25.赤の女王の夢
...145
無数の硝子玉の瞳が見つめてくる。数々の人形が並ぶ、ここは彼らの根拠地。
「さすがの仕事ぶりだなぁ、赤騎士。俺たちを散々煩わせてくれたハンプティ・ダンプティを殺るとは」
「まぁな」
グリフォンの言葉に、赤騎士は頷いた。
「あの子どもの正体や色々と謎は残りましたが、ひとまず我々にとっての憂いはこれで消えたと見ていいでしょう」
ハートの王が言う。
彼ら睡蓮教団の関係者を次々と殺害した敵対者、ハンプティ・ダンプティを、ついに一行は追い詰めて殺害した。
その正体や殺人の動機についても警察に入り込んだ関係者が上手く隠蔽し、これでハンプティ・ダンプティの復讐と言う線から教団の犯罪が明るみになることはない。
秘密は無事に守られたのだ。
廃ビルで謎の子どもにしてやられるなど様々な失態もあったが、こうして無事に警察に捕まることなく敵だけを葬り去ることができた。
教団が表向きに出した犠牲は結局のところ二十人程。
寿命で死んだ過去の事件の首謀者はともかく、ハンプティ・ダンプティに殺害された者が総勢十八名。そして最後の一人は――。
「多くの犠牲を出したものだ。まったく胸が痛いよ」
「よく言う。自分の父親まで殺しておいて」
芝居がかったハートの女王の台詞に、グリフォンがくっと皮肉な笑みを浮かべる。
ハンプティ・ダンプティ対策をおざなりにした元教祖・赤の王を殺害し、彼らの直接の上司であるハートの女王が見事に教団の代表として君臨することになったのだ。
「これで名実ともに俺たちの女王様がトップに立ったわけだ」
「けれど女王陛下、教団は元々あなたが立ちあげたと伺っていますが」
「ああ。それねぇ」
どさくさまぎれに父親の暗殺を実行し権力を握った娘は、そんな未来を考えていなかった昔に思いを馳せる。
「僕……と言うか、僕と友人の御遊びだよ。二人の秘密にアリスの名をつけて楽しいごっこ遊び。それに途中から目をつけたのが、お父様さ」
『不思議の国のアリス』の良さは、何と言ってもその個性的な登場人物の多さだと彼女とその父親は思っていた。不思議の国と言う枠組みの中で事情を知る者と知らない者を区別することができる。
敵も味方も総ては物語の住人なのだ。そこには彼らの名があり、個性があり、役割がある。
だから友人の発想をそのまま組織に反映し、教団を大きくしていった。
誰も傷つけない箱庭で、自らを救ってという友人との約束を破り。
「元々組織を率いるべき人の手にその権力が戻った訳ですね」
「……」
ニセウミガメの言葉にハートの女王は考える。
元々の持ち主と言うのならば。
これは彼女の夢、彼女の物語だ。
ハートの女王はそれを彼女と分け合った。
「憂いは、本当に消えたのかな?」
トップを殺して彼女が教団という小さな王国の玉座に座ったように、人の死は事態を動かす。
こうしている間にも、新たな物語が動き始めているのかもしれない。
◆◆◆◆◆
帝国、帝都の中心地に存在するジグラード学院。そのまさしく世界の中心たる場所を、珍しい客人たちが訪れていた。
ジグラード学院は様々な施設を外部の人間にも解放している。そのうちの一つに、世界最大の蔵書を誇る図書館がある。
通称“バベルの図書館”。
『不思議の国のアリス』や『オズの魔法使い』のように超古代の文学作品にその名はある。ホルヘ・ルイス・ボルヘスによって書かれた幻想的な短編小説。無限の書架を持つ図書館で、司書たちが彼ら一人一人の「弁明の書」を探す話だ。
その話になぞらえて、世界最大の蔵書数であるこのジグラード学院図書館をバベルの図書館と呼ぶ――のだと、大体の人間は思っている。
しかしここがバベルの図書館と呼ばれる理由は、それだけではなかった。
無限の図書室。
物質として書物の形態をしている訳ではないが、真実ここには「弁明の書」と呼ばれる人々の運命を記録した年代記がある。そしてそれを収める無限の書架は、現実とは次元を隔てた異空間として存在する。
今回彼らが集まったのは、その異空間に用があるからだった。どんな堅牢な城壁にも叶わない、三次元と隔絶された異空間の中でなら秘密の話ができる。
とはいえ、彼らにとってはそれもまた使い慣れた個室程度の意味合いしかないのだが。
「……まさか、彼らがそうだったとはね」
誰かが口火を切ると同時に、一斉に溜息が吐き出された。
「復讐鬼ハンプティ・ダンプティ。そして姿なき情報屋ジャバウォック」
「怪人マッドハッターこと帽子屋もな……まぁ、こちらはもう一人当てがある状態だが」
ジャバウォックことテラス=モンストルムが、帽子屋の正体の一人、フート=マルティウスを連れて消えた現場を直接目撃していた白の王――アブヤド=マレク警部は言う。
「俺が、もっと早く気づいていたら……」
「気にしても仕方がないでしょ。誰だって過去には戻れないわ」
落ち込むペタルダをフリーゲがただ労わる。魔導士であるペタルダは彼らが何らかの力を秘め、不思議の国の住人としてコードネームを持っている存在であることまでは感じ取れたが、それが具体的に何者であるかまではわからなかったのだ。
「出遅れたな。我々も片手間だったとはいえ」
白の王国のメンバーは、元々は数百年に渡り創造の魔術師・辰砂の魂の欠片を集めていた集団だった。
ある時それを邪魔する一大勢力、睡蓮教団と激突して彼らを表社会に影響を与えず秘密裡に処理するための方法を模索していた。
教団の対処にも動くが、元々の目的は“白い星”の収集。トレジャーハンターを名乗って各地の遺跡を巡り、曰く付きの品々を探して回っている。
帝都には連絡役のゲルトナーをジグラード学院に残し、不思議の国の住人であることを自ら表明している怪盗ジャックの対策にマレク警部が直々に動いていた。
ここ数年はそれで回っていたのだ。
――ハンプティ・ダンプティが現れるまでは。
復讐鬼の存在は、睡蓮教団と白の王国を始めとするその敵対者たちの戦いの均衡を一気に壊した。
彼は表社会に知られないように活動するという両者の無言の協定を大きく破り、他の敵対者たちにない荒っぽさで次々と教団の人間を手にかけた。
しかし。
「そんな事情だったなんてね」
ゲルトナーがアリスやヴァイスから聞いた事情からすると、ハンプティ・ダンプティを責めるわけにもいくまい。
連続殺人鬼として帝都の民を震え上がらせたハンプティ・ダンプティの正体は、まだ十七歳の高校生。
背徳神の魂の欠片である自身が教団に目をつけられたせいで、両親を教団に殺害された少年だったのだ。
「……我々の失態だ」
教団が数々の凶悪な事件や事故を引き起こしていることは、白の王たちも知っていた。それが世間の明るみには出ないことも。
それでも十年前にヴァイスが教団の勢力を大きく削ってからは、それ程大きな事件は起きてはいなかった。
だから被害は少ない、教団への対処を多少後回しにしても大丈夫だろうと……。
たった数人の被害?
