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40.第八章四話



 夕食の時間になる少し前にリーゼロッテは目を覚ました。左手に感じる温もりは勝手にいなくなることなく、そこにある。目を閉じていたクラウスはリーゼロッテが身動きしたのを感じ取ったらしく、紫を覗かせた。


「おはようございます、リーゼロッテ様」

「おはよう」


 と言っても、外はもう暗くなり始めているのだけれど。

 上体を起こして時計を確認していると、サイドテーブルの水差しでコップに水を入れたクラウスにそれを渡され、ごくごくと冷たい水を喉に流し込んだ。


「さすがにお腹が空くわね」


 ドミニク達の診察中、薬を飲む前に少しだけ果物を食べたくらいで、それ以外だと水しか口にしていない。眠りっぱなしだった上、薬を飲んでクラウスと話した後はまた眠ってしまったので、昨日の昼以降、食事らしい食事をとっていないのだ。


「そろそろ夕食が運ばれて来ると思いますが……」


 クラウスがそう零したところで、ちょうどコンコンとノックの音が部屋に響いた。「どうぞ」と許可を出すと、ドアが開いてワゴンを押すハンナがやって来る。そして、続いてジークムントも入ってきて、リーゼロッテは一瞬不自然に固まった。

 ワゴンにはチキンスープと食器が乗っている。いい匂いがふわりと広がっているけれど、今のリーゼロッテにはいい匂いだとかそんな感想を抱く余裕がない。

 ぐるぐると、色んなことが頭を巡る。とにかくまずは謝るべきだと口を開いた。


「あ、あの、叔父様……」

「ロッテ、着替えは?」

「え? あ、大丈夫です。湯浴みの後で……」

「お腹は空いてるよね。スープを準備させたから、ゆっくり食べるといいよ」

「は、い。ありがとうございます」

「何か必要なものは?」

「いえ……ご飯があるなら、今は特には」

「わかった。――ハンナ、下がりなさい」


 ジークムントの命令に一礼で応え、ハンナが部屋を後にする。

 座っていた椅子を空けたクラウスはリーゼロッテの背にクッションを積んだ後、座り直さず椅子のそばに立った。ジークムントはチキンスープの皿が載ったトレーをリーゼロッテの前に置くと、ベッドに腰掛ける。そうしてリーゼロッテの額に手を伸ばした。


「んー、まだちょっと熱いかな。でもだいぶ下がってるね、よかった」

「叔父様」

「空腹だろうから、まずはお腹を満たそうね」


 柔らかく微笑を浮かべながらジークムントは、スプーンで掬った野菜をリーゼロッテの口の前に持って行く。


「はい、あーん」


 反射的に口を開け、リーゼロッテは野菜を食べた。このスープは、リザステリア含む周辺諸国で体調を崩した時の食事の定番の一つである。

 優しい味に胃がもっと欲しいと訴えているのがわかる。リーゼロッテが一口目を飲み込んだ頃、タイミング良く二口目が差し出されてぱくりと食べた。美味しい。


(……って、違う)


 そう、違う。リーゼロッテとジークムントは、まだ仲直りをしていない。それなのに、ジークムントはびっくりするくらい普通だ。まるであの喧嘩がなかったかのようで、悩みに悩んでいたリーゼロッテの緊張を吹き飛ばして戸惑いに変化させるほどに。


「叔父様」

「話は食事の後でね」


 クラウスが空けた椅子に移動するジークムントに優しく言われてしまえば、リーゼロッテは頷くしかない。零しては大変だから残りは自分で、とジークムントに促され、チキンスープを綺麗に平らげた。


「はい、よく食べたね。いい子だ。薬は五時間は空けて飲むものらしいから後にしようね」


 最初に薬を飲んでまだ三時間ほどなので、確かに早い。なるべく食後がいいそうなのだけれど、今日は仕方ないだろう。寝る前にでも飲めばいい。


「……ありがとうございます。叔父様がお作りになられたのですよね」

「口に合ったようでよかったよ」

「料理長はもちろんですけど、叔父様のも、美味しいですから」


 昔からリーゼロッテが体調を崩した時は、時間があればジークムントがわざわざ食事を用意してくれた。それがたまらなく嬉しくて、ありがたい。


 食器を載せたトレーをワゴンに戻したジークムントに渡されたナプキンで、リーゼロッテは口元を拭う。リーゼロッテが水を飲んだところで、「さて」とジークムントが話を切り出した。


