#9 母上
その後の処理は、大変だった。
一言で言えば、2万の群集を前にハッタリをかましたわけだ。それも、王国の国王陛下や王族の同意などなしに、勝手に同盟関係の樹立が決定したことを、女勇者自身の名の元に宣言してしまった。
「どういうことであるか!やはりこの騒乱は、そなたらが我ら王族を落としめようと仕掛けたことではないのか!?」
当然、王族は我々に抗議する。民衆と王族の間に立つはずの宰相を務める公爵閣下も同様だ。我々は、彼女らの言いたい放題に責められる。が、この場は艦長が終始、そのような意図はないと繰り返すことしかできない。
もっとも、今さらあの「宣言」をひっくり返すことなどできない。それくらいは彼女らも理解している。あと1時間遅れていたら、もしかすると王宮内に群衆が雪崩れ込み、今ここで抗議を繰り返す王族はこの世から消滅していたかもしれない。
それゆえにクレセンシアは、陛下にこう進言する。
「陛下、恐れながら申し上げます。かの魔族には、王族を貶めたり乗っ取ったりする意図など、無いことは明らかでございます。」
すると、陛下に変わって、宰相が尋ねる。
「シルクパトリック伯よ、なぜ、そうだと言い切れる。」
「はっ、閣下。一昨日の嵐の際、かの者らは嵐を一撃で吹き飛ばすほどの雷を放ち、濁流を塞ぐほどの岩をいともたやすく運び込み、この水害を鎮めてしまいました。それほどの力のある魔族がもし王国を乗っ取ろうと考えたなら、わざわざ我らの抗議など聞かず、この王宮ごと吹き飛ばすのではありませんか?」
陛下の前で、しゃあしゃあと冷徹な現実を投げかける女勇者のこの言葉に、王族、貴族らは言葉を失う。結局、陛下自身の采配で、我々のあの宣言は追認されることとなる。
まあ、こうなるであろうことは大体予想していた。というか、それを受け入れられないようであれば、この国の国王は本当にどうしようもない連中だと言うことになる。さすがに、それくらいの判断能力は持っているようだ。
その後は王国と我が艦との間に、食糧の調達に関する取り決め、乗員の行動の自由に関する保証など、細かなルールについて話し合われた。こうして夕暮れまでには、あらかたのことは決定する。
そしてついに僕らは、この王国との間に同盟を結ぶことができた。
その夜のうちに、哨戒艦11番艦は再び郊外のあの丘の上に向かい、その巨大な船体を丘の上に乗せて着地する。この着陸をもって、一連の民衆蜂起防止作戦は終了する。
「まったく、たいした策士だな。まんまとあの王族どもを手玉にとったものだ。」
夕食時に、クレセンシアが僕に放った一言が、これだ。
「……仕方ないだろう。ああでもしなければ、王宮はどうなっていたか。好きで嫌われ役をやったわけではない。」
「何をいうか、褒めているのだぞ。まったく、民衆を鎮めたばかりか、ちゃっかりお前らの要求まで通してしまうとは、よく思いついたものだ。これほど見事な策略は未だかつて、見たことも聞いたこともない。」
褒めていると言うわりには、まるで僕があの混乱を利用して、自分の要求を通してしまったような詐欺師だと言わんばかりだが……いや、実際にその通りだな。
「だがこれで、我々もようやくお前ら知的な魔族と、堂々と交わえるわけだ。結果的にパレアレス王国民にとっても、良き結果を招いたと言えよう。」
どこか引っかかる物言いをするな、この女勇者は。交わるとはなんだ、交わるとは。
「……と、ともかく、僕らにとっては、ようやく生存権の確保がなったわけだ。食糧提供の見返りとして、我々も何か提供できるものを考えないといけないな。」
「それならば、問題ない。」
「なんだ、何かあるのか、我々への要望が?」
「この王都だけでも、年頃の人族が数千はいる。周辺の村々まで含めれば、お前らの相手を希望する民は万を超えよう。それに比べれば100人分の食糧提供など、取るに足らん。」
クレセンシアのこの言葉で、彼女が何を言いたいのか、なんとなく察する。おい、待て。それではまるで、国家レベルのハーレ……いやいや、まてまて、ここは冷静になれ。ここの国民は700年以上も男を魔族として敵視し、戦ってきたんだ。いくら我々が他の魔族とは異なるからといって、急に親密になることなどないだろう。
