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プロローグ1

「……この辺にしておこう」


 壮年の男性が訓練の終了を告げ、木剣を下げた。

 顔には落胆と失望の色がありありと浮かんでいる。


 この男はヴァン・フォード。地方子爵フォード家の現当主であり、訓練相手であるクリス・フォードの父親でもある。


 ヴァンはゼルブルグ王国において、名を知らぬ者がいない武の達人だ。

 フォード家は決して裕福ではないし、領土は国の外れの辺鄙な土地だ。目立った産業はないし、他国との交易路というわけでもない。


 完全にハズレ領地だ。

 だがそれらのマイナス要素は、ヴァン・フォードという男の名を曇らせることはなかった。

 ヴァンとは、それほどの傑物だった。


 フォード家三男クリスは、そんな傑物の遺伝子を受け継ぐ子だ。

 しかし、残念ながらヴァンの力はちっとも受け継がなかったようだ。


 今年で12歳になるというのに、クリスにはなんの取り柄もない。

 これまで何度か高名な教師を招聘したのだが、剣術はてんで駄目。魔術も一切身につかなかった。


 おまけに母のライラが天に帰ってからというもの、家の書庫に引きこもるようになってしまった。

 どうにかしてまともな人間に育て上げようと尽力したが、ヴァンの願いは通じなかった。


 今回の稽古も、ヴァンは一度も足を動かしていない。

 クリスの剣術があまりに弱すぎて、足を動かさずにすべての攻撃を退けられるのだ。


 クリスはまだ12歳だが、それを考慮に入れても酷すぎる。

 やる気ゼロの運動音痴。

 木剣を初めて持たせる領民の子どもたちの方が、クリスよりマシだと思えるほどだ。


「はぁ……。無駄飯食らいのでくの坊をどう躾ければ良いんだ? まったく頭が痛い」

「大変だね父さん。頭痛薬あげようか?」

「頭痛の原因はお前だッ!!」


 ヴァンは肩を怒らせる。

 この人を食ったような発言は、一体誰に似たのやら。


 緊張感の欠如は、間違いなく母親譲りだ。

 懐かしいと思う反面、ヴァンは非常にもどかしかった。

 それは、クリスがこのように育つはずではなかったからだ。


 ライラが子どもを身ごもった時、国定占術師が驚きの予言を下した。


『その子はゼルブルグ王国において比肩する者はなし。いずれ英雄と呼ばれる存在になるだろう』


 占術師の予言は、魔術による未来視だ。

 国定占術師ともなれば、正式な占術がハズレた例はない。


 この発言を信じたヴァンは、新たに生まれる三男に期待を込めて、初代フォード家当主である『クリス』の名を与えた。


 にも拘わらず、この体たらくである。


「徴収した税を使い、優れた教師を雇ったり、入手困難な秘薬を飲ませたのに、まさかここまで成長しないとは……。いったい、領民にどう説明すれば良いものやら」

「父さんには同情します」

「…………育て方を間違えたか」


 ヴァンはがくっと肩を落とした。


 クリスを育てるのに、かなりの大金を投じている。

 それは占術師の『将来英雄になる』との言葉を信じての投資だった。

 しかし、残念ながら完全に、完璧に、この上なく、育成失敗だ。


 これまで、もう少し、あと少し、成人の儀まではと判断を先延ばしにしてきた。

 だがもう、決断してしまっても良いだろう。

 これ以上、判断を先延ばしにしてもただの時間の無駄だ。


 そうと決めたヴァンは、早かった。


「皆、よく聞け!」


 父親ではなく領主としての言葉に聞こえるよう、声に力を込めた。

 それだけで、訓練を見守っていたメイドや執事たちが一斉に居住まいを正した。

 その表情には、緊張の色が浮かんでいる。


「フォード家三男、クリス・フォードは、本日をもって廃嫡とす!」

「「「「――ッ!!」」」


 皆が一斉に顔色を変えた。

 しかし、想像した以上に動揺は感じられない。

 それもそのはず。

 彼らは皆、クリスがいつ廃嫡されてもおかしくないと、心の準備をしていたのだ。


