ドレスの試着とグレッグの思い
今日のエリシアは数日前のお茶会の時並みに早起きだった。
今までもエリシアは、ドレスを自分で選んだことはあるが、今日は特別である。家族以外の男性からドレスを送られるのは初めてだった。
浮き足立つエリシアが、心なしか軽く感じる執務室の扉を開けると、そこにはいつもと違う光景が広がっていた。
奥には、いつもはない目隠しのための仕切りがいくつか立っていたし、何より執務室内には所狭しとドレスが並べられていたのだ。
「メイナードが張り切っちゃったんだよ」
エリシアが来たことに気がついたサイラスが、ドレスの陰からエリシアに近寄り、そっと耳打ちをする。当のメイナードの姿は見えなかった。
「まぁ」
エリシアに続いて室内に入ったアリアが歓声の声を上げる。
その声を聞きつけたのか、漸く仕切りの奥から、メイナードがやって来た。
「エリシアの好みも分からなかったから、母がよく使っている店のドレスを持って来させた」
さらりとメイナードは言うが、王家御用達のドレスということである。あまり流行には詳しくないエリシアでも、とんでもない代物だということが分かった。
「まあまあ、可愛らしいお嬢様!……メイナードぼっちゃま、犯罪ではないのよね?」
その時、メイナードの後ろからすらりとした長身の女性が顔を覗かせた。エリシアを見つけると嬉しそうに近寄る。
深い紺の体に沿ったラインの珍しい仕立てのドレスを着ている。若々しく見えるが、近くで見ると目尻には深いシワが刻まれており、エリシアの両親よりも年上に感じた。
「昔からうちに来てくれている、キャロラインだ」
メイナードの言葉とキャロラインの態度から、エリシアはキャロラインがメイナードの幼い時も知っているのではないかと予測できた。
「今回はパーティーも近いようだから、既製のドレスを持って来たけれど、今度1から仕立てましょうね」
キャロラインはそう言って、手近なドレスを手に取り、エリシアに合わせる。
事前にサイズを伝えていたためか、ドレスはエリシアにぴったりだった。
「エリシア様は肌も髪も透けるように白いから、薄い色も濃い色も両方似合うわね。薄い色はまるで妖精のようだし」
キャロラインは薄いピンクのふわりと広がったドレスをエリシアに当てる。
ピンクのドレスを合わせたエリシアは、頰の赤みが引き立ち、血色が良く、可愛らしく見えた。
「濃い色だと白さが際立って、美しいわ」
キャロラインはピンクのドレスを置き、今度は深い紺の少しタイトなラインのドレスをエリシアに合わせる。
「薄い色と濃い色、どちらがお好みですか?」
キャロラインがドレスを両手に持ちながらエリシアに聞いた。
「あの、メイナード様は何色のお洋服を着るんですか?」
エリシアは暫し迷うように両方のドレスを交互に見た後、控えめに尋ねた。その声は少し距離を置いて眺めていたメイナードには届かなかったが、聞いたキャロラインは嬉しそうに微笑み、目尻のシワを深くする。
「ぼっちゃまは紺ですよ、薄い色でも濃い色でも、相性はいいでしょう。お好きな方をお選びになって」
キャロラインの言葉にエリシアは照れたように微笑む。
(薄い色と、濃い色……好きなのは薄いピンクや水色だけれど)
「メイナード様は、どちらがお好みですか?」
(なぜだか分からないけど、今回はメイナード様の好みのドレスが、着たい)
「薄い色もいいが、紺のドレスはエリシアの髪の色を引き立てるな」
しっかりと自分の方を見つめ、ドレスを手に尋ねるエリシアに、メイナードは嬉しそうに答えた。
たまたま手に持っていた紺色を勧められると、エリシアははにかみ、くるりとキャロラインの方へ向き直る。
「紺色がいいです」
「まあ」
キャロラインはメイナードとエリシアの顔を交互に眺めると、ドレスの山の中から紺色のドレスを次々とエリシアに手渡した。
「エリシア様は背はあまり高くないから、タイトなデザインより裾に広がりがあるデザインがいいでしょうね」
「あの、こういう薄い布を重ねたのはどうでしょうか?」
ずっと横で眺めていたアリアが口を出す。今までエリシアのドレスを選んだり、髪を整えるのはアリアの役目だった。そのためアリアは、エリシアに似合うものを選ぶスキルに長けていると自負していた。
「あら、いいわね。髪はハーフアップくらいで背中に流したらいいと思わない?」
「はい! アクセサリーはシルバーが良いでしょうね」
盛り上がるキャロラインとアリアは、1つのドレスを手に取る。
「これは、いいんじゃないかしら?」
「ええ、きっとエリシア様によく似合うわ」
アリアはそう言ってキャロラインから受け取った紺色のドレスをエリシアの元まで持ってくる。
「エリシア様、どうでしょうか?」
「アリア、キャロラインさん、とても素敵です」
エリシアが嬉しそうにこぼすと、2人も嬉しそうに目を合わせる。
「それでは奥で着てみましょうか」
アリアがそう言ってドレスを手に持ったまま、執務室の奥へと進む。
どうやら仕切りの奥で試着できるように準備がされているようだった。
