表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Pinky Promise  作者: きちょう
第6章 真理の剣
21/30

21.赤の王の葬送

...121


 黒い星、白い星と呼ばれる力の源。

 かつて、背徳神と創造の魔術師であったものの魂の欠片。

 彼らの記憶、精神、力は断片的なものであっても、星を宿す人間に強い影響力をもたらす。

 ある者はそれ故に高い能力を先天的に有し、

 ある者はそれ故に強い悲劇を引き起こす。

 またある者はその力でこの世の全ての事象を知り、

 幸運な一握りの者は、何も知らないまま大人になれる――。


 ◆◆◆◆◆


 かつて、彼は、普通の子どもだった。

 見た目も性格も能力も特筆すべきところは何もない。普通の家庭で普通に生まれ育ち、家族を愛し友人と遊び学校で学ぶ普通の子ども。

 しかしその平穏はある日破られた。

 他でもない彼自身を原因として。

 見た目も性格も能力も関係ない、けれど彼が彼であると言うたった一つの要因――。

 彼が、黒い星と呼ばれる背徳神の魂の欠片を有する人間であったために。


 ――ある日、まるで喪服のような黒い服を着た男女が家に訪ねてきた。

 襟元には、睡蓮が描かれた青いピンが輝いている。

 見知らぬ客を怪訝な顔で出迎えた両親は、息子を別室に追いやった。

 しばらくは話し合う声が聞こえたが、段々と両親の声量が大きくなっていく。彼はそのことに怯え、恐る恐る壁に近づいて会話を聞こうとした。

 途切れ途切れの会話を聞いたところ、驚いたことに、黒い服の男女の目的は自分だと言う。自分を迎えに来たのだと。

 初めは意味がわからなかった。迎える? どこへ?

 自分は両親の実の子で、居るべき場所も帰るべき場所もこの家だ。他に行くところなんてない。行きたいとも思わない。

 並べ立てられる難しい単語の数々はその時の彼には理解できず、後になってようやく意味が通じた。

 この時の彼に理解できたのは一つだけ。

 黒い服の男女は、「睡蓮教団」の人間だということだけだった。


 ――両親が死んだ。

 睡蓮教団に殺されたのだと気づいたのは、情けないことにしばらくしてからだった。

 事の真相に気づいた切欠は「黒い流星の神話」だった。

 言い伝えと呼ばれるものも、なかなか馬鹿にはできないものだ。探し求める答、真理は全てそこにあったのだ。

 真実はまるで彼を断罪する剣だった。

 そうして、彼は知ってしまったのだ。

 自分が、全ての原因だと言うことを。


 ……長い夢から目を覚ます。

 けれど消えない血の匂いに、これが夢か現実かも段々とわからなくなってきた。

 起き上がり自分以外誰もいない部屋を見回す。

 ――寒い。

 季節は夏に向かっている。もう半袖を着ている者も多く連日じっとりと汗ばむ陽気だ。

 なのに何故こんなにも寒いのだろう。

 身体も心も酷く凍えている。

 でも。

「……もうすぐだ」

 家族がいなくなった家はがらんとして酷く寒々しい。

 その部屋で自分自身に向けて小さく呟く。

「もうすぐ、終わる」


 彼はあの日見た睡蓮教団のメンバーの素性を追い、両親を殺した事件に関わる人間を探し出した。

 表向き接点のない人間でも、彼自身がその男女が揃って自分の家に来たことを覚えているのだ。彼は警察ではない。それ以上の証明も証拠も必要ない。

 睡蓮教団を追っている人間が自分だけでないことも知った。

 『不思議の国のアリス』という超古代文学。その中に出てくるキャラクターの名前をコードネームとして名乗る連中を“不思議の国の住人”と言う。

 教団関係者以外のコードネーム持ちはそれだけではお互いが敵か味方かもわからないはずだが、彼ですらわかるコードネーム持ちは例外なく行動が派手だった。

 怪盗ジャック。

 怪人マッドハッター。

 帝都の夜を鮮やかに駆ける二人の怪盗は、そうして存在を誇示することそのものが、教団への対抗手段なのだろう。おかげで彼にも怪盗二人は教団の敵対者なのだと言うことはわかった。

 そして、帝都の切り札と呼ばれる探偵ヴェルム=エールーカ。

 彼と同じように両親を殺されたという少年探偵が追うのもまた、両親を殺した睡蓮教団の人間だった。

 探偵には“白の騎士”と呼ばれるヴァイス=ルイツァーリが傍についていて、不思議の国の住人たちにはこちらの方が有名らしい。それで彼にも、エールーカ探偵が教団の敵対者だということが理解できたのだ。