が、ジーッと僕の顔を見つめるクレセンシアの視線が、妙に気になる。ちょっと意識しすぎだろうか。僕は話を逸らす。
「と、ところでクレセンシア。せっかく許可も降りたし、明日は王都を巡ってみたいと思うのだけど、案内を頼めないかなぁ。」
それを聞いて、少し不満げな表情のクレセンシア。
「……それは構わぬが、どこか行きたい場所はあるのか?」
「ええと……そう、市場だ。人々の活気のある場所に行ってみたい。」
「そうか……」
何だろうか、急に機嫌が悪くなったような気がする。何か僕は、妙なことを言ったか?その後、僕とクレセンシアは、それぞれの部屋へと戻る。
それから風呂に入り、再び部屋に戻る。寝る前に、電子書籍を読んで過ごしていると、ノックする音が聞こえる。
誰だろうか?この王国の時間で午後10時過ぎとなる時間だが、そんな夜更けに一体、誰が?不審に思いながらドアを開けると、そこには寝間着姿のクレセンシアが立っていた。
「……なんだ、クレセンシア。こんな夜更けに、何の用だ?」
僕は、その女勇者に尋ねる。が、彼女は無言で僕を部屋に押し入れると、そのままドアを閉め、鍵をかける。そして、一言。
「覚悟しろ。」
ええええーっ!?まさか、クレセンシアのやつ、僕の命を狙って……抗おうにも、丸腰ではこの鍛えられた女勇者にはとても敵わない。そのまま僕は、ベッドの上に押しつけられた。
「覚悟いたせ!」
まずい、僕は彼女から殺気のようなものを感じ取る。僕にのしかかったこの女勇者は不吉な笑みを浮かべると、僕の首根っこを抑え、そして……服を、脱ぎ始めた。
な、何をしているんだ、クレセンシアよ。だが彼女は僕の身も剥がし始める。それから……その先のことは、とても僕の語彙力では言い表せない。ともかく滅茶苦茶で、忘れられない夜となった。
……で、その翌朝。僕は、目を覚ます。おぼろげながら、目を開くと、目の前には顔が見える。
女の顔だ……でも一体ここに、どうして……目覚めたばかりの頭で、記憶の糸を辿る。が、その処理が終わらぬうちに、目の前のその顔の方が先に動く。
「行くぞ、アルフォンス!」
「……えっ?」
「何を寝ぼけた顔をしている!だらしないぞ!」
ああ、女勇者だ。そういえば昨夜は、この女勇者と過ごして……などと余韻に浸る間も無く、僕はこの女勇者に叩き起こされ、哨戒艦の外に出る。時計を見ると、現地時間で朝の6時ごろ。昇ったばかりの太陽が、森を照らしている。
田園地帯を超えて、王都へと歩く僕とクレセンシア。まだ頭が冴えない。しかし、昨夜のことはよく覚えている。
大変な夜だった。僕は今夜のことを、一生忘れないだろう。クレセンシアという女勇者を、僕はどこか、侮っていた。その油断が招いた、昨夜の不意打ちだ。
「よく見ろ。朝早くから、あのように市が立つのだ。」
クレセンシアのこの言葉に、僕はその指差す方角を見る。そこは昨日、あの2万の群衆が押し寄せていた、あの広場だった。
その広場には、たくさんの人々が集う。しかし、昨日のような暴発的な群衆ではない。そこにいたのは、立ち並ぶ出店の前に物を買い求める人々だった。
穀物、果物、そして魔獣の肉……鍋や刃物を売る鍛冶屋もいるな。ここにいる人々が全て女性であること以外は、僕らの宇宙でもよく見かける市場そのものの姿だった。
ここはやはり、王都だ。この王国の首都だ。それだけに、活気がある。たくさんの物品、大勢の人々、静寂さと喧騒が入り乱れる空気が、この広場で交差する。
ここは僕らの知らない銀河の中にある星。しかしそこが僕らとは別の宇宙、別の世界のものとは思えないほど、ごくありふれた日常を見せる。そんな風景を見て僕は、どこか安堵する。
が、僕の知る世界では、あまり見かけない風景もそこにはあった。
広場の外れに差し掛かると、談笑しながら歩く2人の人物が見える。が、その2人、ほぼ半裸状態だ。
この国にいる国民のほとんど全てが、女性だ。当然この2人も、女だ。僕はその衝撃的な光景に、思わず目を逸らす。
「おい、どうした?」
怪訝そうな顔で見つめるクレセンシアに、僕は応える。
