12
テヤンデイ・バーロウは六つの、てっぺんが広くテーブルみたいに平らな丘につくられた町だ。
そのなかでも特に大きい丘に競艇場がある。
機関銃までならつけてもいいことになっている自転車レースはひと晩で世界の全てを買えるほどの金属が動く。そんな大げさなと思うかもしれないが、金庫は底が抜けるほどの金属がコインや弾丸の形で詰め込まれていて、これまでに八回、拡大と床の強化工事を行っているのだ。
競馬や競輪ではここまで盛り上がらない。丘を掘って人工池をつくり、飲料に適する水を大量に使ってモーターボートを走らせるという砂漠世界で考え得る最大の贅沢が賭博の熱をかきたてるのだ。
影丸は一か所にこんなたくさんの人間が詰まっているのを見たことがなかった。競艇場のふもとはぐるりとアーケード街になっていて、そこでは衣食住のうち、住以外のものを代理金銭で賄うことができた。住はなかったが、数時間寝るための寝床を提供する店はあり、これを何とかこじつければ、住といえるかもしれない。
アーケード街の入り口で四人は人の波に押され、バラバラになってしまった。影丸はしばらく人混みにもまれ、吐き出された先は自殺用の道具を売る店だった。そこではピストル、白い結晶が入った小瓶、ドス、既に結び終わった縄がふたつの古タイヤの上に渡した板の上に並べられていた。レースで全財産を失った人間をあてにしてやっている商売だ。
黒ぶち眼鏡の店主はなかなかの商売上手で、
「あの、すいません」
「はい。なんでしょう?」
「ドスを一本、もらえますか?」
「お客さん、腹切るの?」
「はい、まあ」
「でも、人間、腹だけ斬っても簡単にはしなないよ。死ぬまで死ぬほど痛いよ」
「そうなんですか? 参ったなア。自殺するのは初めてだから」
「それなら、この毒薬入りのカプセルはどうだい? 腹を切ったと同時にこれを奥歯で嚙み砕けば、たちまちあの世行き」
「じゃあ、それにしようかな」
「でも、もっと確実なのは腹を切って、毒を噛んで、ピストルで頭を吹っ飛ばすのがいいね」
「ピストル。僕は撃ったことがないんだけど」
「いま、弾を込めておくよ。――はい、これで後は引き金を引くだけ。弾は一発でいいかい?」
「はい」
「でも、二発あるほうがいいかもしれんね」
「じゃあ、二発で」
「はい。じゃあ、もう一発」
「全部でいくら?」
「小銃弾十四発と拳銃弾三発だけど、端数は切り捨てて、小銃弾十発でどう?」
「じゃあ、それで」
「まいどあり!」
と、このように切腹用のドスを買いに来た客を言いくるめて、毒薬カプセルと三十二口径弾二発を装填したピストルを売りつけている。ところが、
「すいません。いま、手持ちがまったくないんです。レースで全財産失ったばかりなので」
「じゃあ、出世払いにしとくよ」
――最後のひと言さえなければ。
こんな商売続けていたら、自分の売り物の世話になるのは遠くない話だ。
アーケード街にはいろいろな帽子、いろいろな髪形をした人びとが集まっているが、影丸は背が小さめだから、顔はいつも背中や腹にぶつかって、ムギュムギュしていた。なんとかこの人間地獄から逃れなければならぬと思うのだが、思うようにいかない。この蒸し暑く、体が動かない人間地獄では頼りは風術士だけである。風術士というと聞き栄えするが、要するに日給制でアーケードの柱に縛りつけられ、大きな団扇で人混みに風を送り続けるだけの仕事だ。しかも、その風だって下に降りるころにはよれよれになって、そよともしない。それでもないよりはマシだと思って、風術士のもとに涼を求めて人が集まる。人口密度が高くなり、より不快に、より暑く、よりペチャンコになる。
