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32.第六章五話



 残りの人達の治療も終えて、リーゼロッテはまた馬車に揺られていた。隣にはもちろんアルフレートだ。


「リーゼ信者になって教会に入るとか言い出さないといいけど」


 どこかおかしそうに笑いながら、アルフレートは零した。

 再生の神聖術を受けた騎士達は皆揃って気絶したわけだが、その前にリーゼロッテをこれでもかと崇め讃えていた。リーゼロッテの成したことを考えれば当然のことだろう。

 実際、リーゼロッテに救われたことで教会入りを志願した者は過去にも少なくない。そもそも今回のような絶望的な体験をして、騎士を続ける意思があるかどうかも疑問の一つだ。

 懸念が残るけれど、彼らは皇族に忠誠を誓ってくれている。アルフレートとも親しい間柄だ。辞めることはないと信じるしかない。

 もし辞職の道を選択するのなら、止めることもしない。騎士達の意思を尊重するつもりだ。


「優秀な子達なのね」

「まだ若いけど、みんなそれぞれに光るものがある。――ここで騎士を辞めるのは惜しい人材だよ」


 彼らは平民の騎士だ。夢であった騎士になり、民を守ったのは本望だろうけれど――体の一部を失い、騎士という職を失うその絶望感は、一体どれほどのものだったか。アルフレートの前では明るく振る舞い、アルフレートのせいではないと訴えていたものの、未来への希望が失われたのは紛れもない事実だった。

 彼らに再び希望を与えることが可能なのは、リーゼロッテだけだった。


「ありがとう、リーゼ」


 声を震わせるアルフレートに、リーゼロッテは優しく、嬉しそうに微笑む。


「役に立てたならよかったわ」


 純粋で可愛らしいその笑顔に、アルフレートは眩しそうに目を細めるのだった。




 領主邸の部屋に戻ったリーゼロッテは、早々にソファーに倒れ込むように座った。

 もう全身に力が入らない。体が重いし、神聖力もほとんどなくなっている。神聖力の消費が多い術を連日使用していては回復も追いつかない。

 魔法の範疇にない“再生”は純粋な神聖術だ。その分、負担が桁違いである。今意識を保っているのが不思議なくらいだ。


「過重労働よ」


 ジークムントの要請に対し、他の聖職者を同行させることなく自分一人だけで来る選択をしたのは、他ならぬリーゼロッテである。なので自業自得だけれど、つらいことはつらい。


「お疲れ様です」


 ぐったりとしている主人にクラウスは労いの言葉をかけた。


「神聖力と体力が回復するまでお待ちしてもよかったのでは」

「アルフが責任を感じてしまうでしょう」


 帝国騎士団の伯爵領の調査に関する責任者はアルフレートらしいのだから、騎士の負傷はアルフレートの指揮下で起こったことなのだ。


「彼らが負傷した事実はなくならないけれど、欠損した体が戻れば、少しは気が楽になると思ったのよ」


 従兄の心を、多少であってもすぐに晴らしたかった。せっかくここにいるのだから。


「叔父様もきっと、歯痒く感じていたはずだもの」


 ジークムントはトップクラスの治癒魔法の使い手で、だからこそ騎士達の治療ができないことに悔しさがあっただろう。

 彼らの気掛かりを、少しでも軽くしたかったのだ。だから確かに、多少の無理をした。


 騎士達の行動に敬意を抱くのと同時に、憐れみを感じたのも事実だった。だから自分の力を行使することに躊躇いはなかった。

 けれどやはり、一番の理由はジークムントとアルフレートだ。騎士達に神聖術を施したのは単純な善意ではなく、二人の悩乱をどうにかしたかったのが大きかった。結局は本当に、個人的な理由でしかない。


(昔は一人治すだけでも気を失ったから……)


 成長しているという実感が確実に湧いていた。二人もあまり気に病まなくて済むだろう。


「グレーテを呼んできて。寝るわ」

「承知しました」


 隣の部屋で休んでいるグレーテを呼び寄せて支度を済ませたリーゼロッテは、ベッドに入ると数秒で眠りに落ちた。





 その日の午後、リーゼロッテが眠って休んでいる間に、現時点で判明しているこの領地の現状――つまりベスター伯爵の所業や魔物と瘴気の大量発生について、アルフレートと騎士団、そしてジークムント達教会側から、まずは領民の代表者十数人へ向けて詳細に説明会が行われた。