教団の活動によって家族を殺された者にとって、それは絶対に代わりなどいないたった一人だ。
数年前のこと?
遺された者たちにとっては、まだ、たったの数年。
むしろ若ければ若い程、憎しみは募るのかもしれない。大事な人を奪った犯人は今ものうのうと、輝かしい人生を送っているのに、と……。
「やはり、人は愚かだな」
マレク警部がここで言う「人」とは自分自身のことだ。
彼もかつては復讐者だったのに、同じように復讐を望む者の気持ちをわかってやれなかった。喉元過ぎれば熱さを忘れるのは、人類の悪い癖だ。
より多くの人々を守るためだと理由をつけて、小さな悲しみを無視した結果がこれだ。
「やはり、我々はもう表舞台に立つべきではないのでしょう」
永い時間を生きてきた神々の眷属。あまりにも永く行き過ぎて人の心を忘れていく彼らが前に出過ぎれば、人が人として生きる世界ではなくなってしまう。
「いつだって時代を救うのは、その時代を生きる者でしかない」
過去も、未来も今を救えない。
今が、過去と未来を救うのだ。
「ならば我々も、賭けてみようか。あの少年に」
この時代に生き、残酷なお伽噺を終わらせるはずの主人公。
「アリスの戦いに――」
...146
「学校の方、しばらく休暇を頂いたんです」
「へ?」
いつもの夕食の席、突然のダイナの言葉にアリス、ヴァイス、シャトンの三人は目を丸くした。
「休暇って……授業を長く休むの?」
思いがけずたどたどしい言い方になってしまったが、アリスはなんとかそう尋ねた。
「ええ、長期休暇の申請をして、その間何ヶ月かは代理の先生が勤めることになるわ」
ここ数年、ダイナは常にジグラード学院の教師として変わることのない日々を送っていた。姉がこんな風に日常のペースを自ら変えたのは、アリスにとっても初めてだ。
彼女が個人的な理由で何日も授業を休講にしたのは、それこそ先日のエラフィ誘拐事件の騒ぎで怪我を負った時くらいだった。
何かが静かに変わり始めている。
「どうしてもやらなければいけないことがあって。すぐに帰って来られればいいのだけれど……」
言いながら、ダイナは表情を曇らせた。
わざわざ学院に長期休暇を申請し、授業を休む。そしてこういう言い方をすると言うことは、完全に家を空けるということだろうか。
「長期休暇で家を留守にするなんて、まるで世界一周旅行に出かけるみたい。どこか遠くへ行くの?」
「ええ。さすがに世界一周する訳ではないけれどね」
シャトンの言葉に、似たようなものだとダイナは頷く。
学院の仕事で出張する訳ではないから、確かに旅行に近いだろうと。
「それほど長くかかるのか?」
ヴァイスの質問には、溜息交じりに答えた。
「昔から気難しかった友人を説得しなくてはいけなくて、いつになったら解決するのか見通しが立たないんです」
「友人……」
つい最近友人を亡くしたばかりのアリスは、それを聞いて少しばかり考え込んだ。
友人故に彼女が行動せねばならないというのなら、誰かに代わってもらうわけにはいかないのだろう。
「あの……」
そして考え込むアリスの傍ら、恐る恐ると言った体で、シャトンが問いかけた。
「アリスト……お兄さんが帰ってくるのは待たなくていいの?」
「!」
アリスはどきりとする。
アリス――アリスト=レーヌは、絶対に帰ってくることをダイナに約束して帝都を出たことになっている。
今ダイナが家を空けて長く出かけてしまうと言うのなら、アリストが戻ってきたとしてもすれ違いだ。
尤も、アリスとしてもいまだ盗まれた時間を取り戻す具体的な方策が見つからない。
帝都に戻るのはアリストが先かダイナが先か。
「……そうね。本当はアリストを待っていてあげたかったわ」
ダイナの声には後ろ髪を引かれる想いが確かにある。
けれど同時に、彼女はもはや心を決めてしまっているようだった。
「でもこれは、私がやらなければならないことなの。――あの子を止めなければ。他の誰かに任せる訳にはいかないの」
「そうなの……」
アリスの代わりにシャトンの方が、どこか申し訳なさそうな顔をしている。
ハンプティ・ダンプティや三月兎の一件で、睡蓮教団と自身のしてきたことの惨さをシャトンはまざまざと突きつけられた。
ここしばらく落ち込んでいたところに、この一件だ。アリスのことに責任を感じているシャトンとしては、アリスの帰る場所であるところのダイナが帝都からいなくなると言うのは他人事ながら堪えるのだろう。
「どのくらいで戻れるの?」
「わからないわ。相手と私の意地の張り合い次第ってところね」
「そっか……」
アリスは一瞬だけ悲しそうな顔をしたものの、すぐに良い子の笑顔を作り、ダイナに少し早い見送りの言葉をかける。
「気を付けて行ってきてね」
「ありがとう。必ず戻って来るから」
「……」
そんな風に言われると、まるで戻って来ないことがあるかのようだ。
「あのね、ダイナ先生」
自然体で見送ろうと思ったのに、ここにきてアリスはどうしても伝えたくなってしまった。例え不審がられたとしても。
「もしもダイナ先生よりアリストお兄さんの方が先に戻って来れたら……アリストは、待っていてくれると思う」
ヴァイスとシャトンは目を瞠るものの、結局アリスの行動を押しとどめるようなことは言わなかった。むしろ、茶化すようにして場の雰囲気を和ませることに努める。
「そうだな。ダイナだってアリストを随分待ったんだ。今度はダイナの方が少しぐらいアリストを待たせても問題ないだろう」
「自分も待たされた方が、アリストの方も気が楽になるかもしれないわね。これでお相子だって」
ダイナが微笑んで礼を言う。
「……ありがとう、三人共」
このやりとりの全てが嘘と言うことはなく、気持ちだけは十分に伝わっても、その真意が本当に明らかになる日は酷く遠い。
そして今日もまた一日、なんでもない日が過ぎていく――。
◆◆◆◆◆
数日後、ジグラード学院。
「……」
「……」
「……」
エラフィが口火を切った。
「ねぇ、なんか今日人数少なくない?!」
「うん……」
「なんでだろうな」
いつもの放課後。……とは行かなかった。
先日の事件による悲しい別れのことは差し引いても、明らかに人数が少ない。
この場にいるのは高等部のエラフィとレント、そして小等部のカナール、ローロ、ネスルの三人のみである。
「うちはフートと、ムース、ギネカが都合悪いって」
「アリスちゃんとシャトンちゃんとフォリーちゃんがお休みなの」
「欠席者が六人、今日は総勢五名かぁ」
確かに集まって騒ぐような気分ではないとはいえ、これはさすがに少なすぎではないだろうか……?
