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Pinky Promise  作者: きちょう
番外編
30/30

秘密の秘密(小等部編)


 今年の春に無事ジグラード学院小等部へと入学を果たしたぴっかぴかの一年生、テラス=モンストルムがその朝ロッカーを開けると、目につく場所にミルクティーのような淡い色の封筒が置いてあった。

「? ……」

 表には宛名書きもなく真っ白、もとい茶色だ。裏面を見ても差出人の名はなく、何故か美味しそうなクッキー型のシールで封をしてある。

「よう、テラス!」

「テラスくーん、おっはよー」

「テラス君、フォリーさん、おはようございます」

 丁度その時、クラスメイトの三人組、ネスル、カナール、ローロが登校してきた。テラスとその陰に隠れていたフォリーにも朝の挨拶を元気よく告げる。

 テラスとフォリーが入学前からの幼馴染関係であるように、この三人組も以前から面識のある幼馴染同士らしい。

「おはよう、みんな」

「……おはよう」

「フォリーちゃんも、おはよう!」

「何してんだ、お前ら」

 自分の興味があるものしか見えていないようで意外と目敏いネスルが、テラスの手の中にある封筒に気づいて問うてくる。

 テラスが何か答える前に、フォリーのぼそりとした声が穏やかな場に一石を投じた。

「……ラブレター」

 目を丸くした三人が、次の瞬間餌をねだる雛鳥たちのように一斉に騒ぎ出す。

「え、本当?! 誰? 誰?!」

「マジかよおい!」

「モテますねー、テラス君」

「いや、違うから。って言うかまだ開けてないし」

 何適当なことを言っているのかと幼馴染を睨むが、フォリーは表情を変えないままくすくすと笑っている。

「誰からなの?」

「開けてみないとわからない。封筒には何も書いてなかったんだ」

「そうなの?」

「ってことは、宛先もなくロッカーに入ってたってことですか?」

「うん」

「早く開けてみろよ!」

 次々とかけられる言葉に返事を返しながら、テラスはしばし矯めつ眇めつしていた封筒をようやく開封する。可愛らしいクッキーシールを破かないよう丁寧に剥がした。

「これ、なんて書いてあるの?」

 無邪気に横から覗きこんだカナールだったが、しばらくして可愛らしい眉間に皺を寄せて尋ねた。彼女には内容が読めなかったらしい。

 それもそのはず、小等部一年生のテラスに出されたはずのこの手紙は、本来その年齢の子どもが読むには少々難しい文面が認められている。

「『先日お借りした品を返したいと思います。よろしければ本日の昼休み、図書館裏にお越しください』……だって」

「……何ですかそれ」

 ローロがきょとんと尋ねて来る。

「さぁ。文面だけ読み取るなら、僕から何かを借りた人がそれを返したいから今日の昼、図書館に来てね。ってことらしいけど」

「テラス君、誰かに何か貸したの?」

「そんな記憶もあるようなないような」

「なんだよそれ。意味わかんねーよ」

 ネスルがつまらなそうに吐き捨てる。

 テラスは苦も無く読んだが、この文章は本来の小等部一年生なら読解が難しい。しかも内容はどうにも「納得」しがたいものだ。カナールたち子どもたちは上手く言葉にすることはできずとも、その違和感は大きく彼らの中にも付きまとった。

 しかし彼らが手紙のことで頭を悩ませていられるのもそこまでだった。

「……予鈴」

「あ、いっけなーい!」

「早くしないと先生来ちまうぞ!」

「二人とも、行きましょう!」

 フォリーのぼそりとした呟きが終わる前に、キンコンカンコンと馴染みの鐘の音が聴こえてきた。三人はロッカーから荷物を取り出すと、テラスとフォリーを促しながら慌てて駆けだす。

「で、心当たりは?」

「さぁね。もしかして、という人はいるけど」

 封筒を手にしたテラスと彼に付き合ったフォリーは、予鈴に慌てることなく、けれどHRに遅れることがないよう歩き出した。


 ◆◆◆◆◆


 一時間目と二時間目の間の休憩時間。


「ラブレターがね、ラブレターじゃなかったの!」

「……うん、つまり、どゆこと?」

 カナールの説明は、どうも要領を得なかった。アリスは小鳥のように小首を傾げながら尋ね返す。

「テラス君が朝、手紙を受け取ったんですけど、それが……」

「意味わかんねーんだよ」

 ローロとネスルの関心もその手紙とやらに向いているようだが、彼らの話だけではさっぱりだ。

「テラスー」

「はいはい、現物はこれね」

 今朝方テラスのロッカーの中で発見された謎の手紙について、カナールたち三人組は他のクラスメイトにも意見を伺うことにしたらしい。入学式の日に顔を合わせて以来親しくしている友人の二人、アリスとシャトンを早速事態に巻き込んだ。

