6.アリスの冒険
..031
幽霊退治の選択が消えた以上、彼らの目的は一つに絞られる。
「お宝探し!」
「きんぎんざいほう見つけるぞ!」
子どもたちはリュックサックを背負い直すと、気合十分に歩き出す。彼らの心はすでにまだ見ぬお宝へと飛んでいた。
しかしここで一つ、あまりにも根本的な疑問が浮かび上がる。
「そう言えば、遺跡ってお宝を見つけても勝手に持ち帰っていいの?」
「どうなんでしょう?」
「それは――」
口を挟もうとしたフートを知らず遮って、アリスの台詞が続く。
「基本的には、落し物扱いらしいよ?」
「落し物? お宝なのにか?」
「ああ」
アリスは不満そうなネスルに頷くと、更に詳しい説明を加える。
「遺跡の出土品は、誰のものかわからない。だから落し物として扱われる。そして落し物は、勝手に持ち帰ってはいけない」
「出土品のことは知らないけれど、道端の落し物やゴミ捨て場のゴミを持ち帰って自分のものにする行為は遺失物等横領罪、占有離脱物横領罪になるわね」
シャトンが補足する。
遺失物や漂流物等、所持者の占有を離れた品――誰のものかわからない拾い物を自分のものにしてしまう行為は、横領罪の一種なのだ。
「い、いしつぶ……せんゆ……」
「じゃあ、もしここでお宝を発見したら交番に届けるの?」
「そうだよ」
「「「ええー?!」」」
子どもたちから不満の声が上がる。
アリスの説明の後を引き取って、今度はテラスが埋蔵品を届け出る具体的な手続きの話を始める。
「ただし、発見した遺跡の埋蔵品を遺失物法に基づいて警察署に届け出ても、警察も何がなんだかよくわからない土くれだらけの埋蔵品を預かってはくれないよ」
「……交番で財布の落し物の隣に土偶だの埴輪だの並んでいても困る」
シュールな光景を想像したのか、フォリーが淡々とツッコミをいれる。
「そう。だから、『埋蔵物発見届』という書類を提出するんだ。これを出すと遺失物を届け出たという扱いになる」
「その後はどうなるんですか?」
「普通の落し物と同じように、持ち主が現れるのを一定期間待つよ」
「でも落とした財布じゃあるまいし、埋蔵品の持ち主が現れるとは思えないのですけど」
「そう言う場合は、町の帰属物になるそうだよ?」
「?」
「国の機関が発見した場合はその機関のもの。そうでない場合は、例えばこの帝国内なら、エメラルドならエメラルド、隣県のアラヴァストロならアラヴァストロのものになるってことだな?」
「そういうこと」
アリスの解釈にテラスも頷く。
「じゃあ結局お宝は手に入らないのか?」
「そうなるね」
「そんな~」
財宝発掘だとはりきっていたネスルが途端にがっかりと肩を落とす。
「まぁまぁ、いいじゃないですかネスル君」
「お宝見つけるだけでも夢があるじゃない!」
ローロとカナールの二人は財宝そのものよりも探索や発掘そのものが楽しいらしく、落ち込むネスルを宥めにかかる。
「その後のことになるけど、学術上の整理のために博物館や埋蔵文化財センターなんかが埋蔵品を預かることが認められているよ。出土文化財保管証を施設の責任者が、県の教育委員会に提出するんだってさ。警察にもさっきの埋蔵物発見届とこれの写しを一緒に提出」
「なるほど。基本的に遺失物として警察に届けられた埋蔵品はその後、教育委員会が調査・認定をこなすってわけだな」
「ちなみに、所有者がいた場合は?」
シャトンの問いにも、テラスは淀みなく答える。
「証明は大変だろうけど、基本的には所有者のものになるみたい。代々伝わる土地の先祖伝来の埋蔵金とか。発見者にも権利が発生する」
「「「おお!」」」
「……ただ、そういった品は文化財認定されることもあるから、その場合にはすんなり土地の所有者のものにはならないって」
「「「ええー」」」
帰ったら早速先祖伝来の土地を掘り返そうとでもいった顔の子どもたちが、その言葉に今度は三人揃ってがっくり肩を落とす。
「ま、人生そんなにうまくはいかないわよね」
シャトンの一言が、テラスの説明に一喜一憂していた子どもたちの心情を端的にまとめた。
博識な年長者としての出番をすっかり奪われた高等部生組は力なく笑う。
「……ひょっとしてこれ、俺たちいらなくね?」
「正直俺より凄い」
へらりと笑み崩れるフートと、真剣に関心するレント。呆気にとられたムースと、子どもらしくない子どもたちに胡乱な目を向けるギネカ。
「あ、その、ヴァイス先生が教えてくれたんだ!」
疑惑と感心の入り混じる注目に気づき、アリスは慌ててそれらのトリビアを相手の年齢構わず入れ知恵しそうな変人講師の名を出す。
ジグラード学院においてヴァイス=ルイツァーリの名はもはや御老公の印籠である。主に悪い意味で。
「前日にお宝探しをするって聞いてたから調べたんだよ」
小等部一年生とも思えぬ優等生的答を返したのはテラスだ。ジグラード学院は確かに帝都最高学府だが、それは主に高等部以上の話。
小等部に通う生徒たちは基本的には普通の小学生である。ジグラード学院の小等部に有名進学校のような受験制度は存在しない。
……はずなのだが、どうにもテラスの頭の良さは一般的な子どものレベルを超越しているように周囲には見える。
「その割にはしっかり頭に入っててすごいな。っていうかお前ら、本当に小等部かよ」
レントの発言に、思わずぎくりとするアリスとシャトン。しかしその発言に、より強く反応したのは他の子どもたちだった。
「あ、ひどーい。テラス君は本当に頭がいいだけなのに!」
「え? いや、そんなつもりじゃ……」
普通なら異質な存在として周囲から疑問を持たれそうなアリスやシャトンの言動も、彼らと同じレベルで話ができるテラスのおかげでそれほど不審がられない。
そしてアリスたちに関してはともかく、テラスは身元がはっきりしている正真正銘の子どもなので過去の実績やこれまでの人間関係から話を広げることができる。
「学校でもたびたび驚かれますけれど、テラス君はいつもこうですよ。先生たちも知らないようなことをいっぱい知っているんです」
「なぁ、そう言えばさ、ここ何年か噂になってた、ポピー区ですごく頭のいい奴がいるっての、テラスのことじゃね?」
ネスルによると、彼らと同じくらいの年頃でとても賢い幼児がいると、幼稚園や保育園の近い一定の区域ではすでにここ数年で噂が広まっていたらしい。
公園や道で困っている人がいたら、すぐに解決法を見出して教えてくれる不思議な子どもがいるとの噂だった。
「あ、それなら私も聞いたことあるかも……確か、その子の父親が」
噂の内容を聞いて、ギネカが心当たりに思い至ったという顔になる。
「うん。僕のお父さんが刑事だから、困ってる人を見かけたら助けてあげる人になりなさいってよく言われてるんだ」
「モンストルム君って言ってたよね? モンストルムって」