放課後用事があると言うだけならともかく、全員が授業を休んでいるのである。
「それに今日はヴァイス先生も休みで、ダイナ先生は何か用事があって長期休暇の申請……」
そして、ルルティスも休んでいる。
彼の正体に関しては――ハンプティ・ダンプティことヴェイツェが殺された病院の屋上で、その姿を直接目撃したアリスたちと、彼に伝えられたギネカたちしか知らない。
今ここに集っているのは、真実から少し遠い人間ばかりだ。
「ヴァイス先生に関しては、むしろヴァイス先生に用事があるからこそアリス君とシャトンちゃんも休みだと見るべきじゃないかな」
「それもそうか」
アリスとシャトンの保護者はいまだにヴァイスと言うことになっている。
「あ、もしかしてアリスちゃんやシャトンちゃんのお父さんお母さん絡みの話かな。あの二人、家に帰れることになったのかも」
「その辺の話は俺たちも聞いてないからなぁ……」
よその家庭の話に首を突っ込んで良いものかと、レントは複雑な表情になった。
「まぁ、あの子たちは待っていてくれる家族がいるって言ってたし、話が進展してるといいわね」
「え? そうなのか」
誘拐事件の後にアリスとシャトンと三人きりで直接話して簡単に事情を聞いていたエラフィは、皆にその話を告げる。
「……でも、他の人たちは何があったんでしょうね」
話が一段落と言う名の一回転したところで、ローロが小鳥のように首を傾げた。
結局そこに尽きるのだ。いくらなんでも今日は知人友人が皆揃って休み過ぎる。
「インフルエンザにはまだはえーぞ」
「ネスル君、それは冬です。帝都はもうすぐ夏です」
いきなりこの人数が季節外れのインフルエンザにかかるはずもないだろうと、やはり彼らは首を捻って考え込む。
「何か知らないけど全員用事で休みって言ってるのよね」
「たまたまだとしたら凄い偶然だね」
ヴァイスとアリス、シャトン。
ダイナ。
フートにムース。
ギネカ。
フォリー。
この全員が一度に別の用事で抜けることがあるなどと、そんなことがあるのだろうか?
しかし、では今この時期に彼ら全員に共通する用事があるとも思えない。
どうにも気分が盛り上がらずそのままぐだぐだと机になついて話をしていると、フォリーから電話で連絡が入った。
「あ、フォリーちゃん。どうしたの今日は」
何故か小等部の友人たちではなく、高等部のエラフィにかかってきた電話に視線が集中する。
「は?」
「……どうかしたのか?」
突如おかしな声を上げて携帯を凝視するエラフィに、レントがそっと問いかける。
だが彼女は依然レントよりも、電話の向こうのフォリーに集中していた。
「どういうこと? テラス君が、私たちにしてほしいことを頼んでいたって……」
先日亡くなったばかりの小さな友人の名に、彼らは一斉に息を呑んだ――。
...147
怪しげな暗い部屋。窓はなく、照明も限られている。
棚に並ぶ何の生き物かもわからない頭骨と標本。奇怪な絵画に血塗られた魔法陣。飾られた蝋燭は人の手の形をしていた。――“栄光の手”と呼ばれる魔道具。
「……何のサバトだ!」
一歩足を踏み入れた途端、アリスは叫んだ。
自分たちは改めて睡蓮教団の敵対組織こと“白の王国”に呼ばれてきたはずなのに、招かれた屋敷で通されたこの場所はまるで物語に登場する如何にもな魔女の秘密部屋である。
「いやー、すみませんね。今ちょっと共同研究のために散らかってまして」
「あんたたちは……」
「俺はセット=ジャルディニエ。こっちはジオ=キプロス」
銀髪に青い瞳の二十代半ばの青年と、燃えるような赤毛の十四、五の少年が部屋に入ってくる。
「お前たちには、こう名乗った方がわかりやすいだろ。“庭師の7”と“庭師の2”だ」
「あ、ってことは、ゲルトナー先生の」
「同僚にして同胞。“辰砂の弟子”の残り二人でーす」
お気楽に名乗った銀髪の青年がコードネーム“庭師の7”、少しぶっきらぼうな口調の赤毛の少年が“庭師の2”らしい。
ゲルトナーがそうであるように、この二人もまた外見と実年齢が一致しないのだろう。アリストより若く見える少年ですら、人の寿命の何倍も生きていると言う。
「来たか?」
「マレク警部」
とりあえず怪しげな部屋の中に押し込められてごちゃごちゃやっているところに、ようやくアリスたちを呼びだした張本人が姿を見せた。
帝都警察捜査三課、怪盗ジャック専任警部ことアブヤド=マレク。
しかしその正体は、“白の王国”と呼ばれる組織の支配者、コードネーム“白の王”だ。
普通なら白の王の正体がマレク警部と言うべきなのだろうが、見た目よりずっと長生きしているマレク警部やゲルトナー教諭のその名もまた偽名。もはや本名など覚える必要もないとの言い振りだ。
「……って言うか、なんかどっかで見た顔ばっかりなんですけど?!」
元からいた者たちと新たにやってきた者たち、その面子の顔を見回して、アリスは思わずそう口に出さずにはいられなかった。
“白の王”アブヤド=マレク
“庭師の5”フュンフ=ゲルトナー
“庭師の7”セット=ジャルディニエ
“庭師の2”ジオ=キプロス
そして
“処刑人”エイス=クラブ
“魚の召使い”サマク=カーデム
“蛙の召使い”ラーナ=セルウィトル
鏡遺跡で出会い、先日のエラフィ誘拐事件でも学院組がエメラルドタワーで顔を合わせたトレジャーハンターの少年三人組と。
「ってことは、彼らの知り合いであるあなたたちも……」
「そういうこと」
“木馬バエ”フリーゲ=カルッセル
“バタつきパン蝶”ペタルダ=パンブール
エイスたちの知り合いで、エラフィ誘拐事件の時に学院組を手伝ってくれた二人組のこちらもトレジャーハンターだ。
あの時に力を借りたギネカが呆気にとられている。
「……あなたたちの仲間は、これで全員?」
「いいえ。あと三人ね。この三人は現在大陸外の遠方まで出ちゃってるから戻って来るのは随分先よ」
シャトンの問いには、フリーゲが答えた。
アリスとシャトンはフリーゲとペタルダとは初顔合わせだが、向こうにはあまり気にする様子はないようだ。
「お互いに初めての者もいるだろうし、そちらも自己紹介を頼む」
「……アリスだ。アリス=アンファントリー」
頃合い良く声をかけたマレク警部に応え、アリスたちもそれぞれ白の王国の人々に名乗った。
“アリス”アリス=アンファントリー
