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23.第五章一話

ブックマーク、評価、いいね、誤字報告ありがとうございます。

第一部後半は第五章〜第八章、終章の全20話です。



「やる気出ないわ」


 ソファーにゆったりと腰掛け、クッションにもたれかかって頬杖をついているリーゼロッテは、むっすりと不満を表に出していた。子供のように拗ねている。

 今日も今日とて仕事をこなしていたリーゼロッテだったけれど、ギリギリの状態で保っていた集中力がぷつりと切れたので休憩中である。ふあ、と欠伸を零して目尻に滲んだ涙を拭い、力のないため息を吐いた。


「猊下がいらっしゃらないと露骨にこれだねぇ」

「まあリーゼロッテ様だもんねぇ」

「可愛い」

「うん、可愛い」


 紅茶の準備、そしてリーゼロッテのご機嫌取り要員として招集された世話係のマリーナとへレーネは、後者の方の目的を一切気にすることなく紅茶の準備を丁寧に素早く終え、のんびりと主人を観察している。


 ジークムントが出張から帰ってくるのは五日後の予定だ。出立したのは一昨日の昼なので丸二日会えていないことになるが、そのせいでリーゼロッテは気力がどんどん低下しているのである。単純かつ明快な理由だ。

 叔父はあと数時間でようやく目的地に到着する頃だろう。時間の流れが遅く長く感じる。まだまだ会えない。ジークムントが一定期間教会を空けることは珍しくもないのに、いつまで経っても心にぽっかり穴があいたようなこの寂しさに慣れないのは、さすがに幼稚すぎるだろうか。


「本日はもうお休みに致しましょう」


 補佐であるものの主人第一で甘々なハンナは、迷うことなく切り上げを提案する。体が弱いのに聖女ということで普段から働き詰めなので、嫌なら無理に続ける必要はないという判断だ。

 しかし、未成年であってもリーゼロッテはこの教会の最高権力者である。ジークムントがいない分、裁可を求めて回ってくる案件は多い。体調不良ならともかく、気分次第で仕事を放棄しては支障が出まくってしまう。

 わかってはいるけれど、どうしても気分が乗らない。


 リーゼロッテが紅茶を飲んでいると、コンコンとノックの音が響いた。マリーナが対応して扉を開ける。

 お菓子の準備、これまたリーゼロッテのご機嫌取りで呼ばれたハインツが、ワゴンを押しながら入室して来た。

 ハインツは足を踏み入れるや否や、部屋全体と部屋の主人の空気を正確に感じ取り、ワゴンからチョコタルトが乗った皿を取ってテーブルに置く。「リーゼロッテ様」と声をかけるも、リーゼロッテの視線はチョコタルトに釘付けである。


「ジーク様がいない間にお仕事をたくさん終わらせたら、ジーク様はすごく褒めてくれると思いますよ」


 まるで駄々をこねる子供のやる気を刺激するような言葉で虚をつかれ、きょとんと目をまん丸にしたリーゼロッテに、ハインツはにっこりと笑顔でたたみかける。


「それに、俺だって張り切ってもっとお菓子を差し入れます。なんたって我らがリーゼロッテ様が頑張っていらっしゃるんですからね」


 ぱちぱちと二度、髪と同じ色のまつ毛に縁取られた綺麗な目を瞬かせたリーゼロッテは、少し小首を傾げて思案するように目を伏せた。

 先程の年相応の幼さを垣間見せる表情からの変化も相まってギャップが際立ち、その様がなんとも優美で目の保養である。眼福とはまさにこの少女を眺めることを表しているのだと思えるほどに美しすぎた。


 当の美貌の少女は、至って真剣な顔をしながら頭の中で天秤を思い浮かべている。

 まず、片方の皿に「仕事」を載せた。続いて反対の皿に「ご褒美」――勝手にチョコレート菓子と決めつけてそれを置けば、天秤はぐらぐらと上下に揺れる。水平ではなく僅かにチョコレートの皿が下に傾いているけれど、そちらに更に「叔父様」を載せると、ドーン! と圧倒的な重さを見せた。勢い余って反対側の「仕事」が吹っ飛んでいく。