 ――二人の怪盗と一人の探偵の活躍を新聞やニュースのあちこちで目にしながら思う。

 彼らは、どうしてこんなにも真っ直ぐで高潔なのだろう。

 睡蓮教団を憎む心は同じだろうに、怪盗も探偵も教団の人間を殺そうとは思っていないらしい。そんなことを考えていれば、あんなにも堂々と世間に姿を晒せるはずがない。

 彼のように闇を味方にこそこそと夜に紛れて復讐を果たすことを、怪盗も探偵も望んではいないのだ。

 だから、彼は誰とも手を組まない。

 憎しみを止められない。全ての敵を屠るまで心の安寧は取り戻せない。相手を殺す気のない者と手を組むことはできない。

 ……否、きっと向こうの方が自分と手を組むことを嫌がるだろう。

 この手は、血に塗れる前からあまりにも罪深い。


 両親を殺したのは睡蓮教団。

 けれど、背徳神の魂の欠片を持っていたことで、両親を死なせたのは自分なのだ。


 電話の音が鳴る。一方的な電話が。

「……また君か。“ジャバウォック”」

『調子はどう?』

「お陰様で絶好調さ」

『……無理をしちゃ駄目だよ。君が危険になるんだから』

「そんなこと、お前に気遣ってもらう必要もない」

 この正体不明の情報屋は、どうして自分などを気遣うのだろう。さっぱり訳がわからない。

 誰とも手を組む気もない自分に、姿なき情報屋と呼ばれるジャバウォックだけが、接触を望んできた。

 とはいえジャバウォック自身が誰にも姿を見せない主義なので、こうして電話で話すだけだ。それも彼には連絡先などわからず、いつも非通知の着信を受け取るだけだった。

 彼に不都合な行動を起こすでもないので放っておいたが。

 ……ジャバウォックはかつて言った。

 ――“アリス”が現れたよ。

 不思議の国の住人の名をコードネームに持つ者たち、それも教団の敵対者と呼ばれる者たち全てが待ち焦がれた存在の到来を情報屋は告げた。

 ――“アリス”が君を救ってくれる。

「……救いなんて必要ない」

 それからもジャバウォックは度々連絡を入れて来たが、“アリス”の話をしたのはこの一度だけ。

 けれど彼は、それを信じてはいなかった。


 そうだ。救いなんて必要ない。

 割れた卵は戻らない。王様の兵を集めても、王様の馬を集めても。

 喪われたものは決して還りはしないのだ。

 だから殺す。

 睡蓮教団。お前たちを闇の底へと叩き落し、決して光ある世界になど返さない――。


「この“ハンプティ・ダンプティ”が、貴様らの望む神の名の下に裁いてやる」


 彼の両親が死んだのは、教団が彼を手に入れるため。

 この時代、最も背徳神の存在に近しい魂を持つという彼を。


...122


 教室は不穏な熱狂で満ちていた。

 普段の怪盗の犯行による熱狂とは違う。先日の二大怪盗対決でどちらが勝った負けたの議論の決着もつかないまま、今日はその話題で持ちきりだった。

「ねぇ、聞いた? 今朝のアレ!」

「怪人マッドハッターの?」

「それに、噂だけど怪盗ジャックが誘拐事件に巻き込まれてるって話も聞いたよ!」

「一体どうなってるのかしら」

「ガセだろガセ、怪盗が殺人をするわけないじゃん」

「でもわからないわよ。元々盗んだものを返す、あの怪盗たちには謎が多かったんだもの」

 あちこちで飛び交う噂話。集団は違っても、話される内容は同じ。

 怪盗の話題だ。

 その中でも高等部のとある教室では。

 フート、ムース、レント、ヴェイツェ、エラフィと言ったいつもの面々で集まっていた。

 ルルティスとギネカは今日欠席だ。

 ヴェイツェは顔色こそ悪いものの、教室に顔を出している。

 折よく、と言う訳でもないが、一時間目の授業は休講だった。

 なんでもヴァイスがヴェルムを手伝って警察の方に詰めているかららしい。

 それは担任からではなく、ヴェルムの幼馴染であるエラフィから得た情報だった。

「……」

「ニュースでやってたわね。怪人マッドハッターの殺人容疑と、怪盗ジャックの誘拐容疑」

 いつものようにエラフィが話題を切り出す。

「でも、怪盗ジャックは前にエラフィが誘拐された時、俺たちを助けてくれたって」

 レントたちはその時彼と直接顔を合わせたわけではないが、ヴェルムを手伝って誘拐犯の一味を蹴散らすことを手伝ってくれたのだとアリスやシャトンから聞いた。

 そんな人物が、とても子どもを誘拐するとは思えない。

「何かの罠……じゃないですか?」

 ムースがおずおずと切り出した。殺人容疑をかけられている以上、マッドハッターであるフートとその相棒であるムースは事件が解決するまでここ数日は大人しくしていようという話になった。

 いつもは彼らを盛大におちょくる側の怪盗ではあるが、帝都の警察は無能ではない。

 人間の犯した殺人事件など、すぐに真犯人を見つけるはずだ。

「罠?」

「うーん、マッドハッターとジャックの怪盗としての人気に嫉妬した誰かが、罪を着せた……とか?」

 エラフィの適当な推測は、レントにすぐに否定される。

「それにしてはちょっと事件が大掛かりじゃないか? 嫉妬で殺人と誘拐を引き起こした挙句、その罪を正体もわからない怪盗二人に着せるとか」

「……確かに、それだけのガッツがあるなら特定分野で歴史に名を残すぐらいの大業成し遂げられそうね」

 エラフィも自身で思い直したのか、溜息をついた。

「と言っても、マッドハッターとジャックの件を同じ人間、あるいは団体がやったとは言い切れませんよ?」

「じゃあ二人の怪盗それぞれに恨みを持った連中がたまたま同じタイミングで殺人と誘拐を引き起こしたのか?」

「それもなんだか無理があるような……」

 一同は再び顔を見合わせ、全員が溜息をつく。

 今回の事件には某かの作為を感じるものの、その正体はいまだに霧の中だ。

「……厄介だよね」

 ヴェイツェがぽつりと零した。

「僕たちは所詮部外者だからこうしてあれこれ言ってられるけど、現実に殺人と誘拐事件が起きている以上、警察はそっちの調査をちゃんと進めなきゃいけないだろ? それまで怪盗たちの嫌疑は晴れないんだ」

「警察も忙しそうよね」

 街はしばらく騒がしくなりそうだ。

「なぁ、さっき罠って言ったけど」

 レントが素朴な疑問を口にする。

「罠だとしたら、誰のための罠なんだ?」

「誰って……」

 怪盗たちへのただの嫉妬や嫌がらせで起こされた事件でないことは、先程の会話通りだ。

 しかしそうなると、怪盗以外の誰かがこれらの事件を仕組んだ意図が気になる。

「怪盗たちが犯人じゃないなら、いずれバレるだろ? なのになんでこんな事件を起こしたんだろう。何が狙いなんだろう?」

「狙い……」

 ジャックとマッドハッターに罪を着せることで真犯人が得られるものとは?

