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 オアシスの町を名残惜しくも旅立って、三日目の午後。

 その日も太陽は何かの恨みでも買ったみたいに殺人光線を照り散らした。東へ進む四人が照り焼きバーガーにならずに済んでいるのはひとえにマヨネーズの不在のおかげだった。


 こうも暑くてはいろいろなものがトチ狂うのだが、見習いと言えど忍者の影丸はイマジナリー右大臣とお話をする程度のトチ狂いで見事自身の狂気を押さえつけていた。


 レンは自分がラムネ壜のなかのビー玉だと思い込み、チアキは逆立ちしないと死んでしまう世界に転移したと思い込んでいたが、一番トチ狂っていたのはアカネであった。


 なぜなら彼女はこのトチ狂うことが通常な砂漠に於いて、正気を保っていたからだ。


 正気であることが狂気の素数の最大値とする。

 これについてあれこれ考えるのは守護大名と戦国大名の違いを掘り下げるようなもので、最初の単純な結論に飛びついて終わらせればいいものを、厳密な違いを見極めようとすると、問題はどんどんややこしくなり、荘園制度をどれだけ認めるかとか、戦国大名が中央政権の支配的立場についた場合は、その大名を戦国大名と呼んでもいいのか、とか、守護大名から戦国大名になった場合はどうするのか?とか、北条早雲は守護大名の今川氏にほとんど仕えているも同然だがこれは戦国大名のままでいいのか?とか、ややこしくなる。

 人間、ちゃんと知恵は使うもので、戦国大名と守護大名の境をあいまいにし、織田信長は戦国大名だ武田信玄は戦国大名だといった具合に分かりやすい例を用意し、それ以上は突っ込まない。


 とはいえ、影丸自身は戦国時代の人であるが、まさか後世の人間からそんな呼び名で呼ばれる時代を生きているとは思っていなかった。

 確かに彼の時代はいろいろ土地に関して面倒なことがたくさんあり、国人領主のなかでも威勢のいいやつと土地争い水争いをして殿さまに裁きをつけてもらうことはたくさんあったが、このお裁きは賄賂で決まる。


 万年金欠の忍びの里では到底払えないような額で正義は売り買いされるのだ。


「んなにぃ、いっそさむらぁになったらしゃんよ」


「ん? いや、拙者は侍だが」


「え? 影丸ちぃは忍者じゃなかんきゃ?」


「むう。忍びだ。そして侍だ。のう、右大臣殿」


「え?」


「え?」


 影丸は忍者である。

 だが、これもまたカルチャーショックだが、忍者というのは忍術に長けた侍だというのが影丸の認識であり、彼の世界の認識だった。


 剣術に長けた侍、槍に長けた侍、銭勘定に長けた侍、築城に長けた侍、和歌に長けた侍といった具合で侍というのは何かしらの特技を持っている。持っていなければ召し抱えらえたりしないのだ。


 剣もダメ、銭もダメ、和歌とかも分かんね、という侍はノータリンの二代目大名ではあるかもしれないが、召し抱えられる侍にはいない。


 確かに影丸たち忍者は自身が忍術に長けていることを誇りに思い、そこに特別な何かを感じるが、それと同時に忍びの里に所領を持っている。

 影丸の家もまた所領があり、少数の百姓が耕す田畑があり、人手が足りないときは影丸たちも田畑に関わる。


 何度も言うが、忍者は貧乏なのだ。

 あちこちの諸国を流れる凄腕の忍者というのはなんとなくかっこいい気がするが、影丸に言わせればそれは創作のなかだけの忍者であり、諸国を旅する忍者はよっぽどの悪さをして里にいられなくなったか、そもそも里に土地を持たない、かなり貧乏な水飲み忍者のどちらかだった。


 優秀な忍者は大名が放っておかない。

 高い扶持で召し抱えられ、金持ち忍者になれるから、所領も増える。そんな旅などしなくてもいい。


 そもそも、任務で他の国のことを調べるならともかく修行とか仕事探しで流浪はありえなかった。

 伊賀、甲賀、風魔ならともかくその他の忍者は貧乏なのだ。

 流浪する元手さえない。伊賀や甲賀に旅をしたら伊賀や甲賀の忍者が修行をさせてくれるかといえば、そんなわけはなく、見つかったらボコボコにされて追い出されてしまう。


 実際、影丸の里にもそういった旅の忍者がやってきたので追い出したが、調べてみると影丸たちの里よりも貧乏な里の出身だった(これには驚いた。自分たち以上に貧しい里があるなど想像もできなかったからだ)。


 だから旅というのはみじめなものなのだ。

 任務で旅をしても膨れ上がる出張経費を請求できないことが分かっているのでみじめだし、それ以外の旅は前に述べたようにもっとみじめだ。


 もちろんちりめん問屋のご隠居を装う従三位権中納言の老人と一緒に全国旅して悪党をしばくのは面白かろうが、それにはせめて忍者自身が従四位修理大夫くらいにはなっておきたいものだ。でなきゃ、なめられる。


 だが、見習いといえども忍者な影丸はどうも忍者に対して、憧れや伝説めいたものがあるのをかぎ取ると、あまり実情は言わないでおこうという気になる。

 すごいすごいと言ってくれるのを、いやカツカツですよぉと幻滅させることもないではないか。


 イマジナリー右大臣の同意も得られたところで、四人は砂漠の真ん中に立てられた看板にぶち当たった。


 黒板に白ペンキで『辻斬り注意 斬られたら自己責任で』と書いてある。


 このなかで唯一正気のアカネとイマジナリー右大臣が見える以外ではさほどの支障がない影丸はこの看板の持つ意味を考えてみた。


 見渡す限り砂、砂、砂の砂漠であり、遠くに赤茶けた食物連鎖図みたいな山がいくつか見える。

 だが、辻斬りはいない。辻斬りのパーツさえ見えない。

 血走った眼とか妙に上質な羽織とか千子村正せんごむらまさの業物とか。


 自己責任、という言葉があるが、この荒廃砂漠世界において、自分のことをきちんと自分で責任を持つような殊勝な心構えがあっただろうかということは置いておき、逆立ちチアキとビー玉レンをぶっ叩いて、狂気の淵から帰還させ、この立て札について意見を求めた。


