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16.第三章五話



「お前達だってイチャイチャしているじゃないか」


 面白くないとむすっとしながら割って入ったのは、どうにも仲間外れにされた気がしてならないフェルディナントだ。リーゼロッテとアルフレートも、二人だけの空気感を纏っていることがよくある。


「普通に、従兄妹のスキンシップです」

「それはまあ、お前はそのつもりだろうがな……」


 従妹へ呆れを見せる深緑の瞳は次に、同じく深緑を持つ弟へと向けられる。掴みどころのない笑みは余計なことは言うなと脅迫のように訴えていて、声に出さずともその意図は兄によく伝わった。色々と言いたいことを呑み込む。


「まあいい。リーゼ」


 再びリーゼロッテに顔を向き合わせたフェルディナントは、ふっと柔らかく表情を緩めた。


「忙しい中、ツェリの話し相手になってくれてありがとう。今は外出もほとんど控えさせているから助かる」

「皇太子妃殿下のお誘いをお断りするわけにはいきませんもの」

「よく言うものだな」


 フェルディナントは自分が脅迫の材料として使われたことを把握しているが、申し訳ないという気持ちは微塵もなかった。

 世界共通で最高位の立場にある聖女のリーゼロッテが、一皇太子妃からの招待を拒否できないわけがないし、一皇太子の突撃訪問だって妨害する手段はいくらでもあったはずだ。そちらを選択せず、リーゼロッテはわざわざ出向いてくれた。つまり、少なからず気にかけてくれているということに他ならないのである。

 可愛いやつだと、フェルディナントはなんだか嬉しいような面映いような心地になった。


「婚約者探しの話をしていたのだろう? 私も父上から聞いて驚いたし、直接話したいと思っていた」


 リーゼロッテの予想通り、一番上の従兄はかなりその話題に食いついているようだ。


「アルがリーゼの夫最有力候補だそうだな」

「そうみたいですね」

「意外だった。てっきりクラウスと結婚するとばかり思っていたのだが」


 心底不思議だと感じている声音と表情に、先程リーゼロッテの話を聞いたばかりのツェツィーリエはぴしりと不自然に固まった。窺うような視線が向けられるが、リーゼロッテは気づかないふりをする。


「その話は終わりました」


 僅かに生まれた動揺を誤魔化すように、リーゼロッテはティーカップを手に取った。紅茶を一口飲み、思考を落ち着かせる。

 ツェツィーリエがリーゼロッテの気持ちを知っていたのだ、従兄達が知らないわけがない。と言うより、彼らが気づいてツェツィーリエに教えたのではないかと推測ができる。


「それより、アルフはいいの?」

「ん?」


 隣のアルフレートを見上げれば、こてんと首を傾げられた。もう成人している大人の男性なのに、優雅な立ち居振る舞いと類い稀な美貌のおかげか、その仕草に違和感がまったくなく、むしろなぜか色気を多分に放出している。


「私の婚約者になるって周りが勝手に勘違いして、婚約者探しに支障が出たりしないかしら」


 皇太子のフェルディナントが既婚者である以上、第二皇子であるアルフレートは帝国で結婚相手として最上級の優良物件だ。

 皇后は仕事量が多く、立場的にプレッシャーも強い。そちらは荷が重いと感じている者でも、いずれ臣籍降下して公爵となるアルフレートの妻の座ならば狙うだろう。


「私は君が婚約者でも構わないよ」


 さらりとそんなことを言われてぱちりと瞬きをする従妹に、アルフレートは自慢の美貌を活かしたとびきり甘い笑顔を見せる。


「リーゼのこと好きだしね」


 予想していなかった言葉を確かに耳にしたリーゼロッテは、また目を瞬かせた。それからおかしそうに唇に弧を描く。


「私もアルフのこと好きよ」


 昔から優しくて面倒見が良くて、リーゼロッテを家族として迎え入れてくれたアルフレート。愛情を抱かないはずがない。


「でも、私は体が丈夫ではないし、皇子妃としての公務と聖女としての仕事の両立って難しいでしょう? 向いてないと思うのよね」

「そこは心配ないよ。皇太子妃ならともかく皇子妃だし……いずれは公爵夫人になるわけだけど、これまで未婚だった貴族は普通にいるからね」


 いずれ皇帝となる立場にある皇太子フェルディナントにはすでに息子が二人いるし、順調にいけば八月の終わり頃には皇女も誕生する予定なのだ。その後も増えるかも知れない。だから万が一の何かが起こらない限り、第二皇子であるアルフレートに皇位が回ってくることはないのである。

 そのうち公爵となっても、皇族の血を引く一員として、貴族として、義務を果たさなければならなくなる。結婚相手もそうだ。とはいえ、貴族家の中には当主が未婚でそもそも女主人がいない家は歴史上それなりの数が存在していた。

 無駄な皇位継承争いを避けるためにも、アルフレートはあまり目立たず、可もなく不可もなく無難に過ごしていきたいと考えている。ゆえに問題ないと言っているのだろう。聖女を妻に迎えるとなると皇帝の座を狙っていると勘繰られてもおかしくないので、矛盾している気もするが。


