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Pinky Promise  作者: きちょう
第2章 歪む鏡の向こう側
5/30

5.ダイナの翻弄


..025


 雨の檻が血臭を閉じ込めている。

 絶え間なく降り注ぐ雫に打たれて、鬱蒼と茂る草をかき分けるむさ苦しい男たちのコートも暗い色に沈んでいた。

「また、“奴”か」

「ええ」

 男たち――現場を捜索する刑事たちの声が硬いのは冷たい雨に打たれていることだけが理由ではない。

 霧雨のヴェールに覆い隠されてはいるが、遺体発見現場は壮絶なものだった。

 凄惨な殺人現場など見慣れているはずの強面の男たちが眉を顰める程に。

「凶器は見つかったか?」

「いえ、まだです」

 黄色いテープの内側で、彼らは今日も誰かの悪意と向き合う。

「これが、今日の遺体につけられていたカードです」

 ディアマンディ帝国帝都エメラルド警察本部、別名警視庁。

 捜査一課強行犯係の警部であるシャフナー=イスプラクトルは、部下に手渡されたビニール袋の中身に目を通す。

「くそっ!」

 大事な証拠品であるそれを、思わず怒りのままに握りつぶしそうになって慌てて自制した。

 イスプラクトルは刑事になって二十年近く経つ。その彼であっても、このように悲惨な殺人事件は滅多に遭遇するものではない。

「警部……」

「大丈夫だ。ちょっと腸が煮えくり返ってな」

「我々も、同じ気持ちです」

「早くこの事件の犯人を挙げねば。これ以上の被害者が出ないうちに――」

 今日殺されたのは、この春大学院を卒業したばかりの女性だった。一流企業に就職し、これからいくらでも成果を出すことができたはずの、明るい未来の持ち主――その、はずだった。

 草むらに転がる遺体にはそんな未来は見る影もない。

 一つの刃物で異常な程の執念を以て切り刻まれたその体。服は真っ赤に染まり、髪は血糊で頬に貼り付き、足元には抉られた体の「中身」が幾つも零れ落ちていたという。

「これで三件目か。これまでの被害者との接点は?」

「これまでと同じく、見つかっていません」

 帝都ではここ一月程、得体の知れない連続殺人が起きていた。

 被害者に一体何の恨みがあるのかと犯人の正気を疑う程に凄惨な遺体。けれど被害者の交友や背後関係を調べても、このような恨まれ方をする人物ではないという証言しか得られない。

 今回で三件目、これまでに二件起きた殺人の被害者たちそれぞれに接点はなく、共通しているのは皆非常に周囲から慕われている評判のいい人物だったということくらいだ。年齢も性別も職業も居住地域も外見もばらばらで、決して印象が重なるような相手同士ではない。

 では通り魔的な犯行かと言うと、それも考えにくかった。死亡推定時刻から算出した犯行時刻付近の現場周辺をどれだけ浚っても、通り魔的な犯行に及ぶ不審者の存在は見つけられない。

 一つの刃物で被害者を滅多刺しという殺害手段から見て、犯行時刻を誤魔化すようなトリックを仕掛けられる可能性は限りなく低い。なのに何故、どうしてその時刻に犯人らしき人物が挙がらないのか。

 いっそこれらが全て別々の人間による犯行であればまだ納得いく説明もできそうなものだが、そうはならない理由――この事件が同じ犯人による連続殺人事件であるという、一つの証拠があった。

 イスプラクトルが反射的に握り潰そうとした白いカード。

 飾り気のないそのカードには、いつも一つの古い童謡が書かれている。

「ふざけやがって……!」

 このカードの意味さえまだ、警察には何も掴めていなかった。

 とにかく情報が少なすぎる。被害者の接点が見えないことからこれは殺人自体を愉しむ快楽猟奇殺人だと吐き捨てた者もいたが、イスプラクトルの刑事としての勘は何かが違うと告げている。

「そう言えば警部」

「なんだ」

「エールーカ探偵、帝都に戻ってきているそうじゃないですか」

「ああ……」

 数日前、アラヴァストロ県警の知人から連絡を受けたイスプラクトルは頷いた。

 ここ最近、隣の都市でも連続殺人が起きていて、県警はその解決に外部の手を必要としていた。すなわち、帝都の誇る名探偵ヴェルム=エールーカの力を。

 ヴェルムを紹介したのは、彼の両親と交友がありヴェルムが幼い頃から親交のあったイスプラクトル自身だ。すでに向こうの事件がヴェルムの助言により解決したことも知らされていた。

 しかし当のヴェルム自身は忙しいようで、帝都に戻ってから数日、こちらに顔を見せに来る様子はない。

「いっそうちも、エールーカ探偵の手を借りるとか」

「……そうだな」

 部下の若い刑事の言葉に、イスプラクトルは渋々ながら頷いた。

 ヴェルムの実力は、何よりイスプラクトル自身が認めているところである。だが彼は、いくら本人が探偵を名乗っているとはいえ、未成年である少年をこのように凄惨な現場に関わらせることを躊躇った。

 これはただの殺人ではない。

「この事件がいよいよ俺たちの手に余るとなった、その時は――」

 雨はまだ止まない。

 その雨の中で燃え上がる暗い炎も、まだ当分、消えることはなさそうだった。


 ◆◆◆◆◆


「で、どう? 久々の“学生生活”は」

「私ではなくあれに聞け、あれに」

 亜麻色の髪のルルティスなる少年がジグラード学院に編入したその日、赤騎士ルーベル=リッターは新しい隠れ家に帰る。

 “ルルティス=ランシェット”とはとある事情によりルーベルから分離しているもう一つの人格だ。魂は一つ。けれどそこに宿る人格は二つ。

 普段はルーベルを名乗る人格が表面に出ているが、彼の中にはもう一人、同じでありながらまったく別の人物が存在している。そのもう一人を変装代わりのカムフラージュに使い、ルーベルはこの都で活動するにあたり「学生」という身分を手に入れた。

「まったく、忌々しい。あの女がすぐに見つかれば、こんな小細工をせずに済んだものを」

「まぁ、いいじゃない。たまには」

「そういうお前はどうなんだ? 新しい指令が来たと言っていただろう」

「ああ……」

 ルーベルに問われ、白兎アルブス=ハーゼは手元の資料に一度目を落としてからこれ見よがしな溜息をつく。

「お前と同じ。全っ然ダメ」

「おい」

 二人はこの帝都で、新しい仕事をこなすように睡蓮教団の上層部から指令を下されていた。

 コードネーム“赤の騎士”ことルーベルには、教団を裏切って逃亡した“公爵夫人”の捜索が任された。生きたまま連れ戻すのかそのまま殺害するのかは教団の判断にもよるが、まずは彼女を見つけるところから始めなければならない。

 そして“白兎”ことアルブス=ハーゼへの新たな任務とは。

「連続殺人鬼?」

「ああ」

 教団の敵対者の発見と抹殺。

「……近頃ニュースになっている奴か? 詳細は伏せられているが、現場に残された証拠から同一犯による可能性が高いとか言う」

「そう、それ」

 そのニュース自体はルーベルもアルブスも知っていた。毎日流される割には、内容に進展がないことまでわかっている。

「あれの被害者が、全部うちの団員だって。もう三人殺された」

「……おやおや。ニュースでは誰からも愛される人格者ばかりと報道されていると思えば」

「愛されてるかも知れないけど、その何倍も恨まれてるだろうねぇ。ちなみに一番最近の被害者である大学院を卒業したばかりの新入社員は、四、五年前の爆弾事件に噛んでてスイッチ一つで四百人は殺してるはず」

 真実など傍から見ればわからないものだ。

 警察がいまだ掴めないこれら連続殺人事件の被害者の共通点は、その全員が睡蓮教団の関係者であるということ。

 末端の信者まで含めれば、睡蓮教団の関係者は恐らく世間が思うよりも多い。面識のない団員同士も多く、彼ら自身が普通に犯罪被害者となることもありえる。

 一度目は偶然、二度目もありえないことではない。

 しかし三人が殺されたとなれば。

「教団に対する宣戦布告か」

「だろうね。と言うか、すでに犯人は名乗りを上げているんだよ。はい、これ」

 手元のパソコンを操作して、アルブスは先程送られてきた画像をルーベルに見せる。

「なんだ?」

「警視庁に潜入中の“パット”から送られてきた資料。宣戦布告状だね」

「リチャードか。潜入と言うよりただの天職の気がするが……」

 彼らの仲間の一人、『アリス』の物語中で白兎の園丁と説明されている“パット”のコードネームを持つ男は一介の刑事として警視庁に潜入している。

 そのパットが、警察内で入手した情報をアルブスに送ってきた。

 ハガキサイズの白い用紙にプリントされた簡素な文字。そこに書かれていたのは、古い古い童謡だ。

「これは……」

 画面を睨み付けるルーベルの眼差しが険しくなる。

「大胆な奴だろう?」

 アルブスの口元に酷薄な笑みが浮かぶ。

 それは塀から落ちて割れてしまった卵の歌。王様の兵隊を集めても、王様の馬を集めても、割れた卵は戻らない――。

 『鏡の国のアリス』にも登場するその詩。

「教団は相手が名乗る通りのコードネームをつけてやることにした」

 いちいち連続猟奇殺人の犯人などと呼ぶのはまだるっこしい。先日まで隣県アラヴァストロでも連続殺人が引き起こされていたことを考えれば、紛らわしいことこの上ない。

 何より睡蓮教団という組織に牙を剥いた一個の敵であるならば、相応しい名が必要だろう。

 そう、彼らの次なる標的の名は。


「復讐鬼、“ハンプティ・ダンプティ”――」

 

