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Pinky Promise  作者: きちょう
第4章 いつか蝶になる夢
16/30

16.さなぎの見る夢

...091


 “罌粟畑にて待つ”


 昼間は綺麗な植物園も、夜は只管不気味でしかない。

 帝都に仕掛けられた爆弾が爆発するまであと三十分と言うところで、ヴェルムたちは支度を終え、犯人が待つポピー植物園に辿り着いた。

 整備された花壇に生える、夜闇で色の分からない草花と、遠く見える硝子張りの巨大な温室。

 ヴェルムたちは温室の中心部へと向かう。

 探偵と共に行動しているのはヴァイスだけで、怪盗ジャックとゲルトナーは、姿を隠して二人の支援を行うことになった。もちろん大々的な戦闘になる時はこの二人も介入することになるので、つかず離れずの距離を保っている。

 そしてアリスとシャトンの二人は、無事にエラフィ救出班と合流した。

 エラフィのことは、彼らがきっと助け出す。だから今ヴェルムがやるべきことは、この事件の犯人を捕まえて、帝都の民を脅かす爆弾を止めさせることだ。

 温室の中央、開けた休憩スペースで一人の男がベンチに座って彼らを待っていた。

「お久しぶりですね、エールーカ探偵。名探偵のあなたともあろう者が、私程度の者が仕込んだ暗号に意外と手間取ったのではありませんか?」

 仕立ての良いスーツを着込んだ青年。年齢は二十代の後半から三十代の前半と言ったところか、如何にも名家や大企業の御曹司と言った風情である。

 一見して人の良さそうな表情を浮かべているが、その眼はよくよく見れば、探偵への憎しみに暗く燃えている。

「『――』さん」

 ヴェルムは彼の名を呼んだ。

「なかなか手の込んだ暗号でしたよ。『オズの魔法使い』への愛着を感じさせる」

「あの物語は、彼女が好きだったのですよ。この帝都は物語にちなんでいる。だから物語縁の名所がいくつもあると私に教えてくれたのです」

「……なるほど」

 ヴェルムは「銀の靴」で売られていたシルバーアクセサリーを思い出す。

「その様子ですと、あなたも気づいていたようですね、探偵殿」

「あなたは、彼女との思い出を、殺人の道具にしたのですか?」

「何、探偵殿に思い知ってもらいたかっただけですよ。あの人を喪った私の絶望がどれほど深いかを」

 ヴェルムが暗号を解けないのであれば、彼女の愛した世界にまったく興味がないのであれば、その時はさっさと建物を爆破していただけだと男は言う。

 探偵と犯人のじれったいやりとりに、ヴァイスがとうとう痺れを切らして口を挟んだ。

「くだらない話はやめて、早く本題に入れ貴様ら。おい、そこのお前! 帝都の爆弾を止めて、エラフィ=セルフを返せ!」

 ヴァイスにとっては二年前に死んだ女のことより、今危険な目に遭わされている自分の生徒の方が大切だ。

「これはこれはヴァイス=ルイツァーリ講師。睡蓮教団最大の敵と目されるあなたまで、こんな茶番にお付き合いくださるとはね」

「茶番だとわかっているなら、さっさと人質を解放するんだな。お前のような教団の下っ端、わざわざ捕らえる価値もない。帝都の民とセルフを今すぐ解放するのであれば、ここで勘弁してやるぞ」

「……赤騎士たちの言うとおり、随分傲慢な方のようですね」

「あいつらは自分を棚に上げて一体私についてどんな話をしてるんだ」

「くだらない話はやめて本題に入ろう、ヴァイス」

 ヴェルムは犯人に向き直る。

「『――』さん、もうこんなことはやめましょう。俺への復讐で、他人を傷つけて何になります。帝都の民を解放してください」

「あなたはこの状況で、やはり恋人より顔も知らぬ一般市民を選ぶのですか」

 ヴェルムの当然の要求に、しかし犯人は憎悪と軽蔑の眼差しを向ける。

「エールーカ探偵、あなたは大勢を救うことで得られる自分の名声が大事なだけでしょう」

「……」

「そうやってあなたは、あの時も彼女を見殺しにした。いや、あなたこそが彼女を殺したんだ! この残酷な世界に傷つけられた彼女の不幸について、斟酌することもなく!」

 では彼は、ヴェルムが帝都の多くの民の死傷させてエラフィだけを選べば満足だとでも言うのか?

