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わたしの幸せな結末から  作者: 汪海妹
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魔法のことば













清一













家に帰ると当たり前だけど、なつがいた。そんなに大きい部屋じゃなかったけれど、とりあえず当面はそのままでいいだろうということで、なつは僕が一人で住んでいた部屋に引っ越してきた。結婚式の直前まで東京と仙台とに分かれて暮らしていたから、毎日家に帰ると彼女がいる生活がまだ新鮮だと思える。


「おかえり」

「ただいま」


お茶でもいれようかと言って台所に立つ彼女の動作をソファーに座ってぼーっと眺めた。


「なんかなつが妊娠しているのがわかってから挨拶いって、顔合わせして」

「うん」

「式場探して、指輪買って、ドレス選んで、えーっとあと新婚旅行だろ?」

「うん」

「むっちゃ忙しくって自分が何のためにこんな忙しいのかわかんなくなってたな」

「なんのためだったの?」

「法的に堂々と君といっしょに生活するためだったんだな」

「でも、彼氏として一緒にいたって違法ではないじゃない」

「いや、彼氏として一緒にいるのはどこかこそこそとした感じがあるよね。24時間堂々とできるのはやっぱり結婚だね」


彼女はふうんと言って僕の横に座って2つのカップに紅茶を注ぎ始めた。


「今日、俺、精神科に行ってきた」


なつがティーポットを傾けたままでこっちを見て動かなくなって、カップからお茶があふれた。


「こぼれてるよ」


ああっと言って台所に布巾を取りに行こうとするので、手で制した。


「座ってなよ」


僕が布巾を取ってきてテーブルを拭くのをなつはぼんやりとみていた。


「ごめん。びっくりした?」

「うん」

「実はなつに内緒で言って、そのまま秘密にするつもりだったんだ。通っていることも。だから、行く前に話さなかった」

「……うん」

「でも、今日会ったお医者さんにね、今日僕がお医者さんに話したような話をなつにもしないとって言われてさ」


なつは暗い顔をしていた。やっぱり秘密にしたほうがよかったと僕は思った。


「せいちゃんが悩んでいることは、わたしに話しても解決することじゃないと思ってるから……」


なつはぼそぼそと話した。


「わたしには話さないで、いろいろ決めてしまうのかな?一人で」

「いっしょに悩ませたくないんだ」


なつは少し怒ったような顔で僕を見た。


「そう思ったんだけどさ。お医者さんに反対されたし、君も怒ってるし、やっぱり俺が間違ってるのかな?」


僕は彼女の髪に手をのばして触れた。彼女の怒った顔が少しだけほころんだ。僕は彼女のお腹に触った。そおっと耳をあてて、目をとじてみた。


「今日は動かないね」

「今、寝てるのよ。きっと」


しばらくそのまま彼女と僕たちの子供の身体の音を聴いた。


「どうしてお医者さんのところに行ったの?」


僕は目を閉じてお腹に耳をあてたまま彼女の声を聴いた。


「言いたくないなら無理に言わないでもいいけど」

「……。自信がなくて、親になる」


彼女はしばらく黙った。


「そしたらお医者さんはなんて言ったの?」

「魔法のことば」

「え?」

「心のお医者さんって魔法のことばを使うね」

「んーっと。なんかけむにまかれているような気がするんだけど」


僕は彼女の膝の上に頭をのせて、お腹に耳をあてたまま。彼女は僕の髪を指で梳いてくれた。


「なんか眠ってしまいそう」

「ちょっと話の途中で寝ないでよ」


僕は身体を起こした。


「僕の家族を素敵なご家族ですねって」


そう言われたときに、急に高い山の天辺に行って見渡す限り霧に囲まれていたのが、その言葉で一気に晴れてはるか下まで見下ろせるようになったような、そんな、それくらいに強烈な言葉だった。


「一度もそんな風に考えたことなかったけど、思えば俺のおばあちゃんや父さんって、忍耐強い愛情を持った人たちだったんだなって」

「うん」

「今日誇りに思ったよ。自分の家族のこと」


なつが僕の手を握った。


「おばあちゃんってどんな人だったの?」

「なつは会ったことがなかったよね。優しい人だったよ。人の世話をすることが好きで、穏やかで」

「じゃあ、せいちゃんが優しいのはおばあちゃん譲りなんだね」

「……俺って優しいのかな?」

「自分でそう思わないの?」

「よくわかんないな」

「穏やかでもあるし、世話好きでもあるよね。わたしに勉強教えてくれたときは忍耐強かったし、似ているんじゃない?おばあちゃんに」

「そうなのか……」


気づかないうちに僕に大切なものを残していてくれたんだ。生きていくのに大切なものを。


本当に幸せになるためには人は、自分にないものを数えるのをやめるべきで、自分にあるものを数えなければならない。だけど、不思議なもので自分が持っているものというのは透明で、自分に見えない。そして気が付かない。僕は今日まで、自分がいろいろな物を持っているということに気が付けずにいたんだ。


