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38.第八章二話



 森でクラウスに身を預けてすぐに寝入ってしまい、ほぼ丸一日、リーゼロッテは夢の中だったようだ。目が覚めたのは寝室で、すぐに診察を受けることになり、シュトラール教会の医者――ドミニクと、弟子のメラニーが寝室に呼ばれた。

 ドミニクは元皇宮医で、ジークムントが教会に身を寄せたのとほぼ同時期に教会に所属したらしい。料理長もそうだが、ジークムントについて来たと言っても過言ではない人材がシュトラール教会にはそれなりにいる。


「微熱はありますが、特に長引くこともないでしょう。魔力も神聖力も安定しています。ただ、明後日までは絶対安静に。神聖力の使用は禁止です。魔力も極力使用なさらぬように。よろしいですか?」

「ええ」


 優しさがありながらも厳しさを含んだドミニクの声音に、リーゼロッテは大人しく頷いた。メラニーが準備した薬を飲み、背もたれのように積まれた大量のクッションに身を沈める。


「また何かありましたら、私でもメラニーでも遠慮なくお呼びください」

「リーゼロッテ様。絶対、安静、ですからね」

「わかってるわ。心配と手間をかけて悪かったわね、二人とも」


 二人が出て行った後、リーゼロッテは息を吐いた。それから部屋の隅で控えているハンナ、マリーナとへレーネに視線をやる。


「貴女達にも、心配かけたわね。ごめんなさい」

「いいえ、いいえ」

「リーゼロッテ様は普段から頑張りすぎなんですよ」

「これを機に一週間くらい休んだっていいんですよ」


 ハンナが首を横に振り、マリーナとへレーネも続く。

 リーゼロッテが眉尻を下げて口元に笑みを浮かべると、コンコンとノックの音がし、ハンナが扉を開いた。入室して来たのはクラウスだった。


「失礼いたします、リーゼロッテ様」

「……叔父様は?」

「俺に時間をくれるそうです」


 つまり、話し合えということなのだろう。ジークムントがこの状況でリーゼロッテとの時間を人に譲るとは。教会を飛び出した経緯を考慮すると、引き金となったクラウスとの対話がまず必要だと判断したのだろう。

 リーゼロッテが目配せをすると、ハンナ達は一礼して扉の向こうに消えた。


「座って」

「失礼致します」


 先程までドミニクが腰掛けていた椅子に、クラウスが座る。どこかやつれているように見えなくもない彼は、昨日から一睡もせずにリーゼロッテのそばにいたそうだ。目を覚ましたリーゼロッテが最初に視界に映したのはベッドの天蓋で、次に捉えたのがリーゼロッテの手を握っているクラウスだった。

 睡眠をとっていないだけであれば一日程度クラウスには問題なかったのだけれど。体調不良により乱れていたリーゼロッテの力を安定させることに魔力で干渉し続けていたようで、その疲れが出ている。早く休めばいいのにと思うが、話すことを優先したいらしい。


