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その3

私は夢を見ていた。

夢だと分かったのは、持ち物や服装が大学生の頃と全く同じだったからだ。

それに、歩く街並みにも明らかな違和感がある。駅前の古びた自転車屋さんはもうとっくに閉店しているし、近くの交番のお巡りさんの顔も今とは違う。

あのカフェはあるけれど、ガラス越しに見える店員はノゾミくんではなくて、その前にアルバイトで入っていた女の子だ。


なんで、昔の夢を見ているのだろう。


ふと疑問になり、そして帰宅直前にノゾミくんと学籍番号の話をしていたことを思い出した。たぶん、あれが原因だ。

自分でも曖昧になりつつある大学時代の光景は、想像よりも鮮明で、まるであの頃にタイムスリップしたのではと錯覚しそうになる。

懐かしさを抱えたまま、私は街を歩いた。

ここは夢の中だから、行く宛もない。目的のない町歩きは嫌いではないが、どこに歩いて行けばいいのだろう。

ぼんやりと歩いていくうちに、だんだんと駅から離れていく。

私の勤める会社の入るビルも、帰りに寄ることもあるブティックも通りすぎて、気づけば見たことのない場所に出ていた。

現実の世界なら、商業施設が見えてくるはずだが、その辺りは夢の中だ。現実とリンクしているようでしていない。

「それにしても…」

足を止め、周囲を見回す。

ここには比喩ではなく、本当に何もない。

コンクリートだった地面は、何色もの暗色が混ざったマーブルの床に変わり、景色は夜空に変わっている。

街の明かりがあるとはっきり見えない星たちも、今は我一番と輝いて眩しい。昔、故郷で見た空みたいだ。


「あの…」


美しい星空を惚けて見上げていると、突然後ろから声がかけられた。

驚いて振り返れば、ふわふわとした髪の毛の、少年がいた。全体的に整った容姿ではあるが、幼さが前に出ているし、身長も私より低い。まだ十代前半なのかもしれない。

それにしても、どこかで見たことのある顔である。目や口、鼻などの形は、私のよく知る人にそっくりだ。

「どうしたの?」

自分より年下の男の子に、澄ました声で尋ねる。

少年は胸の前で両手を握りしめ、唇をきゅっと噛んだ。不機嫌そうに見えなくもないが、頬が赤いから照れているだけなのだろう。

初々しい様子に、ほんのり優しい気持ちが湧いてくる。

何も言わず私を見上げる少年を観察していると、握りしめた両手の中に、色の褪せた茶色の何かがあることに気づいた。

「ねぇ、手に持っているものは何?」

「っ、これ…」

肩をぴくりと跳ねさせた少年は、それでもゆっくりと両手を差し出してくる。

「あ、」

見覚えのある茶色の定期入れに、思わず驚きの声を上げた私に、目の前の双眸がほっと和らいだのが分かった。

学生時代に使っていたそれには、電車の定期と大学の学生証を入れてあった。どこで落としたのだろう。

「駅前で、拾ったんです。声をかけたけど気づかなくて。だから、追いかけてきて…」

私の疑問を読んだかのような言葉に、はっとして彼の顔を見た。


このやりとり、昔どこかで…。


記憶は曖昧で思い出せない。けれど、確かにこんなことが昔あった気がする。

「お姉さん、名前…何て読むんですか?」

「名前?」

少年が私の学生証を見、伍代恵里奈の部分を指差す。

「ごだい、えりなって読むの。もちろん学部とか全て飛ばしてだけど、学籍番号5番の伍代恵里奈。伍代が5番目ってなんとなく語呂いいでしょう?」

咄嗟に出てきたのは、当時自己紹介で幾度となく答えたもの。

人間はどうやら、日常的にやってきたことは、きちんと記憶に残るらしい。