「会ってみたかったな」

「今度お墓参りつきあってよ。おばあちゃんに紹介しなきゃ。なつを」

「どこかで見ててくれてるかな?」

「そうだといいな」


なつを見たら、気に入ってくれるかな?きっと気に入ってくれるよな。


「長生きしてくれたら、恩返しできたのにな」


本当に悔やまれる。僕はあの頃子供でもらってばっかりで、それにいろいろなものをもらっていたことにさえ、今日の今日まで気づかずにいた。何も返せなかったよ。


僕はなつの頭をなでておでこに軽くキスをした。なつが顔をあげて僕をじっと見る。


「また、なんか余計な気使ってない?」

「……」

「あのね、なつ。なつがどう思ってるのか知らないけど、君がしたくないときにやっぱりセックスはできないよ。なんか体貸してもらってさ、自分だけ気持ちよくってもみじめじゃん。そんなんなら、一人でこっそり処理したほうがまだまし」

「そうなの?」

「なんか君の中では男はみんな獣みたいになってる気がするんだけど、そんなやりたくなったら相手の気持ちとか構わず押し倒すような、そんな野蛮なものじゃないよ。もっと繊細です」

「そうなの?」

「大体、どっから来てるのかな?その発想」

「少女漫画かな?」

「……俺のジャンプ読み漁ってたなつが少女漫画なんか読んでたの?」

「家では茜と一緒にフツーに読んでたよ」

「王子様とか出てくるやつか」

「そう」

「それでその王子様が夜になると狼になるわけだ」

「そうだね」

「……くだらない」

「いや、一言でそういっちゃだめだよ。読んだことないくせに」


正直暇があっても読みたくない。


「とにかくもう俺のことは気にしないで、なつは自分の体大切にして元気な子産んで」

「じゃ、産後までお預け?」


僕はなつを見た。残念そうな顔をしている。


「あのさ、もしかしてなつがしたいんじゃないの?」

「……そんなわけないじゃん。妊娠中は女性は性欲が減退する……」

「人もいるが高まる人もいて、個体差がある」

「なに?」

「ネットで検索したんだよ。一応」

「……。結婚式の日も、ハネムーンも、全部特別な日だったのに、なにもなかった」


しぶしぶといったふうに彼女が話す。まじかよ、おい。


「したいっていったらしたのに」


減るもんじゃなし。


「……だって恥ずかしかったんだもん」

「俺たちはずかしがるような関係じゃないよね」

「でも、妊娠しているのに女のほうから言うなんて変じゃん」


このこは本当に…ばかな人だ。ひさびさに大笑いした。


「そんな奥ゆかしいやり方じゃ、平安時代の貴族だって自分が誘われてるって気づかないよ」

「奥ゆかしくなんかないじゃん」

「大体いつも直球なのになんでこういうときだけ変化球なわけ?俺がしたいからしょうがないってもってくの、なんかアンフェアじゃない?」

「こういうのは男女公平じゃなくていいの」

「それも少女漫画の教えか?」


そんな役に立たない教科書さっさと捨ててしまえ。


「こっちおいでよ。なつ」

「いいよ。もう」


こないのでこっちからいって抱きしめた。


「俺が欲しいなら欲しいっていえばいいじゃん。全部君のものなのに」

「そういう言い方わたしに似合わないって前言ったじゃん」


言ったっけ?言ったかも。すごい記憶力だな。こういうときだけ。


それからお互いにちょっとした罪悪感を持ちつつも、僕たちは久しぶりに体を重ねた。半年ぶりのセックスはなつのお腹がもう大きいので結構不自由だったけど、ちょっとした背徳感もあって僕を熱くした。全て終わった後に、僕は彼女のはだかのお腹に耳をつけた。


「あ、動いた」

「本当だ」


なつのお腹の皮膚を通して赤ちゃんが動き回るのが感じられた。


「男の子かな?女の子かな?」

「検査のときにわからないの?」

「もうそろそろわかるかも。せいちゃんはどっちがいいの?」


僕はちょっと考えた。


「どっちだろ?」


子供と一緒にいる自分のイメージがわかない。


「なつ、ほら服着ないと体冷えるよ」


へくしっとくしゃみをする。だから言わんこっちゃない。


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