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01.序章



 この世界には、「聖者」と呼ばれている存在がいる。魔力ではない不思議な力――神の祝福を授かっている証である神聖力を持ち、国を繁栄に導くと言われている特別な存在が。

 彼らが存在する時代は疎らで、常に世界に存在するわけではない。同時代に数人の聖者がいることもあれば、数十年、数百年にも渡って一人として現れないこともある。また、聖者は比較的女性である場合が多く、女性の聖者は「聖女」とも呼ばれる。


 リザステリア帝国は、中央大陸の北西に位置する大国だ。世界中が切望し、約三百年ぶりに誕生した聖女は、このリザステリア帝国に皇妹の娘として生まれた侯爵令嬢である。

 神託によりその誕生が予言され、八年弱は生家で育ったその後、教会に引き取られた。現在では国民からの支持も厚い、立派な聖女に成長している。



 ◇◇◇



 神聖暦一四二五年、四月。新年度が始まってまだ半月も経っていないその日。艶やかな黒髪に透き通った金色の瞳を持ち、人間離れした、まるで作り物のように美しい顔立ちの少女――リーゼロッテは、リザステリア帝国の皇都リュームの一角に聳え立つシュトラール教会の特別図書室にて、つまらなそうに書類を眺めていた。

 リーゼロッテは歴代の中でも群を抜いて強い神聖力を身に宿している聖者である。誕生の予言から数ヶ月後、生まれてすぐに改めて聖者――聖女として神託を受け、体が弱いながらもずっと聖女として、貴族令嬢としての教育に取り組み、魔法や神聖術の扱いの訓練を積んできた。

 一通りの教育を終えたのは驚くことに十一歳の頃で、それ以来、聖女としての役目を果たすべく忙しい日々を過ごしている。やるべきことがたくさんあり、今眺めている書類に書かれている内容を確認するのも仕事の一つだ。


 適度に力を抜くことを知っており、しっかり頭に入ってはいるが集中しているわけでもなく、ぼーっとただ確認作業を消化していると。


「――やあ、ロッテ」


 聞き慣れた声に呼ばれ、リーゼロッテは顔を上げた。


「叔父様」


 いつの間にこの図書室にやって来たのか、教皇ジークムントがこちらに微笑みかけている。

 彼はリーゼロッテの母親の弟で、リーゼロッテが教会で暮すようになる前から常に気にかけてくれていた、実の兄のような存在だ。母――皇妹の弟ということはつまり、彼自身ももちろん皇弟であることを意味する。

 リーゼロッテと同じ黒髪はこの国周辺ではあまり見ることのない、皇族の血が濃い証。はたから見ても血縁関係にあることが判然としている。後ろだけ伸ばしている緩くウェーブを描く髪は、暗めの青いリボンを使って低い位置で結われている。髪の隙間から覗く海を思わせる美しい青色の瞳が印象的だ。

 ジークムントの後ろには彼の護衛である赤髪の聖騎士と紺色の髪の聖騎士が控えており、彼らはリーゼロッテに深々と一礼した。リーゼロッテは笑顔でひらりと手を振って応える。


「それで、相談って?」


 ジークムントがリーゼロッテの向かいの椅子に腰掛け、早速本題に入った。話したいことがあるから時間がある時に会いに来てほしいと伝令を送ったのはリーゼロッテの方で、叔父はその願い通り、わざわざこの場に足を運んでくれたのだ。


「そろそろ、本格的に結婚相手を決めようかと思いまして」


 放たれた言葉に、ジークムントは「ふむ」と頷いた。

 リーゼロッテの結婚願望が強いことは、親しい者の間では知られている。前触れがない突然の発言にも驚くことはなかった。

 ただ、赤髪の方の護衛の聖騎士――ブライアンは、あからさまに驚愕を露にしている。彼もリーゼロッテの意思を耳にする機会はあったはずだが、実際に本人が決意を固めて話すのを直接耳にするとなると、受け取り方が変わってくるようだ。

