23
東に陽が沈み、夜が西からにじみ出る砂漠にその社があった。
丹塗りが剥げた鳥居と枯れた手水鉢。割れ歪んだ石の参道。
「おいで」
影丸は鏡を胸に抱き、ただいざなわれるまま参道を歩いていく。
その顔には白い能面がぴたりとはまっていた。
粘っこい煤の塊が石畳から染み出て、天地を逆に滴り昇り、バラバラに裂けながら、あべこべの空へと溶けていく。
「おいで」
影丸はこくりとうなずく。
彼の歩く先には倒れかけた祠があり、その上に煤の渦が尾のような筋を巻きながら、影丸を吸い寄せていた。
影丸の十歩後ろの空間にヒビが入った。
そのヒビは大きくなり複雑になり、様々な形の四角形がバラバラと落ち始めると、
「影丸!」
チアキが叫んだ。
「ころせ」
ザラザラした声が命じる。影丸が忍び刀を抜き、チアキに襲いかかる。
胴を狙った払いを抜き様に防ぎ、そのまま抜き放った刀を上段から打ちおろすが、影丸はまき菱をまきながら後ろへ飛び退き、間合いから体を外す。
だが、その頭上と左の空間が同じように裂けて、アカネとレンがあらわれた。
アカネは既に抜刀していて、刀身半ばの峰に手を添えて、影丸の顔から能面だけを真っ二つに切り剥がした。
能面と同じように表情を失い、瞳が暗くこずんだ影丸はすぐに逆手持ちした刀で逆袈裟に斬り込んだが、アカネの刃がハバキまで一寸のところで防ぎ、柄から外した左手で影丸の右腕をしっかりつかむと、足を払って地に倒した。
「影丸ちぃ! 目ぇ覚ましんしゃい!」
だが、アカネのつかんでいた腕が葉を払った楡の枝に変わる。変わり身の術だ。アカネは右に転がって、真上からの田楽刺しをかわす。
レンは煤の渦に機銃弾を撃ち込んでいた。
「レン、かわせ!」
ぐるっと振り向くと、機銃の先につけた銃剣が火花を散らし、八方手裏剣がレンのつま先近くに刺さった。
「あぶなっ! もう怒った!」
「レンちぃ、影丸ちぃを撃ち込んだらいかんぞに!」
レンが弾倉ひとつ分の掃射をぶち込んだが、影丸が避けることは想定済みだった。
だが、転がった鏡の上を飛ぶかどうかは二分の一の確率だ。
レンの銃火が鏡で跳ね返り、その光が影丸の顔に差した。
そのとき、影丸が一瞬動きを止めて呻く。
シラジラの里で一、二を争う詰めの動きが鏡をさらい、その鏡面を影丸の顔に突きつけた。
影丸と鏡のあいだで光と影が激しく行き来し、まるで鏡に吸い込まれた影が、光となって影丸のなかへと戻っていくようだった。
「グアアア!」
顔をそむけようとするのは無理やり押さえつけ、影が全て排出される。
目を閉じ、ぐったりとしていた影丸は仲間たちにささえられ、意識を取り戻した。
「むう。――ん? おぬしら、なぜ、ここに?」
「まったく、きみは世話が焼けるね。でも、詳しいことは後だ」
見れば、煤の渦は地面に降り立ち、手足のようなものが生えかけている。
地下の列車で感じたものと同じ邪悪な気配。
それが幻夢斎であるとは言わずとも知れる。
チアキが鏡を幻夢斎へ突きつけた。
その煤から影が引き抜かれ始め、煤の中身が表れ始めると、影丸はその中心へと苦無を放った。
ぐしゃりと考えていたよりも大きな音が鳴り、空間に叫び声が満ちる。
夕闇が震え、祠が崩れ、最後の煤の一滴が吸い込まれた瞬間、鏡は白い光で全てを照らし出した。
その眩さに目をつむり、光が引いたとき、影丸たちは扉の開いた〈しぇるたー〉の前にいた。
「むう。幻夢斎は? いずこに?」
レンが下を指差した。
そこには一匹の邪悪な鼠が苦無に刺し貫かれて絶命していた。
――†――†――†――
三人の姿は割れた虚空に見えていた。
きけば、突然、目の前の空間が割れて、そのなかで影丸が幻夢斎らしき邪悪なものに魂まで抜かれているのを見つけたらしい。
「その鏡は空間や時間をつなげたり、閉ざしたりする力があるみたいだね。きみもお姫さまも幻夢斎もその影響でこの世界にやってきたんじゃないか」
「おお、チアキ。おわら、知恵っぽいぞ」
「わらは昔から知恵っぽいぞに」
「と、いうことはやはり鏡があれば拙者と姫はもとの世界に戻れる」
「そういうこと。そんな鏡がやつの手に渡らなくてよかったね。それとそろそろ時間のようだね」
割れた空間がその破片をひとつずつ再生し始めたのだ。
「改めて礼を言う」
「こっちこそ。なかなか楽しかったよ」
「今度来るまでにかっとび火の玉弐号を用意しておくから」
「そぎゃん恐ろしい。影丸ちぃ、いつでも遊びぃ来るぞに」
「ああ。必ず」
空間が閉じ、砂漠に静寂が戻る。
海辺を去るときに断った未練が蘇りそうになる。
だが、それを抑える。
なぜなら、彼は忍者。見習いが取れた忍者なのだ。
くるりと百八十度向きを変えると、開いた〈しぇるたー〉の扉に向かって大音声をひとつ。
「姫! 忍者影丸、ただいま戻りました!」




