、と細く赤い線が滲む。


「閉じろよ、その汚い口。リーゼロッテ様の前で無様に喚くな」


 並々ならぬ殺気を放つダニエルが温度のない声音で告げると、男は恐怖が限界に達したのか、気絶してふらっと倒れた。瓦礫の散乱する地面に顔面から倒れ込んだけれど、誰も受け止めることはなかった。顔に新たな傷ができたことだろう。それを治す義理はないし、治したくもない。

 男の登場で異様な空気となり、住民の避難を同僚に任せてこの場に駆けつけていた騎士の一人が、自分に向けられたものではないながらも鋭い殺意に息を呑み、体に緊張を走らせ固まっている。その様子を視界に捉え、一変したダニエルは「あ」と間の抜けた声を出す。


「すいません。勝手に動きました」

「構わないわ。どうせ黙らせてとお願いするつもりだったもの」


 汚い言葉を吐くことしかできない汚い口だ。力づくで閉じさせたとて何の問題もない。むしろ先んじて動いてくれたことを褒めるべきだろう。


「事情を知っているそうよ。拘束を」

「……っあ、はい!」


 リーゼロッテの指示を受け、騎士は慌てて男に駆け寄り、しゃがんで手首を縄で縛る。


「後はそちらにお願いするわね」

「はい!」


 立ち上がった騎士はびしっと姿勢を正した。


「ご協力感謝致します、聖女様。……あの、暴走していたその子供ですが……」

「この子は教会で預かるわ」

「えっ」


 騎士は戸惑いの声を上げた。当然だ。この惨状を作り出した子供には事情を聞き出さなければならないし、また暴走しないように魔道具をつけるなり、対策を講じなければならない。連れて行かれては困るのだ。

 いくら聖女の望みであっても仕事に支障が出る。皇都の安全を守るための役割だ、帝国が誇る騎士団警備隊所属の騎士として引き下がるわけにはいかない。

 意を決して口を開きかけたところで、リーゼロッテに微笑みかけられ、騎士は息を呑んだ。

 通常であれば近づけるはずもない天上人の、この世のものとは思えないほど美しい顔立ちに浮かべられた笑み。それがこのたった数メートルの距離で、他ならぬ自分に向けられている。夢であっても贅沢すぎる出来事に、騎士の胸は大きく脈打つ。


「預かるわ。いいかしら」

「はい……」


 脳はまともに働いていなかった。ただこの方の望みを叶えなければと、思考はそのことだけに支配され、無意識にそう答えていた。

 完全に、心が奪われていた。


「ありがとう」


 ふわりと、更に笑いかけられる。

 ああ死んでもいいと、騎士は身に余る多幸感に気絶しかけるのだった。





 教会に戻り、まず教会の専属医に子供を預けて診察をお願いした。本人は眠っているので教会にいることも診察を受けていることも知らず、医務室のベッドでのんびり眠っている。

 子供を専属医の元に連れて来たリーゼロッテ達は、そのまま医務室の隣室でゆったりしていた。休憩も兼ねて一人だけソファーに腰掛けているリーゼロッテは、またもやルードルフをじっと見つめている。正確には、その端正な顔の一部を。


「何か?」

「頬、怪我したのね」

「ああ、はい……」


 思わず、ルードルフは頬に指で触れた。

 切られた瞬間とその後はジンジンと痛みがあった。今は綺麗さっぱり、傷も痛みも一切なくなっている。


「ですが、リーゼロッテ様の術で治ってますから。ありがとうございます」


 ルードルフが怪我を負ったのはリーゼロッテが術を発動させる前だった。術の対象にはルードルフの傷も入っていたのだ、すでにそこに怪我の痕跡を示すものは何もない。

 けれど確かに、彼は怪我を負った。子供の魔力を受けて。


 対策できたはずだ。ルードルフ程の実力があれば、子供の魔力を防ぐことは容易い。それなのに実行しなかったのは、少しでも子供に敵意がないと示すためだったのだろう。

 子供は敏感だ。特に魔力暴走を起こすほどの魔力を持っていれば、他者の魔力にも敏感になる。魔法を使おうとすれば、魔力の動きでそれも察知できる。極限の精神状態では、相手の魔力の動きが己を害する意図を持っているのかどうかなど判断できる余裕はない。だからルードルフは自分の身を守る手段は捨て、正面から攻撃を受けたのだ。

 魔力の差がある以上、大きな負傷はしないと確信していたから。


「綺麗な顔なのだから、傷なんてつけたら駄目よ」


 綺麗だから、つまりは好みだからというのももちろんあるだろうけれど、一番はただ単純に、リーゼロッテにとって親しい人に入るから、特別だから、心配してくれている。それが嬉しくて、ルードルフは顔を綻ばせた。


「はい。努力します」

「絶対って約束してくれないところが貴方らしいわね」

「驕っておりませんので」


 ルードルフは己の力を過信などしない。それは聖騎士として無用なものだ。

 変なプライドは邪魔になる。客観的な評価を持っておかなければ役割をまっとうできない。過信はいざという時、主人や味方を危険に晒す危険性があるのだ。

 だからと言って、自信がないわけでもない。

 訓練で怪我をすることはままある。最強の聖騎士と謳われるクラウスの力量を常々目の当たりにしていると、差を感じないわけがない。

 それでも、徹底した訓練を施された聖騎士であり、聖女の専属護衛として選ばれるほどには優れているのだと、自負がある。


「ふふ。貴方のそういう真面目なところ、好きよ」

「光栄でございます」


 ルードルフが軽く礼をすると、「さて」とリーゼロッテは緩慢な動きで立ち上がった。


「そろそろ仕事に戻るから、ひとまず子供のことは任せるわ。よろしくね」

「はい」

「ダニエルも訓練に戻っていいわ。ご苦労様」

「了解です」


 ルードルフを残し、ダニエルは聖騎士団の訓練場へ、リーゼロッテとクラウスは執務室へと向かうのだった。



 ◇◇◇



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