 明確すぎる差があった。


「仕方ないわね」


 一度ため息を吐いたリーゼロッテは、それでもやはりゆったりとした動作で姿勢を正したのだった。





 ご褒美をお目当てに仕方なく面倒な書類作業やら会議やらを終え、ハインツが準備した菓子類をたらふくつまみながら堪能し、多少は機嫌を直したリーゼロッテが、更に仕事を進めて、進めて、進めて、特別図書室で調べ物をした帰り。すでに時計は夕食の時刻を示しており、これから料理長の絶品料理を食べようと食堂に向かっていたところで、廊下を曲がると見慣れたモノクルの男と聖騎士の姿を視界に捉えた。

 聖騎士は近衛隊副隊長兼教皇専属護衛のヴェンデル。元孤児であり、妹はジークムントの身の回りの世話をする世話役の修道女だ。

 ヴェンデルはジークムントの専属護衛ではあるものの、普段は主に近衛隊の訓練指導を担当している。今回も遠征するジークムントの護衛にはつかず、聖騎士達の指導を続けていた。


「あら、マルセル、ヴェンデル」


 リーゼロッテが声をかけると、マルセルとヴェンデルはわかりやすくビクッと肩を揺らして反応した。訝しく眉を顰め、リーゼロッテはコツコツと足音を立てて歩み寄る。

 ハッとした二人が慌てて、けれどそうは見えないように取り繕って礼をして挨拶するが、もう遅い。あの不自然な反応を誤魔化すには弱すぎる。特にヴェンデルはマルセルほど隠し事が上手くない。


「なあに、どうしたの? 今の反応、明らかにおかしかったわね。いつも冷静な貴方らしくもない」

「いえ。決してそのようなことは」

「わざとだと言われたほうがしっくりくるほどよ。私に会うのは何かまずかったのかしら」


 悪戯な笑みを浮かべながらマルセルを見上げるリーゼロッテの金の瞳は、絶対に逃がさないと語っている。必死に逃げ道を模索する獲物を容赦なく追い詰める肉食獣のようだ。

 なんとか平静を装うも効果のなさを実感するモノクルの男は、己の失態に割と動揺していた。そして少し後ろに控えているヴェンデルも、決して教会の主人である少女と目を合わそうとせずに冷や汗をかいている。


「叔父様が帰ってきたら言いつけちゃうわよ。私に隠し事してるって」

「どうぞお好きに」

「一瞬だけれど言葉が詰まったわね。叔父様関連ってことかしら」


 楽しげに笑みを深めるリーゼロッテの指摘に、マルセルは自身の頬が僅かに引き攣ったのをしっかり感じた。

 詰まったなんて、本当に一秒にも満たないような些細な異変でしかなかったはずである。普段と比べると僅かに間があったという程度の差異であるはずなのに、あっさり見破られた。逃げ道がどんどん塞がれていく。

 世界にただ一人のこの聖女様は、色々な意味で厄介だ。人――特にジークムントを除く身内を揶揄うのが好きな享楽主義者の部分があり、しかも優れた観察眼を持ち合わせている。少しの油断で何かあると見抜かれてしまう。


「ヴェンデル」

「はい」


 リーゼロッテは標的をヴェンデルに変更した。緊張した面持ちで、ヴェンデルは姿勢を正す。


「叔父様関連のことは貴方にもクラウスと同等の権利があるから、うるさく言うつもりはないのよ。事後報告をちゃんとしてくれるのならね」


 聖騎士団近衛隊で、クラウスは隊長、ヴェンデルは副隊長だ。一番上はクラウスであるが、クラウスがリーゼロッテの護衛において最高責任者であるのと同様に、ヴェンデルはジークムントの護衛において最高責任者となっている。ジークムントの護衛に関することであれば、クラウスへの確認がなくともヴェンデルの判断で方向性を定め、人員を動かす権利が与えられているのだ。