朝方ヴェルムにもしたのと同じ説明をテラスは繰り返した。
「うん。怪人マッドハッター専任、コルウス=モンストルム警部だよ」
「!」
テラスの言葉に、フートが反応する。
「やっぱり! だからあの時に見かけ……」
「あの時?」
突然大声を出したフートに、皆が一斉に不思議そうな顔を向ける。
「あ、いやその……」
思わぬ注目を集めてしまい言葉に詰まるフートの鳩尾に、隣を歩くムースの肘が鋭く突き刺さった。
「ごふっ!!」
「あ、ごめんフート! ここ道狭いからぶつかっちゃって!」
「ムース、ここの横幅、大人三人が並んで歩けるわよ?」
「今完全にいい位置に全力でいれたよな?」
また幼馴染コンビが何か始めた、とギネカとレントは慣れた様子でツッコミを入れる。このノリに慣れていないカナールたちは目を丸くしていた。
そうこうするうちに、遺跡の一階部分の廊下も随分歩いた。
そろそろこの廊下が終わり、正面に何かの部屋の扉が見えるというところでそれは起きた。
「みんな、それより前を見ないと危な――」
ガコン。
言いかけた当人であるレントが壁に手を突いた際、何かの仕掛けが動くような音がした。
「え?」
「へ?」
彼らが歩いていた廊下の、足元の床が抜け落ちる。後ろをのんびり歩いていた高等部生組は何とか免れたが、意気揚々と一歩を踏み出していた子どもたちは引き返せない距離だ。
「きゃー!」
「うわぁああああ!」
「みんな! 大丈……夫?」
悲鳴を上げて落下していく子どもたち。
青褪めて穴の縁に駆けつけ、すぐさま下を覗き込んだギネカの言葉が中途で止まる。
「あ、なんだ一階分落ちただけか」
最悪の可能性を裏切って、意外と近くに姿が見えていたアリスたちを確認しフートがほっと息を吐いた。
落とし穴は、一階下の通路に落とすだけのものだったらしい。
「ご丁寧にスイッチがあるってことは、ショートカットを兼ねてたのかもな」
「遺跡の機構を知っている人間にしか使いこなせない仕組みね」
フートとギネカはさっそくスイッチ周辺を調べてそう結論付ける。先程抜けたと思った床は穴の両脇に垂れ下がり、穴の横の壁に隠されていた仕掛けを動かすと元通りの通路へと戻った。
子どもたちを引き上げようと、梯子などが収納されていないか探してみるがどうやらそういったものはないらしい。
「ショートカットがあるってことは結構深いよな」
「もしかしたら下の階にもあるのかも」
「上るのが大変そうですね……」
結局梯子を見つけられなかった高等部生組は、下の階に落ちた子どもたちへ呼びかける。
穴、もとい一フロアの高さは彼らのような高等部生組だったら肩車でなんとかよじ登れそうだが、小等部一年生には無理だ。
「みんなー! 大丈夫ー?」
「大丈夫!」
「全員無事だよー!」
埃を払って起き上がり、手早く全員の無事を確認したアリスとテラスが報告する。幸か不幸かやんちゃな子どもたちなので、遺跡の落とし穴に落ちたくらいで驚いて泣き出したりはしない。
「どうしよう? 私たちも降ります?」
ここで子どもたちと別れて行動するのは危険ではないかと、ムースが提案する。それをギネカが否定した。
「でももしも下の階から上がってくる手段がないとしたら、引き上げる人間が必要じゃない? フートやレントが下に行っちゃったら、ヴァイス先生たちが来るまで皆を引き上げることができないわよ」
「そうですね……」
下の階から無事に上の階に戻れる手段が見つかればいいば、そうでない最悪の場合について考えてみる。探索道具としてロープを持ってきている人間が多いので子どもたちを引き上げること自体は可能だが、女性の力では難しい。
「でも、じゃあ子どもたちだけで行かせるのか?」
「私たちが降りてもいいけど……」
それでもヴァイスから面倒を頼まれた以上はきちんと目視できる距離で同行するべきではないかと、高等部生組は頭を悩ませる。
「大丈夫! 俺たちは俺たちで上に上がる階段探すから!」
「アリス君」
迷っている高等部生たちよりも、小等部生組の決断の方が早かった。彼らはさっさと行動予定を組み、動き出そうとしている。
「もし、どうしても駄目そうだったらロープで引き上げて欲しいな。探索時間を決めて時間になったらもう一度ここに集合するのはどう?」
「そうだな。テラス君の言うとおりにしようか」
ここで慌てているだけのレントやムースよりも、アリスやテラス、シャトンやフォリーたちの方がよほど落ち着いている。
カナール、ローロ、ネスルに関しても、最初の衝撃さえ去ればいよいよ探索が始まったとわくわくしているようだ。タフな子どもたちである。
――結局、アリスやテラスの発案通りにすることになった。
高等部生組は現在地である一階から下に降りる正規のルートを探し、小等部生組は地下一階を回って昇り階段を目指す。
「じゃあ何も見つからなかったら、十二時にはここに集合ってことで!」
「「「はーい」」」
良い子の返事は出発の合図。なし崩しに探索が始まった。
..032
「おい! みんな大丈夫か?!」
一階通路の途中にぽっかりと口を開けた落とし穴。アリスは咄嗟にすぐ隣にいたカナールを抱き寄せて着地した。
シャトンはさすがに危なげなく着地し、テラスもフォリーとお互いを庇いながらなんとか無事に床に降り立つ。
ネスルとローロはべちゃっと音がしそうな落ち方だったが、幸いにもそれほどの高さではないし、柔らかな子どもの体はほとんどダメージを受けなかったようだ。
「いたた……どうしたんですか? これ」
「何の罠だよ!」
「落とし穴に引っかかったみたいね」
七人が周囲を見回してみればここも上と同じような通路の途中だった。
「どこかに閉じ込められたわけでもなさそうだし、これなら大丈夫そうだ」
「そうね」
アリスとシャトンはすぐさま全員の無事を確認して目配せし合う。こういった場合は自分と同じ立場で物を見れる同士の存在が心強い。
「あ、アリスちゃん……」
「あ、ごめん。もう一人で歩けるよな」
アリスはカナールを立たせると、天井の穴を見上げる。落とし穴に落ちたのは子どもたちだけで、フートたち四人はまだ上にいるようだ。
「大丈夫か?!」
心配した高等部生たちが顔を出す。上で調べた彼らの話によれば、これは落とし穴の罠というよりも階下へ行くためのショートカットだろうということだった。
「これがショートカットならさ」
「出口、上下階層への移動手段も当然確保されているはずよね」
テラスやシャトンが周辺を探り出す。恐らく上でも高等部生たちが同じ行動をとっているだろう。
ただしすでに仕掛けを動かしてしまった高等部生たちと違って、彼らはこれ以上下に落ちる訳にはいかない。
「仕組み的に下に落ちる機構は一方通行らしいってことは、上に昇る階段もどこかにありそうだ」
主にアリス、シャトン、テラスの三人で話し合っていると、上階の高等部生たちの方でも話が進んだようだ。
