12.第三章一話
クラウスは働き者である。護衛としての業務に含まれていない仕事――書類の仕分けや資料集め等、雑用までも率先して行ってくれるので、とてもありがたいのは確かだ。おかげでリーゼロッテの不真面目に拍車がかかり、悪化しているのが現状である。このままではいけないと己の甘さを律しなければならないけれど、結局は頼ってばかりで益々だらけてしまう。
リーゼロッテはジークムントと比べると書類仕事は少ない。替えの利かない神聖力を使った聖者の役目に重きが置かれているがゆえにそうなっているわけだけれど、それでもリーゼロッテからすると文句が次々と生まれてくるほどには大量だ。
「全て問題なく記入されています」
「ありがとう。とりあえずこれは終わりね」
書類のサインなど、リーゼロッテが記入すべき内容の確認をクラウスが終えて、リーゼロッテは一息ついた。そのタイミングでコンコンと執務室の扉がノックされる。
「ハンナが来てます」
「通して」
外の警備の聖騎士の声に応えると、扉が開かれてハンナが入室してきた。姿勢良く静かに一礼する彼女は封筒や書類が載せられたトレーを持っている。リーゼロッテ宛の手紙や報告書だ。
「招待状はいつものようにしてくれてる?」
「はい、分けてまとめております。後でお断りの返事を出しておきます」
「お願いね」
聖女という世界で確立された地位に座るリーゼロッテの元には、自国からも他国からも、パーティーや茶会等、交流の場への招待状が寄せられて後をたたない。飽きもせず諦めもせず根気強いものだと、うんざりしながらも感心してしまう。
とは言えその鬱陶しいくらいの根性に負けることもなく、必ず出席しなければならない案件でない限り、基本的には忙しいからと断るようにしている。
ハンナはまず、トレーに載っている大きめの封筒をリーゼロッテの前に置いた。帝国騎士団の紋章が描かれており、差出人の欄にも覚えのある警備隊の人間の名前が書かれている。
「昨日の不成者についての報告書のようです」
「魔力暴走の時もだけれど、早いわよね」
あの息抜きの時間にリーゼロッテ達が遭遇した不成者は、すぐに警備隊に引き取ってもらえた。あれから尋問を受けているはずで、現時点で知り得た情報の報告書ということだろう。
封筒に入った書類を受け取り、開けて中身を取り出して目を通す。
「狙われたのがリーゼロッテ様ともなれば、迅速な捜査が行われるのは必至ですから」
「それはそうね」
あくまでもプライベートな時間。正体を隠していた時に起こったことで、あの不成者達はターゲットにした相手が聖女であったことなど知るよしもない。
だとしても、彼らが手を出したのは聖女だったのだ。世界で最も尊い人間だったのだ。余罪もありそうだし、リーゼロッテが減軽を嘆願でもしない限り、今後彼らの身に自由が与えられることはないだろう。
処刑か、終身刑か、労働奴隷か。三つのどれかになるはずだ。
「クラウス」
「はい」
報告書に視線を落としながら名前を呼んだだけのリーゼロッテの意図を察し、クラウスはそばに歩み寄ってきた。その彼に報告書を渡す。そうして彼は一通り目を通し、「なるほど」と呟いた。
「どこが絡んでいるのかと思えば、貴族だったのですね」
「皇帝の治世が安定しているとはいえ、こういうのはどこにでもいるものよね。仕方ないわ」
どうやら例の不成者の件は、事業が成功に成功を重ねて羽振りがよくなったと噂の伯爵家が絡んでいたらしい。数年前から本格的に、法に触れることで利益を上げていたようだ。
私利私欲に溺れて犯罪に手を染めるなど、愚かの極みである。過ちを犯さなければ手に入らない贅沢を求めた先に幸福があるはずもないのに。
この帝国を治めている皇帝は腐っていない。正義感が強く、強者は弱者を――皇族や貴族は帝国民を、国を守るために存在するのだと、そういう思想を持っている男だ。上に立っている者であるからこその責任を理解している。悪質な犯罪を見逃すはずがない。
伯爵は人攫いだけでなく、他にも盗みなどを実行させるために不成者に魔道具を与えていたようだ。しかも管理が杜撰だったせいで、その人数も個数もまだ正確には把握しきれていないらしい。魔道具はかなりの数が流れていると予測される。
「帝国騎士団は優秀だから、すぐに解決できるとは思うけれど……」
伯爵の口を強制的に割らせることは容易い。関係者も、手段を選ばないのであれば自白剤や魔法を使うなり、短時間で洗い出すことは可能である。