「伍代、恵里奈さん…」

少年はもそもそと私の名を紡ぐ。

ここまで来ると、この少年が誰なのかも分かり始めていた。


こんなに昔は可愛かったのね。


感慨深く考えていると、少年がにっこりと笑った。

「恵里奈、さん!」

「うん?」

「また、どこかで会えますか?」

その問いに、吹き出しそうになる。

あなた、この当時から女たらしだったの。

顔は真っ赤だが、キラキラと目を輝かせている彼が、誰かと重なった。

「もちろんよ」

何年後かの未来でね。

彼の頭に手を置こうとしたとき、一気に意識が浮上していくのを感じ、夢の終わりを告げる。


5番目の女の子。


ずっと引っかかっていたものが晴れ、目を開けた時にはとても清々しい気持ちだった。

隣で寝こける乃亜さんを起こさないように、そっとベッドを抜け出し、顔を洗う。鏡に映る私は、ここ最近で一番良い表情をしていた。

歯をみがいて着替えた後、冷凍庫を覗き込む。冷蔵物は金曜日に片付けてしまったから、調味料くらいしかない。すぐに食べられるものは、冷凍食品だけだ。

がさがさと出してみると、トマトソースのスパゲティと、唐揚げがあったので、それを電子レンジにかけることにした。

電子レンジをかけている間に、ケトルに水を入れてお湯を沸かす。その時に、お湯でできるマッシュポテトを見つけ、さっき冷凍庫にあったミックスベジタブルを用意する。

何も考えずに動いているうちに、朝ごはんが完成した。朝ごはんには重たいが、時計は10時を指している。昼食も兼ねればちょうど良いくらいだ。

二人分がぎりぎり置ける机に朝食とコーヒーを並べ、私はまだ眠っているであろう乃亜さんを起こすことにした。

一人暮らしだけれど、部屋は大きい方が良かった私は、1LDKの部屋を借りている。キッチンからは寝室は見えない。

寝室に入り、ベッドの横に座る。まだ気持ち良さそうに寝ている乃亜さんを起こすのは忍びないが、私は声をかけた。

「乃亜さん、起きて」

優しく囁いたのが悪かったのか、乃亜さんは小さな子のようにぐずりながら布団をかぶり直してしまう。

「乃亜さん、朝だよ。ご飯食べようよ」

「ん~…まだ、もう少し…」

「もう少しって…お昼になっちゃう」

「ん~…」

塊を揺するが起きる気配はなく、不毛なやりとりが続く。

こんなに寝起きの悪い人だったのかと呆れながら、私は乃亜さんから布団を無理矢理はがした。

「いい加減、起きなさい!」

「っ!はい!」

私の怒鳴り声と布団を取られたことにようやく目が覚めた乃亜さんが、勢いよく起き上がり、ちょこんと正座をした。

眠そうに目を擦り、そしてゆっくりと私を見た。

「あれ、恵里奈…?」

「そうよ」

「恵里奈、いつからここに?」

目ぼけ眼で見上げる乃亜さんの髪は寝癖でぐしゃぐしゃだし、カッコいい大人の男の人というよりも、可愛い少年という方がしっくりくる。けれど、剃られていない無精髭を見るとやっぱり、この人はあの時の少年とは違う、男の人なんだと思う。


どうして今まで気づかなかったのだろう。


背が伸びたからか、それとも全体的に幼さがなくなったからだろうか。

こうして意識して見れば、共通点はたくさんあるのに。

私の見解が果たして正しいのか。それはこれから確認していくことにして。

まずは現状が理解できていない乃亜さんに、昨日のできごとから説明することにした。

カフェで酔っ払って寝ていた乃亜さんを回収したは良いものの、自宅の住所が分からず、予約も取っていないホテルには行けず、仕方なく自分の家に連れてきた、という話をしていると、だんだん彼の表情が暗くなり、最後には世界の滅亡を目の当たりにしたような顔になった。