..026


 目の前には女性がいる。つい最近も見たような顔だ。

「ダイナ=レーヌと申します。帝都一の名探偵と名高いエールーカ探偵にお会いできて光栄です」

「いえ、そんな……」

 今日も今日とて探偵として依頼を受けるため近所の喫茶店にやってきたヴェルムは、そこで対面した「依頼人」の姿に凍りついた。

 言うことを聞かない表情筋を無理矢理動かして笑顔を作る。当たり障りのない挨拶や前置きがこんなにも辛かった時間はない。

「本日はどのようなご依頼で」

「人を探していただきたいんです」

 やばい。まずい。本能が警告を発している。

 これまたどこかで見たような金髪の少年の写真を差出し、彼女はこう言った。

「私の弟、アリスト=レーヌです」


 ◆◆◆◆◆


「それにしても、ヴァイスがエールーカ探偵と知り合いだったとは」

「なんだ、突然」

 休日の平和な食卓で、小さな子どもが外見不相応に物慣れた口調で切り出した。

 さらさらの明るい金髪に快晴の空のような青い瞳の少年だ。

「私とヴェルムに面識があったらおかしいか?」

「思わないだろ普通、毎日顔合わせている隣人が帝都の誇る名探偵と友人関係だなんて」

「私の仕事を考えたらむしろ、お互いの顔ぐらい知っていて当然だと思うが」

 応える男は男で、子どものそんな態度を不自然や不愉快に思う素振りも見せない。同席していた、これまた子どもらしくない子ども――淡い茶髪に菫色の瞳の少女が口を挟む。

「白騎士は随分と色々な仕事をしているのね」

「ああ。世界の中心である帝都とはいえ、実戦に足るレベルの魔導師は少ないからな。アドバイザーと言う形で色々と口を挟んでいる」

 第三者から見れば色々と疑問が湧きだすだろう光景は、この半月程でようやく慣れだした彼らの日常だ。

 金髪の少年、アリスト=レーヌは、今でこそ七歳程度の子どもの外見になってしまっているが、本来は高等部二年生の十七歳である。

 彼は姉と共にサーカスを見に行った帰り道、“白兎”なる怪人が取引相手を禁呪によって殺害する現場を目撃してしまった。

 口封じとして同じように殺害されるはずだったアリストは、咄嗟に魔導防壁を張って禁呪の効果を削ぐことに成功する。

 けれど完全に相殺することは敵わず、約十年の「時」を盗まれたことで小さな子どもの姿に若返ってしまった。

 元の姿に戻るためにアリストが頼ったのは、隣人でありアリストに魔導防壁を教えた、ジグラード学院講師であるヴァイス=ルイツァーリ。

 実は白兎とも面識と因縁があるヴァイスは、アリストが元の姿に戻るためのサポートを申し出た。

 白兎は睡蓮教団というカルト宗教団体に属し、中でも大掛かりな犯罪を行う幹部の一人らしい。犯罪組織としての睡蓮教団を潰したいヴァイスの思惑と、元の姿に戻りたいアリストの目的が一致して、二人は手を組むことにした。

 更に、この場にいるもう一人の子ども。菫色の瞳の少女シャトン。

 彼女はアリストがかけられた禁呪の開発者だが、教団のやり方に異議を唱えて裏切った。自らの禁呪の犠牲になる人間をこれ以上増やさないためにも、アリストとヴァイスに協力することになった。

 見た目の幼さと大人びた言動のそぐわない彼女もまた、アリストと同じ禁呪をかけられている。その禁呪は彼女自身が開発したものだが、元の姿に戻るためには睡蓮教団から、「奪われた時間」を取り返さなければならないと言う。

 そしてアリストはアリス=アンファントリーという偽名を名乗り、シャトンと共にヴァイスの下に預けられている子どもを演じることとなった。

 たった一人の家族である姉には、「泥棒に盗まれた大切なものを取り返すまで帰らない」と嘘をついて。

「それにしても、あの探偵さんとあなたって似ているのね」

 ふいに、シャトンが紅茶のカップを傾けながら、アリスの方を見て言った。

「そうか?」

 アリスたちのこれらの事情を知っている人間は、後二人いる。

 一人はジグラード学院に所属する研究者の一人、フュンフ=ゲルトナー。

 もう一人は、帝都一の呼び声高い名探偵、ヴェルム=エールーカ。

 実はヴァイスの友人だというヴェルムは、アリストと同い年の少年だ。十歳も年齢差のあるヴァイスと一体どういう経緯で友人関係を築くに至ったのかまでは聞かされていない。

 ヴェルムは年齢だけでなく、その背格好や金の髪色がアリスト――小さな子どものアリスではなく、本来の十七歳の姿であるアリスト=レーヌとよく似ていた。

 そのためヴァイスに頼まれてアリストに変装し、姉のダイナと顔を合わせて長き不在の理由を取り繕うという大役を果たしている。もちろん瞳の色や顔立ち自体は違うのだが、そこはカラーコンタクトと化粧を含む変装術、そして演技力でもってなんとかしてしまうらしい。