 近衛隊と一括りにされてはいるけれど、役割は個々によって異なる。状況に応じて柔軟に対応するため、どちらにも付けるフリーの近衛騎士もいるにはいるけれど、ほとんどの近衛騎士が聖女と教皇それぞれの担当を明確に割り振られているのである。

 無論、変更等あれば上司であるクラウスに報告は必要になるけれど、事後であっても問題がないということだ。


 そんなわけで、何か大きな行事や不測の事態等で予定を調整する必要が出てこない限り、クラウスがジークムントの護衛に関与することはあまりない。リーゼロッテもそのことは承知している。

 もっとも、それは迅速な対応、近衛隊の隊長の負担を軽減するための仕組みであって、すべてを好き勝手にしていいというわけではなく、まして隊長や聖女に隠さなければならないことなどないはずなのだ。


「でも、悲しいわね。顔を合わせたのにわざわざ隠されるなんて。貴方のことは信頼しているのに……」


 頬に華奢な手を添え、寂しそうに眉尻を下げて嘆く、教会の絶対的な主人。揺れる眼差しを向けられたヴェンデルは雷に打たれたような衝撃を受けて目を見開き、リーゼロッテの足元に素早く跪いた。それはもう俊敏な動きで。

 命をかけてでも何事からも守らなければならない主人にこんな表情をさせてしまっているのは自分だと、ヴェンデルの心が引き裂かれたように痛む。訓練や魔物の討伐、実戦で受ける苦痛など比にならない。

 これは大きな失態だ。あってはならないことだ。何せヴェンデルという男は――。


「申し訳ありません、マルセル司教。リーゼロッテ様に気づかれてしまった以上、僕はこのお方に隠し通すことはできません」


 この聖騎士は、リーゼロッテに己の全てを捧げている狂信者のだから。


 心苦しさを滲ませた悲痛な表情でリーゼロッテを見つめる彼に、マルセルは額に手をついてため息を吐いた。なぜ彼が教皇専属護衛という役職についているのかと、何度目かもわからない疑問が浮かぶ。

 聖騎士団近衛隊副隊長ヴェンデル、二十六歳。彼は己の存在がリーゼロッテのためにあると豪語するほどに熱狂的なリーゼロッテ信者なのである。多少毛色は異なるけれど、クラウスにも匹敵するレベルの。

 リーゼロッテに対するその姿勢から、近しい者達からは「聖女の忠犬」と呼ばれているほどの盲信っぷりだ。そして本人はその呼び名をとても気に入っている。


「いい子ね、ヴェンデル」


 一転して満足げに笑みを見せたリーゼロッテに頭を撫でられ、ヴェンデルは陶然と目に熱を宿した。

 いいように上手く扱われていると気づいてはいるけれど、まったく不快に感じていない。むしろ光栄の極みだ。ただこの至高の存在の憂いを払うために少しでも力になれるのなら、ヴェンデルにとってそれ以上に幸福なことなどありはしない。


 恍惚な面持ちには異性に対する恋愛感情は正真正銘一切なく、異常なほどの行きすぎた敬愛と崇拝によるものだ。あくまでどこまでも敬虔な信者だからこそ、クラウスも面白くはないもののいちいち目くじらを立てることはしない。他人嫌いなリーゼロッテに躊躇うことなく触れられているのが心底羨ましく、妬ましく、腹立たしくとも、ヴェンデルの中には異性に抱くような下心はないのだから。

 リーゼロッテの方にも頭を撫でるだけで触れ合いに特別な意味はないのだと、クラウスはきちんと理解している。とは言え、目つきがどうしても鋭くなってしまうのは制御のしようもないので許してほしい。


「ねえクラウス、詳しく話を聞く必要があると思わない?」

「リーゼロッテ様のなさりたいように」

「じゃあ部屋に行って話しましょう。――まさか聖女(わたし)の命令を拒んだりしないわよね、マルセル」


 こういう時は嬉々として己の権力を行使し、拒否権はないと通告する優美な笑みを深めた最高権力者と、教会の中でもトップクラスに彼女に心酔している聖騎士二人、番犬と忠犬。この場に一介の司祭の味方はいない。


