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その4

お互いの種明かしが終わると、空しさが二人を包むことになった。

本当にくだらない、小説ならば5分でも十分かもしれない話を、ここまで大きくしてしまい、落とし所が逆に見つからない。雨降って地固まるとはいうが、どしゃ降りの雨は地面を削ぎ落としてしまったので、固まるものもない。


両思い、だったはずだけれど。


その喜びを分かち合う術を、私たちは持ち合わせていないのだ。


長い長い沈黙は、乃亜さんが顔を上げたことで終わった。瞳には輝きがなく、どんよりと濁っている。

「恵里奈は、これからどうしたい?」

「え?」

「俺は、彼女にセフレだと誤解させ続け、捨てられても尚追い縋るような男だよ。恋人らしいこともせず、恵里奈の気持ちにも気づかないなんて」

そこまで言い切って、乃亜さんがきゅっと唇を噛む。カサカサになってしまった唇は、力を入れれば簡単に切れてしまう。

私は思わず手を伸ばし、乃亜さんの唇に指を添えた。

「唇切れちゃう」

「触るな」

そう言いながら、乃亜さんは私の手を唇から退けた。

今まで一度もなかった明確な拒絶に、時間が一瞬止まる。


拒絶、された。


そんな酷くされたわけでもないのに、襲った衝撃は大きかった。

振り払われた手が自分の膝の上に戻った時、私の中で何かが割れる音を聞いた。


「じゃあ何で、ノゾミくんに泣きついたの?」


目を零れんばかりに見開いた乃亜さんの顔も、声も、すぐ傍に感じる温もりも。

確かにそこにあって、私は認識している。

なのに、それがひどく遠い。だからなのか、頬を伝う涙の熱だけがやたらと鮮明で。


「もう、本当に終わりにしたい?」


そんな言葉が自分の口から滑り落ちても、別の誰かの言葉のように響く。怖いくらいに冷たい声が、自分のものだなんて信じられない。

「恵里奈?」

明らかに狼狽えた乃亜さんが、目を泳がせた。それは私の言葉が、彼にとって思いもよらないことだったのだと分かる。

それなのに、一度動き始めた口は止まらない。氷のように尖りながら、冷たく空気を滑っていく。

きっとそれは、今まで私が殺してきた激情だ。長い間、抑圧されてきたものが今、吹き出している。

「私がいないとダメだって泣いたくせに。私のせいでこんな風になったくせに。

そんな風に思わせ振りな態度、しないでよ。最初から別れる気があったなら、そう言ってくれたら良かった。そうしたら、私は向こうで生きていくこともできたのに。

私が、何で今まで乃亜さんに真実を聞かなかったのか、分かる?

それは、乃亜さんがいつだって距離を置くから。私のことは好きかもしれないけれど、大切にしてくれたけど、でもそれだけ。お人形を愛でているみたいだから。

…だから、乃亜さんのお友達の言葉を信じてしまった。あぁ、そうなんだ。そう納得しちゃったの」

金曜日にしか連絡が来ない。ホテルでしか過ごさない。そんな日々に違和感があったのは確かなのだ。

そして、何よりも。


「乃亜さんは、本当に私のことが好きなの?」


いつも疑問だった。

こんなに何でも持っている人が、何もない私を好きになるのだろうか。

求められているのは体だけなのかもしれない。それでも良いと思ってしまったのは、私。

だから、自分の行動に制約をつけた。

特別を望まなければ、与えられなくても傷つかない。

「乃亜さんとの未来をのぞんだことはないの。最初から諦めてた。体だけの繋がりは、いつか切れると思っていた。だから、自分が傷つかないために、真実を知ることを止めたの。私もいつか実家に帰る、だからこれは夢なんだって」

