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Pinky Promise  作者: きちょう
第2章 歪む鏡の向こう側
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8.鏡の向こう側

..043


 昏倒させた強盗を引き渡し、警察への対応をヴェルムたちに任せ、アリスたちは再び遺跡の探索を始めた。

 本来なら彼らも警察の事情聴取に付き合わねばならないのだろうが、どうしてもその前にこの遺跡に来た目的を果たしておきたいと主張する人物が何人かいたためだ。

 警察への対応はヴァイスとヴェルム、治療はされたものの元怪我人である中年のトレジャーハンターをダイナに任せ、学生たちとエイスたち三人で再び地下に潜る。

 と言っても、今更探すようなところはほとんどない。地下二階以降はエイスたちの手によってすでに調査が終わっている。

 すっかり遺跡を知り尽くしたトレジャーハンター三人組の手に寄り、内部の明るさも思いのままだ。全員が歩きやすいように、再びラーナが仕掛けを動かした。

「宝物庫に当たる部屋は地下五階だ」

 エイスたちによれば、この遺跡は特に捻りのないとてもシンプルな作りだという。

 隠し通路や各部屋の諸所の仕掛けはともかく、建物自体の構造が上から下まで全て同じで、移動のための階段も決まった位置にあるからだそうだ。

「まぁ、別に遺跡だからって必ず迷宮じみた作りにしなきゃいけないってわけでもないしな」

 この地下遺跡は、元々は地上の神殿を基盤とした魔術師たちの棲家だという。

「……? あれ? ちょっと待って、神殿と魔導士の存在って両立するの?」

 アリスは首を傾げた。

 白兎に禁呪をかけられてこの姿になってから、学院の妖怪講師ゲルトナーに辰砂にまつわる神話の講義を受けた。今は人並以上に神話に対して詳しくなっている。

 ――昔、一人の魔術師が神々に反逆して創造神の名を奪い封印したことから、魔術師は神に背く者として扱われるようになった。

 神殿と魔術師は対立する存在だ。

 今は魔術師を魔導士と呼び、魔術はただの魔導という学問の一環となった。それでも魔導士と神職は基本的に両立しない。

「君、ちっちゃいのによくそんなこと知ってるなぁ」

「え、ま、まぁね!」

 あえて子どもらしく胸を張ってみたアリスに抱きつきながら、カナールが自分のことのように誇らしげに言う。

「アリスちゃん凄いんだよ! なんでもよく知ってるの!」

「アリス……? 君、アリスって言うの?」

 台詞の内容よりもその中に交じる名に興味を引かれた様子で、ラーナが立ち止まりアリスの顔を覗き込む。

「う、うん」

 内心を見透かそうとするかのようなその眼差しにアリスがどきりとしていると、子どもたちの無邪気な声が続いた。

「こんな見た目と名前だけど男だぞ!」

「今日も遺跡の仕掛けを解くのに、テラス君と一緒に大活躍でした」

「こんな見た目は余計だ」

 ネスルの台詞に拗ねて見せながら、ラーナの様子をさりげなく窺う。サマクとエイスも特に顔色を変える様子はないが、さりげなくこちらの出方を窺っているようにも見える。

 何秒もその状態が続いたように思えたが、後から考えればきっとほんの一瞬のこと。その緊張はふいに消えた。

「そうなんだ。……ごめんね、てっきり女の子だと思って」

 自分自身も十分女顔の少年であるラーナはそう言った。

 しかし後半の台詞は本心ではあるが、本当に思いついたことを隠すためにとってつけたような言葉だと思う。

「おーい、それでここからどうするんだ?」

 そうこうしているうちに、一行は宝物庫の扉に辿り着いた。

 レントやフートが早速扉に近づいて手をかける。危険があればサマクたちが忠告してくれるだろう。だが。

「ふんぎっぎぎぎ!」

「レントお兄さん?」

「何をやってんの?」

「開かねー!」

 ……辿り着きはしたのだが、扉がどうにも開かないらしい。

「何か仕掛けがあるらしくて、それがまだ解けてないんだ」

 サマクが扉を睨みながら告げる。彼ら三人はもう嫌になるほどこの扉の開閉に挑戦したらしく、何をやっても開かない扉にげんなりしている様子だ。

「これじゃないか?」

 ギネカの幼馴染であるネイヴが周辺を見回して、壁の模様の一角から並びが違う場所を発見する。そしてそのまま何かを並び替えるように弄った。

 ガコン。

「お、何か動いたぞ」

「どこかでね」

 目の前の扉に目に見えるような変化はないが、確かにこの近くの何処かで何かの仕掛けが動いた音がした。

「ネイヴお兄さん、あんな小さな模様によく気づいたねー」

「ふふん。凄いだろう。遠慮なく崇め奉ってくれてかまわんよ、子どもたち」

「で、本音は?」

 すでに呆れた目をしたギネカがネイヴに問いかける。

「たまたま目の高さにあったので気づいただけです。お約束として適当に押してみました」

「なーんだ」

「なぁ、あがめたてまつるってなんだ?」

 一瞬前まで目をキラキラと輝かせていた子どもたちは、すぐに彼に興味をなくしたようだった。ネイヴはたははと軽やかに笑い飛ばす。

「ってことは、もしかしてこっちにも」

 フートはネイヴが探していたのとは逆側の壁を触り、同じ模様の変化を発見すると、同じように操作する。

 ガコン。

「よし、やったー! ……って、あれ?」

「鏡が出てきただけね」

 両方の仕掛けを作動し終えると、扉の正面の壁の一部が回転し、その場所に鏡が現れた。

 鏡の中央には、蓮の花に似た紋様が描かれている。一行はこの遺跡の外の沼に咲いていた睡蓮を連想した。

 しかしそこからが問題だ。

「この鏡を……どうするの?」

 背伸びをして鏡を覗きこもうとする子どもたちを横目に、高等部生組とトレジャーハンターたちは新たな仕掛けの意味を考える。

「そう言えばこの扉の模様……」

 鏡の正面に存在する扉の模様を改めて眺めていたギネカが、滑らかに曲線を描く紋様の一部の空間が不自然に空いていることに気づく。

「この扉の模様とそこの睡蓮の絵を合わせれば、ぴったり完成しそうね」

「これは……もしかして何かの魔法陣?」

 シャトンがギネカの視線を追って、扉の横から二枚の紋様を見比べる。

 上手く脳内で重ね合わせようとするのだが、距離も大きさもあるのでどうしてもうまく行かない。

「鏡に描かれた紋様か。王道なら、どこかに光を当てろってことか?」

 ネイヴがいち早く仕掛けの仕組みに気づいて呟く。