「……マッドハッターとジャックが容疑をかけられることによって、まずこの二人は動けなくなるわよね」

 エラフィは、今も怪盗の殺人嫌疑を晴らすのに忙しい幼馴染のことを考える。

「そうだね。殺人や誘拐ともなれば、お宝を返すいつもの盗みとは警察の気持ちも違うと思う」

 ヴェイツェも頷いて続ける。

「怪盗たちを追う警察も動けないんじゃないか? 部署の違いはあるだろうけど、かなりの人数が出払うことになるだろ?」

 周囲は怪盗の疑わしさについて話すところ、彼らは事件に関しその一歩先に踏み込もうとしていた。

「――帝都中の目が、怪盗たちとそれを追う警察に向けられることになりますよね」

「もしかして今回の容疑は陽動で、警察の目を怪盗に向けている間に何かの事件を起こそうって奴がいるんじゃないか?」

 レントの推測は、ついにそこへと辿り着いた。

「そんな大それた話?」

「……実際数週間前に、帝都の三か所を爆破しようとした奴がいたような」

「う……」

 誘拐された当の本人が呻く。エラフィ誘拐事件の犯人が引き起こそうとしていた被害。あれだって成功していれば大惨事になるところだった。

「まぁ……これ以上話しても仕方ないか。ここで怪盗は無実って前提で真犯人の存在と真意を探ったところで、私たちが捜査に口出し出来る訳でもないし」

「エラフィさん」

「それに、ヴェルムならそのぐらいわかってると思うのよ。あいつがいる限りマッドハッターとジャックの冤罪を晴らすのは大丈夫でしょ」

 それまで沈黙を保ち続けていたフートはつい、ぽろりと口に出す。

「……ジャックもマッドハッターも人を傷つけるような真似はこれまでしなかったけれど、やっぱり疑われるんだな。これが日頃の行いって奴か」

「……フート」

「馬鹿ね」

 案じるムースの向こう側から、エラフィがそんなフートの密かな自嘲をきっぱりと一蹴した。

「え?」

「まだ証拠が挙がったわけでもないのに、踊らされる方が悪いのよ」

 レントもエラフィに加勢する。

「相手が悪人かどうか? それぐらいなら、見てればわかると思うよ」

「見てればって……でも怪盗だぞ。正体も普段何してるかもわからないんだぞ? これまでの行動は全部、人気取りだったのかもしれないじゃないか」

「そんなことないよ」

 大人しそうに見えて、意外と意志の強い友人ははっきりと言い切る。

「例え相手が姿を偽り、本心を隠していたとしても」

 仮面で顔を隠し、本当の目的を秘密にしていたとしても。

「本当のことを言えなくても、嘘をついていたとしても」

 何を行うにも建前や理由が必要で、いざ問われたら当たり障りのない答しか口にできないとしても。

「それが誰かを傷つけるためかどうかなんて、見てればわかるよ」

「……!」

 想いは、届くのだろうか。

 みんなは、わかってくれるだろうか。

「フートなんかその典型じゃん。口では言いたいこと言うけど、俺たちが困ってたりしたら、いつだって手伝ってくれる」

「え……」

「俺は、マッドハッターやジャックもそういう人なんだと思うな。怪盗をやってるのにも何か理由があるんじゃないかって」

「面白半分で世間や警察をからかって力を誇示するためだけに怪盗をやってる奴が、誘拐された私を助けるのを手伝ってくれるわけないじゃない。それも怪しい黒服と戦闘になってまで」

 彼らが話し終える頃、丁度休講の一限目を終えるチャイムが鳴り出す。

「早くこの騒ぎが……無事に終わればいいのにね」

 ヴェイツェの言葉に、全員で深く頷いた。


 ◆◆◆◆◆


 小等部の方でも、子どもたちが話をしていた。

「だから、マッドハッターもジャックも絶対無実ですって」

「だよなー」

「でもみんな、あの人たちはやっぱり悪い人だったんだって言ってる……」

 怪盗好きのローロ、ネスルやカナールは、朝のニュースで怪盗たちが殺人と誘拐の嫌疑をかけられたことに酷くショックを受けて何とか弁明しようとしていた。

「騙されちゃ駄目ですよカナちゃん! まだ警察はマッドハッターやジャックが犯人だったなんて証拠を見つけてはいないんですから!」

 怪盗ファンのローロが熱弁する。

「そうですよね? テラス君!」

「うん。少なくともうちの父さんのところにはそんな話来てないよ」

「テラス君のお父さんはなんて言ってるの?」

「父さんは三課だから殺人は担当外だけど、『マッドハッターがそんなことするはずない』って言ってる」

 フォリーもこくりと頷く。

「アリスちゃんたちはどう思う」

「マッドハッターもジャックも無実だよ」

「本当にそう思う?」

「ええ、そうよ」

 ただの同級生に同意を得ただけ。それでもアリスとシャトンがしっかり頷くだけで、カナールは少し安心したように笑顔になる。

 嘘ではない。アリスたちは信じている。そして知っている。

 彼らが冤罪であることを。

 これが、睡蓮教団の罠であることを。


...123


 ――睡蓮教団はハンプティ・ダンプティの正体に辿り着いたのだろうか?

