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02.第一章一話



「聖女様だわ」

「なんてお美しいのかしら……」


 うっとり惚けた表情で修道女達が眺めているのは、シュトラール教会の庭園にいる聖女である。

 仕事の合間の休憩ということで彼女が外の空気を吸いによく庭園を散歩しているのは、教会では周知の事実だ。同じ教会内で暮らしていながらも容易く近づくことなど恐れ多い聖女の姿を目に焼き付けようと、普段接点をほとんど持つことのない修道士などが休憩時間の目星をつけ、遠くからこっそり彼女を眺めるのが定番と化している。現に今、この修道女達以外にも、ちらほら修道士や聖職者の姿があった。

 休憩と承知しているため、話しかけるといったような邪魔はしない。彼女が視線を気にしないよう、なるべく遠くから、本当にただこっそり眺めるだけだ。

 そもそも、声をかけたところで緊張で頭が回らず呂律も回らず、まともに会話できずに微妙な空気が流れてしまうのが目に見えている。


 大陸の北西部では珍しい彼女の黒色の長い髪が緩やかな風に遊ばれてふわふわ靡き、それを撫でるように華奢な手で押さえると、髪との対比で肌の白さが際立った。落ち着き払った上品な佇まいと儚い雰囲気、聖者以外には与えられることのない女神と同じ金色の神秘的な瞳は、彼女の美貌と相まって、花の蜜が蝶を惹き寄せるかのごとく人々の心を奪っていく。

 ただそこにいるだけで、存在そのものが周りの心を掴む。そんな不思議な空気を纏っているのが、現在世界にただ一人存在する聖女――リーゼロッテ・フレーベル・ラングハイムという十六歳の少女なのである。


「クラウス様と並ぶと更に絵になるわよね……」


 教会の敷地内とは言え、散歩には当然、専属護衛のクラウスがついている。今日は天気がいいので日傘を差し、日焼けが大敵のリーゼロッテの白く滑らかな肌を陽光から守っていた。

 クラウスの本分は護衛であり、リーゼロッテは日傘くらい自分で持つと言っているのだけれど、クラウスが聞き入れないので毎回こうなっている。


「まるで聖女様と騎士様の物語のようだわ」


 リザステリア帝国だけでなく、全世界で有名な物語。かつてこの国が帝国ではなくもう少し小さな王国であった頃、聖者が数百年現れず、生活に多大な支障が出るほど瘴気が世界中に蔓延していた時代の話。

 当時、ようやく誕生した待望の聖女は、リザステリアの美しい王女だった。しかもそれまで世界各地に伝わっていた聖者とは比べ物にならないほどの力を持つ、まさに「始まりの聖女」にも劣らないほどの力だったそうだ。

 王女は世界中の希望の光となった。日々聖女としての訓練に励み、少しずつ瘴気の浄化や魔物の討伐など、成果をあげていた。成人する頃には王国の瘴気はだいぶ薄れ、魔物の発生も減り、瘴気の影響で体調を崩す者も激減したほどだ。当時はそれほど魔法が普及していない時代なので、一人でそれほどの事を成し得たのは弛まぬ努力の賜物だろう。

 そんな彼女をそばで支えていたのは、教会から派遣されたとある聖騎士の男性。王女が幼い頃から仕えていた彼は幼馴染みでもあり、やがて二人は恋人となり、世界を平和に導いたという実話である。


 見目麗しく気品溢れる聖女と、誠心誠意尽くすこれまた美形の聖騎士。特に女性であれば誰もが幼い頃から憧れるかつての聖女の恋愛物語を思わせる光景に、修道女達は「ほぅ」とため息を吐いていた。

 伝説とも言える純愛物語の聖女と聖騎士は結婚し、子宝にも恵まれた。その子孫が王族と、帝国となってからは皇族と婚姻を結んだことが何度かあり、時代の流れでかなり薄くなってはいるものの、今の皇族や一部の貴族、さらには恐らく一部の平民にも、二人の血が流れている。皇帝の姪であるリーゼロッテもそうだ。

 だから余計に、リーゼロッテをかつての聖女と重ねてしまうのだろう。ましてリーゼロッテは、聖者の特徴である金眼に加え、その物語の聖女と同じ黒髪までをも持っているから。


「とても仲が良さそうに見えるけれど、恋仲だったりしないのかしら。全力で応援するのに」

「どうかなぁ。聖女様は第二皇子殿下とも親しいし……」

「第二皇子殿下も整ったお顔立ちでお優しいし、お似合いよね」

「私は絶対にクラウス様がいいと思うけどな〜。いつも聖女様のおそばでお守りなさってるなんて素敵じゃない」


 聖女だけの聖騎士。それが専属護衛である。

 シュトラール教会はリザステリア帝国の皇都の一角に建設されているが、あくまで独立した組織だ。聖騎士は教会所属の騎士で、国や皇帝に忠誠を誓う帝国軍に所属する軍人とは違い、教会だけを主と認識している。聖者と教皇への忠誠心は絶対であり、例え皇帝が教会の戦力である聖騎士に何か命令を下したとしても、リーゼロッテかジークムントを通さない限り従うことはない。つまり、皇帝命令でさえも、教会にとってはただの「要請」に過ぎないのである。

