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 そこそこ文明的だった地下都市から砂漠に排出されると、ここは初心に返って、光を頼りにするかと思ったが、ネオンの世界でさんざん無視されたことを怒って、光は道を示してくれなくなった。


 まあ、よい、と影丸は妙に落ち着いている。こうしたことは初めてではない。

 姫はときどきへそを曲げることがある。宮仕えというのはそういうものなのだ。


 とりあえず魚雷艇を探したが、見つからない。

 今は夜なので、人間をいじめ殺す太陽もない。星はきれいで、北極星がかかっている。

 はて、最後に道が示したのはどの方向だったのか、それを思い出せれば、星をもとにそちらへ歩けるのだが。しかし、焦ることはない。


 封印排出機械のカプセルには最後の情けか携帯できる水と乾パンがあるので、今すぐ餓死、というのはなさそうだ。

 あの少女を探してみたが、見つからない。

 たぶん別の場所に放り出されたのだろう。


 さて、このあたりの砂漠は真っ平で一寸以上の勾配は存在しないようだった。

 妨げるものがないので、風はびゅうびゅう吹いてくるのだが、それで砂が寄り集まるようなこともない。東から一秒吹いたら、西からも一秒吹くことで吹き飛ばされた砂の位置を戻し続けるという変な気遣いをする風が吹く奇妙な土地だ。


 ただ、海はべた薙ぎでも奇妙なものが浮かんでいることがあるように、この砂の海にもそうしたものがあった。どこか寝られる場所はないかと、しゅたたたたた!と走っていると、高速道路が見えてくる。そして、ちょうど高架下には小さなテントがひとつ立っていた。


 テント、というのは憚られる代物だ。赤い十字を書いたくたびれた布切れ一枚、鉄パイプにかかっていて、その旗竿に白衣を着た男がひとりもたれかかり、酔っ払っていた。人間追いつめられると、酒を飲まずとも酔っ払うことができる。己の不幸で酔っ払えるのだ。


 髪もヒゲもぼさぼさのその男は影丸に気づくと、実にさわやかに「やあ!」と挨拶してきた。


「わたしの病院にようこそ。歓迎するよ」


 その病院というものは赤十字のボロ旗一枚と医学書が一冊あるだけで患者が寝るための布団すらなかった。それでも男は快活そのもので、その元気が少し捨て鉢気味で恐いものがあったが、男は構わず、影丸に話しかけた。


「きみは病院を、この砂漠の、空も地も人の心も荒れ果てた世界で、人を癒すことで世の中をよくしようと思ったことはあるかね? やめておくことだ。わたしはね、きみ、人間の心を見限った、自分の心も、他人の心も。もちろんきみの心もね。きちんときっぱり見限ってやったのだ。ハハッ!」


「拙者は――」


「間違っても人間が人間を助けられるなんて夢をもってはいかんよ、きみ。わたしはそれが間違いであったと今更ながら気づいた。この病院でね。うん、言いたいことは分かる。これのどこが病院なのかと。ただ、赤十字をくっつけた旗が立ってるだけじゃないかと。いや、これでも昔は病院だったのだ。わたしもそのころは人間を無料の医療でう救うことができると信じていた。ねえ、きみ。普通、何事かなそうと決意した人間の構造物というものはだんだん大きくなっていくだろう?」


「さあ、拙者には――」


「最初はベッドが一個あるだけ。でも、だんだんそのコミュニティに認められ、ひとつだったベッドがふたつに増えて、薬の種類も増えて、テントがもうひとつ立って、きちんとした経験のある助手がつき、バラックながらも二階建ての病院が立ち、ひとつのコミュニティから下らない赤痢だの性病だのを撲滅する! これが発展というものであり、時間経過というものだ。でも、この砂漠では全てが逆だ。わたしはこの砂漠を旅するもののための病院をつくった。きったないマットレスが一枚あって、それを強烈な日光から守るための日よけ布があって、それがテントになっていた。もちろん何枚もボロボロの布を縫い合わせたもので、こさえるのに苦労したし、材料を見つけるのも苦労した。それを六本の鉄パイプで支えていた。水を入れるためのペットボトルが三本あって、棚があって、医学書が一冊あって、プラスチックの台の上にメスもあった。糞尿や吐瀉物を入れるためのバケツもあった。まだ使えそうな緊急救命パックもあった。二枚のぼろきれと二本の鉄パイプからなる担架もあった。きれいな椅子もあった。わたしはその病院をひとりで運営していた。手術もやった。大勢の旅人がわたしに感謝した。これが第一の段階だ。そして、第二の段階はまずテントが半分に縮んだ。盗まれたのだ。その盗人は腹痛でわたしの病院で治療を受けたのだが、お礼をするかわりにテントをつくっていた布の縫い目をほどいて、テントを構成しているなかで一番大きな、横っ風を防ぐための垂れ布を盗みやがったのだ。もし、わたしが気づかなければ、全部盗んでいただろう。盗人はこれだけじゃない。ある日、目を覚ますと、割ときれいな椅子がなくなっていた。これは謎だった。誰もいないのは間違いない。この見渡す限り、人のいない平らな砂に人間などいなかったのだ。でも、風で飛ばされた砂が覆い隠せるようなものでもない。まったく謎だが、人間が盗んだのは間違いない。分からないのは手口だけだ。それに担架が少しぼろくなった。布が薄くすり切れて、いつ運んでいる病人が落ちるか分からなくなった。ペットボトルも一本減った。一番水が入っていたやつが一本。でも、鉄パイプは何とか六本残っていたな」


