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赤ネオン『生死を問わず』は賞金稼ぎたちの集まるガラクタの塊だった。
賞金稼ぎたちはここに賞金首を倒したことを証明する物品なり体の一部なりを持ち込み、自分の手柄を弾丸に替える。賞金稼ぎと匪賊の違いは分からないほど見た目が寄っていた。どちらも凶悪そうで世界が砂漠化していなくても老後に備えた貯蓄などのかわいらしい保身など一切図らないであろう、ギリギリの死生観の持ち主だった。見習い忍者の影丸でさえ自分の将来設計をしていて、忍びの里でみなに尊敬される忍者としてうんうん頷いている未来を想像して、ホクホクした気持ちになるのだ。
「御免!」
と、賞金稼ぎセンターのトタン扉を開けると、金網で囲まれたカウンターの向こうから若い男がポンプアクション式ショットガンを構えて、「そこで止まれ!」と叫んだ。影丸が見たことのない火縄銃で、そもそも火縄がなかった。だが、大きな蛮刀を手にした男が胸を穴だらけにされて倒れているのを見ると、これを相手に五回に二回成功の変わり身の術に命運を託す気にはなれなかったので、懐柔も忍びの技だと思い、自分はただ、名もなき一介の影に過ぎないと言ってみた(もうこれまでさんざんいろんな人に自分は「忍びの影丸」と名乗ってきたことは都合よく忘却された)。
すると、青年の頭の上に縁が滑らかな吹き出しがふたつ、天使の青年と悪魔の青年があらわれて、それぞれの意見を表明した。さすがに他人の吹き出しまで見ることは影丸にはできなかったが、なんとなくふたつの意見のあいだで今後の行動方針がぐらぐらしているのは分かった。これはもう助かったようなものだな、と思う。
だが、天使の青年は「葬式で親が顔を見られるよう胸を撃とう」と言っていて、悪魔の青年は「そんなことかまうこたぁねえ。顔を吹っ飛ばしてやれ」と言っている。
そこで天使の青年はまず胸に撃ち込んで、次に顔を吹き飛ばすという手を考え、天使と悪魔の意見を止揚させたのだが、そのとき、影丸は自分の首巻きにまだ絡まったままのロケット弾をひょいと持ち上げて、
「あと、うまい寿司を食べにきた」
と、言った。
非常にスバラシイ購買能力を持つロケット弾を見ると、青年はショットガンをカウンターの下に戻し、恐怖と殺人衝動にひきつった顔の前でさっと手を滑らせて、営業スマイルを顔に貼りつけると、
「賞金稼ぎセンターにようこそ!」
影丸を接待せん勢いで応対し始めた。
「探している賞金首とやらがいる。そのことで知っていることはあるか、問おう!」
「うん。賞金首の情報だね。ちょっと待ってくれ」
何か情緒が不安定なのではないかと思われる豹変ぶりで、影丸のそばにはまだ胸に散弾を食らった無法者の死体があって、そろそろ臭い始めていた。受付係の青年はこんなこと日常茶飯事でこの世界では人は日によって死んだり生きたりするんだ、と言わんばかりに先ほど発生した正当防衛殺人事件の結末を無視した。
この賞金稼ぎセンターでは誇らしいことに賞金首のポスターなどという前時代的な手法を捨てていた。
なかに光源を入れれば、大きく情報が表示される投影機があり、青年は早速、専用のカンテラを投影機にセットして、白いペンキで塗ったトタン壁に賞金首の写真と名前とやった罪についての情報をでかでかと、ジグザグに表示した。
なるほど、この世界にはいろいろな賞金首がいた。クズなやつ、ゴミなやつ、人を殺したやつ、食い逃げ常習犯、マッドサイエンティスト、安いやつ、高いやつ、割りに合わないやつ、報酬に上乗せ褒賞がつくやつ、報酬から会員維持費をとられるやつ、一匹狼、つるむやつ、ずるいやつ、馬鹿なやつ、マジで馬鹿なやつ、すっげえ馬鹿なやつ、すっげえすっげえ馬鹿なやつ。
そして幻夢斎だが、これは『物凄く高いやつ』と『すっげえ強いやつ』と『すっげえすっげえ長いやつ』が合わさっていた。影丸はこのスライドを見たとき、首を傾げた。自分と姫、それに幻夢斎がゆるやかに続く青い光の道から転がり落ちて、この砂漠にやってきたのはほぼ同時のはずだ。それなのに幻夢斎はここで三十年、悪事を働き、長いこと鋼鉄貫通弾百万発の賞金をかけられていた。
何かのひっかけがあるのではないかと、じっ、と見ていると目がチカチカしてきた。幻夢斎は他の賞金首と違って、顔の絵が載ってなかった。だが、それは問題ではない。影丸は幻夢斎の顔を知っている。細面で病弱そうだが、その心身は邪悪な術に染まり、その気配は隠しようがない。
その三十年うんぬんの問題はとりあえず置いておいて、その幻夢斎が彼が追っている幻夢斎であるかを確かめなければいけない。だが、幻夢斎を倒すためには鏡が必要だ。それにあまり姫をシェルターにひとりにしても置けない。タイラ・ミナモト製作所はどこにあるのか?
