21
屋台のてっぺんの大凧を譲り受けて、その竹の骨組みにそれぞれ捕まって、サイザル麻のロープを切られると、そのまま賑やかな赤燈明の浮遊島を離れて飛んでいき、さらになぜか『勅命下る軍旗に手向かふな』というバナーがついてきていた。
そして、飛んでいるうちに夜が明けた。
つまり、四人はひと晩凧にぶら下がっていたわけだ。
しかも、彼らは刀や手裏剣や目くらましの玉や軽機関銃や弾薬がいっぱい入ったリュックサックを身につけている。
ときどき竹が危険なレベルでミシミシいうことがあったが、レンの運転を体験してからはそんなくらいで驚く三人ではない。
雲は彼らの足下で粗悪な絨毯みたいに広がっていて、その破れ目からオレンジ色の影がのぞいて、忍びの大凧はその色の彩りに誘われるように高度を下げていき、雲のなかに入った。
雲の下には夜明けの光で七色の宝石のように輝く世界で一番大きな水たまり――海が広がっていた。
「なんつう、大きな競艇場ぞにもし!」
チアキとアカネが声をそろえた。
ふたりがこれまで見た最も大きな水たまりと比較したらしい。
――†――†――†――
椰子の林が連なる浜を見つけ、大凧はゆっくりと浜を目指して、降下していった。
「ねえ。なんで下に下がっていくの?」
「それは拙者が操っているからだ」
「え? きいてない! わたしにもやらせて!」
椰子の丸太でつくった小さな町がその左右の町外れから入り江の腕を伸ばしている。
町の中心の日吏ばには豊富な水をたたえる自然の噴水があり、あふれ出た水は幾十の筋に分かれて輝きながら海に流れ込んでいた。
凧が地面に着陸、というより胴体着陸をしたとき、町じゅうの人間が広場に集まり、影丸たちを囲んだ。
とりあえず忍者に関する伝承がどのような形で伝わっているかたずねてみると、実在六割、非実在四割だった。
これだけでも六割の人間が影丸の味方になるということで、リンチは避けることができそうだ。
ゴーグルを首にさげた老人があらわれて、木の棒を拾うと、地面に漢字を書き始めた。
汝達何処人?
影丸が棒を受け取り、
西人
と、書いた。
老人はすぐ横にいた藁編み帽子の男に、
「こいつら漢字が分かるらしい」
「言葉も分かるぞ」
「うおっ、びっくりした。なんだ、しゃべれるならそう言ってくれよ」
「漢字を地面に書き始めたのはそのほうらだ」
「まあ、そうなんだが――で、どこから来たんだ? 西、だけじゃ分からない」
四人はそれぞれの出身地とこれまでの旅で立ち寄った町や出会った人びとについて説明した。
「また、ケッタイな場所から来たな。西のほうはそんなことになっているのか。まあ、いい。世界の果てにようこそ。見たことがないかもしれんから説明すると、あのデカいのは海と呼ばれてる」
「競艇場じゃないぞにもし?」
「世界を一周する競争に使うならそう言ってもいい。で、あんたたちは何をするために旅をしているんだ」
「タイラ・ミナモト製作所を探している」
「そりゃわしだが」
「ん?」
「わしがタイラ・ミナモト製作所のタイラだ。もうひとりミナモトってやつと一緒に製作所を経営している」
矢印はトタン屋根の小さな製作所にぶち当たり、花火を上げた。
この花火は影丸にしか見えないのだが、音はしていて、海に黒い雲が湧き上がっていないのに深く響いてくる音に町の人びとは小首を傾げた。
ミナモト老人が奇妙に歪んだ鉄の腕がいくつもついた機械を相手にハンマーをふるっているところに出くわした。
解体しているのか組み立てているのか判じ難いが、レンの顔を見るなり、
「げえ! 債務回収局!」
と、叫んで、謎の鉄くずを捨て置いて、あわてて裏手の窓から逃げようとしたので、タイラ老人と一緒に説得し、レンは借金取りから足を洗ったことを何とか納得させた。
「レン殿。もう戻らぬのか?」