「わかった。人を見かけたら、拙者が――」


「まだマットレスはあったが、それも第三の段階で消えてなくたった。第三の段階ではついにわたしの病院はテントの形状をなさなくなった。鉄パイプが二本減り、マットレスも消えてなくなった。また布を盗まれた。仕方がないので、残った四本の鉄パイプにハンモックの要領で布を結び、これをベッドとして、大きな穴が開いていたが屋根代わりになる布を確保することはできた。第三段階は妥協と自己欺瞞の段階だ。棚板は盗まれた。プラスチックの台も盗まれた。ペットボトルも残り一本。医学書はまだ残っていた。緊急救命パックも残っていたが、担架を盗んだふたり組を錆びたメス片手に追いかけて、ここに帰ってきたら、きれいさっぱり消えていた。緊急救命パックが。緊急救命パックがだよ!」


 男はそれが傑作ジョークのように笑って手を打った。影丸は目の逃げ場を探して、平らな砂の広がりを見回した。


「残ったのは鉄パイプが四本、穴のあいた屋根代わりの布、ハンモック、医学書、ペットボトル一本、錆びたメス、クソの入ったバケツ。これが第三の段階だ」


「あい分かった。拙者が盗人を見つけて、懲らしめて進ぜよう。だから――」


「そ、し、て! いま、きみが目の前にしているのが第四の段階、最終段階だ。鉄パイプが一本、赤十字のぼろきれ、医学書。これだけ。メスもない。ベッド代わりのハンモックもない。クソを入れるのに使っていたバケツまでやつらは盗んでいったのだ! クソが入ったままなのに! これがわたしの良心と人間への希望を信じたことに対する罰であり末路だ。どうだね? 面白いだろう? さあ、笑いたまえ! あはははは」


「ははは……」


「何が可笑しい!」


「いや、笑えと言われたから、拙者は笑っただけで、まあ、よく分からぬ南蛮言葉もあったが、おぬしが薬師として人を救おうとして裏切られ、零落したことは分かった。気の毒だ。これが拙者の偽らぬ気持ちだ」


 そう言うと、医師はぐすぐす涙ぐんだ。


「最終段階にまできて、減るかわりに得たものもあるんだ。ほら」


 そう言って、一割がた残っている白いラベルのウイスキーの角壜を見せた。

 さきほど、追い詰められた人間は不幸で酔っ払えるうんぬんと述べたが、やはりそんなわけはなく、彼もまたアルコールの力を借りていた。まあ、そういうこともある。


「それに本当の理解者に出会うことができた」


 そう言って、かつての病院経営者は影丸の肩をパンパン叩き、今晩はここに泊っていくといい、影丸としては思いきり遠慮したかったが、なんだかこの男が気の毒になってきたので、仕方なく、何かあったらすぐに目を覚ませるように旗に寄りかかり、座ったまま寝た。


 翌朝、影丸の目が覚めると、そこには白骨死体が一体転がっていた。


 死ぬほどびっくらこいたが、よく見ると、その骨はボロボロになった褐色の服をまとい、干からびた腱でかろうじてつながっている左手にはウイスキーの壜を、右手には三十二口径の回転式拳銃、頭蓋のこめかみに一発の穴……。


 さて、ここからがミステリーである。

 昨日、話をした白衣の男がいないのだ。

 そのかわりにこの骨が転がっている。昨日、休む前にあたりの地平に目を配り、また高速道路によじ登って、人がいないことを確認した。


 誰もいないのだ。

 では、この骨は誰のものか……。


 あの男が昨夜死んだとして、いくらなんでもこんなにすぐ骨にはならないだろう。

 つまり、昨日話したのは……、


 影丸はきゃいん!と鳴いて飛び跳ねると、高速道路を支えるコンクリートの柱の後ろに隠れた。見習いでも手練れでもお化けは恐い。


 だが、自分は祟られるようなことをしただろうか?