 そうしてヴェルムも、彼らを殺す男でさえ顔も名も知らないような無関係な他人だって、きっとみんな誰かにとって大切な、かけがえのない人間であろうに。

「これは復讐ですよ、人殺しの探偵」

「……それならば、あなたは俺を殺しに来れば良かったじゃないか」

 この事件の始まりから考えていたことをヴェルムは口にする。

 復讐なら、直接自分のもとへ来れば良かったのだ。そうすればいくらだって真正面から受けて立った。どんな非難も受け止めた。

「俺とは無関係な、罪のない人間を大勢を巻き込むこのやり口が、あなたの正義だとでも」

 今、この男の言葉は例えどんな名文句を口にしたとしてもヴェルムにとっては上滑りするだけだ。

「あの少女にも帝都の民にも本当に可哀想なことだ。だがあなたが悪いのですよ。あなたが名声に執着して人命を軽んじるような非情な欲深い人間でなければ、私がこのような計画を実行する必要もなかった」

 彼の動作は一々芝居でも演じるかのように大袈裟に演技がかっている。

 言われている当の本人よりも、隣で聞いているヴァイスの方が犯人の身勝手な言い様に苛立ちを覚えてきた。

「……ヴェルム、傍で聞いてる私の方がキレそうなんだが」

「落ち着け。今は一秒でも早くあの人に帝都の爆弾を止めさせないと」

 ヴェルムはヴァイスを制し、一歩前へと踏み出す。生き物のような影が蠢く暗い植物園。硝子の天井から、月明かりだけが青白く差し込んでいた。

「俺は確かにあなたの言うとおり、残酷なのかもしれません。だが、この通り、約束は守った。暗号を解き、あなたの下までやってきた。帝都に仕掛けた爆弾を止めてください」

「恋人を見捨てると?」

「エラフィは恋人じゃない。……仕方ないでしょう。たった一人の少女の命と、この街の大勢の人間の命とを秤にかけることはできません」

 月明かりの下で表情を変えずに宣言するヴェルムは、顔立ちが整っているだけにまるで心のない人形のようにも見える。

 一方その発言を聞いた犯人は表情を消したヴェルムとは対照的に、酷く嬉しそうな、勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。人とはこれ程までに醜悪な笑顔を浮かべられるのだろうかと言う顔だった。

「今の言葉は、少女の方へも送らせてもらいましたよ」

「……」

 そう言うからには、エラフィの方にもこの場面を見るための仕掛けが何か施されているということだろうか。

「彼女はさぞかし、嘆き悲しみ絶望したことでしょうね。可哀想に」

「……」

「まぁ、いいでしょう。私はあなたが自分の女さえ犠牲にしたことを世間に公表するまでです。あなたには悪名が付きまとい探偵としての評価は地に堕ちる」

「……爆弾の解除は?」

「今、行って差し上げましょう」

 男は小さなリモコンのような装置を懐から取り出す。

「……」

 ヴェルムたちはそれを、瞬きもせずに見守った。男の指がリモコンの上を滑る。ヴェルムもそっと、懐に手を入れて携帯のボタンを押した。

「……これで完了ですよ。帝都に仕掛けた爆弾一つ、このスイッチで解除されました。あとは……」

 爆弾のスイッチを懐にしまい直すと、男はその手で今度は拳銃を取り出した。

「あなたに死んでもらうだけです」

 やはりここまで行ったからには、男にはヴェルムを生かして帰す気はなさそうだ。

「ああ、もちろんお隣の彼にもね」

「人の生死をついでのように言うな。誰が貴様なんぞに殺されるものか――出合え!」

 ヴァイスの掛け声一つで、今まで隠れ潜んでいた怪盗ジャックとゲルトナーが飛び込んでくる。

 二人はそれぞれ地味な服装に着替えてマスクやサングラスで顔を隠していた。ここで教団に探偵と怪盗が繋がっていると認識されたり、ゲルトナーの存在に辿り着かれるとまずいからだ。

