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19.第四章三話



 十五歳になると、ランベルトは正式に王宮騎士団に入団し、騎士となった。入団してすぐに様々な功績をあげた彼は常に注目の的で、エレオノーラは彼の婚約者として相応しくあるよう、日々努力を怠らなかった。

 相変わらずハルトヴィヒの満足いく結果は残せていないようだけれど、ハルトヴィヒからの評価は軽く流している。


 ランベルトが騎士になってから五年以上の間、その活躍を耳にして嬉しくなると同時に、エレオノーラは彼の存在をどこか遠くに感じるようになった。騎士として働いているので会う時間もなかなか確保できなくなっており、特に王女が彼を気に入っていることを耳にして以来、エレオノーラの中で不安がどんどん募っていた。


「――ごめんなさいね。その日は貴女との先約があったそうなのに、どうしてもランベルトでないと安心できなくて」


 まだまだ寒い日が続く三月のある日、王宮で開かれている王女――ヴェローニカのお茶会に参加したエレオノーラは、主催者である彼女からそんな謝罪を受けた。先日、ヴェローニカがチャリティイベントに参加した際、半休だったランベルトを護衛として駆り出した時の話だ。

 その半休は、婚約者であるエレオノーラと会うための休みだった。そのことを知っていたはずなのに――いや知っていたからこそか、ヴェローニカはわざわざ護衛にランベルトを指名したのだ。

 とは言っても、明確に指名したのではなく、「ランベルトは午後は休みだったわね……」と困ったように口にしただけ。周囲が気を遣ってランベルトに連絡を入れ、彼が応えただけのことである。


 もちろんそれが騎士としての正解で、お手本のような騎士だと感心されていた。婚約者との約束をドタキャンしてまで忠義を示した点は、国のため、王族のために存在する騎士という立場であれば称賛されるものである。他の女性を優先された婚約者からすると、仕方ないと納得しないといけないだなんて、たまったものではないけれど。

 だって護衛は、必ず彼である必要などなかったのだから。


「彼は騎士ですから。王女殿下のお呼びに応えるのは当然のことです」


 それでも、表には淑女らしい微笑みを浮かべて胸の内は隠して、理解を示さなければならない。理不尽だと叫びたくとも、許されない立場にある。


「……ありがとう。理解してくれて嬉しいわ」


 暫し間を置いて、ヴェローニカはにっこりと笑った。





 お茶会が終わり、エレオノーラは帰宅する前に騎士団の訓練場に立ち寄った。カンカン! と木剣が激しくぶつかり合う音が響き、「やれー!」「いけいけ!」などと盛り上がっている声も聞こえる。

 遠目に、エレオノーラは訓練を見学していた。騎士が囲む中心で今まさに手合わせをしているのはランベルトで、相手は先輩と思しき騎士だ。

 ランベルトは先輩相手にまったく怯むことなく、圧倒的な実力で相手を追い込み、最後は相手の木剣を遠くに弾き飛ばした。それをもう、エレオノーラが見ている限りだと三人連続で続けている。


「――エレオノーラ嬢」


 婚約者の巧みな剣捌きに魅入っていると、後ろから声をかけられて振り返った。騎士の制服を着た男性が穏やかな表情でこちらを見下ろしている。


「ヘンドリック様」


 彼はランベルトの友人であるノールデーア辺境伯家の息子、ヘンドリック。ランベルトを通して知り合った、ランベルトの同僚だ。辺境伯家の跡継ぎでありながら命の危険が多い騎士をしている、少し変わり者でもある。辺境伯領は隣国と接しており、隣国との関係が悪化すると真っ先に戦場になる地であるため、次期当主として戦闘技術を磨く心意気は必要なのだろうけれど。


「ランベルトにご用ですか? 声かけて来ますね」

「いえ、大丈夫です」


 ふわりと、エレオノーラは笑顔を見せる。


「先程までお茶会でしたので、少し寄ってみただけですわ。もう帰りますのでお気になさらず」

「……わかりました」


 何か言いたげな様子のヘンドリックだったが、紳士的な優しい笑みに戻った。


「馬車までお送りしますよ」

「ありがたいお申し出ですが、遠慮させていただきます。婚約者を持つ身ですので」


 昔と比べると寛容になったけれど、未婚の男女が二人きり、というのをよく思わない――はしたない、と考える風潮はまだ色濃く残っている。特に今この瞬間の状況であれば、婚約者に声をかけることが可能でありながらそうはせず、同僚に馬車まで送ってもらったとなると、いらぬ憶測を呼ぶことは目に見えていた。


