13.第三章二話
どことなくピリピリとした空気の中、主人と護衛の様子を窺いながら、ハンナは「最後にですが」と切り出した。二人の視線がハンナに向く。
「先程、ルードルフ様から例の子供をどうするかとご相談がありました」
例の子供。魔力暴走を起こした子供のことだ。
「騎士団からの聞き取りは終わったのよね」
「はい。ルードルフ様が同席なさって」
魔力暴走の件や育てられた環境についての事情聴取は、帝国騎士団警備隊の騎士がこちらに出向いて行われた。子供が不安がっていたのでルードルフも付き添ったようで、聴取内容については教会側も書き取りをしており、リーゼロッテに報告が上がっている。
教育は各家庭の問題ではあれど、子爵が行っていたのは正しく虐待という他ない。つまりは犯罪だ。
子供は劣悪な環境が原因で自らの意思とは関係なく魔力暴走を起こしていたことに加え、年齢的な理由もあり、本人にお咎めはない。死者はおらず怪我人も完治済みなのが幸いだった。賠償に関しては子爵の私財から払われることになる予定だそうだ。
「あの子爵は暫く牢の中でしょうから、子供は他の親戚のところか施設に行くか、もしくはうちで正式に引き取るかね」
「そうなるかと」
まだまだ庇護が必要な年齢だ。これまでの生活が苦労と苦痛ばかりであった分、この先は恵まれた環境を提供したいというのが人情だろうけれど、今回は同情だけで判断はしない。
「魔力暴走を起こすほどの魔力量だもの。当然、戦力として欲しいわ」
魔力暴走が起きる最大の要因は、突出した魔力量だ。制御できないほどの膨大な魔力を持っているから、感情の起伏で暴走してしまう。しかし、訓練をして制御できるように、自在に操れるようになれば、その魔力は強力な武器となる。
能力は未知数。人材としては原石。
一流の魔法使いが多く集まる教会からしてもそう評価できる以上、魔法関連の組織や団体、もちろん帝国騎士団や皇宮としても同様の見解をあの子供に持っているだろう。
「皇宮の反応は?」
「リーゼロッテ様と猊下のご意向を尊重する、と」
「まあ、あの皇帝ならそう判断するわよね」
教会の決定に従うと表明しているのなら、気を使う必要もないだろう。
想定通りだとリーゼロッテは短く息を吐き、体の力を抜いて背もたれに深く体重を預けた。目を伏せ、子供の今後について思案する。
興味のなさそうな、やる気のない主人の雰囲気を察したハンナは、目を瞬かせて主人を見つめた。その視線に気づき、リーゼロッテはこてんと首を傾げる。
「なあに、その意外そうな顔」
「いえ……」
「正直に言っていいのよ」
濁すハンナを優しく促せば、「……その」とゆっくり口を開いた。
「リーゼロッテ様ご自身が拾われたにしては、あまりあの子供への関心がないように見受けられるので」
リーゼロッテはたまに子供を拾う。とは言っても、それはリーゼロッテに限った話ではなく、ジークムントや他の重鎮達も同様だ。
教会は常に優秀な人材を求めている。才能がありそうな者は子供のうちから、言い方は悪いけれど懐柔しておきたいのだ。要するに将来の部下のスカウトである。
才能は最低限の条件。けれど同時に、リーゼロッテが拾う者に関しては、気に入るかどうかも鍵となる。
「ハンナはあの子に会った?」
「はい」
「あの子は幼さもあって、綺麗ではなくて可愛い寄りでしょう?」
「そうですね」
「好みじゃないのよ、顔が」
「なるほど。理解しました」
納得だと、ハンナは真面目な顔で頷いた。クラウスも察していたので、主人の答えに驚くことなく無表情である。多少呆れを滲ませた空気感になっているような気がしないでもない。
ダニエルでもいれば突っ込みがあっただろうけれど、この場には主人の性格を存分に理解しているがゆえに納得する者しかいなかった。
今回の子供は、リーゼロッテが気に入ったから教会に連れてきたのではない。あの状況ではそれが最善であったし、子供の魔力、才能は逃すには惜しいものだったから、連れて帰る選択をしたにすぎないのだ。
個人的な趣味嗜好に比重を置いて好みの顔立ちかのみで人を評価するつもりはないけれど、子供とは直接話もしていないし、あの時点では判断材料が魔力と顔くらいしかなかった。それだけではリーゼロッテの興味を引くのに不十分だったという、至極単純な話である。
同じく魔力暴走を経験した者として共感する部分はあったけれど、あくまで多少だ。境遇なんて全然異なる。
(暴走してから丸二日くらい経つし、そろそろ精神的にも落ち着いてるわよね)
目を覚ましたら教会の医務室で、知らない環境に最初は戸惑い、緊張していたらしいけれど、食事はしっかり食べられていると聞いている。
長いことまともな食事を取っていなかったようなので、胃に優しい、消化の良いものしか体が受け付けないとのことだ。この教会の新入りでは珍しくもないので、栄養の摂取や体力面を優先的に、料理長や専属医が様子を見ながら上手くやってくれるだろう。
「とりあえず、会っておきましょうか」