“チェシャ猫”シャトン=フェーレース
“白の騎士”ヴァイス=ルイツァーリ
“料理女”ギネカ=マギラス
そして、一人の少年が仮面に手をかける。
「怪盗ジャックこと、パイ泥棒のジャックだ」
「まさかこのような形で仇敵の正体を拝むことになるとはな」
「それはこちらの台詞ですよ、怪盗ジャック専任マレク警部」
“パイ泥棒のジャック”ネイヴ=ヴァリエート
改めて手を組むこととなった怪盗も、アリスたちの仲間、ギネカの幼馴染としてこの場に一緒にやって来た。マレク警部は前回の一件でジャックの正体を知っているとはいえ、目の前で仮面を外す姿を見るのは流石に複雑なようだ。
「あとは、ここに来られない探偵さんだっけ?」
「……ああ。ヴェルムには怪盗ジャックと手を結ぶことは伝えたけど、ジャックの正体がネイヴだってことはまだ教えてないんだ」
「いやぁ、だってどう言っても話がややこしくなりますし……」
ここで怪盗とその専任警部が顔を突き合わせている時点でもうすでにややこしいのだが、ヴェルムの潔癖さを考えればそのまま素直に教えてしまうのは躊躇われた。
「そう言う訳で、私はしばらく怪盗ジャックとして通させてもらいますよ。元々パイ泥棒を名乗ったのは、睡蓮教団への敵対意識を示すためでしたから」
「ネイヴ、お前姿が変わると口調まで変わるのはややこしいな……」
手を組むとしたところで、必ずしも全てを明かさねばならない訳ではない。少なくとも怪盗ジャックは、探偵ヴェルム=エールーカには正体を隠すことにしたらしい。
“イモムシ”ヴェルム=エールーカ
“公爵夫人”ジェナー=ヘルツォーク
その性格通り探偵として堂々と本名そのまま睡蓮教団への敵対者として名を挙げているヴェルムは、教団との戦いが本格化した際には真っ先に被害を受ける可能性がある。
そんな彼のフォローには、教団から逃げ出してヴェルムに匿われることになった公爵夫人ことジェナーがそのままつくと言う。
彼らにはこの集まりのことは言ってあるので、事情は把握しているはずだ。
「あとは……ちょうど良いタイミングだったな」
扉が開き、更に人数が増える。
彼らもアリスたちの知人であり友人だが、共に行動はせず別々にここまでやってきた。
今度も帝都の誰もが見知った姿。しかし彼にまつわる事情はややこしい。
「怪人マッドハッター。ザーイエッツ=マルティウスだ。どうぞよろしく」
部屋に集まる面々の様子から一瞬で状況を理解したらしく、優雅に腰を折って礼をする。丁寧過ぎるその仕草は道化らしく気取っているように見えた。
仮面をとってにっこりと笑う怪人の表情はフートと同じで同じではない。寸分違わずそっくりでありながら、まるで違う。
フート=マルティウスの兄、ザーイエッツ。
彼はシャトンが十年前に試験的に作った不完全な禁呪を教団にかけられて、アリスと同じように十年の時を盗まれていた。
十年分若返った彼の姿は、十歳年下の弟とそっくりになっている。
そしてその弟こそ、アリスト=レーヌの同級生で友人であったフート=マルティウス。
兄が行方不明になった十年後、兄の代わりに怪人マッドハッターとして帝都の夜を騒がせていた怪盗の一人――だった。
彼はもういない。
フートは姿なき情報屋“ジャバウォック”ことテラス=モンストルムに導かれて何処かへと消え去ってしまったからだ。
彼がどうなったのかは誰にもわからない。
けれど、そのフートと入れ替わりのように、ザーイエッツが帝都に戻ってきた。
十年の時を盗まれた彼は、十年の時を生きることで彼自身が怪人として活動していた十七歳の姿をようやく取り戻して、睡蓮教団への反撃に出る。
「マッドハッターの相棒、“眠り鼠”です」
ザーイエッツの傍には、彼の弟が怪盗をしていた時と同じように共犯者である少女がいる。
“三月兎”にして“帽子屋”でもあるザーイエッツ=マルティウス
“眠り鼠”ムース=シュラーフェン
二人の怪人マッドハッターとその相棒のことはアリスたちにもまだ全てを受け止め切れたわけではないが、大まかな事情はわかった。
早い段階でアリスたちに協力していたギネカとは少し立ち位置が違うが、ムースも、そしてザーイエッツもアリスにとっては大事な友人だ。
彼らと手を組み、これまで多くの人々を苦しめてきた睡蓮教団との決着をつけることを選んだのはアリスである。
「これで本当に全員?」
「あ、待って。あと一人――」
アリスが口を挟もうとしたところで、タイミングを見計らったように電話がかかってくる。
否、見計らったようにではなく、本当に見計らっていたのだろう。余人には想像もつかない方法で。
『“バンダースナッチ”……フォリー=トゥレラ』
ジャバウォックが生前に残した情報を使ってアリスたちを支援してくれるという小さな少女フォリーもまた、コードネームを持っている。
“バンダースナッチ”、フォリー=トゥレラ
彼女は背徳神の魂の欠片を多く有するために、あまり目立つ行動をして教団に目をつけられないようにテラスが忠告していたらしい。
けれどそのテラスももういない。今こそフォリー自身が戦わねばならない時だと言う。
一癖も二癖もありすぎる顔触れだが、この面子で彼らは教団との戦いを終わらせねばならない。それぞれが決心した結果、今日ここに集まったのだ。
...148
テラスが情報屋として残した資料を基に、彼らは作戦を立てる。
それは睡蓮教団の様々な悪事の証拠。ハートの王と対峙した際に、テラスが彼から盗み出した情報だ。
睡蓮教団の幹部たちは持っている情報を巧妙に暗号化し、データにもウイルスを仕掛けていた。ファイルを開くだけで並大抵の作業ではなかったのだが、そこは白の王国の技術者が突破した。
「伊達に長く生きてねーからな」
「暗号の方も、これだけじゃ意味はわからないけれど……」
ハートの王の持っているデータは断片的なものだった。
しかし、そこにチェシャ猫と公爵夫人の持ち出した情報を合わせると規則性が見えてくる。
彼らは一人がデータを盗まれても、それだけでは決して睡蓮教団の心臓部に繋がらぬようデータをパズル状に分けて持っていたのだ。
そして誰がどのデータを持っているかは、お互いしか知らない。
「だからこそ睡蓮教団は、お互いを“不思議の国の住人”と言う名のコードネームで縛り合う」
