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 得体の知れぬ、気味の悪い夢から覚める。

 妙な違和感がある。生まれてこの方、体のなかで右回りにまわっていたものが左回りに向きを変えたような言葉にし難い。


 影丸は自分が細かな振動を続ける鉄の部屋に自分がいることを知る。

 刀も手裏剣もない。水を入れたひょうたんもない。


 どうも自分は誰かの虜にされ、赤い首巻きも含めて手持ちの忍び道具を全部取り上げられた上で、この鉄の部屋に閉じ込められているらしい。


 だが、見習いとはいえ、忍者である影丸を閉じ込めるにはまず影丸を倒して、それから放り込む必要がある。


 誰かに負けた覚えのない影丸はいったい何があったのか、薄れがちな記憶の糸をちょいちょい手繰ってみる。

 最後に行った場所は……神社だ。

 歪んだ光の道に導かれ、そう怪しげな神社に行き、そこから……青銅葺きの社殿に誰かがいたのだ。


 誰かというと――幻夢斎だ。

 いや、あれは幻夢斎だったものと言ったほうがいいのかもしれない。


 人間ですらなかった。


 影丸と姫を襲ったころは若い術士の姿をしていたが、神社で出会った幻夢斎は実体を失った、ただの邪悪な意思そのもの。


 それが影丸にこう言ったのだ。


「おいで」


 それからのことは全く覚えておらず、こうして鉄の部屋にいる。


 鉄の部屋はそこまで狭いわけではない。

 ちょっとした体操をできるし、天井の高さもある。

 もちろん、それは小柄な十四歳の見習い忍者から見た場合であって、一人前の大人な忍者は、ちょっと低いかなと思う程度だが、そんなことをいちいち指摘して、見習い忍者の不興を買ってもしょうがないので、これはトイレに流しておく。


 鉄の部屋はいくつもの鉄板に鋲を打ち込んであり、砂漠世界の荒廃ぶりを考慮すると、かなりカネと技術がかかったものだと推察された。

 少なくともおからの寿司の前で拳銃弾を一発二発を数えるような手合いが触れるものではない。


 幻夢斎は鋼鉄の軍艦に乗って砂漠を荒らしているというから、その軍艦に自分は閉じ込められているわけだ。


 船というと安宅船以上に大きい船を見たことがなかったし、そもそも鉄でつくった船など想像を超えていた。これが今は砂の海を走っているからいいものを、本物の海を走ろうものなら、重さで沈むのは間違いない。

 

「おーい、誰かおらぬか?」


 鉄の扉をガンガン叩く。この扉は内側に鍵穴がなかったので、解錠のしようがなかったし、蹴破るには分厚過ぎる。肩からぶつかれば、骨折するのはこっちである。


「おーい、おーい」


 さらに扉を叩いていると、ようやく反応があった。


「うーん……静かに寝かせてよね」


 声は金網でふさがった通風孔からきこえてきた。


「御免。隣にも虜囚がいるとは思わなんだ」


「その声は――ひょっとして、忍びの影丸?」


「いかにも、拙者の名だ。困るものだな。才ある忍びはすぐに名がひろまる。隠密に済ませたいが、世間が拙者を放っておかぬ」


「あなたの知名度なんてどうでもいいわよ。このトンマ」


「むう。先ほどから声にききおぼえがあるのだが、御仁、以前会ったことがあるのではないか?」


「つい昨日のことでしょ」


「ん? ――ああ、あの債権回収局なる娘か。なるほど、思い出した。どうだ、その後息災であったか?」


「この通り、元気にしてるわ。幻夢斎に捕まって、今はこうして実験台にされるのを待ってる」


「そうか、そなたも幻夢斎に捕まったか。すまなかったな」


「どうして、あなたが謝るのよ?」


「あの地下の都から追放される理由の半分は拙者のせいだ。あれがなければ、おぬしはまだあそこで暮らせていただろう」


「……別にいいわ。クビにされるの、慣れてるし。わたしだって、いっぱしの機関銃手なんだから、追放の覚悟くらいしている」


「そうか。拙者にあのとき見せられる身分証明書があれば、よかったのだが」


「忍者に身分証明書を提示しろって言った時点でわたしのヘマだったのよ」


「むう。しかし、幻夢斎め。このような世界にまで落ちて、悪行を重ねるとは。許すまじ。今度あったら見事討ち取ってくれよう」


「あなた、幻夢斎を知ってるの? つまり、賞金首としてではなくて」


 影丸はかいつまんで説明した。彼と彼が仕える姫が襲われ、姫と鏡の不思議な力で、この砂漠の世界に飛ばされたこと。姫がうっかり〈しぇるたー〉なる鉄の箱に閉じ込められ、それを開けるためにタイラ・ミナモト製作所を探していること。そして、幻夢斎を倒すには鏡がなくてはならないこと。