 怪盗たちに嫌疑がかけられ、睡蓮教団の狙いを知った夜。彼らは今後の方針について話し合った。

「アリス」

 今アリスたちに何ができて、何をすべきなのだろう。

「私たちはどうする?」

 シャトンの問いに、アリスは答えた。

「ハンプティ・ダンプティを探そう」

 アリスのひたむきな眼差しに、シャトンは言われるまでもなくその答を知る。

「彼を救うのね」

「そうだ」

 ハンプティ・ダンプティはアリスたちと同じく、教団の敵対者だ。

「おいおい。……わかっているのか? 相手は正体もわからない連続殺人鬼だぞ?」

 一番新しいニュースでは、これで被害者が十六人に増えたと言っていた。

 ヴァイスの言葉に、シャトンが口を挟む。

「間接的に死なせた数なら、多分私の方が多いわ」

「……シャトン」

「私は自分の我儘で――過去を取り戻したくて、危険な術を作って、それが利用されるのを止めることもできず――多くの人を殺したわ」

 直接自分の手で殺した訳ではなくとも、シャトンの禁呪で死んだ人間の数は白兎の役目を考えれば数え切れない。

 教団の敵を、不都合となる人間を幾人も幾人も、存在から消してしまった時を盗む禁呪。

 それでもアリスたちは受け入れてくれた。ならば、同じ立場のハンプティ・ダンプティをシャトンが受け入れないはずがない。

 そしてアリスは。

「もしハンプティ・ダンプティが俺たちと道を違える者だとしても、その前に一度話を聞いてみたい。結果的に敵対するとしても、このまま教団にハンプティ・ダンプティを殺されるよりはマシだ」

 恐ろしい連続殺人鬼。

 増え続ける被害者の数。

 残虐な殺害方法。

 世間は騒ぎ立てる。ハンプティ・ダンプティは人の心を持たない犯罪者だと。

 ――本当に?

「俺たちは、まだハンプティ・ダンプティのことを何も知らないんだ。知らない人間を悪く言うことはできないよ。まずは、ハンプティ・ダンプティを見つけないと」

 彼が今いる場所が、どれ程血塗られた闇であろうと。

「……好きにしろ。だが危険な真似はよせよ」

 ヴァイスが溜息と共に吐きだした。

「わかってる。それに相手が本当に教団を憎んでいるだけの復讐者なら、同じように教団の被害を受けた俺たちには手を出さないはずだろ?」

「わからないだろう。自分の罪を隠すために、目撃者は全て消す方針かもしれないぞ」

「だとしたら、その時は戦えばいい」

 でも今は、それよりも彼を救う方法を考える。


 ◆◆◆◆◆


 一日の授業を受け終え、アリスとシャトンはマンションに戻ってきた。

 今日は小等部の小さな友人たちと遊ぶ気分でもない。

 自分たちにはやらねばならないことがある。

 これからの考えをまとめようとしたところで、チャイムが鳴った。

「はーい」

「二人とも大丈夫?」

 ヴァイスが留守にしているので、ダイナが様子を見に来てくれたのだ。

「うん。平気だよ」

「このくらい慣れているわ」

 帝都の魔導学の権威であるヴァイスは、探偵ヴェルム=エールーカの手伝いに行っているのだ。元々はハンプティ・ダンプティによる殺人事件の捜査の手伝いのはずだったが、急遽怪人マッドハッターに掛けられた容疑を晴らすために借り出されているらしい。

 食事を作るダイナからは離れ、アリスとシャトンはハンプティ・ダンプティの正体を突き止めるための会議を続ける。

「一番の謎は、やっぱり殺害方法だと思うの」

 シャトンが切り出す。

「残虐な殺し方、人間には不可能な業。これってどう思う?」

 アリスは魔導に関しては自分よりもずっと詳しいシャトンに尋ねた。

「……イモムシは、魔導でもない限り人間には不可能な犯行という結論を下したのよね」

「でもヴァイスは、ハンプティ・ダンプティの犯行には魔導が使われた気配はないって」

 とはいえ探偵としてのヴェルムの判断を信用している。彼がトリックの痕跡を見つけられない現場なら、確かにその犯行は人間業ではないのだろう。

 同様にヴァイスのことも疑うことはできない。彼がそれは魔導ではないと言ったのなら、ハンプティ・ダンプティの現場で「通常の」魔導は使われていないのだ。

 ならばハンプティ・ダンプティは、一体どんな方法で教団員を殺害したのか。

 それが魔導寄りの手段であれば、方法の特殊性から一気にハンプティ・ダンプティの正体に辿り着けるかもしれない。

「警察の鑑識もヴェルムの推理も犯人が被害者と接触した証拠を見つけられないってことは、逆に言えば使われたのは『直接手を触れずに相手を殺す方法』だと思うの」

「そんなことできるのか? ええと、推理小説でよくあるようなワイヤーを使ったトリックとかそう言うのじゃなしに、魔導でってことだろ?」

「いくつかあるわよ。大体が相手の体を操るものだけど」

「あ、催眠術みたいなものか」

 催眠と言う言葉で、一瞬ジャックことネイヴの力を思い出す。

 だが本当に催眠なら逆に身体には傷がつかないはずだ。それにそんな特殊能力だと、能力がばれたら一環の終わりである。

「もしくはマリオネットみたいに魔導の糸を絡ませるか。でも、これだと白騎士が痕跡を見つけられると思うの」

「魔導に似た、でも魔導の痕跡を遺さない、魔導以外の力」

「あえて魔導ではないと言う言葉に拘るなら、もう一つ別の手段があるわ」

「魔導じゃない別の手段って?」

「――呪詛」

 ぽつりと落とされたシャトンの言葉に、アリスはハッとする。

「呪物を媒体に相手に呪いをかける。髪の毛を入れた藁人形に五寸釘を刺したところで、死体に証拠は残らないわ。ただ、これだと魔導以上に痕跡が残る」

「ヴァイスの奴が気づかないはずはないだろうな」

 人を呪わば穴二つ。呪いは、被害者の怨念自体が呪詛の源に逆流して強い痕跡を残す。だから優れた呪師は呪詛返しの法にも長けている。

 とはいえ。

「……何かを見落としているような気がするわ。もっと単純な何かを」

 余計なヴェールに目隠しされて見えない真実は、本当はもっと単純な、当たり前のものなのではないのか。

 シャトンの中にはそんな疑心が消えない。

「……俺もそんな気がする」

 魔導。それに呪詛。

 その二つの言葉が、記憶の何かを刺激する。つい最近聞いたような言葉だ。……どこで?