「くっ、卑怯な……! 協力者を募るなど!」

「お前さっきから人の事言えないだろうが!」

 そう言う男は男で、睡蓮教団の人員を呼び寄せはじめる。

 ヴェルムだけならまだしも、一流の魔導士である“白騎士”ことヴァイス=ルイツァーリを殺害するのは男には不可能だ。どうせこんなことだろうと、彼らもそう思っていた。

 相手の数は十人以上、こちらは四人とはいえ、一人一人の実力が違い過ぎる。勝負は呆気なくついた。

「くっ……!」

「観念して警察に出頭してください」

「しなくても叩き込むがな」

 男を抑えこんだヴァイスが冷たく告げる。

「ふん……力に訴えたとしても、あなたが自分の欲のために恋人を見殺しにした事実は消えないぞ、探偵」

 その時、男の懐で電話が鳴った。

「……なんだ?」

「出てみたらどうだ?」

 連絡内容に察しのついているヴァイスが促す。

「何?! 失敗しただと?! そんなバカな……!」

 取り乱す男を見下ろすヴェルム側には、シャトンから計画成功の電話が入ったところだった。

 それを聞いて、ようやくヴェルムは安堵の息を吐く。

「俺には、友人と帝都の民を天秤にかけることなどできない。……両方とも助けたい」

 エラフィ=セルフは無事に救出されたのだ。


...092


 “クワドリングの国にて『南の魔女』が待つ”


「いたわ! エラフィよ!」

 ギネカたち学院組は、ついに彼女の居場所を突き止めた。

 真っ赤な鉄塔、エメラルドタワーに並んで帝都エメラルドのもう一つの名物であるルビーツリー。その展望台で、エラフィは椅子に縛り付けられている様子だと言う。

「見たところ怪我はないし、不機嫌そうな表情を見るに元気そうよ」

 双眼鏡を使って、周囲のビルの屋上から様子を確認していたギネカの言葉に、一同はひとまず安堵の息を吐く。

 だが本当に大変なのはもちろんこれからだ。警察にも探偵ヴェルムにも頼ることなく、このメンバーでエラフィを助け出さなければならない。

「で、傍には」

「予想通り、爆弾があるわ」

「あちゃー」

 アリスは額に手を当てた。

 元々はヴェルムと共に行動していたアリスとシャトンも、先程エラフィ救出班と合流したところである。

 事情を知るギネカはもちろん、強盗団と戦闘になった鏡遺跡の件でアリスやシャトンの実力を知っている仲間たちも、二人を喜んで迎え入れる。

 彼らが真っ先にしたことは、まずエラフィがどういう状況下で囚われているのか確認することだった。内部の状況を確かめずいきなり突入するわけにはいかない。

「犯人は帝都に爆弾を仕掛けていると言っていたんだろ? だったらいざと言うときエラフィを殺すのにも同じように爆弾を使うはずだ。見張られている可能性を考えると、迂闊な突入はできない」

 人間の襲撃を警戒するだけならば今度はこれだけの人数がいるので魔導防壁で強行突破も可能だが、爆弾処理に関しては彼ら程度の未熟な魔導では手も足もでない。

 遠目から確認した結果、彼らの危惧は現実になった。この状況でどうやってエラフィを助け出すか。

「ぎりぎりで突入してエラフィお姉さんを助けてから爆弾を空へぶん投げるとか」

「まだ中途半端に時間があるし、一か八かの賭けは危険すぎるだろ」

「やっぱりこっそり誰にも見つからないように昇るしかないんじゃ……」

「途中で犯人の一味に出くわしたらアウト。相手が連絡を受けたらその場で爆破させるかもしれない。だからって慎重にやりすぎて間に合わなければもちろんアウトだ」

 一同、遥かなる塔の展望台を眺めながら、様々な案を出し合う。十二人寄れば文殊の知恵、ともいかないようだ。

「ものがものだけに、敵はいるとしても下の方のフロアにしかいない。ただし、主犯に連絡を入れられたら、遠隔操作で爆弾を爆発させるかもしれない」

「やっぱり問題は、あの爆弾をどうやって解除するかになるんだな」

「傍に行けばまだやりようもあるかもしれないけど、できれば遠くから私たちにとってもエラフィにとっても安全に爆弾を解除できる方法が、何かないかしら」

「遠く……」

 不意に、レントが何かに思い当たったように小さく呟く。隣にいたギネカがその声に反応した。

「レント? 何か思いついたの?」

「ああ。……いや、その……やっぱり、多分無理だから、忘れて」

「忘れる前に聞かせなさい。もうあと一時間もないのよ! 今はなんでもいいから案が欲しいんだから!」

 ギネカがずいっと迫り、レントの口から彼の発案を聞き出す。

「あの……狙撃するってのは?」

「「「狙撃?!」」」

 一同が驚き声を合わせた。口にしたレントの方がその反応にぎょっとする。

「レントお兄さん、狙撃でどうやって爆弾を止めるの?」

「それって、逆に爆発しちゃいませんか……?」

「ほら、ドラマとかでよくあるだろ? 爆弾を解除すると時計が止まるとか、その逆で時計が止まると爆弾が止まるとか。もしも時計だけを壊せば爆弾が止まるなら、遠くからあの爆弾についてる時計だけを狙撃すればいいかなって……俺、やっぱり馬鹿なこと言ってるよな……」