アリアが手に持つ紺色のドレスは、裾に向かって広がったデザインで、胸下から薄い生地がふわりと重ねられたデザインだった。胸元はあまり開いていないので、色合いは落ち着いているが、可愛らしい印象のドレスだ。
「エリシア様、紺色のドレスは持っていませんでしたね」
アリアはそう言いながら、手早くエリシアにドレスを着せる。
「できましたよ」
背中の編み上げをキュッと締められ、背中をポンと叩かれる。仕切りの横から見ていたキャロラインも、満足げに頷いていた。
エリシアもくるりと振り返り、後ろに置かれていた姿見を眺めてみる。今まで着たことがなかった色だが、紺色の美しいドレスはエリシアによく似合っていた。プラチナブロンドの髪がいつもより透き通るように綺麗に見える。
「エリシア様、殿下にお見せしましょう」
アリアは、しげしげと自身の姿を見つめていたエリシアの背中をゆるく押しながら、仕切りの外へと導く。
エリシアはなぜか胸がドキドキと鳴り出したのを感じながら、そっと仕切りから顔を覗かせた。
メイナードはソファーに座って、グレッグと話をしていて、エリシアに気がつくとすぐに仕切りの方へと歩いて来てくれた。
エリシアが緊張しながら、仕切りの外へと出ると、メイナードの顔が驚きの表情に変わった。
「どうでしょうか?」
躊躇いがちにエリシアが尋ねる。メイナードは片手で口を覆って、エリシアからは目をそらしていた。エリシアはその様子にどこかおかしなところでもあったのかと、不安になる。
「変、でしょうか? 普段着ない色ですし」
「ち、違う! あまりにも、綺麗だったから」
慌てた様子でメイナードがエリシアの言葉を否定すると、エリシアもスカイブルーの瞳を丸くして驚いた。
「本当ですか?」
「ああ、とても似合っている」
今度はしっかりエリシアの瞳を見つめ、メイナードが言う。エリシアの白い頬が赤く染まった。
「こちらでよろしいかしら?」
「はい!」
「それでは細かいところのサイズが大丈夫か見ましょう、ちょっとしたサイズの調整なら間に合いますからね」
横からその様子を見守っていたキャロラインがそう言いながらエリシアを仕切りの奥へと誘導した。
エリシアが仕切りの奥へと去ると、メイナードはエリシアのドレス姿を見つめ、呆気に取られていたグレッグに向き直る。
「殿下、どうされましたか?」
「グレッグ、廊下で話そう」
メイナードのその言葉にグレッグが分かりやすく動揺する。メイナードはそれを気にした様子もなく、グレッグを先導して廊下へと出る。
執務室は魔法研究センターの最上階、廊下の端にある。メイナードは使用人を普段身の回りに置かないので、特に用がなければ誰も来ないはずだった。
「何でしょうか?」
躊躇いながらグレッグが聞く。サイラスやエリシアを交えて話すことはあっても、2人で話すことはあまりなかった。
「グレッグは、エリシアをどう思っている?」
ダークグレーの瞳が刺すようにグレッグを見つめる。
その瞳と聞き方で、グレッグはもうメイナードは自分がエリシアに抱いている気持ちに気づいたのだと悟った。
「……家族へ向けるような気持ちがいつ、こうなったかは分かりませんが、ずっと好きでした。もちろんこうなった今、言うつもりはありませんでした」
目を逸らしたくなる気持ちを抑え、グレッグはメイナードの瞳を見つめながら言う。
自分とそう変わらない身長のはずなのに、メイナードは威圧感がある。
「そうか」
「エリシアから聞いてると思いますが、エリシアは16歳までも生きられないと言われていました。だから16歳を過ぎてから、成人してからと引き伸ばしてしまい、気がついた時にはエリシアには貴方がいました」
聞かれていないことだと分かっていても、気持ちが溢れ出してしまい、グレッグは話すことを止められなかった。
「今回、本当はアーネストがこの役目を受けるはずでした。俺が彼と、父に無理を言いました。エリシアの選んだ相手を、この目で見たかった」
「どうだった?」
メイナードの言葉にグレッグは瞬きをしてから、苦笑いする。
「エリシアのあんな顔、初めて見ましたよ。叶うはずないです。俺には一言も似合うかどうかなんて聞かなかった」
「そうか……」
「なぜ、気がついたんですか?」
「エリシアを見つめる目で、気がついた。確信したのはさっき。エリシアの紺のドレス姿を見た顔だ」
「……エリシアに気がつかれないよう、気をつけます」
そう言って寂しそうにグレッグが笑うと、廊下に沈黙が訪れる。
グレッグは暫し床を見ていたが、不意に顔を上げると、執務室への扉を開ける。
「戻りましょう、エリシアが戻った時に貴方がいないと寂しがるだろうから」
グレッグの言葉に、メイナードは小さく頷いた。
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メイナードがグレッグのことをリード呼びから、グレッグ呼びになったのはあえてです。
少し仲良くなったので、名前呼びになりました。