自分たちも降りるかという高等部生に、アリスは待ったをかけた。
「大丈夫! 俺たちは俺たちで上に上がる階段探すから!」
「アリス君」
幸いにも落ちたのは子どもたちだけなので、この高さならいざとなれば上の四人が頑張ってくれれば全員引き揚げることはできるだろう。上階にいる人数は減らさない方がいい。テラスやシャトンも同じ考えだ。
それに、まだ上に戻る手段がないと諦めたわけでもない。彼らの目的はもともとこの遺跡の探索だ。
テラスが頷いて、一つ提案する。
「もし、どうしても駄目そうだったらロープで引き上げて欲しいな。探索時間を決めて時間になったらもう一度ここに集合するのはどう?」
◆◆◆◆◆
アリスたち七人は落ちてきた場所をじっくり調べて、付近に上に昇る隠し階段などがないのを確認する。
「んじゃま、ひとまずこの階を全部回ってみようか」
腰に手を当てて気合いを入れ直し、アリスは当面の目標を立てた。テラスとシャトンの二人が頷いた。
「そうだね。元々探索目的なんだから」
「簡単な地図でも作りながら行くのはどうかしら?」
「いいな、それ」
こういった場で主導権を握る人間は大体決まっている。主にアリスとテラスの話し合いで、これからの方針がさくさくと決められていった。
「アリス君もテラス君も本当頼りになるねー」
「そ、それ程でもないよ」
しかし、気をつけないとやりすぎてしまう。自分は今十七歳の「アリスト」ではなく、幼く無知で無力な子ども「アリス」のはずなのだ。
普段ならともかく、非常事態ともなるとつい素の自分が出てしまってアリスは大いに狼狽した。カナールの純真無垢な眼差しが痛い。
「なんだよ。アリスばっかり」
「……」
そしてアリスの事情を知るはずもない本物の子どもたちは、比較しなくてもいい部分で自分たちとアリスを比較して拗ねるのだ。
「いや、あの、その」
落ち込むネスルとローロには、テラスがフォローを入れた。
「ふふ。僕らだって君たちを頼りにしてるよ。僕たちでどうしようもないことがあったら助けてね」
「おう、任せろ!」
「任せてください」
子どもは単純だ。単純なばかりではないが、大人より心が柔軟なのは間違いない。
本物の子どもでありながらそれさえ見越したようなテラスの態度には、アリスも頭が下がりっぱなしだ。
会話の隙間で場を纏めるように、フォリーの小さな声が響く。
「……みんなで頑張ればいい」
「そうだね! 一人一人の力は小さくても、みんなの力を合わせればいいんだ!」
カナールがそれに乗り、子どもたちは威勢よく天井に向けて腕を突き上げた。
「「おう!」」
様子を見ていたシャトンがこっそりと呟く。先程のフォリーよりもさらに小さな声だが、隣に立つアリスにだけは聞こえた。
「……子どもって単純ね」
「……可愛いだろ」
シャトンとアリスはその元気に押され気味だ。
――とまれかくまれ、探索は始まる。
「いろんな部屋があるー」
七人は遺跡の地下一階を見て回った。
好奇心旺盛な子どもたちばかりで大変だが、いきなり何の警戒もせずに部屋に入るのはやめておけと、それだけはアリスとシャトンが懇々と言い聞かせた。
テラスも説得を手伝い、七人は地味な安全確認を繰り返しながらひたすら遺跡内部の構造を確認していく。
彼らが持ってきた道具の幾つかも役に立った。壁の隙間の奥を見るためのライトや高いところに昇るためのロープ、土を掘り返すためのシャベルなどが大活躍だ。
人の手と時の流れの両方に埋められた遺跡の秘密を、彼らは少しずつかき分けていく。
「この遺跡、鏡がいっぱいだなー」
「そりゃそうですよ、鏡遺跡なんですか」
「それもそうか!」
ミラーズ遺跡は鏡遺跡の通称で呼ばれるだけあって、廊下や部屋のあちこちに、様々な鏡があった。
今でも何処かで売っていそうな飾り気のないガラス板から、逆に装飾たっぷりの古代の王族が使うようなもの。あるいは廊下の隅に鎮座する大きな岩石の劈開面がそのまま磨いた鏡のようになっている物もある。
銀色の平面が映し出す、無限に反射する世界。
七人はまた一つの部屋に足を踏み入れる。そこは他の部屋以上に鏡で溢れた部屋だった。
「あれ? ねぇ、見て見て!」
「どうしたんですか? カナちゃん」
「この鏡不思議だよ! 私が片手をあげるともう片方の手をあげるの!」
「ええ?!」
「なんだよそれ?! か、鏡の中にカナの姿をした幽霊でもいるのか?!」
「やだー!」
「違うよ」
カナールが覗いている鏡は、彼女が右手を挙げると向かって左側の右手を挙げる。
しかし、普通の鏡は上下はそのまま映し出すが左右は反転される。正面に立った人物が右手を挙げた時、鏡の中の人物が挙げるのは向かって右側、つまり左手になるのだ。
ここの鏡は左右を反転せず、カナールの動きをそのままトレースしたように映し出す。
それが不思議だおかしいと、カナール、ローロ、ネスルの三人が俄かに騒ぎ出したところでテラスが解説を始めた。
「それは正映鏡、リバーサルミラーと言って、二枚の鏡を直角に配置することによって入射した光が二回反射するんだ。そうして他人から見えている自分の姿を見ることができるようにした鏡なんだよ」
「ほ、ほえ?」
「僕らが普通の鏡で見ている自分の姿は、左右が反転した姿」
「え、ええと」
テラスの説明が難しいと、三人は必死で言葉を噛み砕こうと努力する。
彼らが注目している鏡は確かに一枚の鏡に見せかけて、実は奥行の中で二枚の鏡が合わさったものだ。
「じゃあこれが本当の私の姿なんだね」
「俺もっと男前だぞ」
「あはは。もう何言ってるんですかネスルくん」
仕組みがわかってしまえばもう怖くもなんともないと、三人は興味津々であちこち体を動かしながら鏡を見ていた。
「アリスちゃんはわかりやすいよね。目の下のほくろの位置が違うもん」
「あ、ああ。そうだな」
アリスは鏡を覗きこむ。
「本当の、姿……」
金髪に泣きぼくろの、小さな子どもが映っている。
「どうしたの?」
「なんかお前ら元気ねーぞ」
アリスとシャトンの顔が曇っているのに気付いて、子どもたちが次々に心配そうに声をかけてくる。
「え……そんなことないよ」
「大丈夫よ」
事情はまったくわからないながらも、子どもたちは仲間の変化に敏感だった。
「そうですか? でも顔色悪いですよ」
「早く上に戻ろう!」
「この次の部屋が最後だから、そこにきっと昇り階段があるはずだよ」
テラスが道を指示し、カナール、ローロ、ネスルの三人は次の部屋の扉を開けるために駆け出していく。
テラスとフォリーがその後をついて行き、アリスとシャトンの二人だけが、ミラーハウスのようなその部屋にぽつんと残される。
「アリス」
「こんなに鏡があるとやっぱり憂鬱になるもんだな」
呼びかけるシャトンに、アリスは細い溜息と共に返した。
