10.第二章四話
例の男七人を騎士に引き渡して教会に戻ったリーゼロッテ達は、街で買った物を部屋で整理していた。お菓子はほとんど他の修道士に孤児院に持っていくようお願いしたので、ここにあるのは数種類しかない。大した量もないため、片付けに時間はあまりかからないだろう。
「リーゼロッテ様、本日はお休みなさっても……」
「大丈夫よ」
あんなことがあった後だ。ハンナは休んだほうがいいのではないかと進言するが、リーゼロッテにそのつもりはない。これから孤児院の訪問をしなければならないし、午後の分の聖水作りや他の仕事も残っている。
不成者に目をつけられたのは非常に不快で不測の事態ではあったが、クラウスのおかげで何事もなく解決し、特に怖い思いをしたわけではないのだ。この程度で休むわけにはいかない。聖女の身が危険に晒されたと大事になれば、あの自由時間がなくなってしまう可能性だって高いのだから。
「貴女は叔父様に報告と、孤児院の様子を見に行った後の仕事の準備をお願いね」
「……かしこまりました」
崇拝してくれている側仕えはやはり納得していないようで、けれどリーゼロッテのお願いには逆らわず、その意思を尊重して諾する。どこか拗ねているようにも取れる表情に、リーゼロッテは目を細めた。
「心配してくれてるのよね、ありがとう。クラウスと貴女がいてくれて何もなかったのだし、本当に大丈夫だから安心してちょうだい」
「……はい」
ハンナはやはり不満げにむくれたままで、実年齢よりもずっと幼く見える。もっとも、元孤児であったハンナの年齢は正確なものではなく、あくまで推定でしかないのだけれど。
「仕事が終わったら、また貴女の入れた紅茶を飲ませてね。今日新しく買った茶葉もあるし、楽しみにしてるわ」
にっこりと笑みを見せてそう告げれば、ハンナはキリっと顔を引き締めた。
敬愛するリーゼロッテに期待されて嬉しくないわけがなく、やる気が漲らないわけもない。楽しみと言われたのなら、求められる以上の結果を出して応える義務がある。それこそがリーゼロッテという尊く麗しい存在にハンナが仕えている理由なのだから。世話係として補佐として、しっかり務めは果たす。
「お任せください」
「ふふ。お願いね」
ハンナもなかなかに単純だと、リーゼロッテは思う。ハンナだけでなく、教会の人間はほとんどがそうだ。
シュトラール教会は女神リンデローゼを信仰しているヴァールリンデ教の施設の一つ。リーゼロッテが生まれるずっと前からある場所。しかしここに所属する彼らの信仰対象として大きいのは、女神よりも余程距離が近く、実際に姿を可視でき、民を怪我や病気、瘴気から救ってくれるリーゼロッテだ。
「クラウス、行くわよ」
「はい」
背後のクラウスに声をかけ、リーゼロッテは孤児院へと向かった。
皇都での買い物の時に買ったお菓子や手作りのお菓子などを土産に、リーゼロッテは二週間に一度程度、教会に併設されている第一孤児院を訪れている。
シュトラール教会が運営する孤児院は全部で三つある。教会とは異なる地区にある第二、第三孤児院が十五歳までの身寄りのない子供達を育てるごく普通の孤児院であるのに対し、第一孤児院はかなり特殊だ。
基本的に十二歳までの子供を受け入れている第一孤児院では、子供達はいずれ、ほとんどがシュトラール教会に所属する聖職者や聖騎士となる。もちろん子供達に意思確認を行い、普通の暮らしを選択するのであれば思いを尊重し、止めることはしないけれど、結局は教会に留まる者が多数派だ。男子は特に聖騎士になる者が多い。
才能や実力によって例外があるものの、彼らは十二歳以降は本格的な訓練を経て、基準を満たせばリーゼロッテやジークムントの部下になるということである。
そんな彼らとは幼い頃から良好な関係を築いておくに越したことはないし、慈善活動は聖女の仕事の一つでもある。第一孤児院は聖騎士などを育てる養成機関の役割が主なので、普通の慈善活動とは異なるのだけれど。
ちなみに、普段リーゼロッテがティータイムで食べ切れない大量に用意されて余ったお菓子は、優先的にシュトラール孤児院の子供達や訓練生達に与えられている。ご褒美があるのとないのとでは子供のやる気がかなり変わってくるものだと、リーゼロッテもよく理解していた。
「せいじょさまだ!」
「聖女さま!」
「クラウスもいる!」
「クラウス、クラウス!」