アーケード街ではネオンは使わず、薄く伸ばした鳥皮でつくった行灯に売り物の名をカタカナで入れたものが並んでいる。『ヤキソバ』では材料不明の代用焼きそばにトウガラシ・ソースをかけて食べることで体内の悪いものを汗と一緒に流そうとしていて、『イワオコシ』では岩のように固いせんべいを売っているが、十個に一個は本物の石が入っていた。『アイスキャンデー』はぴったり戸を閉じているので永久閉店かと思われるが実は丁半博奕の賭場である。『ヨソウ』では大穴機関銃弾三百発払い戻しを夢見る男たちが眉毛を剃った赤い袴の少女を神のごとく崇めていた。最近、競艇場は三着までのどれかになればいい複勝式をやめて、一位からビリまで全ての順位を当てる全連単というアタマのおかしい人向けの賭式を導入したばかりだ。
こうも人が多いのではチアキたちを探しようもないし、光の道も見えないと思った影丸はとりあえず腹ごしらえすることにした。袴のカクシには軍艦から持ち出した様々な弾が入っている。どれも弾の先が赤く塗られているが、これは炸裂弾の印だ。この弾は人体に入ると四方八方に飛び散る。その昔、帝国主義者の白人たちが植民地の原住民にぶち込むためにつくった弾で、これを食らった不運な反乱者は細切れになった自分の内臓を吐きながら悶絶して死ぬ。そのためか現在では痴情のもつれや恨み骨髄に至る殺人に固い人気があった。人気があるということは購買力が強いということである。
ダムダム弾を手に、さて、何を食べようかと思案する。
肉は気が進まない。あの生臭さは苦手だ。
獣肉というのは肝試しのつもりで食べるか、病気のときに味噌漬けにしたものを薬として食べるかだ。そりゃあ、重要な任務の途中で、ひどく空腹で何か腹に入れねば任務継続も危ういなか、手元にあるのが生の獣肉というのなら食べるが、こんなふうに選択肢がたくさん、ご丁寧に行灯で表記されているなか、食べるようなものではない。
かといって、おからの寿司を食べる気にもなれない。
この人混みでひどく喉の渇きそうなものを食べるのは自殺行為だ。
一番いいのはサカタみたいな男を見つけることだが、今回はそれも厳しい。
『ヒヤシラーメン』の文字が目に飛び込んできたとき、彼のいた世界ではきいたことのない食べ物に心が惹かれた。ヒヤシというくらいだから冷えていて、この蒸し暑い地獄に立ち向かう気力を与えられそうな気がしたし、ラーメンという言葉がもたらす謎の期待感が心地よく、それを解明してみたい気がした。
このころになると、影丸も人間地獄のいなし方が分かってきた。コツは行きたい方向に進まないことだ。ここには姿の見えない天邪鬼がいるらしく、行きたい方向とは逆のほうへと人を押し込む。だから、いまの影丸は虫の巣でつくった財布を売る店に進もう進もうとすれば、はい、気がつけば『ヒヤシラーメン』へと放り出されるのだ。
そこは机が三つあり、そのうちふたつが客用で細長い机が調理用だった。店主は古風な烏帽子をかぶって片脱ぎをした姿で四条流包丁術を極めた大名付きの調菜師のようだった。武将風の口ひげをたくわえ、麺を煮るあいだもあちこちをじろりと、まあ、対して意味もなく睨むのだが、それがなぜか警戒の眼に見られるらしく、海千山千の食い逃げ師たちもここでは逃げられないとあきらめ、カネがないことを正直に伝え、しばらく皿洗いをしていく。このときも狭い店で三人の食い逃げ師が皿を洗っていた。
影丸も四人掛けのテーブルにつき、冷やしラーメンを注文した。相席した三人に挨拶をしてみたが、三人ともぶつぶつとつぶやくばかりで影丸のことは眼中にないようだった。
