深層の令嬢の秘密
エリシアが教室の中に入ると、そこはざわざわと煩かった。
クラスメイトたちは皆教室前方の黒板の前で、なにやら噂話をしている。エリシアが黒板の方まで行けずに人垣の後ろで背伸びをしていると、人ごみの中から、ローレルが美しい黒髪をなびかせてやって来た。
「おはよう、エリシア」
「おはよう、ローレル! なんの騒ぎなの?」
「メイナード王子がいらっしゃるって貼り紙が出ているの」
「メイナード王子って、この国の第一王子?」
「そうよ、変人王子」
ローレルのその言葉に、エリシアが首を傾げると、ローレルは丁寧にメイナード王子について、教えてくれた。
メイナード王子は、ハウルランド王国の第一王子である。生母は第二王子であるトーマス王太子と同じで、正真正銘血の繋がった兄弟でありながら、弟に王位継承権を譲った変わり者の王子として有名だ。
王位継承者として、何ら問題もなく、魔法について博識でありながら、王位継承権を譲ったのは、魔法研究に尽力するためと言われている。メイナード王子は、国立魔法研究センターの長官を務めていて、日夜魔法についての研究に勤しんでいる。そのため、公務をする時間さえ惜しんで、王太子とならなかったと言われているのだ。
26歳と結婚適齢期も過ぎていながら、婚約者さえ持たないことから、その生涯を魔法研究に費やすのではないかと言われている。
そのため、偏屈王子、変人王子なんて陰口も言われているらしい。
「知らなかった」
「社交界やなんかでの噂話だもの。そう、あの張り紙だけれど、メイナード王子が毎年魔法能力が優れている人を探しに来ているらしくて、それについて書いてあったのよ。新入生がクラスごとに順に呼び出されるそうなの」
「メイナード王子に優秀だと認められたくて、みんなソワソワしているのかしら?」
エリシアの言葉にローレルは首を振ってから、エリシアの耳に口を寄せ、声を落とす。
「男子生徒はそうかもしれないけれど、女子生徒は違うわ。メイナード王子は婚約者もいらっしゃらないから、見染められたくてソワソワしているのよ」
「まあ」
「とりあえず、順番が来るまでお話ししていましょう」
ローレルの言葉にエリシアは頷き、席へとついた。
エリシアたちのクラスが入学式にも使った広間に呼ばれたのは、思っていたより早かった。
エリシアたちが広間に到着すると、そこにはすでに何人かの人がいた。護衛の騎士らしき制服を着た人たちと、貴族らしい格好をしたメイナード王子とその従者と思しき男性がいる。
「どちらがメイナード王子?」
エリシアが、そっと隣のローレルに耳打ちすれば、ローレルは髪の短い方、とエリシアに教えてくれた。
その返答にエリシアは驚く。エリシアは、もう1人の方がメイナード王子だと思っていたのだ。
ハウルランド王国では、昔、髪に魔力が宿ると信じられていた。今では魔法研究の末、魔力は身体中に血液のように循環していることが分かったのだが、昔の名残で、男性でも髪を伸ばす習慣があった。
特に貴族では髪の短い人は一部を除けば、殆どいないので、王族であればなおさら、髪が短いということが信じられないことであった。
エリシアはじっとメイナードを見てしまった。キラキラと輝くブロンドのサイドを刈り上げ、トップは長めに残して、右側に流している。背は高いが、細身なところが、エリシアには学者らしく映った。高く鼻筋の通った鼻、切れ長のダークグレーの瞳、男性でありながらかっこいいというより美しいという言葉が似合いそうな顔立ちだ。
(確かにみんながソワソワするはずだわ)
エリシアは変人王子と聞いて想像していたあまり良くないイメージを打ち消しながら思った。
メイナードを目の前にして、ご令嬢たちは落ち着かないらしく、広間の中はざわざわと騒がしい。メイナードはそれでも暫く口を閉ざしていたが、しびれを切らしたらしく、隣の従者になにやら耳打ちをした。