「教団の関係者を片っ端から殺していったハンプティ・ダンプティを警戒したのも、それが理由だったのかな……」
秘密を知る者と知らない者。
その違いは、それだけ大きいのだ。
「睡蓮教――つまり、背徳神グラスヴェリアを崇める集団だけあって、彼らの信者も多くが背徳神の魂の欠片を持つ者だからね。組織力の大部分を人の力に頼っているんだろう」
どこの企業でも団体でも多かれ少なかれそういうところはあるが、それでも睡蓮教団の形態は特異であった。
だからこその「信仰」だと。
テラスがハートの王から引き出したデータは大漁だが、肝心な部分はまだ隠されている。それを何とか見つけ出すためにも、やはり直接彼らの本拠地に乗り込む必要があるだろう。
「では、教団独自の弱点は?」
突然問われて、アリスは狼狽える。
「えーと……宗教団体として背徳神を崇める組織なんだから、その精神的な拠り所である神様になんかあれば組織を揺るがせることができるんじゃないか?」
ハンプティ・ダンプティことヴェイツェの過去を聞いた時、彼を得るために教団が彼の両親を四百人以上も巻き込む事故に見せかけて殺したという執念に驚いた。
そして始まりのその時からを思い返す。
アリストが時間を盗まれたのは、彼らの神を復活させるためだと言う――。
「正解だ」
マレク警部がにやりと意地悪く笑う。
凍るような美貌の持ち主だが人間味を失うことがないのは、こうした部分があるからだろう。
「奴らは“神”のために動いている。実際それが背徳神のためになるかどうかはともかくとして、教団の信者の大部分は背徳神を蘇らせたいと願っている」
「前から思っていたんだけど、蘇らせてどうすんの?」
「願いを叶えてもらうのさ」
朱い唇を皮肉気に吊り上げて言う。
「地上に無数の魂の欠片となって“堕ちた”神。天上におわす他の神々と違って、グラスヴェリアは欲深い人間どもにとっては唯一手の届く神なのだろうよ」
「……本当に叶えてくれるの?」
その口調に答をなんとなく理解しながら問いかけたアリスに、別の人物が返答を投げる。
「そんな訳ないだろ」
一刀両断のエイスに、心なしか周囲の白の王国メンバーから生温い眼差しが注がれているのは気のせいだろうか。
「だがそれが真実かどうかはどうでもいいのだ、教団にとってはな。真実は保証せず、ただ神が蘇れば願いを叶えてくれると囁いて信者を増やす」
「グラスヴェリアは背徳の神。……その性質を勝手に勘違いして、どんな後ろ暗い願いでも叶えてくれると思っているんですよ」
ラーナが溜息と共に告げる。
今日は動きやすいトレジャーハンターの服装ではなく、どこか神官めいた格好をしている。もしかしてそれが彼の本職なのだろうか。
「我欲で動く連中もそうだけど、純粋に叶えて欲しい願いのある人間ほど厄介なものだよ」
ラーナの溜息に対し、ゲルトナーがまた別の角度から教団員たちの思惑を告げる。
「純粋な願い?」
「死者を蘇らせたい」
アリスたちの脳裏に、ヴェイツェやテラスの姿が過ぎる。
他にも家族や友人、これまでの人生で失ってきたたくさんの人々の姿が――。
「そういう人ほど、教団につけ込まれるんだよ」
師である辰砂を取り戻したいと願う、その弟子たち三人がしみじみと告げる。
ある意味彼らも教団と同じ目的のために動いている。睡蓮教団は背徳神グラスヴェリアを取り戻したくて、彼ら白の王国は創造の魔術師・辰砂を取り戻したい。
けれど。
「教団自体が多くの人を殺しているじゃない」
「神が蘇ればみんな生き返るからいいんだと」
「そんな話ふざけ過ぎよ」
ギネカが憤慨する。
睡蓮教団の主張を彼らが受け入れられないのは、そこに伴うものが他者に本来無用なはずの痛みを強いる行為だからだ。
彼らの願いが、あまりに自分勝手なものだからだ。
この世の人間の行動は皆、大なり小なり身勝手を含むもの。とは言え、例え自らの大事な人間を生き返らせるためであっても、同じ痛みを他者に強いる行為に賛同する気にはなれない。
「結局、死者のために死者を蘇らせたいんじゃなくて、他者を生かすも殺すも全部自分の都合ってわけだ」
「誰かを蘇らせるために他の誰かを殺す人間の心理なんてそんなものだろう」
吐き捨てたエイスをちらりと見遣り、マレク警部が逸れた話を作戦会議の主軸へと話を戻す。
これまでどれ程多くの人間が死んだかしれない。教団と正義について議論などする段階はとうに通り過ぎている。言葉での話し合いで決着がつくとも思えない。
戦うしかないのだ。そして教団の暴走とも言える犯罪行為を止めるためには、それなりの作戦が必要である。
「……それで、教団の拠り所である神の存在を、彼らから奪うにはどうすればいいと思う?」
――その時、アリスの脳裏に閃いた。
「時間」
まるで最初から全て、答がそこへ繋がっていたように。
「教団が十年の時と多くの人間を使って集めた、神を蘇らせるための“時”を奪う」
教団が積み重ねてきた罪。その中で奪われ、喪われてきた多くの者たち。時を奪われて死んでしまった人間はどうにもならない。
けれど、“アリス”は生きてここにいる。
盗まれた時間、アリスト=レーヌの一部は元に戻る日を待っている。
「俺が、盗まれた“時間”を取り戻す――!」
「「!」」
チェシャ猫が、三月兎が、ジャックが、他の者たちが驚きの表情を浮かべる。
アリスが時間を取り戻すことが、そのまま教団の心臓部を破壊し、彼らを砕く天の雷になるのだ。
「背徳神の魂の欠片を持つとは言っても、彼らの多くは普通の人間……」
「生者にとって時間は有限だ。自分が生きている間に神が復活することがないとわかれば……」
「彼らの信仰を奪い、教団を弱体化させることができる――!」
教団の組織力と禁呪、そして時間。全てが揃わねば神を復活させることはできないのだ。
ヴァイスが一度壊滅寸前まで追い詰めた教団の力がこの十年で増したのも、チェシャ猫の存在により時間を盗む禁呪の完成が現実的なものとなり、神の復活に説得力が生まれたからだと言う。
「……」
「あまり気にするなよ、チェシャ猫」
「わかってるわ。でも……」
チェシャ猫がいなければ、ここまで大きな被害を出すことはなかったかもしれない。
けれど教団がまた影に隠れてこそこそと被害を増やすこともまた、平和ではない。
一人が死ぬのと百人が死ぬのと、結果としてはどちらがいいのか?