 昨日、寝る前にあったことをひとつひとつ指折り数えてみたが、感謝こそされども祟られるようなことをした覚えはない。


 そうは言っても気持ち悪い。

 お祓いしてほしいが、こんな世界に神社があるようには思えない。


 ああ、嫌だなあ、という気持ちを抱えつつ、影丸は水をちびちび飲みながら、熱砂の彼方目指して出発した。

 どうもまだ姫は拗ねているらしく、光の道を差してくれない。

 こんなふうに自分の足跡すら消えてしまう土地では方向感覚がパアになって、知らないうちに同じところをぐるぐるまわることもありうるのだ。


 そんなもの自分の影を見ればいいだろう、と批難する向きもあるが、自分の影ですら砂に落ちる前に蒸発してしまう砂漠をしゅたたたたた!と走っているのだ。もう、こうなると生まれながらの方向感覚にすがるしかない。


 自分が西に向かって走っていると分かったのは、その日三十回目の休憩をとっているころだった。

 冷めゆく大気を熟れた柿の実のように転がり落ちる夕日が最後の一刺しを砂漠へ送り、万物の影が引き伸ばしたように砂へ曳かれるのを見ていると、ようやく姫も機嫌をなおしたのか、光の矢印が道をひいた。


 なんだか、その道は歪んだというか、ブレているというか、まあ、まっすぐというわけではなく、姫もまた影丸を許すかどうかで心が揺れているのだろう。この怒りは今朝がた続いているので、姫は思ったより執念深いお人のようだ。光の導きをブレる動きも丁寧にとりながら歩いていった。


 町娘をさらおうとする悪漢を倒した後、「あの! お名前は?」ときかれたときに何とこたえようか考えながら歩き、ここは伝統的な「拙者は一介の影。名乗る名などありませぬ」というのがいいかなと思う一方で影と言ってしまったら、名前の半分を教えることになるではないかと思い、じゃあ「拙者は一介の忍び」というのも、なんだかなあ、やはり忍びを影と言いかえるからこそ映える場面だなあと思い、このふたつの案のあいだで揺れ動いていると、何か固いものとぶつかって、発動させるつもりもなかった変わり身の術が発動した。


 五回に三回の外れをひいて、結局何も起こらず、影丸が尻餅をついただけという、ちょっと情けない動きをするハメになった。


 自分にこんな恥をかかせたのは何者だと思って、立ち上がると、それは小さな灯明皿を入れた石灯籠だった。なんと見てみれば、同じような灯籠がならんでいて、飾り気のない鳥居まで続いていた。驚いたのはその神社はさらさらと葉擦れを鳴らす大きな影に取り囲まれていて、手水舎ちょうずやからあふれ出るサラサラという音と重なって、さらサラさらサラと響いてくる。手水舎から流れる水の音なで響く、なんて言うほど大きな音がするわけがないが、砂漠の荒野では水に関する音はどんなものも敏感にききとるよう耳が順応する。これがあっていっぱしの砂漠人間になるわけで、まだ見習いの影丸も砂漠人間としては一人前の免許皆伝の独立国家になったわけだ。


 しかし、こんな神社を見逃すだろうか?

 確かにかっこいい台詞を考えていて、ちょっとだけ注意がおろそかになったのは認めるが、それでもこんな鎮守の杜を丸ごと背負ったような神社を見逃すほど油断していたわけではない。

 だいたいここは真っ平なべた薙ぎの砂の海。土地の起伏で見逃すとは思えない。


 まあ、これは怪しいなと思ってはいたが、見れば光の道は神社の境内を指している。そして、神社のまわりをぐるっと時間をかけて、しゅたた!すると、なんと光の道は神社を指し続けたのだ。


 つまり、タイラ・ミナモト製作所か鏡がある。

 そして、神社という立地上、あるのは鏡だろう。


 神社のものを持ち出すのは、まあ、よくない。

 だが、時に忍者は汚れ仕事に手を染めることがあるものだ。

 それに鏡は幻夢斎を倒すのに欠かせないのだ。


 こっちの世界でも他人様に迷惑をかけているあの外道に引導を渡すためなら、きっと許してくれるだろう。


 ついでに昨夜の幽霊についてもお祓いしてもらおう。


 歪に震える光の道に従って、境内に入っていく影丸を、本物の光の道が引っぱるように逆方向に伸びていた。

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