 聖騎士の中でも特に優秀で実力が認められた者は、聖者や教皇といった教会の重役の専属護衛となることが大半だ。その場合、それぞれの護衛対象を最優先に、どのような脅威からも守らなければならない。その立場にあるクラウスは、何よりもリーゼロッテを優先する義務がある。

 一途に仕えるそんな姿が、「お似合い」という感想に結びつくのだろう。


「聖女様はとっくに婚約者をお決めになられてもおかしくない時期だもの。お相手がどなたか早く知りたいわよね」


 聖女の婚約者――要するに将来リーゼロッテの配偶者となる人物が誰になるのか、それは教会関係者だけでなく、多くの者が関心を持っている。それこそ、皇族や貴族から地方に住んでいる一般の国民、遠い異国の地に住む者までもが。

 聖女とはそういう存在なのだ。






 周囲からは優雅に歩いている様にしか見えないリーゼロッテだけれど、実際のところはすでに散歩に嫌気がさしていた。

 外に出るのは確かに気分転換にはなるものの、長く外にいたいわけでも、歩き回りたいわけでもない。ティータイムを外で過ごす程度ならまだしも、散歩なんて、自ら進んでやりたがるようなことではなかった。


「ねえ、そろそろ終わりにしてもいいと思わない?」

「いけません、リーゼロッテ様。まだ庭園に来て五分しか経っておりません」


 一縷の望みをかけてリーゼロッテが問いかけるも、忠実なはずのクラウスは言葉を詰まらせることなくばっさり切り捨てる。少しくらい悩んでくれてもいい場面であるのに、取り付く島もない。


「貴方、こういうところは言うこと聞かないわよね」

「リーゼロッテ様のためですので」

「頑固」


 拗ねたリーゼロッテがプイっと顔を背け、スタスタと早足で歩みを進める。歩幅の違いもありクラウスが難なくついて来るので、リーゼロッテは更に幼い子供のように剥れた。

 このやりとりも、周囲のフィルターがかかった目には仲睦まじく映るらしい。付き合いが長いので親しみを含んだ戯れであることに変わりはないが、素直に納得できないのがリーゼロッテの心境だ。


 リーゼロッテは元々体が弱く、成長して多少は丈夫になった今でも、普通の人よりは体調を崩しやすい。幼い頃はほぼ毎日、一日の半分以上の時間をベッドで過ごす生活を送っていたためか――理由は他にもあるけれど、とにかく室内が好きな引きこもり体質、要するにインドア派になっているわけで、運動をほとんどしない。そのせいで体力もあまりついておらず、徒歩で長距離を移動したり魔法を連発したりすると、体力がもたないことが多かったりする。

 だから、叔父のジークムントがリーゼロッテの今後の聖女としての仕事や健康面のことも考え、運動するように常日頃から苦言を呈していた。どうせなら社交でも役に立つダンスでもしたらどうかと。

 もちろん、運動嫌いなリーゼロッテが簡単に頷くはずもなく、ダンスはとっくに覚えているからと譲らなかった。運動嫌いだけれど運動が苦手なわけではなく、ダンスは完璧に踊れるのだ。体力のなさが難点で何曲も踊り続けることは難しくとも、技術の面においては誰もが一目置くほど。ダンスをしなければならない夜会等に出席が決まれば、事前に少し練習する程度で感覚が戻るので問題ない、普段はしなくていいと反論していた。

 そうして幾度も繰り返された話し合いの末、お互いに妥協し合った結果、最低でも一日に一回は散歩をすることで合意したのである。


 クラウスはジークムントの言いつけで見張りのようなことをしており、リーゼロッテがサボらないよう、休憩時間になるとこうして外へ連れ出す役目を仰せつかっている。

 本来ならばリーゼロッテの意思を全て尊重すべき専属護衛の役職を与えられているクラウスだが、他ならぬリーゼロッテのためになると判断した事柄に関しては、リーゼロッテ本人が嫌がっていたとしても実行に移す。彼女のためを思っているからこそ、ただ従順になんでもかんでも望みを叶えることはしない。散歩の件もそれに当たる。


 そんなわけで、自ら希望して外に出ているわけではないところが、リーゼロッテが周りに勘違いしてほしくない点である。わざわざそれを口にすることはしないけれど。

 ちゃんと訓練している者からすると微々たる変化かもしれないけれど、以前よりは体力がついてきている自覚はある。しかし嬉しいと思ったことはない。

 必要なことだと、妥協されていることだと理解してはいる。それでも、強制されているこの散歩はリーゼロッテにとって仕事と大差なく、ほんの少し気分転換になるだけで、肉体的な負担が上回っていた。


