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28.第六章一話



 翌朝。リーゼロッテとジークムント、それぞれの護衛、司教達の護衛として同行していた聖騎士のうち数名、アルフレートとその護衛が、魔物の飼育区画のあった――現在は全体が魔物や瘴気で溢れかえっている惨状にある山に向かって出発した。

 道中で遭遇した魔物との戦闘は必要最低限で抑えた。街は司教達の結界で守られているので、散り散りになって周辺を彷徨っている魔物達は無視だ。討伐に回っている騎士団に任せ、リーゼロッテ達はまず、留まることなく瘴気を生み出している山をどうにかするのが先決である。

 山にはジークムントの結界が張られており、新たに魔物達が山から降りるのを防いではいるけれど、中の浄化は追いついていない。外の魔物の相手で時間を無駄にしていては結界が破られかねないのだ。


 山に向かう途中、被害が大きい村からそう遠くない道を通った時、荒らされた畑、壊された小屋や民家などが見えた。

 山に比較的近い村だ。伯爵邸のある街からは少し距離があり、騎士団が駆けつける前に魔物の方が先に到達し、暴れ荒らしたらしい。農具や拙いながらも魔法で抵抗したおかげか、重軽傷者が何人も出ているけれど幸いなことに死者はいなかった。かなり危険な状態の者がいたらしいが、ジークムントの治療が間に合ったそうだ。

 すでに村の者達は街の避難所に避難が完了しているので、一般の民にこれ以上被害が広がることはないだろう。


 山の麓、結界の目の前に着くと、リーゼロッテは結界内を見上げた。

 外にいてもわかるほどの夥しい瘴気に、魔物の反応。

 これほどの瘴気と魔物を抑える山を覆えるほどの結界を維持しているのはかなり負担のはずなのに、ジークムントはそれをおくびにも出していない。皆を不安にさせないためか涼しい顔をしているけれど、相当きついに違いないのだ。


 リーゼロッテとクラウスがシュラークから降りると、ブライアンも自身が乗っていた馬を降り、カミルに手綱を託した。ブライアンはシュラークに「よろしくな」と一言声をかけ、軽く撫でてから軽やかに跨がる。シュラークに嫌がる素振りはなく、大人しく受け入れている。


「おお。やっぱ普通の馬とは違うな」

「当たり前だろう」


 ブライアンが乗り心地の感想を呟くと、カミルが律儀に呆れた声で返した。

 ブライアンはジークムントの専属護衛だが、今回の作戦ではジークムントと別行動だ。カミルとアルフレートの護衛の騎士達が残るので身の危険を心配する必要はない。

 ちなみに、ジークムントの他の護衛の内二人は夜間の警備後、残り二人はジークムントが領主邸に戻ってからの警備の役目があるということで、領主邸で休んでいる。


 馬から降りたジークムントがリーゼロッテに歩み寄る。伏し目がちにリーゼロッテを見下ろし、柔らかな頬を優しく撫でた。


「体調は?」

「問題ありません。出発前にも確認したではありませんか」

「心配なものは心配だから」


 昨日の馬での移動の疲労も蓄積されているのではないかと、色々と考えてしまっているのだろう。リーゼロッテがおかしそうに笑うと、姪を溺愛するジークムントは困ったように眉尻を下げた。


「クラウスもいるから大丈夫だとは思うけど、無理はしないように。いいね?」

「はい」

「中の瘴気はかなり濃密だ。少しでも体調に異変を感じたら我慢せずに中止だよ」

「はい。叔父様こそ、おつらければ結界は私が変わります」

「いや、これから大規模な浄化をこなすロッテに任せるわけにはいかない。それこそ相当な負担だからね」


 すり、と。頬の上を親指の腹が滑る。慈しむようにどこまでも繊細な触れ方だ。


「ロッテにばかり負担を強いてしまってごめんね。不甲斐ない僕をどうか許してほしい」

「そんな。いつも私の分の仕事をいくつか引き受けてくださっているのですから、むしろ私の方が謝罪するべきですわ」

「聖女にしかできない役目を果たしてもらうためだから構わないよ。できないと煩わしい虫がたくさんいるからね。もちろん可能な限り排除はするけど」

「あまり無理はなさらないでくださいね。私のせいで叔父様の立場が悪くなるのは嫌なのです」

「もちろんだよ。僕だってロッテの心に影を落とすのは本意じゃない。本当なら常にそばにいて心の憂いを払ってやりたいけど、そうもいかないのが心苦しいよ」

「まあ。それを言うなら私も」

「――ゔゔん!」


 わざとらしい咳払いが二人だけの空気に割り入る。二人の視線がブライアンに向けられた。


「お二人共、今がどのような状況かお忘れですか?」

「そんなわけないでしょう」

「少し別れを惜しんでいただけだよ」

「……」


 どこが少しだ、とでも言いたげな眼差しが向けられる。声にこそ出していないものの、目が表情が、ありありと訴えている。

 周囲が置いてけぼりを食らっていたことなど意に介さない二人だ。これ以上は言っても無駄だと、ブライアンは早々に諦めた。


「叔父上」

「わかってるよ」


 次に急かしたのはアルフレートだ。ジークムントは小さく息を吐き、再びリーゼロッテを見つめる。


「頼んだよ、ロッテ」

「はい」

「リーゼ、気をつけてね」

「ええ」


 にっこりと、リーゼロッテは自信満々に笑みを浮かべた。




(本当に、酷い有様だわ)


