#1 離脱
異なる世界と書いて、「異世界」という。だがこの広い宇宙に世界観の異なる星などは、それこそ星の数ほど存在する。
しかし、我々が足を踏み入れたその星は、我々の常識の通用しない、まさに「異世界」と呼ばれるに相応しい場所だった……
◇◇◇
事の発端は、哨戒行動中の我が艦が4千隻の敵艦隊の動きを追っていたことだ。
この時、我が艦はあまりにも、その敵艦隊に接近し過ぎていた。
「艦長!敵艦隊まで、あと31万キロ!このままでは、敵の射程内に飛び込むことになります!」
「前方の敵艦隊、約100隻が前進、我が艦に対し包囲陣を展開!加速しつつ、こちらを包囲せんと接近中です!」
「艦長!」
この中性子星域に現れた敵艦隊4千隻の把握、これが駆逐艦10011号艦、通称、哨戒艦11番艦と呼ばれる我が艦の任務だった。
その敵艦隊の鼻っ先まで接近、すでに味方の艦隊にその位置と数、進路ベクトルを送信し終えたところだ。だからもはや、ここに止まる理由はない。
大体、たった一隻の哨戒艦が敵を引きつけたところで、なんの得もない。だが、うちの艦長は時々、どうでもいいことに使命感を感じ、実行する癖がある。しかし、早く引き返さないと、このままでは我が艦はあの4千隻を相手にすることになる。すでにこれ以上の接近は、無意味だ。
「これまでだな……よし、転舵、反転!全力で逃げるぞ!」
「はっ!転舵、反転!」
ようやく、転進を決意する艦長。この遅過ぎた命令を復唱する航海長の号令と共に、回頭を始める我が艦。窓の外の星空が、一斉に回り出す。
そこに、星以外の光が見え始める。青色の筋状の光。それは、あの4千隻の敵艦から放たれたビーム砲の光。我々はその敵艦に、バリアシステムでは防げない背中を向けているところだ。ほんの少しでもあれと触れようものなら、一巻の終りだ。
「敵艦隊の一部が、砲撃を開始!およそ40隻!」
「全力即時退避!最大戦速で離脱せよ!」
「了解!最大戦速!」
機関音がけたたましく鳴り響く。無数の青白いビームの筋が、すぐそばをかすめる。そのビームの束のわずかな隙を、この哨戒艦は辛うじて潜り抜ける。
が、さすがに相手が多過ぎた。
窓の外が眩しい光に包まれたかと思うと、突然、船体が揺れる。直後、ドドーンという地響きのような音が響く。
「何事か!?」
艦長の声が、響く。
「左舷シールド側面にダメージ!」
「直撃か!?」
「いえ、かすっただけです!ですが、左上部噴出口からエネルギー流入し、左機関が緊急停止!」
「なんだと!?ダメージコントロール!直ちに復旧せよ!」
この報告に、艦橋内の空気は一瞬、凍りつく。多数の敵に追われ、全力で逃亡中に片側の機関が停止、これの意味するところはすなわち、絶望だ。
攻撃は止むどころか、激しさを増している。もはや我々の死は、確実なものとなりつつある。僕はすでに、自らの最期を覚悟していた。
「艦橋より機関室!機関再起動、まだか!?」
元々の原因を作った張本人の艦長が、イライラしながら機関室に檄を飛ばしているのを見ると、こっちまで心穏やかではなくなる。あんたがさっさと転進しないから、こうなってるんでしょうが、と、喉まで出かかったセリフを抑え、僕は艦橋の隅で来るべき最期の瞬間を待つ。
が、そこに一筋の希望の光が差し込む。ある乗員の放った一言が、我々のこの先の運命を大きく変える。
「前方に、ワームホール帯を捕捉!」
ワームホール帯、すなわち、ワープ航法用のトンネルともいうべきものが目の前に出現する。それを聞いた艦長が尋ねる。
「航路データにあるものか!?」
「いえ、未登録です!」
しかしそれは、行き先不明のトンネルだった。どこに飛ばされるか分からないワープの道。その先はもしかしたら、ブラックホールや大質量星の目の前かも知れない。
だから通常は、こんな野良ワームホール帯にはいきなり飛び込まず、探査機を送ってその先の安全を確認する。だがこの時は、そんな余裕などない。
「ワープ準備!」
艦長の号令が飛ぶ。つまり、その未知のワームホール帯にぶっつけ本番で飛び込むと言うのだ。正気に沙汰ではない。
だが、僕が艦長でも、同じことを決断するだろう。それほど今の僕らには、選択の余地がない。
「ワームホール帯まで、あと30……20……10……」
「空間ドライブ起動!ワープ開始!」
周囲を囲んでいた、無数の青白い光の筋が消える。真っ暗な他次元空間に飛び込んだことが分かる。ものの数秒で、そのワープ空間を駆け抜ける。
が、抜けた先に、青い光が飛び込む。
「なんだ!?」
艦長が叫ぶ。逃れたはずの艦砲のシャワーの只中に、また舞い戻ってしまったのか?この光を見て僕らは最初、そう考える。だがそれはビーム砲火の光ではないことを、すぐに悟る。
あれは、青空だ。ここは大気圏内だ。窓の向こうには、雲一つない青空が広がっている。
僕は窓辺に駆け寄る。外を仰げば、そこには広大な森が広がっている。僕は一瞬、目を疑う。
僕らはつい今まで、宇宙にいたのではないのか?
