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 影丸はどうも、ネオンというのは『踏んで飛ぶための場所ですよ』と主張するためのものだと思っている節がある。

 戦略的マーケティングとかサービス・ドミナント・ロジックなどというものがなかった彼の時代、大衆に自分の売り物をアピールするには芸を仕込んだ猿が一匹いれば十分だった。だから、ネオンサインに広告というものが託されているとはこれっぽっちも思わなかったのだ。


 影丸がハシヅメに案内された商店街はまさにそうした宣伝用ネオンが大量消費で社会を支えることを是として、衝動買いの殿堂みたいな場所だった。ネオンが点滅するたびに道は青、赤、緑、黄の光で塗り替えられた。そのせいか姫が指し示す光の道がまったく分からなかったが、しかし、タイラ・ミナモト製作所の場所は分かっているのだから、ここはいっぱしの忍びらしく、動じず、対峙のときに臨めばよろしい。それまではあちこち眺めてみるのもいいだろう。なにせふたつの目的のうち、ひとつはもうかないそうなのだ。


 しかし、街並みに目をいかせたくとも、さて観察しようと思ったところで、あちこちにぶら下がったスピーカーが政府の標語をべらべらとばらまくので、どうも気が散った。


『今月は金属供出月間です。金属を政府に差し出して、名誉バッジをもらいましょう!』


 さて、だいぶ降りた下町のような治安の悪い場所では一時間ごとに十分の一、十分の一と価値を失うインフレ紙幣はとっくに見限られ、貨幣が使われていた。


『貨幣を使うことは犯罪です。すぐに政府紙幣に交換しましょう!』


 だが、明らかに趨勢は貨幣にあった。タコ焼きひとつ買うのに人は小さな銅貨を一枚渡すだけで取引が完了するのだ。しかも、タコは本物のタコである。


『本物のタコを使ったタコ焼きは法により禁じられています。タコ焼き製造業者は政府農場製の合成タコの足を使用し、本物のタコを使っている業者を見かけたら、すぐに政府に通報しましょう!』


 ハシヅメがこっちのほうが近いからと奥行きのある店のような場所に入っていくと、そこには奇妙なものが並んでいた。立てた板に釘を何本も打ち、それをガラスで蓋して、小さな金属の玉を転がすもので、これは何かとたずねると、ハシヅメはパチンコだとこたえた。


『政府経営の賭博機械以外で賭博を行うことは禁止されています。政府認定を受けた賭博機械で遊びましょう!』


 小さな銅貨一枚で玉を買い、それをバネで弾いて、賞品口と呼ばれる穴に入れるという大袈裟なものをこさえたわりには決まりの簡単な遊戯だ。影丸からすれば、どう考えても、これは言葉もおぼつかぬ童の遊びだと思うのだが、ここではいい歳こいた大人が血眼になっていた。サングラスをかけた怪しげなチンピラや勤め人風の男、赤子を背負った女といった具合でパチンコ屋は大盛況であり、この玉が百個あれば〈からあてれびじょん〉なるものがもらえるということだが、景品交換所に座る男も含めて、誰も〈からあてれびじょん〉が何であるのか分かったものはいなかった。


『今月は金属供出月間です。金属を政府に差し出して、名誉バッジをもらいましょう!』


 ――まあ、名誉バッジよりは素敵なものだろう。


 その後、『防諜』とか『通牒は死刑』とか忍者からすれば噴飯物の効き目なき張り紙がされた小道を抜けて、また露店やら小さな店やらがトタンと朽ちた木材で立ち上がっている通りに出ると、ハシヅメは〈からあてれびじょん〉が何であるのかを知っていると言った。