「で、それと、」

顔面蒼白な乃亜さんに気づいていたが、話はまだ途中だ。何故こんなことになったのか、本題に入ろうとした私を、乃亜さんは手で制し、そのまま項垂れた。

「もう、分かったから。迷惑かけて本当にごめん」

「別に怒ってないよ。顔を上げて」

しおれた乃亜さんの肩に手を添え、力を入れる。

特に抵抗もなく、乃亜さんは弱々しく顔を上げた。

「本当に、ごめん…。だから恵里奈にフラれるんだよな、俺。情けなくて、どうしようもない」

普段の飄々とした様子はどこへ行ったのか。

黙って見ていれば、目からポロポロと涙を溢し始める。それに気づかないのか、拭うこともせず、突然ベッドの上に立ち上がった。

「帰る」

「は?」

「だから帰る」

本人は真面目に宣言したつもりなのだろうが、言動が意味不明だ。ぽかんと口を開けて見上げた私の顔に、彼の涙が降っている。上はポロシャツでも下はトランクスで、このまま出たら不審者極まりない。

そもそもベッドの上に仁王立ちって。

色々とおかしいことになっている彼が、果たして冷静なのか。

答えは、否である。

とりあえず、恥ずかしさやら申し訳なさやらでキャパシティの超えてしまった乃亜さんを落ち着けるために、私も立ち上がった。

「あのさ、何でもいいけど、ご飯食べよう。昨日の夜から私、ご飯食べてないの。…まさか、独りで食べろだなんて言わないわよね?」

暗に『お前のせいでご飯食べられなかったんだから、付き合え』と言われていることは理解したらしい。

近くにあった彼のジーパンを無言で渡すと、黙ってそれを穿き、私に付いて寝室を出てきた。

相変わらずぼんやりとしている乃亜さんを促し、席に座らせる。そして一言も発しないまま、ご飯を食べ始めた。

寝室でひと悶着あったせいで、ご飯は冷たかったけれど、乃亜さんは何も言わないし、私も温め直す気にはなれなくて、そのまま食べ続ける。


「あの、」

おずおずと乃亜さんが話しかけてきたのは、ご飯を食べ終えて食器を片付け、ソファーに移動してからだった。

「何」

「ご飯、ありがとう」

「どういたしまして。全部冷凍食品だけど」

今さら取り繕っても仕方ないと開き直った私の冷たい対応に、乃亜さんが悲しそうな顔をする。美形がそういう顔をすると罪悪感を覚えるから止めてほしい。

乃亜さんは口を何度か開閉させ、そしてゆっくりと話し始めた。

「恵里奈は、俺を乃亜『さん』って呼ぶけど、本当は俺のが6つも年下なんだ」

なんだか罪の懺悔をしているような口調だ。今までお互いのことを話したことがなかったから、私が彼について何も知らないと思っているらしい。

「高校生の時に、1回だけ会ったことがある。すごく綺麗で、一目惚れした。でも、叶わないって分かってたから諦めた。

そこから何人も付き合ったけど、うまくいかなくて。だんだん、そういうのが面倒になって」

そこで、乃亜さんは唇をなめる。

「そんな時に、恵里奈をあのカフェで見つけたんだ。恵里奈は決まって金曜日の夕方に来ては、コーヒーを飲みながらノゾミくんと話して帰っていった。

恵里奈はあの頃よりも綺麗になってて、あの頃知らなかった笑顔や仕草を目の当たりにして…また恋をした。でも、きっかけがなくて、話しかけることすらできなくて。

…あの日のことは、とても後悔している。あんな風に始めたいわけじゃなかったんだ」

それきり黙り込んでしまった乃亜さんを横目に、私は深く息を吐いた。


乃亜さんのいう『あの日』は、私たちの始まりの日のことだろう。


珍しく飲み会で酔っぱらった私が、何故か閉店間際のカフェに立ち寄って。ノゾミくん相手に管を巻いているのを壮年のマスターに止められている所に乃亜さんが遭遇した。

そして、乃亜さんが私を家まで送っていくことになったらしいのだが、タクシーに乗ったら爆睡してしまい、仕方なくホテルに行くことに。…それで終われば良かったのだが、ホテルのベッドに入ってすぐに私が泣き始め、どうも乃亜さんに無理矢理ワインを飲ませ、だんだんと変な雰囲気になり、致してしまったという…もう本当にごめんなさい、のレベルの話だ。


