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37.第八章一話



 リーゼロッテが前世の記憶を完全にそうだと自覚したのは、五歳の頃だった。その時はまさか――彼まで同じ時代に転生しているとは、思ってもいなかったのだ。



 ◇◇◇



 教会で暮らし始めてもうすぐで二ヶ月になる、八歳の冬の始まり頃。リーゼロッテはジークムントに連れられて皇宮へとやって来ていた。体が弱く引きこもりがちで、人との――特に同年代の子供との関わりが少ないリーゼロッテを、従兄であるアルフレートとフェルディナントに会わせるためだ。

 従兄妹でありながら、リーゼロッテが皇子兄弟と顔を合わせたことは数えられる程度しかない。というのも、やはり体調が安定しておらず、限られた時間の中で聖女として早々に力の制御や勉学、礼儀作法を身につける必要があると言うことで、皇子達となかなか時間が合わなかったのだ。彼らも皇子として忙しい身であるのだから当然である。

 リーゼロッテが生まれたばかりの赤ん坊の頃は祝いの席で会ったそうだが、もちろんその頃の記憶などリーゼロッテにはなかった。ゆえに記憶に残る初顔合わせは、リーゼロッテの六歳の誕生日を祝うために内輪で開かれた会に出席するため、彼らがラングハイム侯爵邸を訪れた時である。


 これまでは彼らが気遣い、リーゼロッテのもとを訪れてくれていた。しかし最近はリーゼロッテの体調も良好な日が増え、たまには外出して日の光を浴びることも大切だと言うことで、今日は従兄達に会いに連れ出されたわけである。

 教会に居を移して二ヶ月、リーゼロッテは教会の外には出なかった。久々の外出でなんだか落ち着かない。「外」に対する恐怖心はあったけれど、叔父の存在が心強く、リーゼロッテの足を踏み出させていた。

 

 初めて訪れた皇宮は、一言で表すならキラキラしていた。緻密な装飾で飾られた廊下、燦爛でありながら上品で重厚な造り、手入れが行き届いた庭園に、教育された無駄な動きのない使用人達。ラングハイム侯爵邸も豪華絢爛な造りではあったけれど、やはり皇宮はレベルが違う。教会も壮大ではあるものの、あちらは神聖さを重視しているのでそれともまた趣が異なっている。

 前世でも直系ではなくとも王家の一員で、暮らし自体は豪華であったし、王宮を何度も訪れていた。しかし、やはり大国とは称せなかった一王国と、いくつもの属国を束ねる帝国とでは、時代の流れによる発展以上にその差が明白であった。


 皇弟、そして教皇という地位もあり、ジークムントは皇宮の中でも堂々と、勝手知ったる様子で進んでいく。後ろに続くリーゼロッテの歩幅に合わせているので、速度はゆっくりであるけれど。


 使用人達も貴族達も、ジークムントとリーゼロッテの姿に端に寄って行く道を開け、仰々しく頭を下げる。

 帝国では皇族のみに受け継がれている黒髪は目立つ。背後に聖騎士を従えているのだから、情報に不足はない。すぐに二人が何者であるかを理解できるのだ。

 表にほとんど出ることのない幼い聖女。その姿が気になって仕方なくとも、頭を上げて観察する不作法も、声をかける無礼もとれるはずがない。


「ロッテ、体調は大丈夫かな?」


 ジークムントは常にリーゼロッテに気を配っていて、しきりに体調の確認をしてくる。きつければ抱っこで連れて行こうかとも言い出す始末だ。

 それがなんだかおかしくて、嬉しくて、くすぐったくて。前世では経験のなかった愛情を一心に注がれて、リーゼロッテは笑みを零しながら答えるのだ。


「はい。大丈夫です、おじ様」


 体力がないので歩調はどうしてもゆっくりになってしまうけれど、体調は問題ない。むしろ気分が良い。

 ジークムントとリーゼロッテの後ろでは、護衛達が目を光らせている。ジークムントが教皇となって以来、教皇と聖女のそばに置かれる者については徹底的な教育が施されており、彼らはジークムントのお眼鏡にかなった優秀な者達だ。

 彼らもリーゼロッテの体調には気を配り、後ろから些細な変化も見逃さないように観察している。その視線をひしひしと感じるので少し落ち着かないけれど、聖女である以上、護衛にも慣れなければいけない。


 リーゼロッテのそんな周りの人間にも迫る勢いでよく気にかけてくれているのが、これから会う皇子二人である。

 妹がいない彼らは、リーゼロッテを実の妹のように可愛がってくれる。優しい兄という存在に憧れを抱いていたリーゼロッテの理想を体現したかのような二人で、人と接することがあまり得意ではないこの頃のリーゼロッテとの距離を、リーゼロッテに合わせたテンポで縮め始めていた。


 あの二人と過ごす時間は嫌いじゃない。前世の従兄――王子は、妹のヴェローニカに甘々で、もちろんエレオノーラにも優しくはあった。けれど結局はヴェローニカの兄で、エレオノーラはいつだって後回しだった。

