エリシア・ウッドヴィルについて
「レディウッドヴィル、結婚してくれますか?」
エリシアの手を持ちあげ、口づけを落としながらメイナードは言う。エリシアは自分の顔が赤く染まるの感じながら、小さく頷いた。
その瞬間、エリシアのようやく始まった平凡な日々は音を立てて崩れてしまったのだった。
********
ハウルランド王国は、魔法の国だ。
ハウルランド王国に生まれるものは皆、魔力を有して生まれ、魔法を使いながら生活を送る。
ハウルランド王国が大陸で平和の代名詞として語り継がれるのは、その魔法力を使った生活故だ。
数代前の王の治世で、ハウルランド王国は魔法を使った食物の安定供給化に成功した。どんなに不毛な土地でも、土の魔法で植物が育つ環境にすることができ、どんな天候や天災でも植物が育つよう、人工の太陽や温度を調整できる魔道具を作成することに成功したのだ。
魔道具は魔力の大きさや魔法の熟練度に関係なく使用することができるため、新たな仕事が生まれ、経済も潤った。
もはや新たな土地を求め、戦をする必要はなくなった。今まで利用価値のないと思われていた土地を魔法や魔道具で生まれ変わらせればいいだけだからだ。魔法は戦うための手段ではなく、生活をするための物となったのだ。
他国とのいさかいがなくなると、国内で小さな争いが頻発するのが常である。それを防ぐために、ハウルランド王国では、各都市で自警団を持つほかに、魔法の腕前を競う、魔法術大会というものが定期的に開かれていた。庶民、貴族を問わず参加できるこの大会では、それぞれ得意な魔法の能力が見せられるよう、細かく競技が分かれていて、中には模擬戦がある競技もあって、人々は皆この大会が開かれる日を楽しみにしている。
この国では元々、戦や政治で活躍をした者に爵位と土地が与えられていたのだが、そのうち、一時的な活躍ではなく、能力の有無が判断されるようになった。能力、つまりは魔法技術の高さである。歴史ある名家の数々は、魔力が高いと国から認められたも同然であった。
一度授けられた爵位はそう易々と取り上げられるものではないが、魔法術大会で庶民や格下の家柄に負けては恥だと、貴族は子供が幼いころから魔法の教育を行っていた。
しかし、エリシアは違った。
ウッドヴィル伯爵の長女、エリシアは16歳になるまで、伯爵家の令嬢でありながら、まともに魔法教育を受けたことがなかった。
エリシアは、生まれた時とても体が弱かった。医師からは、16歳の年まで生きることも難しいだろうと言われた彼女は、つい最近までウッドヴィル伯爵の持つ郊外の別荘で療養していた。
郊外の綺麗な空気が良かったのか、今では体が弱かったことが嘘のように元気な彼女だが、幼い頃はベッドから起きることもままならない生活だった。成長するにつれ、少しずつ起きていられる時間が増え、外を歩ける時間が増え、普通の生活が送れるようになった。
そこから漸くエリシアは、魔法を使うための授業を受けるようになったのだが、いかんせん彼女は今まで寝たきり状態だったお嬢様だ。魔法を教える先生も、それを見つめる使用人たちも彼女が心配でたまらない。別荘地に勤めている使用人たちが年配のものが多く、そしてエリシアが儚い、今にも消えてしまいそうな容姿だったというのも理由のうちだったのかもしれない。
とにかくエリシアは、魔法の勉強の最中でも、咳をすれば毛布でぐるぐる巻きにされて、根を詰めすぎてふらつけば、すぐさまベッドへと連れていかれるありさまで、ろくに魔法の勉強などできなかったのだ。
そうしているうちにエリシアは、生きられないと言われていた16歳を迎え、本人の希望で都にある本邸に戻ることとなった。
実は数年前にはすでに寝込むことも殆どなくなっていたのだが、ウッドヴィル伯爵は都に呼び戻したら、また症状が悪化するのではないかと心配し、用心のために――伯爵を安心させるためにも――別荘地で過ごしていた。問題の16歳を迎えられたのだから、もう大丈夫だろう、と家族が説得しての帰還だった。
もしも魔法学校に通うのなら、受検をしなくてはいけないとの考えもあったが、ウッドヴィル伯爵は、病弱だった娘が受検などできるのか、学校に通うことができるのか、不安でたまらなかった。
「エリシア、君が嫌なら学校へは行かなくていいんだよ。今まで家族と過ごせなかった分、家族との時間を大切にしてもいい」
「でもお父様、私魔法を全然使えないの。このままでは結婚もできないわ」
「結婚なんて! エリシア一人くらいずっと面倒を見るよ」