後悔しているのは、私の方なのに。


あの夜のことを私はあまり覚えていない。覚えているのは、乃亜さんの優しく声と、手のひらと、泣きそうな乃亜さんの目だけ。

一夜の過ちにするにはもったいないくらい、心地よい夜だったのだと思う。

だから、このまま終わらせたくなくて、乃亜さんの『次』を待った。そのうちそれが当たり前になって、いつの間にか私は恋をした。

とても不純な始まりだが、それでも大切な思い出なのだ。


だって、なし崩しに始まらなければ、私は乃亜さんに恋しなかった。


カッコよくて、優しくて、高給取りで。困るほどの短所はないし、年下だけどしっかりしている。

そんな完璧な人に告白されても、私は絶対に受け入れなかった。それだけは自信がある。

そもそも私の後悔は『始まりの日を覚えていない』ことであって、『始まりが一夜の過ち』ではない。乃亜さんはきっと、そんなこと思いもしないのだろう。

百の言葉を尽くしても、今の乃亜さんには届かないような気はする。けれど、きちんと言わなければ、何も理解し合えないのも事実だ。

俯いたままの乃亜さんの手を両手で包み、ぎゅっと力を入れた。

「乃亜さん。私はあの日のこと、後悔してないよ。だって、どうしようもない始まりだったから、私は乃亜さんを受け入れられた」

その言葉に、乃亜さんの顔が上がる。

「酔っている恵里奈を、合意もなく抱いたんだよ。何もせず、という選択もあったのに」

形のよい眉が情けなく下がる。

「でもワインを飲ませて乃亜さんを酔わせたのも私だし。そもそも、私が乃亜さんに迫ったんでしょ?それはなんとなく覚えてるんだ」

「そんな、」

「『私なんて、どうせ魅力ないんだから!』」

「!!!?」

「やっぱり。あの日の私も、そう言って泣いたんじゃない?

実は同じこと、大学時代に親友にやらかしちゃったことがあって。…相手、女の子なんだけど。泥酔して、泣きわめいて、挙げ句に押し倒されたって、すごく怒られたことある。

今まであんまり気にしてなかったけど、なんとなくそんな気がするの」

滅多に酔わない私が酔うと、泣き上戸になり、相手を押し倒すらしい。

それは親友だけでなく、姉からも聞いている。だから、外ではお酒を飲むのを止めなさいと注意されているくらいだ。


なのにあの日は浴びるほど飲んで…。


しばらくお酒は止めようと、心に誓う。お酒の力怖すぎる。

私の言い分は正しかったらしく、酸素不足の金魚みたいに口をパクパクさせている。

「ねぇ、そんな風に自分を悪者にしなくていいよ。酔ってて押し倒されたら抵抗できないでしょ。

私はあの日に感謝こそしても、嫌だなんて思ったことない。そうでなければ、関係を何ヵ月も続けるわけないから」

「恵里奈…」

「だから、もう…これは無し!

それよりも、さっきの話なんだけど」

重要なのは私のおバカな所業ではなく、学生時代の私と乃亜さんの出会いの方だ。

「なんで、10年前に一度出会ってるってことを教えてくれなかったの?ねぇ、5番目の女の子って何?」

夢の中で思い出したことの答え合わせをしていかないと、私は前に進めない。

握った手に力が入りすぎたのか、乃亜さんがびくっと跳ねる。そして困ったように私を見つめた。

「って、何でそんなに顔が赤いの…?」

乃亜さんの顔は、熟れたトマトみたいに赤くなっていた。肌がもともと白いから、余計にその赤さが際立つ。

乃亜さんは咄嗟に空いた手で目元を覆ったが、残念ながら全ては隠せていない。

「…っ、何でそんなに、隠したいことを突いてくるんだ!」

焦っているのが丸分かりで、真面目なシチュエーションだったはずなのに、ニマニマと笑いが込み上げてくる。

「乃亜さん、可愛い」

もう可愛すぎてどうしよう。

私の呟きに、今度こそ乃亜さんは撃沈し、しばらく話し合いにならなかったのは言うまでもない。



「高校生の時、大学卒業間近の恵里奈に出会ったんだ。定期を拾って追いかけて、見上げた顔が俺の好みど真ん中で。

俺、恵里奈の名字が読めなくて、思い切って尋ねたら『学籍番号5番目の伍代恵里奈』って紹介してくれた。5番目って響きが耳に残ったのもあるし、名前を口にするのが恥ずかしくて、友達には『俺の好きな人は5番目の女の子』って言ってた」