「ふーん。込み入ってるのね。でも、こう閉じ込められたら、どうしようもないわ」


「むう」


「いや、なかなか興味深かったよ」


 今度は左の部屋から声がきこえてきた。これもまたききおぼえのある声で、


「きみはあれだろう? マーケットで与太者に絡まれていた忍者だ」


「むう。それを知っているということは――あのとき、バラバラになった男か?」


「なんでそうなるのかなあ? 僕はバラバラにしたほうだよ」


「ああ、あの白子の剣士か」


「白子……まあ、いいさ」


「で、剣士殿はなぜここに」


「休暇さ」


「ここはあまり休むに適した場所とは思えぬが……」


「今のは皮肉だよ。ところできみの逆の隣部屋にいるのは?」


 影丸は説明した。彼はいまふたりのあいだにたつ言葉であり、メッセンジャーボーイであり、人と人とをつなぐ魂のブローカーであった。

 そんな影丸に相手の名前は何というのだ?という質問が出て、きいてみた。少女のほうはレン、少年のほうはチアキと名乗る。これから何度も少女のほうをチアキと呼び、少年のほうをレンと呼ぶ間違いが起こるのだろうなと思いつつ、これからどうするかをたずねる。


「そりゃ決まっているね。実験され、わけの分からん術をかけられ、化学物質を体に入れられて、人間とは思えない異形の化け物となって、この部屋に戻ってくる。僕らは三人仲良く化け物になって、いつまでもいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたし。めでたし」


「わたしはそんな大人しくやられないから。最低三人は道連れにしてやる」


「拙者もその実験台とやらになる気は毛頭ないぞ。果たさねばならぬ任務がある。任務をあきらめて何が忍びか」


「じゃあ、きみは本当に忍者なんだね? これは興味深い。しかし、それにしてもここは暑いね。次の水の供給はいつだろう? あいつらに捕虜を優しく扱う良心が存在すると仮定しての話だけど」


 ちょうどそのころ、陸上戦艦を追う一隻の艇があった。

 そう、砂漠の荒くれたちが見ただけで失禁してしまう恐怖の魚雷艇である。

 彼はこれまでに撃沈した最高記録を更新する獲物を前に落ち着いて、艇を操縦し、敵に気づかれることなく敵艦右舷に接近し、第一発射管から魚雷を発射した。


 発射された魚雷はスクリューで砂の上を猛スピードで進み、船長から見えなくなったが、間もなくパッと橙色の炎があたりの砂を染め上げた。


 魚雷を食らった艦では艦が浮き上がるほどの衝撃で、緊急事態発生を知らせるベルが鳴り響き、水兵たちがピストルを片手に砲をデタラメに発射した。砲弾は魚雷艇を飛び越えて、はるか東の彼方で落下し、エセ太陽のごとく閃いた。


 影丸たちの牢屋も派手に揺れ、壁にぶち当たり、天井にぶち当たり、床にぶち当たりとぶち当たりを繰り返していると、部屋の半分がごっそり抜け落ちて、砂漠に巻き起こる炎の渦へと落ちていった。

 これなら破損した艦を何とか辿って逃げられる。だが、その幸運にあずかれたのは影丸だけだった。


「拙者がここを脱出して、ふたりの扉を開けるカラクリを動かして参る。それまで耐えてくれ」


 ふたりは一応冷静を装ってこたえたが、状況はむしろ悪化していることに気づいていた。


 人体実験うんぬんの可能性はなくなったが、もう一度魚雷をぶち込まれる可能性が出てきた。この艦の裂けた部分にもう一発魚雷を食らえば、実の母親でも判別がつけられない死体となるのが明らかだ。


 ズタズタに裂けた艦の装甲板を器用に上る影丸の肩にはふたりの運命がかかっている。

 見習い忍者の人助けである。


「とはいえ、武具も忍具もない徒手空拳ではな。なんとか取り返したいが……」


 引き裂かれて上向いた装甲板の上をやめとけばいいのに、しゅたた!と走り、何とか甲板まで出ると水兵たちが、砲台にとっついて国家予算レベルの砲弾をあたりにばらまいている。砂漠からは熱で溶けた砂がどっかんどっかん噴き上がり、真昼のような明るさ。ときどき魚雷艇の影は見えるが、すぐに消える。また近づいたら魚雷を食らうのは分かっているから砲手たちも必死だが、それをあざ笑うかのごとく、魚雷艇は艦の舳先をまわって、左舷に出て、もう一発魚雷を放った。


 大爆発ののち、大勢の水兵を砂のなかに生き埋めし、入り込む砂の重さで艦がミシミシ音を立てた。

 いよいよ水兵たちはパニック! それもそのはずで彼らの服装を見ればわかる、半纏に股引、かぶっているのはソフト帽だったりハンチングだったりねじり鉢巻きだったりとチンピラの様相。訓練よりは武装に依存したヤクザ水兵たちは影丸の姿など見えぬ様子で消防箱を運んだり、シャベルで砂を外に捨てたりと忙しく、影丸に気づきもしない。