「王道って何の王道?」

「え? いやその、ゲームとかでよくあるじゃん?」

「へぇー。でもこんなに早く気づくなんてすごいや」

「ま、まーね。それ程でも!」

 ネイヴはレントの問いにおどけて答えた。すかさずギネカがきつい口を挟む。

「ただ毎日遊びほうけているだけでしょ」

 先程からこの遺跡の仕掛けを破るきっかけに気づくのはいつもネイヴだった。

 一方で、熱心に鏡を眺めていた子どもたち。アリスは皆を代表し、遺跡の壁のくぼみに足をかけて器用によじ登ると、鏡に手をついて何か仕掛けはないかと探り出す。

「うわ!」

「アリスちゃん?!」

「アリス?!」

 体勢を安定させるためアリスが体重をかけようとすると、鏡がぐるんと回転した。驚いたアリスはそのままぽてりと床に落ちる。

「ねぇ、もしかしてあれじゃない?」

 鏡が回転することを知って、その「高さ」の延長線上にあるものを探したテラスは、廊下の隅にある別の鏡に気づいて指をさした。

「あれ?」

「鏡を使うってことか?」

 これが鏡の紋様を反射させる仕組みであることまではわかった。だが並みの光量では動かないらしく、懐中電灯の光を反射させたくらいでは遺跡の扉は無反応だ。

「ちょっと待って。この遺跡が造られたのはそもそも大分前よね。そんな時代に懐中電灯なんてないわ」

 ギネカの台詞に、フートも頷く。

「文明の利器がなくても、何か光を届ける仕掛けが最初からあったはずってことだな」

 鏡の反射を利用して地下五階の宝物庫に光を届ける。そこまではいい。だが。

「一体どこからこの神殿に光を入れるの?」

「あ……!」

 その時、アリスの脳裏に天上から光を採りいれる硝子張りの天井が過ぎった。

「あのショートカット!」

「単なる落とし穴じゃなかったのか!」

 アリスと同じように、神殿の一階をじっくり通ってきたジグラード学院の一行は頷いた。

 とりあえず一度全員で戻り、全階層の落とし穴を開いていく。

「神殿の天井が硝子でできている。ここから光が入るようになっているのね」

「でも、このままじゃ宝物庫まで光が届かないよ」

「きっとどこかにまた、光を反射する用の鏡があるんだ」

「手分けして動かしていくぞ」

 鏡を動かすこと自体は大した労力を必要としない。子どもの力でも可能だ。

 フートたち高等部生組、アリスたち小等部生組、三人組のトレジャーハンターとネイヴ、全員が手分けして遺跡の機構を動かしていく。

 最後の鏡が届けられた光を反射して扉に当てると、光と影の紋様が重なり合って魔法陣となり、宝物庫の扉が開いた。

「やったあ!」

 ついに、お宝とのご対面だ。


..044


 宝物庫の扉が開く。

 部屋の四方に青い睡蓮の絵が描かれた部屋。正面最奥には祭壇らしきものがあるが、上には何も乗っていない。積もっているのは埃くらいのものだ。

 そして部屋のあちこちに、「お宝」と呼ぶべきものがある……のだが。

「なんだぁ、これ」

「これがお宝……なの?」

「ええと……」

 ネスルが、カナールが、ローロが。素直な子どもたちは疑問をそのまま口にする。

「お宝はお宝でも、考古学的な意味のお宝が大多数のようね」

 シャトンがくすりと笑いながら言った。

 金銀財宝を期待していた子どもたちの予想は外れ、古びた壺や皿、不気味な人形などが延々と並んでいる。

「……」

「……」

「ワースゴイねコレ」

 がっかりと落ち込む子どもたちの背後で、実は高等部生組もこのお宝の価値はよくわかっていなかった。

「うわぁ……!」

 一方で、目を輝かせたのはトレジャーハンター三人だ。

 ラーナが床に置かれた古壺の一つを手にとり、感極まった様子で口を開く。

「懐かしい……! これなんか千二百年くらい前のものですよ……!」

 他にも部屋のあちこちを巡っていちいち骨董品の様子を子細に観察しては、満足そうに頷いている。

 サマクもエイスもラーナほど顕著な反応ではないが普通に興味はあるようで、お宝の状態を一つ一つ丁寧に調べていた。

「ま、この様子だと普通に文化財として帝国の預かりになりそうね」

「そうだな」

「ええ~」

 シャトンの言葉に、子どもたちが一斉に不満の声を上げる。

 だが、遺跡の副葬品、出土する文化財などに詳しそうなトレジャーハンターたちの様子を見れば、これが自分たちに持ち帰れないものだということはわかった。

「せっかくだから、壊さないように少しだけ見ていくか?」

「そうね」

 フートの言葉にムースが頷いて、彼らはその場をちょろちょろとお宝見物に動くことになった。

 なんだかんだ言っていた子どもたちも、いざお許しが出たとなればすぐに興味の矛先を切り替えて、日常で触れることはない古びた品々を眺め出した。

「いやいや、でもなかなか侮れないよここのお宝。この箱とか、見るだけでも綺麗でしょ」

「本当だ。綺麗な絵が描いてある」

「でも持って帰れない」

「あう……」

 テラスやフォリーは無造作に手に取るが、ネスルやカナールには手を触れないようローロがしっかりと言い聞かせていた。

 テラスが手の中の箱を開いて、中身をみんなにゆっくりと見せてやる。

「ま、そのうち遺跡の外に併設されている博物館にでも埋蔵品としてきちんと並ぶんじゃないか? その時また見にくればいいさ」

「はーい……」

 宥めるアリスの言葉に、子どもたちはしゅんとしつつも頷いた。


 ◆◆◆◆◆


 高等部生組は高等部生組で、それなりに興味を持って宝を見て回っていた。

「ほわー。なんかすごいねー」

 皆、できるだけ手を触れず眺めるだけにとどめている中、この「宝探し」の発端であるネイヴだけはしっかりと鑑識のような白手袋をはめて目につく品の一つ一つに手を触れている。

 隣でまったく別の品を興味を持って観察しているように見せかけたギネカが、ネイヴにそっと問いかける。

「……で、目的のものは見つかったの?」

「ううん……それが、まったくひっかからなくてなぁ……」

 ネイヴは熱心にお宝を眺める振りで、「あるもの」を探す。

 わざわざ遺跡の探索をしてまで宝を見つけるのだから、彼には当然目的があった。だが。

「見つからない? 当てが外れたわけ?」

 財宝とは呼び難い後の重要文化財を虱潰しに探しながら、ネイヴは小さく首を捻る。

「そう言う感じじゃないな。これはむしろ」

「――まさか、横取り?」

「っぽい」

「嘘……」

 ギネカはこっそりと周囲を見回す。

 ほとんどが知り合いばかりだというこの場に、ネイヴの目的を邪魔する人間がいる?

