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26.第五章四話



 三人と二頭がベスター伯爵領の領主邸がある街に着いたのは、陽が沈む少し前の時間帯だった。

 もちろんもっと早く到着することも可能ではあったものの、あまりにも早すぎると違和感を持たれかねないので調整してこの時間だ。これでも早すぎると言えばそうなのだが、そこはリーゼロッテとクラウスの愛馬のポテンシャルで誤魔化し通す。


 屋敷の前で出迎えてくれたのは、暗い緑の髪の青年と使用人数人だった。皆、聖女の来訪に緊張で体を固くさせている。

 教会から新たに人員を派遣することは伝えていたけれど、それが聖女であることは伝えていなかったので当然だろう。心の準備もなく聖女と接することになればこの反応も仕方ない。

 青年はぎこちない動きで頭を下げる。


「げ、現在この領地の管理を任されております、ブルーノ・ダウムが聖女様にご挨拶申し上げます」


 ブルーノ・ダウム。捕まったベスター伯爵の一人息子であり、ベスター伯爵位の後継者だ。もっとも、今回の件で伯爵位は剥奪されることがほぼ確定しているので、裁判が終われば平民階級になるのだけれど。

 彼は数年ほど前に父である伯爵の裏事業に気づき、告発の準備を着々と進めていたそうだ。しかしそのことを知った伯爵の手によって監禁されていたという。表向きには療養中と流布されていて、社交界から姿を消したことについて特に疑問に思われなかったらしい。

 数日前、伯爵が捕まり帝国騎士団が捜査でこの領地にやってきたことで、監禁されていた部屋から助け出され、ブルーノは捜査に協力する形になったとのことである。元々告発のために調べていたこともあり、捜査にかなり役立っているとか。

 とまあ、その辺りの事情はリーゼロッテには関係のないことだ。リーゼロッテはただ、聖女としてやるべき事を果たすだけである。


「わざわざ転移魔法までお使いになって来られると聞き及んでおりました。本当に、本当にありがとう存じます」


 緊張とは別の理由も含まれて、彼の声は震えていた。

 被害が拡大し、彼も恐怖と悔しさで歯痒かったのだろう。彼はどうやら父親とは違うらしいことは、これだけのやりとりでも伝わってきた。

 彼は己の欲よりも、ちゃんと領民のことを考えられる人だ。

 監禁から解放されて現状を知らされ、戸惑いの中、伯爵の息子としてきっと厳しい目に晒されながらも、最大限の協力を惜しまずにやるべきことを成していたはずだ。


「聖女様にご足労いただき、心より感謝申し上げます」

「顔を上げて」


 立場上、深々と頭を下げられることには慣れているけれど、何かを成す前からひたすら感謝されるのはあまり好きではない。


「感謝は事を片付けたらもらうわ」


 微笑んだリーゼロッテの姿にブルーノは瞠目し、次第に顔を真っ赤にした。これまたよく向けられる反応だ。後ろの使用人もふらりと倒れそうになったところをお互い支え合っている。


「グレーテ、フェアシュ達を繋いできて」

「かしこまりました」


 クラウスがグレーテにシュラークの手綱を渡すと、『フェアシュ達』が聖女一行が連れている馬達だと理解した使用人の一人がはっとして前に出る。


「厩までご案内致します」

「お願いします」


 グレーテ達を見送り、リーゼロッテはブルーノに視線を戻した。未だぼーっとしている彼に再度微笑みかける。


「叔父様の部屋まで案内をお願いできるかしら」

「……あ、はい! 承知いたしました」


 すでにフェアシュ達から外していた荷物は使用人達に任せ、リーゼロッテとクラウスはこの屋敷の現在の主人の案内で屋敷内に足を踏み入れた。


 外観もそうであったけれど、伯爵邸は豪華絢爛な内装だった。豪奢なシャンデリアや金の額縁で飾られた絵画、複雑で精緻な模様が特徴的な花瓶等、そこかしこに価値の高い置物や屋敷そのものの装飾があった。不当な利益を存分に散財していたのだろう。