「い、いや、ちょっと……あの2人組が……」
「ああ、あれはこの先にある公衆浴場帰りの者らではないか。それが一体、どうしたと……」
不思議そうに見つめるクレセンシア。彼女には、僕が目を逸らした理由が分からないようだ。
冷静に考えたら、ここには男がいない。あの姿で歩くことに、警戒心がない。女ばかりの国であるということはつまり、そういうことでもある。
最初は不思議そうに僕を眺めていたクレセンシアだが、急に顔を赤くして、僕の前に立ちはだかる。どうやら、僕の気持ちをようやく察してくれたようだ。クレセンシアは、こう応える。
「そういえばお前は、魔族だったな……しかしなんだ、他の人族の裸体を見て興奮するとは……何だか妙に、腹が立つな。」
今、クレセンシアが抱いている感情とは、僕らが言うところの「嫉妬」というやつなのかもしれない。ここ数日を僕と関わり続け、そして昨夜は共に……いや、それはともかく、そんな彼女だからこそ得られた感情とも言える。
僕を下僕にしか考えていないであろうこの女勇者に起きている感情変化に、僕はむしろ戸惑う。いや、そんな生易しい表現では済まない。恐怖と言った方がいい。何というか、この女勇者は、自身の感情にストレート過ぎる。下手に刺激すれば、あの大剣からの炎で焼き尽くされるか、その腕力で首をへし折られるか、のいずれかの運命が訪れることだろう。背筋が、凍りつくのを覚える。
「と、とにかくだ、せっかく市場に来たのだから、何か買っていかないか?」
「買うといってもだな……お前、金はあるのか?」
「あ……」
無理矢理話題を変え、それに応えたクレセンシアのこの言葉で、僕は重大なことを思い出した。そうだ、僕はパレアレス王国の通貨を持っていない。
ここで買い物をするには当然、お金が必要だ。この先帰れるかどうか分からない今、そのお金を手に入れる手段を考慮せねばならない。つまり、収入源の確保が必要だ。
だが、どうすればいいのか?
「まあ、この場は私が出すとしよう。なんなりと……あ……」
クレセンシアが急に言葉に詰まる。
「どうした?」
「私も……金がない。」
「は?」
「いや、持ち合わせておらぬというだけだ!屋敷に戻ればある!行くぞ!」
「行くって……どこに?」
「決まっておろう!屋敷だ!」
なんだ、クレセンシアのやつ、王都にも住む場所はあるんじゃないか。って、よく考えたら彼女は、この国の伯爵だ。そりゃあ屋敷ぐらいあって当然だろう。
と、いうわけで、僕はクレセンシアに連れられて、シルクパトリック伯爵家の屋敷に向かう。
屋敷といっても、随分と小さい。比較的広い敷地に、大きめの木造の平屋がポンと建てられている。
上空から見ても気になっていたのだが、ここは王宮以外には石造りの大きな建物が見られない。木造中心の家や屋敷が多い。しかも、いずれも低い建物ばかりだ。やはりこれは、女性だけの国家という事実が関係しているのだろう。
その平屋建ての屋敷に入ると、一人のメイドが出迎える。
「お帰りなさいませ、クレセンシア様。」
「うむ、今戻った。すぐに出かける。」
クレセンシアに深々と頭を下げるそのメイドは、僕の存在に気づくや、少し険しい表情になる。それを察したクレセンシアは、メイドに言う。
「ああ、カリサよ。この者は無害な魔族だ。気にするな。」
「無害な魔族とは……もしや、大勢の民を救ったという、あの浮遊岩のような船に乗った方々ですか?」
「そうだ。こやつはその中でも、空飛ぶゴーレムを操る者ぞ。」
「さ、さようでございますか!?噂で聞く、ハヴェルチェ川の決壊した堤を岩で塞いだという、あの空飛ぶゴーレムを……」
クレセンシアの話を聞いたカリサとかいうこのメイドは、僕に深々と頭を下げてきた。そんなメイドに僕は、思わず敬礼で返す。
玄関から居間に通され、そこでクレセンシアはお金を取りに奥の部屋へと向かう。僕は居間で、クレセンシアが戻るのを待つ。が、その時、居間の壁に飾られた、大きな肖像画に目が止まる。
緑のドレスを纏い、椅子に腰掛けるその女性は、明らかにクレセンシアだ。大きな聖剣を背中に背負い、鎧姿のイメージの強いクレセンシアだが、こうしてみると、確かに貴族令嬢だな。いや、この国では当主か。