精神不安定な受付の青年にきいてみると、幻夢斎は巨大な戦艦でこの砂漠をうろつきまわり、悪さをしているという。きけば、戦艦とは巨大な鉄の船であり、別に砂漠に落ちたゴマ粒を探せと言われているわけではない。
なんだか、影丸は出来事がよいほうに転がり、これならば、自分にちょっとご褒美をあげてもいいのではないかという気がしてきた。K通りとV通りの真ん中にいるサカタという男にこの首巻きに絡まったゴミを渡せば、寿司になるというきつねに化かされたみたいな話を思い出し、早速、このサカタを探してみることにした。K通りとV通りは真ん中にバラックが固まった交差点でそこで信楽焼のたぬきみたいに突っ立っているのがサカタだった。開襟シャツから覗かせた太い首に汗と砂の混じった筋を走らせたこのマフィアのボスめいたヤミ屋は〈養殖鯉の浮袋をいくつもつぶして伸ばしてつくった扇子一本で対面積比に於いて絶望的な自身との戦いに身を置いていた〉――つまりすっげえ太った自分の体を扇子一本でなんとか涼しくしようとしていた。
しかし、太っていることは元気の印である。もちろん限度があるが、影丸のいた世界では太っていることと健康なこと、金持ちであることは同じことだった。それは砂漠の世界においても同じであり、このサカタの信楽焼具合はまさしく彼が食べ物について非常に恵まれる立場にある。もちろん、さっきのバカタレみたいに影丸を罠にハメる可能性はある。だが、あの罠だって、結果的には幻夢斎の存在を知らせてくれたわけだし、あの状況だって彼一人で切り抜けることはできたであろう。なにせ一度は負かしている連中である。
一番の被害は食欲増幅であり、彼はもう兵糧丸みたいなバサバサでボロボロでとにかくしょっぱく喉の乾くものでこの飢えを満たす気はなかった。なんとしても寿司を食べねばならぬ。そういうしゃばっ気が見習いの考え方なのだが、影丸はこの手の理屈をこねまわすことに慣れていた。いまの場合だって、この下らぬロケット弾で寿司が食べられるということは、敵の心を利潤でつかみ、こちらのいいように操る、まさに金遁の術ではないか? だって、どう考えても首巻きにからまったゴミよりも寿司のほうが価値がある。わけのわからん代物で寿司を得ることで自分は満腹の体を手に入れ、精神的な範囲での飢えからも逃れ、任務遂行により有利な立場に立つ。これぞ、忍びの本道!
この手の自身への暗示もまた忍びには必要なのかもしれないが、影丸の場合、どうもしゃばっ気が見え隠れする。しかし、嘘も百遍唱えると真になるという。彼が金遁の術だと言うならば、別にいいではないか。見習い忍者がこの砂漠の真ん中で寿司を腹いっぱい食べることに誰が迷惑をかけるだろう?
「御免。サカタ殿とはおぬしか?」
サカタは扇子でパタパタ仰ぎながら、いかにも、とこたえた。
「このゴミで寿司が食べられるときいたが、まことか?」
「ロケット弾をゴミって言うとはお前どこの星の生まれだ? まあ、いい。ついてこい」
そういって、K通りとV通りの真ん中でこんもり山をつくるトタンと瓦礫の迷宮へのそのそ入っていった。ここまではさっきハメられた構図と同じだが、今回は謎の少年剣士のお墨付きがついている。なぜか、影丸にはあの剣士が自分をたばかるようには思えなかった。あれだけ見事に人を斬るものが下らない騙し討ちにいちいち関わるとは思えない。なんとも忍びらしい考察をしているが、まあ、実際のところは腹が減ってるだけなのだ。
サカタの幅の広い体は歩くたびに右にドシン、左にドシンとトタン板にぶつかり、そのたびにこの迷宮全体がぐらぐらと揺れた。なんとなく影丸は先ほどの考察を撤回し、やはりハメられたのではという説を引っぱり出したくなった。先人の言葉に『狡兎死して走狗烹らる』というのがあるが、寿司にありつけるまでハメられた説を煮て食ってしまうのは待ったほうがよさそうである。まあ、いざとなったら煙り玉を投げて相手の視界を奪った後、左右の壁を蹴飛ばしながら逃げれば、K通りとV通りに出るまでにサカタの始末はふりかかる瓦礫がつけてくれるだろう。優れた忍者はその場にある環境を武器にするのだ。
だが、サカタが寿司と関係あると思わせる。スバラシイ証拠が間もなく影丸の目の前に現れた。
池である。淡水の。緑に濁ったとはいえ、池である。周囲は荒れ狂うトタン建築の高みに隠れて見えないが、ここには貴重な水源が存在したのだ。その貴重さはサカタも分かっているらしく、愚連隊が二十人、背に〈サカタ組〉の染め抜きがある半纏、手にドスと回転式拳銃、カミソリを仕込んだハンチング帽をかぶり、腹巻に二本の柄付き手榴弾という重武装で池をぐるりと取り巻いている。