「魔導にしろ呪詛にしろ、ヴァイスは何故痕跡を見つけられないんだろうな」

「痕跡自体が残らない。もしくは、あっても知覚できない。この二通りかしら。魔導の痕跡は指紋と違って拭えるようなものでもないし」

「だとすると痕跡の残らない魔導トリックを解くってことになるのか」

 トリックという言葉を出すと、真実から逆に離れる感じがする。既存の知識で痕跡を遺さず魔導を使うやり方――ではない。その程度の小細工はやはりヴァイスが見抜くはず。

「何かがあるはずなんだ。痕跡が残らなくて当たり前、みたいな何かが」

「こら」

 突然横から声をかけられて二人は猫の子のように飛びあがった。

「あんまり物騒な話をしないのよ。殺人事件の話題なんて」

「だ、ダイナ先生。いつの間に」

「殺害方法とかなんとか、物騒な言葉が聞こえたわよ……あら?」

 二人の顔をじっと見て、ダイナは御小言をやめる。

「そうよね。事件が解決しないとルイツァーリ先生やエールーカ探偵が帰って来れないもの。なんとか協力したかったのね」

「え、ええと」

 人の心に聡い部分があるダイナは、そう言って理解を示す。

 彼女のこういう部分が人の好感を集めるのだが、今は少しだけ誤解してくれて助かった。

「ダイナ先生は、痕跡の残らない魔導で人を殺す方法って何か思い浮かびます?」

「シャトン」

「一応聞いてみてもいいじゃない」

 三人寄れば文殊の知恵ではないが、別の人間の視点が欲しくなったらしいシャトンが駄目元で尋ねてみる。

「痕跡? そうねぇ……」

 ダイナはヴァイスと違って魔導だけが専門の講師ではないが、造詣自体は深い。

 何か事態を解く鍵を思いついてくれるかもしれない。

「魔導を使えば必ず痕跡が残る。今回の事件を調べたのはルイツァーリ先生でしょう? 普通の人間が彼に気づかれないレベルで魔導の痕跡を誤魔化すのは無理だと思うわよ」

「やっぱりそうか……」

「それでも魔導によって誰にも知られず痕跡を遺さず人を殺すなら、方法は一つしかないわ」

「あるの?!」

「その方法って?」

 想像もしていなかった程あっさりと告げられた言葉に、アリスとシャトンは思わずダイナに詰め寄った。

 子ども二人を前にして、神妙な顔のダイナは口を開く。


 何かを見落としている。

 それは当たり前のもの、誰もが知っているもの。

 だから、誰も気づかない。


「神の力よ」


...124


 怪盗ジャックは白い星、辰砂の魂の欠片を集める。

 怪人マッドハッターは黒い星、背徳神の魂の欠片を集める。

 魂の欠片を集めれば、それだけ能力が上がる。睡蓮教団に対抗するには、邪神や創造の魔術師の力が必要だと。

 誰もがそう思っていたのだ。だから、この世界に無数に散らばった欠片を集めていた。


 では、ハンプティ・ダンプティは?


「神の、力……?」

「!」

 ダイナの答にアリスは眉根を寄せ、シャトンは息を呑んだ。

「アリス君は魂の欠片を持っていない普通の人間だから、ぴんと来ないかも知れないわね」

 ダイナがごく普通に魂の欠片の話をしているのは、彼女もそれを持つ魔導の名手だから、でいいのだろうか。

 けれど今はそれ以上に、ハンプティ・ダンプティの殺人方法の話が気になった。

「……?」

「この世で、最も有名な呪詛は?」

「え、ええと」

 優等生のアリスト時代にはほとんど答に詰まることのなかったアリスが、戸惑って言葉を濁す。

「黒い流れ星の神話……」

 シャトンが呆然と口にする。

「そう。創造の魔術師は邪神を止めるため――」

 ゲルトナーに聞かされた話。

 続きの内容に思い至った途端、アリスもまた、呆然と口にした。

「辰砂は自分の魂ごと、背徳神の魂を砕くように呪いをかけた……!!」

 それは最強の呪物。

 決して魔導で感知することのできない媒体。

「じゃあハンプティ・ダンプティは、睡蓮教団の人間を殺すために、自分の魂を砕いて呪詛を行っているって言うのか……?!」

「そんなの魂の自殺もいいところだわ……!」

 シャトンの声は、まるで悲鳴のようだった。

 辿り着いた真実の残酷さに蒼白になる。

 告げたダイナの方は、酷く冷静な顔だった。

「普通の覚悟でできることではないわ。けれど、それだけの理由があるのだとしたら?」

 魂を削ってまでも、睡蓮教団を滅ぼす。

 これまで対峙してきた誰よりも強い――悲壮なまでの覚悟。復讐心。

「ハンプティ・ダンプティは一体何者なんだ……?」

 文字通り、自らの命すら捧げた復讐だ。復讐を遂げることそのものが目的になっていて、終わった後のことなどまったく考えていないのだろう。――最初から生き残る気がない。

 ハンプティ・ダンプティが現場に証拠を残さないのは罪を免れたいからではなく、全ての復讐を遂げるまでは捕まりたくないから。

 唯一現場に遺すカードは自らの手腕を誇示したいがためではなく、睡蓮教団への宣戦布告。

 割れた卵の殻に砕け散った魂のイメージが重なる。

 ダイナのこの推測が当たっているとしたら、なんて悲しい話だろう。

「……この話、伝えた方が」

「そうだ、ヴェルムに――」

 伝えなければ。

 やはりハンプティ・ダンプティはただの快楽殺人鬼などではない。

 怪盗たちと違いすでに何人も手にかけているので庇いだてはできないが、ここでその行動を止めれば命ぐらいは助けられるかもしれない。

 それとも止めない方がいいのか?