 ここにあるものは近いうちに換金され、本来であれば国に返還されるところであるけれど、今回は主に、現在起きている災害の補償に充当されるはずだ。


「お部屋はすぐに教皇猊下のお隣をご用意させましょうか?」


 ブルーノがそう言い出したのは、聖女と教皇の仲の良さを知っているからだろう。別の大陸にまで知れ渡っている話なので何も不思議ではない。


「護衛が使っているでしょう?」

「はい……両隣とも」

「では護衛の隣でいいわ。今から移動させるのは面倒をかけるものね。私の部屋の隣に私の護衛用のもう一部屋をお願い」

「一部屋でよろしいのですか?」

「彼は叔父様の護衛と同じ部屋を使わせるから」


 リーゼロッテが視線で示したのはクラウスだ。男女で一部屋は問題になるので、クラウスはブライアン達と同室の配置となる。


「グレーテは部屋で休ませて、私は扉前で警備でも」

「だめよ、休みなさい。貴方も移動で疲れてるでしょう。護衛は叔父様のところから一人付けてもらうわ」


 叔父の護衛には今回、ブライアンとカミルを含めて六人の専属護衛が付けられていて、夜中の護衛にはその内の二人が当たるはずだ。一つ部屋を挟んだ隣の部屋がリーゼロッテの部屋になるので、距離的にも支障はなく、そちらから一人借りれば事足りる。

 クラウスとグレーテ、二人分の二部屋をリーゼロッテの隣、更にその隣に用意するとなると、一人は一部屋分離れることになる。それでは納得しない者ばかりなのだ。


 リーゼロッテとクラウスのやりとりを興味深そうに眺めていたブルーノの視線に気づき、リーゼロッテは困ったように笑う。


「みんな過保護だから、離れたら怒るの」


 目が合って息を呑み、緊張しながらもリーゼロッテに見惚れていたブルーノだったが、ふと視界に入った輝く淡い金髪の青年から漂う黒いオーラに気づき、一瞬で全身に恐怖が走った。今までとは違う意味の緊張で頭の回転が速くなる。

 もうなるべく、リーゼロッテを見ない方がいい。そう悟った。


「お食事はどうされますか? 教皇猊下はこれからお部屋でお食事をとられる予定ですが」

「なら私の分も叔父様の部屋に運んでちょうだい。護衛の分は……叔父様の護衛も食事は今からかしら」

「はい」

「ではそちらにまとめてお願いするわ」


 そんな会話をしながら着いたジークムントの部屋の前には、護衛の二人が立っていた。

 呆れたような目をこちらに向けているブライアンとなんとも言えない顔をしているカミルに、リーゼロッテは呑気にひらひらと手を振った。



 ◇◇◇



 部屋に備え付けの浴室で湯浴みを終え、ジークムントは着替えを済ませていた。

 皇都の教会には魔法で連絡を飛ばしている。新しい人員は転移魔法を使ってこちらに向かうとのことなので、早ければ今夜、遅くとも明日には着くはずだ。

 明日の対策に思考を巡らせながら、ジークムントは伏し目がちに前髪を掻き上げる。その様がなんとも色っぽく他者の視線を奪いそうであるけれど、生憎この部屋にはジークムントの他には誰もいない。


 静かに集中していると、周囲にも敏感になる。

 魔物と瘴気の一時的な対応を終え、休むためにこの屋敷に来た時と比べ、どうも屋敷が騒がしくなっている。教会からの応援が到着したのだろうかと、予想よりもだいぶ早いなと思いつつも、これから行う明日に向けての話し合いに意識を向けたところで、はたと気づいた。

 こちらの部屋に近づいてくる気配。近づく距離に比例するようにはっきりしていくその魔力は、とても馴染みがある。


(どうりで到着が早いはずだ)


 むしろ違和感を持たれないように遅めに来たのだろう。


 よく知る気配が部屋の前で立ち止まり、何やら会話する声が聞こえた後、気配の一つが戻って行った。

 そして、室内にノックの音が響く。


「猊下。応援がいらっしゃいました」


 カミルの声だ。顔を確認せずともこれほどの距離でジークムントがわからないはずがないのに、わざわざ『応援』と表現して誰なのかを伝えないのは明確な意図を持ってのこと。『いらっしゃいました』では隠すつもりもないだろうに、その応援者の意図を汲んだのだろう。

 返事はしないでいても、少しすると勝手にドアが開けられた。そばにいる誰かに頼むでもなく自らの手でドアを開けたその少女は、「お邪魔します」と遠慮なく入室する。そうして優雅な礼を取った。