「ごめんね、次のクラスもあるので、そろそろ始めるよ。1人ずつ前に出てきてもらって、得意な魔法を見せてもらった後、この水槽に手をかざしてもらってもいいかな」
メイナードの従者の言葉は優しく、物腰も柔らかかったが、どこか威厳のある声で、クラス中がすぐに静まり返った。
エリシアが彼も位の高い人なのだろうかと思っていると、皆の視線が一点に集中したので、慌ててそれに倣う。皆が見ているのは、従者の言っていた水槽で、水が並々と注がれている以外は何も入っていない普通の水槽に見えた。
「まずはリタ・タッチェル」
毎年のことで手馴れているのか、教師が生徒の名前を1人ずつ順番に読み上げる。呼ばれた生徒はおずおずとメイナードと従者の目の前に進み出て、言われた通り魔法を披露した後、水槽に手をかざした。水槽は手がかざされると青く光り、何人か披露が終わると、どうやらその光の強さと魔法能力が関係していることが、エリシアには分かった。披露された魔法が巧みなものほど、水槽が強く光ったのだ。
(あの光、どこかで見たことがある気がするんだけど……)
エリシアはその光が気になったが、家族以外の魔法を見る絶好の機会に、すぐに興味がそちらに移った。クラスの皆の魔法のレベルがとても高く、釘付けになったのだ。披露する魔法は、複数の系統を混ぜあわせていたり、緻密なコントロールが必要なもので、その魔法能力の高さが伺える。
エリシアの印象に残ったのは、2人で、1人目はローレルだ。ローレルは水魔法を応用した氷魔法を披露した。広間中がひんやりとするほどの冷気を帯びたローレルが、大きな氷の彫像を作りだす姿は美しく、あちらこちらから息を呑む音が聞こえた。
もう1人は、スカーレット・グリーンという公爵令嬢で、彼女はエリシアが披露しようと思っていた火の魔法を披露した。しかしエリシアのものとは違い、その炎の周りには、小さな水流がいくつも作り出されていて、少しでもバランスを間違えれば、炎が消えてしまうのを、うまくコントロールして見せた。
なにより印象的だったのが、彼女が水槽に手をかざすと、他の誰より水槽の中が強く青光りしたのだ。その光に広間がどよめき、メイナードも眉をピクリと動かす。それまで、全然表情を変えなかったメイナードの変化に、皆がスカーレットが優秀なものとして選ばれるのではないかと期待したが、メイナードは何も言わなかった。
(変人王子というより、鉄仮面王子という感じだわ)
そのあまりのポーカーフェイスにエリシアは内心そう思った。
スカーレットの後も彼女以上に水槽が強く光ったものが現れないまま、エリシアの番になった。
明らかに他の誰より魔法の腕がないことを自覚しているエリシアは、緊張と不安でいっぱいになりながら、メイナードの眼前に立つ。エリシアをじっと見つめるメイナードに、従者が何やら耳打ちをすると、メイナードがピクリと眉を動かした。
(なんて言ったんだろう、試験がダメダメだった子です、とか……?)
不安がさらに胸を覆ったが、エリシアは何とか腕を伸ばし、火の魔法を行った。
イライジャに教わり始めた時より、上達した火の魔法で作りだされた炎の形は綺麗で、赤く美しく、いつまでも消えそうになかった。でも、ただそれだけであった。
「あれが深層の令嬢の魔法?」
「本当にウッドヴィル伯爵令嬢なのかしら」
ざわざわと心無い声でまたクラス中がざわめくのを聞きながら、エリシアの顔は耳まで真っ赤になった。早くこの場から立ち去りたくて、彼女は俯いたまま慌てて水槽に手を伸ばす。
瞬間、水槽が青く、強く光り始めた。一番強く光ったスカーレットの時とも比較にならないほどに。
あまりの光の強さと羞恥に、エリシアが思わず顔を手で覆い、うずくまる。
(どういうこと、あれは魔法の上手さを表しているんじゃないの?)