孤児院に着いて子供達の世話をしている修道女に案内されると、庭で遊んでいた子供達が表情を輝かせて寄ってきた。こうして嬉しさを全面に出すのはまだ小さな子供達で、十歳前後になると聖女に対する礼儀を充分に弁えている者が大半で、これほどはしゃぐことはない。現に年少組をどうにか宥めようとしている。
リーゼロッテを庇うように前に出たクラウスは、子供達の突進を受け止めた。元気が有り余っているらしい男の子達はクラウスにしがみつき、嬉しそうに騒いでいる。
「こら。様をつけなさいっていつも言ってるでしょう!」
「隊長様はお仕事中なのよ、離れなさいっ」
二人を案内していた修道女と子供達の世話をしていた修道女が慌てて叱るが、子供達が聞き入れる様子はない。修道女二人は子供達が怪我をする可能性も考え、無理に引き剥がすこともできないのでオロオロしている。これも見慣れた光景である。
「申し訳ありません、隊長様」
「まだ小さいからな。構わない」
子供達にぐいぐい引っ張られたり腕にぶら下がられたりしながらも、クラウスが体勢を崩すことはなかった。さすがの筋力と体幹だ。
リーゼロッテにも負けないほどの美しい顔が不機嫌そうに多少歪んでいるものの、子供達は恐怖を抱くどころか、全く気にしている様子はない。さすがにクラウスの仏頂面には慣れっこらしい。
一方の女の子達は、もじもじしながらリーゼロッテを見上げていた。リーゼロッテが目線を合わせるようにしゃがむと、一人の女の子が照れた様子で、控えめに口を開く。
「こんにちは、聖女さま」
それを皮切りに、次々とリーゼロッテへの挨拶の言葉が飛んでくる。
「こんにちは」
自慢の美貌で微笑むと、みんな揃って頬を染めた。
リーゼロッテの人間離れした美しさは、小さな子供にも効果がある。それはクラウスもで、むしろ女子はクラウスの方に注目しそうなものなのだけれど、なぜか孤児院の女の子達はリーゼロッテの方に興味津々だ。憧れだろうか。
「お菓子届きました。ありがとうございます」
「もう食べたの?」
「いくつか。美味しかったです!」
「そう。よかったわ」
彼女達の中から、いずれハンナやマリーナ達の後輩が現れる。聖騎士団に入る子もいるかもしれない。今は――幼い内は、できる限り伸び伸びと、楽しく生活を送ってくれたらいい。それが子供のあるべき姿だ。
ふと視線を上げると、修道女達がクラウスに見惚れている姿が映った。いつものことなのでこれまた見慣れた光景ではあるのだけれど、だからと言って何も感じないわけではない。
(勝手だと、わかっているのに)
クラウスは恋人ではないし、婚約者でもない。リーゼロッテがこんな気持ちを抱くのはおかしな話だが、感情とは理屈ではないのだ。
恋人でも婚約者でもない。それでも彼は、リーゼロッテの護衛。聖女の聖騎士。あくまで主人であるリーゼロッテのものなのだと、ドロドロとした身勝手な独占欲にもっともらしい理由をつけて正当化する。
「みんな、クラウスが遊んでくれるらしいわよ」
子供達に声をかけると、案の定、一層騒ぎ出した。
「わあ! ほんと?」
「じゃあおにごっこしよ!」
「クラウスがおにね!」
最早決定事項らしく、子供達は一目散に駆け出していく。それを横目に、クラウスは困ったような雰囲気を滲ませていた。
「俺はリーゼロッテ様から離れるわけにはいきません」
「ここは教会内よ。遊ぶ範囲はこの庭。視界に入っているなら問題ないでしょう?」
挑発的に目を細め、「それとも」と続ける。
「万が一何かあった時、この庭程度の距離でも守り切る自信がないのかしら。氷の聖騎士様は」
面と向かってクラウスをそう呼ぶのは大方、ある程度以上親しい者か、妬み嫉みで嫌味をぶつける者だ。リーゼロッテはもちろん前者で、からかい混じりの口調である。
「さっさと行きなさい。聖騎士候補達の体力づくりに役立つじゃない」
引いては、聖女であるリーゼロッテのためになる。そう伝えれば、クラウスは必ず折れるのだ。どこまでもリーゼロッテを優先するクラウスらしい。
「何かあれば、すぐにお声がけを」
「それより早く気付いて対処するのが貴方の仕事よ」
「は。申し訳ございません」
心配してくれている彼に嫌味ったらしい言葉をかければ、すぐさま反省を返される。冗談が通じないと、リーゼロッテは短くため息を吐いた。
「真面目ね」
とはいえ、実際にリーゼロッテの言葉通り、危険が及ぶ前に排除するのが彼の仕事の一つなのは確かである。
「ほら、早く行きなさい。子供達がお待ちかねよ」
リーゼロッテに急かされ、クラウスは最後までリーゼロッテを気にしながら、主人の命令を遂行すべく子供達の中に交じった。一人だけ大人なのでよく目立つ。