「あまり気にしなくてもいいと思いますけどね。私は騎士ですし」


 確かに騎士であれば、一人でいる女性に声をかけてエスコートすることはおかしくない。それでもエレオノーラには、彼の申し出を受ける選択肢はないのだ。


「そうだとしても」


 またランベルトが連勝記録を伸ばしたようで、「うぉぉ!」と盛り上がっている訓練場の中心。汗を拭うランベルトを眺めて、エレオノーラは表情を緩める。


「私は、彼に恥じない婚約者でありたいので」


 そのあまりにも綺麗で一途な想いが溢れる表情に、ヘンドリックは瞠目する。それから力を抜いて笑みを浮かべた。


「……では、ここで」

「はい。失礼いたします」


 別れの挨拶を済ませ、エレオノーラは最後にもう一度ランベルトの姿を眺めてから、名残惜しくその場を後にした。


 ランベルトがエレオノーラを愛していないことはわかっている。丁寧に対応してくれているのは、十年ほどの付き合ってきた仲での多少の情と、婚約者としての義務感からだと知っている。

 けれどこれから、結婚するまで、結婚した後も、愛を育む時間はたっぷりあるのだ。

 だからきっと、いつか。エレオノーラが望む愛の溢れる家庭をこの人となら築けるはずだと、この人と結婚して幸せになれるはずだと、そんな夢を描いていた。生まれた家では手に入れられなかったものが、与えられるはずだと信じていた。


 叶うことは、なかったけれど。






 ヴァールリンデ教を信仰する国では、王族や貴族の血筋だと十八歳以上で婚姻を結ぶことが大半なのは、昔からの慣例だ。男性の結婚年齢は二十代前半から半ばにかけてが比較的多い傾向にあるが、女性は十八歳から二十歳でほとんどが結婚する。

 あと半年ほどで、エレオノーラも十八歳。いよいよ結婚式についても力を入れて進める予定だったその日。


「――お前とランベルト殿の婚約は解消することになった」


 ハルトヴィヒに呼び出されて応接室に出向き、その場にいたランベルトに挨拶をして彼の向かいのソファーに腰掛ければ。ハルトヴィヒからそんな信じがたい言葉を放たれた。エレオノーラは突然の衝撃に瞠目して「え……」と声を零したが、ランベルトに驚いている様子はない。


「どういう、ことですか」


 血縁上は父親であるはずの男が、娘の唯一の希望である十年の婚約関係を簡単に切り捨てると口にした。この男が冗談を言うはずがないし、仮に冗談だとしても悪質すぎる。

 なぜ急にそんな話になったのだろうか。つい先日、婚約してちょうど十年が経ったばかりだというのに、何か重大な問題でも起きたのだろうかと、思考が停止しそうになる頭を必死に働かせようと努める。――けれど。


「王女殿下がランベルト殿とのご婚姻を望まれた」


 エレオノーラの今後の人生を左右する大きな決定となるそれは、回避が難しい政略的な都合ではなく、ただ従姉が望んだだけのことらしい。

 ヴェローニカがランベルトをただ気に入っているのではなく、好意を寄せていることは知っていた。それも、騎士団に入団した彼を初めて見た時に一目惚れしたとか。

 当時はすでにエレオノーラと婚約を結んで五年ほどの時期で、その頃から一層、ヴェローニカの嫌がらせを受けることが増えた。

 それでも。すでに正式に整った公爵家の婚約が、ヴェローニカのわがままだけで変更されるわけがないと思っていた。本来王族であれば婚姻も行われるはずのヴェローニカの成人が数日後に迫っている今まさにこの瞬間まで、何も話がなかったから。

 まさか今になって――本当に今更、動かれるとは。

 ヴェローニカは王女でありながらこれまで一度も婚約しておらず、十八歳で婚約が発表されるだろうともっぱら噂にはなっていたけれど。その相手が婚姻を半年後に控えている己の婚約者になるなんて、急な変更なんて、もうありえないだろうとエレオノーラは踏んでいた。


 しかし、あの優しい国王が、エレオノーラの婚約をそう簡単に解消させるだろうか。国王は娘のヴェローニカに殊更甘いが、姪であるエレオノーラのことも可愛がってくれているというのに。

 ハルトヴィヒと比較するのは国王にも失礼だけれど、実の父よりもよほど保護者らしい人だった。だから信じられない。十年もの婚約を解消したとなると、周囲にあれこれ噂されることは阻止しようがないはずだ。


「国王陛下がご命令を下されたのですか?」

「いや、陛下は二人の意思を尊重すると仰った。十年も婚約しているのだからと。しかし、こちらとしては受け入れない理由などないからな」


 その『こちら』には、エレオノーラも含まれているのだろうか。恐らく、いや疑問に思うまでもなく、確実に含まれている。

 国王は、実弟のハルトヴィヒがどういう人間かをよく知っている。エレオノーラよりもハルトヴィヒと過ごして来た時間が長い人だし、エレオノーラがどう扱われているかも既知の事実。国王一家と違い、家族らしい家庭でないことなど百も承知なのだ。それもあってエレオノーラのことをよく気にかけてくれていた。

 なのにこちら側に判断を託したということは、つまりそういうことである。


(結局、娘が可愛いのね)