「手間をかけたわね」

「いえ。俺のせいですから。申し訳ありませんでした」

「軽率な行動をしたのは私よ」

「貴女をそれほど追い詰めてしまったのは俺です。貴女の望む処罰を」


 真剣にそんなことを言うものだから、リーゼロッテは怪訝に眉を顰めたのち、小さくため息を吐いた。この男はきっと、この点に関しては絶対に譲らないだろう。


「貴方、いつから記憶が?」

「六歳です」


 話を逸らしたことに疑問をぶつけるでもなく、クラウスは即座に答える。

 六歳、リーゼロッテと大差ない。クラウスが六歳なら、ちょうどリーゼロッテが生まれた頃だろうか。


「そう……。私は五歳の頃よ。昔からよく夢は見ていて、それが前世だと気づいたのがそのくらいだったわ」


 同じ人が出てくる夢を見ることが多くて、それがどうしてかわからなくて、この夢はなんなのだろうと不思議だった。五歳になったある日、自然とそれが前世であると自覚した。

 それからは夢としてだけではなく次第に記憶が蘇り始めて、すべてを思い出したのだ。


「貴方を初めて見た時、一目でランベルトだと気づいて遠ざけようとしたけれど、貴方が優秀すぎたせいで叶わなかったわね」

「……申し訳ありません」

「別に謝罪は求めてないわ。助かったのは事実だもの」


 クラウスの存在は、最初はただ憎いだけだった。けれど、聖女という立場上、優秀な彼が必要なのは事実だったのだ。


「忠誠心だけでこんなわがままな女に仕えられるのはすごいわねって、呆れを通り越して感心の域になってたわよ。――それは十年の付き合いがあっても恋心なんて芽生えないわよね」


 自嘲混じりの主人の言い方に、クラウスは視線を落として口を開く。


「……ランベルトは」


 そうして出た名前は、彼の前世のもの。


「ランベルトは、エレオノーラ様を愛していました」


 何の冗談だと反射的に言ってしまいそうだったけれど、リーゼロッテは口を噤んだ。とりあえずひと通り聴きに徹しようという主人の意図を感じ取ったクラウスが、そのまま言葉を紡ぐ。


「エレオノーラ様と婚約を解消してから、ずっと何かモヤモヤしたものが心の中で燻っていて、でもそれがなんなのかわからなかったんです」


 彼にも、記憶がある。リーゼロッテが信じられなくとも、きっと今の話は真実のはずだ。


「あの日。エレオノーラ様が亡くなった日。エレオノーラ様がヘンドリックと婚約する予定だと、王女と王妃から聞いて。思わず王宮を飛び出しました」

「……」

「嫌だと、思ったんです。エレオノーラ様が他の男の元に嫁ぐことが。馬を全力で走らせながらずっと考えて、ようやく気づいた。エレオノーラ様のことを愛しているのだと。……本当に、あまりにも遅すぎた」


 そうだ、遅すぎた。だってエレオノーラは死んだ。ランベルトの想いを知ることなく、独りで――。


「崖のそばで、妙な輩が集まっているのを見つけて。明らかに賊か何かで、奴らは崖の下を見下ろしていて……それで、最悪の想像が思い浮かんで、すぐに奴らを倒して崖の下を確認したら、馬車とエレオノーラ様を見つけました」


 ぐっと、クラウスは拳を強く握る。


「崖を降りて駆けつけた時、エレオノーラ様にはまだ微かに息がありました」

「!」


 思わず、リーゼロッテは目を見張った。

 ではあれは、エレオノーラの願望が生み出した幻ではなかったというのか。


『エレオノーラ嬢!』


 最早脇腹の傷が痛いのかさえもわからなくなって、自分が終わるのを受け入れるだけの、意識が薄れる中で聞いたあれは。


『私も好きです、愛しています! 自らの感情にすら気づかない愚かな男など嫌っていただいて構いませんからっ、どうか死なないでください……!』


 彼が愛していると、死なないでくれと、他でもないエレオノーラに向けて叫んだのは、都合のいい夢ではなかったのか。


「ランベルトの腕の中で、エレオノーラ様は息を引き取りました」


 驚愕ばかりだけれど、ギリギリで理解が追いついている。

 命の灯火が消えた時、エレオノーラは独りではなかった。看取ってくれる人がいた。愛する人の温もりがそばにあったのだ。

 あんな所で、あんな状況で、命を落としたのに。


 昔、調べたことがある。エレオノーラが亡くなったのは、整備がされていない山道だった。それほど大きくはない山だったけれど、道幅が十分ではなく、崖から落ちる危険のある、雨の日に馬車で通る人間など滅多にいない道。