子供の数は二十に近いが、体格差も体力差も、そして実力の差も歴然としていて、クラウスが子供達を捕まえるのはあっという間。しかしそれでは訓練にならないので、クラウスは手を抜いて追いかけている。追いかけられている側の子供達ははしゃぎ、比較的上の年齢の子供達はどうやって彼から逃げ切ろうかと知恵を絞り、力を合わせている。
クラウスもずいぶん子供の扱いに慣れたものだ。初めて孤児院の子供達を相手にした頃は四苦八苦していたのに。
「みんな元気そうね」
「はい」
訓練も兼ねられた鬼ごっこを、リーゼロッテは修道女達とともに眺めた。
「最近来た子達もだんだん明るくなっていて、部屋から出る時間が多くなりましたし、おもちゃの剣で遊んだりすることが増えました」
「それはいいことだわ」
孤児になる経緯は様々だけれど、共通しているのは大なり小なり、辛い経験をしているということ。
親がいないからと、家族がいないからと、そんな理由で存在そのものが否定されていいわけがない。生を諦めなければいけない理由になるわけがない。
どんな環境の子供でも、子供のうちは伸び伸びと遊び、好きなことをするのが重要だ。大人になったら嫌でもルールに縛られるのだから、自由は満喫できるうちに堪能するべきだ。
特にこの孤児院の子供達は、多くが厳しい特別な訓練を受けて教会所属となる。今は楽しく学んでいる生活に役立つ程度の魔法は、実戦のためのやり方を本格的に体に叩き込まれることになる。魔法にとどまらず、教養や体術、知識、必要なことは全て。普通に生きるだけなら必要ないことまで、たくさんのことをこなさなければならない。
そんな将来のことを考えると、今のうちに充分な遊びを経験させた方がいいだろう。
「貴女達もよく頑張ってくれているわね。ありがとう」
リーゼロッテがふわりと修道女達に微笑むと、とんでもないとばかりにぶんぶん首を左右に振られる。
「め、滅相もございません!」
「あの子達にとって、貴女達は親代わりのようなもの。謙遜は必要ないわ」
女神のごとく微笑をたたえて称賛を続けると、彼女達はますます申し訳なさそうに、けれど照れたように頬を染めた。
彼女達も、ここではないけれど元々孤児院出身だ。似た境遇の子供達に情が湧かないわけもなく、実の子や弟妹のように接してくれている。子供達にとっても修道女達にとっても、そして他の教会関係者にとっても、皆が家族であり、教会は家なのだ。
リーゼロッテとジークムントはそれに加え、仕えるべき絶対的な主人。
(慣れたものね)
きっと彼女達が気づくことはないだろう。リーゼロッテが子供なんて好きではないことに、他人に興味がないことに。「慈悲深く心優しい聖女」は、全て演技で作られた虚像に過ぎないことに。
この修道女達はシュトラール教会所属であり比較的リーゼロッテに近い立ち位置にいるし、シュトラールの一員として信用はしているけれど、まだリーゼロッテの内側に入るほどの関係性ではない。そんなこと、彼女達は露ほども感じていないはずだ。
外ではそれほど完璧に、リーゼロッテは理想の聖女を演じている。演じられるだけの技量を身につけた。
神の存在は信じている。というか、神が存在することを身をもって知っている。リーゼロッテが持つ神聖力と呼ばれる魔力ではない希少な力は、この世界の管理者である女神リンデローゼから与えられたものに他ならないのだから。
とは言っても、選ばれたことに誇りがあるわけではないし、女神への信仰心が強いわけでもない。盲目的なほど女神を敬愛していないのはもちろん、面倒な力を押し付けやがって、と憤ってすらいる。敬う気持ちなど欠片もないに等しい。敬虔とは程遠い聖女である。
リーゼロッテが聖女として完璧に振る舞っているのはあくまで、大切な人達――ジークムント達の期待に応えたいからだ。褒められたいからだ。彼らが住むこの国を豊かにし、できうる限り安全な場所にしたいからだ。純粋な善の気持ちなど持ち合わせてはいない、己の欲望塗れの動機だ。
(どうして私なのかしら)
どこまでも勝手で聖人とはほど遠い性格の自分は相応しくないはずなのに、リーゼロッテよりも神に心酔している者など多くいるはずなのに、なぜよりにもよって自分なんかが聖女になってしまっているのか。
己のことをよく理解し自覚しているからこそ、リーゼロッテには微塵も理解できなかった。この先も理解できる日は来ないのだろう。