 忍者の行動は隠密が第一だが、こんなふうに気づかれないのもまたやりきれない。現在の最重要任務はレンとチアキの救出だが、それでも、こうもうちょっとやりがいを感じたい。いや、こうしたその場の状況において、自身の行動を決めるのは忍者の心得なのだが。


 その後、影丸は机がひとつ置いてある事務室や古いライフルが並んだ棚のある廊下を走り、いくつもの小階段を上ったり下ったりし、ようやく監獄室の廊下へたどり着くと、腰から鍵をぶら下げた男が座っていた。腰から上はきれいになくなっていたが、とにかくその鍵を取り、牢屋を片っ端から開けると、チアキとレンがあらわれた。


「ひどい目にあった。で、僕の刀はどこだい?」


「わたしの機関銃は?」


「まだ、見つけていない。拙者の忍具すら見つけていないのだ。さあ、行くぞ!」


 なぜか影丸は指導的立場にあったが、それについて議論を重ねる時間はなかった。

 外では魚雷艇がまだ魚雷をぶち込む隙を疑っていたし、いい加減、水兵たちも影丸に気づく。


 ピストル片手にあたりを見回っているらしい一隊を見つけると、チアキが、


「こっちはまだ丸腰だし、慎重に――」


「やあやあ、我こそは忍びの影丸なり! いざ尋常に勝負!」


 連続まわし蹴りと手刀の水平打ちで水兵たちを倒すと、チアキが、


「忍者というのはもっと秘密裡に動く生き物だと思っていたけど」


「体術もまた忍びの心得よ」


 と、言い終わる前に、また別のチンピラたちを見つけて、やあやあ我こそは、をやる。


 軍艦の火は広がって、艦は左に八度、右に五度と傾きながらデタラメに走っている。

 そのたびに砂がざあざあ流れ込み、艦のなかの家具什器がバタンバタンと倒れたり横滑りしたりして襲いかかる。


 ほとんど無人の軍艦をちょこまか走っていると、ようやく押収品倉庫なるものを見つけ、それぞれが装備を取り戻す。


「きみ、それは軽機関銃?」


「そうだけど、何か?」


「いや。偉くお金のかかる武器を使ってるなと」


 レンはさらにバナナ型弾倉がたくさん入っている背嚢を担ぎ上げ、機関銃を腰だめにして、ドアをひとつひとつ蹴り開けた。火力で負ける気はしないので死にたがりが道を阻めば、体が真っ二つになり一連射をお見舞いするつもりだったが、もはや捨てられるものは艦を捨てて逃げている。


「とにかく」とチアキ。「あの頭のおかしい魚雷艇にこれ以上攻撃させないようにしないといけない。もう一発魚雷を食らったら、僕らは間違いなくおだぶつだ」


「むう。どのような忍術を使ったものか」


「忍術なんて必要ないわ。この艦の一番高いところに白い旗をはためかせれば、それで戦争はおしまいよ」


 と言って、レンが指差すのは艦橋のさらに上、天国を除けば、半径百キロメートル以内で一番高い金属のポールだった。ポールは帆柱の上に伸びていて、その帆柱には艦橋の指令室を通らないといけない。


「むう。高いな。だが、昇れぬことはない。誰か白い旗をもってまいれ」


 早速、影丸は艦橋を昇り始めた。士官用食堂の純白のテーブルクロスをぐるぐる巻きにして階段を何段ものぼる。途中で指令室に入ったが、艦長は艦と運命を共にするかわりに逃げてしまったらしい。


 てっきり帆柱を昇らないといけないのかと思ったが、螺旋階段がついていたので簡単に上を目指すことができた。


 一方、そのころチアキとレンは手を振り回して、魚雷艇にこちらに戦意がないことを必死にアピールしていた。魚雷艇は右舷前方に船首を真っ直ぐ軍艦に向けていて、トドメの一発を刺そうとしているところなのだ。


 影丸は監視台から金属のポールへと昇っていた。ポールの最上には丸い金属の珠があり、旗を結びつけるための輪があったのでそれに手早く布を結びつけ、恭順の意を示す。

 武士ならば腹を切るところだが、忍者なら容易く降伏し、次の機会を待つ。影丸個人の考えでは武士は真面目すぎて、肝心の滅私奉公にも支障をきたしていた。そう簡単に腹を切る、喉を突く、火薬を詰めた茶釜に火を投げると死んでいたら、どうして主君に仕え尽くすことができようか?

 武士の『命をかける』とは主君のために容易く命を投げることであり、忍者の『命をかける』とは百歳まで生きてでも主君に仕えることなのだ。


 ポールに抱きついたまま、影丸は得意になって、ふふんと考える。

 だが、下をちらりと見れば、恐怖の人間魚雷にまたがって「ひゃっほー!」と礼帽を振り回しながら突っ込んでくる魚雷艇指揮官の姿が見えたはずだ。

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