 子どもには難しい文面の手紙をテラスは特に注釈もつけずアリスに渡す。受け取ったアリスの方も「うっかり」と自然にそれを読んだ。

「『先日お借りした品を返したいと思います。よろしければ本日の昼休み、図書館裏にお越しください』……なんだこりゃ」

 少女めいた顔立ちだが性格は普通に男らしいアリスは、内容を読み上げた途端顔を顰める。

「変な手紙ね」

「ああ」

 隣から覗きこんだシャトンの方も眉根を寄せている。テラスとはまた別ベクトルの特異性を持つ二人からすれば、カナールたち三人が上手く言葉にできなかった違和感もすでに答が出ているのだ。

「手紙はロッカーに入っていたのでしょう? 借りたものを返すだけなら、それこそ一言つけて品物をそのまま入れておけば良かったじゃない」

「そしてあのロッカーに入らないサイズのものなら、昼休みなんかに渡されても困るはず。どうして放課後じゃないんだ。だいたい、それは名前を書かない理由にならないだろう」

 ジグラード学院の普通科のロッカーはそれなりの大きさがあるのだ。中等部生や高等部生からすれば程良いかもしれないが、入学したばかりの小さな小等部生一年生からしてみれば、それこそ体の半分近くの高さがある。

 もちろんテラスはロッカーをぐちゃぐちゃにするなどせず、きちんと整理整頓している。ある程度の大きさのものなら労せず入れることができたはずなのに、何故そうしなかったのか。

