#4 魔獣
僕は今、森の中にいる。
あの女騎士、いや、自称女勇者のクレセンシアとその一行による襲撃で中断していた調査を、再開していた。護衛のため、4人ほどが僕の周囲につく。
なお、人型重機も地上にて待機している。いざという時に、僕が呼び出すためだ。
でも、本来はあの機体、こういうところで使うのが目的の機体ではないんだけどなぁ……1000万キロ以上先の艦影をも捉えられる重力子レンズの展開や、指向性レーダー用アンテナや対艦ソナーなどを宇宙空間に設置するため、この哨戒艦に乗せられている機体なのだが。
そんなことを考えながら、僕はあの女勇者、クレセンシアとの会話を思い返す……
「……で、あなたの名前をお聞きしたいのですが……」
「断る!誰が魔族などに名乗るものか!」
「いや、だから、我々は人間の男性であって、魔族ではないと……」
「魔族は魔族だ!」
まるで会話にならない。民族レベルの男不信が相手では、これほどまで分かり合えないものかと思い知らされる。
で、結局、クレール先生とリゼット准尉にお願いして、彼女の名前を聞いてもらった。
なんでも、彼女の名は「クレセンシア・パラフォクス・ポルカレッロ・イ・シルクパトリック」と言うらしい。なんて長い名前だ。
パレアレス王国貴族の一つ、シルクパトリック伯爵家の当主で、王国随一の聖剣の使い手だと言う。このため彼女は騎士の中でも頂点に立つもの、「勇者」の称号を与えられているという。
王国というが、察するにその国は女だらけなのだろうな……そう聞くと、ほのぼのとした雰囲気に感じるが、その王国の聖剣の使い手があれでは、さぞかし殺伐とした国に違いない。
そういえば、残りの4人についても色々と分かってきた。彼女らはクレセンシアを補佐し、守るために随行する人々だと言う。
ローブを纏い、杖を持った人物が2人いた。彼女らは魔術師と呼ばれ、一方が光魔術の使い手のイラーナ、もう一方が闇魔術の使い手のロレナという。
光魔術とは、話を聞く限りは電撃のようだ。稲妻のようなものを放つというから、おそらくはそうだろう。
闇魔術というのが今ひとつ分かりにくいが、黒い霧のようなものを発して、周りにいる人々の感覚や意識を混濁させる力があるという。話から察するに、一種の神経ガスか何かか?
で、残りの2人だが、クレセンシアに次いで大きな剣を持っていたのがサリタといい、もう1人がセレステという。
サリタは王国一の剣士だそうで、クレセンシアと共に「魔族」の街や村を襲い、魔族を切り刻んで殲滅するのだという。恐ろしい女だ。
一方のセレステは、魔術や武術の心得はない。運び人に料理人として随行しているようだ。
そのセレステが言うには、この森の中には、魔獣が棲んでいると言う。で、その魔獣を捕らえては捌いて、調理していたのだと言うのだが……
などと、あの5人のことを考えながら、僕は土壌や植物のサンプルを採取する。しかし今のところ、特に普通の地球との違いは見当たらない。本当にここには、その魔獣とやらはいるのか?
だが、一応警戒するに越したことはない。何せいきなり僕は、あの女5人組に襲われ、殺されかけた。この星ではおそらく、女の方が怖い。
「終わりました!そろそろ引き返しましょう!」
サンプルの採集が終わったので、僕は護衛の4人に声を掛ける。そして機材を片付けて、僕らは艦の方へと向かう。
「ところで中尉、我が艦の左側の機関のことを何か聞いてないか?」
「まだ動かないらしいですよ。重力子エンジンが起動しないとか。」
「まったく機関科の奴ら、何やってるんだ!機関が直ったら、この妙な星から離れて、さっさと地球325に帰るぞ!」
悪態を吐くのは、艦長から僕の護衛のリーダーを任されたコンスタン大尉だ。所属は、砲撃科。
砲撃手でもあるが、射撃の腕も艦内一だ。だから艦長から、僕の護衛のリーダーに任命された。
鬱蒼とした森の中を抜けると、駆逐艦が着地する場所まで、目と鼻の先だ。
その森の木々を抜けるほんの少し手前で、そいつは現れた。
重苦しい、獣のような息遣いが、木々の間をこだまする。
その音に最初に気づいたのは、コンスタン大尉だ。大尉が足を止めて振り向く。僕らもつられて、大尉の目線の先を見る。そこで、この音に気づく。