夕飯を食べ終わり、ラウンジで憩いの時間を過ごしていた時、ウッドヴィル伯爵がそう切り出した。ウッドヴィル伯爵はエリシアの小さな細い手を握りしめ、心配そうな顔をする。
エリシアの言う通り、この国では魔法の技術力が何よりも大切とされるため、例え伯爵家のご令嬢とはいえ、満足に魔法も使えないエリシアは、貴族との結婚は難しいように思えた。
「俺もエリシアが受験なんてできるか心配だよ」
話に入ってきたのは、エリシアの兄でウッドヴィル伯爵の長男、エリオットだった。
エリシアには年の離れた3人の兄がいる。上から、エリオット、イライジャ、アーネストである。3人とも既に成人をしており、エリオット、イライジャは既に結婚もしている。
年が離れた待望の妹ということもあり、3人の兄はそれぞれエリシアを溺愛していた。
そのうちの1人、エリオットは、ウッドヴィル伯爵の伯爵位と領地を継ぐ予定で、妻子とともにウッドヴィル伯爵邸の別館に住んでいるが、エリシアが帰ってきてからはこうして夕飯を共にすることが多々あった。
「お兄様まで! 私これでもベッドで沢山の本を読んだんです。魔法に関する知識なら豊富です」
魔法が使えない自虐ではなく、本心でこう言っているのである。エリシアは、幼少期をほとんど寝込んで過ごしたせいか、世間に疎く、天然なところがあった。そこもまた、家族の心配性を加速される理由なのであったが。
「挑戦させてあげれば良いでしょう、特にエーデンガルム学園への受検は一度きりですから」
今までずっと横で話を聞いていただけのエリシアの母、エマがのんびりと呟く。
ハウルランド王国には、いくつもの魔法学校があるが、その中でも国立のエーデンガルム魔法学校は国内最高峰の学校で、数多の貴族の子供が通う。例え王族であっても、学校内のことには手出しさせないというストイックな姿勢が有名な学校で、貴族だからといって簡単に入学することは許されず、受検も16歳になる年に一度しか受けることが許されない。エリシアの兄たちも全員その学校の出身だ。
「でも母上、エリシアの今の魔法力じゃ、エーデンガルムはおろかどこにも行けないと思うよ」
「エリオットが教えてあげればいいわよ、首席でしょう?」
「そうよ! エリオットお兄様もイライジャお兄様も、アーネストお兄様だってエーデンガルムで首席だったから、私も頑張りたいの」
「エリシア、イライジャは首席ではなく次席だったから、あいつにその話はしてはいけないよ」
入学できるかも怪しいのに、首席は無理だろう、という言葉を飲み込んで、エリオットが言う。
エリシアの3人の兄たちは、とても魔法の腕前が良かった。彼らの学年には、公爵などのより爵位が上の、より魔法の技術が高いとされる家柄の出身者もいたが、首席、次席という成績を収めたのだ。
「私もきっと素質はあると思うんです」
エリシアはそう言ってキラキラと目を輝かせた。
エリオットはため息をつく。エーデンガルム魔法学校を目指す多くの貴族の子供は、物心がつく前から、魔法の勉強を始めるというのに、残り数か月で妹が合格できるまでに魔法の腕をあげることができるようになるとは思えなかった。
なにより長年寝込んだせいか、透き通るように白い肌と、年齢のわりには小さな背丈、エマに似たプラチナブロンドの髪とくりくりとした大きな空を映したようなスカイブルーの瞳を持つエリシアは、儚い守ってあげたいと感じる容姿なのだ。
エリオットは、妹が今は元気で、あの寝込んでいた時とは違うと分かっていても、今でもエリシアを見ると、心配になってしまう。
「分かった、受験までの間、仕事の合間に勉強を見よう」
「本当ですか! ありがとうございます」
降参だとばかりにエリオットが両手を上げると、エリシアはすぐに破顔し、嬉しそうにくるくるとスカートを翻して回る。そんな彼女を見て、エリオットは彼女と同じ空の色をした瞳を細める。
エリシアがエルムガーデン魔法学校に入学できると思えなかったが、彼女と過ごす時間ができるのは純粋に嬉しかった。
「大丈夫よぉ、もし学校に行けなかったとしても、お家で魔法のお勉強をすればいいんだしね」
再びエマが口を開き、お茶を一口啜る。この微妙に空気が読めないところを、エリシアは受け継いでしまったらしい。
呑気にほほ笑み合う母と妹を見て、エリオットは深いため息をつくのだった。
魔法の世界の抜けている令嬢と魔法のことばかり考えている王子のほのぼの恋愛物語になる予定です。
婚約までは毎日更新予定です。それ以降もなるべく早く更新しようと思っているので、ご閲覧頂けたら嬉しいです。