こんなメイドがいてたまるか!
気がつくと、ネークスは女の姿を見失っていた。
先ほど頬を切り裂かれた時に、ほんの僅かに視界から外してしまった。それが原因だ。
(ほんの少し目を離しただけで、完璧に隠密を発動させるとは……)
とんでもない手練れである。
月明かりの下、ネークスは自らに迫る短剣を躱し、また短剣で打ち返す。
回避しても、打ち返しても、短剣はネークスを追尾し続けた。
短剣は全部で4本ある。
これを躱しながら、女を捜すのはかなり難易度が高い。
(だが、出来る。オレには出来る!!)
ネークスは己を信じ、ひたすらチャンスを窺った。
その時、ふと、空間に揺らぎを感じ取った。
すかさずネークスは足に力を込め、全力跳躍。
空間の揺らぎに向かって、短剣を突き出した。
「ビンゴ!!」
「ハズレです」
短剣を突き出した格好のネークスの背後から、女の声が聞こえた。
人間を突き刺した感触はない。
完全に空振りだ。
――欺瞞!
左右から四本の短剣が迫る。
ギリギリまで引きつけ、ネークスは屋根に倒れ込む。
眼前を、四本の短剣が空気を切り裂きながらすり抜けた。
次の瞬間、
「――!?」
「甘い。甘いなぁ嬢ちゃん!」
短剣を付き出した女性の手を、ネークスは捻り上げた。
女性がスカートをつまみ上げた時、落下した短剣は五本だった。
にも拘わらず、これまでネークスの下には四本の短剣しか襲いかかってこなかった。
――つまり、最後の一本は彼女が持っていたのだ。
それをとどめの一撃に用いるだろうと、ネークスは予想していた。
結果は、大当たりだ。
こちらが倒れ込んだ瞬間を見計らい、攻撃したつもりなのだろうが、甘い。
ネークスと近接戦闘をやり合うには、彼女の身体能力は低すぎた。
初めから身構えていれば、どうとでも対処出来る程度の攻撃だった。
腕を捻り上げると、女性の口から苦悶の声が漏れ出した。
「くっくっく……。少し遊んでやりてぇとこだが、仕事がある。仕事が終わったら相手してやるよ」
「大変申し訳ありませんが、お断り致します」
「テメェには拒否権はね――え……っ?」
女性の腕をさらに捻り上げようとした時だった。
ネークスは自分の体に異変を感じた。
体が全く、動かない。
「うそ……だろ……?」
「やっと効いてきましたか」
「痺れ毒、を、盛った、のか!?」
「ご名答です」
「くっ!」
毒を盛られた瞬間は、すぐに思い至った。
頬を切り裂いた、あの攻撃だ。
元々短剣に毒を塗っていたのだろう。
だが解せない。
「馬鹿な……オレ、は、毒に耐性、が、あるん、だぞ!?」
「では、その耐性を超える毒だったのでしょう」
それこそまさかだ。
ネークスは幼い頃より隠密の訓練を受けている。
当然、毒に対する抵抗も、幼い頃から磨かれてきた。
すべての毒……とまではいかないが、かなり強力な毒でさえも、中和出来る体を作った。
そのネークスに効くような毒を、弱小領地のいちメイドが用意出来るとは信じがたい。
「アレクシア帝国の間者がどの程度のものなのか、観察させていただいておりました」
「なん……だと……?」
「しかしまさかこの程度のお力で、クリス様のお命を狙うとは……がっかりです」
「くぅ――!!」
気合いで体を動かそうとするも、全く動かない。
一体どんな凶悪な毒を盛ったのやら。
ここまで自由を奪われたのは、初めてだった。
「クリス様のお命を狙うのであれば、せめてそれ相応の力をお持ちください」
「オレに、力が、ない……だとッ!?」
「はい」
「貴様、舐めているのか!!」
「いいえ。妥当な判断かと存じます。何故ならあなたは――」
そこで、女性は壮絶な笑みを浮かべた。
「私如きの策に、全く対処出来ておりませんので」
「あ――ン?」
その瞬間、ネークスの首元にサクッという音と共になにかが侵入した感覚があった。
途端にネークスの意識に闇が訪れる。
「私の短剣は、全部で五つではありません。六つです。
相手に見えるようにスカートから短剣をばらまいたのは、六本の短剣が五本だと思わせるためのブラフ。そもそも、私はまだ手の内をすべて明かしておりません。
この程度の簡単なブラフにすら気付かず、クリス様の深遠な策に気付ける道理もなし。あなた如きをクリス様にお目通りさせるわけにはまいりません。
――ごきげんようお客様。もう二度と会うこともないでしょう」
その言葉を最後に、ネークスの意識が闇の中へと落ちていくのだった。




