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 この世界では人命は安いが、ツジギリ・タウンでは特に安かった。


 サムライ文化を誤った形で伝承した最悪の人殺したちが『斬り捨て御免』の言葉に酔いしれ、実に気まぐれに人を斬っていた。


 ツジギリ・タウンでは人間は血糊を入れたペットボトルに過ぎず、昼夜を問わずギャーッ、ギエーッの断末魔の叫びがきこえる。


 ツジギリ・タウンには大きく『武』の字をのせた掛け軸のもと、えい、やあ、と健全的に打ち合う道場がない。

 剣を鍛える道場は常日頃の暮らしの場で、ちょっとしたことで激高して「貴様、抜けぃ!」と叫ぶカタナ馬鹿を斬り殺して覚えるしかないのだ。

 しかし「貴様、抜けぃ!」はまだいいほうでたいていのやつはいきなり後ろから斬ってくる。


 新しい刀を手に入れたら三十人斬ってみないと良し悪しが分からないとか、勝てば官軍とか、泥酔状態で斬るともっと楽しいとか、ふざけた標語が町のあちこちに大きく書かれていて、住民の殺人衝動を煽っている。


 ツジギリ・タウンは世界滅亡前、国際刀剣博物館と国際刀剣鑑定協会と国際刀剣取引所があり、ちょっと砂を掘れば、刀が見つかった。

 こうして武士としての精神修養のない、お粗末な人殺したちが打刀と脇差を腰に差して、おれも侍だといっぱしの口をきき、マーダー・ライセンスまでもらった気になっている。


 こんな町とっとと通り過ぎるのが一番なのだが、水を補給しないといけない。


 そこで辻斬られないよう細心の注意をする。


 とりあえず、目が合わないようちょっとうつむく。

 さささ、と機敏に動く。

 肩と肩がぶつかりそうな狭い道は避ける。

 レンの軽機関銃を大きく見せびらかす。


 しかし、

 ――そらした目線をかがんでまでガンをつけ、

 ――さささ、と後ろからついてきて、

 ――広くて人通りのない道でわざと近寄ってきて、

 ――生まれてから一度も軽機関銃を見たことがない。


 そういう馬鹿侍がいた場合はどうなるか――猿叫である。


 チアキとアカネのきええええええい!とびりびりくる叫び声にのまれ、辻斬りはあっけなく逃げる。


 甲高い叫び声でビビるくらいなら、始めから辻斬りになどならなければいいのにと思うが、いかんせん馬鹿侍の考えること、シラジラ族の剣士には到底およびもつかない高尚な理由があったに違いない。


 逃げる馬鹿侍の背中に影丸がタイラ・ミナモト製作所はどこにあるのか知らないかとたずねるが、瞬きする間に、馬鹿侍は砂上に揺らめく小さな点となり、いまではその姿は消え、遠方より響く不発弾の爆音として、四人の記憶に残るのみである。


 影丸はタイラ・ミナモト製作所についての情報を集めるには酒場が一番だと言った。

 その酒場というのは崩れかけた椰子の柱に屋根のつもりで古びた赤トタン板をのせた三百六十度開放型の居酒屋で博打の無作法をした辻斬りがひとり、簀巻きにされて新物の試し切りにされているところだった。


「わたしは行かないわよ。どう見てもヤバいし」


「僕も行かないよ」


「拙者は行くぞ」


「うん。きみは馬鹿なのかな?」


「わらはくぞに」


「アカネ、おわら、なにぃ言わっときゃ?」


「影丸ちぃ、ひとりじゃ寂しいぞに。義を見てせざるは勇無きなりぞに」


「待ちぃ。このズクガタ。わらも行くぞに――ということで僕も不承不承ついていこう」


「つまり、このなかで正常な判断ができるのはわたしだけってことね。まあ、いいわ。わたしが保険業務を担当してあげる」


 レンのいう保険業務とはガソリンが入ったくろがね四起を盗み、ツジギリ・タウンから逃げる方法を確保するというものだった。


 レンが居酒屋に戻ったとき、トタン屋根は落ちて、柱が一本辻斬りを下敷きに倒れていた。


 お馬鹿なチンパンジー三銃士はというと、残った柱によじ登り、彼らを肝膾にして食ってやろうとする辻斬りたちの攻撃をかわそうとしていた。


 町の辻斬りの半分が集まった人間ミンチの試食会場にレンはアクセルペダルを踏みっぱなしにして突っ込み、数人の辻斬りを跳ね飛ばすと、ハンドルを右に切りながら、三本の椰子柱をかすめるように走り、チアキとアカネと影丸を回収し、東へ通じる道へと入った。