無数の鏡があってもそれはどれ一つとして真実を映してはくれない。
ここにいるのはただの小さく無力な子どもだと囁きかけるようだ。
「……」
シャトンにかけられる言葉はない。
鏡が映しだすのは、真実よりも確かに今この場にある、ままならない現実だ。
「二人とも行くよー」
「ああ!」
わざわざ戻って彼らを呼びに来たカナールの声に応え、アリスとシャトンは子どもたちの後を追った。
..033
ヴェルムとヴァイスは、公園の敷地内に併設されている遺跡の管理事務所を訪れた。
観光地であり重要文化財の一つでもある遺跡なので、当然管理人が常に置かれている。博物館の隣にひっそりと建っている小さな小屋としか言いようのないプレハブが、この遺跡の管理事務所だ。
「――それで」
今回の依頼人と顔を合わせたヴェルムは、素っ気ない事務机の上に出されたお茶を手に取った。一通りお決まりの挨拶をやりとりした後、すぐに本題に入る。
「公園で夜毎不審な事が起こるので調べてもらいたいというお話でしたが……」
「ええ、そうなんです!」
公園管理人の一人が勢いよく頷いた。
この遺跡管理事務所に常駐する管理人の人数は常に二人。基本的にどちらかが事務所に詰めている間はもう一人が園内の点検・見回りにでているという。
遺跡だけでも相当な大きさだが、その周辺の緑地まで含めば相当な敷地面積の公園になる。更に、博物館には博物館の管理人がまた別にいるという。
今日はヴェルムに依頼をしたということで、公園管理の二人が揃って彼らを待っていたらしい。
「私らもう不安で不安で、遺跡の祟りではないかと」
数々の怪奇現象を目撃して心身ともに弱っているらしく、居並ぶ二人の管理人はどちらも顔色が悪い。
「祟りねぇ」
ヴァイスがふんと鼻を鳴らす。
「今のところそんな気配はまったくないな。幽霊も呪いも、この遺跡には存在しない」
魔導による探査でとっくにこの周辺の気配を探っていたヴァイスにとっては、幽霊に怯える人々の姿は滑稽なだけだ。
「どうせ誰か侵入者が入り込んだのを見落としているのだろう。もしくは遺跡に幽霊が出るなどと噂を流して観光客の増加を狙う自作自演か」
「な、何をいきなり失礼な! エールーカ探偵、この人は何なんです?!」
「あー、気にしないでください。ただの霊媒師ですから」
「霊媒師?!」
幽霊騒動の解決を依頼したとはいえ、いきなり飛び出した胡散臭い単語に管理人たちはひっくり返った声をあげる。
「おい、いつから私が霊媒師になった」
「うるせー。お前の肩書は長いは多いは説明すんのが面倒なんだよ。幽霊探知が主な役目なのは事実だろうが。ちょっと黙ってろ」
実際、普通の調査ならば探偵一人で十分である。白騎士の力を借りるのは、それが魔導や霊魂と言った特殊な領域に関わる犯罪の時だけだ。
魔導の才のないヴェルムと魔導学者であるヴァイスの関係はその時だけ探偵役と助手役が逆転する。
ヴァイスが今回幽霊を感知しなかったということで、彼の役目はすでに半分以上終わったようなものだ。あとは探偵であるヴェルムの仕事である。
「とりあえず詳細を聞かせてください。幽霊騒動が起き始めたのはいつですか?」
「せ、先週の終わりだったと思います。確か土曜日」
「ちょうど一週間ですね。……確かあの頃はまだ、遺跡の未到達階層発見の話題は出ていませんでした」
「そういえば、先週土曜の話題はこの近くで起きた銀行強盗くらいのものだったな」
常に事件を求めている探偵が身近にいるせいで、ルイツァーリ宅のテレビはニュース視聴時間がかなり長い。先週は死亡者まで出た銀行強盗の話題でヴァイスとアリス、シャトンの三人はあれこれ喋っていた気がする。
「あの頃はまだ遺跡のニュースは見たことがありませんでした」
「遺跡のことが話題になりはじめたのは、その次の日曜日にトレジャーハンターの一人が新階層を発見してからです。発見が日曜で、話題に昇ったのは月曜にニュースで流れてからだったと思います」
「ふむ。……確かにそのようだ」
管理人たちに話を聞く一方、ヴァイスは簡単にネット検索して裏をとる。
「ここ数日そのことでばたばたしていて、客数も増えましたし、幽霊に関して私らでできることが何もありませんでした」
「まぁ、時間があってもいきなり周囲で心霊現象じみたことが起きて機械的に冷静に解決できる人間は限られますよ。あまりお気になさらず」
エメラルドのジョーカーはナイフのような笑みを浮かべる。一歩間違えば不謹慎と罵られかねない、それは事件を待ち望む探偵という獣の笑みだ。
「――僕のような探偵は、そのためにいますので」
◆◆◆◆◆
一通り話を聞いた後、ヴェルムとヴァイスは管理人の一人と一緒に事務所を出た。心霊現象を目撃した現場を直接調べるためだ。
遺跡を囲む林部分を歩きながら、探偵は持参した白手袋をはめる。
ヴァイスが幽霊を感知しなかった以上、相手は十中八九生きた人間だ。それならばどこかに確実に痕跡を残しているはず。
「あそこです」
「人魂を見たという?」
「ええ。こう、あの枝ぐらいの高さに小さな赤い光がふらふらと」
「……」
暗闇の中で燃えている人魂。誰もいないのに聞こえるという話声。
「おい、ヴェルム。ここから見るあの高さ、そしてこの森……」
「ああ。ちょっと行ってくる。そこに立っててくれ」
ヴェルムは恐れ気もなくさくさく歩き出すと、管理人の一人が人魂を目撃したという場所の地面に屈みこむ。
「やはりな」
「え?」
「気づかないか? 今ヴェルムがあそこに立っていたその高さ。あんたが人魂を見たというのはあの頭くらいの高さじゃなかったか?」
「! そう言えば……!」
ヴァイスの指摘に、管理人はその時のことを必死に思い出して頷く。
屈みこんで地面を探していたヴェルムが声を上げた。
「あったぞ!」
その手に握られていたものは、落ち葉に埋もれるように捨てられていた煙草の吸殻だった。
「おそらくあなたが目撃したのは、この煙草の火だったのでしょう」
「それじゃあ」
「ええ。やはり、この遺跡には誰かが侵入している」
幽霊が出たと考えるよりも自然なことだった。だが問題は、それが誰か? 何のためにこの遺跡の敷地内に侵入したのか? ということだ。
ヴァイスが管理人に確認する。
「人魂の目撃証言は確かもう一つあったな」
「ええ。もう一人は別の場所ですが、もっと低い位置で黄色や白っぽい光を見たって。動きも大層素早いらしく」
「それは恐らく、懐中電灯の明かりでしょう」
「懐中電灯……?!」
「夜の林を歩くには灯りが必要です」
話を聞いた時点で大体推察できたことでもある。幽霊の正体見たり枯れ尾花とはよく言ったもの、この世のものとも思えない現象の大半は、意外と身近なものでできている。
「だが……この辺りで煙草を吸っていた人間がいると言うのなら」