 クリスは無能。でくの坊。

 この家の者ならば――約一名のメイドを除き――皆がそう口にしている。

 それは陰口ではない。疑いようのない事実だった。


 次期領主候補ではなくなったクリスはというと、いつもと同じ笑みを浮かべていた。


「承知しました」


 おまけに、その声からは動揺が一切感じられない。

 クリスはもう12歳だ。さすがに貴族の子として最も重要なものを取り上げられたことが、わからない年ではない。

 にも拘わらず、彼は平然と微笑んでいた。


 それを見て、ヴァンは内心感心していた。


(……見事だ。最後の最後で、でくの坊返上か)


 クリスはでくの坊ではあるが、決して莫迦ではない。

 事実、彼は書庫に籠もって、毎日のように書物を読みふけっている。


 家の書物を読むためには、公用語と魔術語を完璧に理解しなければならない。

 つまりクリスは若干十二才で、公用語と魔術語をマスターしているのだ。

 そのような子が、莫迦であろうはずがない。


(後継者としての育成には失敗したが、貴族の子として最低限の後始末は出来る子ではあった、か)


 クリスが動じなかったのは、廃嫡が理解出来なかったからではない。

 貴族の子として、ヴァンの決定に一切のしこりを残さないためだ。

 そう感心するヴァンの前で、クリスが口を開いた。


「やった。これで面倒な稽古がなくなる! ヒャッホウ!」

「…………」


 この時ヴァンは、ほんの僅かに残っていたクリスへの信頼が、ガラガラと崩れ落ちる音が聞こえた気がした。



          ○



 日課だった剣術訓練が終了したあと、クリスはまっすぐ書庫へと向かった。


 はじめ、父上の廃嫡宣言には心底驚いた。

 だが『跡取り』の肩書きはクリスにとって、ただの足かせでしかなかった。


 クリスは貴族の三男だ。

 継承権の順位が最も低い立場である。


 なのでそもそも、自分が家を継ぐなんて考えは毛頭なかった。

 おまけに、フォード家の兄弟は皆優秀だった。


 長男のスティーヴは現在、父上の右腕として領地経営を学んでいる。

 剣術の腕前はそこそこだが、人柄は厳格で、貴族としてのバランス感覚が良い。


 次男のヘンリーは、弱冠十六歳にして領兵団団長に就任している。

 団長に就任したのはフォード家だからではない。剣術が達者だったからだ。


 この領内で、ヘンリーの右に出るものは父だけだ。

 また人柄は温厚で、使用人たちからの信頼はことに篤い。


 どちらの兄も、すぐに領地を引き継げるだけの実力と、そしてカリスマがあった。

 どちらも優秀ならば、わざわざ自分も跡目争いに加わる必要はない。


 そんなことよりも、クリスが興味を惹かれるのは書物だ。

 家には母が残していった書物が、沢山保管されている。


 母が天に帰ってから六年。クリスはずっと書庫に引きこもっていた。

 毎日毎日、母が残した書物を紐解きながら、文字がもたらす情報に身を委ねていた。


 書架に並んでいるのは、ほとんどが魔導書だ。

 いままで魔術を上手く扱えた例はないが、魔導書に描かれた魔術を見て、その効果を想像するだけでも楽しかった。


「次は、どの魔導書を見ようかなあ」


 クリスが書架から、まだ開いたことのない本を探す。

 その目が、ふと薄い魔導書を捉えた。


「なんだろう、これ?」


 初めて見る本だ。

 背表紙には、何も書かれていない。

 そもそも、六年間ここに入り浸っていたのに、これほど薄い本があったことを知らなかった。


「よし、これにしよう!」


 その薄さに興味が惹かれた。

 クリスは本を手に取り、表紙を開いた。

 その時だった。


 突如、本が勝手に浮かび上がった。

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新作「『√悪役貴族 処刑回避から始まる覇王道』 を宜しくお願いいたします!
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