 車は激しく尻を振りながら、右へ左へと大きく揺れ、屋台を薙ぎ倒した。辻斬りがひとり、左のドアにしがみついていたが、チアキに一閃で額を割られて手を放し、砂塵のなかに消えていった。


 横町へ曲がると、炎が車の後ろに曲げた幌を焼いた。


 長屋に突っ込んで、傘に渋紙を張る浪人の頭の上を飛び越え、神棚はきわどく避け、庭から別の長屋に突っ込む。


 いまや四人の乗るくろがね四起はツジギリ・タウンで指名手配を食らい、『斬り捨て御免』の令状もとられた。


 そもそもこの町の住人のうち、斬り捨て御免されていない人間などいなかったのだが、そこは人斬りホルモンのフィードバックで脳みそがいかれた斬り狂いたちだから、普段のことはさっぱり忘れて、この全宇宙であの四人が最後に残された斬ってもいい人間だと思い込むことにした。


 盗難車を乗り回す元国営借金取りの少女は車を盗むことがこんなに楽しいことだとは今まで考えたこともなく、なんとかこのまま盗難車を収入源に暮らすことはできないかと本気で考え始めた。


 いくら焚火に突っ込もうが、刀傷をつけられようが、それが自分の車ではないと思い出すことはなんてスバラシイことだろう!


 車体のへこみがひとつ増えるごとに、彼女は達成感で体がはち切れんばかりになるのだ。


 だから辻斬りたちが頭を使ったつもりでつくったガラクタ製のバリケードもレンにしてみれば、もっといい気持ちになるための舞台装置に過ぎず、この突破によってブレーキが壊れたとしても、レンとしてみれば、一向に構わないわけだった。


 ツジギリ・タウンにさよならバイバイして、やがて危険な町は砂漠の地平線に打たれた小さな点なり、やがてその姿は消え、遠方より響く不発弾の四十発の爆音として、四人の記憶に残るのみである。


 砂漠に岩が増え、あちこちに渇いた灌木も生えるころになると、危険なものは何一つなかったので、影丸たちは当然、レンが速度を落としてくれるものと思っていたが、スピードは下がるどころか、ますます上がっていく。


 まるで飛ぶようにあらわれる岩をギリギリのハンドルさばきで避けてきたあたりで、こいつはおかしいぞと思い始め、チアキが、


「ねえ、スピード落とさないのかい?」


 と、たずねると、レンはきょとんとしてチアキの顔を見て――チアキは助手座席にいた――、


「どうして?」


 と、逆にたずねてきた。


「前! 前見て!」


 すると、レンはまたしてもきょとんとした顔で、


「どうして?」


 と、たずねてきた。


「ぶつかっちゃうよ!」


「そうね」


「ぶつかったら死ぬんだけど!」


「それが何か?」


「はあ!?」


 いまや死を恐れぬかっとび火の玉となったくろがね四起の四つのタイヤが四人それぞれの命と等価になった。黄泉の国に灯る命の蝋燭はどんどん短くなり、ドロッとした平らな蠟の上で今にも吹き消えそう。


 いまやレンはツジギリ・タウンの人斬り全員を集めたよりも危険な存在となった。

 土下座で車が止まるなら土下座しただろうし、三回まわってワン!で止まるなら、三回まわったことだろう。


 だが、アクセルペダル踏みっぱなしの快感を知った少女はいかなる褒賞にも目をやることはない。さらに困ったことに三人の視界が著しく悪化し始めた。生命の危機に及んで、これまでの出来事が走馬灯のごとく蘇り、脳裏の視覚担当のコントロールを奪ったため、現実に起きていることがまったく目に見えなくなったのだ。