 彼――怪盗ジャックの狙う“お宝”は、基本的に目には見えない物だ。

 だからと言って誰もがそれに気づかないわけではないらしい。視える人間には視えるのだという。

 それを察知できるのは、ネイヴと同じ条件の人間だけだ。

「まさか、あの人たち?」

 ギネカはトレジャーハンターの少年三人組を示す。ネイヴは緩く首を横に振る。

「違うな。確かに妙な気配は感じるが、あいつらは“アレ”じゃない」

「そう……」

 妙な気配とやらもわからないギネカには気になる言い方だが、ネイヴがそう言うのならば違うのだろう。

「ま、決まったわけじゃないな。俺が気づかなかっただけかもしれないし」

「でも」

「気にするな、ギネカ。ある意味好都合だろう? あの強盗連中のおかげで、ここにいる人間はすでにかなり限定されている」

「ネイヴ……」

 強盗団の介入によって、トレジャーハンターたちが彼らの知らぬ間にこの宝物庫を開ける隙はなかった。間違いなくここにいる人間が最初の到達者なら、ほとんどの人間の素性は知れている。

 自分の友人たちを疑うネイヴの発言に、ギネカは複雑な顔をする。彼女としては彼の願いも叶えてやりたいが、友人たちをそんな目で見たくはない。

 探しに来た品を横取りされた可能性があるにも関わらず、ネイヴはまったく動じずに告げる。

「盗られた物は、いずれ取り戻せばいいのさ」


 ◆◆◆◆◆


「で、どうなの?」

 ムースに問われ、フートは疲れた顔で返した。

「期待外れ……なのかな? 何も反応はない」

「……くたびれもうけ?」

「っぽい」

「悲しいわね……」

 彼らの目的は険しく果てしない。予想はしていたがやはりこの結果にはがっくりと肩を落としてしまう。

「おかしいなぁ。この部屋に入った時、確かにあれの反応を感じたと思ったんだけど」

「そうなの?」

「でも実際ないんだよなぁ。どこにも」

 見渡す限り古びたがらくた……もとい、文化財の山だ。その中のどれか一つに宿る、「とあるもの」をこの二人は先程からずっと探していた。

 正確にはムースはそれを視ることはできないので、探しているのはフート一人。ただ、普段はフートの目的を遂げるための協力者としてムースも活動しているので、便宜上「二人で探す」という言い回しになる。

 ここ鏡遺跡のように古代の神殿や墓所からは、フートの探している品が出土する割合が高い。古き時代の人々が封じた災いを、現在のフートは探し出そうとしている。

 それは彼にとっても災いであり、同時にたった一つの希望へと続く糸でもあるのだ。

 世界中に無数に散らばっているというそれを集めることが、フートが希望を手にする近道なのである。

 ――しかし残念ながらこの場所には、彼の目的の物はなさそうだった。

「仕方ない。また次を探すか」

「……そうね」

 内心の落胆を隠さぬよう、彼らは再び帝都の夜を翔ける算段を練る。


 ◆◆◆◆◆


 そして、探索は終わりを告げる。

 一体この中のどれだけの人間が、この長く刺激的な一日で本当の「収穫」を得られたのだろうか。

「結局目ぼしいものはなかったな」

「え? そうですか?! 色々学術的に価値のある物が詰まっているじゃないですか!」

「そうか……それは良かった……」

 トレジャーハンター三人組だけがほくほく顔だ。アリスたちからしてみればここの文化財が彼らの懐に入るわけでもなさそうなのだが、何がそんなに嬉しいのだろうか。

「お前ら、引き上げるぞ」

 しばらくしてヴァイスとヴェルムが遺跡の中に戻ってきた。背後に警察も引き連れているところを見ると、もう無理はできないらしい。

「「「はーい」」」

 様々な思惑と一緒に、良い子と良い子を装う返事が重なった。



..045


「さて、帰るか」

 警察を引き連れてきたヴァイスに促され、彼らは遺跡から出ることにした。一緒に降りて来なかったヴェルムについて尋ねると、事件の事後処理の件で警察と話中だと言う。

 彼らも後で事情聴取を受けなくてはいけないらしいが、さすがに十にも満たない子どもたちと高校生ばかりなので明日にしてもらったとのことだ。

 どうせお宝を見つけても自分たちのものにならないことは、皆、遺跡に入ってすぐのアリスやテラスたちの説明でわかっている。

 探索はもはや体験学習のようなものと割り切って、ジグラードの講師と生徒たちにネイヴを加えた十三人で遺跡から引き上げてきた。

 ちなみにトレジャーハンター三人はもう少し宝物庫を見ていたいというので、そこで別れた。警察に何か名刺らしきものを見せてやりとりしていたが、彼らも本当に変わった連中だ。