「こんばんは、叔父様」


 顔を上げてにっこりと可愛らしく笑みを浮かべる愛しい姪の姿に、ジークムントは思わず怪訝に眉を寄せてしまった。姪に向けるには不本意で仕方ないけれど、心情が溢れた顔である。




 戸惑い混じりの険しい表情をしている叔父の肌はほんのり赤みを持っており、束ねられていない髪は乾かす前なのか湿っている。


「湯浴みの後なのですね。素敵です……」


 リーゼロッテは頬を色づかせ、叔父の普段以上に色気のある姿にうっとり見惚れていた。身内に向けるにしては熱を孕んだ甘い眼差しも含め、まるで恋する乙女のように陶然としている。

 それまで厳しい表情だったジークムントはぱちりと瞬きをした後、毒気を抜かれ、「汗をかいたからね」と困ったように笑みを浮かべた。

 言いたいこと、聞きたいことは色々あったが、あまりにも純粋に心の底からの本音を零す姪の様子に、出かかっていた言葉が引っ込んでしまった。誰よりも愛する姪に褒められたのだ、嬉しさを感じない方がおかしい。


「そんなに見つめられると照れるな」

「慣れてらっしゃるでしょうに」

「ロッテは美人だから」

「当然です、叔父様の姪ですもの。叔父様は世界で一番素敵です」

「はは。ありがとう」


 軽口を叩き合うお互いが大好きで盲目すぎる叔父姪に、リーゼロッテに続いて部屋に入っていたクラウスはまたかと呆れ顔である。

 美人と褒められて謙遜しないのは、己の美貌に自信があるからだ。しかも聖女だからではなくジークムントの姪だからという発言は、いかにリーゼロッテが叔父を基準に物事を見ているかがよくわかる。実際にこの二人は女神が直接創造したかのような、人間離れしたあまりにも精巧な顔立ちなので、美醜に鈍感か妬み嫉みで認めたくないという人間でなければ誰も文句など言えはしない。

 今まさに繰り広げられていた親しげなやりとりの間に浮かべられていた柔らかな表情は、耐性のない者であれば卒倒してしまっていたかもしれないほどに美しく、尊く、上品であった。触れることは烏滸がましく、邪魔をすることは決して許されない、手の届かない二人だけの神聖な空間であった。

 その光景を眺める栄誉を求める者が、一体どれほどいるのか。二人の人気を考慮すると、数えるのは気が遠くなるほどの数になるだろう。


「ひとまず座りなさい」


 促され、リーゼロッテは置かれているソファーに腰掛ける。ジークムントは向かいのソファーに座ると、小さくため息を吐いた。


「よくよく考えてみれば、確かに誰を送るとは書かれていなかったね。人数も」

「偶然でしたが知れたのでよかったです。マルセルはどちらに従うべきか正しく選択しただけですので、叱らないでくださいね」


 聖女と教皇。その地位は事実、聖女の方が上だ。マルセルがリーゼロッテに従うのは正解で、責められるべきことではない。

 けれど、ジークムントが組み立てていた予定とは異なりすぎる。

 愛しい姪に、負担を強いるつもりはなかった。まして今回は規模が大きすぎるのだ。技術的には問題なくとも、リーゼロッテの体力の方が危うい可能性は否定できない。


「叱らないと、約束はできないね」

「一人分の方が予定の調整が楽ですし、私なら早急に、確実に浄化を終えることができます」

「それはわかっているよ」

「転移を使うとなると、人数も抑えた方が魔力を節約できます。私とクラウスとグレーテは得意ですから、魔石もそれほどいりません」

「それもわかっているよ」

「ならば私の判断は間違っていないと思うのですけれど」

「――そうだね」


 苦い顔のジークムントに反して、リーゼロッテはにっこりとご機嫌に笑っている。帰りなさいと言ったところで聞き入れないであろうことは一目瞭然であった。

 教会までの距離の転移が可能なのはリーゼロッテとクラウスだけで、その二人の意志がこの地に留まり、明日の浄化と討伐を自らの力を持ってして滞りなく終えることなのだ。ジークムントには今すぐ三人を帰す手段も、代わりの聖職者を連れてくる手段もない。