 それが正常な考えだろう。さすがにエレオノーラとランベルトが心から愛し合っていれば娘が望むことでも断固として反対したかもしれないが、十年の間で二人は良好な関係を築けているものの、ランベルトの気持ちが恋愛に発展していないことは国王も知るところなのだ。

 震える唇に力を込め、ランベルトの方に視線をやった。


「ランベルト様は、納得なさっていらっしゃるのですか?」

「王女殿下がお望みなのであれば、それに従います」


 一切の迷いなく、彼は言ってのけた。十年という年月を微塵も感じさせないくらい、至極あっさりと。

 エレオノーラが嫌だと訴えたところで、彼らは聞き入れるつもりはないのだろう。最初から、エレオノーラに選択権はない。これはただの事後報告で、受け入れることしか許されないのだ。

 例え受け入れなくとも、何も変わらない。だからなんだと一蹴され、下されている決定が覆ることもない。


『生涯、貴女のそばで、貴女をお守りいたします』


 ランベルトは違うと思っていた。騎士として臣下として、国に、王族に忠誠を誓っていようとも、娘を蔑ろにするあの男ほど盲目的ではないと、そう信じたかった。

 誰か一人だけでも、エレオノーラを優先してほしかった。


「そうですか」


 不満を、怒りをぶつけたいのに、それすらも億劫になってしまっている。気力を根こそぎ奪われたような、フラフラと足元が覚束ないような、そんな感覚だ。


「では、貴方方の思うようになさってください。話が終わりなら、私は失礼させていただきます」


 一礼して、退室すべく扉に向かう。

 扉の前で立ち止まり、少し振り返った時。こちらを見つめるランベルトと目が合った。寂しげな様子も、後悔している様子もない。別れを惜しむ気持ちなど感じられない。

 もう、何もかもがどうでもよくなった。


「……嘘つき」


 最後の最後にぽつりと零れた小さな呟きは、きっと彼らには届かなかっただろう。






 数日後。ヴェローニカの誕生祭にて、エレオノーラとランベルトの婚約解消、そしてヴェローニカとランベルトの婚約が発表された。エレオノーラは屋敷に引きこもっているので社交界でどのように噂されているか知らないが、かなり話題になっていることは確かだろう。

 暫くはエレオノーラが公の場に出る度、質問攻めを受けるのは必至だ。王女の誕生祭を欠席したのだからなおのこと。公爵令嬢である以上ランベルト達と同じ場に出ることも多くありそうだし、そうなれば更に注目されることは確実で、想像するだけで憂鬱で仕方ない。


 発表時、もっともらしい理由を並べて円満な解消であることを国王達はアピールしただろうけれど、その場にエレオノーラがいなかったことを踏まえると、周りがどう受け取るかは明白だ。

 その事態を懸念していた国王から事前に、ヴェローニカの誕生祭には絶対出席するようにと言いつけられていた。彼らの思い通りに動くつもりはなかったので、エレオノーラは当日、体調不良を理由に欠席したのだけれど。もちろん仮病である。

 困ればいいと思った。人の幸せを奪ったのだから、苦しめばいいと。そう簡単に幸せにしてやるものかと、祝福されるだけで終わらせてなるものかと、小さいながらも反抗したのだ。

 だってあちらは、エレオノーラに欠片も気を配ったりしていないのだから。ならばと同じようにやり返しただけだ、文句を言われる筋合いはない。悪意には悪意で返したっていいはずだ。一方的にただ我慢を強いられるなんて冗談ではない。


 いっそのこと貴族令嬢の義務は全部放棄して、この家を出ようかとも考え始めている。縫い物や刺繍などの針仕事は得意だし、甘いと言われるかもしれないけれど、そちらで仕事をもらえたりしないだろうか。意外とやっていけるかもしれない。

 どこか王都から離れた屋敷で家庭教師をするのも良さそうだ。もちろん正体は隠して。

 と。そんな風に自室の出窓に腰掛けて外の景色を眺め、今後のことについて思考を巡らせるのが、婚約解消の話が出てからのエレオノーラの日課になっていた。




 コンコンと、ノックの音がした。エレオノーラが返事をしないとわかっているので、「失礼いたします」と執事長が入って来る。一瞥もせず、エレオノーラは外を眺めたままだ。


「おはようございます、お嬢様」

「ええ」

「本日はお客様がお見えになるので、お嬢様も対応するようにとのことです」

「体調が優れないから無理だと言っておいて」

「その言い訳はお聞き入れにならないそうです」


 執事長の淡々とした声に、エレオノーラはようやくそちらに視線を向けた。心の底からのうんざりしている、冷然とした眼差しだ。


「だから? とにかく私は体調が悪いの。お客様対応は無理よ」

「――そうは見えないが」


 執事長のものではない否定する低い声に、エレオノーラは思わず目を丸めた。

 ドアが開きっぱなしだったそこから現れたのは、一応ながらも血縁関係はある男――ハルトヴィヒだった。



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