「まずは報告かな。クラウスが氷漬けにした賊のことだけど。あの密猟者達には、ベスター伯爵の件の魔道具が渡っていたらしい」

「ああ。どうりで……」


 手加減していたとは言え、リーゼロッテの魔法を防ぐのは容易なことではない。これで納得がいった。

 リーゼロッテのお忍びを邪魔した、件の不成者達に与えられていた魔道具。密猟者達は不成者から買ったそれを持っていたのだそうだ。

 ただ、伯爵領で使用されていた一部や不成者、密猟者達が所持していた魔道具は、伯爵領では作り出せたはずもない高度で特徴的なものだったらしい。入手ルートが気になるところである。


「まあ、この件に関しては地道にやっていくしかないね。今回は計画的ではないにしろロッテが聖女だとわかっていて動いたみたいだし、密猟者達の処分や余罪の捜査については正式に教会で引き受けることにしたよ。騎士団と連携して進めることになるだろうね」


 ジークムントの指が、そっとリーゼロッテの頬を愛おしげに撫でる。


「ふふ。僕の可愛いロッテに目をつけるなんて、本当に身の程知らずだよ、あのクズ達は。簡単に死なせるわけにはいかないな」

(笑ってないわ……)


 顔にはそれはそれは綺麗で見惚れてしまうほどキラキラした笑みが浮かべられているのに、深い青色はまったく笑っていなかった。背後に黒いものが見える気がする。


「――それと」


 手を離したジークムントが、笑顔を消す。


「今回のことで、クラウスの専属護衛の任を解こうと思ってる」

「っ、どうして」

「どうしても何も、当然の処遇だと思うけど?」


 冷たい声音だ。普段柔らかな表情ばかりの人の真顔というものは、どうにも心臓に悪い。


「クラウスはロッテを危険な目に遭わせたことにとても罪悪感と責任感を抱いている。ロッテが無事だったとはいえ、起きたことを考えると不問というわけにもいかない。眠っている間のロッテの力を安定させる要員として、不本意ながらその役目を譲って処分は後回しにしていたけど、もうその必要もなさそうだし」

「でも」

「なのに、専属護衛から外すことには珍しく反抗していてね。ロッテが望まない限り、僕の命令であっても受け入れるつもりはないそうだよ」


 続けられた言葉に、リーゼロッテはクラウスを見上げた。ジークムントは眉根を寄せ、隣に立つ彼に視線を向けている。


「今回のことは全て俺の未熟さが招いたことであり、申し開きもございません。当然、罰は受けるべきだと考えております。ですが、リーゼロッテ様は俺をおそばに置き続けることをお許しくださいましたので、俺以外の者に役目を譲るつもりはありません」


 リーゼロッテを見つめながら、彼ははっきりと断言した。

 別に疑っていたわけではない。ただこれで、確信により自信がついた。彼は宣言通り、きっとリーゼロッテのそばを離れることはないのだろう。

 一度。ランベルトが大切な人(エレオノーラ)を失った経験があるから、なおのこと。


「叔父様。私が勝手に取り乱して教会を飛び出したんです。責任なら私にあります」

「それは当然だよ。しっかり反省しなさい」

「っ、……」


 何も反論できず、リーゼロッテは開きかけた口を閉じる。自分で口にしたことの上、まったくその通りなのだから。


「それなら彼は」

「くどいよ、二人とも」


 遮って厳しい眼差しを向けるジークムントだけれど、リーゼロッテは引く気配がない。なおも食い下がろうと、透き通る金色は力強く訴えている。

 ジークムントは、己がこの姪に心底弱いことを自覚している。無言で睨むように見つめ合い――「はあ……」とため息を吐いて折れたのは、ジークムントの方だった。


「聞き分けが良すぎる君達が、こうも頑なになるとはね」


 困ったように、ジークムントは口元に笑みを乗せる。


「ロッテ。君は聖女である前に、私にとってかけがいのない子だ。とても大切な家族なんだよ。そのことは理解してくれているね?」

「はい」

「心配したんだよ、本当に。君が涙を零しながら姿を消した時、心臓が握りつぶされたようだった」

「……ごめんなさい、叔父様」


 しゅんと、リーゼロッテが縮こまる。するとジークムントの手が頬に添えられ、俯き気味の顔を上げさせた。どこまでも優しい青色と、視線が絡む。


「いいね? 今後は二度と、あのようなことはしないでくれ。我慢できなくなったら必ず相談しなさい。どんなに忙しくても必ず聞くから。ロッテよりも優先すべきことなんて一切ないからね」

「はい」


 こくりと頷いたリーゼロッテに、ジークムントは満足気に目元を細めた。手を離せば、リーゼロッテは名残惜しげに視線だけでその手を追う。ジークムントとしても本当ならもっと触れていたいのだが、話はまだ終わっていないのだ。