「ま、なんだかんだでお宝も見れたことだし、目的は一応達成できたな」

「フート、私たちこれに関しては何もしてないわよ」

「……まぁ、幽霊の方も見れたし」

「そうね。いっそ本物の幽霊だった方がどれだけ良かったか」

 フートとムースの幼馴染コンビがのほほんと言葉を交わすのを聞くともなしに聞きながら、ようやく日常が戻ってくるのを一行は感じる。

 結局、探偵としてヴェルムが呼ばれた幽霊騒動は、遺跡に潜んでいた銀行強盗団があちこちに残した痕跡だった。

「幽霊どころか……」

「ヴァイス? どうしたんだ?」

「いや、なんでもない」

 枯れ井戸の蓋を開けてばっちり死体まで目撃したヴァイスが人知れずげんなりした顔をしている。

 確かに死体や強盗に出くわすぐらいなら、本物の幽霊がいた方が余程マシだった。

 まぁ、仲間割れの際に殺されて、結果的にこの遺跡に強盗団を足止めする原因となった人物は今も幽霊として実はこの遺跡にいるのかもしれないが。

 それらの事情までは、今この場で彼らが知らなくていいことだ。

「なんだかんだで楽しかったよな」

「ネスルくん、僕たちは事件に巻き込まれたんですよ?」

「私だけの力で強盗さんを倒すのとか、正直ドキドキしちゃったよね!」

「カナちゃんまで……!」

 自分たちがどれだけ危ない目に遭った自覚を持っているのか、小等部の子どもたち――主にネスルとカナールは、怒涛の一日だったにも関わらずどこかはしゃいでいる。

「でも本当に楽しかったよ。アリスちゃんやテラスくんがすっごく頼りになるのがわかったし」

「ふん、こんな奴らより俺の方が役に立つってーの」

「いえ、ネスルくん、それはないです」

「なんだとローロ!」

「おいおい、喧嘩すんなよ……」

 三人の中では一番良識派のローロまでどうでもいいような争いに加わってしまうと止め役がいなくなる。程々にしておけよ、とアリスは釘を刺す。

 険悪三歩手前辺りの少年たちのやりとりは気にせず、カナールがシャトンに声をかけた。

「シャトンちゃんもだよ!」

「え?」

「仕掛けを解くのも強盗さんたちを倒すのも、シャトンちゃんが色々やってくれたから」

「そんな……私は、何も。テラス君やローロ君の力よ」

「そんなことありませんよ! シャトンさんの指示はいつも的確でしたし、難しい仕掛けも作戦も、僕らにわかりやすく説明してくれました。本当に頼りになります!」

 ネスルと言い合っていたローロも話題に入ってきて、子どもたちの視線がシャトンとカナールに集中した。

「これからもよろしくね、シャトンちゃん」

「……こちらこそ」

 シャトンはやわらかく微笑んだ。

 アリスはちらりとその横顔を眺める。これまでに見たこともない笑みだ。

 怒涛の一日だったが、子どもたちと絆を深めると言う意味ではシャトンにとって良い方向に働いたらしい。

「ほらほらお前ら、そろそろ出口だぞ」


 ◆◆◆◆◆


 彼らが遺跡から出る頃には、強盗たちが銃を乱射した現場にも警察が到着して諸々の処理が始まっていた。

 サイレンの音が遠ざかっていく。遺跡から離れる白い車を見て、彼らはダイナに説明を求めた。

「あの人は無事よ。念のため検査入院するらしいけど、たぶんそれだけで終わるだろうって」

「本当?!」

 撃たれたトレジャーハンターの男を念のため病院に送り、警察は事件現場となった遺跡の調査に乗り出すという。ヴェルムは強盗一味が潜んでいた緑地の中や、死体を発見したという井戸へ案内するために今日は警察に付き合うらしい。

「私たち……というか、主にあなたたちへの事情聴取は後日にしてもらったわ。みんな今日はもう疲れたでしょう? 車で送るわ」

 ダイナの気遣いに、一同はほっと息を吐く。子どもたちだけでなく、フートやギネカたち高等部生組もすでに疲れ切っていた。レントなんて歩いている最中にも半分瞼が閉じている。

 警察との話に区切りをつけたヴァイスが戻ってくる。子どもたちを送らねばならないからと、彼の事情聴取も明日に回してもらったのだ。

「……ところでルイツァーリさんでしたか、その人数で全員二台に乗る気ですか?」

 運転手はヴァイスとダイナ。小等部生が七人に高等部生が五人。

 警官が胡乱な目でヴァイスを見る。

「あ、俺は自分のバイクで来ているんでそれで帰りますから」

 ギネカの幼馴染、ネイヴはそう言った。もともと彼は別行動で来たために移動手段も自力だ。

「大人三人ずつ、子どもたちを三人と四人に分けて最大で七人か。ぎりぎりだな……」

「ワゴンを一台借りてきてよかったですね」

 とはいえ乗れないことはない。もともと帰りは子どもたちが疲れ切って歩けないことを予想してのダイナの迎えだ。

 ちょっと予定外の事件に巻き込まれたりもしたが、長い一日もそろそろ終わる。

 彼らは遺跡を後にした。


 ◆◆◆◆◆


「じゃーね! アリスちゃん、シャトンちゃん!」

「またな!」

「また明日!」

 カナール、ネスル、ローロの三人を送って、これで子どもたちは全員帰った。高等部生もフート、ムースとレントの三人はすでに自宅に送り終えた。

「あとはマギラスだけか」

「遅くまですみません」

「いや、こちらこそ子どもたちの面倒を見てくれて助かった。やはり学年三位は頼りになるな」

「それなら私よりフートの方が」

「マルティウスもそうだが、お前もだ、マギラス」

「ありがとうございます」

 アリスはうつらうつらとしながらその会話を聞いていた。

 いくら中身は十七歳とは言え、体は小等部生だ。集中力が切れると途端に糸が切れたように眠り込んでしまいそうになる。

 隣に座りこちらの肩にもたれているシャトンも似たような状況だった。カナールたちを送り終えるまでは興奮状態の彼らの元気さに付き合っていたのだが、あの三人が降りると途端に車の中が静かになってしまった。

 眠気が堪えられない。

「……それに、面白いことがわかりましたし」

 ギネカが小さく囁いた。

 ヴァイスはすでに運転へ集中していて、その声は聞こえていない。

 アリスは彼女の隣に座っていたので、その囁きがぎりぎり聞こえていた。

 でも意味はわからない。

 春の夜の肌寒さに人肌が暖かい。

 十七歳の「アリスト」は当然と言えば当然だが、ギネカとこんなに密着したことはなかった。

 今のように子どもの姿ならともかく、年頃の男女が並ぶとしては、あまりにも近すぎる距離だ。

 アリスは油断していた。

 十七歳のアリストに対しギネカがあまり触れて来なかった意味、対照的にアリスの姿になってから一度、意味もなく触れて来ようとした意味を。考えることを忘れていた。


..046


 なんとか警察の相手を無難に終えたサマクは、エイスたちのもとへと戻る。

 一歳や三歳の年齢差など「この歳」になってくると比べるのもおかしいくらいだが、なまじ外見は他二人が幼いだけにどうしても初対面の人間にはサマクがリーダーだと勘違いされる。

