停滞期再び
スカーレットとローレルとのお茶会から一夜、エリシアは昨日ローレルに言われた『メイナードに恋している』という言葉が忘れられずにいた。だから、いつも通りメイナードが自身の膝を叩くのを見た時も、久しぶりに緊張してしまった。
メイナードの膝の上に座らせられ、羞恥心を抱きながら行う特訓を開始してから、およそ1ヶ月が経過していた。
流石のエリシアでも、1ヶ月も同じことを繰り返していれば慣れるもので、最初に感じていた、今すぐにでも逃げ出したいような羞恥心はなくなっていたが、今日は別である。
「エリシア?」
いつもならすぐに近寄って来るエリシアが固まってしまったので、メイナードが首を傾げながら名前を呼ぶ。
キラキラと照明を受けて輝くブロンドが揺れ、切れ長のダークグレーの瞳が優しくエリシアを見つめている。つい、慣れてきてしまっていたが、メイナードは美系の王子様なのだ。改めてそれを意識してしまったエリシアは、ぎくしゃくとした動きで、そっとメイナードの膝に座る。
メイナードは不思議そうにその様子を見ていたが、特に何も言わずにエリシアを膝に迎えた。
(メイナード様って、やっぱり綺麗だよね)
エリシアはぼんやりとメイナードの顔を見る。メイナードよりも高い視線のおかげで、メイナードはエリシアが見ていることには気づいていなかった。
(それなのに悪人面で笑うし、魔法のことばかり考えているけど、でも……優しいところもあって、私のことを考えてくれて、私はそんなメイナード様が……)
「まずはいつも通り、魔法を使って貰ってもいいかな」
「はっ、はい」
ぐるぐると考え込んでいたエリシアは、サイラスの苦笑交じりの言葉に慌てて返事をした。困ったように微笑むサイラスは、エリシアがメイナードに見とれていたと勘違いしているに違いない。
否定したい気持ちを抑えて、エリシアは頭を振って気持ちを切り替える。なるべくメイナードは視界に入れないように、なるべく頭を空っぽにして、いつものように掌に魔力を集め、火柱を放出した。
研究を開始した2ヶ月前、この膝の上での特訓を始めた1ヶ月前と比較しても、大分太くなった炎の柱がエリシアの掌から立ち上る。
サイラスはその火柱を見つめ、何かを紙に書きつけてから口を開いた。
「やっぱり、魔力の出力がここ数日、変わっていないね」
申し訳なさそうに、でも確信を持って告げられたサイラスの言葉に、エリシアは肩を落とす。
以前、メイナードとサイラスの前で倒れてしまった時のことが頭をよぎる。確かにあの時に比べれば、エリシアが魔法の練習に使う時間は確実に減っていた。
「ごめん、エリシアちゃん」
その様子を見て謝るサイラスにエリシアは慌てて首を振る。
「いえ、私の努力が足りないんです」
「そんなことはないよ。前も言ったけど、本当は年単位でかかるようなことをこんな短期間でやっているんだから。むしろ、エリシアちゃんの上達度はかなりいい方だよ。僕は特訓の効果が薄れたせいではないかと思ってる」
「特訓の効果?」
「エリシアちゃん、最近、この特訓をしていて、前よりも恥ずかしいって思わなくなってない?」
サイラスの言葉にエリシアの頬が上気した。エリシアは少し迷った末、小さく頷く。
「恥ずかしいは恥ずかしいんですけど……。前よりは」
今日はいつもより少し恥ずかしいですけど、という言葉は飲み込んで、エリシアは消え入りそうな声で答える。
「今以上に恥ずかしいことか」
何気なく呟かれたメイナードの言葉に、エリシアの顔が茹だりそうなほど熱くなる。
(膝に乗って抱きかかえられる以上に恥ずかしいことなんて、それってそういうことよね?)
エリシアの脳裏には、今まで読んできた沢山の恋愛小説の場面が浮かぶ。
(気持ちが通じ合った主人公と男性は、必ず最後はキスをして、それから……)
「そ、そんなのダメです!」
自身の恥ずかしい想像に、思わずエリシアが大きな声を出せば、部屋中の視線が彼女に集まった。
メイナードは一瞬驚いたような顔をするが、すぐにエリシアの柔らかな髪を撫で、彼女を慰める。
「まあ、とりあえず今はその話は置いておいて、休憩をしよう」
特訓を始めたばかりだが、とても疲れてきたエリシアは素直に頷き、ソファーに座る。その横にメイナード、エリシアの前にはグレッグ、その横にサイラスが座り、メイナードによって呼ばれたメイドが用意したお茶とお菓子を囲んだ。
メイナードの執務室で行われるお茶会は今回が初めてではなく、今日のように特訓が行き詰まったり、エリシアが疲れてくると度々行われた。甘いものを補給することは、魔法を使う上でも良い効果をもたらす。
最初はグレッグは参加していなかったのだが、サイラスの強い勧めで一緒に席に着くようになった。なお、エリシアのメイドのアリアは何度誘われても、丁寧に断っている。エリシアのことを娘のように可愛がっているが、そこは一線を引いているらしい。
そんなアリアがエリシアの横に立ち、せっせとクッキーやケーキを給仕するのだが、すっかり落ち込んでしまったエリシアは、食欲が湧かないらしく、お茶をちょびちょびと飲むだけだ。
「エリシア、ドレスをプレゼントするから、気晴らしにパーティーに出るのはどうだろう?」
その様子を見ていたメイナードが、エリシアに優しく話しかける。エリシアはその言葉に顔を上げた。空を映したような美しいスカイブルーの瞳が、きらきら輝いている。
あまりの変わりようにサイラスが小さく笑ったが、エリシアはそれを気にもせずに、メイナードの方に身を乗り出す。
「パーティーですか?」
「ああ、俺はあまり社交は得意ではないし、いつもは断っているんだが、年に何度かは顔を出しておかないとまずくてな。今回は断るつもりだったんだが、気晴らしになるだろうし、エリシアは社交界デビューをしないままだと聞いているから、喜んでもらえるかと思って」
「嬉しいです!」
エリシアの満面の笑みに、メイナードもとびきりの悪人面で笑いかける。はたから見たらおかしな光景だが、メイナードの悪人面にすっかり慣れたエリシアは、それでも嬉しそうにメイナードの顔を見ながら微笑む。
「早速明日にでもここにドレスを持って来させよう。アリア、後でエリシアのサイズを教えてくれ」
「かしこまりました」
自分のサイズを知られるという恥ずかしい事態にも関わらず、エリシアはパーティーのことを考えてニコニコと笑うばかりだった。
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