 紺色の髪の方――カミルは、冷静に話を聞いている。


「ロッテは今年で十七歳だし、婚約者がいてもおかしくない年齢だからね」


 ただの平民であれば多少は早いと感じるかもしれないけれど、上流階級では十代で婚約が結ばれることは珍しくもない。特に多いのは十代前半から半ばにかけてだろう。


「まず確認だけど、誰か好いている人はいる?」

「いません」


 リーゼロッテは笑みも浮かべず、ジークムントの問いに冷たい声音で即答する。やや不自然なほど、ジークムントが思わず目を丸めてしまうほどに食い気味で、表情が無に近かった。

 一瞬にして異様な空気に包まれた沈黙が暫し流れた後、リーゼロッテはにこりと笑って妙な緊張感を壊す。


「なので、良さそうだなって人を探してほしいのです」

「いないの?」

「いません」

「……そうか」


 再度断言するとジークムントは深く追及せず、柔らかな笑みを見せて話を進める。


「探すにしても条件はどうしようか。最大限、ロッテの希望は叶えたいと思っているよ」

「顔がいい人」

「はは。面食いだからねぇ、ロッテは」


 真っ先にそこを条件に出すほど、リーゼロッテは綺麗なものが好きだ。物や風景、人間、動植物など。何においても美しい物が好きで、特に人の容姿には厳しい。自身が絶世の美女であり、親しい者達もまた美形が揃っているせいで、目が肥えてしまっているのだろう。


「何人か候補を選んでもらって、実際に会って話したりして決めたいかな、と。中身や相性も大事ですもの」

「そうだねぇ。ロッテはパーティーにもあまり参加しないし」


 聖女とお近づきになりたいと野心を抱く者は当然ながら多く、ティーパーティーや夜会など、リーゼロッテの元にはたくさんの招待状が届く。しかし、聖女として必ず出席しなければいけない場ならともかく、それ以外にリーゼロッテが出席するのは稀だ。忙しいことを理由にほぼ断っているため、交友関係は広いとは言えず、評判の良い貴族令息などの情報も著しく欠如していた。


「僕としては聖騎士もいいのではないかなと考えているけど、どう?」

「意外ですね。聖騎士は九割が孤児なのに」


 聖女の地位にあるリーゼロッテは、皇帝以上に国で尊い存在だ。その価値は国内の概念に囚われることなく、他国でも変わらない。しかも皇族の一員であり帝国内でも元々身分の高い血筋のため、結婚相手を選ぶとなると、リーゼロッテの意思とは関係なく条件が厳しくなる。周囲がそれを望むから。


「クラウスとか、どうかな」

「……そっちに行きますか」


 聖騎士の中でも一割の方に入る名前が出され、リーゼロッテは目を伏せる。髪と同じ黒色の長いまつ毛が、日焼けを知らないきめ細かな白い肌に影を落とした。


「――彼だけは、絶対に嫌です」


 確かに、彼であれば血筋の問題はなく、権力者達も文句のつけようがないだろう。ただ、リーゼロッテからするとそれ以前の問題なのだ。迷いなく一蹴するほど、彼には期待できない。


「でも、クラウスなら君を幸せにしてくれると思うよ?」

「嫌です。と言うより、ダメなんです」


 リーゼロッテの眉根が僅かに寄せられ、語気が強くなる。

 ここまで頑なに拒否されるのは予想外だったのか、ジークムントは丸めた目をぱちりと瞬かせた。それから何か言いたげに口を薄く開いたが、結局は言葉を呑み込み、「わかったよ」と穏やかな声を零す。


「ちなみに、彼らは?」


 ジークムントが後方の護衛達を示すと、自分には関係ないだろうと完全に油断していたブライアンはぎょっと目を見開いた。カミルは訝しげに眉を寄せる。

 リーゼロッテは彼らを観察するようにじっと見つめ、それからにっこりと可愛らしく笑った。


「カミルはイケメンですけれど、私の好みからは少し外れますね。ブライアンはかなりいいと思います」

「っ、……リーゼロッテ様、猊下、お二人してからかうのはおやめください」

「割と本気なんだけどね、僕は」

「私も嘘は言ってないわ」


 ブライアンも充分、イケメンと言われる部類の顔立ちをしている。リーゼロッテ好みの、綺麗でありながらきりっとした男らしい顔立ちだ。性格もよく知っているし、リーゼロッテとしては満更でもない相手である。