まずは子供に会って話を交わし、どんな子かを知っておきたい。
リーゼロッテは執務机に肘を立てて置き、手の甲に顎を乗せていた。口元に浮かべているのは優美な笑みだ。
「随分懐かれたわね、ルードルフ」
「はは……」
困ったような笑い声がルードルフの口から零れた。
ハンナを通して聖女の執務室に呼ばれた子供は、ルードルフの後ろに身を隠して顔を覗かせ、リーゼロッテ達を恐る恐る見つめている。ルードルフのズボンをぎゅっと握り、不安を露にしていた。
境遇が境遇なだけに、初めて会う人間がどうしても怖いのだろう。味方ではない大人達に囲まれて暮らしていれば、人そのものに警戒心や恐怖を真っ先に覚えるように心ができていてもなんら不思議ではない。
専属護衛の聖騎士は、主人の護衛についていない間は訓練を重ねる。リーゼロッテは外出もあまりしない方で、普段はクラウスが一人で付いている時間が大半。そのため他の専属護衛は訓練以外に特にやることがなく、基本的には暇なのだ。緊急の招集には対応できる程度の範囲での自由が許されているに過ぎないが、要するに自由な時間が割とある。
そんな融通の利く聖騎士ルードルフの部屋で現在、子供は寝泊まりをしている。すぐにでも孤児院に放り込めばいいとリーゼロッテは考えていたのだけれど、人が多い場所はどうも落ち着かないらしく、ルードルフのそばでないと魔力が安定しないということでそうなった。ルードルフは面倒見がいいので、予想以上に懐いてしまったようだ。
「抑える役をクラウスに任せていたら面白いことになってたかしら。残念だわ、とっても」
「……」
想像するだけで愉快だと口角を上げる主人の後ろで、クラウスは無表情のままなんとも言えない空気を漂わせていた。
あえてそこに触れることなく、ルードルフはしゃがんで子供と目線を合わせた。子供の背中を軽く押す。
「さあ、挨拶して。一番偉い人だ」
その紹介の仕方はどうなのかと思うけれど、間違ってはいないし、最もわかりやすい説明かもしれない。
こちらを見上げる子供に、リーゼロッテはふわりと微笑んだ。子供はほんのり頬に色を乗せて不自然に固まった後、意を決して口を動かす。
「……こんにちは」
「ええ。こんにちは」
子供ながらの、およそ聖女に対する挨拶とは思えないほど簡潔な挨拶だ。孤児院の子供達を思い出す。
主人への態度にハンナの眉が不満そうに動いたけれど、子供ということもあって見逃すことを選んだらしい。大人しくその場に踏み留まっている。
「あの」
子供を観察するようにじっと眺めていると、意外にも子供の方から話を切り出してきた。ぱちりと瞬きをしたリーゼロッテは、優しく「ん?」と先を促す。
「聖女さまが、ぼくがけがをさせてしまった人たちを治してくれたって聞きました。ありがとうございます」
片手はルードルフの団服を握ったまま、子供がぺこりと頭を下げた。きちんとした感謝だ。年齢に合わず、想像よりも落ち着いていて大人びている。怯えながらも冷静にこの場を、自分の立場を分析しようと頭を働かせている。
「貴方を虐待していた男まで治してしまったけれど、あれはよかったの?」
「大丈夫です。どうせあいつはばつを受けるらしいですから」
どれほどあの男を嫌っていたか理解できる発言だ。自分を虐げていた男が報いを受ける充足感と、それまでの環境から解放される安堵が心の中にあるのだろう。
「それに、あれはぼくの意思じゃなかったので。ちゃんとふくしゅうするきかいが残されてる方がうれしいです」
キラキラと輝く笑顔で子供は言った。言葉通り、今後に期待を馳せている眼差しである。
子供の言う復讐が、年齢に見合った可愛らしい悪戯程度ではないことは察せた。機会が目の前に来ることがあるかどうかはともかく、自らがひたすら耐えるしかなかった苦痛を同じだけ、もしくはそれ以上にあの子爵に与えたいという意志が見える。
過酷な環境で育ったから、普通の感覚が欠如しているのかもしれない。……いや。虐待を受けていたのだ、むしろこれが正常な反応なのだろうか。
「でも、まき込んでしまった人たちには、もうしわけないです」
打って変わって、今度はしゅんとなった。
リーゼロッテが怪我人を治療したことに感謝もしていたし、まともな感覚は残っているらしい。心からの罪悪感をひしひしと感じる。
虐待を受け、存在そのものを責められ否定されて育つと、自己肯定感が低くなってしまう。自分のせいで、それも自分の力で無関係の人達を傷つけてしまったことで、子供は心に完全に癒えることのない深い傷を負ってしまった。これからもずっと、自分を責め続けるのだろう。
死者が出なかったことは本当に幸いだった。自分の生を否定していたかもしれない。
「そんなところまで気にしなくていいわよ。あれは全面的にあの男が悪いもの」
大人は子供を守り、育てなければならない。それは義務だ。保護者にとって子供は所有物ではなく、好き勝手に扱うことが許されるはずがないのだ。
リーゼロッテの言葉を肯定するようにルードルフが子供の頭を撫でると、子供は肩に入っていた力が抜けたようだった。