 喋っているうちにどんどん自信を失くしていくのか、レントの語尾はだんだんと弱くなる。

「……いや、狙撃は盲点だったよ。遠距離から獲物をしとめるにはそれが一番。……けれど」

 ヴェイツェがレントの発案の利点を認めるが、すぐにその方法に対する危惧をフートが口にする。

「この場合、爆弾の構造が問題だ。ムースの言うとおり、逆に爆破させちまったら洒落にならないからな」

「私たちの知る爆弾の知識なんて、所詮映画やコミックのものですからね」

「う……やっぱり無理だよね、ごめん」

 やはり考えが甘かったのだと、レントは一人項垂れる。

「いいえ、待って」

「ギネカ?」

「ただの狙撃なら無理かもしれないけれど、それと魔導を組み合わせれば? 弾丸に爆弾解除の術式をかけて撃ちこめば、爆発を抑えこめるかも!」

 彼らはジグラード学院の生徒。普通には使えない「魔導」という切り札を持っている。

「ところで、爆弾処理の魔導って?」

「う……」

 知らない術は使えない。ジグラード学院高等部生たちは、一斉に頭を悩ませ始めた。

「誰かどんな爆弾でも解除できる万能の処理方法知ってねぇ?!」

「そんなもん知ってたらとっくに警察が採用してるわよ! ええと、液体窒素とかは」

「冷却対策がされてたら駄目らしい。それに反応して爆破させるとか」

「スイッチに干渉するようにプログラムをハッキングするとか」

「そんな複雑な構成書けるか?」

「一度スイッチを切るだけだと、最近の爆弾はやっぱりそれに反応して爆発しちゃうものもあるそうだよ」

「くそ! 科学の進歩が恨めしいな……!」

 誰かがアイデアを口にするたび、別の誰かが不可能や懸念要素を口にして却下することの繰り返しだ。

「爆弾の構造は大体電気でスイッチを入れるものらしいから、電流を無効化するとか」

「常に電力がどこかから供給されてるタイプだとそれも無理だ」

「って言うか爆弾の構造なんて知らないって割に結構みんな詳しいね!」

 狙撃の提案をしたレントが思わず突っ込む。

 高等部生の中ではやはりレントが一番普通の人間で、魔導も学業も普通以上にこなす優等生たちには敵わないのだ。

「いっそ燃焼に必要な周囲の酸素を奪う……いえ、駄目ね。範囲を間違えれば、人質を巻き込んでしまうわ」

 しかし自信のないレント自身の様子とは裏腹に、これでも周囲はかなり真剣に狙撃と魔導の可能性を探っていた。

 皆と一緒になって方法を考えるシャトンの横顔を不意に見て、アリスはあることを思いついた。

「そうだよ! シャトン! 今こそお前の力が必要だ!」

「え?」

 これならば行ける。いや、もはやこの方法しかない。

「あの術を爆弾にかければいいじゃないか! 火薬もオイルも電流も関係ない! 全てそのままで、けれど全てを“爆弾が作られる前の状態”に分解してしまえばいい!」

 その爆弾の“時間”を巻き戻して――。

「!」

 シャトンが目を瞠る。

「何だ? 何かいい案があったのか?」

「うん、あのね」

 アリスはシャトンが禁呪を作ったことは上手く誤魔化して、時を戻す術について話し始めた。

「そんな術あんのか?!」

「またヴァイス先生?」

「まぁそんな感じ」

 いつも通りヴァイスに全ての説明を押し付けて、アリスはその方法を推奨する。

「そのやり方なら――上手く行けば確実に爆弾を無効化できるわ!」

 ギネカが頷き、フートがレントの肩を叩きながら、全員を促した。

「そうと決まれば、早速準備するぞ!」