「あ……」

「そっか」

「なんか変だと思ってたんですよね」

 シャトンとアリスの二人がかりで不審な点を上げ連ねるのに、子どもたちは納得していく。

「この手紙は品を返すことよりむしろ……テラスを呼び出すのが主目的みたいだ」

「しかも名前を書かずにね」

「それに、文章だって普通の子どもに読ませるには難しすぎる。言葉がわかったって字が読めないだろう、これじゃ」

「文字自体も、子どもの字じゃないわよ。達筆な大人の手によるものだわ」

「たっぴちってなぁに?」

 少々間違った聞き取りでカナールが言葉の意味を尋ねて来る。

「『たっぴつ』。字が上手いってことだよ」

「へぇー」

「お前らなんでもよく知ってるよなぁ」

 ネスルがアリスとシャトンに感心したような顔を向けてくる。それを聞いてようやく喋りすぎたことに気づいたアリスが慌てて誤魔化しに入る。

「うぇえ。そ、そんなことないよ。この前ヴァイス先生が言ってるのをたまたま聞いただけだよ! なぁシャトン!」

「ええ。『見よ! この達筆を!』とか言いながら『トイレは綺麗に使いましょう』って書かれた紙を見せてくれたのよ」

「ふーん」

「ヴァイス先生……何やってるんでしょう……」

 ちなみにヴァイスに関するエピソードは今考えたのではなく単に実話である。

「ところで一応確認しておくけど、テラス君自身はこの手紙に心当たりないの?」

 子どもの字ならまだしも大人の字だ。ただの悪戯とは考えにくい。けれど間違いや勘違いの線は否めず、シャトンは改めてテラスに問う。

「心当たりねぇ……」

「この手紙から察するに、お前より随分年上の人間がお前から何かを借りて、返したがっているってこと」

「それにロッカーに入っていたのだから、相手もこの学院の人間と見て間違いないでしょうね」

「あるようなないような、ってところかな」

「どういうことだよ」

「返さなくてもいいよって条件で物を渡した通りすがりの相手ならいる」

「……どういうことだよ」

 具体的な結論が出ないまま、授業の間の短い休み時間は終わりを告げた。子どもたちを席に促すように、キンコンカンコン鐘が鳴る。

「次の授業が始まるね。じゃ、続きはまた後で」

「あ、おい!」


 ◆◆◆◆◆


 二時間目と三時間目の間。


「で、どういうことなんだ?」

 アリスはまずは時間切れで詳細を聞けなかった前回の休み時間の話を持ちだす。

 テラスの机の周りに集まって、茶色い封筒をみんなで眺めた。

「雨の日に何も持たず濡れようとしていた人がいたから、予備の折りたたみ傘を貸してあげたんだ。返さなくていいよとは言ったけど」

「……その時、名乗ったのか?」

「ううん」

「え、どうして?」

「この学院に入学する前のことだったんだよ。僕は雨の中、合羽を着て傘をさしてたから向こうも顔なんてわからなかったと思うよ」

「だからテラスはその相手が傘を返しに来るとは思わなかったのか。でも心当たりはそれぐらいなんだな」

「うん」

 そうなんでもかんでもいつでも貸し付けるような趣味はテラスにはない。

「テラス自身は、相手のことは知らないのか?」

「確証ないし、そもそも返してもらおうとは思ってなかったから」

「なら積極的に情報を集めてるはずもないか」

 アリスは再び便箋を弄び中の文面に目を通す。

「うーん」

「何か気になることでもあるの?」

「いや……」

 引っかかることはあるがまだ形にならない。そんな調子でアリスはシャトンの問いに生返事をする。

 便箋を見つめて考え込むアリスに代わって、シャトンが話を進め始めた。

「でもそれならこういう方法を取ったのも不思議ではないわね」

「え? なんで? シャトンちゃん」

「テラス君からしてもその人らしき人物に確証はない。その人からしても傘で隠れたテラス君の顔が見えなかった。それなら、お互いに相手がその時の人かわからないでしょう? 向こうもテラス君が本当に傘を貸してくれたその時の子どもなのか、確認の意味を込めて手紙だけ出したのかも」

「そうか、それなら直接会った時に改めて確認して返せますもんね」

「違う奴に返しちまったら大変だもんな」

「シャトンちゃんすごいーい」

 子どもたちもようやくこの不自然な手紙に納得が行き、まだ見ぬ呼び出し相手に想像を膨らませた。

「会って直接お礼を言いたいのかなぁ」

「でもそれならそうと、もうちょっと詳しく事情を説明してもいいのに」

「なんかこれ一歩間違えると迷惑メールみたいだよな」

 帝都の携帯普及率は世界一だ。最近は子どもでも携帯を持ち歩いている。ここの七人は全員自分用の携帯を持っているので、迷惑メールも見たことがある。

 ネスルの指摘にローロやカナールも顔を見合わせた。

「あー、確かに……。情報量が足りなくて思わせぶりな文面なところとか……」

「せめて名前ぐらい書けばいいのにね」

 淡い紅茶色の封筒も便箋もクッキー型のシールも可愛い。けれど手紙が可愛いからと言って、差出人までもが可愛いとは限らない。

「例えまったく関係のない人間からだったとしても、学内で会おうと言ってきたくらいだから変なことはしないと思うけど」

「変なことって?」

「……テラス君、校内でも人気あるからちょっと心配なのよ。字も男の字だったし」

 具体的なことはぼかしつつ、シャトンは危惧を口にした。

 テラスは小等部一年生とも思えず頭が良く、外見も子どもながらに整っている。クールだが人懐っこい面もあり、自然と人を引っ張っていける彼は入学数か月ながらすでに人気が高い。ここにいるメンバーと組んで遺跡探索や怪盗追跡などの冒険をしているとの噂も広まっている。

 噂ではあるが、それは事実でもある。

「そんなに心配してくれなくても大丈夫だよ、シャトン」

 警戒を見せないテラスと、それでも眉を曇らせてその身を案じるシャトン。

 打開策を打ちだしたのは、これまで沈黙していたフォリーだった。

「……みんなで行く」

 その一言に、いつもの三人が沸きあがった。

「みんなですか?」

「そうだな、そうしようぜ」

「みんなで行けば悪い人がいても大丈夫だし、良い人だって大丈夫だよね!」

「はい! 僕たちでテラス君を守りましょう!」

「え? 本気なの?」

 さすがにこの展開は予測していなかったと目を丸くするテラスを見つめながら、シャトンも嘆息しながら頷いた。

「結局、それしかないわね。アリスもそれでいい?」

「あー、うん」

 そろそろ休み時間の終了だ。昼の方針も決まったところで、子どもたちは各々の席に戻りはじめる。

「ねぇ、何がそんなに引っかかってるわけ?」

 自分の席に戻った後で、シャトンは先程からずっと考え込んでいるアリスに尋ねた。

「いや、この字なんだけどさ……どっかで見た事あるような気がして」

 アリスがそれを思い出せないうちに、担当教師が入ってきて次の授業が開始された。


 ◆◆◆◆◆


 三時間目と四時間目の間。


「あ、ギネカお姉さんとレントお兄さん」

「お二人とも、こんにちは」

「あら、こんにちは」

「君たちも移動?」

「そうなの」

 次の授業は教室を移動して行うものだからと歩いていた廊下で、子どもたちは高等部の知人二人と顔を合わせた。彼らもいつも集団で行動しているように思えるが、今日はどうやらギネカ=マギラスとレント=ターイルの二人だけのようだ。