「――かしこまりました……」


 マルセルは脱力し、ため息混じりにそう応えるのだった。




 話し合いの場にはリーゼロッテの自室が選ばれた。応接間でテーブルを挟んでソファーに座り、リーゼロッテとマルセルは向かい合っている。クラウスとヴェンデルはすぐそばに立って控えており、二人分の紅茶を準備したハンナは静かに下がった。

 リーゼロッテは紅茶を腹に入れ、空腹を紛らわす。厨房には夕食の時間が遅れることは連絡済みだ。早く食事にしたいけれど、他でもない叔父関連のこととなれば後回しにはしたくない。


「私はとってもお腹が空いているの、マルセル」

「はい。私もです」

「なら利害が一致しているわね。――回りくどいことはせず、嘘偽り隠し事なく、洗いざらい説明してちょうだい」


 腕と足を優雅に組み、教会の最高権力者が居丈高に告げる。

 普段は一切敵意を浮かべず親しみが込められてきた神秘的な金の双眸は、現在は鋭くモノクルの男を射抜いていた。自分の半分以下の、まだ成人もしていない年齢の少女が見せる冷厳な態度に、マルセルは全身に改めて緊張が走ったのを感じた。

 背中に汗がじんわりと滲む。彼女はやはり世界の最高位に立つ存在なのだと実感する。尊大な振る舞いが様になっていて違和感がない。逆らってはいけないと、本能的にそう思わせる荘重な威圧感を纏っている。

 迂遠な説明は、間違いなく怒りを買う。


「……伯爵領にご到着されたジーク様から、追加で司教以上の聖職者最低五名の派遣命令が来ました」

「五名?」


 リーゼロッテの眉根が訝しげに寄る。

 ジークムントの出張先は、皇都の街でリーゼロッテ達に絡んだ例の不成者の魔道具の購入ルートの調査過程で、魔道具の違法な売買を含む多くの罪が発覚した伯爵――ベスター伯爵の領地だ。瘴気の異常が報告されたため、ジークムント達が派遣された。


「確か、司教と大司祭が叔父様と一緒に行っているはずよね。それなのに更に五人なの?」

「はい」


 聖職者の階級を決める際、個人の浄化や治癒のレベルは重要な判断材料だ。もちろん魔法の力だけですべてが決まるわけではないが、概ね比例した役職が与えられる。

 ヴァールリンデ教において最高位は聖者、その下に教皇、枢機卿、大司教、司教、大司祭、司祭、助祭と続いている。シュトラール教会は色々と特殊だけれど、ある程度その基準に則っている。

 基本的には弱くとも治癒や浄化の魔法を使えるなら司祭、魔物討伐や災害現場等において実際に使えるレベルが大司祭からとなっている。新人か、治癒も浄化も使えない聖職者は助祭だ。


 シュトラール教会に所属している高位の聖職者は半数以上が他国の浄化に出向いており、リーゼロッテとジークムント以外となると、現在教会には枢機卿一人と大司教が二人、他は司教以下しかいない。

 リーゼロッテの存在そのものが瘴気の発生をある程度抑えている帝国内の浄化は、どんなに魔物が活性化し瘴気が充満している場所であっても、司教が三人はいれば事足りるのが常だ。枢機卿レベルであれば一人で片付く。

 今回伯爵領に向かったのは教皇ジークムント、司教一人と大司祭二人。ジークムントがいるだけでも大盤振る舞いと言えるのに、他でもないそのジークムントから新たな人員の要請があったということは――。


「想定以上に瘴気が濃く広がっており、野生生物の魔物化も多いと。負傷者も多数で、現在の人数では対処に足りないとのことです」

「それってつまり」

「ええ。……かなり、まずい状態です」


 紛れもなく、由々しき事態だ。



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