 代役を押し付けた以上事情を話さないわけにも行かず、元よりヴェルムの目的とアリスの望みが一致するということから、かの探偵もまた、アリスたちの協力者となってくれた。

 ひとまずこれでアリバイ工作もできたことだし、警察に顔が利く探偵という味方も得られたことだし――と、彼らが安心していたところ。

「ヤバい。バレたかも」

 頼りの名探偵は、顔を引きつらせながらヴァイスの家へとやってきた。


 ◆◆◆◆◆


 アリスはようやく我に帰ってヴェルムを問い質した。

「バレたかもって……姉さんに?!」

「ああ。……いや、まだそうだと決まったわけではないんだけど……」

 第一声から三人をぽかんとさせた探偵は、疲れた様子で差し出された飲み物に口をつける。

 喉を潤したところで、本日ダイナから受けた依頼について三人に説明した。

 いくらヴェルムが有名とはいえ、帝都にはいくらでも探偵がいる。あえてヴェルムのところに依頼をしに行った辺りに、ダイナの意図が窺えるようだ。

「あちゃ~」

 ヴァイスが顔を顰め、アリスはそんなヴァイスに突っかかった。

「ヴァイス! どういうことだよ?!」

「どうもこうも、やはりダイナを誤魔化すのは難しいなとしか」

「……どうでもいいけど、あなたたち、そんな大声で喋っていたら隣にまで聞こえるわよ」

 シャトンの指摘に慌ててアリスはヴァイスの口を塞いだ。もちろんそんなことをしているアリスの叫びが一番大きいのは言うまでもない。

「仕方がないだろうが。そもそもお前自身の姿を見せられない状況でダイナを納得させようと言うのが至難の業だ。あれ以上何ができたと言うんだ」

 ヴァイスとしてはそれがあの時にできた最上の仕込みだったという判断を変えるつもりはないらしく、平然とお茶の続きを楽しんでいる。

「そ……それはそうだけど! でもそこはほら、魔法でなんとか!」

「馬鹿を言え。そんな都合の良い魔導があるならそもそも今、お前が縮んだからと言って困りはしない」

「う……」

 言葉を失うアリスに困った顔のヴェルムと、涼しい顔でカップを傾けるヴァイス。

 男三人の顔色を一通り見回して、シャトンはアリスに尋ねた。

「そもそも、あなたのお姉さんってどんな人なの?」

「どう……って言われても。シャトンも朝晩二回は会ってるじゃないか」

「会っているけど、それだけで彼女の性格まで掴めるはずないでしょ。私が知りたいのは、どの程度の誤魔化しで彼女の目をあなたの失踪から逸らせるかってこと」

 だんだんこの面子での話に慣れてきたからか、最近のシャトンの口ぶりはどうにも容赦がない。

 アリストは考え考え口を開く。

「姉さんは……一言で言うなら、一人で何でもできる人だよ。あの人に苦手な物があるなんて、考え付かない」

 だから、そんなダイナが、弟であるアリストが行方不明と知って黙って手をこまねいているはずなどないのだと。

「見た目からそう言う雰囲気はあるわね。でもいくらなんでも一般人、あなたを探して動くと言っても、限界はあるでしょ」

「あるのかなぁ?」

「ちょっと……」

 どうにもはっきりしないアリストの態度にシャトンが突っ込もうとしたところで、ヴァイスが予想の斜め上から補足する。

「ダイナは魔導師としての素養もある上に、特殊な環境で育った私と張るくらいの万能選手だぞ。私ができることは、基本的に彼女もできるくらい思っておいた方がいい」

「え?」

 睡蓮教団が恐れるコードネーム“白の騎士”のその評価に、さすがにシャトンも目を丸くした。

「だからヴェルムに依頼をしたというのがまず不自然なんだ。先日の仕込みに気づいているのでもなければ、ダイナがわざわざ探偵を雇うなんて考え辛い」

 ダイナをよく知る二人が揃って頭を抱え唸り出すのに、この件に関しては未だ部外者に近いシャトンとヴェルムは顔を見合わせた。

「……ねぇ、イモムシ。今の話、どこまで本当だと思う?」

「さぁ? ……ジグラード学院は魔窟だからな。そもそもまだ高等部生のアリストが魔導の専門家である君と同じレベルの魔導防壁を張れる実力だぞ?」

「そう言えばそれがあったわね……」

 だとすれば血の繋がりはないとはいえ、アリストの姉であるダイナがヴァイス並の行動力や情報収集技術を持っているとしてもおかしくはない……のだろうか。

 考え込むシャトンたちに、アリスが声をかける。

「――なぁ」

 幾らか言いよどむ気配を見せた後、意を決して切り出した。


「姉さんに、本当のことを話しちゃ駄目なのか?」


 ぴたりと、室内の空気が止まる。

「こんな話、下手な人間に話せないってわかってるよ。だけど、姉さんなら。姉さんにだけは――」

「それは」

「悪いけど」

 ヴェルムの言葉を遮る形で、シャトンがはっきりと言い切った。

「それはお勧めできないわ」

「どうして」

 シャトンとアリス。小さな二人は向かい合う。大人の腰ほどしかない子どもの体。その窮屈な器に押しこめられた本当の魂。

 本来対極の立場に存在しながら、この場でアリスと同じ目線で語れるのはシャトンだけだ。

「知ればそれだけ危険に近づくことになる。ただでさえ白騎士の隣人であるあの人が、不自然にあなたに――私たちに近づけば、いずれこのことが知られた時に教団もあの人を狙って来る」

 すでに教団側は、チェシャ猫を追い詰めるために仲間であったはずの公爵夫人を人質にしようとした。

 それでも共犯者とみなされるよりはマシだと、チェシャ猫は独りで教団を飛び出した。

「でも、まったく何も知らないよりも、事情を知って対策できる方が――」

「アリス」

 アリスもチェシャ猫に言われるまでもなく、ダイナに全てを伝えた場合彼女に危険が及ぶ可能性を考えている。

 けれど同時に弟として姉である彼女を信頼してもいた。あらゆる意味でアリストよりもダイナの方が実力が上だ。

「やめておけ」

「ヴェルム?」

 コードネーム“イモムシ”とも呼ばれる少年は、アリスではなくシャトンの判断を支持した。

「俺がどうして探偵をやっているかは、もうすでに知っているだろう」

「確か、何年か前に」

 それは帝都の誰もが知っている有名な話。ヴェルムの名をここまでの知名度に押し上げた根底。

「両親を教団に殺されたからだ」

 未だ復讐に囚われた探偵は、癒えきらない過去の傷を淡々と語り出す。

「父は探偵だった。だが、ある未解決事件の真相究明の依頼を受けたことを切欠に、睡蓮教団を調査し、彼らの実態を知りすぎたために殺された」

 ヴェルムの両親の事件は解決していない。明らかな殺人事件でありながら犯人が捕まっていない。けれど父親が先手を打っていたために、犯人が睡蓮教団である可能性が高いことまではわかっている。

 数年前にヴェルムが父の後を継いで探偵を名乗りはじめた時、世間は彼を見向きもしなかった。彼がまだ年若く子どもと呼んで差し支えのない年齢だったからだけではなく、実の両親を殺した犯人を捕まえることもできない探偵に他の事件の解決などできるものかと。

 その評価はヴェルム自身が幾つもの実績を作ることでだんだんと見直され、後に“帝都の切り札”と呼ばれるまでに至ったが、両親の事件が解決されていないのもまた事実。

 ヴェルムは自身の両親の事件を解決するために探偵になったというのはエメラルドでは有名な話。

「俺は睡蓮教団を追っている。誰もがそれを知っている。だけどまだ奴らに殺されていない。――俺が、奴らにとって殺す程の脅威にすらなれていないからだ」

 ヴェルムの父は妻には事情を話していたが、息子には自らの仕事の話を一切しなかった。

 息子は過去に父が教団について調べていた事の内容を全く知らない。その事実が今もヴェルムを守っている。

「知らなくても危険は変わりないかもしれないが、知ればもうそこから逃れることすらできない」

 だから、やめておけと。

「……わかった」

 しゅんと落ち込むアリスの肩を、膝を追って目線を合わせたヴェルムが慰めるように叩く。

 ダイナのためを想うなら、これからもアリストは「アリス」を演じ続けなければならない。

 ヴァイスが溜息と共に言った。

「なんとか誤魔化す手段を考えないとな。一番いいのは、一時的にでもアリストの肉体を元の年齢に戻せる魔導を開発することだが」

 禁呪と呼ばれるそれを開発できる程の魔導の専門家など限られている。アリスとヴァイス二人の視線が、一点に集中した。

「……わかったわよ。何か考えてみるわ」

「頼んだぞチェシャ猫」

「頼む、シャトン」

 不安要素を幾多も抱えつつ、三人の共同生活と一人の探偵の苦労は続くのだ。


..027


 ヴァイスの家を辞して、ヴェルムは現在自宅として使っているマンションの一つに戻った。

 ヴェルムの母親が帝国有数の富豪の娘だった関係で、両親が亡くなった際にヴェルムへも多額の遺産が遺されている。

 まだ未成年であることを考えれば親戚に引き取られるのが一般的だろうが、ヴェルムは自らそれを断った。

 別に伯父夫婦や他の身内と仲が悪いわけではない。ただヴェルムは、探偵として父の後を継ぎ、真実を解き明かして両親の仇を打ちたかった。

 書類上の親権関係はともかくとして、今のヴェルム自身の生活は両親の遺産で賄われている。

 学生であれば事あるごとに種々の手続きに保護者の同意が必要となるだろうが、ヴェルムはもう学生ではない。

 また、探偵として活動することによって多くの恨みを買うことを考えれば、傍に人を近づけたくないという思いもあった。

 両親と暮らしていた屋敷は残してあるが、普段はより帝都の中心部に近いマンションで過ごしているのもそのためだ。

 しかし現在、その部屋で暮らしているのはヴェルム一人ではない。

 半月程前の夜、道に倒れていた女性を拾い介抱した。行く宛てがなく追われているという彼女を匿うようになって、ヴェルムの生活は独りではなくなった。

「おかえりなさい」

 扉を開けて部屋に入った瞬間かけられた柔らかな声に返事をする。

「……ただいま、ジェナー」


 ◆◆◆◆◆


「じゃあね! アリスちゃん、シャトンちゃん!」

「お二人とも、また明日学校で!」

「寄り道すんなよな!」

 手を振って道を分かれる子ども三人に、アリスは手を振り返した。シャトンは小さく振り返るのに留める。

「お前らこそ真っ直ぐ帰れよ! じゃーな!」

「また明日」

 入学式の日に出会った子どもたちのうち三人、カナールとローロとネスルは普段からよくアリスたちに話しかけてきた。

 黄色の髪に橙色の瞳を持つ少女カナール=ハウスエンテは、いかにもこの年頃の女の子らしい愛らしさだ。しかし中身はその可愛らしさとは裏腹になかなか好奇心が旺盛で、面白いことを見つけると首を突っ込まずにはいられない。

 小等部一年生にして知識の収集・実践が好きな赤い髪に濃緑の瞳の少年ローロ=プシッタクス。よく図鑑を持ち歩いている姿を見かけるくらい調べ物が好きで、カナールやネスルがあちこちで見つけてくる「不思議な物」の正体を探るのを自分の役割と捉えている。

 白髪に黒い瞳のネスル=アークイラ少年は、三人の中でも一番子どもらしい。どうにも本能で行動しているらしく落ち着きがなく人の言うことを聞かないが、その分他の二人を振り回す勢いで引っ張っていく行動力がある。

 この三人がひとたび集まれば、どんな日常の些細な出来事も彼らにとっては大きな「事件」となる。好奇心旺盛な三人組は、探検や冒険といった言葉が大好きなのだ。

 最近ではアリスもすっかりその中に巻き込まれている。

「それにしてもあなた、随分慣れたわね。この生活に」

 日常の遊びにかける小等部生の元気は大人の体力に引けを取らない。体が子どもになってしまったアリスたちは、当初は体力と言うよりも主に精神的な面で彼らの行動力にひたすら振り回されていた。