 よくよく彼らの会話を聞いてみれば、一人だけ敬語を使って話されるエイスの方が主導権を握っていることに気づくのだが。

「警察か。厄介なことになったな」

 とりあえず今日のところは宿に帰ることができるが、明日から事情聴取だのなんだのとやらねばならないことがある。

「ま、僕らの調査は終わったことだし、問題ないんじゃないですか?」

「問題ならある。この格好でトレジャーハンターなどしていると、もっと学校に通え真面目に生きろと説教されるのが面倒臭い」

「……事情聴取どうしましょうね」

 エイス、ラーナ、サマクの三人は、一斉に溜息をついた。

「保護者が必要な歳でもないんですけどね」

「まだまだ若いとでも思っておけ」

「そりゃ外見は十七と十六と十四歳ですからそうでしょうよ……」

 くだらないやりとりは多少の現実逃避が入っている。遺跡探索に来て銀行強盗とやりあう羽目になるとは、さすがの彼らも思わなかった。

「面倒は面倒ですが、ちょっとこの街に残ってみてもいいと思いますよ」

「どうした?」

「さっきのあの子、“アリス”って名乗ってたでしょう」

 ラーナの言葉に、エイスとサマクも一瞬目を見交わす。

「……考えすぎではないか? あれはどう見ても子どもだろう?」

「そうですか? 俺はあの子、普通よりしっかりしているように見えました。七歳ではなく、もっと年上だと言われても納得できるくらい」

「そうだったか?」

「ええと……大人っぽいのは、青い髪の男の子だったような気がしますけど……」

 一口に子どもと言っても七人もいたのだ。強盗騒ぎで大変だったことだし、そう細かくは見ていない。

「あの金髪の子は、俺がアリスの名に反応した時、一瞬動揺を隠そうとしました。あの子どもらしさは演技です」

「うーむ……」

「何より、“アリス”ですよ」

 あの“アリス”が本名ではなくコードネームだとしたら。

 それは彼らが、この十年求め続けた存在なのかもしれない。

「我らの中には魔術師がいないからな。色々と確かめようにもその手段がない」

「いっそ呼び出しますか? もし本物だったとしたら」

 話を進めるエイスとサマクに、大事なことを見落としていることをラーナは突っ込む。

「……というか、ジグラード学院にいるはずのあの人に聞けばいいじゃないですか」

「「その手があったか」」

 ――ジグラード学院、そこはもう何千年も前から、この世界の中心に存在する特別な学校。


 ◆◆◆◆◆


「着いたわよ」

 ダイナの優しい声に起こされて、アリスはぱちりと目を開けた。

 朱と蒼の入り混じった夕闇の帳が降りている。すっかり遅くなってしまった。

 明日の事情聴取は昼ごろにでも行けばいいと言うのがまだ救いだ。

「みんな、今日はお疲れ様。でもマギラスさん、家まで送らなくて大丈夫?」

「大丈夫です。どうせこの近くのマンションですもの」

 聞きなれた声に、あれ? と首を傾げると確かにギネカがそこにいた。

 自宅が近いので、個別に送ってもらうのを断りヴァイスたちのマンションから歩いて帰るらしい。

「じゃあ、また明日ね。マギラスさんも、今日はゆっくり休むのよ」

「はい。ありがとうございました。また明日」

 ギネカは一同に別れを告げて歩き出す。

 その後で、アリスは彼女の忘れ物に気づいた。

「あ……」

「そのストール、マギラスさんのものね」

「そう言えば、起きた時に毛布代わりにかけてくれてたのってこれかしら」

 車の中で寝ていた時のことを思い返した様子でシャトンが言う。まさかぐーすか寝ていたアリスとシャトンの二人と、それを見守っていたギネカが全員同じ歳とは思うまい。

「明日会った時にでも渡せばいいだろう」

 長い一日の終わりにわざわざ追いかける程のことはないとヴァイスは言う。だがアリスはそうは思わなかった。

「俺、届けてくる」

「そうか? 明日でいいと思うがな。まぁ、任せる」

 まだ夕暮れだ。付近の子どもたちはすっかり帰ってしまったが、そんな遅い時間ではない。ましてやアリスの中身は十七歳の男子高生だ。現在の保護者であるヴァイスもこういうところは気にせずにアリスを送り出す。

 ギネカの自宅はアリスも知っている。どんな道を辿るのかも予測がついて、すぐにその背中を発見した。

 いつもきびきびと行動するギネカもさすがに今日は疲れているのか、歩みが遅い。アリスはすぐに追いつけた。

 ちょうど公園の前にさしかかったところで彼女に声をかける。

「ギネカお姉さん、あの」

「ようやく見つけた」

 振り返ったギネカがパシリとアリスの腕を掴む。驚いたアリスは思わず彼女のストールを落としてしまった。いきなりなんだ?

 そして次の瞬間、困惑は驚愕にとって代わられる。

「見つけたわよ、アリスト」

「へ?」


 ◆◆◆◆◆


「な……何言ってるの? 僕の名前はアリスだよ? 似てるけど、間違えな――」

「ごめんね、アリスト。私もずっと、あなたたちに黙っていたことがあるの」

 アリスは混乱に見舞われていた。何故だ。何故ばれた。

 シャトンの開発した禁呪でもなければ、人間の時間を巻き戻す魔法なんて理解の範疇を超えている。容姿が多少似ているくらいで、十七歳のアリストと七歳のアリスを結びつける人間なんているだろうか。

 だが、相手は自分もよく知るギネカだ。彼女は大事な場面で軽はずみな事など言わないはず。

 あなたたちと言うのは、どこまでのことだ?

 ギネカは何を知っている?