「ああ、分かった。この辻斬りは逆立ちしてて、シラジラしいってやつでしょ」


「軽機関銃の先っぽの銃剣でも人は斬れるよね」


「これは人を斬るためにつけてるんじゃありませーん」


「じゃあ、何のため?」


「……世界平和」


「機関銃で築ける世界平和ってなんだろうね」


「それと、安産祈願……」


「その恥ずかしいデタラメについて、何もきかなかったことにしてあげよう。僕は優しいからね」


「へえ、涙が出るね」


「こら、チアキ、女子おねごいじめちゃさらんぞに」


「いじめじゃらん。シラジラせんようコミュニケーションじゃ」


「コミュニケーション? おわら、シラジラしいぞに」


 しばらく歩いていると、辻斬りを思いとどまらせる看板があらわれた。


『斬って花実が咲くものか』

『あなたが斬ることで悲しむ人がいます」

『血糊を拭うのに小銃弾二発分のコストがかかるのよ。な、なによ、あんたのために教えたんじゃないんだから。あくまでわたしのためなんだから。このバカ人斬り!』

『不発弾注意』


 古風なもの、情に訴えるもの、打算で訴えるもの。

 このあたりの治安担当は自己責任と突き放すようなことを言ってはいるが、辻斬りを思いとどまらせようとしている努力が見られる。


 ツンデレな看板に需要があるかは置いておいて、しばらく光の道に従って歩く。


 すると、まさにその方向から辻斬りが駆けてきた。


 血走った眼、妙に上等な羽織、八双に構えた千子村正のギラリギラリ。


 どこに出しても恥ずかしくない辻斬りである。


「あれは拙者にまかせてもらおう。忍剣術の粋を見せる! 忍法影一文字!」


 説明しよう!

 忍法影一文字とは刀身が影でしか確認できないほどの素早い剣の運びで、敵の生命を断つ究極の暗殺剣術なのであ――


 ちゅっどーん!!!!!


 辻斬りの踏んだ砂が盛り上がって吹き飛び、ピクリン酸の火柱が太陽に喧嘩を売った。


 その火柱の先から千子村正の折れたのを握った右腕がぶすぶすと焦げを燻ぶらせながら影丸のそばに落ちてきた。


 ツンデレ看板にばかり気を取られていたが、看板のなかには不発弾注意の看板もあった。


 その看板から百メートルも離れない位置でその不発弾が爆発したのだ。

 まったく危ない話だ。


 すると、今度は光の道とは逆方向、つまり彼らが後にした道からまたしても辻斬りが走ってきた。


「本当にここは辻斬りが多いんだね。誰かあれと戦いたい人いる?」


 手を挙げるかわりに、レンは弾倉を外して一発だけ薬室に込めて、一撃必殺背水の陣の構えをとる。


『不発弾注意』の看板の向こう五十メートル。いよいよ発射。


 ちゅっどーん!!!!!


 こんがり焼けた辻斬りがバラバラに降ってくる。


「はあん。レンちぃ、どがん弾使ったんきゃ?」


「……わたし、まだ撃っていない」


「へ?」


 ここで彼らは『不発弾注意』の看板を刺した人間のとんでもない悪意に気がつき、顔色がみるみる蒼白くなった。もともと蒼白いチアキとアカネですら、さらに蒼くなった。


 不発弾が埋まっている区域を●

 辻斬りが爆発した地点を【爆】とすると


     ●●●

    ●●●●●

   ●●●●●爆●

  ●●●●●●●●●

   ●爆●●●●●

    ●●●●●

     ●●●


 こんな感じである。

 だとすれば『不発弾注意』の看板は、


     看看看

    看●●●看

   看●●●●●看

  看●●●●●爆●看

 看●●●●●●●●●看

  看●爆●●●●●看

   看●●●●●看

    看●●●看

     看看看


 このように立てるのが安全である。

 だが、実際には、


     ●●●

    ●●●●●

   ●●●●●爆●

  ●●●●看●●●●

   ●爆●●●●●

    ●●●●●

     ●●●


 ――で、ある。


 つまり、「おや、あそこに何が看板があるな。読んでみよう」とのこのこ歩いていったら、不発弾がどかん。こういうわけである。


 狙ってやったとしか思えない。高笑いがきこえる。

 この看板を立てた人物はいつも寝る前に「明日目が覚めたら世界が滅亡していますように」と祈っているに違いない。


 そして、世界は彼を勝者にした。証拠はこの砂漠である。


 この所業に影丸を導く光の道ですら憤慨したが、彼女は一度影丸を地雷原に導いている前科持ちであることを忘れてはならない。


 これからどうするか元老院会議が開かれた。

 このままではじり貧である。

 しかし、そこにチアキが言った。


「待って。ここは辻斬りが出没する。これを利用しよう。やつらが走った場所を歩けばいいんだ」


 それからは辻斬りさまさまである。


 辻斬りが全部で四十人ほどひっかかってくれたので、四人は安心して不発弾埋没地域を抜けることができた。


 しかし、謎がひとつある。


 なぜ、こんなに辻斬りが出没するのだろうか?


 その謎はすぐに解ける。キーワードはツジギリ・タウンだ。

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