「他のお兄さんやお姉さんたちは?」

「高等部は選択授業が多いから、今日は別なのよ」

「なーんだ、つまんねーの」

「ひっでー、俺たちじゃ不服だってーのか? ネスル坊」

 レントがしゃがみこんでネスルの頭をぐりぐりと撫でる。その頃には彼らより大分ゆっくりと歩いていたアリスたち四人も追いついてきた。

「あれ? ギネカ……お姉さん」

「ああ、アリス……君」

 名前を呼んでいるだけなのに何故かぎこちないやりとりをした二人に、なんとなく周囲の視線が集まった。

 咄嗟に話を変えようと、アリスは隣を歩いていたテラスの手元の封筒に誘導するように視線を移す。

「ん? なんだその手紙? ラブレターか?」

 アリス、シャトン、フォリーがテラスの手元を覗き込むようにして歩いていた理由がそれだと気づき、レントが怪訝な声を上げた。

「あのね、このお手紙ね」

「実は……」

 カナールとローロがこれまでの話をざっと二人に説明する。

「なんだろう、何かを思い出すわね」

「ああ。脅迫ラブレター事件とかな……」

 ギネカとレントがふと過去の記憶に思いを馳せるような遠い目をした。

 アリスも昨年度の終わり頃に起きたとある騒動を思い出す。あの時は誰宛てかわからないラブレターもどきの脅迫状に対してどう対応するかで半日中話し合ったのだ。

 今回はその時のように明確な脅迫ではないが、差出人がわからない謎めいた手紙であることは同じだ。宛先に関してはテラスで確定しているのがまだマシかもしれないが……。

「でも、それなら普通に貸した傘を返されて終わりかもしれないわね。あんまり心配しなくても大丈夫じゃない?」

 事情を聞いたギネカはそう言って子どもたちを安心させる。

 一方のレントは、茶色い封筒を見て小首を傾げる仕草をした。

「……なぁ、ちょっといいか?」

「え? どうかしたの?」

「俺もその手紙、見せてもらいたいんだけど」

「いいよ。はい」

 テラスがレントに封筒を差し出す。何度も開ける度に糊の薄くなったシールを剥がしてレントは中の便箋を取り出した。四つ折りのそれを開いて読むと、ギネカも隣から覗きこむ。

「「……」」

「レントお兄さん、ギネカお姉さん、ねぇ、どうしたの?」

「なんかわかったのかよ」

 表情の固まった二人に、カナールやネスルが不安な顔になる。

「あ、いえ、なんでもないんだけど」

「ああ。別になんでもないんだ。ただ」

「ただ? なんです?」

 ローロの促しを受け、レントとギネカは渋々ながら口を開いた。

「なんかこの文字に見覚えがあるなって」

「ついでにこの封筒とシールにも見覚えがあるようなって」

「え? お二人とも、差出人を知ってるんですか?」

「「たぶん……」」

 性格が随分違うため、普段は滅多に意見の重ならない二人が声を揃える。

「誰? 誰?」

「もったいぶってねーで教えろよ」

「あのね、実はそれ……」

 その時、鐘が鳴った。

「やばっ! 次ダイナ先生の授業じゃない!」

「ああ! 僕たちも隣の校舎まで行かなきゃですよ!」

 ついつい短い休み時間中話し込んでしまった。全員が慌てて走り出す。

「結局誰だか聞けなかったわね」

 シャトンが走りながら溜息をつくと、隣のアリスから意外な言葉が返った。

「いや……あいつらのおかげで俺にもわかったかも」

「そうなの?」

「あの手紙、たぶん――」


 ◆◆◆◆◆


 その頃、ギネカとレントも人気のなくなった廊下を必死で走っていた。高等部生の教室移動は小等部の生徒よりも距離が長い。

 授業内容にもよるので一概には言えないが、基本的には幼児に近い小等部生と、成人近い高等部生で移動にかかる時間の違いの関係上、そういった配置がされているのだ。

 教師陣に見つかったら怒られること間違いない速度で廊下を駆けながら、二人は先程子どもたちに伝えそびれた内容を困惑ごと吐き出した。

「それにしても」

「一体どうして」

「「フートの奴何やってんの?!」」

 見せてもらった手紙の文字は、彼らがよく知るフート=マルティウスのもの。

 それに、まるでお茶会の誘いでもイメージするような茶色い封筒にクッキー型のシールは、昨日フートが授業の合間に書いていた手紙そのままだ。

「まさか」

「まさかねぇ」

 妙に顔を赤らめながら緊張した面持ちで筆を執っていたので、てっきりラブレターでも書いているのかと思ったのに。

 送り先は小等部一年生?