「睡蓮教団、白兎、赤騎士……そう、それがあなたをこんな姿にした相手なのね」

「!」

 アリスは咄嗟にギネカの手を渾身の力で振り払い、距離を取った。

「なんでその名を……」

 まさか。そんなことは信じたくないが。

「不思議の国のコードネームを知るのは、彼らと同じ世界に関わる者だけ――」

 まさかギネカは彼らの――。

 警戒するアリスの前で、ギネカがきょとんと目を丸くした。次いでアリスの思考を理解したらしく、いきなり慌てだす。

「ちょっと待って! 何か盛大に誤解してない?!」

「誤解?」

 胡乱な目付きを隠せないアリスの前で、わたわたと不思議な動きをしていたギネカが腹を括って口を開く。

「私は、睡蓮教団とは関係ないわ。今のは、あなたの記憶を読んだだけよ」

「記憶?」

「そう」

 ギネカはアリスに手を差し伸べて言った。

 そう言えば先程、彼女に腕を掴まれた。以前も脈絡なく触れられそうになったことがある。

 その時はまだこの姿になったばかりで警戒して他人を避けていたが、本日は強盗の銃弾から庇った時や、帰りの車の中など何度か彼女に触れている。

「私は、接触感応能力者サイコメトラーなの。触れた相手の記憶を読めるのよ」

「……は?」

 今度はアリスがぽかんとして口を開ける番だった。

 一年間同級生を、友人をやっていたのにそんなこと聞いたこともない。

 だからこそ彼女も先程「黙っていた」と言ったのだろうが――。

「疑うなら、こうして目を閉じているから、私の手に触れて何かやってみて。あなたの手を通じて見ないでそれを当ててみせる」

 考えてみて、ではなく、やってみてと来たか。相手の思考を読むだけの精神感応とは違い、接触感応能力者は相手の思考から行動まで、全ての「記憶」を読み取るという――。

「もちろん今は他の記憶は読まないようにするけど……あなたが私を、そこまで信用できないと言うなら別だけど……」

 いつもしっかりとした口調で喋るギネカだが、だんだんと語尾が弱くなる。

 小説やドラマでありがちなパターンだと、心や記憶を読める能力者はそのせいで人に嫌われたり、人間不信に陥りやすいらしいが……。

 アリスは片手をギネカと繋ぎ、くるりと後ろを向いた。

「!」

 もう片手で手持ちのメモ帳とペンを取り出して告げる。

「今から俺が紙に書く物を当てて」

 アリスはメモ帳にさらさらとペンを走らせる。体でメモ帳を隠すようにして、例えギネカが薄目でこちらを覗き込んでも見えない位置に立つ。

 すぐさまギネカが答を告げてきた。

「一枚目は○、次は△、次は……うさぎ? アリスト、あなた絵が下手ね」

「余計なお世話だ」

 返す言葉はもう子どもらしい“アリス”の演技ではなく、十七歳の“アリスト”のものへと戻っている。

「百、六六六、二〇一五、猫……絵じゃなくて文字の方ね、朝、夜、夕方、わかった……?」

「『お前を、信用する』」

 見もせずに文字を読み上げるギネカの声と、口に出したアリスの声が重なる。

 ギネカは目を見開いた。

「『俺は、アリスト=レーヌだ』」

「アリスト……」

 繋いだ手から、ギネカの震えがアリスに伝わる。今は彼女よりも随分小さくなってしまった子どもの手。

「そうだよ、俺はアリストだ。こんな姿になっちまってるけど、でも――」

「良かった!」

「ぎ、ギネカ?」

 振り返ったギネカは、そのまま思い切りアリスを抱き締めた。

「無事で……生きてて良かった……アリスト……!」

 ギネカは、ようやくアリストを見つけたのだ。


..047


「そう、そんなことがあったの」

 アリスはギネカに、改めて四月一日からこれまでに彼の身に起こった出来事を話した。ギネカの方は接触感応能力で簡単に情報を得たとはいえ、やはり当事者から情報の取捨選択をした形で経緯を説明されるのとは違う。

「大変ね。現在進行形で」

「ははは……」

 赤騎士相手の命の危機は脱したが、いまだ子どもの姿から元の十七歳のアリストに戻る具体的な手段は目の前にない。

 教団に盗まれた時間を取り戻すと言っても、その方法がわからないのだ。まぁ、そちらに関しては禁呪の開発ごとシャトンに任せ、アリスは教団の情報を日々地道に探していくしかない。

「さっきも言ったけど、『アリス』の登場人物のコードネームを持つのは、教団とその関係者みたいな事情を知る奴らだけなんだ」

「その中にはアリスト……アリスみたいに、彼らに対抗しようという勢力も含まれるのよね?」

「そう、名前を聞いただけじゃ、相手が敵か味方かもわからない。でも用心することに越したことはないだろ?」

 無事に誤解が解けたところで、ギネカは今後の話をする。

「ねぇ、アリスト……あなた、これからどうするの?」

「え? そりゃ、今まで通り元の姿に戻る方法を――」

「そうじゃなくて」

 アリスの台詞を遮り、ギネカは改めて問いかけた。

「みんなに言わないの? このこと」

「……」

「フートたちだって事情を聞けばきっと協力してくれると思うの。だって、あなた一人でなんて――」

「ギネカ」

 彼の身を案じる彼女の言葉を遮り、アリスは告げる。

「悪いけどそれはできない」

「事情を知る人間が増えれば、教団に目をつけられるって? みんなそんなヘマするような奴らじゃないでしょ?」

「でも、巻き込みたくないんだ。不安にさせたくない。余計な事情を知ることによって、俺自身が失敗した時にどうなるかわからない」

「アリスト」

「これはイモムシ……ヴェルムの経験に基づく証言だ。世間的に有名だった探偵の父親が教団について知りすぎたために、あいつの両親は殺された。ヴェルムはまだ教団の核心に近づいてない。だからまだ殺されてないんだって」

「あの探偵さん……そうだったの……」

 “帝都の切り札”こと、探偵ヴェルムを巡るやりとりはギネカも多少知っている。あの頃、探偵夫妻の殺害事件について連日世間はニュースで騒ぎ立てていた。

「そう。アリストの意志はわかったわ。でも私はやめないわよ」

「え?」

「こんな話を聞いて、今まで通りのほほんとなんてしてられないわよ。私に協力できることがあれば言ってちょうだい」

「そんなこと――」

「あるでしょ。少なくとも、戦力に関しては今七歳児の姿になってしまった誰かさんより役に立てると思うわよ」

「うぐっ」

 本日も強盗を捕まえるのにほとんど役に立たなかった自覚のあるアリスは、それを持ちだされると何も言えない。

「それとも……私が傍にいるのはいや? やっぱり、人の記憶を勝手に覗き見る能力者なんて気味が悪い?」

「そんなことない!」

 これまで接触感応について隠していたギネカは、その力に余程のコンプレックスを感じているようだった。

 アリスはジグラード学院の高等部に入学するまでの彼女の人生を知らない。

 だが彼女が、学院内でもごく限られた人間としか付き合いがないことは知っている。その限られた人間に当たる彼ら友人内でさえ、その身に触れることがないよう気を遣っていたことも。

 以前は意味がわからなかった。彼女の能力を知った今では、ギネカが何を考えていたのかもわかるつもりだ。

「ギネカがその力を隠していたわけはわかるよ。でも俺は、そんなこと思ってない」

 アリスの方から、ギネカの両手を包み込むように――とは、今現在の手のサイズから行かなかったが、とにかく両手を包んだ。

「読めるならわかるだろ。今俺が何考えているのかも」

「アリスト……」

 ギネカが薄らとは言え涙を浮かべている場面を、アリスは初めて見た。

「ありがとう」

 微笑んだ彼女は、しかし次の瞬間にはこれまで以上に真摯な表情で訴えかける。

「あなたが私たちを案じてくれるように、私たちもいつだってあなたを心配している。だからせめて、こうして真実に辿り着く力のあった人間くらい、力を必要として。私たちも取り戻したいのよ。十七歳のアリストを」

「ギネカ」

 彼女が簡単にそんな台詞を言う人間でないことは“アリスト”はこの一年の付き合いでよくわかっている。

「……わかった。どうせ俺がここで頷かなかったら、それこそギネカは勝手に無茶するんだろ?」

「当然。学院の成績と言う点では、私の能力値はアリストに引けを取らないのよ。足手まとい扱いなんてしたら怒るわよ?」

 これまで踏み込み過ぎないようにしていた距離をあえてギネカが詰めてくるのなら、それに乗ろうと“アリスト”は考える。それに。

「……ありがとな、ギネカ。最初に申し出を断っておいて難だけど、本当は凄く心強いよ。俺を、本当の『アリスト』を知っている人間が協力してくれるのは」

「うん」

 ――本当はアリストだって、自分をよく知る味方が、助け手が欲しかったのだ。

「これからよろしく」

「ええ。絶対にあなたを戻してみせるわ」


 ◆◆◆◆◆


 アリスはギネカとのやりとりを、帰宅後自らシャトンとヴァイスに話した。

「そう、そんなことがあったの」

 事情を明かしたことを責められるかと危惧したが、二人とも意外な程に冷静だった。ヴァイスは元より、シャトンも今日の事件のおかげでギネカの実力は理解している。

 一般人を巻き込むことに不安がないわけではないが、あれだけやれるなら及第点だろうという評価だった。戦力と言うよりも、彼女自身の身を守るという意味で。

「大変ね。現在進行形で」

「なんかこのやりとりデジャヴ!」

 ギネカにも言われた台詞をシャトンに告げられ、アリスは思わず叫ぶ。そこに、鋭い追撃が入った。

「友人の一人に事情を話したのはいいけれど、あなた、明日からその人にどんな顔して会う気? 『ギネカお姉さん』の前で可愛い『アリス』の演技をわざとらしく続けなきゃいけないのよ?」