どこの店にもこういう、耳に赤い炭筆をはさんだ不愛想な男たちがいた。血走った眼で出走表を睨んでいるのだが、そこには選手の名前、年齢、体重、最近の勝敗が書かれている。女性選手もいるが、情け容赦なく年齢と体重を記載される。デリカシーなどない世界だ。さらに使う船の馬力や旋回力、プロペラの種類なども書いてある。
確かなスジとか機関士の知り合いからきいた話といったところから、新型エンジンや選手の私生活に関する怪しいガセネタがばらまかれ、人はそれに翻弄され、発券所は精神錯乱の見本市になっている。ギャンブル中毒者たちは顔が土気色、頬がこけ、目には血管の赤い網が蜘蛛の巣みたいにかかり、負ければ沈み、勝てば浮き、次のレースで結局沈む。最後は全財産を全連単にぶち込み、自殺屋に出世払いの約束でピストルを買いに行くのだ。ひょっとすると、閻魔大王に気に入られて、婿養子になれるかもしれない。
と、まあ、影丸の言う通り、人びとは金遁の術にかかっている。
それも見習い忍者では想像もつかない幻術だ。おそらく幻夢斎でも無理であろう。
やってきた冷やしラーメンはとても美味だった。
蕎麦とも切麦もつかぬ麺を冷水にくぐらせ、つゆにつけて食べるのだが、このつゆはシェルターの保存食保管庫で見つけた大量のあご煮干しから作っていた。
影丸など根が単純だから、うまいものを食べることができれば、それで満足なのだが、勝舟投票券に魂を引っこ抜かれた人びとはそうはいかない。今度こそ当てるぞと昨夜寝ないで分析に分析を重ねた決断『三番を買う』を土壇場で信じられなくなり、やっぱり六番を買おうと思うのだが、偶然出くわした知り合いに何番を買うのかたずねると、八番を買うつもりだときいて、自分も八番にしてしまう、と思って発券所から出たときに握った舟券は三番のものだった、といったことはざらである。
しなくてもいい葛藤に思い悩まされ 意志の弱さに泣く。
根が単純な見習い忍者からすれば、そんなことしてわざわざ人生の難易度を上げずともよかろうにと思うのだが、結局は知らぬ他人のすること、人生を苦渋まみれの障害だらけにして達成感を得たいというなら、それもまたひとつの生き方だ。
うん。こうやってダメ人間を突き放した考え方をするあたり、なんというか冷徹な先輩忍者っぽいぞ、と影丸は小さな満足を得る。
しかし、腹ごしらえをし、小さな満足を得たところで当初の目的、コウゾウ親分を探すという話に戻らないといけない。それに幻夢斎に引導を渡さないといけないし、タイラ・ミナモト製作所も探さないといけない。そのためにはもっと人が少なくて、光がギラギラしていない場所に行かねばならない。見習い忍者は多忙である。
こういうときは実現の可能性が一番高い目的を目指すよう設定するのが、幸せに生きるコツだ。
一番はコウゾウ親分を見つけることだろう。先にチアキが見つければ、三枚おろしどころか肝膾にされるのが目に見えている。だから、自分から長生きしたかったら、若い娘をくノ一にするのをやめ、この場で証文を焼き、刀を返せと説得する。まあ、この説得がうまくいくとは思っていない。悲しいことに忍者の良し悪しを測るのに背の高さを重視する悲しい風潮があるのだ。確かに影丸は小柄だ。しかし、年齢を考えれば、そう小柄ではない。同じ年代の少年たちとも比べると、ほんの少し――いや、少し――わかった、認めよう。彼はチビと呼ばれる身長の持ち主だ。
おまけに見習いである。だが、彼はこのくそったれた砂漠世界において、一度も飢えを経験していない。小判も穴あき銭も通用しない世界において、彼はすきっ腹を抱えて、文無しのみじめさを覚えずにここまで来たのだ。それを技量と言わず、何というのか?――奇跡? まあ、そうかもしれない。