 復讐を望むヴェルムやネイヴ。彼らほどの激情はアリスにはない。

 アリスはまだ何も失っていないからだ。時間を盗まれたが、それは必ず取り戻すと誓っている。

 警察でも軍人でもないアリスは、睡蓮教団にしろハンプティ・ダンプティにしろ、人々や国のために殺人犯を捕まえるという立場でも信念でもない。

 それでも。

 アリスが電話をかけようとしたところで、先に携帯の方が鳴りだした。

「誰だ?」

 見覚えのない番号が着信を告げている。


 ◆◆◆◆◆


「世間を派手に騒がせているようだな」

「騒がせているのは私ではなく、怪盗二人ですよ」

 睡蓮教団の根拠地。その一室で、レジーナは父である“赤の王”に、ハンプティ・ダンプティ対策の報告をしに来ていた。

「そのような小物、興味はない」

「……うちの団員がもう十六人も奴に殺されているのに?」

「殺人鬼など、我らの真の敵ではない。“白の王国”と“白の騎士”の罠やもしれんぞ。踊らされぬように気を付けることだ」

「……それが、あなたの考えですか。父上」

 レジーナの父であり睡蓮教団のトップでもある赤の王。最近の彼はいつも同じことしか言わなくなった。

 白騎士を警戒し、奴に注意しろという忠告。決して手を出してはならないと。

 いや、もう十年も前から、赤の王の心には自分の組織を潰そうとした白の騎士への恐れが刻まれている。

 自らの座を奪う若い力の台頭を恐れているのだ。

「ハンプティ・ダンプティが我らより先に警察の手に落ちることになれば、奴の口からこの教団のことが漏れるかもしれないのですよ」

「殺人鬼などに何が出来る」

 過去に執着し続ける男は、今のこの世界を何も見ていない。

 世間も。自分の作ったこの組織さえも。

「それよりレジーナ、ハートの女王としての務めを果たせ。白の騎士を打ち倒すことこそ、私の後継者であるお前の役目なのだから」

「……わかりましたよ、父上」

 ハートの女王は頷いた。けれどそれは父であり教団のトップである男への臣従を示す言葉ではなかった。

「あなたがこの教団の首に相応しくないと言うことが」

「何……ぐっ?!」

 高級なソファの背ごと突き破り、赤の王の胸に刃が生える。

 ハートの女王の部下、グリフォンがいつの間にか忍び寄っていた。

 彼が赤の王の体から剣を引き抜くと、一瞬遅れて、その傷口から真っ赤な血が噴き出した。

 部屋の前の護衛はハートの王とニセウミガメの手に寄って昏倒している。

 倒れた父に向かい、レジーナは囁いた。

「ご安心ください。白騎士ことヴァイス=ルイツァーリは僕が必ず始末してあげますから。ハンプティ・ダンプティ対策のついでにね」

 グリフォンが刃を抜くと同時に床に崩れ落ちた父の耳には、その言葉は届いていない。

 いや、とっくの昔から、レジーナの言葉が父に届いたことなどなかったのだ。

「ハンプティ・ダンプティを殺せば、あの男は必ず首を突っ込んでくる。怪盗二人と合わせて、邪魔者を一気に片付けるチャンスじゃないか」

 だから、ここにいる邪魔者も片付けてしまわないと。

「あなたは老いて野心と大胆さを失った。もういいでしょう? 組織を腐らせる前に、そろそろ代替わりしてください、父上」

 その時、すでに死んだと思っていた赤の王は最期の息を振り絞って言った。


「……レジーナよ。誰も時の流れには逆らえぬ。若者も必ずや老いる。だが慎重さを失った者は、そもそも老いを知ることすらできんのだ……」

「……この、死にぞこないが!」


 グリフォンの手から剣を奪い取り、レジーナは父の首を斬り落とす!