 目の前の走馬灯のごとき思い出の数々を何とか振り払おうとして、最後には刀まで抜いたのだが、そのうちチアキの刀がザクッと何かを斬った。


 レンの首が斬れていればいいなと思いつつ、走馬灯を振り払うとレンの首はちゃんとくっついて、その手には切り離されたハンドルを握っていた。


 チアキは静かに納刀して、走馬灯を呼び戻し、シラジラ族の少年時代の思い出に逃げた。


 このまま静かに植物の心、あるいは貝の心のごとく静かに骨肉眼球四散の憂き目を待つのかと思ったが、後部座席に乗っている影丸とアカネが、


「速く! もっと速く走って!」


 と、アタマがいかれたとしか思えないことを言い出したので、この世の見納めに自分のまわりをぐるぐるまわる思い出たちを上に押し上げてみると、巨大な肉食恐竜がステーキナイフみたいな歯を並べた顎を大きく開いて、吠えながら、かっとび火の玉のすぐ後ろまで迫っていた。


 その肌理の粗いトカゲ皮をかぶった化け物――全長二十メートルのギガントザウルスは会敵の歓喜に胃袋を震わせながら、予備タイヤがくっついたトランクの蓋を食いちぎってしまった。


「こしゃんでかいなトカゲ、初めて見たぞに!」


「レン殿! きかんじゅうを! ドカンとやってくだされ!」


 だが、直後三メートルに迫った恐竜よりも恐ろしいことに、レンにもまた例の走馬灯の思い出がふりかかっていて、彼女も前がまったく見えていなかった。

 そして、ハンドルはチアキに切られ、ブレーキはきかず、アクセルは踏みっぱなし。

 ギガントザウルスは何としても三日ぶりの餌にありつかんとしている。


 考え得る限り最悪の状態と思われるだろうが、そうではない。

 彼らが乗っているのは軍用自動車くろがね四起である。

 最悪なのはこの死の追いかけっこをデューセンバーグやイスパノスイザでやることだ。


 ああした名車たちは灰色の脳細胞を持つ名探偵が活躍するお話で出るべき車であって、見習い忍者がかっとび火の玉に乗って恐竜に追いかけられる話に出るべきではない。


 三人は生への執着を剥き出しにし、レンが使っている機関銃を自分たちで使おうと試みた。

 車は薄い板を立てたみたいな形の岩のカーテン目がけて走っていて、そのカーテンに開いた穴を通り抜けてくれるかどうかに自信が持てなかった。


 できることなら、あの死のカーテンに激突するのを待つよりは機関銃を撃って、この恐竜を倒したほうがずっと生存確率は上がる。


 もちろんその後、高速走行している自動車から外に転がり出ることになるし、その危険度は説明するまでもないが、このままかっとび火の玉に乗り続けることに比べれば、ずっとリスクは小さい。


 三人でレンの見よう見まねを思い出しながら、弾倉を逆につけたり、照準眼鏡の倍率をいじくってガラス部分を指紋だらけにしているうちにボルトがカシャンと音を立て、たぶん撃てる状況になった。


 そして機関銃を発射してみると反動で銃身が上に跳ね上がった。跳ね上がり真上に飛んでいく弾は空へと吸い込まれ、そして、死のカーテンをくぐると、真上に岩をばりばり削った。


 岩に開いた穴を自動車が通り抜け、ギガントザウルスがくぐりぬけようとした瞬間、強度を削がれた岩々はメリッと裂け崩れて、恐竜を下敷きにした。


 チアキがアクセルペダルにかかったレンの足を蹴り外して、ペダルの後ろに煙草の缶を噛ませると、自動車は速度をずるずると摩擦する砂に食わせ、安全な速度へと――影丸のしゅたた!と同じくらいの速度に下がっていった。


 三人は知恵と勇気、そして何よりも運を味方につけたことによって得た勝利に酔った。

 これに勝る快感は競艇で全連単をあてるか、盗んだ自動車をアクセル全開にするくらいのことだろう。


 いまだにレンの視界は八歳のときにお菓子の密売人をした思い出に塞がれていた。常にアクセルペダルを踏もうとしてガシガシと蹴る音は絶えなかったが、肉食恐竜の地響きに比べればかわいいものだ。