だが、奇跡はこの水である。
影丸はそのまま人間の潮流に流されて、小さな紙が一面に浮かぶ競技場に入ったが、彼の目の前には八万立方メートルの水があった。いまは手漕ぎボートが水面に浮かんだハズレ舟券を網ですくいとっている。この水を前に人びとは発狂し、食費や住居費、その他もろもろの使っちゃいけないお金を使っている(そのなかには人を脅して殴りつけることを生業とする連中から預かった鋼鉄貫通弾も含まれる)。ただ欲と発狂の度合いを深くするだけの非建設的な人びと。紙切れにかけた錬金術。無欲な状態で舟券を買うことが勝利への唯一の道と信じる人びとと二日酔いでまともに判断ができない状態こそが無欲な状態と信じる人びと。
まったくもって、ここは金遁の術の学校である。見習い忍者には学ぶべきところがたくさんある。彼がいた世界にも競艇場をつくり、多くの人間を発狂させ、借金にハメ、情報を取り、要人を操る。これは悪くない手だが、問題は内燃機関の不在だ。モーターボートが作れない。いや、なに、どうということはない。健脚の忍びが水蜘蛛履いて走ればいい。後は万年金欠の忍者たちがレースに夢中にならないよう気をつけるだけだ。
忍びの金欠は本当にシャレにならない。手裏剣は空気から勝手に湧いてくるわけではないし、煙玉だって自分で仕込む。多くの忍者は手裏剣鍛冶屋にかなりのツケがたまっているし、煙玉は材料費の高騰で年々、質と大きさが下がってきている。
火遁の術や水遁の術だって、教えてもらうのはタダではないし、これはこれで使えばお金がかかるのだ。
さらに伊賀、甲賀、風魔あたりの有名な忍びの里がダンピングをするので、大名が払う報酬は低下の一途をたどっている。影丸の里ような中小企業はその値下げ競争に否応なしにまき込まれて、カツカツである。中小企業が絶滅した後、伊賀、甲賀、風魔が値段を釣り上げるのは目に見えているのだが、クライアントはそれが分かっていない。そもそも大名というのは茶器や刀剣には大枚をはたくくせに、忍びのことは安く使う。この値段でいやなら、武田に行け、上杉に行け、というが、それができないと分かってて、わざというのだ。
一度、三好と六角が大きな戦をやるというので、中小の里にも声がかかり、案の定安く使われた。合戦が終わって双方が兵を退き、いつも通りクビを宣告された後、三好、六角双方に雇われた中小忍者が集まって、ツマミはひとりにつき梅干しひとつの飲み会をやったのだが、報酬をきいてみると、なんとぴったり同額だった。つまり、三好と六角は表向きは敵対しているが、忍びに払う報酬を一定価格に固定するために談合を働いている。
そりゃあ、戦が終わった後、こうして敵味方の忍びで飲んでいるわけだから、大きな口は叩けないかもしれないが、それは合戦が終わって、クビにされた後の話であって、前の話ではない。
しかも大名たちはどこで仕入れたのか知らないが、忍びというものは大名に絶対服従、命も惜しまず、金銭も要求しないという訳のわからんことを言い始めた。確かに忍者のなかにはアタマがおかしくなって、そんな仕え方をするものはいるが、ほとんどの忍者はそうではない。所帯もあるし、近所付き合いで入用になることもある。しっかり働きをしたら評価してもらわないと困るのだ。だが、それを言えば、文句があるならやめればいい、伊達なり最上なり好きなとこへ行けと言ってくる。ときどき、全ての大名は忍者を苦しめるために裏で一致団結しているのではないかと思うことがある。