 しかし数日もすればアリスはその環境にも慣れてしまって、いまや学校にいる間は平然と子どもたちに混じって遊ぶようになっている。

 一方のシャトンはまだそこまでの気分になれないのか、純粋な子どもたちの誘いを適当な理由で断ることも多い。

 事情が事情だけに常に一緒にいるアリスと比べ、シャトンだけまだカナールたちとも、クラスの他の子どもたちとも距離があるような状態だ。

「まーな。最初は元の姿に戻りたいって焦りがあったけど、学校でまでそんなこと考えてても仕方ないし、あいつらといるのも悪くはないしな」

「木を隠すなら森の中……本物の子どもたちの中に紛れていれば、私やあなたのように異質な存在でも見かけ上はただの子どもの集団にしか見えないものね」

「そういう言い方するなよ。それだとなんか……自分が隠れるためにあいつらを利用しているみたいだぞ」

「違うのかしら」

「違うだろ。というか、隠れ暮らすために交じるなら、あいつらみたいにどこでも突撃する連中は不向きだぞ……」

 カナールたちへのフォローが半分、まったくフォローにならない理由半分で、アリスはシャトンの発言を諌めた。

「それに、本物の子どもでも俺より頭いいんじゃねぇの? って奴もいるし」

「ああ……テラス君ね。彼、何者なのかしら」

 前述の三人とはまた別に、アリスたちによく話しかけてくる子どもがいる。

 テラス=モンストルム。

 青い髪に薄紅の瞳を持つ、子どもながらに驚く程整った容姿の少年だ。

 小さな手足に頼りない肩やふっくらとした頬の輪郭は紛れもなく子どものものなのに、彼――テラスはどこか大人びている。下手をすれば、中身が十七歳であるアリスよりも。

 彼はアリスとシャトンに興味があるようで、向こうから積極的に話しかけてくる。カナールたちとも仲が良いので、機会があれば自然と集まるようになった。

 一方テラスの幼馴染、フォリー=トゥレラはそれほど話しかけてくることはない。この水色の髪に薔薇色の瞳の少女はアリスたちだけでなく他の子どもたちとも会話が少なかった。いつもテラスの傍にいるが、会話は専らテラスに任せたと言わんばかりに黙り込んでいる。

 とはいえ、小等部一年生にしては不思議な程高度な知識を持つテラスの話を完全に理解はしているようで、恐らく彼女も見た目より中身が落ち着いているタイプだろう。

「何者って……俺たちじゃあるまいし、あいつは本当にただの子どもだろ?」

「そうかしら。それにしては子どもらしくない面が目立つけど」

「気のせいだって。あったとしても天才児とか、そういうのじゃねーの?」

「……私が気になるのは彼の頭脳よりもむしろ、普通の子どもらしくないあの大人びた性格の方なんだけれどね……」

 テラスの存在は、ある意味アリスとシャトンにとって最大の隠れ蓑だ。クラスの他の子どもたちと比べても明らかに大人びているテラスが一緒にいることで、アリスやシャトンの異質性が緩和されているように思える。

 しかしそのテラスという存在自体に異質なものを感じるとシャトンは言う。

「あの子はただの子どもじゃないわよ。あなたはそう思わないの?」

「んー、つってもなぁ」

 アリスは遠い過去を思い返しながら頭を掻いた。

「俺が本当にこの見た目くらいの年の頃に、ああいう感じの友人がいたし」

「本当に?」

「ああ。帝都に引っ越す前だから、今はどうしているのかさっぱりわからないけどな」

 携帯を当然のように買い与えられる今の子どもたちはともかく、「アリスト=レーヌ」が小等部を卒業するかどうかの頃はまだ子どもたちがお互いに連絡をつけることのできる手段など限られていた。生活圏が変わり日常で関わることがなくなれば尚更だ。

 しかしその友人は、アリストの中に強い印象を残している。

「フートにそっくりだったんだ」

 アリストが帝都でジグラード学院に入学してからできた友人の一人、フート=マルティウス。

 学年首席の天才児としても名高いフートと、かつての友人は顔がそっくりだった。帝都に越してきたばかりのアリストは、何故あっちにもこっちにも『彼』がいるのだろうと不思議に思ったものだ。

「だからテラスがあの歳の子どもにしては大人っぽいって言っても、そういう奴もいるんじゃないかってぐらいで気にならないな」

「そう……。なら私の考え過ぎかしら」

「……」

 シャトンが腕を組んで考え込む。その横顔をアリスはじっと見つめた。

 今のアリスとシャトンの立場はほとんど同じだ。

 だが僅かな違いが、二人の距離を絶望的に隔てている。

 本当に距離があるのはシャトンと子どもたちではなく、もしかしたらシャトンとアリスの方なのかもしれない。

「なぁ、お前も、もうちょっと肩の力抜いていいんじゃないか?」

 視線を正面に戻し、アリスはさりげなさを装って告げる。道を歩くシャトンの足が止まった。

「赤騎士たちが何考えているのかはわからないけど、ひとまず見逃してくれたわけで。何も今日明日にも刺客が襲ってくるってわけじゃないんだし……って、シャトン?」

 気づかず喋り続けていたアリスは、ようやく足を止めたシャトンの様子に気づいて背後の彼女を振り返る。

 スッと感情の抜け落ちた菫色の瞳が、虚ろにアリスを見つめ返した。

「……私は、ここにいてもいいのかしら」

「シャトン?」

 街の喧騒が遠ざかり、二人の間で空気が静かに沈殿する。周囲の全ての音を無視して、二人は互いの声だけに集中している。

「私が傍にいれば、どうやっても周囲を危険に巻き込むわ。たまたま目撃者となってしまっただけのあなたと違って、私は教団内部の事情を知っている――裏切り者なんだもの」

 アリスにとって先程かけた言葉が本当はずっと彼女に向けて言いたかった言葉ならば、これはシャトンが何度も口にしようとして、言えずに溜め込んだ言葉だった。

 もっと楽に生きればいいと勧めるアリスと、いつまでも自分を責め続けるシャトンと。

「心配し過ぎだって!」

 重い空気ごとその危惧を断ち切りたくて、アリスはわざと明るい声を出す。

「今の俺たち、子どもの姿なんだぜ。簡単には見つからないよ」

「でも」

「それでももし、教団に見つかるようなことがあったら」

 同じ高さの相手の目を見つめ、アリスは威勢よく言い切った。

「チャンスじゃないか。俺たちに近づいてきた奴を逆にとっ捕まえて、お前が知らない分の情報吐かせて本拠地に乗り込もうぜ!」

 あまりに楽観的で恐れを知らないその言葉に、シャトンは感心すると共に呆れ返る。

「アリス……あなた、幸せな性格ね」

「おう、よく言われるぜ」

 にっこり、しかし癖のある笑みを返すアリスは、更に念押しとばかりに釘を刺した。

「それに今お前に見捨てられちゃ困る。姉さんを誤魔化すためにも、一時的にでも元の姿に戻る術をなんとか開発してくれねーと」

 笑顔に応えて、シャトンもようやく笑った。

「はいはい、わかってるわよこの病的シスコン野郎」

「純粋な姉弟愛だ!」

「ふふ」

「……シャトン?」

 全力でからかう素振りだったシャトンの雰囲気が、ふいに優しげで――どこか寂しげなものへと変わる。

「羨ましいわ。そんなに大切にできる人がいて」

「……なぁ、お前の家族って」

 これまでに聞いたシャトンの身の上話に関して、アリスは突っ込んで聞きたくても聞けない部分がいくつかあった。彼女の方から話題に出してきた今ならそれを聞けるかもしれない。

 シャトンの説明だと子どもの頃に教団にスカウトされたということだったが、ならば“チェシャ猫”というコードネームしか与えられていなかったというのはおかしく感じる。彼女の口ぶりではまるで、生まれた時からずっと教団内にいたようだ。