「動く絵を見せる箱なんです」


「動く絵? 影絵芝居のようなものか?」


「似ていますが、ひとつ違うのは、その箱の絵には色がついてるんですよ」


「むう」


「何でそんなものを手に入れたかというと、全く変な話なんですけどね、ミキ・ヤスカズ先生の、もう名前も覚えていませんけど、まあ、とにかく性的な表現が露骨な漫画が手に入ったんです。いや、別の忍者漫画を何冊かまとめ買いしたら、なかについてきたんです。こっちとしてはあまり取り扱いたくないなと思っていたら、ある老人がそれを売ってくれと熱心に頼んでくるんです。稀覯本だったらしいんですけど、あんなエログロナンセンスのダメ本でお金をもらうつもりはないので、タダで差し上げますと言ったら、その老人が何か勝手に感激して〈からあてれびじょん〉を置いていったんです。お代のかわりに、どうしても払いたいと言って。それで、まあエレキをつないで、その箱の絵を見たんですけど、文明が崩壊する前の、すごく下らない人形劇を延々と流していて、うんざりしたところで、ある老人がやってきて、その〈からあてれびじょん〉を譲ってほしいと言ってきたんです」


「それはもしや最初の老人と同じか?」


「いや、違います。僕もそのときはもしかしたらと思ったんですけどね。で、その老人にですね、僕はこれこれこういう漫画と交換でいいですよ、と言ったら、次の日に本当に手に入れてきたんですね。それが『風魔の影丸』。そう、僕が手に入れた一番の忍者漫画なんですよ」


「ほう。そのまんがを描いたものはなかなか良い眼をしているな」


「やっぱり忍者は影丸って名前が一番かっこいいですからねえ」


「ハシヅメ殿はなかなか忍びを分かっている」


「ありがとうございます。と、まあ、こんなわけで僕は〈からあてれびじょん〉を知っているわけです」


 だが、知らないこともある。テレビにはツマミがあり、それを『弐』にまわせば、文明崩壊前に制作されたアニメ『風魔の影丸』を二十四時間ぶっ通しで見ることができるのだ。人間、知らぬうちに大きな獲物を逃すこともあるし、知らないほうが幸せなこともある。そして、何のきっかけでそれを知り、血の涙を流すほどに悔しがるハメに陥るか分からない。この親切な忍者漫画専門店の若者が残りの生涯、アニメというものを知らずに過ごすことを祈るしかないのである。


 影丸は路地を歩きながら、この都には忍びのようなものはいないのかとたずね、ハシヅメは忍者には数段劣るが秘密警察というものが存在していて、あちこちにスパイを放って、政府を悪く言うものがいないか見張っているということだった。

 しかし、ここでは硬貨が当たり前のように流通しているのだから、秘密警察の力も限界がある。少なくともこのあたりで秘密警察のスパイが見つかると、厄介なことを密告される前に殺っつけてしまうのがたいていなのだそうだ。というか、スパイでないものも殺っつけられる。誰かを見ながら手帳に細かく何かを書いたり、ふたりの男がコートの襟を立てひそひそ話をしたりすると、やれ、こいつはスパイだ、ぶっ殺しちまえ、とスパイを遺棄するための古い井戸に放り込まれるのだ。


 しかし、秘密警察を屁とも思わぬ住民たちに心底恐れられている役人がいる。

 それは債権回収局だ。つまり、借金をして払えないものの資産を全て差し押さえ、紙幣一枚、髪の毛一本見逃さず回収する。たいていはそれでも借金は返し尽くせないのでたいていは債務監獄にぶちこまれる。債権回収局に襲われれば、パチンコ玉ひとつすら残らず空っぽにされる。


 そして、タイラ・ミナモト製作所は空っぽだった。債権回収局の緑色の差し押さえ札が貼りつけられ、完全な夜逃げ状態。もちろん、シェルターを開ける手がかりなど残されていない。


 さて、債権回収局の児童就労に対する考え方と仕事に伴うリスクに対する考え方は謎である。というのも、局がタイラ・ミナモト製作所に派遣したのは大きな軽機関銃をもった少女だったのだ。