冷たい紅茶を飲んで、いつもの落ち着きを取り戻した乃亜さんがポツポツと語り出す。

私は隣に座って、その話に耳を傾けた。

「だから、高校の友達は結構知ってるんだ、5番目の女の子の意味。それが大学入ったら、どんな風に解釈されたのか『学籍番号5番目の女の子』が『彼女が5人いる』に変わってて。

それに合わせて派手な女の子たちが寄ってくるようになってさ。最初は付き合ってたんだけど、だんだん疲れてきて。それで、親友に、女避けになってもらってた」

話を聞けば聞くほど、乃亜さんらしい。かなり言葉の足りない彼だから、まぁそんな噂が立っても仕方ない。

それに『5番目の女の子』って、誤解を招く言い方だ。

呆れつつも、適当に相づちを打つ。変なところで茶々を入れると話が進まないのは、先ほどのことで学習済みだ。

「そのうち、恵里奈のことを思い出さなくなった。働き始めて忙しかったし、もう会えないんだろうなぁと漠然と思っていたから。

なのに、会っちゃったんだよな。大人っぽくなって、もっと綺麗になった恵里奈に。楽しそうに笑って、子供みたいにノゾミくんの頬を引っ張るのを見て…胸が疼いた。

この気持ちが、過去の恋を懐かしむものだと証明したくて、それから毎週金曜日にあのカフェに寄った。でも声を聞いて、色んな表情を見てたら、気のせいだなんて思えなくなっていた」

毎週金曜日に見かけるだけの、寡黙でカッコいい男の人。

私にはそれだけの認識しかなかったけれど。乃亜さんの目には、好きな人として私が映っていた。

それが面ばゆくて、自然と顔が火照り出す。

「ノゾミくんもマスターも、そのこと知ってるんだ。毎日毎日通ううちにプライベートまで話すようになって、恋愛相談にまで乗ってもらってた。

あの日、俺が恵里奈を連れ帰れたのは、二人が事情を知っていたからだ。送り狼にはならないだろう、とは言い切れなかっただろうけど、少なくとも恵里奈を傷つけることはしないと思ってたんじゃないかな。

とりあえず理由はなんであれ、恵里奈と定期的に会えるようになって、恋人って呼べる関係になって。二人も喜んでくれてはいたんだ。

でも、何か違った。確かに、体を許してくれるのは嬉しかった。それは認める。けれど、変な形で始まったからか、まともなデートに誘う勇気がないし、だんだん恵里奈が俺と距離を置くのを感じていたから、もう何していいか分からなくて。

そんな時に海外への異動。挙げ句に遊びだったってフラれるわ。人生を悲観して、毎日ノゾミくんに愚痴を言って。…そうしたら、何故か朝目が覚めたら、恵里奈がいて。この1週間、パニックだらけだった」

疲れた様子で乃亜さんがソファーに背を預ける。私も一緒にソファーにもたれた。

聞いてみれば何のことはない。ただの、不器用な青年の恋煩いだ。


それが何で、こんな騒動に。


思い返せば、『2番目』だと名乗った彼女が原因である気がする。そこから、乃亜さんが分からなくなって、体だけの関係だと割りきろうとしたのだ。

「ねぇ、乃亜さん」

「ん?」

「じゃあ、2番目って誰のこと?」

「2番目?何それ」

乃亜さんは目を何度も瞬かせている。

「クールビューティな感じの女性で『2番目』って自己紹介した後に、『あなたは5番目』って言われて。その時に、乃亜さんの年齢や仕事や、あと…残り3人の彼女?を教えてくれて。丁寧に画像も見せてくれて」