「補佐してくれる者を揃えるし、優先すべきは聖女の役目だから」

「随分乗り気ね?」

「さっきも言ったでしょ。リーゼのこと、好きだからね」


 相手を虜にするキラキラした笑みを見せるが、見慣れているリーゼロッテにはまったくもって効果がない。かっこいいとはもちろん感じるけれど、身内なので異性に対する胸の高鳴りはないのである。


「アルフって他人嫌いなところがあるものね。相手が私だったら気楽だって思ってるんでしょうけれど、もっとよく考えた方がいいわよ。いい相手がいるんじゃないかしら」


 リーゼロッテには優しくとも、彼は属国を従える帝国の第二皇子。国民の命を背負う皇族だ。優しさと綺麗事だけでは役目を果たせない位置にいる。権力と富に伴い、義務と命の危険がある地位でもある。容易に人を信じてはいけないと育てられてきたから、表向きは素晴らしい皇子を演じていても、実際には人間というものが好きではなくなっていた。そういうところがリーゼロッテとよく似ている。


「忠告どうも。一応検討するよ」


 眉尻を下げるリーゼロッテと笑みを深めたアルフレートに、皇太子夫妻はなんとも言えない表情を浮かべた。


(これは内心荒れ狂っているな、アルは)

(リーゼロッテ様、どうしてここだけ鈍いのですか……)


 身内だけの場だと、アルフレートはどちらかと言うとわかりやすくその心を態度で示している。鈍感ではないはずのリーゼロッテが気づかないのは、アルフレートを本当に、欠片も恋愛対象として意識していないからに他ならない。

 リーゼロッテにとってアルフレートは家族だから、男女の色事に結びつけるはずもないのだ。


「そろそろ時間なので、私は失礼しますね」

「まあ。もうお帰りになってしまうのですか?」


 まだ話したいことがたくさんあるのにと、ツェツィーリエの桃色の瞳が訴えてくる。しかし今日はこれ以上、私的な用事に時間を割くことはできない。


「仕事が残ってるので。いい息抜きになりました」


 時間については承知の上でのお茶会なので、ツェツィーリエも迷惑になるとそれ以上食い下がることはなかった。

 立ち上がったリーゼロッテは、代わりにと言わんばかりにツェツィーリエのそばに寄る。


「触れてもいいですか?」

「え? はい……」


 不思議そうに首を傾げるツェツィーリエの許可を得て、リーゼロッテは少し屈む。腹部を締め付けないデザインのゆったりとしたドレス越しに、小さな命が宿っている腹にそっと触れた。その存在を確かめるように撫でれば、皇太子夫妻によく似たもう一つの魔力がはっきり感じられる。

 多くの人々に望まれ、祝福されている命。帝国の未来を担う柱になる一人。大切な人達の、大切な子供。


「帝国の新たな光に祝福を」


 呟いた瞬間、指先からふわりと淡い光が広がる。ほんの数秒のことであったが、触れている腹に光が吸収されていくのをしっかり視認できた。魔法でも神聖術でもないものの、力が使われたのは明らかだ。


「勝手にやったらまずいだろう」

「力は込めてませんもの」

「いやいや、お前の場合はただ祈っただけでも多少効果が……」

「それは不可抗力というものです。今日の紅茶とお菓子のお礼、ということで」


 悪戯が成功した子供のように、リーゼロッテは笑みを浮かべる。

 神聖力も魔力も保有量が多く質が良く強いリーゼロッテは、意図せずともただ少し願ったりするだけで力が作用し、何かしらの効果を与えてしまうことが多々ある。今回も例に漏れずということで見逃せと、神秘的な金色の瞳は語っていた。


「ありがとうございます、リーゼロッテ様」

「ありがとう、リーゼ」


 ありがたいことに変わりはないので、ツェツィーリエに続いてフェルディナントも礼を告げれば、リーゼロッテは満足げに「いえ」と口の端を上げる。


「そういえば、可愛い名前は思いつきましたか?」

「それがなかなか決められなくてな。色々候補はあるのだが、やはり悩むものだなぁ。アーデルハイト、アレクサンドラ、エルヴィーラ、エルネスティーネ――……」


 手を自身の後頭部に添え、フェルディナントは頭を掻きながら、嬉々として候補らしい名前を挙げていく。

 デレデレの従兄の姿に、勝手に呆れ混じりの笑みが零れた。

 上の二人が生まれる時もそうだったけれど、今回は一層張り切っている。仕事そっちのけでそちらにばかり意識が偏っているのではないだろうか。周囲の苦労が目に浮かぶ。

 近年では特殊な魔法で生まれる前に性別を判別できる医師が少しずつ増えている。皇宮医もその一人なので、正確な結論を出すにはまだ早い時期ながら、最近の検査でお腹の中の子が女児である可能性が非常に高いと判明して以来、従兄はずっとこの調子なのかもしれない。