「まぁ、変なことはしないと思うけど」

「見に行くか、昼休み」

 子どもたちが呼び出し場所に行くつもりなら、下手にフートを引きとめて問い質すより現場に直接向かった方が確実だろう。レントとギネカはそう決意を固めた。


 ◆◆◆◆◆


 そして昼休み。


 指定された図書館裏に、テラスは友人一同を引きつれて、総勢七名でやってきた。

「あれ?」

「フートお兄さん?」

 紙袋を手に提げてそこに立つ人影が見知った顔だったことに驚いて、子どもたちが声を上げた。

「君たち……」

 ぞろぞろと連れだってやってきた子どもたちの姿に、フートはぱちぱちと目を瞬かせる。しかしその集団の中にテラスの顔を見つけると、ぱっと犬が飼い主の姿を見つけたかのような笑顔を浮かべた。

 フートの嬉しそうなその様子とは対照的に、アリスたちは胡乱な目付きになる。

「この手紙でテラスを呼び出したのって、フート……お兄さんだったの?」

「そうだよ」

 テラスの脇はそれぞれアリスとシャトンが守るように固めていた。半ば以上確信しながらも、一応アリスはそう問いかける。

「テラスに返したいものって、傘?」

「うん、そうだけど」

 こちらの問いも事もなげに頷いて、フートは紙袋の柄をしっかりと握ったまま子どもたちの顔を見渡す。

「ところで……なにゆえ皆様御揃いで」

「あなたが不審な手紙を出すからよ」

 思わず小等部生相手に敬語になるフートに対し、ばっさりと言い切ったのはシャトンだった。

「不審?」

「宛先と差出人の名前くらい書きなさい」

「え?! 書いてなかったっけ?!」

「「「「……」」」」

 子どもたちが一斉に無言になった。カナールやローロたちは上目遣いで「どうしようこいつ」と言った顔つきになる。

「もしかして、ただ書き忘れただけ?」

「なーんだ」

 散々惑わされた子どもたちは、呆気ない結末に肩を竦めた。不謹慎全開だが、トラブル……もとい、何か面白いことがあると期待していたらしい。

 とりあえず話を進めるべきだろうと、テラスが前に進み出る。

「……まぁ、いいや。やっぱりあの時のお兄さんは、フートお兄さんだったんだね」

「あ、うん。俺もあの時の子がテラス君だったことにこの前の事件でようやく気付いて……だから、その、これ!」

 フートは手に持っていた紙袋ごと、テラスに差し出した。

 袋の一番上には、折り畳みの青い傘が乗せられているのが見える。しかしその下にはまだ何か綺麗にラッピングされた品が入っているようだった。

「返さなくても良かったんだよ?」

「でも、その、気付いちゃったし、あの時は本当に助かったから!」

 あくまでも穏やかな話しぶりのテラスに対し、フートは若干緊張気味のようだった。顔が真っ赤に染まり、白い髪が更に目立つ……。

「……ねぇ、アリス」

「言うな、シャトン」

「あの人の様子、おかしくない?」

「だから言うなって」

「あの様子は何と言うか、コミックやドラマで好きな人に『気持ちだけでも受け取ってください!』って手作りお菓子を差し出す乙女のような――」

「知らない、知らない。あそこにいる人、俺の知ってるフートじゃないもん」

 アリスは現実を無視することにした。

 目の前で小等部一年生相手におたおたしている少年は、ここ五年程の付き合いでアリスことアリスト=レーヌが知ったフート=マルティウスとは似ても似つかぬ人物だ。

 場外でアリスが現実逃避している間にも、フートとテラスの話は続く。

「……ずっと、あの時の礼を言いたかったんだ。最初に顔を合わせた時にもしかしてと思ったんだけど、確信したのはついこの前だったから」

「気にしなくて良かったのに。僕はただその時自分がしたかったことをしただけ」

「じゃあ、俺も、自分がこうしたかっただけだから。大したものじゃないけど、受け取ってくれると嬉しい」

「ありがとう。じゃあ頂いておくね」

 装丁からするとどうやらクッキーやチョコレートなど定番の菓子の詰め合わせらしい箱が入った紙袋。そして丁寧に洗われ折りたたまれた青い傘を、テラスは受け取る。

