異世界人の厄災
レコン辺境伯の執務室は領都の象徴とも言える城の奥深くにあった。
部屋は魔道具を作動させると魔法の結界が張られ盗聴や透視を防ぐ事ができるようになっている。
部屋には辺境伯が日々の仕事を行う頑丈な木製の机の他、高さの低い長テーブルが置かれそのテーブルを挟んで柔らかなソファーが置かれていた。
テーブルの上にはワインの様な淡い煉瓦色の液体が入ったグラスが二つとつまむためのビスケットが入った皿が置かれそれぞれのソファーには辺境伯とオデットが向かい合わせに座っていた。
辺境伯は娘に異世界人のことを話すにあたって辺境伯は娘以外の者を部屋から出した。これから話す内容は一族の者、それも領主に連なる者しか聞かせることは出来ないものなのだ。
従って部屋には辺境伯とオデットの二人だけだ。
辺境伯は盗聴透視防止の魔道具を起動させると手にグラスを持ち柔らかめの椅子に深く腰を落ち着け静かに語りだした。
「世間一般、公式の記録では異世界人が召喚されたのは約五百年前が最後とされている。」
「五百年前?それは随分と古い話ですね。五百年の間に異世界召喚はされなかったですか?」
「公式ではな……無論、五百年の間に何度も行われている、それも秘密裏にな。当然だろう、召喚される異世界人はことごとく複数のユニークスキルを持っている。自らの国の兵力としては実に魅力的な存在だ。」
オデットは父である辺境伯の言葉に息を呑んだ。
自分を助けてくれた青年、エルロードが使ったスキルを思い出した。彼の使ったスキルは正にユニークスキルと言われるものであり熟達すれば一軍でも屠れる物であるという事は想像に容易かった。
「……話を続けよう。大陸憲章である”異世界召喚禁止条約”が出来たのは今から三百年前、それはそれより数年前に起こったある出来事から成立したものだ。」
辺境伯はのどが渇いたためか、これから話す内容を確かめるためか手にしたグラスを呷る。
「オデット。お前もレコンの人間なら”落ちた王国”と言われる遺跡は知っているだろう。実際見たこともあるはずだ。」
父の言葉にオデットは黙ったまま頷く。
レコン辺境伯領内にある少し高い山に登れば”深き魔の森”とその先にある”落ちた王国”と言われる遺跡をかすかに見ることは出きるしオデット自身も山に登り遺跡を見たことは何度かあった。
「あの遺跡は”落ちた王国”と言われているのは実際に王国が空から落ちた結果なのだ。」
「え!空から?ではあの遺跡は昔空に浮かんでいたのでしょうか?」
「うむ。我が家に伝わる話によると遺跡の周りを取り囲むクリフ・ウォールより少し高いぐらいの位置に静止していたそうだ。そこからクリフ・ウォールに向かって橋がかけられていたと聞いている。」
「それがある日何らかの原因で落ちて今の状態になったと言うことでしょうか?」
「何らかではない。原因と言うより落ちた理由は判っている。王国を浮かべていた者がいなくなったのだ。」
「王国を浮かべていた者?遺跡の規模から考えると王国はかなりの大きさだと思いますが一体何人で……まさか!」
辺境伯はゆっくりと頷いてみせた。
「そうだ。王国を浮かべていたのは一人、異世界人だ。彼女のユニークスキルにより王国は空に浮かんでいたとされている。それがある時力を失い空にあった王国は落ちた。問題はそれだけではなく国が落ちた後に厄災が起こったのだ。その厄災を巻き起こしたものは”イレブン”と言う名前の異界人だ。彼らの言葉で”十一”と言う意味らしい。」
「十一でイレブンですか……どこかで聞いたことがある様な響きですね……。」
「”イェルブ”だろう。実際、イレブンは落ちた勇者”イェルブ”の事だ。意図的なものかそれとも長い年月の間に変わったのかは判らぬ。おそらく意図的なものであろう、伝え聞く人物像とはかけ離れているからな。
実際に何が起こったのかは憶測でしか無い。王国が落ちた後、イレブンは自らが持つ力、複数のユニークスキルを暴走させ異形の者に成り果てた。その異形化は周囲の物にも影響しことごとく変異させたらしい。”深き魔の森”はその変異で出来たのだ。」
”落ちた王国”だけでなく”深き魔の森”も変異されたとすると驚くべき広さだ。イレブンの力は計り知れないものがある。もし異世界人がその様な影響をもたらす存在なら異世界人召喚が禁忌とされる事は当然だろう。
しかしここでオデットには別の疑問が浮かんだ。
「お父様。それほどまで詳しい話は魔導学院でも教えられておりません。例えば一部の者にしか伝えられないのであるなら、辺境伯でしか無い我家になぜ伝えられているのでしょうか?」
「うむ。その疑問は当然だ。そしてその理由は単純なものだ。イレブン討伐の最終拠点がこの地だったからなのだよ。」
辺境伯はオデットの質問から娘の成長を感じ取り満足そうに頷いた。
「変異したイレブンを討つため多くの冒険者たちがこの地にやってきた。フリューゲルの初代国王であるホルンもその一人だ。そして異形と化したイレブン、当時は魔王と称されていたらしい、を討ち果たした。」
「……それで父上は彼らをどうなさるおつもりでしょうか?」
「一人か二人なら異形化する前ならどうとも出来ただろう。しかし、三十人は……。」
「ひとまずは様子を見るしか無いと?」
「仕方あるまい。」
そう言って辺境伯は深い溜め息をついた。