「うわ……そういえばそうだった……どうしよう顔から火が出そう」

「どうしようもないわね」

 トドメの一撃を受けて、アリスは食卓に突っ伏した。傍観していたヴァイスがまぁまぁと割って入る。

「それはいつでも一緒だろ。正直私やヴェルムもアリスの見事な変わり身を目にするたびに笑いを堪えるのに必死なんだ」

「おい、ヴァイスてめーどういう意味だそれは。っていうかヴェルムまで?! 俺の味方はー?!」

「「ま、冗談は置いといて」」

「冗談かよ!」

「「いや、八割方本気だけど」」

「なんでそこで声を揃えるんだよ?!」

 いいから話が進まない黙れと口を塞がれて、アリスは拗ねた顔で黙り込む。

「結果的には良かったんじゃないか? マギラスならお前と同じくらいの実力はあるし、接触感応能力を持つなら協力者としてこの上ない。友人としての付き合いも深いだろう?」

「彼女自身も秘密……弱味をばらしたってことは、あなたを安心させる意味もあったんでしょうね。そこまで明かしたからには裏切らないって」

「……」

 シャトンの言葉に、アリスは今度は自分の意志で口を噤む。

 これまで黙っていたとギネカは言っていた。シャトンの指摘した通り、あれはギネカにとって誰にも知られたくない弱点なのだ。その信頼を裏切る訳にはいかない。

「いいじゃない、あなたにとって信用できる相手なら」

「いいのか? お前だって巻き込むのに」

「とっくに一蓮托生でしょ。いいわよ。あなたが信用した相手なら私も信用してあげる」

「なんかシャトン強くなったな……」

 今日一日の子どもたちとのやりとりで安定したシャトンは、以前の不安な顔を微塵も見せない。

「実際問題、私たちのような子どもの姿じゃできないことも多いわ。白騎士やイモムシの他に協力者が増えたのは頼もしい。それに彼女は、銃を持った強盗に魔導で立ち向かえる程の腕前でしょ? 頼りになるじゃない」

「俺としてはダチをそんなことに巻き込みたくないんだけどなぁ……」

「諦めなさい」

「しゃーとーんー」

「……全てを知って除け者にされたら、その方が余計辛いわよ」

 揶揄まじりのこれまでとは違い、彼女は静かに諭すようにそう言った。

 シャトン自身にも何かそういった経験があるのだろうか。それはまた、アリスの知らない表情だ。

「どちらにしろもう決まっているのだろう? 一度話してしまったことをやっぱり忘れてくれと言うわけにもいくまい。――ふむ、これからは私やヴェルムの手が空かない時はマギラスを頼れるわけか。まぁ、確かに心強くはあるな」

 ギネカにはヴェルムのような探偵能力も、ヴァイスのような人脈や特殊技能もない。刑事でもなければ格闘家でもない。

 だが、彼女を元々知るアリスやヴァイスにとっては、人格的に信用に足る人物なのだ。

 頼る理由はそれだけで十分だと。

「お友達を危険な目に遭わせたくないなら、あなたがまず危険なことをしなければいいのよ」

「簡単に言ってくれるな」

「でも諦めないんでしょ? あなたは」

「……当たり前だ!」

「その意気その意気」

 そしてチェシャ猫は、いつもの台詞を繰り返す。

「全てはあなた次第よ、アリス」


..048


「へぇ。超能力についてバラしたんだ」

「ええ。これからは向こうにちょこちょこ手を貸すことになるわね」

「えー、俺を見捨てんの?」

「あんたは一人で充分でしょ。私の用事を邪魔しないでちょうだい」

「酷いな。今日だって助けてやったじゃん」

「あんたいなくても、ダイナ先生だけで大丈夫そうだったけどね」

「うわ、本当にひでー。そういうこと、ふつー思ってても言うか?」

「あんたには言わなきゃ伝わんないでしょ? 人が気遣って言葉を濁したら余計疑心暗鬼になるくせに」

「それはお前の方だろ? ギネカ。なまじサイコメトリーなんてものがあるせいで、人の本音と口にした言葉が違うと不安になるくせに」

「……」

 これまで滑らかに反論を紡いでいた唇が止まり、代わりのように溜息を吐き出した。

「本当、生きづらいわね。私たち」

「生き易い人生なんて存在しない。俺たちは人よりもそれがちょっと特殊なだけだ」

 ネイヴは諦観の滲む表情で薄く笑う。人の中心にいる時の笑顔とは違う、ギネカがよく知る彼の表情だ。

「ま、良かったんじゃん? 俺以外にもお前のその力を平然と受け止めてくれる奴がいて。しかもそれが好きな男なら尚更だよなー」

「ちょっと、からかわないでよ」

 ギネカのアリストへの想いを知るネイヴは、しっかり者の幼馴染が唯一頬を染めて慌てふためく話題を何かにつけて持ちだすのだ。

 しかし今日は、ただのからかいのためだけにそれを口にしたわけではない。

「しかし“そっち”についてばらしたんなら、“こっち”もついでにばらせば良かったのに。向こうはお前が自分の手札を全部晒したと思ってるだろうよ」

 アリスはギネカが、彼女自身の接触感応能力という最大の弱味を晒したと思っている。それは確かに正しい。だが全てではない。

「言える訳ないでしょ? あんたは自分を誰だと思っているの?」

 高い高いビルの屋上で、少年の羽織った紅いマントがばさりと風をはらみ翻る。

 真夜中の闇に浮かび上がる仮面の騎士。こんな時間、こんな場所においては誰が目撃するわけでもないが、もしも誰かが見ていたら高らかにその名を叫ぶことだろう。

「天才高校生とは世を忍ぶ仮の姿、その正体は、世間を騒がす“パイ泥棒のジャック”こと怪盗ジャック様でーす」

「……そして私はその共犯者。言えるはずないじゃない」

 ギネカは「アリスト」にそっくりな「アリス」を最初から気にかけていた。公園で赤騎士に彼らが襲われている時に、胡椒玉を投げつけて助けたのは彼女だ。

「コードネーム“料理女”……私が最初から、睡蓮教団の敵対者だなんて」

「まぁ、いずれはこっちの事情を話すにしても、今はまだ時期尚早の感は否めないな。俺とそのアリスちゃんことアリスト君はほとんど面識ねーし」

「『まったく』の間違いでしょ。あんたはアリスとは今日面識を得たけれど、アリストとは会ったことないのよ」

「そうなんだよなー、帝都の切り札たる探偵と言い、なかなか勘の良さそうな白騎士様といい、異様に落ち着いた雰囲気のお嬢ちゃんといい、あの一味はみんな厄介なことこの上ない」