「両親は教団の人間だった。けれど、私が生まれて数年は教団を抜けていたのよ。彼らが死んで私は改めて教団に入れられた」

 あまりに幼かったためシャトン自身は教団内でチェシャ猫として過ごした記憶しかないが、記録上彼女は途中から教団に入った人間、ということになるらしい。

「私には両親の記憶がほとんどない。しばらくはそのことに何も感じなかった」

 しかし、後に“公爵夫人”ことジェナー=ヘルツォークと出会い、シャトンの考えは少しずつ変わって行った。

 姉のように優しく接するジェナーのおかげで人間らしい心を育み、自分の両親のことに関しても気にかかるようになっていった。

 幸か不幸か、そのことが彼女を突き動かし、今の事態を招いたとも言う。

「過去を」

 記憶に存在しない日々を。あるかどうかもわからなかった優しい時間を。

「取り戻したかった」

 だから作り上げたのだ。“時を戻す”禁呪を――。

 春宵の花のように淡い笑みを浮かべたままのシャトンの瞳の縁に、零れる場所を知らぬ涙が溜まる。

「そのせいで、こんなことになるなんて」

 気づいた時にはもう遅い。それこそどんな魔法でも取り返しのつかない事態になっていた。

 禁呪は人知を超えた現象を引き起す魔導。作ってはいけなかったのだ、人の手に負えない魔法など。

「そうだな」

 シャトンの自責を、アリスは否定しなかった。彼は間違いなく彼女の被害者で、彼女がいなければこの状況には陥っていない。

 アリスはくるりと踵を返すと、そのまま帰り道を歩き出す。

「お前の作った術のせいで、今まで何人が命を失ったり、不幸になったか知れないな」


 ――けれど。


「これから先、お前がいることで救われる人間だっているだろう。……元に戻る禁呪を開発して、俺を助けてくれるんだろ?」

 数歩歩いた先で足を止めると、アリスは驚いた顔のシャトンを振り返りながら笑った。

 少し距離のできた位置に立つ彼女に向けて利き手を真っ直ぐに差し出した。

 ――彼を地獄に叩き落したのは彼女かもしれない。

 しかし彼を救うのもまた、彼女しかいないのだ。

 誰にも代わることのできないその役目。

 だから。

「ここにいてくれ」

 シャトンが涙の溜まった目を見開く。

「そのために、俺だってお前がここにいられるよう努力する」

 言い終えたアリスはそのまま、差し伸べた手をシャトンが掴むのを待った。花の香りを運ぶ春の風の音だけが二人の間であまりにも鮮やかだ。

 永遠にも思える一瞬の後、数歩の距離をゆっくりと埋めたシャトンが手を伸ばす。

 二人の手のひらが重なる瞬間、アリスはそれまで穏やかだった笑みを不敵なものに変えて口を開いた。

「約束する。俺はお前がいられる場所を守る」

「――私は、あなたを必ず元の姿に戻す」

 シャトンはシャトンで表情を引き締めると、厳粛な誓いのようにそう言い切った。

 いつか姉としたように、小指を絡めて誓い合う。

「約束だ」


 ――どうか、導いてくれ。



..028


 ジグラード学院高等部のとある教室。もう大多数の生徒が部活に出かけたり帰宅して人が少なくなった中、一つの集団だけが机を寄せて額を突き合わせてまだ残っていた。

 この春から二年生になった彼らは、始業式の日に休学届を出してそれっきりの友人アリスト=レーヌに関して心配していた。

「しっかし、アリストの奴の休学も長引きそうだなぁ」

 フート=マルティウスは柔らかな癖のある白銀髪に金の瞳を持ち、華やかな空気を身に纏う少年だ。

 ジグラード学院において学年総合成績一位。頭脳、身体能力共に他の追随を許さない天才と評価されている。しかしその分自分の能力に自信を持ちすぎている、と周囲から突っ込まれることもある。

「そうねぇ」

 フートに相槌を打つのは、彼の幼馴染であるムース=シュラーフェン。

 薄紅色の髪に濃灰色の瞳を持つ、ふんわりとした雰囲気の少女である。

 ただし、幼い頃から常に共にいたフートへの態度は気安い故に時折酷い。

「一応あれからメールは来たけど、結局まだ電話とか気軽にできない感じだしな」

 レント=ターイルは焦茶の髪に銀色の瞳を持つ少年。

 容姿も成績もこの場にいる中では一番平凡だが、それ故に普段から突拍子もないことをしがちなフートやアリストのストッパーとなることが多い。

「本当にどうしちゃったんだろ。そんなに大変なのかな」

 ヴェイツェ=アヴァールは鈍色の髪に緋色の瞳を持つ、静かな面差しの少年だ。

 フートやアリストのように学年トップとして即座に名前が挙がる程ではないが、彼も十分優秀な生徒の一人である。

「……」

 エラフィ=セルフは沈黙を守った。

 橙色の髪に藍色の瞳、外見は派手な美少女だが、性格はマイペースの権化である。

 彼女の幼馴染はヴェルム=エールーカ。帝都で名高い少年探偵だ。

 その幼馴染が、何故かアリストに変装して休学届を出しその不在を誤魔化していたという事実を知るエラフィとしては、この会話に下手に口を挟めない。

「……」

 そしてもう一人、ギネカ=マギラス。

 黄緑の髪に赤紫の瞳を持つ凛々しい少女。

 フート、アリストに次ぐ学年三位の成績を誇り、その二名の暴走をある程度抑えられる才色兼備の優等生。

 ギネカにはとある能力があり、そのために始業式の日に現れた「アリスト」が偽者であることを看破した。ただし彼女の能力に関してはここにいる面々にも秘密にしているため、それを口に出すわけにはいかない。

 アリスト=レーヌの不在に介して、友人たちはそれぞれがそれぞれの理由でその身を案じるものの、現在の彼の動向を正確に知る者はここには一人もいなかった。

「もしかしたらアリストの奴、俺たちに言わないだけで、こっちが考えているよりもっと大変な事態になってたりして……」

「え……そんな……」

 レントが心配のあまり悪い想像を働かせ、ムースも顔色が悪くなる。

「心配し過ぎだって!」

 重苦しく沈殿しそうな空気を、フートが明るく吹き飛ばす。

「アリストのことだから大丈夫なんじゃね?」

「あら、フート、やけに楽観的ね」

「アリストはこのジグラード学院で、俺に次ぐ成績の奴だぜ。何があったって無事に決まってるだろ?」

 ギネカが半ばげんなりした顔で要約する。

「……要するにフートは、少なくとも自分は“そう”だから、自分に次ぐ成績のアリストもそのくらいなら大丈夫だろうって言いたいわけね」

「そういうこと」

 自信満々なフートの様子に、友人一同から一斉にツッコミが入る。

「自信過剰」

「大言壮語」

「ナルシスト」

「自惚れ屋だね」

「そんなに駄目?!」

 ギネカ、レント、エラフィ、ヴェイツェの順で綺麗に並んだ台詞に、フートが唇を尖らせて抗議する。

「マギラスだってそうだろ?」

「まぁ、私もただの強盗程度なら苦労しないけど……」

 フートには冷たく言ったものの、アリストに次いで学年三位の成績を誇るギネカもその点は同意する。

 確かにフートも、彼に次ぐ実力のアリストもギネカも、魔導学で好成績を叩きだすだけあって並の高校生の危機対応力を超えている。

 銀行強盗に銃で撃たれそうになっても反撃できるし、通り魔に包丁で刺されそうになっても返り討ちにするし、冬眠明けの熊と対面しても格闘できるだろう。

「これだから不良優等生共は」

「まぁ、こいつらと同レベルのアリストなら……ってところはあるわよね」

 もちろん全ての生徒がそのレベルに達している訳ではない。レントやエラフィなどはフートたち程には近接戦闘に優れていないので普通に銃で撃たれるし包丁で刺される可能性の方が高い。