だがそれは、あまりにも大きな音。獣にしては、大き過ぎる。
だが、その声の方に振り向いた我々は悟る。声の主が、大き過ぎるだけだということを。
そこにいるのは、イノシシだ。ただし、体長は5メートルほど。これほど巨大なイノシシなど、見たことがない。
「戦闘態勢!中尉は、重機まで走れ!」
大尉が叫びながら、僕を後ろに突き飛ばすと、4人は一斉に銃を抜く。そして、その声の主に向ける。
僕は地面を這うように、森を抜ける。開けた場所に出ると、そこには待機してあった人型重機が置かれている。
僕はその重機に飛び乗る。ハッチを閉め、起動させようとしたあたりで、とてつもない音を聞く。
「オオオオォォォッ!!」
ハッチがなければ、鼓膜が破れてしまうのではないかと思う音だった。危ない、あれを直撃していたら、えらいことに……と、そこで僕は、ふと気づく。
待てよ、ということは、あれの直撃を食らったコンスタン大尉達は今ごろ……
ハッチ越しに、あのイノシシの方を見る。そのイノシシの足元に、4人が倒れているのが見えた。
僕は、起動したばかりの重機を猛然と走らせる。
「うおおおおぉっ!」
4人のあの姿を見て、我を忘れて大声で叫んでしまった。図体のわりに鈍足な重機だというのに、まるでロボットアニメの主役ロボ気取りで、やつに突進をかける。
あのイノシシ、倒れた4人を食おうとしたのだろうか、そのうちの1人に向かって大きな口を開けていた。が、突然、自分と同じくらいの大きさの物体が突入するのを見て、身の危険を感じて振り向く。牙を立てて、こちらに突進をかけてきた。
双方、ぶつかり合う。いや正確には、ぶつかったのはイノシシと、こちらのバリア粒子だ。まさかガチでぶつかるわけにはいかないだろう。さすがの大型イノシシといえど、こちらの防御兵器相手では敵うまい。後方に吹き飛ばされ、ズシンと音を立てて倒れる。
倒れた大イノシシを見て、僕は重機のハッチを開ける。獣の毛が焼ける臭いが周囲に充満している。手前には、あのイノシシの大音声で倒れた4人が、その先にバリアで顔面を吹き飛ばされた、あの巨大イノシシの胴体部分が転がっている。
「大尉殿!」
僕は地上に降りると、コンスタン大尉の元に駆け寄る。すると、大尉は目を覚まし、立ち上がる。
「大尉殿!大丈夫ですか!?」
僕の問いかけに、大尉は耳を指差す。そして、こう僕に告げる。
「耳が……耳が、ほとんど聞こえない……」
ああ、そうか。あのイノシシの雄叫びで、鼓膜をやられたんだ。だいたい160デシベルで鼓膜が吹っ飛ぶと言うから、それくらいの音がこの4人を襲ったのだろう。
にしても、なんてやつだ。あんな大きな音を出せるイノシシなど聞いたことがない。やはりあのイノシシは、いわゆる魔獣なのだろう。
増援を呼び、コンスタン大尉ら4人を連れて行ってもらったのち、僕は人型重機であのイノシシを第3格納庫内に運び込む。ハッチを閉じ、イノシシを下ろす。
「おい、中尉殿、なんじゃこれは!?」
整備科のデジレ兵曹長が、運んできた巨大イノシシを見て声を上げる。呆れるほどでかいこのイノシシに、整備科の人々も唖然としている。
「調査中に現れたんです。コンスタン大尉ら4人がその声でやられて……」
「はぁ!?あのコンスタン大尉がやられたって!?」
「いえ、幸い命に別状はありません。ですが、耳が……」
ともかく僕の今の仕事は、この星の調査だ。この魔獣と呼ばれる化け物の調査も、その一環だと考えてここに運び込んだ。
だが、当然だがこの魔獣がどんな生き物なのか、知る由もない。倒してしまったため、その生態を探ることもできない。
「あの、例の5人のうち、1人を呼んではいただけませんか?」
「……あの、人族とか言う連中のことか?」
「はい。このイノシシが何者か、知りたいんです。」
「構わねえけど、連れてきたら暴れないか?」
「そうですねぇ……」
あの5人には今、艦内にいる女性士官3人とともに会議室でビデオを見ているはずだ。我々が何者なのか、そして我々の世界がどういうところなのか?それを知ってもらうことで、あの男不信を少しでも解消してもらうつもりだった。