「……はあ。まったく」


 ジークムントが嘆息する。やるせない気持ちが込められた声だ。

 叔父の頭を悩ませていることは心苦しいけれど、リーゼロッテは自分が正しいという絶対の自信を持っていた。そして、叔父が結局は折れるしかないことも、容易に見通せていた。


 思い通りに事が運ぶことを確信してますます機嫌が上り調子だったところで、ぴくりと何かに反応したリーゼロッテは部屋のドアへと視線を向けた。その表情は僅かな驚きが表れたものであるけれど、同時にどこか――怒っているようにも見える。

 遅れてジークムントもその原因に気づき、僅かに眉を顰めてしまった。


 部屋の外に新たな気配が近づいている。それがドアの前で止まると、またノックの音が響いた。


「猊下」

「通していいよ」


 誰の来訪かをカミルが告げる前に、ジークムントは許可を出す。すると向こうからドアが開けられた。


「失礼します、叔父、上……」


 ドアを開けたカミルの後に続いて入室しようと足を踏み出した青年は最初、ジークムントだけをその視界に捉えていたけれど、すぐに他の存在に気づき、金色の双眸と視線が絡むと次第に瞠目した。深緑の瞳に驚きが満ちている。


「リーゼ……」


 従妹の愛称を呼んだアルフレートは、「早く入っておいで」とジークムントが声をかけたことで、歩みが止まっていた足を動かす。


「どうしてアルフがここに?」


 カミルが外に出てドアをぱたりと閉めると、いち早く口火を切ったのはリーゼロッテだった。


「今回の伯爵の一件の調査責任者を任されて、騎士団と調査に来ていたんだ」

「そう」

「私も驚いたね。リーゼはどうしてここに?」

「叔父様の応援要請に応えただけよ。――それで」


 リーゼロッテの目が、まっすぐに従兄を射抜く。


「どうして怪我なんてしてるのよ」


 感じたのだ。気配からも、その立ち振る舞いからも。アルフレートは負傷しているのだと。

 彼にまとわりつく瘴気を、確かに感じ取ったのだ。


「……わかるんだ、やっぱり」

「当然でしょう。これでも一応聖女だもの」


 ぐっとリーゼロッテは眉を寄せる。怪我をしているのはアルフレートの方なのに、まるで自分のことのように痛みを感じているような、苦しそうな表情だ。

 そんな彼女の気持ちを和らげるためか、アルフレートはなんてことのない平然とした顔をしながら軽く肩を竦めて見せる。


「逃げ遅れた領民を庇って魔物の攻撃が当たったんだ」

「治療は」

「持参した聖水は領民の怪我の治療や魔物の弱体化のために使ってしまったし、明日の分も足りないのは分かりきっているからね」


 平気だと態度で見せても、リーゼロッテの表情は険しいままだ。


「……止血して、包帯は巻いているよ」


 つまりまともな治療を受けていないということらしい。自らの命を優先すべきはずの帝国の第二皇子が、進んで自分のことを後回しにするなんて。

 魔物に負わされる傷には、魔物が纏い宿す瘴気が付着することが多々ある。瘴気そのものも人体には害なのに、傷に加えて瘴気までとなれば、体への負担は相当なものだ。傷口から瘴気が体内に吸収され、全身への巡りが早くなってしまう。

 アルフレートは決して弱くないし、魔法の腕も剣術もなかなかのものだ。魔法で対処する暇もなかったほど逼迫した状況だったのだろう。


「隠してたんでしょう」

「……私が負傷したとなれば、現場の士気に関わるから」


 仕方ない、という風な声音だけれど、リーゼロッテがそんなことで納得するはずがない。

 ジークムントに与えられたこの部屋に彼がやって来たのは、治療と浄化をしてもらうためだったのだと容易く想像がついた。思いがけずリーゼロッテもいたことで僅かに動揺しているのが見て取れる。

 リーゼロッテからの詰問など想定していなかったのだろう。リーゼロッテだって、彼がここにいることも、負傷していることも、まったくもって予想していなかった。


 リーゼロッテがゆったりとした動作で立ち上がった。緩慢な動きに反して、雰囲気はどうにも鋭く感じる。


「――脱いで」


 凛とした声で淡々と放たれたたった一言で、空気が凍った。



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