 喉元過ぎれば熱さを忘れるというわけで、先ほどの追いかけっこも軽快なディキシーランド・ジャズが似合うハラハラドキドキの大冒険みたいに思えてくるのが不思議な話だ。

 実際、走っていたときは最大最悪の命の危機を感じていたのに。

 人が歴史を繰り返し、砂漠に変えてしまったのも、そのあたりに原因があるのかもしれない。


 だから、ギガントザウルスが滅亡世界の食物連鎖頂点の意地を見せて、自分の上に覆いかぶさった岩を高さ百メートルくらいまで跳ね上げ、怒り狂いながら、デスレースを再開すると、人は過ちを素直に認め、その上で生への執着ムーヴを繰り返した。

 チアキはスピードメーターの下に頭を突っ込み、アクセルペダルの後ろに噛ませた煙草の缶を取り外し、それと同時にくろがね四起はフルスピードで発進、あわれかっとび火の玉になった。


 ダッシュボードの下に体がはまり込んだチアキは上にした足をばたつかせ、「チアキぃ! やめえ!」とボコボコ蹴られるアカネは思わず後ろに体が傾いたときに、ギガントザウルスの顎がガチンと閉まり、片方の耳の半分を食われてしまった――もちろん〈ばにい・がある〉が頭につけているカチューシャから生えたウサギの耳のことだ。

 影丸は首から上を食われたが、五回に二回の確率をひいて、変わり身の術が発動した。


 ギガントザウルスは大きな頭に小さな脳みそを搭載していて、頭脳プレイが苦手である。

 だが、彼女にとって幸いだったのは、この車はブレーキもハンドルも死んでいて、ひたすら前進しかできないことだ。


 こうなると、華麗なハンドルさばきや相手の動きを呼んだ操作などというものはなく、ただ、単純な追いかけっこになる。


 これなら大きな頭に小さな脳みそでも対応できる。

 足の速いほうが勝つ。

 滅亡砂漠世界にふさわしい、力こそパワーなゲームだ。


 しかも、このゲームは制限を設ける形でゲーム性を高めている。

 この場合は時間制限。

 というのも、この先は深い大地の裂け目があり、このかっとび火の玉が本当にかっ飛んでしまったら、そこで試合終了。


 ギガントザウルスはおやつをあきらめ、四人は命をあきらめる。

 とてもフェアなゲームである。


 魚釣りで考えよう。

 釣りに失敗して人間が失うのはお昼ご飯だが、魚は命を失う。

 とてもアンフェアなゲームである。


 結局、ゲームというのは大きな存在のためにできている。

 それが命をかけるほどの教訓であるかどうかはちょっと自信はないが、アクセル踏みっぱなしで走馬灯のなかにいるレンとダッシュボートの下から逃げられないチアキがいる限り、このかっとび火の玉が崖から飛んでいくのは確定事項だ。


 四人を乗せたくろがね四起が谷の上を飛んだ。

 こうなると、速度とジャンプ台の傾斜が運命を握る。


 ふわりと体が浮き上がり、次に衝撃が来たとき、四人は座席から放り出され、思い思いの姿勢で砂漠に散らばった。くろがね四起はその使命を終え、横たわり、誰もペダルを踏むものもないまま静かに車輪をまわしている。


「むう。皆の衆、生きているか?」


「なんとか……」


「ひゃあ、死ぬかと思ったぞに」


「レン殿は?」


「死んだんじゃないの?」


「チアキ。見てみ。あれ」


 見れば谷の向こう側に今日のおやつをあきらめきれないギガントザウルスが豆粒くらいのサイズになって未練がましく影丸たちを見つめていた。


「やあい。デカトカゲ。来たくても来れなかろうが。オシリペンペン、チンチンカンカン」


「やめえや。子どもじゃりかにみっともなし。ずきゃあぞに」


「む。静かにお二方。何か音がする」


 そばに廃屋がいくつか並んだ丘があり、そのうちのひとつの壁が破れ、くろがね四起に乗ったレンが丘をぐるっとまわって、三人の前まで来て止まった。


「ほら、乗って。新しいやつをかっぱらってきたから」


 影丸がチアキと目を合わせ、チアキはアカネと目を合わせ、アカネは影丸と目を合わせ、強くうなずき合うと、それぞれ刀を抜いて、タイヤを全部切り裂き、エンジンを何度も突き刺した。

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