 二人の間にかつてどんなやりとりがあったのか、彼ら以外の者は知らない。その時フートの幼馴染であるムースも、テラスの幼馴染であるフォリーも、たまたま傍にいなかった。

 今は折りたたまれた青い傘は二人の運命を繋いだ。気付くことなく通り過ぎれば、そのまますれ違い、返すことなど考えずにいれば、そのまま忘れ去られただろう出会い。

 しかしフート=マルティウスはテラス=モンストルムに礼を言い傘を返すことで、その刹那の絆を繋ぎ築くことを望んだ。

 その絆の行き着く先を知らないまま――。

「紅茶と焼き菓子の詰め合わせなんだ。よかったらみんなで食べて」

「ありがとうね、フートお兄さん」

「こ、こちらこそ。あの時は、本当に、その」

 フートがおたおたしている間にも、時計の針は進んでいく。予鈴が聞こえてきて子どもたちは時間を思い出す。

「じゃ、俺たちは行くな!」

「またね!」

「また一緒に冒険しましょう!」

 七人の子どもたちは、それぞれの手を引きあって教室に帰る。

「ふぅ……良かった。ちゃんと目的は果たせたぞ」

 残されたフートはまだ頬を赤らめたまま、ばくばくと煩い心臓を黙らせようと胸を押さえる。

 そしてくるりと踵を返すと、近くの茂みに潜んでいた友人たちを覗き込んだ。

「ところでレントたちは何やってんだ?」

「……いやぁ、その」

 テラスが手に持っていたのが昨日フートの認めていた手紙であることに気づいたレントとギネカ、そして二人から報告を受けて幼馴染の行動を見張りに来たムース。

 三人は姿を隠し、フートとテラスの密会を監視していた。傍から見るとどちらが怪しいかわかりゃしない。

「あんたがショタっ子に手出さないか見張ってんのよ」

 幼馴染が溜息と共に吐き捨てる。いつも丁寧な喋り方をするムースにしては珍しく、口調が乱暴だ。元々フート相手には他より砕けた物言いなのだが、本日は砕けるを通り越して柄が悪い。

 一方のフートは、まるで好きな人を当てられた女子のように顔を赤らめる。

「え、ちょ、そそそそんなことはさすがに……!」

「「……」」

 レントとギネカの心中は先程のアリスと同じようなものだった。これ、なんか俺(私)の知っているフートと違う。

 それとも今まで自分たちが見ていたフートの方が偽物だったのだろうか。高等部二年の首席生徒、文武両道で好奇心旺盛で楽しく頼もしい姿の方が。真実は一体どこへ行ってしまったのか。

 恋をすると人は変わると言うが……否、待て。いくら十七歳の青春真っ盛りの男子高生とはいえ、七歳男児に恋をするな。

 やはり何かの間違いだろう。きっと恋じゃなくて鯉とか故意とか濃いの間違いだ。意味不明だが、恋だとしても意味不明すぎるのでそれでいい。あるいはただの変だ。

 自分たちとて、友人を淫行条例違反で通報したくなどない。

「レント君、ギネカさん……一応このことは、時が来るまで秘密にしてくれます?」

 秘密も何もすぐにバレそうだが、一応二人は頷いた。

「お、おう」

「……わかったわ」

 でも『時』って、いつ?

 疑問に思う二人だったが、幼馴染を睨むムースの目が怖すぎてどうしても聞けなかった。


 ◆◆◆◆◆


 そんなわけで放課後、子どもたちはテラスの家に来ている。

 フート本人が「みんなで食べてね」と言っていたのだ。元々父親と二人暮らしのモンストルム家には立派過ぎるくらいのギフトセットなので、小等部の友人一同に消化を手伝ってもらおうということだ。

 包装紙を丁寧に剥がして、テラスが化粧箱を開ける。途端、カナール、ローロ、ネスルの三人が目を輝かせた。

「うわー、すごぉーい」

「うまそうだな!」

「これ、確かテレビ番組で見たことある奴です!」

 シャトンが紙袋と包装紙のロゴを眺めながら、中身と見比べて呻いている。

「ザ・マッドティーパーティーのギフトセット、『アンバースデー』じゃない!」

「……それって、凄いのか?」

 こっそりと聞いたアリスに、キッと睨み付けるような眼差しが返る。

「マッドティーパーティーはよくテレビでもとりあげられる紅茶と焼き菓子の専門店よ。ギフトセットは世界的な人気で、特に今この『アンバースデー』ギフトセットは売り切れ続出、恐ろしい程入手困難なのよ!」