「問題なのは、その不成者が更に別のところに盗品や魔道具を流していた場合ですね」
「まあ、やってるでしょうね」
その可能性が高いと、報告書には記されている。
この件に関わっている人数、流れている魔道具の数が多ければ多いほど、捜査のための人員も時間もかなり必要になり、痕跡を辿る作業が大変になってくる。全容の把握はかなり難しくなるだろう。
「弱みを握っているわけでもない信用できないそこらの不成者を雇うなんて、本当に愚かだわ」
リーゼロッテの嫌いなタイプだ。
身元も判明していないような不成者は、依頼主の思い通りに動いてくれるとは限らない。実際、伯爵の手元に行くはずだった不当な利益が、不成者達の手で外に流れているだろう。勝手をされて足元がすくわれては元も子もないのに、そんなことすらも見通せないとは。
魔法で縛る――契約魔法を用いるという手段もあるが、伯爵にはそれほどの魔法の才能はなかったらしい。
「騎士団から何か協力要請があれば応えましょう。叔父様もそのつもりでしょうし」
「はい。それと……こちらを」
ハンナが別の書類を差し出す。
「この件の別の資料?」
「いえ。身辺調査を進めて更に絞り込むとのことで暫定的ではありますが、婚約者候補の一覧だそうです。釣書はまた別で用意されています」
「ありがとう」
お礼を告げて書類を受け取り、どんな人がいるのだろうかと目を通してすぐ。最初に書かれている名前を認識すると、リーゼロッテは予想外のそれに目を丸めた。
記されているのは、「アルフレート・アヒム・リザステリア・ヴィルケラント」という文字の羅列。間違いなくこのリザステリア帝国の第二皇子――よく知る従兄の名前だ。
「リーゼロッテ様? どうかなさいましたか?」
「なんでもないわ」
不自然に固まったリーゼロッテを心配して声をかけたハンナに柔らかい笑みを返し、リーゼロッテは再びその名前に視線を戻す。
何度見てもその文字がどこか変化することはないし、消えてなくなることもない。驚きはしたものの、自身の目がおかしくなったのだろうかと、そんな疑問が一瞬過ぎることもない。
(普通に考えれば当然なのに)
血が近すぎる懸念はあるけれど、従兄が候補に上がるのは容易く想像できることだ。なのに無意識に可能性を排除していたらしく、その事実に今初めて気づかされた。
彼が最有力候補であることは疑う余地がなく、皆の共通認識であるはずなのだ。欠片ほども予想していなかった寝耳に水状態なのは、他ならぬリーゼロッテだけだろう。
皇太子である第一皇子は、すでに隣国の王女と婚姻を結んでいる。それも政略結婚ではなく、お互いが切望した恋愛結婚だ。もちろん両国にとって有益でもあったために成立した婚姻で、両国民からも祝福された。
女神リンデローゼを信仰するヴァールリンデ教を国教とする国は、皇族や国王といった重要な世襲制の家系など関係なく一夫一妻制である。リザステリア帝国もその一つ。
政略目的で婚姻を結ぶことも少なくない貴族には愛人がいる例が多々あるのも現状だが、法的に認められる配偶者は一人だけ。となれば、すでに既婚者である皇太子はリーゼロッテの相手になり得ないので、第二皇子と聖女の婚姻が自然な流れと言える。どの国においてもこれまで、聖者は王族や皇族、その血筋の者と結婚した例が比較的多いのだから。
そうでなくとも、上位貴族や国の重鎮の血筋など、とにかく只人ではない者と縁を結んできた。有名な物語の聖女と婚姻を結んだ騎士も貴族の家の出で、彼自身も爵位を持っていた。しかも王族に近い血筋だ。
そういった者達との婚姻で、教会の所属である聖者を国内に繋ぎ止める、という意図がどこの国にもあるものだ。聖者は貴重な存在で、みすみす国外に流出させないための手段である。
(聖騎士も多いのね)
孤児であった聖騎士の名前が婚約者候補の半数以上と意外と多く名を連ねていることに、リーゼロッテは多少の驚きを覚えていた。確かにジークムントは聖騎士もいいのではと言っていたが、聖者が平民と結ばれた例はほとんどない。
彼らのことをよく知っているジークムントが選んでいるはずで、夫になる上で問題はないのだろう。それでも、聖騎士はあまりにもリーゼロッテに従属の意を持っているから、どうしても不安要素を覚えてしまう。
対象が誰であっても過ぎた忠誠心を持つ者は、人生のパートナーとして受け入れることなどできない。少なくともリーゼロッテは。