「疲れたわ」


 散歩を始めて十五分が経とうとしていた頃。呼吸の間隔が短くなったリーゼロッテは立ち止まり、ぽつりと呟く。僅かに落ちている声のトーンで、かなりつらいことが伝わって来た。

 早足が影響し、思っていた以上に体力を使ってしまったようだ。普段はゆっくりのテンポではあるが、最低でも二十分は歩き回っている。


「散歩が終わればティータイムです。本日はパティシエが完全新作のケーキを作る、と」


 ぴくりと、リーゼロッテの柳眉が動く。


 教会お抱えの料理人やパティシエは超一流の腕前だ。何せ、元々は皇宮で働いていた者達を引き抜いたのだから。

 そんな、元皇宮パティシエが腕に縒りをかけた新作ケーキ。リーゼロッテだけでなく多くの教会関係者が毎度楽しみにしているけれど、いつも最初に振る舞われるのは聖女であるリーゼロッテだ。

 散歩後のティータイムはいわゆるご褒美タイムで、ジークムントとクラウスの計らいで設けられている。リーゼロッテにとっては心安らぐ至福のひと時であり、それこそが本当の休憩だ。散歩は休憩に入らない。

 そして、今日はもう、今すぐ散歩を引き上げたくて仕方ない。そんな心情に気づいていながらまだ我慢してくださいと濃い紫の目で告げる護衛を、リーゼロッテは恨みがましい眼差しで見据えた。


「ケーキだけでつられると思う? 小さな子供じゃないのよ」

「チョコレートケーキだそうです」

「……」

「もちろん、ケーキだけではなく、様々なチョコレートもあります」

「……」

「トリュフチョコレートは多めに用意しているみたいですよ」


 クラウスの目元が和らげられる。リーゼロッテに関すること以外ではほとんど表情を崩さず、他人に興味もない冷淡な彼は、「氷の聖騎士」と呼ばれているけれど。忠誠を誓う主人の前ではこうして、大きく変わることはないものの、表情が和らいだり心配そうにしていたり、豊かとまではいかないながらも変化することはよくあるのだ。

 そんな彼を無言で見つめた後、リーゼロッテはそっと目を伏せた。


「そう」


 コツ、と。足を踏み出し、再び石畳の上を進む。日傘を持つクラウスもついて来る。小さな子供を見守っているような、なんだか生温かい視線を後ろから感じるのは、リーゼロッテの気のせいではないだろう。

 リーゼロッテのチョコレート好きは、教会内では常識となっている。もう六年近くリーゼロッテの専属護衛を務めているクラウスも、もちろん知っていることだ。

 ちなみに、好きなのは甘いチョコレートであって、基本的にビターは苦手である。かと言って甘ければ甘いほど良いというわけでもなく、リーゼロッテなりの基準があり、色々と細かい拘りがあったりする。


「貴方、確実に私の扱いが上手くなってるわよね」

「光栄です」

「まったく、一ミリたりとも褒めてないわ」


 嫌味だと察しているはずのクラウスに鋭く突っ込み、リーゼロッテはため息を吐いた。先程、修道女達が零したため息とはまったく意味が異なるものだ。


「長い付き合いですから、リーゼロッテ様のことはそれなりにわかっているつもりですよ」


 耳に届いたその台詞に、リーゼロッテはぴたりと動きを止めた。つられてクラウスも足を止め、黒髪の主人を不思議そうに見下ろす。

 ゆったりとした動作で顔を上げたリーゼロッテは、まっすぐに視線を護衛へと向ける。ヒュゥゥと吹いた風が、リーゼロッテの長い髪をふわりと舞い上がらせた。

 長いまつ毛に縁取られた目と己の目が合った刹那、クラウスは自身の目が丸まったのと、一瞬息が止まったのを感じた。この場を支配するような独特の空気が肌に刺さる。


「ただ付き合いが長いだけで、相手を理解してない人も案外いるものよ。――まったく情が湧かない、薄情な人もね」


 そう紡ぐリーゼロッテの表情と声音は温度が感じられないもので、透き通った金色の瞳が映しているのは今この瞬間、眼前のクラウスではなく、どこか遠いところを眺めているようだった。

 しかし、それも本当に少しの間。ほんの数秒のことで。リーゼロッテはふわりと普段通りの笑みを見せる。


「まあ、私も人のことはあまり言えないのだけれど」


 語り継がれる聖者は皆、優しさに溢れて慈悲深く、愛情深い人ばかり。多くの人々を、顔も知らない人々を助ける自身の使命を、誇らしいと胸を張っていた人ばかり。

 そんな中、リーゼロッテは自分が異端であることを自覚していた。



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