 値段としてはそれほど高価ではなく、良心的で手頃な価格。しかしそれ故に手に入れる方が難しく、価値を知る人間は慄くようなものなのだという。

 この世界の中心の都と呼ばれる帝都でさえ、入手は容易ではない。確実にゲットするには数か月の予約待ちか、何時間も並ぶ必要があるらしい。

「彼の本気を感じるわね」

「フートの奴……」

 可愛らしい箱に入ったフィナンシェやチョコのかかったクッキー、キャンディにマシュマロ、三種類の紅茶葉。いかれたお茶会の名に相応しい、騒がしいくらいにきらきらしい菓子の詰め合わせだ。

 現にカナールたちは美味しそうな菓子をすぐには開けないでその包装から楽しんでいる。

 いつの間にかいないフォリーは茶葉を選んで、紅茶を淹れてくれるようだ。テラスの幼馴染であるフォリーはこの家の中に慣れている。しかし七人分を一人で用意するのは大変だろうと、シャトンが手伝いに行った。

「なぁ、テラス」

 解いた包装紙を丁寧に畳んでいたテラスに、アリスは尋ねた。

「フートお兄さんとどんなことがあったの?」

「んー、秘密、かな」

「秘密?」

「そう。別に変なことじゃないよ。表層的に言えば、傘を貸しただけの一言で済む」

 昼休みの前にも言っていた内容をテラスは繰り返す。彼がそう言うのであれば、事実としては本当にそれだけなのだろう。

 ふわりと悪戯っぽく微笑んだテラスの笑みに、アリスはそれ以上問い質す気をなくす。

 きっとテラスとフートの間にあったやりとりは、本人たちにだけわかっていればいいのだ。

 アリスは友人と小さな友人の意外な繋がりに、今少し困惑しているだけ。

「ほら、アリスちゃんも選んで選んで」

「あ、ああ」

 カナールがアリスの前に箱を差し出して、中の菓子を勧めてくる。ギフトセットは小さな子ども七人が楽しむのに十分な量があった。

 謎の手紙と意外な人物の意外な様子に振り回された一日だったが、みんなが嬉しそうにしているのだから、それで良しとしておこう。


 ◆◆◆◆◆


 今は独り暮らしのマルティウス家の居間。フートが部屋の中でクッションを抱きしめてごろごろ転がりながら悶えている。

「うわぁあああやったぁあああ!」

「……」

 彼を訪ねてわざわざやってきた(と言っても家は隣)幼馴染のムースは、そんなフートを生温い目で見下ろす。

 青い傘の少年にまつわる話をこの数週間飽きる程聞かされたムースは、念願のテラスとの会話を終え、フートがこのような反応になることはわかりきっていた。

 わかりきっていたからと言って、おめでとうと一緒に喜んでやるわけではないが。

「ウザイわよ」

「ふぎゃ!」

 足元に転がってきたフートの背中を容赦なく踏みつけて、ムースは焼き菓子を頬張る。

 この数日、テラスへの御礼と称して渡す菓子選びに散々つき合わされたおかげで、家にはまだ大量の菓子がある。どれもこれも値段、人気、味を死ぬほど吟味したものだ。

 ここ数週間、相手があの時傘を貸してくれた少年だという確証を得る前から、フートはテラスをそれ「らしい」と気にしていた。

 けれどこれまでは彼らの授業を通じて繋がりのある講師ヴァイスと、彼の家に現在預けられているという子ども、アリスを介してしか顔を合わせることができなかった存在だ。

 ようやく直接コンタクトをとれて嬉しいのだろう。それはわかる。わかるのだが。

「フート、あんたはしゃぎ過ぎ」

「うう……ムースがいつもより冷たい」

「当たり前でしょう。幼馴染が人としての道を踏み外しかけているのに、にこにこしている人間はいないわよ」

 この幼馴染が現在行方不明の兄の後を継いで怪盗をやると言い出した時にさえ言わなかった台詞をムースは口にする。

 傍から見ればとっくに道を踏み外しているように見えるフートだが、怪盗はムース的にはまだギリギリセーフらしい。

 しかしショタコンはアウトである。

「道を踏み外すって、別にそんな……俺はちょっと、テラス君を常に影からそっと見つめていたいだけで」

「はい、アウト。いい加減にしないと本気でお巡りさん呼ぶわよ」

「ええー!」

 フートが恋をした。

 それはいい。それだけなら喜ばしいことだと、ムースも思う。

 十年前に兄が行方不明となって独りきりとなったフート。人前で明るく振る舞うことは得意だし、日常を楽しんでいることも確かだが、それでも幼馴染であるムース以外には誰にも越えさせない一線があった。