 ◆◆◆◆◆


 ルビーツリー展望台の硝子が割れる音とほぼ同時に、目の前で、机の上に置かれた爆弾が撃ち抜かれた。

「! 狙撃?! もしかして……レント!」

 穴の開いた方向を見ると、遠くの建物に人影が見えるような、見えないような。

 狙撃で爆弾を解除できるものかと思ったが、どんな手を使ったのか、爆弾は何故か部品ごとに見事ばらばらになっている。

 しばらく待っていると、もう何時間も微動だにしなかったはずのエレベーターの数字が動き始め、エラフィは息を詰めてその到着を見つめる。

「エラフィ!」

「セルフ! 無事か!」

「怪我はない?!」

「ヴェイツェ、フート、ギネカ……!」

 待ち望んだ見慣れた顔の到着に、エラフィはようやく解放されることを確信して笑顔を浮かべた。

「うわぁああ~! やーっと来てくれたぁああ!」

「遅くなってごめんな」

「ううん! アリスくんもシャトンちゃんもありがと~!」

 高等部の友人たちだけでなく、小等部の二人までやってきたことにエラフィは驚いた。

「テラスとフォリーも来てるけど、あの二人はムースお姉さんと一緒にそのまま更に上がってエレベーターの制御室を確保するって」

 これは元々テラスの発案だ。例え教団員を倒しても、エレベーターを占拠されたら危ない。

 更に魔導弾狙撃による爆弾解除を担当するレントにも、カナール、ローロ、ネスルの三人がついていた。ライフルのスコープを覗いている時は自分の周囲に警戒を払えないので、万が一狙撃に気づかれた際はすぐに逃げなければならないからだ。子どもたち三人はレントの周囲三方を警戒するという、さりげない大役を引き受けていた。

 そしてギネカ、フート、ヴェイツェ、アリス、シャトンの五人は、レントから狙撃成功の報せを受け取ると同時に下層のフロアに詰めていた黒服たちを倒しながらここまで上がって来たのである。

「はー、お腹空いた」

「セルフおま……」

「お疲れ、エラフィ」

 丸一日以上監禁されていた人とは思えない呑気なエラフィの態度に、周囲は呆れかえる。

「って、のんびりしている場合じゃないわよ。こっちは解決したかもしれないけど、探偵さんの方が」

「そうだよ! 向こうは向こうで大変なことになってるかも」

 シャトンとアリスの言葉で、一行は犯人側の存在をようやく思い出した。

 ヴェルムは今頃、帝都に仕掛けられた爆弾の解除を巡って犯人と対峙しているはずだ。

 向こうが爆弾の解除を成功させたら、こちらもエラフィ救出を連絡する。二つの爆弾が連動していない時限式のものだからこそ通じるやり方だ。

「げ。その問題があったか」

「私たちもあっちに加勢する? まぁ現場に乗り込む頃には終わってそうだけど」

「そうだな。一応行ってみよう」

 六人は早々とルビーツリーを降りた。

「みんな!」

「エラフィ、良かった!」

「エラフィお姉さん! 無事だったんだね!」

「この通り、あんたたちのおかげよ!」

 ツリーの足下で、狙撃から戻ってきたレントやカナールたちと合流し無事の再会を喜び合う。

「連絡が来た!」

 携帯を見ていたフォリーが、彼女にしては珍しく大声で叫ぶ。

「よっしゃ! じゃあこっちも救出無事成功って送ろう!」

 どうやらヴェルムの方でも無事に犯人との駆け引きに成功し、帝都に仕掛けられた爆弾を解除させることに成功したらしい。こちらもエラフィ救出成功の報を送り、向こうで犯人を捕まえれば、これで事件は終了だ。