 家族という存在に大切にされるヴェローニカが羨ましくて、妬ましかった。


 大切にされることを知った。誰からも好かれたいとか、そんな大層な願望はない。

 皇子達のことは好きだから、嫌われたくない程度の望みで今はいい。その望みが大きくなるかは、今後の関係性によるだろう。

 リーゼロッテは他者との距離感を容易く縮めることはしない。叔父を信じることにだって長い時間を要した。今ではとても申し訳なく思っている。

 そばに置いていい人間か、信用していい人間か。慎重に見極める。また捨てられるのはごめんだから。


 皇宮の中でも皇族のプライベート空間となる奥に近づくにつれ、ひと気が少なくなる。

 綺麗に整えられた庭を眺めながら足を進めていると、庭に人の姿を見つけた。少年が三人だ。

 二人は皇子。皇子達と親しげに会話をしているもう一人は、太陽の光に透ける眩い金髪を持つ――。


(あ、れは……)


 どくんと、心臓が跳ねる。


 三百年前と同様、顔は異様に整っているけれど、似ても似つかない。それでも気づいてしまった。どうしてと尋ねられても明確な答えはなく、ただなんとなく、直感でわかったとした答えようがない。


(彼も、なんで)


 己がなぜ転生したのかは知らない。輪廻転生という考えはヴァールリンデ教において信じられてはいるが、そもそもエレオノーラだった頃はあまり信じていなかった。実際に体験して、ようやく本当に転生があるのだと受け入れたのだ。

 転生できないのは、死をもってしても償いきれない大罪を犯した罪人だけであると、聖典には記されている。けれど多くのことは記されていない。転生自体はありふれていて、記憶があることが珍しいのかもしれない。


 そうだ。彼だって転生していてもおかしくはないのだ。だからそこに立っているのだ。前世でエレオノーラを捨てた、あの男が。


「おじ様……」


 歩みが止まった。これ以上その先に――彼に近づきたくなくて、震える声で叔父を呼ぶ。


「気分が悪いです」


 振り返ったジークムントは瞠目し、すぐにしゃがみ込んで目線を合わせると、リーゼロッテの頬に手を添えた。

 つい先程までは顔色も良く元気そうだったのに、血の気がなくなっている。冷や汗も滲んでいて、今にも倒れてしまいそうだった。

 たった数分でこれほどの変化だ。突然すぎてジークムントは動揺したが、冷静さを取り戻してリーゼロッテを抱える。


「わかった、すぐに帰ろう」


 護衛の一人に、今日は帰ることを皇子二人に伝えるよう言いつけて、今歩いてきた廊下を戻って行く。

 リーゼロッテは不安のあまり、ぎゅっと力一杯にジークムントにしがみついていた。


(どうして、どうして……っ)


 彼はまた、今度は、リーゼロッテの幸せを壊すためにまた現れたのだろうか。エレオノーラを捨てたように、リーゼロッテのことも不幸の底に落とすためにここにいるのだろうか。

 なぜよりにもよってこの国にいて、しかも従兄と親しげにしていたのか。


 せっかく愛されることを知ったのに。今度はきっと幸せな日々を送れると、叔父がそう思わせてくれたのに。

 あの男が存在しているというだけで不快だ。醜いほどの憎悪が湧き上がる。

 前世で最期の瞬間まで愛していた男。その感情は最早まったくと言っていいほどなくて、ただただ憎しみが募る。存在が忌々しい。

 今度は絶対に、好きになったりしない。愛を求めたりしない。関わることすらもしたくない。




 彼は紛れもなくこの帝国の侯爵家の子息で、アルフレートやフェルディナントとは幼馴染みだということを、その数日後に知った。魔法の才に溢れ、剣術も優れており、名が知れ渡っているという。

 剣術はともかく、前世では縁のなかった魔法においても天才などと持て囃される才があるとは。


(なるべく、近づかないようにしないと)


 あの男はリーゼロッテの幸福にいらない人間だ。聖女として、侯爵令嬢として、もしかしたら接する機会が来るかもしれないけれど、できる限り潰していくつもりだった。

 もう、振り回されたくなかった。




 そんな一方的な邂逅と決意からたった二ヶ月半ほどが経った頃のこと。聖騎士団の訓練を見学するために訓練場を訪れて、そこにいた少年の姿に衝撃を受けた。

 距離を取れたと思っていた。少なくとも教会は安全だと思っていた。なのに。


「――なかなか腕の良い新人ですよ」


 訓練場にいた目を引く少年は、彼だった。

 十四歳と若いが才能があり、剣術は聖騎士団の中でもトップレベルなのだそうだ。魔法の技術も群を抜いており、特に魔法と剣を組み合わせた戦い方が素晴らしいとか。入団してまだ二ヶ月も経っていないながらも、いずれは近衛隊に配属されるほどになるのではと、聖騎士達は楽しそうに語る。

 そんな悪夢、絶対に実現してほしくない。


 なんと彼は、あの邂逅からひと月もしない内に聖騎士団に入団を希望したのだという。元々彼が優秀だという話が出回っていたことは聖騎士達も承知していたようで、てっきり帝国騎士団に入団するものと思っていたのにと不思議そうにしていた。

 侯爵家という後ろ盾を捨ててまで、なぜ聖騎士団に入ったのか。この時のリーゼロッテにはわかるはずもなかった。




 そうして彼は、順調に聖騎士団の中で実績を積み上げていき、氷の聖騎士やら最強の聖騎士やら、そんな呼び名が付けられて。


「――本日より近衛隊所属となりました、クラウス・エーレンベルクです」


 本当に冗談で終わって欲しかった近衛隊所属となり、リーゼロッテの専属護衛として眼前に現れ、すぐに聖女の番犬と呼ばれるようになったのだ。



 ◇◇◇



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