「一度、空を見たら、もうあそこには戻れないわよ」
それでどんな用だ、とタイラだかミナモトだか分からないどちらかの老人が言った(ふたりは血はつながっていないが双子みたいによく似ていた)。
「実は我が主の姫君が〈しぇるたー〉なるものに閉じ込められてしまった。そして、それを開けるには貴公らの助力が必要だと書いてあり、そのためにはるばる旅をしてきた」
「わしらのひいひいひいひいひいひいじいさんが作ったやつだな。どんな型式か分かるか?」
「数字の並びを書いてきた」
影丸が紙片を渡すと、ふたりの老人はいくつかの型式番号を言ってみて、ついにひとつの〈しぇるたー〉に行き着いた。
「スパルタ八十二号シェルターだな。非常用オープン・キーがある」
そう言って、作業台の端にある棚から出したのは大きなカギのギザギザがついたラムネ壜大のパーツだった。
「その困ったらタイラ・ミナモト製作所うんぬんって書いてあるプレートに穴がある。それにこいつを差して、右にまわせばシェルターは開く」
「ん? これなら刺さっていたぞ?」
「は?」
「え?」
「……」
「……」
「じゃあ、それをまわせばシェルターは開くぞ」
「………………うむ! これもよい修行になった!」
「ぷっ。いや、きみ、とても馬鹿だよ」
「と、も、あ、れ! これで鏡とタイラ・ミナモト製作所のふたつを制した! これで後は姫のもとに帰還するのみ!」
「だが、帰るのはもう少し伸ばしたほうがいいな。ほら」
タイラ老人が開いた窓を指した。
そこから見える水平線は短気なカミナリ雲をもくもくと天球目がけて積み上げているところだった。
――†――†――†――
この砂漠世界において嵐とは砂嵐であり、雨嵐が存在するなどということは想像の範囲を超えていた。
水平線の黒雲が入り江の入り口を塞ぎ、海鳥の群れが形を変えながら飛び上がり、町の上をぐるぐる回っていた。空気はピリピリと小さな電気を放ち始め、猫のヒゲが立った。そのうち光と雷鳴のあいだの時間が縮み始め、その時間が限りなく零に近づいたときには海沿いの町には刀も研げそうなくらいの雨が横殴りに降り出した。
雷が入り江に落ちると、水が透き通り、時間が止まった。海の向こうに存在する白と黒、光と影だけの世界、空間を固定し、カミソリで無駄な色も濃淡も削ぎ落した世界がほんの一瞬だけ人びとにその姿を見せた。
乱暴な音楽で通りや広場を満たし、家のなかの人びとは大気に漂う電気と鼓膜を震わす雷鳴に活発になり、次の雷がいつ落ちるか、ワクワクしながら待っている。
雷がなるたびにかまどの火は狂ったように渦を巻き、雷鳴は転がり、削られた崖からは太古の恐竜の死に姿があらわれて、復権を唄った。
影丸は油皿の灯明が影をゆらす製作所の土間に座り、印字を切って、体に気をたくわえ、嵐の猛々しさに自分を解放した。吹き荒れる風、家の軒先を滝に変える雨、水は暴風に叩きつけられ、あおられ、一滴の雨は地面に落ちるまでに急降下と急上昇を何度も経験した。別の雨粒と溶け合うこともあれば、十の粒に分かれることもあった。雨はこの嵐のなかで真に自由な存在だった。いずれ、海か地に落ちることは確実だったが、それでも自由だった。落ちるまでの短い時間にどんな軌跡でも描くことができる。それは何者をもってしても変えられない真実であり、それが人の生を写したものだということを理解するのに時間はかからなかった。
閉じたまぶたを開けるのが重かった。
それに目をつむったままでも仲間たちが、この世に住む全ての人びとが自分と同じことを感じ取ったことは分かっていた。
そして、いま、嵐の後の途方もなく澄んだ空には太陽が砂漠では見せなかった温かい表情を見せながら、西の地平にゆっくり横たわり眠りにつこうとしていることを影丸は知っていた。




