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わたしの幸せな結末から  作者: 汪海妹
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2つの夏













2つの夏













清一









「抱っこするなら、ちゃんと手消毒してね」


なつはそう言って、あくびした。


「なんか緊張する」

「写真撮ってあげようか?」

「何か恥ずかしいな」

「記念すべき初抱っこじゃん」


なつと僕の子は予定日よりちょっと早く生まれた。女の子だった。僕は生まれて初めて自分の子供を腕に抱いた。とても小さくて軽くて柔らかくて、温かかった。こんなに温かいものはこの世に他にないと僕は思った。


「千夏ちゃん」


そっと呼ぶと、赤ちゃんは目をあけてこっちを見た。


「俺のこと見えてんのかな?」

「まだ、見えてないんじゃない?」

「俺のことお父さんだってわかってんのかな?」

「わからないんじゃん?」


ちえっ。嘘でもわかってるんじゃないって言っとけばいいのに。

千夏は僕の腕の中でだんだん腕と足をじたばたさせてぐずりだした。


「返すよ」


どうしていいかわからずなつに返す。


「何よ。ものみたいに」


でも、なつが抱いても手足ばたばたは止まらず、千夏は泣きだした。


「母親が抱いたらフツー泣き止むんじゃないの?こうピタッと。テレビとかでやってないっけ?」

「それがそうでもないんだよね」


あら、清一君来てたの?とおばさんが入ってきた。


「なっちゃん、なにやってるのよ。千夏ちゃん泣いてるじゃない」

「なんで泣いてるのかな?」

「ばかね」


おばさんはあきれた顔を見せた。


「赤ちゃんが泣くのは、うんち、おしっこ、お腹すいた、ねむい、暑い、寒い、大体これのうちのどれかなのよ。とりあえずおしめを見てあげないと」


ちかちゃーん失礼しますね、と言ってから、おばさんはてきぱきとした所作でおむつを交換する。ほんと尊敬に値する。


「おお、よしよし」


泣き止んだ。


「もう役に立たないお父さんとお母さんですね~」

「ちょっと、お母さん。産後のいらいらしているときにそういうこと言わないでよ。それにせいちゃんに毒舌吐くのやめてよ。免疫ないんだから」

「あら、なつと結婚したら清一君だって家族なんだから、遠慮しないわよ」

「もう、ちょっとせいちゃんもこんなときににこにこしてないで、文句言いなさいよ」

「おー、怖いね千夏ちゃん。それにしても千夏ちゃんは美人さんですね。誰に似たのかな?」

「……なんか嫌味くさく聞こえるんですけど」

「それにしても清一君も、娘に夏美の夏の字使うなんて、ばかがうつるわよ」

「……お義母さん、さすがにそれはちょっと言い過ぎですよ」


僕は返す。


「お姉ちゃーん、来たよ~」


茜ちゃんが来た。


「わ~!千夏ちゃん。かわいい~」

「ちょっと、茜、手洗って」


茜ちゃんは大人しく言うことを聞いた。


「やっぱりせいちゃんに似てるね。千夏ちゃんは」

「そうかな?」

「よかったね。千夏ちゃん」

「どういう意味、茜?」


本当ににぎやかだ。姑と茜ちゃんはしばらく病室で過ごし、まだいたがる茜ちゃんをおばさんが引っ張って出て行った。ちょっと静かになった病室で、僕はもう一回千夏を抱っこした。


「疲れない?」

「ぜんぜん」

「うちの家族って騒々しいね。なんか疲れたよ」

「でも、俺はなつの家族好きだよ。温かくて」


なつは横に寝そべって、腕で頭を支えている。


「どこにでもある普通の家族じゃない?たいしてお金持ちでもないし、ハワイに行ったこともないし」

「普通って案外簡単そうに見えて難しいものだと思うよ。それに、俺、なつがおじさんとおばさんみたいな温かい人たちに育てられていなかったら、君とは結婚してないよ」

「え?そうなの?」

「もっと感謝しないさいね。さもないとばかげた過ちをおかすかもよ」


千夏はじーっと僕を見ている。


「ほら、千夏もそう言ってる」

「いや、言ってないと思う」


そして彼女はまた泣き出した。


「今度は眠いのかな?」

「いや、時間的にこっちじゃないかな?」


なつは千夏を僕から受け取って、胸をはだけておっぱいを口に含ませた。ちかは目を閉じておっぱいを飲んでいる。生まれて初めてテレビとか写真とかでなくて授乳する姿を間近でみた気がする。小さな頃から知っているなつが、大きくなって、女の人になって、母親になった。