「この子、向いてるわね」
「同感です」
「でも、導き方を間違えると大変な子になりそうね」
「同感です」
これまたルードルフは困り気味な曖昧な笑みを浮かべた。この先のことに思考を巡らせているようだ。
その表情に不思議そうに首を傾げた子供は、続いて一番偉い人に視線をやる。リーゼロッテは背もたれにもたれかかると、子供を見据えながら目を細めた。
「報復は徹底的にっていう考え方は嫌いじゃないわ。あっさり相手を許すような愚かな善人は嫌いなのよね」
善意に善意が返されるとは限らない。人を信じるしか脳のない善人は、それゆえに悪人のことさえも信じぬき、時に周囲の人間を危険に晒す。いらぬ争いを生む。そんな人間より、善意だけに染まっていない人の方がよっぽど人間らしく、好感が持てる。
ハンナとクラウス、ルードルフは、主人の楽しげな様子を見て察した。合格だ、と。
「正式に引き取る手続きを進めましょうか」
この件に関しては一任されているので、ジークムントに許可を得る必要はない。リーゼロッテの一存で決まる。
(私だって、叔父様と引き離されたりしたら嫌だもの)
リーゼロッテにはずっとジークムントがいてくれた。幼い頃から何よりも心強い拠り所で、無理に引き離されていたらどれほどの絶望感に苛まれていたか、そんなもしもは想像もしたくない。
子供はルードルフに懐いている。将来、教会の戦力として活躍してくれる期待値も高い。ならばどの道、リーゼロッテが気に入ろうとそうでなかろうと、引き取るという結論に帰結していたのだろう。
「いつも通り、私はあくまで決定するだけよ。基本的にはみんなに任せるわ。お願いね」
「はい」
頭を下げたルードルフを見て、子供は真似をして拙くも一礼した。案の定、他の施設に行きたいとは考えていないらしい。
埃も汚れもカビも、汚いものは何も見当たらないピカピカに磨き上げられた白い床を見つめながら、子供はぎゅっと手に力を入れる。ズボンがくしゃりとなった。
(ここに、おいてもらえる)
温かく栄養のある食事、ふかふかで清潔な寝床、ボロボロでもなく臭くもない着心地の良い衣服、怒鳴ったり殴ったりしない優しい人達。今までいた場所とは全然違う、幸福が詰められた環境。ただ存在するだけのことが許されている、幻のような空間。少し前までは想像もできなかった、手が届かなかった、縁なんてなかったはずの世界。
そんなもったいない程に全てが揃っている居場所を与えられた事実が、子供の中でじわじわと広がっていく。
実感はまだ充分に湧かないが、これからきっと慣れて、ここでの生活が当たり前になる。そうなったらいいと、期待に胸が膨らんだ。
「いつまでもルードルフの部屋に置くことはできないから、孤児院に移る準備もしないとね」
凛と透き通る声で落とされたその言葉に反応して、子供は少し顔を上げた。表情を曇らせている。
また不安になってしまったようだ。せっかく頼れそうな人を見つけたのに失って、一人になってしまうのではないかと。
「貴方が入るのは第一孤児院。同じ敷地内だし、会いたければ好きなように会えばいいわ。安心しなさい」
ルードルフと引き離したいわけではないのだと、リーゼロッテは真摯に伝える。いつでもと言うわけではないけれど、望めば会えるのだと。
「ただ、訓練は受けてもらうわよ。本当なら貴方くらいの年齢だと簡単な訓練しかしないのだけれど、貴方は魔力がとても多いから、制御できるように多少厳しくなるわ。そうしないと、魔道具に頼るだけでは成長できないの。また無関係の人を傷つけるのは嫌でしょう?」
投げかけた問いに、少し時間を使ってしっかり咀嚼した子供がこくりと頷いたので、リーゼロッテは満足げに笑みを深めた。
完全な善人的思考は嫌いだけれど、だからといって悪に染まっているかと聞かれれば即座に否定する。理不尽に人を傷つけ、人から奪うのは、どうしたって気分がよくない。越えてはいけない一線はきちんと認識している。
自分がされたら嫌だから。仕方ないと思える理由がないから。我儘で利己的であっても、それくらいの常識は持つべきだ。誰しもが他者の存在に支えられていて最低限の尊重が必要であることは、理解して然るべきなのだ。
その感覚が壊れたら、簡単に罪に走ってしまう。そうして世界の害悪と見做され、排除されてしまう。
壊れてしまわないためにも、他者の優しさに触れることは重要だ。人との付き合い方を学ぶことは大切だ。一切誰とも関わらずに生きていくことなど不可能に近いのだから。
「孤児院には貴方より少し歳上の子が多いけれど、みんな優しいから大丈夫よ。色々教わりなさい。――期待してるわね、クルト」
報告書で知らされていた子供の名前を初めて呼ぶ。
柔らかく微笑んだリーゼロッテの美貌に呆然としたまま、子供はなんとか「はい……」とほぼ無意識に近い形で返事を紡ぐのだった。
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