令嬢らしくないと思いながらも、混乱して立ち上がれないエリシアに、誰かが近寄るのが分かった。
何者かの足先を見ながら、真っ赤な顔を覆うエリシアの耳元をくすぐるように、今日初めて聞く声が降る。
「レディウッドヴィル、少しいいだろうか。後で来てもらいたい」
エリシアが、顔を覆った手を取られ、見上げた先にはきらきらと輝くブロンドの髪を持つメイナードがいた。しかしその顔は、左の口角だけをあげた、とても王子とは思えない悪人面で、エリシアは彼が王子であることも忘れ、ぎょっとしながら小さく頷く。
クラス中が先ほどとは違う意味でざわめいている中、エリシアはメイナードに立たされた。
「またあとで」
そう言うと、メイナードは従者と護衛を引き連れて広間を出て行ってしまった。
メイナードが去った後、まだ魔法を披露していなかった生徒を中心に騒ぎが大きくなる中、メイナードの従者と何やら話し合っていたらしい教師が声を張り上げる。
「もう調査は終わったからとのことだから、皆教室に戻るように。私は他のクラスにも連絡してくるから」
足早に広間を後にする教師に続いて、エリシアが教室に向かおうとするが、その歩みは目の前に立ちふさがった人物によって止められた。
エリシアの目の前には、先ほど見事な魔法を披露したスカーレットと、その後ろにはまだ魔法を披露していなかった令嬢が数名、冷ややかな眼差しで立っている。
「あの」
「なんで貴女なんですの」
最初に口を開いたのはスカーレットだった。ぴしゃりと有無も言わさぬ強い口調でそう言うと、エリシアに詰め寄る。
スカーレットは茶色の巻き髪が特徴的な令嬢で、エリシアと同じ制服を着ているというのに、まるでドレスを身にまとっているような華やかさがある。グリーン公爵の娘ということもあり、クラス内では既に取り巻きがおり、一目置かれている存在だった。
「わたくしは、まだ物心がつく前から魔法の勉強を頑張ってきたんですの。お父様に王太子様か王子様と結婚できるようにと! 貴女も先ほど見たでしょう? わたくしの魔法」
「見ました! あんなに綺麗な火の魔法を見たのは初めてで。あの水流はどうやったんですか?」
「あっ、れは……炎のサイズはコントロールしながら、小さな水流を1つずつまとわせるんですの。って、何説明させるんですの!」
一瞬戸惑った顔をした後、嬉しそうに話しだしたスカーレットはハッと我に返ったように、慌てて声を荒げた。
それから当初の予定通り、彼女を責めようとするのだが、一度崩された調子は簡単には戻らない。それを知らずに、エリシアはキラキラと輝かせた瞳で、スカーレットの魔法を褒めることを止めなかった。
「私、教科書でも『魔法の基礎』でも、『火の魔法 基礎の基礎から』でも、あんなすごい魔法読んだことなかったので、申し訳ありません」
「あら、そんな基礎の魔法書には載っていませんのよ。わたくしは、お父様から教わりましたもの」
「スカーレット様のお家は火と水の魔法のお家なんですか?」
「ええ、それを示すために魔法をお見せする時は、先ほどのように炎に水をまとわせる魔法をお見せするし、家の庭には滝があるんですけれども、その中に燃え盛る炎がありますの」
「本当ですか! 『名門貴族とその象徴』で読みました! あれはスカーレット様のお家の象徴なんですね。水の中にある火というのは美しいのですね」
エリシアの知識は、魔法分野についてはそれなりのものであるが、それ以外のものについてはとても偏っている。
まだ幼い頃、ベッドの上でヒマを持て余した彼女は、ウッドヴィル伯爵からもらった絵本をすべて読んでしまうと、家にあった本という本、すべてを読み切ってしまった。
どんな難しい本でも、ベッドの中で辞書を片手に読むお嬢様に面白くなったのか、ウッドヴィル伯爵別荘邸の使用人は、自分の私物の本を次々に渡した。その結果、エリシアは世間の流行には疎いのに、妙なことに詳しいご令嬢となってしまったのだ。屋敷に置いてあった本はウッドヴィル伯爵や、エマ、エリシアの3人の兄たちの趣味であったし、使用人の本はもちろん各使用人の趣味であったため、妙な分野に詳しくても、エリシアに罪はないというのも痛いところだ。
すっかりと毒気を抜かれたスカーレットが、火の魔法についてエリシアに教えているのを見て、スカーレットの後ろにいた女生徒たちも、エリシアが責められたら飛び出していこうとしていた勇敢なローレルも呆気にとられてしまった。
「魔法のコントロールや技術があまりなくても、魔法力があるようなのは事実みたいですし」
「ええ、そもそもスカーレットさんさえ叶わないのに、私たちがやっても殿下のお眼鏡に叶うはずがなかったわ」
「それに、見ました? 深層の令嬢さんとメイナード王子の並んだお姿、絵になってよ」
「今のスカーレットさんと並んだお姿もお姉さまと妹って感じで素敵ね」
元々魔法を披露できなかったご令嬢たちは、スカーレットにたきつけられただけで、そんなに言いたいこともなかったらしく、エリシアとスカーレットを眺めながら噂話を始める。
「エリシアさん、わたくし貴女が博識なことがよく分かったわ。きっとメイナード殿下のご研究に協力されることになるんでしょうけど、きっと魔法の特訓はないと思うの。だから、わたくしがして差し上げますから、明日からもよろしくね」
「はい! 私スカーレットさんみたいな火の魔法、使いたいです!」
公爵令嬢という位のせいか、おべっかを使うでもなく、素直に慕うエリシアが珍しいらしく、スカーレットはすっかり妹分でも持ったような心持でいた。
「教室にいないと思ったら、まだここにいたか。エリシア・ウッドヴィルはいるか? メイナード殿下が応接室でお待ちだ」
そこへ、教師が戻ってきて、エリシアはついにメイナードと対面することとなったのだ。
やっと鉄仮面王子こと、メイナード王子を登場させられました。
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