「ああ。灯りも持たずにちょっと一服しに出ただけなら、この近くに何かあるはず。それは恐らく」
「あの遺跡に繋がる何か、だな」
ヴァイスとヴェルムは揃って遺跡の方を見つめた。あの中では今、アリスとシャトンを始めとする子どもたち、更にはヴァイスの生徒である高等部生たちが探索を行っているはず。
古代の遺跡に隠された通路があるのはお約束だ。特にこんな周辺の森林を遺跡の敷地としてしっかり確保しているような構造の場合、隠し通路の出入り口と繋がっていると見てまず間違いないだろう。
場合によっては、アリスたちの探索結果が事態を打開する鍵になるかもしれない。
「だが、気をつけろよヴェルム。こんな一般公開されている遺跡にわざわざ忍びこんで潜伏しているような奴ら、絶対ろくなもんじゃないぞ」
「ああ……」
せいぜい地元の不良が肝試し感覚で忍び込んだ程度ならいいがと思案しながら、ヴェルムたちは更に周辺を捜索する。
だが、嫌な予感は現実になった。
「ヴァイス、見ろよこれ」
今は使われていない井戸の木蓋を染める大きな黒い染み。
こんなデザインだったかなぁと管理人は首を傾げ、ヴァイスとヴェルムの二人は顔を顰める。
木蓋自体の傷み具合に比べ、その黒い染みだけはまだ風雨に晒された気配もなく新しい。
険しい顔つきになった二人の様子に気づき、管理人が恐る恐る尋ねて来る。
「あの……なんです、それ」
「血痕です」
「け……血痕?!」
乾いたどす黒い染みは、最近ついたものだろう。
「開けるか?」
「……嫌な予感しかしないのだが」
蓋の周囲についた土や泥の痕、踏みにじられた落ち葉の様子から察するに、新しい血痕を残す井戸の蓋は、最近誰かに開けられたようだった。
もちろん公園と遺跡の管理人たちがこの使われていない井戸をわざわざ開ける理由などない。
決定的なものを見てしまう前にと、ヴァイスが渋い顔で口を開く。
「どうやら思った以上にヤバい奴らが潜んでいるようだ。子どもたちを先に帰らせた方が――」
その時、銃声が響いた。
..034
アリスたちが階段を昇りきると、ちょうどやってきた高等部生組と合流した。小等部組が地下一階を調べ終えたように、高等部組は一階フロアの探索も終わり下に降りるつもりだったらしい。
「あ!」
「お前ら無事だったか」
レントがネスルやローロの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。ムースやギネカも全員の様子を眺めて怪我のないことを確認し、ほっとした顔になった。
「下はどうだった?」
「面白かったよ」
フートがテラスに尋ねると、にっこりと満面の笑みが返ってきた。小等部生に笑みを向けられて、何故かフートは顔を朱くする。
幸か不幸かそれを誰かが指摘する前に、カナールたちの補足が入った。彼女はアリスの背中に抱きつきながら、彼とテラスの顔を見比べ興奮気味に報告する。
「アリスちゃんとテラスくんがすごいの! 難しい仕掛けを二人でどんどん解いていくんだよ!」
「シャトンさんもですよ。この三人のおかげで出口がわかったんです」
「そんなことないわ。あなたたちが率先して仕掛けを動かしてくれたから、ゆっくり考えることができたのよ」
ローロが背後のシャトンを振り返りながら言うのに、シャトンも自然な微笑を口元に浮かべながら返した。
何気なくその様子を眺めていたアリスは、今日ここに来て良かったと思った。
遺跡の探索を通じ、お互いの性格や役割を多少なりと掴んだことで、シャトンも少しずつ子どもたちと打ち解けられた様子だ。
誘いに来てくれたカナールたちには感謝せねばならない。
「フートお兄さんたちの方はどうだった?」
「俺たちもまぁそこそこ。一応全部屋回ったけど、このフロアには目ぼしい物はなさそうだってことだけ」
「地下へのショートカットがあちこちにあるのを把握したのが収穫って感じだね」
それぞれ調べたフロアの地図を描いているということで、小休憩と情報の摺合せのために、一度遺跡の入り口に戻ることになった。
「そろそろお昼にしましょうか」
外を見れば太陽が高く昇り昼を回っている。元気に動き回っていた子どもたちも、育ち盛りの高等部生たちも、空腹を感じ始める頃だ。
「やったぁ」
それぞれ持参した昼食を広げ始めると、途端に探索というよりピクニックめいた雰囲気になる。
カナール、ネスル、ローロの三人は前日から準備をしていたというだけあって、親の手作り弁当を持参だ。テラスとフォリーも今日いきなり話を聞かされた割には意外とちゃんとした弁当を持ってきており、コンビニ食を侘しく食むのはアリスとシャトンだけである。
高等部生たちは全員が事前準備をしていたが、元々学院での昼食も購買で済ませる組が多いために、ほとんどがその辺で買ったものである。
「弁当とか懐かしいよなー、ほんと」
「ふふ」
和気藹々と食べるカナールたちを眺めて、フートやギネカが懐かしそうに微笑んだ。
「お兄さんもいる?」
「お? くれるの? ありがとな。んじゃ、このサンドイッチはそっちのみんなで分けてくれ」
「ありがとー」
なんだかんだでおかずやパンを交換し合い、和やかな様子で昼食は進む。
食後にまったりと一休みしているところに、遺跡の中から足音が聞こえてきた。
「お、お前らもお宝探しか?」
無精髭を生やしたくましい筋肉を持った中年の男が子どもたちに声をかけてくる。迷彩柄のズボンを穿き、丈夫なリュックを担いだ姿はいかにもなトレジャーハンターだ。
「おじさんも?」
「ああ」
「トレジャーハントに来る人って結構多いんですね!」
男は豪快に笑い、一番近くにいたネスルの頭をがしがしと撫でる。
近くにいたフートたち高等部生組に声をかけ、彼らが子どもたちの保護者代わりだと知って安心した顔になった。
陽気な男は同じ遺跡を探索しようとする子どもたちに気さくに話しかける。弁当を広げた子どもたちの横で食事をとりながら、まるで遠足だなと笑う。
人懐こいカナールやローロ、ネスルたちも本職のトレジャーハンターを前に、きらきらとした目で話を求めた。テラスやフォリーはそれを慣れた様子で見守っている。
「そかそか。お前らもあの特番を見てここの遺跡に来たのか」
「そうだぜ! 遺跡のお宝は俺たちが探し出す!」
「こりゃ、手強いライバルがいっぱいだなぁ」
「私たち、負けないからね!」
「ははは」
一頻り話をしたところで、彼らと同じく休憩をとった男は再び探索のために遺跡へ潜ろうとした。
「じゃ、俺はもうひとっ走り――」
しかし、それは急にばたばたと聞こえてきた大勢の乱暴な足音に阻まれる。
「なんだ? 騒がし――」
振り返った男とアリスたちは、神殿部分の入り口にやってきた集団の姿を見て言葉を失った。
顔の隠れるマスクをつけた連中の手には、黒光りする拳銃が握られている。
ドン!