夢はいつか醒めるもの。

そう思えば、全てに蓋をして生きていけた。

「今回のことは、ただのきっかけ。これがなくてもきっと、いつか同じことにぶつかってた。

だから、いいの。聞かなかった私が悪いんだから。

でももしも乃亜さんが、過去に浸りたいが故に私に拘るのなら、別れた方が良いかもね。そろそろ乃亜さんも、夢から醒めなきゃ。

現実の私は、打算的で自分勝手で、自分が傷つかないためだけに動ける人間なの。夢の中の私とは真逆だから」

ほら、こうして今も傷つかないための算段をしている。

声に出さず紡ぐと、心の裡に冷たいものが落ちた。


一緒にいたいと帰ってきた自分が、たまらなく惨めだ。


何歳も年下の男に振り回されて。愛されているんだと勘違いして、未来を望んだなんて。


本当にもう、終わりにした方が良いのかもしれない。


恋なんか、もうしたくない。


物語の中だったら、乃亜さんは王子様だ。でも私はお姫様じゃない。名前もつかない脇役の一人。王子様の隣に立つ資格は、はなから無かったのだ。

それなのに何で、私は。


「…それは、僕のことはもう要らないってこと?」


乃亜さんの声が、深みに沈んでいく思考を引き上げる。

彼を見れば、先程までとは違って、恐ろしく真っ直ぐな目で私を見ていた。

「僕が、恵里奈の隣にいるために、今までどれだけ努力したと思う?」

「努力?」

「恵里奈は僕より何歳も年上だ。きっと、頼りない男じゃだめだ。背が高くて、頭が良くて、学歴もあって、どんなことでも許せる心の広さがあって、自分の気持ちを押し付けなくて。年齢が気にならないくらい大人じゃないと、って思ってた。

二度と会えないかもしれないのに、いつだって心の片隅にそんな思いがあった。再会を諦めてたくせに、先の見えない努力を続けた。

僕は高校上がるまでアメリカに住んでいたから、日本語は苦手なんだ。でもきちんと話せないのは嫌だから、母親に頼んで日本語を教えてもらった。…僕はアメリカ人と日本人のハーフなんだ。本籍はアメリカだから、こっちにいる理由は何もない。なのに、やっぱり恵里奈に会いたくて。

どうしてこんなに、心の中に残るのか。自分でもよく分からない。もう本当におかしいんだよ、僕は。たった一度の出会いが、僕の道を作ったんだ」

私は今、どんな顔をしているのだろう。少なくとも穏やかな顔はしていないはずだ。冷静さが自分の中から消えていくのが分かる。

「恵里奈は僕がはっきりしない、と言うけれど。それは恵里奈だって同じだ。どこか出掛けたいかと尋ねたときに顔を曇らせるし、絶対に自分からは連絡をしてこない。いつも受け入れるだけで何も言わない。全然気持ちが見えないよ。

僕はね、恵里奈が欲しいんだよ。ずっと昔から。でも、恵里奈の気持ちを無視したくなかった。

もしも僕の気持ちだけで動いていいなら、僕は恵里奈をアメリカに連れていくよ。アメリカの、僕のマンションに閉じ込めて、外に出さない。そうして一生、僕の傍にいてくれたら良いんだ。幸い僕は、それだけの収入もある」