 本日の遺跡探索で顔を合わせることになったが、ネイヴとしてはぎりぎりの状況だった。探偵ヴェルムを始めとして、素顔で面識を持つには危険な人材がごろごろと集っている。

 今日のように人が多ければ学生たちの中に埋没して誤魔化すこともできるが、いつまでその手が通じるものか。

「まぁ……近づく必要もないでしょ」

 元々アリストの知己であるギネカだけならばともかく、その幼馴染まで急に接触を増やしたらさすがに不自然過ぎる。

 総てを明かす必要なんてない。総てを知る必要もない。

 所詮、目に見えるものの全てが真実だなんて、ただの幻想なのだから。

「真実は所詮目に見えない、掴もうと思ってもこの手をすり抜ける。私は今日やっと、いなくなったアリストの手を掴むことができた」

「そして俺は逃げ続ける。偽りの姿に身をやつし、警察から世間から探偵から教団から、お前以外の俺の日常からすらも」

 総てを騙し、欺き、出し抜く。

「この線が交わることがあれば、次は会話の一つくらいあるかもしれないな。――アリス、彼が本当に、俺たちの待ち望んだ存在なら」

 ギネカの話から「アリスト」に興味を持っていたネイヴは、今日会った金髪の少年を脳裏に描く。だがそれは自分と同じ十七歳の少年ではなく、年端もいかない子どもの顔。

「でも――気をつけろよ、料理女。教団から隠れてるあいつらの近くにいるってことは、何かあればお前も教団に見つかる可能性が高まるってことだ」

「わかっているわ。そんなへまも、無茶もしない。でもじっとしてもいられないのよ」

 穏やかな日常は忘れて久しい。いつから嘘を重ね始めたのだろう。いつから仮面を被るように表情を取り繕い始めたのだろう。

 ギネカがネイヴの怪盗稼業を手伝い、夜を翔けるようになったのはもう五年も前からの話だ。

 赦されないことを赦さないために、自らの手もまた罪に染める。もはや彼らも赦されはしない。

「ま、いいさ。見てろよ、睡蓮教団。――最後に勝つのは俺たちだ」

 ネイヴは不敵に笑む。姿こそ見慣れた幼馴染。しかしそこにいるのはもはやただの能天気な高校生ではなく、帝都中を騒がせる怪盗その人だった。


 ◆◆◆◆◆


 人間はどれだけ、本当のことを知ることができるというのだろう?

 偽ろうと思えば、いくらだって偽ることができるのが人間だ。

 真実を映すはずの鏡でさえ、本当の姿を映してくれるとは限らないというのに。


 ◆◆◆◆◆


 月曜日の教室は異様に盛り上がっていた。

「マジで?! あんたら本当何やってんの?」

「うるせー。俺たちだって好きで事件に巻き込まれたわけじゃねーよ」

 エラフィ、ヴェイツェ、ルルティスの三人に、フート、ムース、ギネカ、レントの四人で遺跡探索が思いがけず強盗犯退治になった話をしていた。

「私、行かなくてよかった~」

「来れば良かったのに、セルフ。ぜひとも一緒に巻き込まれろ」

「イヤだっつの。大体私がその場にいたって何の役にも立たないよ。あんたやギネカみたいな近接格闘能力ないし」

「はは。実際俺は自分の身を守るのに精一杯で全然役立たなかったよ……」

 遺跡に同行した四人の中では一番身体能力の低いレントが項垂れる。

「んなことないって」

「今回は私たちよりむしろ子どもたちの方が頑張っていましたから」

「そうそう。強盗を無事に捕まえられたのはほとんどあいつらのおかげだったな」

「子ども……?」

 話を聞いていた三人がきょとんとする。

「あれ? そういえばお前らまだヴァイス先生のとこの二人に会ったことなかったっけ?」

「え? なになにどういうこと? ヴァイス先生また何かやってんの?」

 小等部の子どもたちと一緒に行ったという話をしたのだが、どうもカナールやテラスたちと直接面識のない三人にはピンときていなかったらしい。

 四人は改めて同行した七人の説明をする。特に食いつきがいいのは、今現在ヴァイスのところに預けられている二人のことだ。

「親戚のごたごたに巻き込まれてる子どもを二人預かっているらしいんです。小等部一年生の男の子と女の子」

「何それ面白そう! あのヴァイス先生が子育てとか、まったく想像できない!」

「ちなみに男の子の方は、外見がアリストにそっくりだよ。ミニアリストってかんじ」

「何それ面白くなさそう! あのアリスト似とか、可愛さの欠片も感じられない!」

 エラフィが手を叩きながら爆笑する。

「いや、アリスト似なら見た目は可愛いだろ見た目は」

「っていうかエラフィさん、なんでそんなにアリスト君に厳しいんです?」

 同級生のアリストはともかく何の罪もないアリスのフォローはしておくべきだろうと、フートやムースがエラフィに突っ込みを入れる。

 まるで別々の人間として違いをそれぞれ詳しく挙げ連ねるのを聞くのは、その二人が紛れもない同一人物であると知っているギネカとしては少々居心地が悪かった。

 何か別の話題はないか探そうとしたところで、視線が対面に座っていた少年の包帯に吸い寄せられる。

「あれ? ヴェイツェ、その腕どうしたの?」

「ああ、これ。昨日ちょっとドジっちゃって」

「珍しいわね……フートやギネカ程じゃなくても、あんた運動神経抜群じゃない?」

 エラフィが目を瞬かせる。この中では彼女が一番、ヴェイツェと仲が良いはずだ。ただし二人とも独特のペースをお互いに守っているので、休日まで一緒に行動するのは稀だという。

「たまにはそう言う日もあるだろ」

 フォローを入れたフートに対し、エラフィがすかさず茶化してくる。

「まぁ、時々フートが何やったらそういうことになんの? って変な怪我をしてるのに比べたらマシだけど」

「この間どうして顔面に犬の足跡ついてたの?」

「聞くな。頼むから聞かないでくれ」

 彼女の突っ込みは場を盛り上げる意図云々よりは、単純に思ったことはなんでも言わずにいられないだけだ。フートも真面目に答える気はなく、些か大袈裟な素振りで首を振っている。

 そんな二人を放ってこれまたマイペースに彼らに馴染んできた転校生が、何処か夢見る様子で口を開く。

「でも遺跡探索かぁ。私も行きたかったです。歴史好きの血が騒ぎますよ」

「次はランシェット君も行きましょうよ」

「でも残念ながら、銀行強盗は嫌いで。小市民として肝が冷えますよ」

「だから俺らも好きで強盗に巻き込まれたわけじゃねーから!」


 そして、今日も日常は続く。

 たくさんの偽りを、極自然な顔で日々のあちこちに溶け込ませながら。



 第2章 了.




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