 とんでもない秘密を隠し持っているからこそ、嘘をついたまま真に愛されることはないと諦めきっていた。事情を知る仲間は限られていて、フートと同じ目線で物を見てくれるのはムースだけ。

 そのムースでさえ能力に差がありすぎてフートの思考の全てを追えるわけではない。

 フートは以前からムースのことが好きだと言い続けていた。彼女自身は彼ではなく、その兄のザーイエッツが好きなのだと知った上で。

 けれどそれは、他に自分を理解してくれる人間は現れないだろうという諦観によるものだ。例えザーイエッツのことがなかろうと、そんな好意はムースだって願い下げだ。

 そのフートが、今、彼女以外の相手に全身全霊で恋をしている。自分を理解してほしいという願望から成る好意ではなく、ただ相手の在り方に好意を持ち、他愛ないやりとりができるだけで満足で、笑顔を見られるだけで幸福だと思えるような恋を。

 ……その相手が小等部一年生男子でなければ、ムースも心から応援できたのだが……。

「うう……でも、好きなんだもん」

「フート……」

「それにテラス君、正直俺より大人っぽいと思うし」

「いや、七歳児に大人っぽさで負ける高等部生ってどうなのよ」

 確かに、確かにテラス=モンストルム少年は大人っぽい。小等部に入学したばかりのぴかぴかの一年生とは到底思えない。中身は実は高等部生です! と言われてもおかしくはない程には達観している。

 だからって小等部生に落ち着きで負けていて悲しくならないのか?

 そして年齢もさることながら、男同士ということも気にしないのか?

「まぁ私としても、あの子なら例えあんたに迫られても冷静に急所に一撃入れて即座に通報してくれそうだとは思うけど……」

「しませんよそんなこと?! そして俺振られるの前提なの?!」

「むしろこの条件で報われると思うなっつーの」

 ムースは今日幾度目かわからない溜息をついた。

 彼女としても幼馴染がそこまで人間終わっているとは思いたくないので、本気で心配しているわけではない。無理矢理迫るというのはただの冗談だ。

 それに件のテラス少年は、その知的さと事件に巻き込まれた時の機転により、入学して間もないながらすでに男女問わずファンが大勢いると言う人気者らしい。

 フートの感情も、初めて自分が尊敬に値する能力を持つ相手を見つけたファン心理と言えるかもしれないし。

 それでも、それでももしも、その感情が道ならぬものだとしたら、その時は……。

(彼ならば、フートを救えるのかしら)

 軽い態度と笑顔の裏に無数の秘密を隠す、孤独な怪人を。


 ◆◆◆◆◆


「棚ぼただった」

「フォリー……そういう言い方は」

 友人たちはすでに皆帰った。隣家に住むこの幼馴染フォリー=トゥレラ以外は。

 後片付けは父が帰る前に人数分のティーカップを洗うくらいだった。室内はそれ程散らかってはいない。

 カナール、ローロ、ネスルの三人だけなら散らかしっぱなしで帰っただろうが、アリスとシャトンの二人がきっちり言い聞かせて片付けさせて行ったからだ。

「この展開を予想していたわけじゃないんでしょ?」

「……まぁね。彼、呆れる程にお人好しだね」

「テラスのことが好きなんだよ」

「……やっぱり?」

 以前からなんとなく秋波を送られているような気はしていた。相手は女性ではないし年上だし、気のせいかもしれないとこれまでその視線を躱し続けていたのだが。

「別に僕が何を言ったからって、感動することはないんだけどね」

「彼はあなたを知らない。彼だけでなく、誰も知らない」

「……そうだね」

 暗い雨の日。ずぶ濡れで立ち尽くす姿。雨を避けるにはすでに手遅れと知りながら、彼には小さすぎるだろう傘を差しだしたのは、何もテラスが特別に優しいわけではない。

 テラスはただ、知っていただけだ。その時彼が知りたくなかった真実に直面して傷ついていたことを。

 フート=マルティウス。否、怪人マッドハッターの秘密を――。

「彼を救うのは僕じゃない。不思議の国を救うのは、“アリス”の役目だ」

 フォリーが最後のカップを布巾で拭う。

 これで全てが元通り。

 見計らったように玄関の開く音がする。見計らっていたのはテラス。父親が帰宅する時間から逆算して片づけを始めただけ。

「ただいま、テラス。……今日もフォリー君が来とるのか?」

「お帰り、お父さん」

「お邪魔しています」

 そして子どもたちは日常へ戻る。

 秘密と、秘密にもならないただの事実を、稚い面差しの下に沈めて。



 了.


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