「――と、今のところはこのような感じだな」

「ルディ様、昨日より増えていませんか?」

「どんどん出てきてしまうのだからどうしようもない。いやぁ、困った困った」

「いつまで経っても決まりそうにありませんね」


 ツェツィーリエは呆れた様子だけれど、楽しそうで、嬉しそう。子供の名前は彼女にとっても重要なことで、幸せな悩みだ。


「待望の女の子で浮かれているのはわかりますが、ツェツィー様の意見も聞いてあげなきゃだめですよ」

「わかっている。ちゃんと相談して決める」


 基本的に最愛の妻優先の男なので、自分本位に決めることはないだろう。本気で心配することではない。


「では、また今度」

「ああ」

「ぜひまた近いうちにいらしてくださいね、リーゼロッテ様」


 皇太子夫妻は柔らかな笑顔で見送り態勢に入った。アルフレートがすっと近づいてくる。


「送るよ」

「ありがとう」


 肘を軽く上げてエスコートを申し出たアルフレートの腕に手をかけ、リーゼロッテは改めて皇太子夫妻に一礼して背を向けた。


 温室の中を、二人で歩く。

 それほど長くはない道のり。アルフレートは普通の令嬢よりも遅く小さいリーゼロッテのペースと歩幅に合わせ、ゆっくりと歩みを進めていた。さすがはその美貌と地位に群がる令嬢達の相手を顔色ひとつ変えることなく巧みに果たしている皇子と言うべきか、従兄妹として仮面で覆うことのない素で接してきた長年の付き合いと言うべきか、リーゼロッテの扱い方を心得ている。


「さっきの祝福、私からも礼を言うよ」

「そんな大層なものじゃないのに」


 大袈裟だと息を吐くも、気分としては悪くない。

 面倒な役割が付随するけれど、貴重で多大な力で、便利で役に立つ。大切な人達のために何かできるのは純粋に嬉しい。


「リーゼ」

「なあに?」


 弾んでいた機嫌は、次の言葉で落とされることになる。


「――クラウスじゃなくて、本当にいいの?」


 アルフレートは至って真剣な眼差しと声音で、そう問いかけた。深緑の瞳が誤魔化しは許さないと言わんばかりに力強い光を宿している。

 その顔を見上げた後、リーゼロッテは前を見据えた。


「アルフまでそんなこと聞くのね」


 いい加減、少しげんなりしてくる。

 何も知らない人達からしてみれば、やはりリーゼロッテのクラウスに対する拒絶には疑問を強く抱くらしい。


「第二皇子っていう立場を抜きにして、一人の人間として、アルフは自分を愛してくれない人と結婚したいって思う?」

「クラウスは愛してくれない人(そう)だってこと?」

「彼にとっての私は聖女だから」


 リーゼロッテ個人に価値を見出している人間と、聖女であるリーゼロッテに価値を感じている人間。リーゼロッテの心を占める大きさは、その二つでだいぶ違ってくる。

 リーゼロッテにとってクラウスは存在があまりにも大きく、無視できないほどに身近で強烈だ。それでも彼の立場はあくまで後者なのだと、リーゼロッテは断言する。両方に当てはまり、尚且つ前者が圧倒的に強いアルフレート達とは違うのだと。


「聖女としての価値がなくなったら、一番じゃなくなる。彼がくれるのは敬愛で、恋人や妻に対する愛じゃない」


 リーゼロッテが欲しいのは敬愛ではない。


「私は結局、彼の中で聖女以外にはなり得ないのよ」


 その場面を、はっきり覚えている。彼の忠義に負けた少女を。信じて、あっさり捨てられた彼女の姿と、なんとも寂しく虚しいその末路を。

 彼の優先順位は、決して揺らがない。対象が聖女では、きっとかつての忠誠心とは比べものにもならないほど強く深く根付いているのだろう。


「ずいぶん確信してるみたいだね」

「彼のことならよく知ってるもの」


 付き合いは、ずっとずっと長い。それこそ、アルフレートが知らない彼をたくさん見てきた。他の誰もが知り得ない彼を、ずっと見続けていたのだ。

 無情にも最後に手が振り払われることなど、想像もせずに。


「昔から、よく知っているの」






 温室の出入り口に到着すると、クラウスと目が合った。彼の紫の瞳はアルフレートの腕にかけられている華奢な手へと向けられ、じっと見つめている。


「クラウス、どうかしたの?」

「……いえ、何も」

「そう?」


 否定する返答にリーゼロッテが首を傾げている隣で、アルフレートはちらりと己の親友に視線をやった。氷の聖騎士と呼ばれているだけあって表情には出ていないが、その心情が手に取るようにわかる。


「このまま、馬車まで行こうか」

「ええ、ありがとう」


 変なところで鈍感を発揮するリーゼロッテは、アルフレートの提案に迷うことなく頷いた。そうして再び並んで歩みを進める。

 背後のクラウスの眉間に薄く皺が刻まれていたことに、リーゼロッテが気づくことはなかった。



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