当たり前だけれど、すぐそこで控えている彼の――クラウスの名前は、ここにはない。血筋は申し分なく、誠実で忠実な聖騎士であるにもかかわらず。
外すようにお願いしたのはリーゼロッテ自身であり、不思議に思うことは何もない。そうわかっているのに、きゅっと胸が締め付けられたような気がした。
さっと最後の一人まで確認したところで、ハンナが持つトレーにまだ封筒が残っているのを視界に捉えた。
「それは?」
「皇宮からお手紙のようです」
アルフレートが婚約者最有力候補だとようやく知ったばかりリーゼロッテは、真っ先に彼からの連絡だと当たりをつけたのだけれど。
「差出人は皇太子妃殿下となっています」
「ツェツィー様?」
どうやら外れだったらしく、ぱちりと瞬きをして封筒を受け取った。
上質な白の紙に鮮やかな緑で上品な模様が描かれており、封蝋で閉じられている。封蝋印の紋章は確かに皇太子妃――ツェツィーリエのもので、このレターセットも皇太子妃が好んで使用するものだ。
封筒を開けると、ほんのりとバニラの香りがした。リーゼロッテは目を細め、二つ折りになっている中身を取り出す。
手紙の内容を簡単にまとめると、お茶会をしましょう、とのことだった。皇宮への招待状だ。温室の花が綺麗に咲いたからぜひ見に来てほしいと。
(絶対それだけじゃないでしょうけれど)
花など、建前なのは判然としている。
大方、リーゼロッテが本格的に婚約者を決めようと動いていることを耳にしたのだろう。漏らしたのは皇帝か、はたまた皇太子か第二皇子か。
「何かお悩みになる内容なのですか?」
ハンナの問いかけに「少しね」と答える。
本来、リーゼロッテに送られてくるものは、安全を確認するために補佐が検閲を行う。しかし皇宮からのものであったり機密文書であったりなどは、いくら聖女付きの補佐であっても、主人より先に閲覧することは許されていない。せいぜい魔法で中身に危険がないか調べるくらいだ。
「お茶のお誘いよ。聞きたいことがあるんでしょう」
そう言われ、ハンナもすぐに察した。
「断ったらどうなると思う?」
「身重でありながら、こちらにお出でになられるかと。それを聞きつけた皇太子殿下が仕事を投げ出して大慌てで駆けつける姿が目に浮かびます」
「同感だわ」
リーゼロッテは思わずため息を吐いた。
皇太子夫妻にはすでに子供が二人おり、どちらも男児――皇子である。現在ツェツィーリエは三人目を妊娠中で、お腹の大きさも目立つ時期だ。出産予定は大体四ヶ月後の八月の終わり頃。安定期に入っているため妊娠はすでに国民にも発表されており、皆が祝福し、新たな命の誕生を心待ちにしている。
三人目で本人は心に余裕があるとはいえ、体を気遣って大人しくしておくべき状態の皇太子妃が教会に来たら。妻を溺愛するあの皇太子が慌てふためきながら全力で迎えに来るのだろう。そんな事態になったら迷惑である。
そこまでの一連の思考を計算してのこの招待だろう。
和やかな笑みを常に浮かべている優しい人だけれど、やはり皇太子妃だ。己を溺愛する夫の暴走までをも組み込んだ計画は、彼女の狡猾な一面を証明している。
「最後に会ってから二ヶ月くらい経っているし、仕方ないわね」
ツェツィーリエのことは嫌いではないし、これほど期間が空いているから少しは付き合ってもいいかもしれない。彼女は従兄の妃。リーゼロッテにとっては身内なのだから。
「長い時間は取れないけれど、それでも構わないのでしょうね……。ハンナ。明日でもいいそうだから予定の調整と、叔父様への連絡もお願い」
「かしこまりました」
ハンナは返事用のレターセットを用意しながら、すぐさま頭の中で明日のリーゼロッテの予定を思い返し、どこをどうずらせるか考えを巡らせる。
「そういうわけで、明日は皇宮へ行くわよ」
「はい」
向けられた言葉に返事をしたクラウスは、そのまま主人の名を呼んだ。
「余計なことかとは存じますが、せっかくですからアルフレート様にもお会いなさったらいかがかと」
「……」
婚約の話が出ていることを承知しているからこその助言だろう。良かれと思って提案しているのは明白だ。
しかしリーゼロッテは己の護衛を静かに見据えながら、不機嫌そうに眉間に薄い皺を作った。
「時間があったらそうするわ」
皇宮に出向く以上、きっとアルフレートに挨拶をすることになるのはほぼ確実なのだけれど。意地になったリーゼロッテはぶっきらぼうに、素っ気なく言葉を放つのだった。