 ベスター伯爵は重税や横暴な態度で良き領主とは認識されていなかったようで、領民達は日頃からの不満を露にし、ベスター伯爵への厳罰を望んだらしい。そして、懸命に対処したジークムント達にお礼を述べたそうだ。


 魔物については、殺処分ではなく元の場所に返す方針をとるつもりであることを告げると、領民達は最初反対していたものの、説得を続けると多少の躊躇いや戸惑いを見せながらも合意してくれたとのことである。

 魔物への恐怖心はもちろんあるものの、魔物達とて領民と同じく、伯爵の犯罪に巻き込まれた被害者であると理解してくれたのだ。


「死者が出ていれば、これほど早く話がまとまることはなかったでしょうね」


 夕食時に目を覚ましたリーゼロッテに、夕食を終えた席で説明会について話してくれた騎士――ベンノがそう締めくくる。

 彼はアルフレートと付き合いが長い側近であり護衛でもある。


「そうね、死者は出なかったわね。――人間側は」


 リーゼロッテの最後の一言で、その場の空気が変わった。


「人間側の被害は畑と建物が数十軒。重傷者は治癒済み、瘴気も浄化済み。軽症者多数。アルフと騎士団の迅速な対応で、命の犠牲はなかった」


 リーゼロッテが不成者に目をつけられ、そこから伯爵の犯罪に結びつき、騎士団の調査中、ジークムント一行が街に向かっている途中に結界が破壊され、魔物が人の住む領域に降りてきてしまったけれど、騎士団とジークムント達が対応できた。

 人間の死者は、誰一人として出なかった。手足を失ったような重傷者も、リーゼロッテが治したのだ。

 クルトの魔力暴走で死者が出なかったのもそうだが、これほど上手くいくことなど滅多にない。たくさんの偶然が重なった紙一重の奇跡だ。


「対してあちらは、人間の手で連れ去られて強制的に従わされて、長期間恐怖の中で暮らし、それによって増幅した抑えることのできない瘴気に蝕まれた挙句、人間の手によって亡くなった命もある。山に生息していた動植物の中には、過剰な瘴気に耐えられずに枯れた命もある」


 奇跡の恩恵は、人間側に齎された。魔物達は違う。ただひたすら振り回されただけだ。

 彼らも好きで村を襲い、人を襲ったわけではない。正気を失い、ただ衝動のままに動かされた。先に彼らの地に土足で踏み入り荒し回ったのは伯爵だ。無理矢理攫い、碌な管理もせずに劣悪な環境に魔物達を閉じ込めた。己の欲望のまま、私益のために。

 聖騎士はなるべく魔物を傷つけないように戦ってくれる。けれど、領民を守りながら戦った騎士、そして逃げ惑う領民に、魔物を気遣う余裕もその発想もない。教会側も、人命がかかっている急迫した状況で強制などできるはずもないのだ。

 犠牲はあった。人間よりも、魔物達の方に。


「譲歩してくれているのは彼らの方よ」


 伯爵の罪を人間すべてに押し付けるつもりは毛頭ない。伯爵の罪は彼と、加担した者達の罪だ。だから領民や騎士団、教会がその被害に遭う正当な理由はない。

 それは、魔物達とて同じなのだ。


 どの生物だって自分達が一番で、人間も人間の命に重きを置く。自然界は弱肉強食。それに当てはめても、人間は知性や魔法という強力な武器を持つ強者だ。特別なのは否定できない事実だろう。

 だからと言って、世界のすべてを都合のいいように、理不尽に支配してはならない。そんな権利は与えられていない。

 人間だってこの世界を構成する一部に過ぎないのだから、許されている範囲を越えてはならない。世界は人間のために存在しているわけではないのだ。


「どの生物も、他の命を犠牲にして成り立っている。その罪とありがたみを真に理解しない傲慢さはいずれ身を滅ぼす。今回の伯爵領の事件はいい例ね」


 あの伯爵は他者の命を軽んじた。貴族である自分は選ばれた者で優遇されるべきなのだと驕り高ぶり、他者が犠牲になるのは当然だと選民思想を改めなかった。愚かにも魔物の密輸という許されざる罪を犯し、他ならぬ教会に喧嘩を売った。