で、僕は5人の中で、セレステを指名する。あの5人で唯一、戦闘能力を持たず、しかも魔獣の存在を知っていそうな人物だ。きっと、この巨大イノシシのことも知っているだろう。
で、リゼット准尉と男性士官2人に囲まれて連れてこられたセレステは、やや不機嫌そうな顔でこの第3格納庫に入ってきた。が、あのイノシシを見るや、急に顔が明るくなる。
「はっ!?こ、これは……エリュマントス!」
目を輝かせ、口からよだれを垂らしながら、その巨大イノシシの死骸に駆け寄る。僕はそのセレステに尋ねる。
「あの、セレステ殿……このイノシシのことについて伺いたいのですが……」
「なんですか!魔族の分際で、エリュマントスも知らないのですか!このエリュマントスは森の主で、大地を揺るがすほどの雄叫びを上げ、人や他の魔獣を気絶させてその肉を食う邪悪な魔獣なのです!」
はぁ、そうだったのか……あと一歩遅ければ、やはり大尉殿らは食べられてしまうところだったのか。
「ところがこのエリュマントスは、大変な美味で有名なのです!王宮でも滅多に上がらない、大変貴重な食材!それが今、私の目の前にあるなんて……はぁ~っ!ぜひともクレセンシア様に、食べていただきたい!」
「えっ!?た、食べられるの、これ!?」
「当たり前です、見れば分かるでしょう!さ、そういうわけなので。」
といってセレステは、僕に手を差し出す。
「あの……この手は?」
「決まってるでしょう!刃物です!刃物を下さい!すぐに捌いてみせましょう!」
「えっ!?今から、これを捌くの!?」
くいくいっと手先を動かしつつ、僕に刃物を渡すよう迫るセレステ。人を魔族扱いしておきながら、なんという図々しいやつだろうか。
まあしかし、彼女ならば刃物を持たせたところで、我々を襲うことはないだろう。そう判断した僕は、リゼット准尉に刃物を持ってくるよう頼む。
「……というわけだ、リゼット准尉。主計科の備品で、大きな包丁があるだろう。」
「えっ!?包丁を持ってくるんですか!?」
「僕がが許可するよ。あとで艦長には断っておく。ただし、この格納庫内での使用に限る、と。」
急に刃物を持ってくるよう命じられたリゼット准尉は、慌てて格納庫を飛び出す。一方のセレステは、僕らの目の前で目を輝かせながら腰に手を当て、エリュマントスというあのイノシシの化け物を見上げながら、ぶつぶつと呟いている。
「ぐふふふ……今宵は、かつてないご馳走ですわね……まさか魔族に囚われて、エリュマントスを捌けるだなんて、運がいいやら、悪いやら……」
だからさ、僕らは魔族じゃないんだってば。しかし、あのクレセンシア殿に比べたら、セレステという人はさほど僕らに敵意剥き出しというわけではないようだ。
「へぇ~、これを嬢ちゃん1人で捌くのかい?」
「ええ、そうですよ。捕まえてから、すぐに捌かないと、肉質が落ちてしまうんです。だから、早く取りかからないと。」
「だけどよ、かなり大きいぞ、これ。」
「うーん、そうなんですよね……さすがにこれを1人というのはちょっと……」
「だったら、中尉殿が人型重機を使ってざっくりと捌き、嬢ちゃんがそれを受け取って小分けにするのはどうだ?」
「なんですか、その人型重機というのは?」
「これだよ、これ。こいつがこのイノシシを倒したんだよ。」
「はぇ~っ、これ、動くんですか!てっきり魔族の作った悪趣味な邪神像かと思いましたよ!」
くそ、この娘、言いたい放題だな。絶対に僕らのこと、馬鹿にしているだろう。なんだってこんなやつに協力しなきゃいけないのか……などとぼやきつつも、僕は人型重機へと飛び乗る。
「ところで整備長殿、人型重機を使って、どうやって捌くんですか!?」
「ああ、いいものがある!」
そう言いながらデジレ兵曹長は、格納庫の奥を指差す。そこにあったのは、大きな刃物、いや、剣と呼んだほうが適切だろうか。
「……何ですか、あれ!?」
「いやあ、鉄板を削って作った、人型重機用の剣だよ!よくできてるだろう!?」
「いや、そうですけど、何でここにこれほど大きな剣があるのです!?」
「だってここ異世界だろう!?剣ぐらいなきゃダメだろうって思ってよ!」