――そのたった一人の家族にとってはどちらだって同じことだ。
そして少なくとも自らの作った禁呪に責任を持ちたいと思うシャトンでなければ、アリスは救われなかったし、こうして白の王国と共に打倒教団のために動くこともなかったのだ。
「じゃあ、やることは決まったな」
盗まれた時間を取戻しに行く。
「でもどこに?」
反射的なアリスの問いに、マレク警部が冷静に返す。
「それがまだわからない」
「「「……」」」
室内は一瞬完全なる無音と化した。
「って、マレク警部? あのー」
「わかっていたら、私たちだとてとっくに襲撃を仕掛けているに決まっているだろうが」
言葉も態度も冷静だが、言ってる内容はどうか? と思われるものである。
「……それもそうよね」
「逆に言えば、場所さえ分かればすぐに制圧できる?」
「まぁな」
一つ注意しておきたいことに、白の王国のメンバーには、魂の欠片を持つ者がいない。
……当然である。彼らは辰砂が背徳神諸共魂を砕く前から存在しているのだ。
彼らは地上で使える力の大きさやルールが普通の人間とは違い、人間世界の出来事の範疇で事を収めるには彼らの力だけでは限界があった。
単純な身体能力では、魂の欠片を持つ人間の方が白の王国を上回る。
かと言って一部の者が「本来の」力を発揮してしまうと、地上の一犯罪組織を潰すどころではなくなるらしい。
迂闊に動けなかったが、今回アリスたちと手を結んだことで状況が変わったと言う。
「お前たちにできないことは我らがやる。だから、我らにできないことをお前たちに頼みたい」
エイスがアリスを見つめて言った。
「人間の物語を作るのも壊すのも、結局は人間だけだ」
「……ああ!」
アリスは強く頷き返す。
神様の強大な力という歪んだ信仰に縋る睡蓮教団。
彼らに対抗するためには、アリスたちは彼らと同じ道は選べない。
最後の決着はあくまでも、自分たち人間の手でつけねばならないのだ。
「じゃあ、後は教団の本拠地を見つけるだけね」
「一番手っ取り早いのは、コードネーム持ちの幹部を捕まえて聞き出すことだよな」
「対策ぐらいしているだろう」
「あ、それなら任せて」
ギネカが手を上げる。
「私は接触感応能力者。触れた相手の記憶を読み取れるわ」
「ちなみに俺は催眠能力者。いざとなったら相手に自分の姿を仲間だと思わせるとか、いくらでも細工できるぜ」
ネイヴも主張する。
「そういう能力持ちがいたのか……!」
白の王国の面々も流石に呆れた様子になる。ネイヴとギネカの幼馴染コンビは伊達に五年も怪盗として睡蓮教団と戦ってはいない。ここにきて強力な切り札が手に入った。
ならばあとはどうやって仕掛けるべきか。何処に行けば睡蓮教団の人間と接触できるかなどを一同は考え始める。
その時、白の王に報告の電話が入った。
「睡蓮教団の人間を、女が襲撃している?」
...149
日が暮れて月が昇り、夜が――彼らの時間がやってくる。
闇の住人たちは、街の方々に配置している監視からの報告により、一人の女が教団のことを嗅ぎまわっていると聞かされた。
女は教団の人間を探し回っている。それも、ただの下っ端などではなく、つい最近病死した教祖の後を継いだ、偉大なる“ハートの女王”をだ。
女とハートの女王の繋がりを知らない彼らは、教団の被害者がまたぞろ復讐にでもやってきたのだと考えた。
一般人が何らかの理由でたまたまコードネームを知るに至ったのだと。
とにかく女を捕らえようと、一般人を装って声をかける。
だが女はこちらの想定以上に教団のことに詳しかった。
青い睡蓮のピンを見て彼らがすぐに教団の関係者だと気づき、何故か一瞬悲しそうな顔になる。
「そう。やっぱり……」
そして憂いを取り払った時、そこにいるのはすでにか弱い女ではなく、彼らが知る教団幹部と同じ戦士の目をした人間だった。
「ハートの女王の居場所を教えなさい」
女はハートの女王の居場所を話すよう迫り、彼らは当然断った。もともと不審な女を確保するよう命令を受けている。
いざと言う時は殺害の許可も出ているが、万が一に備えて女の写真からその正体を今仲間たちが調査しているはずだ。
女は彼らの意図に気づくと、平然と応戦し始めた。
拳銃を持つ男たちに対し、女は魔導で対抗してきたのだ。ハートの女王を始め幹部の人間でも一部にしか使えない神秘の業だ。
こちらの銃撃がまるで通じないのに相手は涼しい顔で当然のように何もない空間から炎や爆発を引き起こす。
思いがけない強さに慌てて交渉を試みるも、相手は聞く耳を持たない。
「俺たちと来れば、ハートの女王陛下にも会える!」
「私はあなたたちと行く気はないわ。それよりも、あなたたちが彼女をここへ連れて来なさい」
交渉は決裂し戦闘は余計に激しくなった。
追っているのか、追われているのか。車を何台も潰す激しい追いかけっこの末に、彼らは街中から自然と場所を移し、舞台はいつしか採石場跡地となっていた。
そこは帝都民には朝の特撮でもお馴染みの場所だ。つい数か月前、真夜中の不審火で小さな話題にもなった。
人目を憚る必要もない場所に来て、女は手加減無用とばかりに更に容赦ない攻撃を仕掛けてくる。
完全に誘き出された。救援をいくら呼ぼうと来た端から女に軽く捻られる。やはりこれは罠だ。
彼らが気づいた頃にはもう遅い。
戦いはあまりにも一方的だった。一般人から見れば銃弾が飛び交う地獄絵図も、目の前の女がたった一人で紡ぎだす魔導の爆炎に比べれば可愛いものだ。
――そして、女は男たちを片づけて、まだ意識のある一人に問いかける。
「もう一度聞くわ。私が知りたいのは“ハートの女王”の居場所よ。さぁ、そろそろ言う気になった?」
教団の男は、今になっても信じられない。
このほっそりとした美しい女一人に、数十人もの教団員たちが簡単に伸されてしまった。
「き、きさま……何者……」
「あなたがそれを知る必要はない」
男は死を覚悟する。