「状況報告!可能な限りの環境データを取得し、随時報告せよ!」
艦長が命を下す。すると、あるセンサー担当が第一報を出す。
「大気成分、窒素78パーセント、酸素21パーセント!大気圧、1013ヘクトパスカル!気温、摂氏21度!」
この数値に驚いたのは僕だけではない。これはすなわち、地球表面そのものだ。僕らは、どこかの地球に迷い込んでしまったらしい。
「両舷停止!」
艦長が船を止めるよう指示する。逆噴射して停止する我が艦。僕はその眼下に広がる光景を見る。
真下にあるのは、広葉樹林。ここが比較的温暖な場所であることは明白だ。河も見える。僕が外を観察する間にも、次々に情報が飛び交う。
「重力加速度、9.81!ほぼ1Gです!」
「あらゆる周波数の電波源を受信してみましたが、人工的電波は未確認、ノイズだけです!」
「つまりここは、連合、連盟いずれかの星ではない、ということか。」
「はい、おそらく。」
「艦長!この星、異常です!まさか、こんなことはあり得ない……」
「どうした!?」
「はい、地平線からこの星の半径を割り出したのですが……どう見ても、あり得ない数値で……」
「あり得ないとは、どれくらいだ!?」
「はっ、推定半径は1万2千キロ!通常の地球の2倍です!」
「な、なんだと……?」
それらの報告には、通常では考えられないものが含まれていた。半径が、普通の地球の2倍、つまりこの星は、僕らの知る地球の8倍もの体積を持つ星だということになる。
「馬鹿な!測定ミスではないのか!?」
「地平線ギリギリまで森が広がっているために、それなりの誤差はありえますが、これほどの大きな値を出すとは考えられません!」
僕も彼方の地平線を見る。確かに、地平線が明らかに遠いことが一眼で分かる。つまりこの星が、予想以上に大きい証拠だ。
にもかかわらず、普通の地球と変わらぬ重力加速度とは……
この星はどこか、おかしい。その直感を決定的にしたのは、ある乗員の報告だ。
「レーダーに感!2時方向、距離70キロ、高度2300!全長2キロの物体が、速力10で移動中!」
「なんだと!?大型の民間船クラスの船じゃないか!船種を識別できるか!?」
「現在、目視にて確認中!」
短距離レーダー担当者が叫ぶ。異様に大きな物体が、我が艦のほぼ前方にあらわれる。
が、その光学観測には結果はさらに驚愕すべきものだった。
「光学観測!……あれは……どう見ても岩です、岩山のようなものを確認!」
「岩山……だと?」
「はい!第1モニターに、投影します!」
艦橋内で一番大きなモニターに映し出されたのは、確かに岩山だった。ただしそれは、宙に浮いている。真下に広がる森に大きな影を落とし、ゆっくりとまるで雲のように移動する岩の塊。
だが、そんな事態よりもさらに深刻な状況が報告される。
「艦長!大変です!」
「どうした!?」
「我々をここに導いたワームホール帯が、消失しました!」
「なんだと!?もう一度、探索せよ!」
「ダメです!ワームホール帯、探知できません!ワームホール帯、完全に消滅!」
この瞬間、我々は唯一の帰り道を失った。考えてみれば、ワームホールとは小さなブラックホールのようなものだ。そんなものが安定して、大気圏内に存在できるわけがない。
ともかく僕らはこの不可思議な星の表面に、哨戒艦ごと放り投げられたことになる。
「アルフォンス中尉!」
と、その時、艦長が僕の名を呼ぶ。
「はっ!」
「技術士官である貴官に問う。この状況を、どう見るか?」
僕の名は、アルフォンス。26歳。技術士官で、階級は中尉。
地球325遠征艦隊所属の哨戒艦11番艦に乗艦し、この異空間に飛ばされたのちに、その状況を説明せよと、艦長に無茶振りされたところだ。