言い切った乃亜さんが、私を引き寄せて抱き締める。

暗くて澱んだ告白は、乃亜さんの熱とともに心に染み込んでいく。

「恵里奈のこと、自分でも怖いくらいに愛してるんだ。執着なんて言葉で足りるのか分からない。

そんな男に愛をねだるなんて、恵里奈はバカだね。もう僕はあなたを離せない。それだけの忍耐は、とうに使いきってしまった。

ねぇ、それでも僕と一緒にいたい?」

最後の言葉は、私に対する譲歩なのか。

もう離せないなんて言っておきながら、結局私の逃げ道を残してくれる。そんな優しさが、今回のことを引き起こしたのに。どうやらまだ懲りていないらしい。

「それは、またすごく熱烈なプロポーズね」

思わず笑うと、乃亜さんが苦笑する気配がした。

「こんなプロポーズ、最低だけど。でもまぁ、そう受け取ってくれていいよ」

「あなたこそ、本当にバカよね。もっと他に良い人いるのに」

「それはどうかな。僕には恵里奈だけだから」

「私にも乃亜さんだけ。私もあなたが大好き。手酷く別れれば、一生私を忘れないだろうなんて思うくらいには愛してる」

夢は醒めるものだと知りながら、一生残る何かを望むほどに、私も盲目的に乃亜さんを愛した。

この歪んだ愛の行き先は、一体どこなのか。

不安にならないことはない。

それでも、体を放した乃亜さんの笑顔が、あの少年と同じようにキラキラとしていたから。

私はきっと離れることなんかできないのだと思う。

「恵里奈、ずっとずっと一緒にいて」

「はい」

そっと降ってきたキスに目を閉じながら、私は思う。

王子様が村娘を選んでしまう、そんな物語があってもいいのかもしれないと。その先はまた二人で模索すればいい。

私たちの物語は、今やっと始まったばかりだから。




それからのことは、まさに怒涛の日々だった。

まず、乃亜さんに付いて渡米した私を待っていたのは、美人すぎる乃亜さんの家族との出会いでも、甘い同棲生活でもなく、悪阻だった。

渡米してすぐに発覚したのだが、なんと私は妊娠3ヶ月だったのだ。どうも、大騒ぎをしている時にはお腹に赤ちゃんがいたらしい。恋人から一気に夫婦に昇格したのは言うまでもない。

その旨を私の義母に連絡をしたところ、山ほどマタニティグッズを送ってくれ、あれこれと妊娠中の注意事項を教えてくれた。びっしりと文字が書いてあるノートが送られてきた時には、さすがにびっくりしたが。

安定期に入った頃に乃亜さんの家族と会うことになった。乃亜さんの家族は、みんな美形だった。アメリカ人のお父さんはダンディなおじさまだし、日本人のお母さんは美魔女だ。お姉さんや妹さんは写真で見て知っていたのだが、実物は写真以上にスタイル抜群の美女で…正直、私は肩身が狭い。

けれども、乃亜さんの家族はとても歓迎してくれ、今ではよく一緒に出かけるほどだ。


そして今、私は二人の娘と最愛の夫に囲まれ、穏やかで幸せな日々を過ごしている。


子育てに追われているうちに、私たちは年を取り、今では年齢差も気にならないくらいになった。一緒に街を歩いても、誰も私たちを振り返ることはない。

「ねぇ、乃亜さん」

隣を歩く旦那様の手を握る。彼はふんわりと笑い、その手を握り返してくれた。

目元にできた笑い皺や、少し白いものが混ざり始めた髪はあの頃と違うけれど。こんな笑顔は昔と変わらない。

「どうした?」

「ううん、なんとなく。ただ、幸せだなって」

「そっか」

寄り添えば、乃亜さんは体を曲げて私に軽いキスを落とした。

こちらに来るまで知らなかったのだが、乃亜さんはかなりスキンシップが激しい。頻繁にキスもするし、手も繋ぐ。当たり前のようにハグされる。

日本ではそういう文化がないから遠慮していただけで、戻ってくれば遠慮は全くないとのこと。

「乃亜さんは?」

穏やかな空気を纏って、私や娘たちを慈しむ様子を見れば、答えは見えているのだけれど。最近聞いていない言葉を聞きたくて、私は乃亜さんにねだってみる。

乃亜さんは心得たように、手をほどいて私の肩を抱き寄せる。

そして、満面の笑みを浮かべた。


「もちろん幸せだよ。恵里奈、愛してる」


あの時は不安で仕方なかった未来は、こんな風に輝いている。

私の隣に乃亜さんがいてくれるのなら、これからもきっと輝き続けるのだろう。

背伸びをして、乃亜さんの頬にキスをする。


「私も愛してる」


だから、隣にいさせてね。




なんでやねん!とつっこみたくなると思いますが、ハッピーエンドが好きなので、うまくまとまってくれたらそれで良しです。

二人ともヤンデレ素質は十分にあるので、お互いに束縛しあいながら、幸せに生活することでしょう。まさに破れ鍋に綴じ蓋、運命です。


お読みくださり、ありがとうございました。

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