「さて。君達の処遇だけれど」


 君達、とまとめられ、リーゼロッテがぴくりと肩を揺らす。覚悟はしていたけれど、やはりリーゼロッテにもちゃんと罰があるらしい。姪っ子を異常なほど溺愛する甘々なジークムントであっても見逃すつもりはないようだ。


「そうだねぇ……暫くみっちり、ダンスの練習でもしてもらおうか。二人で」


 にっこりと、それはもうキラキラしたいい笑顔を、ジークムントはその美貌に浮かべた。


「ロッテは成人まであと一年半程だし、今回のことは例外として、概ね体調も安定している。今後は社交会への露出も増えるから、充分すぎるほど準備しておかないとね、色々」


 もっと過酷なものを想像していたので最初はそんなことでいいのかと表情に出していたリーゼロッテだけれど、よくよく考えてみるとダンスもつらい。なんせ体力が人並み以下なのだ。みっちり練習だなんて、筋肉痛の未来が容易に浮かぶ。

 絶対に嫌ですと拒否しようにも、叔父の綺麗な、それでいて無言の圧がある笑みの前には無駄な足掻きであることを悟らされてしまう。ならばと泣き落としを試みて目を潤ませたけれど、さらに笑みを深められるだけに終わった。リーゼロッテはがっくり項垂れる。


(もう二度とこんなことしない)


 もちろん、ジークムントに多大なる迷惑も心配もかけてしまうような行動は、今後しないつもりではあったけれど。リーゼロッテは改めて固く誓った。


「クラウスも、それでいいかな」


 処分と言うにはあまりにも甘すぎる。クラウスにはむしろご褒美と言われた方がしっくり来る内容だ。


「少なくとも、俺への罰にはなりません」

「ロッテも厳罰なんて望んでいないようだし、僕がいいと言っているからいいんだよ」


 あっさりしているジークムントの様子で、クラウスは気づいた。ジークムントはきっと最初から、クラウスの任を解くつもりなどなかったのだ。今後のリーゼロッテの安全を考えれば、そんな選択は愚行以外の何ものでもないから。


「猊下」

「この話はこれで終わりだ。――少し、外しなさい」


 反論も質問も、受け付けないらしい。下された命にクラウスは一礼で応え、ドアから出て行った。

 リーゼロッテははっとした。今、この部屋にはリーゼロッテとジークムントしかいない。二人きり。こくりと唾を飲み込む。


「叔父様」


 意を決して、リーゼロッテは口を開いた。


「昨日、酷いことを言って申し訳ありませんでした。叔父様を傷つけてしまうなど、あってはならないことです」


 握りしめた手にぎゅっと力を入れる。


「叔父様のことが嫌いになったわけじゃないんです。そんなことは絶対にありません。だからっ」

「わかってるよ」


 目に涙を滲ませるリーゼロッテに、ジークムントは穏やかに微笑みかける。


「僕もロッテの気持ちを理解せず、余計なことを言ってしまってごめんね」

「いえ、叔父様の仰ったことが正解でした。私は過去に囚われ、今の彼を見ることなく、すべて決めつけで物事を考えていましたから」

「それほどの事情があったんだろうから仕方ないよ。周りが下手に口出しをするものではなかったね」

(あ……)


 どこか寂しそうにジークムントが眉尻を下げて、リーゼロッテは胸につきりと小さな痛みを感じた。

 リーゼロッテとクラウス、二人の前世。その秘密をジークムントが問い詰めることはなかったけれど、話さないことで傷つけている部分があることは確かだ。


「叔父様……」

「許してくれるかい?」

「もちろんです」

「ありがとう。僕も許すよ。だから――お互い謝ったし、これで仲直りだね」


 そう言って、ジークムントは立ち上がった。一貫して無理に聞き出すつもりはないようだ。それでいて、理解しようとしてくれている。譲歩してくれる。

 こういう場面ではいつだって、甘やかしてくれる。


「僕はそろそろ行くよ。ハンナ達を呼んでおくから、支度を済ませて早く眠りなさい。湯浴みをしたら髪は早めに、ちゃんと乾かすように。体調が悪化したら大変だからね」

「……はい」


 不安げに声を揺らすリーゼロッテに、安心しなさいと言わんばかりにジークムントは姪の頭に手を乗せて優しく撫でる。リーゼロッテはぱちりと瞬きをし、それから気恥ずかしそうに目線を落とした。


「お休みなさい、叔父様」

「お休み」


 最後にリーゼロッテの頭にキスを落とし、ジークムントは出て行く。リーゼロッテは触れられた場所に手を置き、緩みそうになる口元に力を入れたのだった。



 ◇◇◇



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