鉄仮面王子の赤い顔
エリシアは、目の前で悪人面で膝を叩くメイナードを見てどうやって逃げようかと考えていた。
結局向かい合わせで何度もメイナードに魔法を使って貰ったところで、エリシアは魔力を知覚する感覚は掴みきれなかった。
おそらくサイラスもそれを分かっていて、提案したのだろう。いつもの夕刻を知らせる鐘の音が鳴り響くと、エリシアに炎の魔法を使わせ、上達していないことを確認すると、明日からは羞恥心を刺激するやり方にすると宣言されてしまった。
また倒れないために家での自主練を禁止された上でだ。
エリシアが昨日よりもさらに憂鬱な気持ちで、自分の気持ちを反映したかのような重い扉を開くと、冒頭の通り、メイナードが笑顔で膝を叩いていたのだ。
「おはよう、エリシア」
「あの、メイナード様?」
「昨日かがみこんだからか、首が痛くてな。膝に乗せて特訓すれば解消されるかと思った」
平然と言われた言葉にエリシアが唖然とするが、メイナードは気にした様子はない。
そもそも耳元に口を寄せたり、必要以上に密着しなければかがみこむ必要もないわけで。
「結婚するのだから、多少の接触は許される」
そう言ってメイナードが笑みを深くする。彼の場合、より笑うということはより恐ろしい顔になる、ということだが。
エリシアは契約婚約ではないか、という言葉を飲み込み、後ろを振り返る。彼女の後ろにはにこにことメイナードとエリシアのことを見つめているアリアと、どこか複雑な顔をしているグレッグがいる。契約婚約のことは、グレッグもアリアも知らないのだ。
どうぞと言わんばかりに差し出された膝に、エリシアは恐る恐る近づく。時間が経つことで、メイナードの気が変わってくれないかと思ったのだが、メイナードはじっとエリシアのことを見つめたままだ。
メイナードの視線がむず痒く、エリシアは覚悟を決めて、でも遠慮がちにメイナードの膝に腰掛けた。体重をかけず、ほとんど空気椅子のような状態で固まるエリシアに、メイナードは焦れたのか、彼女の腰に腕を回し、しっかりと座らせ直した。
「メイナード様! 重いですから!」
「重くない」
顔を真っ赤にして降りようとするエリシアを制し、メイナードが彼女の赤い耳に口を寄せる。
「あまり暴れるとスカートが捲れる」
耳をくすぐる甘い声と吐息に声にもならない声をあげてエリシアがスカートを押さえれば、メイナードはそのまま彼女が暴れられないようお腹に両手を回した。
首が痛いというのは、メイナードの用意した建前だった。
トーマスと話をして、エリシアへの好意を気づいてからというもの、メイナードは前にも増してエリシアに触れたくてしょうがなかった。
どう考えてもそれは恋に他ならないのだが、エリシア同様、メイナードも恋愛には疎く、自分の気持ちがよく理解できていなかった。
エリシアが困ったように、体ごとメイナードの方を振り返る。エリシアはメイナードの膝に乗っているので、向かい合うと、彼女の方が少し見下ろす形となった。
自分がメイナードを見下ろしていると気がついたエリシアは、恥ずかしさを忘れ、思わずメイナードの頬に手を伸ばしていた。メイナードを見下ろすことなど今までなかったので、とても新鮮な光景だったのだ。
男性であるのに肌まで整ったメイナードの頬は、少しひんやりとしている。エリシアと比べて、体温が低いようだ。
「エリシア?」
戸惑いがちにメイナードがエリシアの名を呼ぶ。
「メイナード様は体温が低いのですね。あ、ここ、寝癖があります」
戸惑うメイナードをよそに、エリシアは今度はメイナードの髪に触れる。エリシアより少し硬い髪質で、天井からの光を浴びてキラキラと輝く髪が、頭頂部のあたりでぴょんと跳ねている。正面からは見えづらい位置なので、どうやら整える際に見逃したようだ。
それでも王家に勤める一流の使用人であれば、見逃すはずがない位置だ。エリシアは首を傾げる。
「身だしなみは使用人に整えさせているのかと思っていました」
「あまり、人に髪や体を触られるのは好きではないからな」
小さな声でメイナードが呟いたので、エリシアは漸く自分が何をしているのか気付いた。慌ててメイナードの膝から降りようとするが、メイナードの両腕がエリシアのお腹に回っているので、降りることはできない。
「あの、すみません。私、知らなくて」
「いい。エリシアに触れられるのは、嫌ではない」
メイナードが先ほどよりさらに小さな声で言うので、エリシアは不思議に思いながら、彼の顔を覗き込んだ。耳まで赤いその顔は、どう見ても照れている顔だ。
「……なんだ」
「いえ、その……メイナード様も照れるのだな、と」
そう言ってから、エリシアはハッと顔を青ざめさせる。
まるでメイナードが鉄仮面だと自ら言っているようだ、メイナードが気分を害したのではないか、と。
「俺だって、照れることくらいある」
しかし、メイナードは顔を赤くしたまま、薄い唇を尖らせて、そう言う。その表情はいつもより幼く見え、エリシアは思わず微笑んだ。
「なんで笑うんだ」
「だってメイナード様が可愛らしくて」
口元に手を当て、クスクスと笑うエリシアの頬にメイナードの手が添えられる。
その感触にエリシアが笑うのを止め、メイナードを見ると、もうその顔は赤くはない。エリシアがまずいと思うより早く、メイナードの手がエリシアの頬を優しく撫でた。
「エリシアの方が可愛い」
頬を撫でながら耳元で囁かれ、今度はエリシアの頬が赤く染まる。その姿を見て、メイナードが満足そうに口の端を上げて笑うのを見て、エリシアは余計なことをしてしまったと後悔した。
メイナードはそのままエリシアの腰に手を回し、彼女の向きを変える。エリシアは何も言えず、メイナードにされるがままだ。
「このまま魔法を使って見ろ」
メイナードの低く、甘い声がエリシアの耳をくすぐる。ぞくぞくと背中を走る何かを感じて、エリシアが首を逸らすが、メイナードは何も言わない。きっと降ろして欲しいと訴えたところで、メイナードはそれを聞き入れてくれないだろう。
すっと、手のひらを上に向け、エリシアは体中の魔力がそこに集まるのを感じる。手のひらから勢いよく放出された炎は、柱となって天井まで届く。
「なるほど、羞恥心が増したら魔力にも影響するのか」
サイラスによって冷静に分析され、エリシアは穴に入りたい気持ちになったが、もちろんそれを許すメイナードではない。
「メイナード、暫くこのままで様子が見たい」
「分かった。エリシア、そういうことのようだ」
「そんな!」
エリシアが抗議しようとすると、お腹に回されたメイナードの腕に力が込められた。
膝の上にのせられるのも、耳元で話されるのも、こうやってお腹に腕を回されるのも恥ずかしくてたまらない。エリシアの知っている恋愛、つまりは若い女の子向けの恋愛小説では、必ず相手の男性は優しく、女性が気持ちに応じるのを待っていた。だから、好き合っているわけでもないのにこうやってスキンシップを取るメイナードの気持ちが、エリシアは理解できなかった。
それでも、不思議と嫌なわけではない。メイナードの頬から感じた少し低い体温も、メイナードの大きな掌も。
自分の気持ちに首を傾げながら、エリシアはメイナードにされるがまま、特訓を続けた。
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