 ノールデーア辺境伯領に向かうには最短ルートではある。しかし、本来あのような天気の日に、あの道を選ぶはずはないのだ。


「どうしてわかったの。あの道は危険だから、普通は通らない場所なのに。ましてあんな雨の日に……」

「王女から聞き出しました」


 王女という単語を聞いたリーゼロッテは少しばかり瞠目し、それから目を伏せた。予想外な存在ではなかったから、大した驚きはない。


「あまり驚かれないのですね」

「……まあ、そうね」


 襲撃者達の会話は微かに、途切れ途切れで聞き取れていたため、エレオノーラは彼らがただの盗賊等ではなく、誰かに依頼されてやったことだとその場でわかっていた。あの惨状は――エレオノーラを殺すことは失敗ゆえの結果で依頼内容にはなかったようだけれど、素性も知れない賊に目的が達成される前に依頼料を全額支払っていたとなると、黒幕は相当の馬鹿か、ああいった依頼に慣れていない者であることは想像にかたくない。

 そう。市井に、そして物騒な依頼に慣れていないであろうヴェローニカが依頼者である可能性を、エレオノーラは意識が朦朧とする中で導いていた。


 リーゼロッテとして生まれ変わってからは、冷静に、時間に余裕を持って当時のことを考えることができた。

 そもそも雨の日にあのような危険な場所を通る人間はそうはいないのだから、本来であれば賊が待ち受けている確率なんてほぼゼロに近い。遭遇したということは馬車は最初からあの崖を通る予定であったわけで、その情報が漏洩していたことは明白。誰かが意図的に漏らした以外に理由など見当たらない。誰か、なんて考えるまでもなく結論は出る。わざわざ馬車を手配したのはヴェローニカなのだから。

 しかも、賊にまともに応戦できない護衛しかつけないとは、とんだ嫌がらせである。むしろ嫌がらせの範疇を越えて立派な犯罪行為だ。犯罪に立派も何もないけれど。


 いくら嫌っている人間相手とはいえ、命を奪えるほど残酷で冷酷にはなれないのが、蝶よ花よと大事に育てられた王女様の本質だ。荒事からは極力遠ざけられていた彼女が、そう簡単に人を殺せるような人間でないことは知っている。

 王女はただ、世間を知らなすぎた。そのせいで、エレオノーラは死んだ。

 だからリーゼロッテは、他者が自分の思い通りに動かないことを見通せない、馬鹿で愚かな思考の持ち主が嫌いなのだ。被害を被るのが本人だけではないから。


「治らない傷でもつけば嫁ぐ話が流れるかもしれないからと、依頼したそうです」


 全てエレオノーラが、そしてリーゼロッテが推測したことに過ぎなかったけれど。クラウスの言葉で確信に変わった。事実だったのだと確認できた。

 明確な理由は最期まで、そして今もわからないままだけれど、ヴェローニカはエレオノーラのことが嫌いだった。エレオノーラもまた、周囲の愛をその一身に受けてなお嫌がらせをしてくるヴェローニカのことが好きではなかった。二人の関係を考慮すれば、判明した事実に大して驚くことはない。


(納得できない部分の方が多いけれど)


 理不尽な扱いを受けて来た上に殺されたのだから、ヴェローニカに殺意はなかったとしても彼女を赦すことなどできないし、それはこの先も同じだろう。


「ヴェローニカは病死したそうね。本当にそうだったの?」


 エレオノーラが亡くなってひと月も経たない内に、ヴェローニカは病死したとされている。

 あの事件について詳細な記録は残されていない。けれど、王家の血を引く者の命を、結果的に奪うことになったのは事実だ。何のお咎めもなかったとは考えにくい。

 クラウスは少し躊躇いを見せた後、唇を動かした。


「いえ。秘密裏に処刑されました」

「……そう」


 娘を溺愛する王が、果たしてそんな判断を下せたのだろうか。ヴェローニカは殺害を依頼したわけではないのに。

 そして、疑問は他にもある。


「ランベルトは?」


 ランベルトについて調べたが、彼もそう日が経たないうちに亡くなっていた。事故死だったと記録されていたけれど、実際は違うのだろうと今ある情報で予測できた。


「――自害しました。エレオノーラ様の墓前で」



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