 真っ赤な血に塗れた赤の王は、今度こそただの赤い赤い死体になる。

「首を落とす前に死んじまってた気もしますけどね」

 女王はにやにやと笑うグリフォンに、血を拭った剣を返した。

「御覧の通りだよ、睡蓮教団の最高神官は今日から僕が務める」

「トップへのご就任おめでとうございます、我らが女王陛下」

 頭を下げる部下たちの前で、彼女は今度こそ本物の女王になる。

「それで、御命令は?」

「――我らが神、そして教団の敵である存在、ハンプティ・ダンプティを始末しろ」


...125


 怪盗ジャックとその相棒料理女は、睡蓮教団の起こした誘拐事件を解決するべく、文字通り帝都を奔走していた。

 犯人を捕まえるのはともかく、人質だけは何としてでも助け出さねばならない。

「天気が悪くなりそうだな」

「そうね」

 バイクのハンドルを握りながらヘルメットの下で雲の増えてきた空を睨み、ネイヴは言った。

「今日中に片を付けるぞ、ギネカ」

「ええ。こっちだってそう何日も学院をサボれないわよ」

 彼の後ろに乗っているギネカも、一刻も早く事態を解決する意志を込めてそう口にした。

 これが例え誰かの仕掛けた罠だとしても、最後まで決して負けないように。


 ◆◆◆◆◆


 睡蓮教団の幹部たちは、最後の確認をとっていた。

「確かなのかい? 赤騎士」

「まぁ、違ってたならそれはそれでいいだろう。ファーストコンタクトは慎重にな」

 連続殺人鬼、それも教団の関係者を次々と殺害しているハンプティ・ダンプティ。調査をしていた赤騎士が、ついにそれらしき人物を見つけたのだ。

 その意外な正体に、一同は思わず目を瞠った。

 グリフォンが口笛を吹く。

「盲点だったな。俺たちみたいに後ろ暗い経歴の奴らからすると、そんな場所に連続殺人鬼がいるとは思わないだろ?」

「そうか? エリートコースから何かの拍子に転落する奴らは多いだろ?」

「今回はそれともまた別だろ。ちょっと殺人犯なだけだ」

「それだけ教団への恨みが深いと言うことか……」

 彼らは口々に勝手な感想を述べる。

 今日まで睡蓮教団を翻弄し続けた殺人鬼の正体。その素性さえ判明してしまえば、ハンプティ・ダンプティが教団を恨む理由も、どうやって構成員の情報を知ったのかもすぐにわかった。

