クリス応援団(所属1名)
部屋の中で、ずっとダラダラしているようにしか見えないクリスに、ソフィアは痺れを切らして尋ねてみた。
「……以前のように、動かれないのですか?」
彼は先日、賞金首を焼き殺し、森を開墾し、魔物を殲滅した。
この領地にあった難題を解決へと導いた。
そして、帝国暗部に命を握られていたソフィアを解放した。
まるで12歳の子供とは思えない行動力と実力だ。
これが本当の、主の姿なのだ。
しかしそれ以降はまるで眠った獅子のように、クリスは動かない。
また、あの格好良い主の姿を見たい。
そんな思いから出た質問だったのだが、
「刻が満ちるまでは、このままだ」
「――ッ!?」
まさかの発言に、ソフィアは息を飲んだ。
自分が知らない間に、彼は既に次なるターゲットを定めていたのだ!
ソフィアとしても、情報収集は怠ってはいなかった。
この領地の問題をピックアップしつつ、いずれにも対応出来るよう準備を進めていた。
(一体、次はどれを解決するんでしょうか!)
歓喜に染まる内心を必死に抑えつつ、ソフィアは尋ねた。
「その、刻……とは?」
「えっ? ええと……もうすぐ、かな?」
まるで、何かに気付いたかのようにクリスの目が泳いだ。
次の瞬間だった。
彼の姿が一瞬で消え去った。
「……ぇ?」
目を瞬かせ、辺りを見回す。
しかし、クリスが消えた事実は変わらない。
彼の動きを見失ったわけではなさそうだ。
「もしや、ベランダから出て行かれたのでしょうか?」
慌てて窓を開ける。だが、その時点でクリスがここを通っていないことに気がついた。
当然、外には彼の姿は見えなかった。
「一体、どこへ……」
その時、眼下をスティーヴが走り抜けた。
彼はソフィアが見たことがないような剣幕を浮かべていた。
どうも、尋常ならざる事態が発生したようだ。
「もしや、クリス様がおっしゃっていた〝刻〟とは、これのことでしょうか!」
あの視線を泳がせていたのは、その刻を感じ取ったからだったのだ!
「なんということでしょう! ――と、こうしてはいられないわ!!」
クリスが動いたことを喜びつつ、ソフィアは即座に情報収集に動いた。
クリスはいま、事件解決に取りかかっている。
その彼を、自分が一番近くで眺め――いや、支えるのだ!
暗部で仕込まれた隠密を用いて、ソフィアは屋根裏に移動。
執務室の真上に付くと、天井に耳を付けた。
丁度、スティーヴが執務室に駆け込んでくるところだった。
『父上、大変だ!』
『ぬっ、なんだ、スティーヴ。視察に行っていたのではないか?』
『そうなんだが、大変なことがわかった』
スティーヴは、父の命により農民が行う開拓事業の視察に向かっていた。
開拓は、先日クリスが魔術により氷結粉砕させた土地で行われている。
ついでと言わんばかりに、近くの魔物も一斉に氷付けにして全滅させている。
なにか問題が発生するようには、ソフィアには思えなかった。
『じ、実は……封印碑があったんだ』
『なんだとっ!?』
ガタッ、とヴァンが椅子から立ち上がる音が聞こえた。
『封印碑』について、ソフィアはこれまで一度も耳にしたことがない。
だが思わず立ち上がったヴァンの様子から、『封印碑』の発見は非常事態であることが伺える。
『して、封印は?』
『そ、それが……』
『なん、だと……!?』
『たぶん、誰かが邪魔だと思って倒したんだろうって』
『――ッ!! このっ、大馬鹿者ッ!! お前はなんのために視察に行っていたのだ!!』
『オ、オレが着いた時には、既に碑が倒れてたんだよ! もう、どうしようもないだろ!?』
執務室の中で、二人が普段の立場を忘れて怒鳴り合っている。
それだけで、どれほど深刻な状況かが伺えた。
(『ふういんひ』が倒れる――封印の碑? 倒れると、封印が解けるということでしょうか。そこから、なにかが解き放たれた?)
ソフィアが考えている間にも、下ではバタバタと慌ただしい音が聞こえてくる。
『スティーヴ。すぐにヘンリーを呼べ』
『言づては?』
『全兵だ。その場にいる兵をすべてかき集めろ! 俺が、陣頭指揮を執る』
『――ッ!?』
『スティーヴ! お前はヘンリーの下に走り、その後に城へ急報を放て!』
『はっ! 内容はなんと?』
『封印碑が破損。悪魔がこの世に解き放たれた可能性がある。早急に国軍の派兵を願う』
「――ッ!?」
悪魔という言葉に、ソフィアは危うく声を上げるところだった。
悪魔とは、数千年前の魔導世紀と呼ばれた時代に、英雄により封印された凶悪な思念体だ。
その体は朽ちることがなく、どのような魔術でも滅することが出来ないと言われている。
世界各地に悪魔が封印され、世界は平和を取り戻した。
ソフィアが読んだことのあるお伽噺には、そう書かれていた。
(それが、まさか本当に存在しているとは思いませんでした……)
話から推測すると、悪魔を封印していたものが、封印碑と呼ばれるもののようだ。
それが数千年のうちに、存在そのものが忘れ去られ、自然に返ったのだろう。
だから二人は、予想外といった反応を見せたのだ。
(けど、二人は封印碑の実在を疑っていませんでしたね。……もしや、貴族の中では当たり前の知識なのでしょうか?)
貴族以上の者しか知らない知識はごまんとある。
中でも、封印碑の存在は、情報そのものが非常に危険である。
もし悪意ある者がその情報を知れば、封印を解除して、国に混乱をもたらそうと考えかねないからだ。
民衆に知られぬよう、情報統制していたに違いない。
フォード領を訪れてから諜報活動を行っていたソフィアですら、『封印碑』を耳にしたことすらなかったのは、そのためだ。
(悪魔は、国軍を派兵する程のものなのですか……)
ソフィアの背筋がぶるりと震えた。
基本的に、貴族は自分の領地を自前の領兵で防衛する。
暴徒化した民衆や、魔物の対応などは、基本的に領兵の仕事だ。
ただし、例外がある。
国家を揺るがす存立危機事態だ。
そのような事態が発生した場合は、国軍が派兵される。
つまり、悪魔とは国家の存亡に関わるレベルなのだ。
「――ッ!」
そこで、ソフィアははたと気がついた。
もしや、クリスが消えたのはこの悪魔を討伐するためだったのでは? と。
これまで動かなかったのは、悪魔との対決に向けて鋭気を養っていたからだ。
そして今――〝刻〟が満ちた。
どのような問題を解決するのか考えていたが、まさか国軍が動くほどの悪魔と対峙しようとしていたとは、完全に予想外だった。
(クリス様、格好いいです!!)
天井裏で、心の中で喚声を上げながら悶えるソフィアであった。