天井に向けて発砲された一発。轟く銃声に彼らは動きを止めた。
「なっ――!」
「全員手を挙げろ!」
強盗団はそう言って、今度は彼らに向けて銃を向ける。
◆◆◆◆◆
ヴァイスとヴェルムのもとへも、武装した二人組の男たちがやってきた。
このぐらいの人数なら拳銃を持っていても――そう考えるヴァイスの抵抗は、次の言葉によって封じられた。
「博物館と遺跡の中の連中は俺たちが抑えている。観念しろ」
「くそ……!」
ヴェルムが舌打ちする。先程の銃声で半ば予測していたが、公園内、遺跡内にいた人々は皆人質とされてしまったらしい。
血痕と、恐らくその血の主であろう井戸の中の死体を見つけた時から嫌な予感はしていた。
この連中は恐らく、先週からニュースになっている逃亡中の銀行強盗だ。かなりの人数と武装を擁する集団が、まだ捕まっていなかった――。
いくら逃亡中とはいえ、まさかこんな場所に潜伏しているとは思わなかった。
この時期、博物館の見学者は少ない。しかし遺跡内には他でもない自分たちが連れてきてしまった小さな子どもたちも大勢いるのだ。
「失敗したな。子どもたちを連れてくるんじゃなかった」
唇をほとんど動かさず、囁くようにヴェルムは言う。
「いや、大丈夫だ」
「ヴァイス」
顔見知りの子どもたちを案ずるヴェルムに対し、ヴァイスは強盗団に向けて表向き大人しく従う様子を見せながらもこっそりと囁く。
「私の生徒たちを舐めるな。黙ってやられるような連中じゃないぞ。あいつらならきっと――」
..035
「大人しくしてろ! 刃向かう奴は撃ち殺すぞ!」
「きゃああああ!」
拳銃を持った迷彩服の男たちが、彼らに銃を向ける。
「まさか、ニュースの――」
ギネカの低く抑えた囁きに、アリスもハッと気づいた。彼らは先週からニュースになっていた銀行強盗だ。確か武装した十人前後の集団で、今も逃走中だったはずだ。
どくりと音を立てる心臓を押さえながら、この場を占領した男たちの人数を確認する。……七人。
「フート、どうしようこれ」
「落ち着いて、ムース」
ムースがフートに縋りつく。と、見せかけて彼女たちもアリスと同じように、お互い相手を支える振りで油断を誘いながら鋭い目つきで強盗たちの様子を窺っていた。
全員が拳銃を持っている強盗団を相手に、迂闊に動くことはできない。だが相手の武装の規模が割れて相手を分担できれば、彼らにも勝機はある。フートやギネカはそう計算しているだろう。
だがその時、トレジャーハンターの男が動いた。
「うぉおおおおお!」
「おじさん!」
ドン!
「うぎゃあああ!」
強盗の一人が躊躇う素振りも見せず発砲する!
トレジャーハンターは、脇腹から血を吹き出しながら倒れた。
「きゃああ!」
「おじさん!?」
子どもたちが悲鳴を上げる中、撃たれた男のもとにギネカとムースがすかさず駆け寄った。痛みにのたうつ体を抑え込み、傷口を縛り上げて応急処置を施す。
「くそっ……!」
フートは小さく舌打ちする。
怪我人という人質ができてしまったことで、彼らだけでこの場をなんとか処理するのは難しくなってしまった。
男の行動は勇気あるものだが、結果的に足手まといが増えたとも言える。ただ、トレジャーハンターにああいう行動を起こさせたのは、こちらが子ども連れで余計な心配をかけたせいかも知れない。
レントがこっそりと囁くようにフートに問いかける。
「フートでも、あいつらを倒すのは厳しい?」
「怪我人と子どもたち抱えてちゃきついな」
怪我をしたトレジャーハンターがおらずとも、小等部の小さな子どもたちが七人もいるのだ。レントとムースも戦闘員としての実力は然程期待できない。
下手に抵抗して失敗したら、今のように余計に事態が悪化する危険がある。相手が人質に向けて躊躇なく発砲する連中だとわかったのは一つの収穫だ。
「ギネカ」
「死にはしないと思うわ」
魔導を使えるギネカが男の傷を塞ごうと治癒を試みるが、学院のひよっこ魔導師ができる程度の治癒術の効果など限られている。今は剣と魔法の時代ではないのだ。
ギネカの手元を見て魔導だと気づかれることがないよう、レントとムースがさりげなく彼女と男の傷口を隠すように立つ。フートは強盗たちへの警戒を怠らない。
「せめて、ヴァイス先生たちが気づいてくれれば……!」
「駄目。どっちにしろ私たちの存在自体が先生たちにとっても人質と成りうる」
「そんな……!」
一方、高等部組四人がこっそりと会話を交わしている間、小等部組もお互いに状況を確認し合っていた。
「あ、アリスちゃん。どうしよう……!」
カナールが隣のアリスにしがみつく。アリスは青褪める少女をそっと支えながら、眉を潜めた。
シャトンが小さく呟く。
「まずいわね」
「ああ。俺たちの存在が、フートたちの足枷になっている」
フートとギネカの二人が揃っているなら、強盗犯七人程度なら魔導と格闘で倒すことは可能だ。だがいくら彼らでも、子どもたちと怪我人を庇いながら戦うのは難しい。
今のアリスは肉体上は無力な子どもであり、戦力には数えられない。
自分の無力さに歯噛みしながら、アリスは相棒に尋ねる。
「シャトンの魔術はどうだ?」
「無理よ。こんな狭い空間で、そんな緻密な術をこの体では制御できないわ。簡単な防壁くらいなら張れるけれど」
頼みの綱のシャトンも、体が幼くなったせいで制御に自信がないという。