 とはいえ、アリストならばその程度の危機、確かに自分の力だけで乗り越えられるのは彼らも周知の事実だ。

「まぁ、瞬間的な命の危険だけがアクシデントじゃないしな。本人の言うとおり、今頃は逃げた泥棒追って延々と追いかけっこをしているかもしれないし」

「長期戦ってことはそうかもな」

「仕方ないわね。あいつも高等部二年生の青春放り出して、何やってんだか」

「アリスト君、早く戻って来れるといいですね」

 結局、本人から詳しい状況を聞くまではここで憶測を重ねても仕方ない。アリストに関しては本人からヘルプ要請が入るまでとりあえず放っておこうということになった。

「俺らも気分転換に、この週末みんなでどっか行くか? んでアリストが帰ってきたらお前がいない間こんなことしてたぜ! って自慢すんの」

「あら、いいわねそれ」

 土日のどちらがいいか、行き先はどこがいいかで盛り上がる一同から少し離れて、ギネカが控えめに手を挙げる。

「あ、ごめん。今週は私パス」

「ギネカ? 何か用あんの?」

 アウトドアへの付き合いはエラフィとヴェイツェはいまいちだが、それ以外の四人とアリストはいつも共に行動している印象だ。エラフィがギネカに不思議そうに問う。

「土曜にね、幼馴染に付き合ってちょっとトレジャーハント」

「「「トレジャーハント?」」」

 男女の幼馴染ならてっきりデートとでも言うのかと思えば、微妙に斜め下の回答だ。

「あの遺跡のニュース見た?」

「ああ、鏡遺跡のやつだろ? ってあれ……」

 フートの言葉を補足するように、ヴェイツェが詳しい内容を羅列する。

「確か、これまで見つからなかった地下への入り口がついに発見されたんだよね。そう言えば古代の副葬品や財宝が見つかるかもなんて特集番組でやってたけど」

「そういえば、トレジャーハンターが連日押しかけてるなんてニュースになってましたっけ」

 ムースやレントもニュースや特番を見ていたらしく、内容を思い返してはうんうんと頷き合っている。

「そ。それで、付き合わされるってわけ」

「っていうかマギラス、お前の幼馴染は何者よ」

 いくら帝都広しと言えど、週末の趣味がトレジャーハントという高校生が一体どのくらいいるのだろうか。

「ギネカさんの幼馴染って、話にはよく聞きますけど謎ですよね」

「結局どういう奴なんだ?」

「断片的な情報は結構上がってくる割に総合的なイメージがどうもいまいち抽象的よねー」

「……ただの馬鹿よ。今回もお宝探しで一攫千金は男の浪漫! って叫んでたわ」

 ギネカの幼馴染はそれこそフートに負けないくらいの天才だが、何故か帝都一の教育機関であるジグラード学院ではなく、普通高のヌメニアに通っている変わり者だ。

 もちろん彼には彼の理由があるのだが、ギネカがそれをここで言うはずもない。

 まぁ、ギネカとしては、幼馴染のネイヴはそれを差し引いても頭はいいのに阿呆だとは常々思っているが。

「なぁ、だったらさ。俺たちも一緒に行っていいか?」

「え?」

「別にお宝横取りしようとかそういうわけじゃないぜ。ほら、鏡遺跡と言えば、最近もう一つ噂があるじゃん」

 別にギネカたちの邪魔をするというわけでもなかろうが、フートがその思惑に割り込む形で新たな話を持ちだした。

 ギネカは幼馴染の「仕事」の手伝いのために集めた資料の記憶の中から、フートが興味を引きそうな答を弾き出す。

「幽霊が出るとかいうやつ?」

「それ! 気になるだろ? いや、実は俺も近々行ってみようと思ってたんだよな」

「道理で熱心に調べていると思ったら……」

 目を輝かせるフートとは対照的に、その様子を傍で見ていたらしいムースが呆れ顔をしている。

 問題のミラーズ遺跡、通称鏡遺跡はここ最近二つの噂で盛り上がっていた。

 一つはギネカがトレジャーハントに行く通り、未発見の階層発見による財宝発掘の期待。

 もう一つは、遺跡が暴かれたことにより地下から幽霊が出てきたという怪談。遺跡の管理人が真夜中に怪しい人影を見たと言う……。

「フートは肝試しでもしたいの?」

「面白そうじゃん」

「まぁ、あんだけ広くて暗くてしかも今回かなり深いことが判明した遺跡なら、幽霊の一人や二人出てもおかしくはないと思うけど」

 ギネカの予定に合わせる形で、結局フートたちも目的は多少違えど同じ時間に鏡遺跡へ訪れることをさっくり決めてしまった。

 いつもの如くレントとムースはそこに参加する形だ。

「セルフとヴェイツェは?」

「私はパス」

「僕もその日は用事がある」

 エラフィとヴェイツェの二人は今回も辞退した。

「っていうか、あんたたちみたいな人外連中のアウトドアになんかついて行けないわよ。こちとら普通の人間なんだから」

「おいコラ誰が人外だ」

 ヴェイツェはまだマシだが、エラフィの身体能力はフート、ギネカにかなり劣る。この二人(と、アリスト)が本気の体力勝負を行うような場面にはついて行けない。

 フートの幼馴染であるムースとなんだかんだで付き合いの良いレントはそれでも頑張ってついて行くのだろうが、エラフィはそこまでする気はない。

 元よりエラフィとヴェイツェは学内でこそ他の面々とも仲が良いものの、放課後や休日の遠出への付き合いはそこそこにしている。

 この二人は団体行動より個人主義を重んじるタイプで、マイペース故にお互い相手の邪魔をしない関係を心地よく思っている。

「ま、決まりだな」

 アリストがいない以外はいつもの面々で話がついたところで、フートは決定事項をさくさくとまとめていく。

「んじゃ、今度の土曜は宝探し兼肝試しってことで」

「鬼が出るか蛇が出るか」

 元より乗り気と言う訳ではなく単に幼馴染に付き合わされた程度の感覚であったギネカが溜息をつく。

「楽しみだな!」



..029


 週末の土曜。休日の朝っぱらから、机の上に並べられた細かな部品や工具。ヴァイスは精密ドライバーを握って、小さな部品の螺子を締めている。

「ヴァイス、何作ってんだ?」

「ん? これか。これはお前たちのためにな」

「俺らの?」

「私たちの?」

 興味を惹かれたのかやってきたシャトンもきょとんと目を丸くし、二人で顔を見合わせた。

「見よ! 魔導万能小型通信機だ!」

「魔導、万能……」

「小型通信機?」

 ヴァイスが掲げて見せたのは、手のひらサイズの何かだった。よくよく見ると裏側に幾つかボタンやスピーカーがついている。

「お前たちの立場上、時には周囲を誤魔化して二人だけで内密の話をする必要もあるだろう。そのために二人だけで話ができるような装置があれば便利だと――」

「あのー、ヴァイス、先生……」

 いつもならつけない敬称をなんとなく口にしながら、アリスとシャトンは一度顔を見合わせるとおもむろに懐から携帯電話を取り出した。

「別にそんなものなくても、今の時代これで十分じゃね?」

「二人だけこそこそ専用装置なんかで話をしていたら、逆に怪しいと思うのだけど」

「――」

 ヴァイスががくりと肩を落とす。

「せっかく作ったのに……」

 ヴァイスの趣味は発明だ。特に本人の専門である魔導の知識を工学分野で活かし、様々な発明をすることに心血を注いでいる。

 ただし『鏡の国のアリス』に登場する白の騎士がそうであるように、その発明の多くは実用的でないどころか、目的とは真反対の結果を生み出すような失敗作である。

 アリスとシャトンはぎこちない笑みを浮かべると、慌ててフォローに入った。

「まぁ、今の俺たちは子どもだし、そういう秘密道具ぐらい持っててもおかしくは思われないかもな!」

「そうね。玩具のトランシーバーとかあるし」

「何かの役に立つかもな!」

「……まぁいい。とりあえず持って行け」

 気を取り直したヴァイスが、通信機をそれぞれの手のひらに落とした。

「その通信機は中に入っている魔導石に込められた力により動く。何もせずとも三日程度で魔力切れを起こすから、小まめに充電ならぬ、充魔力するといい」

「充魔力……」

 何やら新しい言葉まで作りつつ、ヴァイスは道具の特性を簡単に解説した。

 ふむふむと見た目子どもの二人がそれを聞いていると、軽やかなチャイムの音が響く。

「休日とはいえこんな朝っぱらから……ああ、なんだヴェルムか」

 この反応からすると、ヴァイスは最初からヴェルムと約束していたらしい。鍵を開けてすぐに、少年探偵が上がってくる。

 かと思えば、またすぐにチャイムが鳴った。

「今度は誰だ?」

「あら、あの子たち……」

 次はアリスとシャトンの現在の同級生、小等部一年の子どもたちだ。

「何しに来たんだ、あいつら」

「私はヴェルムと奴の受けた依頼に関して話すことがある。小等部連中の相手はお前たちに任せるぞ」

 立て続けの来客たちは、すでに今日も一日騒がしくなることを予感させていた。


 ◆◆◆◆◆


「宝探し?」

 大勢で押しかけてきた子どもたちは、目を輝かせて来訪の目的を明かす。

「そうなの!」

「テレビでやってたんです! 鏡遺跡にまだ発掘されていない地下があったって!」

「お宝あるかもしれないってよ!」

 今日も元気な三人組にまくしたてられて、アリスとシャトンは目を白黒させた。

 彼らの拙くも熱心な誘いについて、一緒に来ていたテラスが補足する。

「ここ最近ずっとニュースでやっているだろう? 鏡遺跡の地下新階層を発見したって。特集番組でそこから古代の副葬品や財宝が見つかる可能性と、それを狙ってすでに何人ものトレジャーハンターが遺跡に入り込んでいるってことも言っていたんだ。僕たちも一緒に行こうって連れて来られた」