 債権回収局の制服を着ているので局の人間であることは間違いないが、この少女、債務者を探して、唯一残った家具である机の引き出し――縦30×横40×高さ8センチ――を開けまくっている。

 探偵漫画の愛好家でなくても、ああ、これは何か厄介なことが起こるぞと推理できる状態だ。


 ここはくるりと方向転換して、全てを見なかったことにするのが正解だ。

 だが、影丸もまた希望を簡単に捨てるような忍者ではない。30×40×8センチの引き出しにタイラ・ミナモト製作所の関係者が隠れていて、あの鉄の扉を魔術のごとく開けてくれるかもしれない。


「御免!」


 そう声をかけると、少女がびくっと一瞬驚いて、振り向いた。

 債権回収などという仕事をしていると、その表情はだんだん陰険で情けを知らないものになっていくものだが、この少女の顔はまだあどけない。つまり、債権回収局での仕事は始めたばかり。見習いである。


 見習い忍者と見習い軽機関銃娘がお互いを見つめ合う。


「あなた、何者なの?」


「おぬしこそ、何者だ?」


「わたしは債権回収局の人間よ」


 これはなかなか巧みな返答だった。確かに彼女は債権回収局の人間だ。本当は見習いだが、債権回収局に籍がある。さらに彼女は前は倫理局警備隊の見習いをしていて、さらにその前は政府軍の機関銃部隊で見習いをしていて、さらにその前は文部検閲局の書物焼却部隊の見習いをしていた。この歳で三つの役所からお払い箱のたらいまわしを食らったことも巧妙に隠蔽されていた。


「さあ、あなたの番よ」


「拙者は忍びの影丸。タイラ・ミナモト製作所を探してここまで来た」


「身分証明書を見せなさい」


「そのようなものはない」


「……なら、力ずくで見せてもらうわよ」


「力ずくで来られてもないものはない。だが、その意気やよし。かかってまいれ。こちらも忍術で相手しようぞ」


 少女は手榴弾を投げてから機関銃を連射しつつ突撃という敵ながらあっぱれな命知らずの戦い方をし、影丸も火遁の術や雷迅の術、手裏剣の乱れ投げなどで受けて立つ。

 ふたりはネオン街で、列車の上で、産業博覧会の会場で、政府高官が集まる高級娼館で、乱射し爆破し転がりまわった。

 なぜ彼女が三回もたらいまわしを食らったのかがこれで分かる。


 その勝負を最初から最後まで見ていたハシヅメ氏は影丸が木の葉隠れならぬ忍法インフレ紙幣隠れをしたり(このせいでさらに三万パーセントもインフレが深刻化した)、必殺の暗殺剣、影一文字を放ったり(影丸はまだ見習いなので全殺しはできず、よくて半殺しだった)と、手に汗握る勝負だった。


 細かい戦況を省いて、結果から言うと引き分けだ。

 あちこちに経済的損失をもたらしながら戦うふたりはこの都市の危険人物とみなされ、ぶち殺そうにも危なくて近づけないので、強制排出機械によって追放された。

 この人間を無理やりカプセルに詰め込み地表の砂漠めがけて打ち出す機械によって追放されるまでにふたりがもたらした損害はネオン877、露店230、車両82、産業博覧会の出品物300ぴったり、ガラス2908枚、この都市で信仰される巨大招き猫がひとつ、他多数。

 被害総額は紙幣計算で34無量大数むりょうたいすう1991不可思議ふかしぎ7768那由他なゆた7454阿僧祇あそうぎ4560恒河沙こうがしゃ9149ごく9315さい8763せい1563かん1324こう8923じょう28245879がい4596けい8099ちょう4572おく8541まん9306円。計算しているそばからインフレをしているので、これが正しい額ではないが、これより下がることはありえない。ただ算出係が三十人、サービス残業を何十日とさせられ『くそくらえ、おれはやめるぜ』と出ていったので、もはや正確な額は誰にも分からなかった。

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