いや、別に異世界だからって、剣がなきゃいけない理屈はない。こいつには高エネルギー砲が搭載されており、しかも大イノシシすら一撃で倒せる強力なバリアシステムもある。剣なんて、必要ない。
とはいえ、今回ばかりはこれが役立ちそうだ。僕は重機にその剣を握らせ、クレーンで吊るされたあのイノシシの化け物に向ける。
「それじゃあ魔族さん、まずは腹をかっ切って下さい!」
セレステの指示通り、イノシシの腹に剣先を当てる。そして、一気に腹を縦に切る。
大量の血が、ドバドバと吹き出る。と、同時に、腸がずるずると流れ出すように飛び出す。重機のハッチ越しとはいえ、その凄惨な光景に、僕は思わず青ざめる。
「うひゃあーっ!」
多くの整備員が、格納庫から逃げ出す。ちょうどそこに大型ナイフを持ってきたリゼット准尉も、目の前のあまりの凄惨さに恐怖し、目を回している。
が、セレステというその娘はそのナイフを受け取ると、だらんとぶら下がった腸をばっさりと切り捨てる。
「いいですねぇ、この大魔獣の血の臭いは……そこらの魔獣なら、恐れをなして逃げ帰るほどの邪悪な臭い。ぐふふふ……震えが、止まりませんねぇ。」
こいつ意外に危ないやつじゃないかと思い始めたのは、この辺りからだ。血塗れながら、不吉な笑顔を浮かべつつナイフを振るう姿は、とても正視できない。
「さてと……それじゃあ魔族さん!次にこいつの、背中からザクッと切って下さい!」
今度は背中か。だが、背中というやつは比較的硬い。剣を入れても、スッと一筋、切れ込みが入っただけだ。それを見たセレステは、デジレ兵曹長に尋ねる。
「ねえっ!よじ登るもの、ないです?」
「ああ、あるぜ!ちょっと待て!」
と言ってデジレ兵曹長は、整備用に使う脚立を持ってくる。セレステはその脚立によじ登り、ぶら下げられたこのイノシシの背中のあたりからザクザクと切り刻み始める。徐々に、表面の毛並みが剥がれ始める。
削がれた皮が、格納庫の床の上にベタベタと無造作に落とされていく。重機の中にいる僕ですら、耐えがたいほどの凄惨な光景。しかしこの娘は物怖じすることなく、あの化け物の皮を剥ぎ続ける。ナイフを持ってきたリゼット准尉は、格納庫の端の方で目を回し、椅子に座り込んで気を失いかけているほどだ。
しかし、よく平然と魔獣をこれほどまで捌けるものだ。血塗れになりながら、あの大型の刃物を使いこなす姿は、ある意味、あのクレセンシアよりも恐ろしい。
こうして、この重機とセレステによって、あの化け物イノシシは捌かれた。用意されたテーブルの上に、あのイノシシの肉がずらりと並ぶ。
ハッチを開けると途端に、むわっと湿気を帯びた生臭い臭いが僕を包み込む。うわぁ……この格納庫、こんなに生臭かったのか。邪悪なまでの不快な悪臭に僕は一瞬、卒倒しそうになる。
格納庫を見渡すと、血塗れで毛や肉片が散乱する無惨な床と、真っ赤に染まった脚立がポツンと置かれている。その中で赤く染まり、ナイフ片手に恍惚とした表情で立つ不気味な侍女の姿があった。
「……はぁ~!一仕事終わりましたね!さてと、早速これを調理したいんですが、台所、貸してもらえます?」
「いや、セレステ殿。その前に……まずは身体を洗ってきた方がいいんじゃないか?」
「えっ!?洗うって……ここには、泉も川もないですけど。しかも、せっかくエリュマントスの邪悪な臭いが染み付いたというのに、洗えだなんて……」
なんてやつだ。まさか血塗れのまま、食堂へ行こうというのではあるまいな?とにかく僕は、彼女をなんとか説得して風呂場へ行くよう促す。そして、格納庫の端で気を失いかけているリゼット准尉を叩き起こし、セレステを風呂場まで連れて行ってもらった。
で、あとには、この大量のイノシシ肉が残された。
「あの、中尉殿。大変なことになってますけど……まずはこれ、どうしましょうか?」
「そうだなぁ……食堂の裏にある、備蓄用冷蔵庫に入れるしかないだろう。このまま放っておけば、腐敗するだけだろうし。」
「そうですね、承知しました。」
僕は、ちょうどそこに現れたフェリクス少尉に、その肉を食堂の隣にある冷蔵庫へ運ぶよう指示する。
が、それがまたひと騒ぎを起こすきっかけとなるなる。