「……せめて僕たちだけでも、この場から離れるようにしよう」
「テラス」
それまで黙って話を聞いていたテラスが口を開く。
「何言ってるんだよお前」
「みんなを置いて逃げるって言うんですか?」
ネスルとローロが、子どもらしい正義感からテラスの言い分を非難する。しかしテラスは退かなかった。この緊急事態でも彼は冷静さを失っていない。
「僕らは足手まといなんだよ。僕らを庇いながらあの全員を倒すのはいくらフート=マルティウスでも無理だ」
「じゃあどうするの?」
カナールが不安げに問いかける。
「子どもだからパニックでも起こした振りをして、とにかく走ってあいつらから離れるしかないね」
「でも、相手は銃を持っているのよ? これだけの人数がいるなら一人くらい殺しても構わないと見て撃ってくるかもしれない」
短慮を起こしては逆に危険かもしれないと、慎重派のシャトンが警告する。撃つという言葉に反応して、子どもたちはさっと青褪めた。
「「ええ?!」」
「し! 静かに」
慌てて窘めるが少しばかり遅い。強盗たちから苛立たしげな怒声が飛んでくる。
「ガキ共! 何をこそこそと話しているんだ!」
「ひえっ」
「……くっ」
怯える振りでやり過ごすが、事態の解決は遠い。アリスとテラス、シャトンの三人は互いの目を見交わす。さてここからどうするべきか……。
ぽつりと、小さく鋭い声が、子どもたちの耳に届いた。
「遺跡の中。使えそうな仕掛けがいっぱいある」
「フォリーさん」
「それだ!」
フォリーの発言で閃き、アリスは子どもたちに指示を飛ばした。
「合図したら、全員遺跡の中に向かって走れ! さっきのショートカット部分までとにかく走るんだ!」
「アリス?!」
「俺が上で操作すればすぐに床を塞げるだろ? 大丈夫、あの穴、近くに自分が通るためのスペースあっただろ?」
高等部生組が見つけた仕掛けの一つだ。隠し通路の一つだが、人一人が通るので限界の狭さ。
「……走り出すなら、みんなが先に行って。私は一番後ろで魔導防壁を張るから、銃弾は気にしなくていいわ」
「シャトン」
それしか方法はないと、他の子どもたちも納得して頷いた。
「決まりだね。……任せたよ。アリス、シャトン」
「おう!」
「ええ」
そして、テラスが合図を口にし、子どもたちは次々に叫びだした。
「うわーん!」
「怖いよう!」
「撃たないでー!」
「な、なんだこのガキ共!」
突然走り出した子どもたちに対応できず、強盗たちはアリスたち七人を見送る。
「テラス君?! カナちゃん?!」
「待って! 駄目よ! あなたたち――」
外に出るのではなく遺跡の中に向かって無鉄砲に走り出したように見える子どもたちに焦ったのは、何も聞かされていない高等部生組だ。
「待て! あれは魔導防壁だ!」
「え?」
フートはシャトンが張った防壁を確認して、子どもたちを追いかけようとしたギネカを止めた。
魔術はその効果を目視できるようにする場合もあれば、魔導師以外の目には不可視とすることもできる。恐らく強盗たちにはわからないだろうが、魔導師であるフートにはシャトンが張った魔導防壁が見えている。
いくら比較的単純な術とはいえ、フートやギネカでも集中していなければ見逃してしまいそうな、恐ろしい程繊細な制御の魔導。七歳の子どもがあんな行動な魔導を使いこなすことも驚きだが、それ以上に気にかかるのは彼らの意図だ。
わざとらしい程に幼気な演技の影で、ジグラード学院小等部一年生組は何かを企んでいるらしい。
「あいつら、一体何をやろうってんだ――?」
子どもたちの賭けが始まる。
..036
無事に仕掛けを作動させ、隠し通路を通ってきたアリスは、ひとまずカナールとネスルと合流した。
「おい、お前ら危ないぞ! こんな階段の近くにいたんじゃすぐに奴らに見つかっちまう!」
「アリスちゃん! 無事だったんだね!」
「しかたねーだろ。お前が追い付いてくるか心配だったんだから」
隠れていろと言ったにも関わらずアリスを待っていた二人に、思わずため息が出る。呆れる程に単純で――善良な子どもたちだ。
「……シャトンたちは?」
ショートカットを使った分まだ距離があるとはいえ、追手を警戒して背後を確認しながらアリスは二人を連れて移動する。その間にここにいない面子に関しても話を聞いた。
「みんな一緒にいたら見つかりやすい、全滅するだけだから別れようってシャトンちゃんが」
「あいつらはもっと奥の方に行ったぜ」
「そうか……ばらばらに隠れる手筈か」
悪くはないが、それで無事に事態を打開できるとも思えない。
一人一人別れて逃げるならただのかくれんぼだ。かといって二人や三人集まっただけのこの状態で何ができるというわけでもない。
上で人質が減ったことで少しでもフートたちが動けるようになればいいのだが、あまり期待はできないだろう。
絶対的に力が足りない。
「俺たちが……いや、駄目だ」
アリスたちがわざと気配を消さず、遺跡に逃げ込んだ子どもたちを探しに来た追手を少しでも長く引きつけておければ上のフートたちのやりやすさは段違いだ。
だが、それはあまりにも危険すぎる。アリスとシャトン以外は本当にただの子どもであり、アリスとシャトンにしたって今の肉体はただの無力な子どもである。
このまま隠れ続けるしかないのか?