「長い時間君を知っているだけに、なんだか感動するな」

「何に?」

「寝っ転がってジャンプ読みながらお菓子食べて、食べかすを僕のベッドにまき散らしていたなつがもうお母さんになったんだなぁって」

「あなたもお父さんだけどね」


僕の挑発にのってこない。最近は簡単な冗談はスルーされる。


「あの頃はまさか2人でこんなことになるなんて想像してなかったね」

「うん」


満足した千夏はまたすやすや寝始めた。夏美と千夏。2つの夏が並ぶ。夏にはちょっと早かったけれど、子供の名前に夏を入れたかったのは、二人をつなげたかったからだ。


「いまでも不安?親になるのが」

「そうだな、どうだろ?でも生まれる前のほうが不安だったのかな?自分の子供は実際目にしてみるまでわからないね」


僕はもう一度なつの横にちょこんと転がって寝ている千夏を見た。小さな手と小さな足、おもちゃみたいにきゃしゃで簡単に壊れてしまいそうだった。


「こんなに小さくて、こんなに今にも壊れそうなものを実際に見て、守ってあげたいとか守らなきゃって思えない親がいるのかね」


それくらい小さくて温かかった。なつは微笑んだ。


「せいちゃんなら心配ないってわたしはずっと思ってたよ」

「そうなの?」

「だって人一倍世話好きで愛情深い人じゃない。あなたは」


なつのその言葉は嬉しかった。


「せいちゃんのお母さん来ないね。お父さんも」

「おやじは出張中だって。戻ったら寄るって言ってたよ。母さんは知らせたんだけどね。メールで写真も送ったし」

「そのうち来るよね」

「生まれたばっかりだから遠慮してるのかな?」

「家族はそんな遠慮いらないのに」











夏美











明日退院の日、トイレに行って病室に戻ってみると、千夏のベッドのそばにかがみこんでいる女性がいた。義母だった。


「お義母さん」

「あ、見つかっちゃった。来てみたらなっちゃんいなかったから、お祝いだけおいて帰ろうと思ってたんだけど」


千夏の顔を見て微笑んでいる。


「そんなこと言わないでゆっくりしていってください」

「わたしはね、合わせる顔がないんですよ。この子にも、清一にも」

「……」

「これ、しばらくはまだ使わないと思うけど」


紙袋をあけると、赤ちゃんを抱っこするときに使うおくるみが出てきた。秋冬用。青い地の手触りのいい布地で白い雪の結晶の模様が全体に散らばっていた。


「気に入ってくれた?」

「これ……」

「うちの来季の商品になる、かな?この前仕入れでスウェーデンに行ったとき、試しに買ったのよ」


義母の店に置いている木の家具はスウェーデンにある木工家具専門のメーカーから輸入しているのだそうだ。彼女は定期的に仕入れと打ち合わせでスウェーデンへ行く。


「すてきです」


義母はもう一度千夏を見た。彼女は眠っていた。


「清一が生まれたばっかりの頃に似ているわ。変ね。男と女なのに」

「だっこしてあげてください」


義母はこっちを見た。


「眠っている子を起こしちゃ悪いわ。また、今度ね」


義母はそっと病室を出て行こうとする。ああ、帰っちゃう、どうしよう。もう少しゆっくりしていってほしい。


「そうだ。なっちゃん大事なこと忘れていたわ」


彼女はヒールで回れ右をして、もう一度わたしに近づいた。わたしの手をとって両手で包んだ。温かくてほっそりとした手だった。


「かわいい子を産んでくれてありがとう。清一のことこれからもよろしくね」


それから、本当に帰っていった。一瞬ちょっとぼおっとした。よく考えれば千夏を産んでから今まで、ありがとうって言われてなかったわ。おめでとうはあったけど、ありがとうはなかった。


***


次の日、退院の日、せいちゃんが車で迎えに来た。


「忘れ物ない?」

「うん」


後部座席にチャイルドシートがつけられていた。これはうちのお父さんからのお祝い。千夏を後ろに乗せて、助手席に乗った。


「なつ、後ろ乗りなよ」


せいちゃんに言われた。


「なんで?」

「千夏が一人じゃさみしいだろ」


後ろを振り向いた。


「別に機嫌よさそうだけど」

「いいからさ」


ちえっ。バタンとドアをあけて後ろに乗り換える。車が出る。せいちゃんはときどきミラー越しに後ろを覗いている。


「なんか機嫌いいね」

「これから毎日疲れて帰っても、千夏の顔見られると思うと元気出るよ」

「……。そう、よかったね」


わたしの顔はどうでもいいわけね。だんだんいらいらしてくる。第一痛い思いして産んだのはわたしなのに、ありがとうの一言もないし。家族が増えるって、


「なつ?」


こういうことなんだ。


「何か怒ってない?」

「別に」


怒らないでおこうと思うほどに、怒りが募ってくる。2、3時間はまともに口きいてやらないと決心する。せいちゃんはきっとさっきから話した会話を思い出して、どこでわたしが怒ったか考えてるだろう。うーうーと千夏が声をあげる。窓の外を見る。もうそろそろ桜が咲く。木の芽が膨らんでいる。


「何か買い物とか必要?スーパー寄ってく?」


せいちゃんが声をかけてくる。


「うーん」


どう答えるかちょっと考える。怒っている自分とわくわくしている自分がいて、後者の自分は千夏を胸元にすっぽりだっこして、3人で買い物をしたいと思ってる。


「なつ?」


どうしてこの人の声は怒っているときでも、こんなに耳に心地よいのだろう。


「ねえ、せいちゃん」

「なに?」

「なにかわたしに言い忘れていることない?」

「言い忘れていること?」


せいちゃんが考え始める。どのぐらいで答えにたどり着くだろう。


「で、スーパーは?」

「寄ってく」


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