「ない!エリュマントスの肉がない!」
「ああ、あの肉なら食堂の冷蔵庫に移して……」
「おのれ魔族め!さてはエリュマントスの肉を奪いとる気か!?」
「いや、そんなことは……」
「ああーっ!もう!私のエリュマントス肉を!肉を返せ!」
戻ってきたセレステは、消えた肉を巡って発狂する。肉を奪われたと、まるで仇のように僕らに八つ当たりする。いや、そんなもの、取りあげたりするものか。
で、その騒ぐセレステを何とか食堂の横に連れ出して、冷蔵庫内に収まったイノシシ肉を見せると、ようやく騒ぎは収まったが、今度は調理法を巡ってまた騒ぎ始めるこの侍女。
「ええーっ!?何で私が調理しちゃいけないのよ!?」
「ダメですよ。衛生上の理由や防火の観点から、ここでは調理ロボットに作らせるのが決まりなんです。」
「どうしてなの!?なんだっていちいち、あんたら魔族の手を借りなきゃいけないのよ!」
本当に、ここの男は信用されてないようだな。それほどまでに男、つまり魔族とは、信用できないやつなのだろうか?なんにせよ一度、会ってみたいものだな、この星の男というものに。
不満たらたらのセレステを前に、フェリクス少尉は調理ロボットのセッティングを行なっている。イノシシ肉だから、豚肉が近いだろうと考えて、彼は豚肉設定で調理を始める。
作っているのは、ソテーだ。まずは胡椒にマスタードのみの単純な味付けにしてトライする。筋切りし、中火で焼き上げるロボットアームのその見事な手捌きに、不信感丸出しだったセレステの目の色が少しづつ変わる。
やがて作られた料理は、カウンターに運ばれる。皿に盛り付けられたイノシシ肉を眺めるこの侍女は、ナイフを入れ、フォークに刺して一口、口に運ぶ。口にした途端、表情が一気に変わる。
「んん~っ!」
妙な発声だが、あの様子だとどうやら感動しているらしい。しかし、見た目はごく普通のソテー。あれがそんなに美味いのか?
一方、横で同じソテーを口にするフェリクス少尉は、少し物足りない様子だ。
「うーん、やっぱりちょっと、クセがありますね。もう少し調味料を工夫した方がいいのかな……」
と言いながら、ゴソゴソと奥の棚から何やら取り出す。そしてフェリクス少尉は、その容器に入った黒い液体をソテーの上からかける。
「!!ちょ、ちょっと!高価なエリュマントス肉に、何そんなどす黒い液なんてかけてるのよ!」
すかさずセレステが、フェリクス少尉に突っかかる。
「ああ、これは調味料の一種ですよ。」
「……調味料……?」
「香辛料のようなものです。で、これは、ソイソースと言って、少し塩味の強い調味料なのです。これならば、この独特の臭みが消せるかなあと思いまして。」
ソイソースの容器を片手に解説するフェリクス少尉の言葉を、半信半疑で聞くセレステだったが、その容器を受け取り、恐る恐るそれをかけ、一口食べる。
「んっ!?」
さっきとはまた違う反応だな。みるからに、驚愕した表情だ。しばらく無言で、そのソテーをもぐもぐと味わう戦慄の侍女。
「……おい、なんだセレステよ。なかなか戻らぬと思っていたらお前、こんなところにいたのか。」
「はっ!?クレセンシア様!」
そこに、他の4人が現れた。するとセレステは、カウンターに並べられたそのソテーの一つを、クレセンシアに渡す。
「クレセンシア様!ぜひこれを、ご賞味下さい!」
「……何だこれは?」
「エリュマントスの肉でございます、クレセンシア様!それがですね、いまだかつて出会ったことのない絶品でございまして……」
妙に興奮するこの侍女の姿を、怪訝そうな顔で見つめるクレセンシア。その皿を受け取ると、男ばかりが集うこの食堂のテーブルの一つに腰掛け、それをナイフで切って口にする。
「……んっ!?」
ここの人間の味の表現は、似たり寄ったりなのかなぁ。セレステと同様に、言葉にならない唸り声を出したかと思うと、そのまま無言で黙々と食べ始める。
「さぁ!サリタ殿にイラーナ様、そしてロレナ様も!」
「……おい、本当にこれは、エリュマントスの肉か?私は一度も口にしたことはないのだが……」
「いえ、サリタ殿!宮廷でのエリュマントス肉料理でも、これほどの美味ではありません!とにかく一度、お召し上がりください!」