「上のお兄さんお姉さんたちはどうなってるのかな……?」
「……」
カナールが不安気に声を上げる。感情表現豊かな少女は、先程から怯えたり心配したりと忙しい。
せめてアリスが十七歳の姿だったら。「アリスト=レーヌ」であればそんな顔はさせなかったかもしれないのに。
「ねぇ、アリスちゃん」
「なんだ?」
またカナールが縋ってくるものと考えたアリスは、極力優しい声を出した。この場で自分にできるのはせいぜい子どもたちを不安にさせないよう気休めめいた言葉をかけるくらいだと思って。
しかし予想は外れ、カナールは彼に縋る言葉を口にしなかった。
「私たちでみんなを助けようよ!」
くるくるとよく表情を変える少女は、拳を握りしめると不安や怯えを残しながらも強い決意を込めた目を向ける。
「……へ?」
「何ぼけっとしてんだよ! 今こうして自由に動けるの、俺たちしかいないんだぞ!」
思わず間抜けな声を上げたアリスの背をネスルがバシリと叩いた。それでようやくアリスは我に帰った。
「そうだよ! だから私たちがなんとかしなきゃ!」
「いや、お前ら……だって、俺たち子どもだぞ」
ここ数週間、鏡の前で嫌と言う程に突きつけられた事実をアリスは言葉にする。
今の彼らは子どもだ。子どもなのだ。けれど。
「子どもとか大人とか関係ないよ! 私たちがやらなかったら、誰がみんなを助けるの?!」
「そうだぞアリス! 俺たちがやるんだ!」
「みんなで協力すれば、きっとなんとかなるよ!」
「お前ら……」
カナールとネスルの瞳には、迷いも躊躇いも存在しなかった。怖くないわけはない。不安でないはずはないのに。
それ以上に、皆を助けたい気持ちが上回るのだと。
「……そうだな」
子どもは無力。そう決めつけていたのは、アリス自身だった。
本物の子どもたちは、自分が子どもだからと言って諦めたりしない。
どんなに力ない人間でも、その足りない力でなんとか事態を打開できる努力をし続けるもの。そこに大人も子どもも強さも弱さも、関係ない。
ましてやここにいる七人は全てがただの子どもたちではなく、二人ほど中身が十七歳の反則的な外見七歳が交じっている。
「俺たちで、あいつらに一泡吹かせてやろうぜ」
「「おう!」」
戦う意志を決めてしまえば、後は早かった。アリスたちは強盗の目に見つからない、適当な隠れ場所へと飛び込む。
部屋の壁に描かれた暗号を解くと、大人が三人も入ればいっぱいになる小さな空間が現れる仕掛けの一つだ。しかもマジックミラーになっていて、中から外の様子が窺える。
この遺跡にはこうした謎の仕掛けがいくつもあった。探索中は正直存在意義がわからなかったのだが、この遺跡が神殿としてかつて使われていたことを考えれば、敵襲や焼き討ちから逃れるには必須の仕掛けなのかもしれない。
声を潜めて早速作戦会議に入る。
「……そうなると、できればシャトンたちとも連携したいな。このまま迂闊に動けば先に強盗に見つかりそうだし、何か連絡手段はないかな……」
◆◆◆◆◆
アリスを待つというネスルとカナールと別れ、シャトンはテラスとローロを連れて歩いていた。
あの二人だけにするのは不安だったが、すぐにアリスが追い付いてくるはずだ。本物の子どもたちだけにするよりは、中身が大人であるアリスかシャトンのどちらかが常に傍にいた方がいいだろう。
と、言ってもすでにその前提は少し崩れている。
いつの間に姿を消してしまったのか、フォリーが一人はぐれているのだ。遺跡の中に駆け込んで一緒に降りてきたところまではシャトンも覚えているのだが、それ以降で見失ってしまった。
彼女の幼馴染であるテラス曰く、フォリーは独りにしておいても問題はないという。しかしシャトンとしては、それを真に受けるわけにもいかない。
とは言っても今ここで何ができるわけでもなく、ひとまずはテラスとローロの安全だけでも確保しなければならないだろう。
シャトン、テラス、ローロの三人はどんどん奥へ進んでいく。
「みんな大丈夫でしょうか」
「大丈夫。アリスが追い付くまで隠し部屋に潜んでいるよう言い聞かせたし」
不安な顔のローロを慰めるように優しい声をかける。だが事態の解決を図らなければ、真にその不安が払拭されないこともまたわかっている。
「それより私たちはどうしましょうか? やっぱりどこか隠し部屋に潜んであいつらをやり過ごす?」
「それもアリかもしれないけどね……」
シャトンの問いに一応は頷きつつも、テラスはまるで逆の答をさらりと口にする。
「無事にやり過ごせた後、できるならあの強盗さんたちを捕まえたいよね?」
「え?」
あまりに強気な発想に驚くシャトンとは対照的に、これまで不安気だったローロがぱっと顔を明るくする。
「そうですね! フートお兄さんたちのところにはまだ怪我をしたおじさんがいますし、今動けるのは僕らだけです」
「そうそう」
「ちょ、ちょっと待ってよ! あなたたち、本気で子どもだけで銃を持った強盗に立ち向かうつもりなの?! 無謀もいいところよ!」
話を進める少年二人に、シャトンは慌てて待ったをかける。
だが二人はシャトンの言葉を耳にしても、決意を変える様子はなかった。
「そうだね。無謀だ。だからと言って、このまま黙って引き下がるつもり?」
「シャトンさんの言いたいことはわかります。でも僕は……フートお兄さんやムースお姉さんたちを、みんなを助けたいです!」
これを大局を見据えることもできない、危機察知能力も低ければ彼我の力量差を計ることもできない子どもの戯言だと一笑に付すことは簡単だ。匹夫の勇どころか、頼りないその身を顧みぬ無知ゆえの無謀だと蔑むことは容易い。
けれど。
「……本気なのね」
「ええ」
「もちろん」
「……わかったわよ。付き合うわ」
けれど、時間を奪われて肉体が子どものものとなり、この姿で何ができるのかと悲観を繰り返すことしかできなかったシャトンにとって、そのひたむきさは心を動かすに足るものだった。
「――やるからには、絶対にあいつらに勝って、意気揚々とこの遺跡を出られるようにしましょう」
「はい!」
「当然」
時間を奪われても記憶は変わらない。本来十七歳のシャトンの知識はここにある。
元より女性の腕力では成人男性に立ち向かうのは難しいし、それ以前に相手は銃を持った集団だ。それでも持てる知識と道具とこの遺跡の仕掛けを総動員して、何とか手立てを考えよう。
腹が決まったところでその具体的な方法を探らねばならない。下手に動き回ってアリスたちを不慮の事態に巻き込むことを考えると、できれば彼らとも意志の疎通を図りたい。
「アリスたちと連絡を取りたいけど、この遺跡地下は携帯電話も通じないみたいなんだ。何かないかな?」
テラスの台詞に丁度応えるかのように、シャトンの懐で小さな音が鳴った。
◆◆◆◆◆
遺跡の中に逃げ込んだ子どもたちに、強盗団は苛立っていた。
それが子どもたちの作戦だということまでは気付いていないものの、人質の動向を把握できなくなったのは不都合だ。
これから来る警察相手にも、小さな子どもを脅しに使うのとそうでないのとでは印象がまるで違う。
「おい、どうする?」
「仕方ねぇ。何人かでガキ共を探せ」
七人のうちのまずは二人が、子どもたちを探すために遺跡の中に突入する。その手にはしっかりと弾を込めた拳銃を握ったまま。