「……連れてかれた」

 フォリーがいつもの無表情のまま小さく頷く。

「宝探しなぁ……。でも、鏡遺跡って結構距離あるだろ? それに遺跡の発掘なんてどれだけの装備が必要だと」

「大丈夫!」

 カナール、ローロ、ネスルの三人は自らの背負っていたリュックを下ろし、中身を逐一見せる。

 軍手にスコップ、丈夫なロープ、ノートと筆記用具、タオル、ビニール袋、簡易治療キット、スポーツ飲料、携帯保存食、その他諸々。

 普通の小等部一年生の子どもが「探検ごっこ」の道具として準備するには、あまりにも周到な装備だ。

「これは……」

「テラス君が教えてくれたんだよ! 遺跡を探検するならせめてこれぐらい持って行った方がいいって」

「服も長袖に長ズボンがいいって言われました!」

「だから今日はカナールさんもズボンなのね」

「うん!」

「俺たち準備万端だぞ! アリスとシャトンも早く支度しろよ!」

「え? もう俺たちの参加は決定事項なの?」

 子どもたちはすぐにでも遺跡へ行く気満々だ。

「でも、子どもたちだけで行くの? 行きも帰りもそれなりの距離があるし、遺跡の中なんて何があるのかわからないのよ?」

 シャトンは自分たちはまだしも他五人が小さな子どもであることを気にして、遠回しに保護者の存在の必要性を説く。

 それを予測していたように、テラスが家主の都合を尋ねた。

「ヴァイス先生は?」

 アリスは先程ヴェルムが訪ねてきたこと、用件が仕事の打ち合わせらしいことを思い返して告げる。

「今日は探偵のお兄さんが来てるから、俺たちについてきてもらうのは無理だと思うよ」

「「「ええ~?!」」」

 子どもたちから一斉に不服の声が上がった。完全にヴァイスを頼りに押しかけてきたらしい。

「なんだ、騒がしいぞお前ら」

「あ、ヴァイス先生!」

「おはよーございまーす」

 ヴェルムを伴って隣の部屋から出てきたヴァイスに、子どもたちが良い子の態度で朝の挨拶をする。

 そして先程アリスに否定されたのに諦め悪く、ヴァイスに遺跡探検について来てほしい旨を口ぐちに伝えた。

 どうせ無駄だろうとアリスとシャトンは傍観するが、意外にもヴァイスは行き先を聞いて反応する。

「鏡遺跡だと?」

「俺たちも今からそこに行くんだけど」

「え? ヴェルム……お兄さん、本当に?」

「ああ」

 別室でヴァイスと何やら打ち合わせをしていたはずのヴェルムの言葉に、アリスは目を瞬かせた。

 ヴェルム=エールーカは探偵であって考古学者でも遺跡発掘人でもなければ、トレジャーハンターでもない。一体何をしに行くと言うのか。

 アリスがヴェルムと話していると、見慣れぬ少年に興味を持った子どもたちが次々に彼の下へ集まってきた。

「そう言えばお兄さんだぁれ?」

「なんかどっかで見た顔だぞ?」

「あ、知ってます! 名探偵のヴェルム=エールーカさんですよね!」

 ローロに名を呼ばれてヴェルムはにっこりと頷く。

「その通り。初めまして。ヴァイスの友人で探偵のヴェルム=エールーカだよ」

「わぁ、本物の探偵さんだ……!」

「君たちの名前も教えてくれるかい?」

 しばらく子どもたちの自己紹介が続き、ある人物のところでヴェルムは怪訝な顔をした。

「モンストルム? ってもしかして」

「ええ。帝都警察捜査三課、コルウス=モンストルム警部の息子です」

 コルウス=モンストルム警部は“怪人マッドハッター”専任の警部だ。

「テラスの父親ってあの警部なのか!」

 マッドハッター関連のニュースや特番でよく顔を出す中年の警部を思い出して、アリスは思わず声を上げた。

 モンストルム警部と言えば、怪盗ジャック専任のマレク警部と共に、帝都二大名物刑事のうちの一人である。犯罪者ながら大胆華麗で神秘的な怪人マッドハッターと怪盗ジャックは、帝都で非常な人気がある。それを捕まえることを悲願とする刑事たちもまた、帝都民に広く顔を知られていた。

「そうだよ。知らなかった?」

「気づかなかった……あの人、テラスのお父さんなんだ……」

「モンストルム警部の息子さんか……。そう言えば何度か警視庁内で見かけた気も」

「ふふ。探偵さんは怪盗ジャックの捕り物には参加するのに、マッドハッターの方には来てくれないんだもの。次は是非ともうちのお父さんと協力して、あのコソ泥をけちょんけちょんにして欲しいな」

「ええと」

 可愛い笑顔でさらりと凄いことを言うテラスに、ヴェルムもどういう反応をしたものかと迷う様子だ。

「ところでお前ら、鏡遺跡には何をしに行くんだ?」

 助け舟を出すというわけでもないだろうが、そろそろ時間も押してきたと、ヴァイスが話を本題に戻す。

「そうそう、遺跡探検!」

「お宝探すんだぞ!」

「僕たちも連れて行ってください!」

 子どもたちの懇願を聞いて、ヴァイスがふむ、と顎を撫でる。

「あー……そっちか。宝探しな」

「そっちって?」

「俺が遺跡の管理者から受けた依頼は、幽霊退治の方なんだ」

「「「「幽霊?」」」」

 ヴェルムの思わぬ発言に、子どもたちは先程とは別の意味で目を輝かせた。

 子どもはお化けを怖がるくせに、そういった不可思議な話が大好きなのだ。否、子どもだけではないかもしれない。

 ちゃっかりアリスもカナールたちに混じって幽霊話に耳を傾ける。

 ちなみにシャトンとフォリーはこっそりとあくびを噛み殺していた。

「最近ミラーズ遺跡の内部や周辺で不思議なことがよく起こるんだと。誰もいない真夜中に大きな音がしたとか、白い影を見たとか。管理人さんたちが怖がって、真相の究明を俺に依頼してきたんだ」

「……探偵ってそんなことまでやる仕事だっけ?」

 一般的には浮気調査とか素行調査とかそういうことばかりしているイメージだ。それからコミックやアニメだと行く先々で死体に出くわして殺人事件を解決するパターンもあったりする。

「さぁな。ま、エールーカ探偵事務所は『不可思議な事件お待ちしています』がモットーなので」

 ヴェルムは両親の事件を解決するために、睡蓮教団が関わる殺人のような、真犯人の影も形もない迷宮入りとされるような事件こそを探し求めている。

 今回の幽霊騒動は教団とは関係なさそうだが、依頼者が本当に困っている様子だったので引き受けたのだという。

「ただでさえ最近新階層発見のニュースで賑わっているっていうのに、何かあったら困るだろ?」

「でもさー、その場合本当に誰かが遺跡に不法侵入して怪しいことしてるだけとかじゃないの?」

 『幽霊の正体見たり枯れ尾花』というのはよくあることだ。人影を見たなら例えそこに本来人がいるはずなくとも、何らかの理由で侵入した本物の人影である可能性が高いだろう。

「それならそれでいいんだよ。わからないことをそのままにしておくよりマシだし」

「――それで、結局どうするんだ?」

 行き先が同じと知った子どもたちが期待に目を輝かせる。

 そしてすったもんだの末に、講師と探偵と子どもたちは、ぞろぞろと連れだって共に鏡遺跡へと赴くこととなった。

 

..030


 ミラーズ遺跡。通称鏡遺跡と地元住民に呼ばれるその遺跡は、エメラルドが帝都と定められた頃より開かれた観光スポットの一つである。

 ディアマンディ帝国の首都エメラルドは、その面積に中程度の国が一つ収まってしまう程に広大だ。この都市の中で手に入らぬ物はないと謳われる都だけあって、美術館や水族館に遊園地、景勝地や行楽地等にも事欠かない。

 鏡遺跡は一般公開されている。緑豊かな公園の真ん中に砂岩で作られた壮麗な神殿があり、自由に見学できるようになっている。

 敷地内には遺跡の歴史や発掘品などの関連物を収めた博物館も併設されており、こちらは入館料を払って入ることができた。

 今まで鏡遺跡として認識されていたのは上部の二階建ての神殿部分だけだった。しかし今回、地下階層が発見されて事情が変わったらしい。

 本来なら遺跡を破壊するような行為は慎まれるべきだが、地下の発掘を兼ねて今は人を入れているという。一般的な観光客や学術的興味を持つ考古学者から、それこそ財宝目当てにやってきたトレジャーハンターまで。

 管理者のいる観光地でもある遺跡でこの扱いは珍しいが、それが遺跡の所有者の意向らしい。

 そんな遺跡の入り口で、彼らはお互いに思いがけない出会いを果たした。

「あれ? ヴァイス先生?」

「マルティウス? シュラーフェンにマギラスにターイルと……いつもの面子だな」

 フート、ムース、ギネカ、レントのジグラード学院高等部生四人と、講師であるヴァイスに率いられたアリスたち小等部の子どもたちの集団。そして少年探偵が一人。

 ほとんどが気安い顔見知り同士とはいえ、遺跡の前で出くわすにはお互いに異色の集団と言える。

「何故花の高等部生がこんな休日に遺跡探索を?」

「何故ジグラード学院の講師と子どもたちがこんな休日に遺跡探索を……って」

「……」

 高等部生たちと子どもたちのこれ見よがしなリュックサックと服装を見比べて、どうやら目的は同じらしいと彼らは理解する。

「なるほど、先生たちもお宝探しですか」

「こいつらはな。私たちはまた別の用件だ」

「別?」

 カナールたち子ども衆はお宝探しをする気満々だが、ヴァイスはヴェルムと共に「幽霊退治」に付き合わねばならない。

「へぇ……! じゃあそちらが有名な名探偵さん?」

「生名探偵ですね!」

「なまって……」

 きゃいきゃいと盛り上がる高等部生たちを前に、ヴェルムはそつなく笑顔を作りながら内心では冷や汗をかいていた。

 フートたち四人はヴァイスの生徒……そして「アリスト=レーヌ」の同級生である。前回アリストに変装して彼の不在を誤魔化すためにその友人たちを欺いたヴェルムとしては、やりづらいことこの上ない。

「……」

 当事者でありその場にも居合わせ、なおかつヴェルム側の事情も察しているアリスト本人ことアリスとしても、探偵の内心を慮ると言葉が出て来ない。

「……」

 そして高等部生たちの方の反応としても、一人、他の三人とは違うきつい眼差しを向けてくる人物がいる。ヴェルムがアリストの振りをして現れた時から疑念を露わにしていたギネカだ。

 どうしてヴェルムの変装がすぐにバレたのかはわからないが、「偽アリスト」に対し、彼女はあからさまに疑いを抱いていた。

「俺たちジグラード学院の生徒でヴァイス先生にいつもお世話になっています!」

「いつもヴァイスからお話を伺っています……こんなやりとりは堅苦しいですよね。同い年らしいので、どうぞ普通にしててください。俺も普通に喋るので」

「おう! じゃ、よろしくな! 探偵さん」

「エールーカ探偵に会えるなんて。みんなに自慢したいところですけど」

「この状況で私たちが連絡を入れる友人なんてエラフィぐらいだろうから、『その顔は飽きる程見てる』としか返って来ないでしょうね」

「そういえば、皆さんはエラフィの友人でしたっけ。いつもあのマイペース傍若無人女がお世話になってます……」

「……今初めて、エールーカ探偵とエラフィが幼馴染だってことを実感した」

 自分から敬語などいらないと言った癖に、エラフィの話題を出す時は何故か敬語になるヴェルム。そう言えばあの時、さすがに幼馴染の目は誤魔化せずエラフィにはすぐに「偽アリスト」の変装がバレたのだった。