 蓋を開けてみれば簡単な話だ。ハンプティ・ダンプティ自身が最初から教団に近い存在であった。それだけ。

「最初に殺されたこいつらのミスだな」

「だろうな。本当にこいつがハンプティ・ダンプティだとしたら、教団の構成員に接触する機会はそれしかないだろう」

 何重にも張られた紗幕が一枚一枚取り払われ、彼らは真実へと近づいて行く。

「まぁどちらにせよ」

 決断を下すのはハートの女王だ。

「会ってみればわかることさ」

 そしてきっと、それは最初で最後の邂逅になる――。


 ◆◆◆◆◆


 ――曇り空が広がっていた。

 まだ降りだす様子ではないが、空気はすでに雨の気配を含んでいる。

 いつもの帝都中心部から少し離れた街で、彼は地図を広げどこかに用事のある体を装い、前を行く標的の様子を慎重に窺っていた。

 今日の夜に手紙で呼びだした男は、今はまだ無防備な様子で街を歩いている。

 警察はまだ被害者たちの共通点が睡蓮教団の人間であることには気づいていないらしく、男の周囲に彼を警戒した監視や護衛役もついてはいなかった。

 誰にも気づかれるはずはない。

 そう思っていたのに。

「お兄さん」

「君は……」

 曲がり角の向こうから現れて、まるで最初から彼がそこにいることを知っていたように声をかけてきた小さな子どもの姿に、ぎくりと足を止めた。

 驚いたことに、その子どもは彼の顔見知りの人物だ。

「こんなところで会うなんて奇遇だね」

 テラス=モンストルムはにっこりと笑った。

「そう言えばみんなで遊びに行くのに、今日は予定があるって言ってたもんね」

「……テラス君こそ、みんなと一緒に行く予定だったんじゃないのか?」

「僕は僕で、今回用事が出来ちゃったから」

「そうか。……残念だったね。用事の方は終わったの?」

「ううん。まだこれから。僕今日は多分一日この辺りにいることになるよ」

「……そうか」

 今日の計画は中止せざるを得ないかもしれない。

 さすがに知人を巻き込む可能性があるのに、計画を実行はできない。

 彼がそう考えた時だった。

 テラスはまるで、その思考まで読んだかのように尋ねてくる。

「お兄さんの方は、今日はもう『中止』でしょ?」

「……?!」

「気を付けて帰ってね。この辺り、最近変質者が多いんだって」

「あ、ああ。って……それなら僕より、テラス君の方が危険だろう。どうしてこんなところに子ども一人で……」

「僕がそれに答えたら、お兄さんもここにいる理由を教えてくれるの?」

 見透かされている。

 彼は全てわかっている。

 直感的にそう理解するものの、声を上げて問い質す勇気はない。

「言えないよね。じゃあ僕も言えない。だから今日は、早く帰った方がいいよ」

「テラス君、君は……」

 何を知り、どうしてこんな行動をとるのか。

 喉元までこみ上げてきた言葉を彼が口にできないうちに、別れの言葉をテラスが口にする。

「さよなら、お兄さん」

 ――そして、彼が踵を返し去るのを見送ってから、テラスはくるりと振り返った。

「さてと」

 そのテラスを遠目に監視する目がある。

「――あのガキは何だ?」

 尾行して一部始終を確認していた睡蓮教団の幹部たちは、彼らがハンプティ・ダンプティと目する存在に接触してきた子どもに不審を覚えた。

 テラスもそれを理解した上で、教団をどう処理するか思考を巡らせる。

「僕もそろそろ動かないと、アリスに悪いからね」

 わざと監視者たちに見えるように手を振って駆け出し、教団を誘い込む。

 目指すは打ち捨てられた廃墟の住宅街だ。

 灰色の空の下、灰色の街並みの中。

 “姿なき情報屋ジャバウォック”こと、テラス=モンストルムの戦いが始まる。


...126


 広大な帝都にも、闇はある。否、広大な都だからこそと言うべきか。

 都市計画の失敗で放棄された廃墟街。住む人のいない作りかけの住宅地はコンクリートの色も寒々しい。

 こういった場所は、あらゆる犯罪の温床だ。

 その闇の中に、一人の子どもが睡蓮教団を誘い込む。

「さぁ、追いかけっこの始まりだ。それともかくれんぼかな」

 ハートの王とニセウミガメの二人は、小さな子どもの後を追うことにした。

 彼らがハンプティ・ダンプティらしき人物と接触するのを邪魔した相手だ。子どもとは言え、何かを知っている可能性はある。

 ティードルダムとティードルディーを下すような殺人鬼よりは、ただの子どもの方が扱いやすい。

 彼らは、当然のようにそう考え、部下を率いて廃ビルの一つに侵入した。

 しかし。

「目隠し鬼でしょ? 盲目の信仰者さん」

 早速どこからか降ってきた子どもの声に、教団員たちは戦慄する。

 こんな場所にやってくる、不審な子どもだとは思っていた。だが今の言葉は、まるであの子ども自身が彼らを誘い込んだかのようではないか。

「鬼さんこちら。手の鳴る方へ」

「――待て!」

 ぱたぱたと軽やかな足音が駆け出していく。

 ハートの王は引き連れてきた団員の半分にそれを追うよう指示を出した。

「ニセウミガメ、お前はここに残れ」

「ハートの王」

「あの子どもを捕まえて、ハンプティ・ダンプティの情報を吐かせる」

「了解した」

 ニセウミガメは廃ビルのシャッターの前に留まり、周囲を警戒しながら待機することになった。

 部下を先行させたハートの王は、自らは彼らにつけた発信機の位置を見ながら移動する。

 壮絶な鬼ごっこが始まろうとしていた。


 ◆◆◆◆◆


 物騒な足音があちこちを駆けまわっている。

 しかし命懸けの鬼ごっこなら、彼はすでに鏡遺跡の時に経験済みだ。

 階段を降りようとした一人の男が、張られた糸に気付かず転げ落ちる。

「うわぁああああ!!」

「どうした?! ……でぇ?!」

 様子を見に来た別の男が、足元の空き缶を踏んでその場でひっくり返る。

「これで二人……」

 あちこちに仕掛けた罠が、睡蓮教団の人間を次々と戦闘不能にしていく。

「三人……」

 消費された罠の位置と種類を密かに確認し、相手がただの下っ端構成員であることも確認し、彼は廃ビルの中を知り尽くしているかのように駆けまわる。

「ぎゃああ!」

「おわっ!」

「なんだぁ?!」

 一見何の変哲もないものが、その場所を訪れた男たちの行動と相まって凶悪な罠へと変わる。

「やれやれ。これで半分か」

 頭の中に描いていた図と、現実を重ね合わせるのはいつだって難しい。

 用意した仕掛けもかなりの量を使い切ってしまった。所詮子どもの手で準備できるものは限られているし仕方ない。

 慎重を期すればその分他のどこかで負担をかけざるを得なくなる。

 ――彼は普通の子どもだ。

 ほんの少しだけ人よりも知っていることがあるだけの。

 けれど戦う力がない。神様でも魔物でもない。どれだけの知識があろうと、一度戦闘になれば無力だ。

 だから、その前に片を付ける。


 ◆◆◆◆◆


 廃ビルの中からあちこちで派手な音や声が響いている。ハートの王たちは子ども一人に苦戦しているらしい。とんだ鬼ごっこだ。

 入り口で周辺を警戒していたニセウミガメは、近づいて来る微かな気配に気づく。

「!」

 懐の銃に手をかけ、素早く構えて振り返った。

 しかし銃口を上げた瞬間、目の前に何かが降ってきて一瞬視界を塞がれる。

「布?!」

 彼女がそれを退けようとした時には、すでに背後から首筋に鋭い一撃を食らって昏倒していた。

 人影は倒れた彼女に構わず、何かに導かれるように廃ビルを上へと上がっていく。


 ◆◆◆◆◆


 最後の一人、ハートの王を、鏡遺跡でアリスたちがやったのと同じように携帯の録音機能を使ったトラップで誘き寄せ、背後から突き飛ばす。

 テラスは壁に頭をぶつけて昏倒したハートの王に近づき、その懐を探った。

「……あった!」

 睡蓮教団の幹部、それもハートの女王の腹心である男だ。彼は教団に関するデータを指先よりも小さいチップに入れて常に隠し持っていた。

 このチップは所持者の命と連動していて、ハートの王が死ぬと中のチップごとデータが消滅するようになっている。だから殺さずにデータだけ回収する必要があった。

 テラスはそれを素早く解析にかけてデータを送り出す。この日のための自分の相棒であり、“もう一人の情報屋”の下へ。

 このデータがあれば、イモムシや白騎士たちが教団と戦う時も有利に展開を進められるはずだ。

 ハートの王が途中で目覚めるようなこともなく、無事にデータを送ることができた。

 そしてテラスはチップを再び元通りにすると、何食わぬ顔でハートの王の懐へも戻す。

 彼らがデータを抜かれたことに気づくのは、遅ければ遅い程いい。

 しかしここでそんなことをしている時間的な余裕は、やはり少なかったのだ。

 近づいて来る足音に、テラスは警戒する。けれどすぐにその正体に気づき、また、これから先に起こる出来事にも予測がついてしまい、悲しく吐息を零すことになった。

「やっぱり……来てしまったんだね」

 自分が動くことによって少しでも運命を変えられればと思っていた。けれどそう上手くは行かないものだ。

 絶対外れない預言者は、それ故に自分の見た未来を覆せない。

 テラスは未来を視ることはできないが、更新され続ける今という世界の記録を読み解けば、自然と先もわかるものだ。

「……凄い状況だね。テラス君」

 掠れた声で話しかけてくる彼の顔色は酷く悪い。

「今日は帰った方がいいよって言ったのに。そんなに青い顔をして。自分の魂を砕いて呪詛の媒体に使うなんて無理をして、身体がもつはずがないのに」

「……君は、まさか」

「ヴェイツェお兄さん。いや……」

 先程テラスが声をかけてこの街から追いやろうとした――今日の犯行を思いとどまらせようとした少年が立っている。


「“ハンプティ・ダンプティ”」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