さらに高い位置には空冷式の重機関銃が小銃弾三十発をつけた保弾板をつっこまれ、水をひと口でも飲もうとするよそものを蜂の巣にせんとしている。影丸にも分かりやすく説明すれば、この兵器は小判でつくった手裏剣を一分間に四百五十枚も投げ放つことができる経済大国の最終兵器なのだ。
とはいえ、この機関銃は一度に三十発ずつしか連続で撃てないが、機関銃手の隣には替えの保弾板を構えた再装填手がおり、一分間四百五十枚は無理でも、三百七十枚以上は確実に放てる。もちろん小判で手裏剣をつくった戯けた忍者はいないが、仮に小判手裏剣が存在していたら、見習い忍者の影丸はとてもではないが触れることは許されないだろう。忍者というのはあまりお金がない。お金がないから忍術をもって雇い主を探すのだ。お金があったら、辛い忍術修行などしないで、自分が大名になっている。
この池を囲むガラクタには階段がついていた。貧弱な腐りかけの木材でつくられていて、サカタの巨大な体が階段を上るとなるとこれはもう狂気の沙汰としか思えない。サカタが階段を上った先には小さな踊り場があり、そこの扉の上に〈露天商業者組合〉というブリキ看板がかけてあった。寿司屋の号としては変わっているが、そもそも世界がガラッと変わっているのだから、そういうものなのだろう。この〈露天商業者組合〉はこのマーケットで一番の寿司屋なのだ。A通りの〈鮨政〉やコンパル通りの〈タイ勘〉のように蒸した雑穀粉を練って細かく刻んだものを米と偽ったりしないし、そんじょそこらのおからの握りとは比べるのも失礼な銀シャリである。もちろん雑草煎じなど出さないし、サバクなんちゃらという名前の動物をネタにしない。
〈露天商業者組合〉は大勢が一度に食事をすることを考慮されていない狭い店だった。陶器の注ぎ口に小さな人魂みたいな灯を点すカンテラがカウンターにおいてあり、本日のネタも値段の札もない。時価という、あの一般庶民を戦慄させる呪いの言葉もない。あるものをその日の値段で握る。いいネタが仕入れられなかったら営業しない。こうでなければ、うまい寿司は食べられないのだ。
カウンターの向こうにいる寿司屋の大将はつるつるの頭にねじり鉢巻を巻き、たった二回握っただけでシャリの形が整って、そこにのせるネタはなんであれ、そっとシャリと馴染んでしまうのだが、それだって小さすぎず大きすぎず、横から見たらきちんと扇型におさまっている。
さあ、頼もうと思ったとき、サカタが口をひらいた。
「ここは誰からきいた?」
「サムライだ」
「サムライ?」
「白いサムライだ」
「ああ、あいつか」
それだけだった。
サカタは影丸の首巻きからロケット弾をほどいて、自分のポケットに無理やり押し込むと、好きなものを好きなだけ握ってくれ、と言って、自分は外に出た。
「じゃあ、何から握りましょう」
「むう。では、コハダを所望いたす」
「へい」
以前からコハダを食べてみたかったのだ。煮ても焼いてもまずい魚が寿司にするとうまくなる。ゆえに寿司屋の熟練度はコハダで決まると言っても過言ではないのだが、これがやはりうまかった。もう、二度とこんなにうまいものと巡り合えないかもしれないと思うと悲しくなるほどうまかった。
こうなると水のない文明崩壊世界における仕入れの腕を試すような注文の数々が飛ぶ。
鉄火巻き。しまあじ。えんがわ。ウニの軍艦巻き。タコ。甘えび。あぶりあん肝。タイ。貝柱。白魚。玉子。あなご。あおやぎ。かっぱ巻き。むつ。ねぎとろ。ひらめ。ハマチ。さざえ。しゃこ。アオリイカ。スズキの白子。たらばがに。さば。あいなめ。かじか。こち。岩魚。釜揚げしらす軍艦。あゆの姿寿司。カマスの姿寿司。あじ。鱒。かにみそ。まぐろ。きす。
ネタの数だけ奇跡があった。
握るほうも握るほうだが、食べるほうも食べるほうで、熱いお茶をすする満腹幸せ見習い忍者の足元では正しい道を示す青い光の矢がとっとと旅を再開しろとせっついている。
「ときに大将。ききたいのだが」
「へい。なんでがしょう?」
「鏡を知らぬか?」
「さあー?」
「では、タイラ・ミナモト製作所は?」
「それなら、あっちにありますぜ」
そう言って指を差した方向は姫が念じて送る光の矢と寸分違わなかった。
物事はどんどん良いほうに向いている。首巻きに絡みついていたゴミがなくなったおかげで首が軽くなり、胃袋は重くなる。それにタイラ・ミナモト製作所もどうやら近くにあるようだ。
「姫。この影丸、必ずしや姫をお救い申し上げます。それまで、どうかご辛抱を」
と、改めて覚悟を決めながら、熱い茶をふうふうと吹いた。