 カミルは二人のからかう対象から外れたようで、内心ほっと安堵の息を零していた。好みじゃないと言われてちょっとだけ傷ついたのは顔に出ていないと思いたい。


「彼も候補の一人として大歓迎ですが、とにかく何人か選定してくださるとありがたいです。叔父様は私の好みを把握していらっしゃいますから心配はしていませんが、くれぐれも、クラウスは外してください」


 笑顔のリーゼロッテが有無を言わさず告げ、テーブルに広げている書類を片付け始める。するとカミルが「自分がやります」と買って出てくれ、「外まで運びます」という言葉にもリーゼロッテはありがたく甘えさせてもらった。


「では叔父様、私はこれで失礼します。――今の件、よろしくお願いしますね」

「……ああ、わかったよ。無理はしないように」

「叔父様も。ちゃんと休憩を取ってくださいね」


 一礼したリーゼロッテが扉に向かって歩みを進め、書類を抱えたカミルもその後を追う。ブライアンはジークムントのそばに残った。


(好みを把握しているからこそ、真っ先にクラウスを薦めたんだけどなぁ)


 可愛い姪の後ろ姿を眺めながら、ジークムントは無意識にため息を吐いていた。






 カミルが声をかけると、特別図書室の扉が外から開かれる。特別図書室の扉の前には交代制で常に二人の聖騎士が警備として配置されており、彼らが開けたのだ。


「ありがとう」

「「はっ」」


 リーゼロッテが柔らかく微笑んでお礼を言うと、警備の二人は頭を下げた。

 二人の他に、この場で待機していたのはもう一人。

 リーゼロッテはその男に視線をやる。視界の端からカミルが前に出た。


「書類お願いします」

「ああ」


 カミルは持っていた書類をその男に渡し、リーゼロッテに一礼してジークムント達の元へと戻って行く。それを見送り、リーゼロッテは改めて男を見た。

 少し癖のある輝く淡い金髪に、濃い紫色の瞳の切れ長の目、すっと通った鼻筋に形の良い唇。整いすぎた顔立ちは、最早凶器とさえ思えるほどの破壊力を誇る美麗さだ。

 二十二歳という若さで聖騎士団近衛隊の隊長を務めており、聖女専属護衛でもあるクラウス・エーレンベルク。先程、ジークムントが結婚相手として薦めた男である。

 リーゼロッテが書類を確認する間は外で待っているように言いつけていたので、図書室前の警備を任されている聖騎士と共にこの場で待機していた。


「猊下とはゆっくりお話できましたか?」

「ええ」


 クラウスには短く返し、リーゼロッテは警備の二人に向き直る。そして眉尻を下げ、申し訳なさそうに微笑んだ。


「悪かったわね、彼を置いて行って。緊張したでしょう?」

「っいえ!」

「決してそのようなことは……っ」

「いいのよ、気を遣わなくて。愛想がないし、顔も怖いものね」


 クラウスは基本的に無表情か不機嫌そうに僅かに表情を崩すだけでかなり無愛想すぎるので、慣れていないと萎縮する者が多くいる。しかも、聖騎士の中でも選りすぐりの実力者しか所属できない近衛隊の隊長である先輩ということもあり、彼らにとっては緊張しないはずがない相手だ。