だから、中小の里がお金を出し合って、水蜘蛛競争場をつくるのはいいかもしれない。人を操り、情報を得る以前に、忍者の最大の敵である〈貧乏〉を倒すことができるからだ。ここみたいにわざわざ土木工事をしなくとも、水駆け競争できる池はいくらでもある。たくさん人を集めて、舟券の一部をテラ銭にすれば、多くの中小忍者が救われる。もちろん、大名たちは出入り禁止。伊賀、甲賀、風魔の忍者も出入り禁止。水蜘蛛競争は忍者世界の救世主となるのだ。
里の忍者が自分を救世主と讃える様をひとり想像していい気分になっていると、アーケード街とレース場のあいだの回転式入場機のそばで目を血走らせたチアキを見つけた。こめかみに青筋を立てて睨むさまはギャンブル・ジャンキーみたいだが、彼が見ているのは出走表ではなく、テヤンデイ・バーロウ暗黒街の大物コウゾウ親分である。
半纏に白鞘のドスを手にした子分たちを使って人間地獄に空間をつくりゆっくり歩いてくるものだから、遠目に見ても一発で分かる。恰幅のよい鶯色の着流し。余った肉が頬にたるんでいて、こんな顔の犬がいたような、いなかったような。コウゾウ親分はひな壇になっている客席を上り、権力者専用の特別観覧席に入った。トタンで区切られ、手すりを設けたバルコニーのようなところで、そこまで手間のかかった場所には見えないが、ともあれ行ってみようとするが、影丸は肝心の天邪鬼のことを忘れていた。特別観覧席に行こう行こうと思うほど、遠ざかり、競技用プールの縁まで追い出されてしまった。
一方、チアキはどうかというと、抜いた刀を肩に背負うというひと目で危険人物と分かる姿で強引に道を開け、特別観覧席に上っていく。話し合いも忍術も一切介さない一撃必殺の根性を極めた殺気の剣士は特別観覧席につながる特別な廊下へと姿を消していく……。
数秒後には特別観覧席の手すりをコウゾウの手下がひとり、ふたりと飛び下りて、最後の最後にコウゾウ親分があらわれた。
「おわらぁ! 待たんきゃあ!」
チアキが手すりを飛び越える――はずがいつも肩からかけている挿弾子入れが手すりのライオン彫刻に引っかかり、宙にぶら下がってしまう。
「うわあ! なんなぁ!? こんボンがあ!」
宙ぶらりんで叫ぶチアキを尻目にコウゾウ親分は逃げに逃げ、ついにレース用のボートが保管されている小屋まで逃げた。
何とかベルトを切って、下に落ちたチアキが追うが、競艇場は混乱の坩堝。外へ外へ逃げようとする人波に邪魔される。
一方、コウゾウはといえば、モーターボートに乗って逃げる。
影丸はそれを捕まえようと意を決し、水面へ飛び上がった。
「忍法明鏡走り!」
説明しよう!
忍法明鏡走りとは水蜘蛛を履いて浮力を確保した上で右足が沈む前に左足を踏み出し、左足が沈む前に右足を踏み出すという理不尽理論を可能にした忍者の走術であり、水遁の術の親戚なのだ!
実際、忍びの里につくる競争場ではこんな感じに水の上をしゅたた!と走る。
右へ左へ蛇行するコウゾウの舟はだんだん距離を詰められる。
だが、この競艇、機関銃までなら搭載してもよいことになっていた。
ボタンひとつで小さな機雷がポコポコウミガメの卵みたいに出てきて、派手な水柱を上げる。
そのたびにザッと踵から水をばら撒きながら、右へ左へ素早く回避。
スバラシイ忍術。スバラシイ忍者ぶり。
たぶん、本人が一番驚いているだろう。
この忍法明鏡走り、成功したのは今回が初めてなのだ。
機雷の爆音をきいて、影丸が吹っ飛んで、その臓物がぷかぷか浮いていることに期待を寄せるコウゾウが後ろを向く。
派手な水柱と落ちてくる霧状の水で影丸が見えない。
眼鏡を押して目を細めるが、そうやって前がお留守になっているうちに手漕ぎボートに乗ったレンとアカネが竹に結びつけた赤い旗でもって、コウゾウをぶっ殴って、水に叩き落していた。