あれは誰だったのだろう。

もしかして、乃亜さんのストーカー?とまで考えたところで、隣から唸り声が聞こえた。見れば苦虫を噛み潰したような顔で、地面を睨んでいる。

「乃亜さん?」

「恵里奈。ヤツは、こんな顔してなかった?」

取り出したスマホで画像を見せてくれる。

「あ、この人!」

画像には、とびきり綺麗な女の人が写っている。

乃亜さんは頭を抱えたまま話し始めた。

「それ、俺の親友。女装趣味で美容師の、歴とした男。奥さんいるし、子供もいる。あいつ…何でこんなろくでもない八つ当たりを」

「お、男?」

どこから見ても女性にしか見えない。

「もともと華奢で女顔なの。それに、メイクアップアーティスト目指してたから、化粧上手で。声も低くないから、知らないと騙される。2番目っていうのは、あいつの高校3年の時の学籍番号。5番目、の本当の意味を知ってるから、意趣返しだよ」

「意趣返し…」

あり得ない。

色々とあり得ない。

「ったく…娘が自分より俺になついてるからって、変な嫌がらせするなよな「待って!」」

ぼやきを途中で遮られた乃亜さんが、訝しげにこちらを見る。

「じゃあ、1番目、3番目、4番目の彼女の画像は誰?」

どの人も美人だった。それまでまさか男性だとは言わないだろう。

乃亜さんはしばらく考え込み、そして何か答えに辿り着いたらしい。いそいそと画像を探し始め、ある集合写真を見せてくれた。

「その人たち、この中にいない?」

問われて、画像を注視する。

それはホームパーティの画像のようだった。

手前で犬を抱っこする少女と、それよりももっと小さな男の子。その後ろには、小学生くらいの男の子がいる。

大人も何人かいて、そのうちの一人は乃亜さんだ。

「あ!」

乃亜さんの隣に、1番目の彼女だと紹介された女性が綺麗な所作でグラスに口をつけている。少し離れた所に3番目の彼女が、椅子に座って4番目の彼女が男性の頬をつついている。

「これってどういう…」

呆然としている私からスマホを取り上げ、一人ずつ指さしながら乃亜さんが紹介する。

「ワイン飲んでる人が俺の3つ上の実の姉、こっちが4つ下の実の妹、あと椅子に座ってるのが従兄弟、隣の男がさっき話した親友。で、前にいる女の子と男の子が親友の子。その後ろの少年が姉の子。

つまり、二人は俺の兄弟で、あと一人は従兄弟兼親友の奥さん」

兄弟と、奥さん…。

どうりで顔立ちが皆似ているわけだ。血が繋がっているなら、似ていても然りである。

そう言われて改めて見れば、乃亜さんとも似ている。

「そういうこと。あのバカなことしてくれた親友は、俺に聞けばすぐに分かるようなイタズラをしてくれたってわけ。

あ~ぁ、最近俺に『何か言うことないか』ってしつこく聞いてきたのはこれだったのか」

つまり、まとめればこういうことだ。

親友さんは乃亜さんが想い人と付き合い始めたのを知って、祝福とは言い難いイタズラを思いついた。

私の様子も見たかったのだろうし、高校時代の出会いを思い出させたかったのだろう。或いは、カッコつけて隠している過去が早くバレてしまえばいいと思ったのかもしれない。

どうせすぐにバレる嘘だし、分かれば笑い話だ。

そう思っていたのに、肝心の乃亜さんが何も言ってこない。何でだろう。

親友さんの困惑が目に浮かぶようだ。

要は、私が変に受け入れて、何も聞かなかったからこんなことになった。

「早く聞かなくて、ごめんなさい」

集約されると、この一言に尽きる。

本当に申し訳ない。勘違いして突っ走って。

「乃亜さんみたいな人が私を好きになるなんて、無いって思ってた。だから、5番目の彼女だって言われて傷ついたけれど、心のどこかで『やっぱり』って納得してた。

それに、家のこともあったし、本気になっても仕方ないって諦めてたの」

それもすべて、乃亜さんに捨てられたくないという、自分本意な思いからだ。


嫌われたくない。


それだけが、私を動かしていた。


乃亜さんは相変わらず暗いままで、にこりともしない。綺麗な顔立ちの人の無表情は、人形じみていて怖い。


本当に、これで終わってしまったりして。


染みのように心に落ちた独白に、胸が軋む気がした。

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