 そのことは本人もよく理解しているはずなのだが、クラウスはどこか納得がいかないのか、不満そうに眉根を寄せた。


「リーゼロッテ様」

「あら、何か間違ってる?」


 金色の双眸で見上げると、クラウスは口を噤む。後輩に怖がられている節があることは自覚済みなので、反論したくとも言葉が見つからなかった。

 勝ち誇ったように目を細め、リーゼロッテは三度、警備の二人に優しく笑いかける。


「後で差し入れを持って来させるわ。交代まで頑張ってね」

「っ、ありがとうございます!」

「一生ついて行きます!」

「ふふ。ありがとう」


 犬のように尻尾を振っている幻覚でも見えそうなほど、キラキラと輝いた表情をする二人。熱狂的な聖女信者であるため当然とも言える反応だ。

 二人の熱烈な視線を背に受けながら、リーゼロッテとクラウスは執務室に向けて廊下を進む。


「猊下とは何をお話に?」

「結婚相手を探したいって話をしてたのよ」


 結婚相手と聞いて、クラウスは僅かに目を丸めた。しかし歩みは止めず、すぐに動揺を押し隠す。


「猊下のですか?」

「わかりきってることじゃない。私のよ」

「……そうですか」


 心なしか気落ちしたような声音に聞こえ、リーゼロッテは彼を一瞥した。

 クラウスに表情の変化はない。リーゼロッテの結婚願望については彼も知っていることで、今更多大な衝撃を受けたということもないだろう。貴族や皇族でありながらこの年齢で婚約者がいないのはまだまだ少数派の時代なのだから。

 まして、ショックを受けたとか。そんなこともないはずだ。


「リーゼロッテ様は、どなたかに想いをお寄せになっていらっしゃるのですか?」

「好きな人はいないわ。だから叔父様に候補を選ぶようお願いしたの」


 ジークムントは候補者の素行、過去から現在に至るまでの経歴を洗いざらい調査するのだろう。余計な心配は不要なのだと、リーゼロッテは言う。


「私の婚約者は将来、結婚したら貴方の新しい主になる人でもあるから、婚約が内定した時点から丁寧に対応しなさい」


 クラウスが「聖女の婚約者」に無礼を働くとは思えないけれどそう告げると、少しの間を置いた後、彼はゆっくり口を開く。


「俺の主はリーゼロッテ様ただお一人です。その事実は何があっても変わることはありません。しかし、リーゼロッテ様がご命令されるのであれば従います」

「……相変わらず、忠誠心の塊ね」


 真面目な顔つきで淡々と述べるクラウスに、リーゼロッテは視線を落とした。

 クラウスの忠誠心は簡単にどころか、何があったとしても揺らぐことはないだろう。聖女を敬愛し、絶対の忠誠と従属を誓い、いざという時は欠片の躊躇もなく、己の命さえもかけて聖女を守ってしまえるほどの、何よりも聖女を優先する盲目的な聖騎士。


(貴方のそういうところが、つくづく嫌いだわ)


 普通ならどうなのだろうか。命をかけてまで守ってもらえることをありがたく、嬉しく感じ、その想いに報いたいと願うのか。感動するのか。それとも、そんなことをせずに自分を大切にしなさいと心優しく憤り、心配し、悲しむのか。

 少なくともリーゼロッテは、そのどちらにも当てはまらない。抱えている感情に近いのは怒りだろうけれど、それは自身の命を犠牲にしても構わないという考えに対するものではない。


『クラウスなら君を幸せにしてくれると思うよ』


 ジークムントはそう言っていた。確信を持った様子で自信たっぷりに、このクラウス・エーレンベルクという男を生涯の伴侶として薦めた。

 教会の最高責任者であるジークムントの、人の本質を見抜く鋭い観察眼や勘は信用できる。顔立ちは綺麗なのに愛想がなくて何を考えているのか読みづらく、纏う雰囲気が怖いクラウスだけれど、優しい人であることも知っている。きっと大切にしてくれるだろう。今もそうであるように。

 しかし、こればかりはリーゼロッテも譲れないのだ。なぜならリーゼロッテにも確信があるから。


(彼が私を幸せにしてくれるなんて、そんなのありえないんですよ、叔父様)


 リーゼロッテが真に願う一番のものを――リーゼロッテの幸せに必要不可欠なものを、彼が与えてくれることはない。

 そういう人なのだと、昔からよく知っていた。



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