「それで、探偵さんがどうしてここに?」

 お互いに簡単な自己紹介を入れるのは、ヴェルムと高等部生たちも、高等部生たちとアリスの友人である小等部生たちも同じだ。

 ヴェルムが依頼を受けてヴァイスと共に幽霊退治をしなければならないことと、子どもたちはここまでは一緒についてきたが、遺跡の中では別行動でお宝探しをすることを改めて説明する。

「へぇ、おちびちゃんたちもお宝探しに来たんだ」

「うん!」

「きんぎんざいほうをざっくざく見つけるんだぞ!」

 財宝の話題で和気藹々と盛り上がる高等部と小等部の生徒たちを見比べて、ヴァイスが口を開く。

「そうだお前ら、どうせ目的が同じなら、こいつらの面倒を頼んでいいか?」

「いいですよ」

 アリスたち小等部の面々は思わぬところで保護者を得て、遺跡探検と宝探しを開始する。

「いいのか? いくら高等部生とは言え、七人もの子どもの面倒を見させて」

「なに、そのうち二人はアリスとシャトンだ。二人がいるから保護者がいなくてもなんとかなるだろうと思っていたくらいだ。そうそう面倒も起きるまい」

 ヴァイスとヴェルムはひとまず自分たちの用件を片づけようと、依頼人である遺跡の管理人たちのもとへ向かった。


 ◆◆◆◆◆


 高等部生四人と小等部生七人は、早くもお宝探しに取り掛かる。

「そういえばフート、幽霊はいいの?」

「あー、だって探偵さんが調査するんだろ? 変な邪魔とかしたくないし」

 元は宝探し半分、幽霊観察半分で来るつもりだったフートは、ここで目的を宝探しに集中することにしたらしい。確かに本職? の調査の邪魔になるのはよろしくない。

「地下ってどこから入れるんだ?」

「確か、一階の奥の祭壇裏に隠し扉を発見したって特集番組で見たけど」

 アーチ状の入り口をくぐり、一行は神殿の中へ入った。砂岩に精緻な装飾の施された一階の廊下部分を歩き、祭壇が設置されているという最奥の部屋へ向かう。

 立ち並ぶ柱、天上に描かれた絵。ここからすでに別世界にいるようだ。

 しかし、地下への入り口があるという問題の場所はすぐにわかった。発掘のためにすでにスペースが空けられ、黄色いテープでわかりやすく目印がつけられていたのだ。廊下を歩いていた時の幻想的な気分が一気に現実へと立ち返ってくる。

「ここがお宝のある場所……!」

「楽しみですね!」

「中真っ暗だぞ! 懐中電灯持ってきて良かったな!」

 子どもたちはすぐに気を取り直し、未知の場所を冒険する喜びで盛り上がり始めた。

 地下への隠し扉は大人が一人通れるぐらいの大きさだった。下り階段の奥の方は地下の闇に呑みこまれている。

「俺たちがお宝発見一番乗りするぞ!」

「残念だけどそれは無理かもしれないわよ」

 腕を振り上げてやる気を出すネスルに、シャトンが冷静に突っ込んだ。

「なんでだよ」

「ほら、あれ」

 階段下の闇の中にぽつんと火の色が灯っている。

「あ、灯りが見えます!」

「先客がいるみたいだね」

 テレビで特集もされ、考古学者やトレジャーハンターが日常的に訪れる場と化しているのだから当然かもしれない。

 一行は足を踏み外さぬよう慎重に階段を降りていった。

「だからー、たぶんこの辺に」

「そんなこと言ったって全然見つからないし」

「そろそろ電灯をかざす手が疲れて来たんだが」

「も少しですんで頑張ってくださいって!」

 先に地下へ降りていた先客たちの声がだんだんはっきりと聞こえてくる。

「んー、おかしいなぁ、この辺のはず……あ、あった!」

 まだ若い少年の声だ。さすがにアリスたちのような子どもではないが、大人になりかけの高等部のフートたちより幾らか若い。中学生ぐらいだろうか。

 少年の声が嬉しげに響いた途端、遺跡内にまるで教室の蛍光灯のスイッチを入れた時のようにぱっと明かりがつく。

 目を焼く眩しさを数瞬堪えてから辺りを見回すと、地下室の広さが明らかになった。三方は絵と装飾が施された壁で、正面は広い通路に繋がっている。

「あ、明るくなりました!」

「すっげぇ! ここ電気ついてるのか!」

「そんなわけ……」

 部屋が明るくなったこととこちらが騒がしくしたことで、向こうもこちらに気づいた。高等部生と小等部生の集団に目を瞬かせている。

「む?」

「あれ。なんかちっこいのがわらわらと来たね」

 とはいえ遺跡探索者という意味で言うなら、相手も似たり寄ったりなそぐわなさだ。高校生らしき年齢の少年が一人、後の二人は中学生だろうか。全体的に線が細くて綺麗な顔立ちの少年三人組だ。

「君たちもお宝探し?」

 先程灯りを探していたらしい、澄んだ高い声の金髪少年に問われ、子どもたちが元気よく頷いた。

「うん、そうだよ! お兄さんたちも?」

「ああ。俺たちはトレジャーハンターなんだ」

「トレジャーハンター?」

 三人の中では一番年上らしい、銀髪の少年が言った。彼はフートたちと同じくらいの年齢に見える。

「その歳でですか!」

「お兄さんたち、高等部生だよね?」

「こうとうぶせい……ああ、高校生のことか。 その言い方だと、君たちはジグラード学院の生徒なんだね? うん、俺たちは年齢で言うなら中学生と高校生、ジグラード流に言うなら中等部生と高等部生の年齢だよ。学校には通ってないけど」

「学校行ってないの?」

「え、でも高校生はともかく、中学生って義務教育ですよね?」

「ああ、いやぁその……」

 金髪と銀髪の少年は、うっかり失言をしたという表情で視線を交わす。どうやら何か訳有りのようだが、子どもたちに突っ込まれているところを見ると案外迂闊らしい。

「まーまー、人にはいろいろ事情があるもんだし」

「トレジャーハンターってことは、この国出身じゃない可能性もあるから一概に義務教育がどうとか言えないわね」

 高等部生組がそう注釈をいれる。

「そ、そうなんだ。実は俺たち三人共この大陸の出身じゃなくて」

「えーと、青の大陸と黄の大陸から来てるんだ、って言ってわかる?」

「あんな遠くから来てるんですか?!」

「世界中を旅して回ってるんだよ」

「すごーい」

「……行かなくていいのか?」

 話の区切りを見計らって、これまで口を開かなかった最後の一人が他二人を促した。

 淡紅色の髪をした、少女や妖精を思わせる可憐な美貌の少年だ。

「そうですね、行きましょうか」

「手強いライバルさんたちが現れてしまったことですしね」

 お先に失礼、と。三人組のトレジャーハンターだという少年たちは遺跡の通路奥へ消えていく。

「……ねぇ、アリス。あの人たち、何か感じない?」

「へ? 何かって? 変な奴らだなぁとは思うけど」

 淡紅色の髪の少年は、三人の中では真ん中か一番年下くらいに見えた。

 けれど彼と同じくらいの年齢の金髪の少年はともかく、明らかに年上の銀髪の少年まで敬語を使っていたのが解せない。一体どういう関係なのだろう。

 こそこそと二人で話していたアリスとシャトンに、フートがひょいと上から割り込んでくる。

「お嬢ちゃんも何か感じたんだ? 俺もあの人たち、何か変だなって思ったよ」

「え? フート……お兄さんも?」

 シャトンだけではなく、フートも彼らに何か響くものがあったらしい。

 訝る三人を、テラスが促す。

「ねぇ、それは後にしてさ、僕たちも行こうよ」

「そうだな」

 上層とは違い飾り気のない石壁が続く通路。どこかから吹いてくる風の音が、おいでおいでと彼らを呼んでいる……。


 ◆◆◆◆◆


 ミラーズ遺跡の外観は壮麗な神殿の形をしている。

 建物の外には広い湖沼があり、その透き通った水面には無数の青い睡蓮が浮かんでいた。

 晴れた風の穏やかな日には水面が鏡のように、神殿の姿を花の群れの中に美しく映し込む。

 神に祈りを捧げる古代の祈祷所。だがその事実は今、多くの人間に忘れ去られてただの観光名所となっている。

 もしも古代の信心深い人々がこの遺跡の現状を知ったら卒倒していたかもしれない。

 青い睡蓮は神々への反逆者たる創造の魔術師・辰砂と、彼が崇める背徳神グラスヴェリアの花だ。

 そもそも青い睡蓮は本来熱帯の植物だった。四季の訪れる温帯気候の帝都で育てることは難しい。

 ではここに存在する青い睡蓮は熱帯種から耐寒性に改良されたものか?

 帝都ができる遥か昔から存在する神殿遺跡。その目前の沼に季節を問わず咲き誇っている青い睡蓮。透き通った水の下の泥の中には何が埋まっているのか。

 花は何も知らずに咲く。

 邪神の花とされた青い睡蓮は、そんなこと知らぬげに今日も美しく咲き誇っている。


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