 自らの利益を追求する強欲さを悪とは断じないけれど、利益を手に入れるための手段は善悪で振り分けられる。伯爵は定められたルールを破った。だから罰を受ける。それだけのことだ。


「裁判には口出しさせてもらうわ。教会の人間が駆り出されたわけだし、何より叔父様の聖水を無駄にした上に魔物への対応で苦労させたんだもの」


 アルフレートに向けられたリーゼロッテの眼光が鋭い。

 やはりジークムントが理由として出てくるところがリーゼロッテらしい。その美しい顔には笑みが浮かんでいるのに、神秘的な金色は一切笑っていない。


「わかったよ。父上にそう報告しておこう」


 リーゼロッテが要求するのは予想できたことなので、驚くこともなくアルフレートは受け入れた。




 調査が進んで裁判が行われると、ベスター伯爵は爵位剥奪となり従属の契約魔法を交わされ、生涯労働奴隷として強制労働につくことが決定した。伯爵領は国へ返還、管理はブルーノが継続することとなる。

 魔物の違法飼育、売買は重罪だ。伯爵は人命の犠牲がなかったことを理由に減刑を求めたが、今回の事件では多くの領民、騎士達の命が危険に晒された。それに、伯爵の罪はそれだけでなく、他にも悪質な犯罪の証拠が揃えられ、人身売買等により亡くなった者が多数いたことも発覚していた。更には教皇と聖女の口添えもあり、減刑されることは当然ながらなかった。

 犯罪奴隷は死刑と並ぶ重い刑罰であり、過酷な環境に置かれる。死と隣り合わせの鉱山での肉体労働が主で、契約の魔法により逃亡もできず、自由はない。あまりの過酷さに死を望む者もいるというが、それも契約魔法により叶わない。

 貴族として贅沢を貪ってきた伯爵にとって、犯罪奴隷となることは耐えがたい屈辱だ。慣れない強制労働で次第に彼は心身共に疲弊し、おかしくなったと噂が流れる――。


 というのは、もう少し先の話である。



 ◇◇◇



 翌朝、リーゼロッテはクラウスとグレーテを連れて再び例の山を訪れていた。

 ラルス達から浄化に問題がないこと、魔道具もすべて回収できたことが報告されている。魔物や動物も領地外へ流出する前に対応できたとのことなので、リーゼロッテは午後にはこの領地を発つことになっていた。

 聖女と教皇。二人揃って長く教会を離れるわけにはいかないのだ。せっかく叔父に会いに来たけれど、先に帰還しなければならないのは仕方ないだろう。仕事は待ってはくれない。


 シュラークとフェアシュは、悪い足場も傾斜もものともせずにぐんぐん順調に進んでいった。

 大蛇は一昨日リーゼロッテが浄化した時と同じ場所にいた。リーゼロッテの姿を捉えると従順な態度を見せ、頭を低い位置に置いて敬意を表している。

 リーゼロッテは大蛇の顔を撫でながら口を開く。


「ちゃんと記録が残っていてよかったわ。近いうちにみんな、元の場所へ帰れるはずよ。貴方もね」


 管理が杜撰だったベスター伯爵だが、魔物をいつ、どこで捕獲したかは記録されていた。次の捕獲に活かすため、情報を整理していたのだろう。


「連れて行くのは騎士になるでしょうから、あまり怖がらせないであげてね」


 大蛇にわかりやすい反応はなく気持ちよさそうに撫でられているだけだったけれど、伝わっているとリーゼロッテは感じた。

 非常に落ち着いている。また取り乱して瘴気を過剰に生み出すような状態になる気配はなく、安心できた。


 長居もできず、リーゼロッテ達は山を後にする。


「上級の魔物とのことなのでもっと怖いのかと思っていましたが、可愛いものでしたね」


 グレーテは恐ろしい大蛇を想像していたらしい。実物は思い描いていた姿からあまりにもかけ離れていたようだ。


「そうね。あの子はまだ子供だし……」


 そういう点においても、可愛らしい要素があるのだろう。普通の蛇とは比較するまでもなく大きいけれど、目はくりくりとしていて愛らしい姿なのだ。


「人間と違って、彼らは素直で可愛いわ」


 嘘をつかないし、裏切ったりもしない。こちらが何もしなければ敵意を向けることもない。

 人間より、余程信用できる。



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