これほどの手練れだ。よっぽどやばい世界の人間に違いない。
完全に顔を見られて、彼らを生きて帰す気はないだろう。
そこに、そもそもの女の捜索対象が自ら堂々とやってきた。
「その子を離してやってよ」
「ハートの、女王陛下……!」
女王陛下の身を守ることができないことを悔やんでいた男の意識が、次の瞬間真っ暗に途切れる。
探す本人が出てきて用済みとなったために、ダイナが締め落としたのだ。
「彼らは何も知らないよ。僕が普段どこにいるのかも、僕らにとって大事な場所も」
「……レジーナ」
そして、友人たちは再会する。
◆◆◆◆◆
「姉さん……?!」
「ダイナ?!」
「ダイナ先生……?!」
「……!」
睡蓮教団の男たちと一人の女が交戦しているという現場に赴いたアリスたちは目を疑った。
ここで教団に存在を掴まれるのはまずいと、白の王国が動けない代わりに、アリス、ヴァイス、シャトンの三人に加え今回は怪盗二人とその幼馴染が参加している。
その全員が見知った相手が、睡蓮教団の男たちを軽々となぎ倒しているのだ。
「あの……彼女は一体……」
弟と、同じ学院の同僚と生徒たちの衝撃は大きく、怪盗たちは知人ではあるものの普段付き合いがない分衝撃は薄い。
ここ数日フートの代わりに学院に通うだけだったザーイエッツが、一番ダイナとの付き合いが短かった。ムースの協力を得ながらフートを演じる分馴れ馴れしく接してはいるが、ザーイエッツ自身にとっては顔と名前くらいしか知らない相手だ。
一行は採石場の近くに身を隠しながら、とにかくまずは様子を窺った。
助けるも何も、戦闘はどこからどう見ても、いっそ教団の男たちが可哀想になるぐらいダイナが優勢である。
「……確かにあの人なら、このぐらいできそうだけど」
ネイヴは鏡遺跡でダイナが戦う姿を見る機会があり、エラフィ誘拐事件の際にも彼女がアリスとエラフィを庇った話を聞かされている。
だからダイナの強さ自体には驚いていないのだが、それでもダイナが睡蓮教団と関わっていることには疑問を覚えた。
「ええと、誘拐事件の時に目をつけられたからそれでってこと?」
ギネカがありそうなことを口にするが、すぐにネイヴが否定した。
「いや、それにしては、彼女の方から積極的に攻撃を食らわせている」
「あ、終わったな」
ザーイエッツが口にする。
「まだ一人意識あるよ」
「尋問用に残したんだろ」
「尋問……?」
ザーイエッツの読み通り、ダイナは残った一人の男に何か話しかけている。
ヴァイスが舌打ちした。
「ここじゃ会話が聞こえん。もっと近づくぞ」
「うん!」
「あ、待って!」
「半数はここで待機。俺とムースとチェシャ猫が残る」
「了解」
指示出しはザーイエッツが一番早くて的確だった。咄嗟にアリス、ヴァイス、ギネカ、ネイヴの四人が会話の聞こえる位置まで近づく。
「姉さん……!」
不安がるアリスの耳にも、ダイナの声が聞こえる距離まで近づいた。
「もう一度聞くわ。私が知りたいのは“ハートの女王”の居場所よ。さぁ、そろそろ言う気になった?」
そして自らの耳で聞いたものながら、まさに耳を疑うことになる。
――ダイナが、睡蓮教団のことを知っている? 一体何故……。
「ダイナはハートの女王とやらと、何か因縁があるのか?」
「ヴァイスは知らないのか? ハートの女王ってあの話のラスボスじゃないの?」
「知らんな。私が教団とやりあった頃は“赤の王”という男が首領……教祖だったはず」
教団内部のことはいい。その辺りは後でシャトンやジェナーに聞けばわかるはず。
問題は何故そのハートの女王をダイナが探しているかだ。
「あ、あの人」
「確かダイナの友人だとか言っていた……」
「セールツェさん」
アリスたちとは別の方向からやってきた女が一人、ダイナに話しかける。
美しい女だが、どこかエキセントリックな雰囲気の人物。ボーイッシュな短い髪によく似合う男装。確か前に会った時、彼女は一人称も少年のように「僕」と言っていた。
「彼らは何も知らないよ。僕が普段どこにいるのかも、僕らにとって大事な場所も」
「……レジーナ」
そのレジーナ=セールツェがダイナを呼ぶ。
「久しぶりだね。――“赤の女王”よ」
コードネームらしき言葉が零れ落ちて、アリスたちは思わず目を剥いた。
...150
「久しぶりだね。――“赤の女王”よ」
レジーナの言葉に、アリスたちは物陰に隠れながらダイナを凝視する。
「赤の女王……?」
「聞いたことのないコードネームだ」
それでもコードネームと判断できるのは、『鏡の国のアリス』にそのキャラクターが登場するからだ。
同じ場所に留まるためには走り続けなければならない、とアリスを諭す赤の女王。
アリスは以前ヴァイスが作成した通信機を使い、シャトンに連絡を取る。
「シャトン……“赤の女王”って知ってるか?」
『知らない。教団内にそんなコードネームを持つ人物はいなかったわよ。何があったの?』
「待ってくれ。後で報告する」
聞くことと話すことを同時にはできない。ひとまずアリスたちは、ダイナとレジーナのやりとりに耳を傾ける。
「うわぁ。派手にやったねぇ、いい歳こいて何やってるのさ」
「いい歳は余計よ、同期の桜のくせに」
対峙する二人の女は、一方は薄く笑みを浮かべ、一方は酷く真剣な表情だ。
「……レジーナ」
口火を切ったのはダイナの方だった。
「私との約束を守ってくれなかったのね」
「何のことだい?」
「とぼけないで」
ダイナは険しい眼差しをレジーナに向ける。
「あの“物語”は、あなたが少しでも楽になれるように二人で考えたものでしょう。……それが、他人を傷つけるようになるなんて聞いていないわ」
「傷つける?」
「“ハンプティ・ダンプティ”」
アリスたちは再び目を剥いた。
確かにダイナはヴェイツェの死の現場に駆け付けた。彼の事情も薄々察していたことだろう。
しかし、何故それを、この場で彼女に?
