あらすじを書けないなら書かなきゃいいじゃない
あらすじを書かねばならぬ。
読書歴数十年だ。
あらすじだって数えきれないほど目にしてきている。
何度か書いてみた。
改稿の合間に消しては書きを繰り返す。
他人から見れば可もなく不可もなくといったあらすじは書けていたと思う。
何かをデフォルメする能力は人並みちょい増しくらいはあるはずだし。
※筆者注: それがないとご飯が食べられない職業でなんとかやってこれているから。
だがしかし。どうしてもゴーサインを出せるものにならない。
大言壮語を乱舞させる稿を最初に書いたがボツにした。
読み専おっさんの小心者魂が悲鳴をあげた。
こんな文章を公開したら恥ずかしくて寝込みそうだ。
起・承・転・転+結 として組み立てた全4章に書かれる 「はず」 の全体ストーリーを要約してみた。
書き上げていないどころか筆を付けていないところまで 「こんな話だ」 とコミットしてよいのだろうか。
読み専おっさんの防衛本能が 「嘘はいかん。嘘になってもいかん」 と囁きかける。
読書歴には欠けるが社会人としても数十年のおっさんだ。
フカシはほぼ十割の確率で悪い結果になることは既に学んでいる。
存在する商品をちょい増し程度で喧伝するならばともかく。
設計段階と言ってもよい商品の諸元性能を、既にそれが備わっていると言い放ってはいかんのだ。
あらすじとは何だろうか?
筆者にとっては、小説という商品の説明書きである。
喧伝文句ではない。
筆者が読者としてあらすじに求めるものは何であろうか?
上手に要約といった 「より一層の」 は置いといて、厳守せねばならないことは …… 正しさである。
商品説明なのだから。
本を買う時、裏表紙に記されているあらすじを読むことはするし購入判断の参考にする。
嘘は書いていないはずという 「信頼感」 が根底にある。
※筆者注: たまに裏切られる事はありますが概ね信頼しています。
帯に書いてある煽り文句は信用しないというか、重きをおかない。
その言は信頼できると知っている評者以外の言葉で 「面白い!」 と書かれたって…… ねえ?
それを判断するのはあなたじゃなくて私だ。
あなたの主観を押し付けないで欲しい。
これは面白い! というような評は、筆者にとって 「全米が泣いた!」 と大差ない。
厳守すべきことは2つだ。
1.いかなる将来が待ち受けていても決して嘘にならないこと。
2.主観を交えないこと。筆者の主観は誰かにとっては正しくないことがある。
主観は正しくないと取られることも含めて、嘘になる可能性があることを全て排除して書き直した。
※筆者注: 妖精や精霊が云々も消しました。それを求める読者にとっては 「嘘」 になるでしょうから。
そして更にブラッシュアップだ。これが大切だ。
筆者が職業人として持つデフォルメする能力を更に炸裂させる。
要約は短ければ短い程好ましいのだ。
1行になった。
んー
物足りなさを感じるが…… 少なくとも嘘は書いていないし、主観を入れていない。
それが大事だ。
だが1行。
んー
新着一覧や検索結果に表示されたところを想像してみる。
なんというか…… やる気が感じられない。
なにか書けることはないだろうか?
筆者として 「読者候補」 に伝えたいことはなんだろうか?
自分が新着や検索結果の一覧に並んだ作品の扉を開ける前に 「知りたい」 ことは何だろうか?
ストーリーの要約やキーワードだけでは当て推量しかできない 「このような要素が盛り込まれている・盛り込まれていない」 というコミットメントだ。
恋愛、ハーレム、エロはない。刺客は必ず殺す。
このコミットメントがあれば間違いなく扉を開く。
※筆者注: 想定読者である筆者は。
ストーリー要約としてのあらすじ部分とは別に、筆者はこのような内容で書くことをお約束します、目指しますと書こう。
あらすじを1行しか書けないんだからしょうがない。
想定読者である筆者にとって、あれは商品説明なのだ。
商品説明を書けばいいではないか。
※筆者注: 第2章を書きだす前にはもうちょいまともなあらすじにしたいなあとは考えておりますです。