 結界の中に入ると、そこは外とは隔絶された異様な空間だった。

 外からの視覚情報を得てなんとなく瘴気を感じるのと、実際に立ち入って直接視認し肌で感じるのとでは、全然違う。

 蔓延した瘴気で視界が悪く、恐らく魔法や神聖術で身を守っていなければ一分も経過しない内に体調に異変が起き、瘴気が体を蝕むことだろう。

 結界の中に立ち入るのをリーゼロッテと聖騎士に限定したのは、神聖力を宿すリーゼロッテ本人は瘴気に対する耐性があり、聖騎士達の団服や所持している魔道具は瘴気の影響を弱める効果があるからだ。


(確かにこれは、魔法で浄化するのは大変ね)


 これ程までに瘴気が濃く漂う光景は滅多にお目にかかれない。外に漏れてしまっては大惨事だ。

 そして、こんなにも大規模な浄化は、リーゼロッテには経験がない。

 今まではごく稀に司教三人では足りない範囲と瘴気濃度の現場があったけれど、それでもジークムントや枢機卿が問題なく対応できる程度だった。そのいくつかをリーゼロッテも担当していた。

 眼前には、記憶に残るどの場面よりも黒く禍々しい光景が広がっている。昨日ジークムントが浄化をしたらしいけれど、恐らくその分もほとんど元に戻ってしまっているだろう。浄化前以上に悪化しているかもしれない。結界内のためある程度は抑制されているはずなのに、凄まじいほどの発生速度だ。並みの浄化だけでは時間稼ぎにもならないほどに最悪な環境である。


 それでもやるしかない。リーゼロッテがやらなければいけない。そのために、叔父の意志に背いてまでこの地にやって来たのだから。

 失敗するかもしれないという不安は欠片もなかった。むしろ成功すると確信していた。揺らがぬ自信があった。だってリーゼロッテは神聖力を授かった聖女だ。この世界で最も優れた浄化術の使い手だ。


『頼んだよ、ロッテ』


 そして何より、叔父に頼まれた。託されたのだ。叔父の期待を裏切らないのがリーゼロッテの絶対的指針で、優先すべき事項。それも今回は自ら言い出したことで、絶対に成功させてみせるという強い意欲がある。

 すべては叔父のため、大切な人達が暮らすこの国を守るために、自らに与えられた稀有な力を惜しみなく使う。利用する。

 大切な人達のために、リーゼロッテは聖女の役目を果たすだけだ。



 ◇◇◇



 約一時間半前。


「これが魔物の隠蔽に使われていた魔道具だよ」


 出発前の最終確認で一室に集ったその時間、アルフレートが参考にと持って来たのは、伯爵邸で押収された魔物の気配を変える魔道具と、山で回収されたという結界の魔道具だった。結界の魔道具は動力源となる魔石の部分にヒビが入っている。


「かなり出来が悪いわね。こんなもので本当に隠蔽なんて可能なものなの?」


 魔道具は魔石や器具の本体に魔力を利用して術式を刻み陣を形成するのだが、その作業が繊細さを極めるものでかなり難しく、いかに精巧かによってランクが別れる。多機能であればあるほど術式も複雑になり、ランクは上になっていく。

 拘束や服従系の魔法は術式が複雑な部類だ。一流職人の魔道具を見慣れているリーゼロッテは、伯爵領で使われていた魔道具が粗悪品であることを一瞬で見抜いた。術式など確認せずとも一目瞭然であった。魔石の取り付けが甘すぎる。

 この程度の魔道具で欺けるほどにこの国はレベルが低いのかと、心底怪訝な様子だ。


「魔石を大量に使い、効果を底上げしていたらしい」

「ふぅん……」


 強力な魔物を拘束、服従させるほどの強い術式を組み込む技術が足りなかったため、魔石等による魔力供給への耐久力を重視した作りのようだ。それくらいの術式を刻むことが可能であった程度には伯爵家にも技術があったらしい。

 魔石は決して安価ではなく、大量に使用するとなると費用は莫大になる。けれど――それでも利益が出るほど、魔物の売買には需要があるということだろう。


「それにしたって高が知れてるじゃない」


 優秀な人間ばかりが集まっている自分の周囲を基準にしてはいけないとわかっているけれど、それでも納得がいかない。リザステリア帝国の魔法技術は最先端を走っていると言っても過言ではないのだから。


「僕達からするとそうだね」


 ジークムントも魔道具を観察している。

 先日遭遇した不成者が所持していた魔道具と比較すると、どうにも見劣りする出来栄えなのは明白であった。


「まあとりあえず、大体わかりました。効果を上げられたとして、よくて中の上レベルの結界。魔物はそれで抑えられなかったということですね」


 すでに目撃証言や教えられた現場の状況からある程度の予想はしていたけれど、随分やっかいな相手だ。

 結界の魔道具が壊れる決定打となった件の強い力を持つ魔物。中級であれば叔父が手こずるはずがない。魔物の数が多すぎるのが壁となっていることも事実だろうけれど――一番の懸念点は、恐らく一番新しく飼育区画に入れられたその魔物が上級の可能性が高いということである。現在ジークムントが張っているらしい結界も、かなりギリギリで保っているとのことだ。

 伯爵邸で発見された資料によれば、その魔物はまだ幼体だという。力が安定していなかったため、伯爵の手の者でも捕らえることができたらしい。


(問題はないわね)


 油断は禁物。厄介ではあれど、クラウスもいるので大丈夫だと思う。これは過信ではない。


(本当にまずいならわかるもの)


 危険信号は特にない。リーゼロッテの勘も、大丈夫だと訴えている。

 とにかく優先すべきは、その魔物の無力化と浄化だ。


「昨夜決めた作戦通りに、変更はなしでよろしいですか? 叔父様」

「いいと思うよ」


 そんな話し合いを経て、一行は出発したのである。



 ◇◇◇



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