アリスたちにはまったく意味がわからなかった。
レジーナ=セールツェはダイナの友人。そして。
「“ハートの女王”よ」
「あなたが、彼の首を斬れと命じたの?」
「そう言えば、あの少年は君の学校の生徒だったね」
復讐鬼ハンプティ・ダンプティ。彼の死は闇の中の世界を動かす。
物語の終わり、定められていた終焉へと。
「……そうだと言ったら、どうするんだい?」
「!」
息を呑んだダイナが即座に魔導の炎を放つ。
しかしそれを、レジーナもまた簡単に受け止めた。
ダイナの炎に対しレジーナが展開したのは、水のように透き通り流動する黒い液体の盾だ。
ただの魔導防壁と違い、その水自体が攻撃手段にもなる上級魔導である。
「ダイナ、ハンプティ・ダンプティは殺人者だよ? それなのに君は、彼を庇うのかい?」
「それでも彼は、私にとって大切な生徒であることに変わりはないわ」
――ダイナは後悔している。
彼の苦悩に、慟哭に気づいてやれなかった。
それをヴェイツェ自身が望んでいなくても。
「もしもそれが運命だと言うのなら、悲しいけれど受け入れましょう。けれどこの事件は違う。レジーナ=セールツェ。いいえ、ハートの女王。あなたとあなたの父上がやったことでしょう?」
答をもはや確信している様子でダイナは問いかけた。
「半分はずれ」
けれどレジーナは肩を竦め、ぺろりと舌を出しながらそう答える。
「お父様はお眠りになっているからね。……もう永遠に」
父親の死に関し、先日の電話とは違いもはや笑みを隠すこともなく告げる。その意味するところを直感し、ダイナは息を呑んだ。
「自分の父親を殺したの……?!」
レジーナの父親――“赤の王”が亡くなったとは確かに聞いていた。けれどそれ自体がレジーナの仕業だったとは。
驚くダイナの隙に、今度はレジーナの方から容赦ない攻撃が放たれた。
「!」
黒い血のような水を蒸発させていく紅い薔薇のような炎。レジーナが水を黒い鞭状に縦横無尽に伸ばせば、ダイナもまた炎を無限に這う荊へと変える。
二人の魔導士のやりとりは、この現代の出来事だとは思えぬほどに高度な戦いだ。
「レジーナ、あなたはどうして……」
「どうして? 君ならわかっているだろう? 僕とお父様が不仲だったことくらい」
そうして攻撃を仕掛け合いながらも、二人の女は会話をやめなかった。
「……私のせいね。私が“不思議の国”なんていう玩具をあなたに与えたから」
「選んだのは僕だ。でもだからこそ、それを理由に君に譲りはしない」
懐かしい日々が血塗られ、音を立てて壊れていく音が聞こえるようだと、ダイナは一瞬、強く目を閉じる。
「どうやら交渉の余地はなさそうだね」
「そうね」
諦観、そして決断。
「レジーナ、あなたにどんな事情があろうと、私の大切な生徒に手を出した。あなたを見逃す訳にはいかないわ」
「やれやれ。今更君が敵に回るとは。困ったことになったな」
今までのやりとりは肩慣らしに過ぎない。本格的な攻撃の構えを見せたダイナに、レジーナもさらに魔導防壁を展開し応戦の様子を見せる。
しかし、二人の女が全力を出して激突する前に、制止の声がかけられた。
「そこまでにしとけ、女王様」
「グリフォン」
その男は、怪盗たちの『女神に捧ぐ首飾り』の件でアリスやギネカと対峙し、あの廃ビルでテラスやヴェイツェとも関わった者の一人だ。
「どうやら援軍がいるようだぜ」
「援軍?」
ダイナとレジーナ、二人分の怪訝な声が重なる。
「まずい!」
「伏せろ!」
ヴァイスとネイヴが咄嗟にアリスとギネカを庇って身を伏せた。その頭上をグリフォンの撃ちこんだ銃弾が跳んでいく。
どうやらレジーナとは別の場所に待機して周囲の様子を窺っていたグリフォンには、アリスたちの居場所がばれていたようだ。
「ルイツァーリ先生?! それにみんな……」
ダイナがアリスたちに気づき驚いた顔になる。だが動揺しているのは、アリスたちの方も同じだ。
「へぇ、これはこれは……もしかして全部聞かれていたかな?」
「あんたが俺たちの女王様だってことがな」
皮肉っぽく笑いながらも油断なく警戒するグリフォンを傍らに、レジーナはアリスたち一行を眺め回す。
「アリス」
ハートの女王が目に止めた相手は、他の誰でもないアリスだった。
「白の騎士としてお父様が恐れていたヴァイス=ルイツァーリ。その男が手元に置いて“アリス”と名乗る子どもが、やっぱり普通の子どもな訳ないよね」
彼女は不思議な眼差しをアリスに向ける。
そこに宿るのは敵意でも憎悪でもない、もっと別の何かだ。
「君こそが僕らの夢を壊す“アリス”って訳だ」
前に何度か顔を合わせた時、彼女はアリスに興味を示しているようだった。気のせいではなかったが、その理由はアリスが想像していたものとはまったく違った。
「アリスが目を覚ませば、不思議の国はみんなおしまい。目覚めたアリスは優しい“姉さん”と猫の“ダイナ”が待つ現実に帰るだけ」
「……!」
レジーナの言葉に、アリスはどきりとする。
彼女が言うのは単に原典である『不思議の国のアリス』の話なのか、それとももうすでに自分はアリスの素性を知っていると言う意味なのか。
ハートの女王は告げる。
「ならば僕は不思議の国の法廷で君と争うだけだ。“証人アリス”よ」
アリスは不思議の国の中で、様々な役割や立場を経て、最終的にパイ泥棒のジャックの罪を立証する裁判で最後の証人として呼ばれるのだ。
「帰るよ、グリフォン」
「いいのか? 殺さなくて」
「この戦力じゃさすがに勝てないよ。君一人であの四人を倒せる訳?」
「残り三人は何の変哲もないガキに見えるが違うって訳か?」
「白騎士の実力は御存知の通り、そして隣の少年は“パイ泥棒のジャック”だよ」
「何?」
「……?!」
正体を見破られたネイヴが息を呑む。
「何度か見た怪盗ジャックと魂の色が同じだからね」
魂の欠片を持つ者は同じように白い星、黒い星を見分けられると言う。
けれどそれらの人々も、流石に魂だけで一人一人の相手を完全に識別することはできない。
そんなことができていたら、ヴァイスやダイナは自らの魂を削る苦行の果てに復讐を決行したヴェイツェの変化にもっと早く気づいていたはずだ。
しかしレジーナは、やすやすとそれをやってのけたのだ。彼女は相手の魂の細部まで見分けられるらしい。
「伊達に女王と名乗ってはいない訳か。厄介さが段違いだな」
「君がわかりやすいんだよ」
ネイヴも余裕の笑みを浮かべはするが、内心ではハートの女王の鋭さに焦っている。
「一度退いて体勢を立て直す」
「了解」
それでも今回は睡蓮教団側は下っ端団員たちの被害が大きいためか、彼らの方が引く様子だ。
グリフォンは倒れた男たちを追加の手勢を使って次々に回収していたが、人手はそれだけだった。
学生が交じっているとはいえ、その多くが魔導士でもあるこの集団とまともにやり合うのは分が悪い。ハートの女王は魔導士としてそう判断したようだ。
「じゃあね、ダイナ。長年の友人として、次に会う時は楽しく殺し合おう」
「――いい歳して少しは落ち着きなさいな」
「いい歳は余計だよ、竹馬の友」
そしてハートの女王はグリフォンを引きつれて去り、後には彼らが残された。
「姉さん……ダイナ」
「ダイナ先生」
「ダイナ」
ヴァイスが彼女の前に立つ。
ダイナも決意して、一人一人の顔を見つめた。
「少し、あなたたちと話し合う必要がありそうね」
赤の女王はそう告げる。
 