クレセンシアと並ぶ剣の使い手であるサリタも、不審そうな顔でその肉料理を見る。彼女はナイフなど使わず、フォークでひと刺しすると、そのまま肉の塊に食らいつく。
「うっ!?」
ああ、こいつも堕ちたな……あの筋肉質で無愛想な顔が一気に綻んだかと思うと、まるで手懐けたハムスターのような顔に変わり、その肉を頬張る。
ローブを纏った魔術師の2人も、並んでその肉を食べる。どうやらこのエリュマントスの肉というのは、ここではかなり贅沢な食材の部類らしい。この艦内の調味料がその味にさらなる深みを与え、かつてない味に引き上げているらしい。
「美味しい……」
「うん、美味しいね!」
ローブ姿の2人はというと、素直にその味を表現していた。侍女や剣士、勇者よりも冷静だ。
この星の5人の女のこの食事風景は、周りにいる男性陣を刺激する。彼らも、この巨大イノシシの肉に関心を示す。
「へぇ~、美味そうに食べてるな。でも、そんなに美味しいのか、これ?」
「ああーっ!だめですよ、食べちゃあ!これは、我々のエリュマントスですよ!これだから魔族は……」
「なんでぇ、いいじゃねぇか!なんならほら、こっちの肉を少しやるよ!」
「なんですか、焦げ茶色の低俗なこの肉は!だいたい、エリュマントスの肉を超える肉などこの世には……んんーっ!?」
ある士官が、セレステに牛のステーキ肉を分けていた。それを口にしたセレステは、早速言葉を失う。
「……んはぁーっ!な、なんですか、この肉は!?まるで、ケンタウロスのような味ながら……いやしかし、なんと柔らかい……」
ケンタウロスって、上半身が人で、下半身が牛っていう、あの化け物のことか。まさかここでは、あれも食べるのか?
「ほら、お嬢ちゃん、こっちもどうだ?」
「な、なんです、これは?」
「ハンバーグっていうんだ。なかなか美味しいよ。」
「まさかぁ、こんな泥水をぶっかけたような食材がそんな……んんーっ!?」
いちいち反応が面白いな、この娘は。魔族だと馬鹿にしていた周りの男達から、弄ばれている。
「はぁ、はぁ……ど、どうなってるんですか、この魔族の食べ物は……魔族の分際で、なにゆえこれほど美味な食材が存在するのでございますか……?」
この侍女め、よほどここの味が気に入ったようだ。全身でその味を堪能するあまり、息が上がっている。
「あははははっ!これはいいぞ!」
すっかり上機嫌なのは、サリタという剣士だ。あの大イノシシのおかげで、耳がすっかり聞こえなくなってしまったコンスタン大尉の肩をバンバンと叩いて、エリュマントスのソテーをガツガツと食べている。
「お、おい、何するんだ!?こっちは耳が聞こえないんだ!もうちょっとだな……」
「あはははっ!いいじゃねえか、おめえが怪我したおかげで、この肉が手に入ったようなものだからよ!」
「いや、待て、叩くな!俺はまだ傷が……イタタタッ!」
そのエリュマントスの爆声のおかげで、ほとんど音が聞こえなくなってしまった大尉の肩を叩きながら、ソテーに舌鼓する女剣士。大尉はその痛みに耐えながら、横でフライドポテトを食べている。
「おい!なんだそれは!」
「はぁ!?なんか言ったか!?」
「いや、だ・か・ら!これはなんだと聞いている!」
「……ああ、これのことかぁ。これは、フライドポテトだ。」
「フライドポテト!?なんだそりゃあ!?」
コンスタン大尉が細々と食べているそのポテトに興味があるその女剣士は、そのポテトを鷲掴みにすると、口の中に運ぶ。
「うっ!?」
今日はどうやら彼女らにとって、カルチャーショックのオンパレードのようだ。さっきから、彼女らの味の表現が面白すぎる。特に、どういうわけか粘着するあの女剣士を、嫌そうな顔で見つめるコンスタン大尉。
そしていつの間にか、あの5人と乗員との間で会話が弾む。
つくづく感じたが、やはり食事の力というものは強い。
あれだけ我々に敵意剥き出しだったあの5人が、男ばかりのこの食堂で今、楽しげに食事をしている。気づけば、周囲と談笑をしている。
魔族だろうが人族だろうが、食べ物の力は共通のようだ。この大イノシシの肉をきっかけに、この星の人々と我々との融和が、一気に進む。