「何をじろじろと見ている。」
肖像画をまじまじと見つめる僕に、クレセンシアが突っかかるように声を掛ける。僕は応える。
「いい肖像画じゃないか。」
するとクレセンシアが、こう応える。
「おい、言っておくがそれは、私ではないぞ。」
「は?いや、どう見てもこれは、クレセンシアだろう。」
「いや、これは先代当主、つまり、母上だ。」
「は?母上……?」
僕は驚くと同時に、ふとこの国の事情を思い出す。そういえばこの国は、男なしで子供を授かるという、生物学無用の処女懐妊という恐るべきシステムを持っている。
ということはだ、娘は、母親の遺伝子のみを引き継ぐ。つまり、母親とは瓜二つ。おそらくはその前の代も、その前もそうなのだろう。
同じ遺伝子を受け継ぐ、細胞分裂のような子孫継承ならば、当然母娘がそっくりなのもうなずける。
うーん、母親だけで娘を作るという話は、本当なのだな。この肖像画は、単一の遺伝子を受け継ぐだけの親子の存在を強く物語る。
「この肖像画は、私の母上、レオカディア・フェルディナン・ポルカレッロ・イ・シルクパトリック。今から18年前、21歳の時に王国の絵師に描かせたものだ。」
「18年前って……それじゃ、クレセンシアがまだ2歳の時の?」
「そうだ。」
クレセンシアは今、20歳だ。ということはこの母親は、今のクレセンシアぐらいの時の姿か。同じ遺伝子を持ち、ほぼ同い年ならば、そっくりで当然だろう。
「ところで、その母上様は今、どこに?」
僕はクレセンシアに何気なく尋ねたこの一言が、クレセンシアの何かに火をつける。急に表情が険しくなった彼女を見て、僕は瞬時に、触れてはいけない何かに触れてしまったことを悟る。
彼女はいきなり、今の中央にある太い柱を殴りつける。家中の窓が、ビリビリと響く。そばに立っていた侍女のカリサは、その音にビクッとする。
「あ、あの……それって聞いちゃダメだった……のかな……」
僕のこの質問に、無言で睨み返すクレセンシア。その表情は、初対面の時の、まさに僕やエリク少尉を聖剣で焼き殺さんと襲いかかってきた、あの時の表情だ。
「……10年前……」
「えっ?」
「10年前に、母上は旅立たれた。そしてついに、帰ってこなかった。」
「10年前って……クレセンシアが、10歳の時?」
「そうだ。」
「あの、その時に一体、なにが……」
「噂が、流れた。西方の地で、魔族が再び、国を作った、と。」
「えっ!?でも魔族の国って、700年前からあるんじゃ……」
「いや、魔王が死んだ後に、国を治める力を失い、魔族は森の中に散った。それ以来、魔族が国を持つことはなかった筈だ。だが10年前に、再び強力な指導者が現れて魔族を集結し始めたらしいという話を聞いた。実際、その時パレアレス王国の辺境の村々が、次々と襲われていたのだ。そこで大規模な魔族討伐隊を編成し、母上がその隊長の任を賜った。」
「……そしてその討伐隊は、帰ってこなかった、と。」
僕のこの一言に、また怖い顔で睨みつけるクレセンシア。うう、普段はそうでもないが、殺気だった時の彼女の顔が、あまりにも怖い。今にも首をへし折られそうだ。
「……その通りだ。だから私は、その魔族の国を滅ぼすために努力し、結果、勇者の称号を賜った。周囲の蛮族どもを滅ぼしたのちに、いつかはその魔族の国を焼き払う。母上の無念を、数千、数万倍にして返してやるつもりだ!」
また柱を殴ってる。あまり殴ると、家が倒れるぞ。とにかく、クレセンシアがなぜ魔族をそこまで憎んでいるのかは、納得した。
「よし!アルフォンスよ、いくぞ!」
いきり立つクレセンシアは、僕をけしかける。
「ああ、さっきの市場に戻るのだな。では、広場の西側にあった……」
「馬鹿!誰が市場などいくものか!」
「は?でも、ここには財布を取りに戻っただけで……」
「何を言うか!今の話を聞いて、なぜ市場などへ戻れようか!これより、討伐へ向かうぞ!」
「ええーっ!?」
この沸点の低さは、生まれ持った性分だろうか?それとも、まだ幼き頃に母親を失ったショックゆえだろうか?ともかく僕は、市場でのショッピングに勤しむ間も無く、深い森へと出かけることとなった。