 もうこちらで動くことは終わったと、安堵し気の緩む一行の中で、アリスは不意になんとなく塔の入り口に目を向けた。

 人の気配。

「――……!」

 ツリーの入り口で動く人影がある。黒い服のほとんどが夜の闇と塔の影に溶け込む中、襟元に青いピンの輝きが煌めいた。

「避けろ!」

 咄嗟に、エラフィを地面に押し倒すようにして庇う。シャトンもエラフィに駆け寄ろうとしていた周囲の子どもたちを引き留め、全身で庇うようにして地面に伏せた。

 キン! と銃弾の跳ねる音がする。

「あの拘束を抜けて来るなんて……!」

「仮にも教団の人間を侮るんじゃなかったな」

 ギネカやフートなどの高等部生組は咄嗟に魔導防壁で自分や仲間の身を庇うが、位置が悪い。自力で防壁を張れる者と張れない者の距離が離れすぎている。

「アリスト! エラフィ!」

 アリスの張った防壁が衝撃で割れた隙を教団の男が狙う。ギネカは咄嗟に二人の名を叫んだ。

 アリスはエラフィを抱え込んだまま衝撃を覚悟して息を詰める。

「……!」

 その時、誰かが駆けよってきた。

 誰かが、自分の体を盾にして二人を庇った。

「え……」

 その気配を、アリスは――アリストはよく知っている。

「姉さん?!」

 よく知った香りの中に、濃い血のにおいが広がった。


...093


 どうしてここに彼女が? それを問う余裕は誰にもなかった。

 アリスはかつて彼女を指し「何でもできる人」だと、そう言った。けれど。

「……うちの生徒たちに」

 一発目以外の弾丸を魔導の盾で凌ぐと、ダイナは立ち上がり、反撃に転じた。

「何をするの!」

 生徒たちのにわか仕込みとは比べ物にならない、この現代最高峰の魔導士としての力で、銃を持つ男を弾き飛ばす。

「ダイナ先生?!」

「セルフさん、無事? みんなも」

「なんで先生がここに……!」

 突然現れたようにしか見えないダイナの存在に、生徒たちは呆気にとられた。

「ある筋から連絡をもらって。それよりヴァイス先生は……」

「そんなことより、先生、腕! 腕、腕の傷!」

 ダイナはアリスたちを庇った時に腕を撃たれていた。ブラウスの袖が裂けて夜目にも紅い血に濡れている。

「止血しなきゃ、ほ、包帯――!」

「あるから落ち着いてよエラフィお姉さん。みんなもね」

 一番冷静なのは高等部生ではなく小等部のテラスだった。小さな手で手際よく救急セットを取り出すと、ダイナの腕に的確な応急処置を施していく。

「ありがとう。モンストルム君はこんな時でも優秀なのね」

「どういたしまして。それよりも」

「連絡」

 フォリーがいつも通りぽそりと肝心なことを呟く。この件で先程話していたヴェルムへの連絡を忘れるわけには行かない。

「入れないとね、探偵さんに」

「そうだ! ヴェルムにエラフィは助けたって教えないと――!」

 ヴェイツェがすでに救急車を呼び、ダイナの傷の状態を口頭で説明している。ヴェルムには今シャトンが電話をかけ始めた。

 更にはダイナの方でも、ここに来る前に実は警察へと連絡を入れていたらしい。もうすぐパトカーがやって来ると言う。

 次から次へと目まぐるしく変わる状況に、彼らは混乱気味だった。


 ◆◆◆◆◆


 日付変更と共に設定された爆破時刻まであと七分ほど。ぎりぎりだが全てが間に合ったらしい。連絡を受けたヴェルムたちは、こちらも大詰めに入ることにした。

「人質は無事に救出された。もうあなたがここで抵抗を続ける意味もない。大人しく法の裁きを受けるんだ」

 しかし投降を促すヴェルムの言葉に、犯人は異様な反応を見せる。

「ふ、ふふ。くくくくくっ、ははははははっ!」

「なんだ……」

 突然高々と笑い出した男の様子に、その体を抑えこんでいたヴァイスが不審を露わにする。

「大人しくしてください、もうあなたの負けは決まっている」

「いいや、私の勝ちだよ、探偵君」

 男は高らかに笑いながら、本日一番芝居がかった仕草で言った。

「先程君に促された爆弾はもちろん約束に従って解除したさ。だが」

「まさか……」

「帝都にあと三つ、強力な爆弾を仕掛けていると言ったら?」

 四人は凍りついた。

「貴様!」

 ヴァイスとジャックが男に詰め寄り、改めてスイッチを持っていないかその身ぐるみを剥がし始める。ゲルトナーはどこかへ電話をかけるが、繋がらない様子だ。

 サイレンの音が聞こえてきた。

「通報?! 一体誰が……」

 同時に、ヴェルムの懐で再び携帯が鳴る。

「アリス、待ってくれ今大変――」

 そんな場合ではないと思いつつ、ついつい手に取ってしまったヴェルムは着信表示とは別の声を聴いて驚いた。

『ヴェルム、あんたまだそっち解決してないの?』

「エラフィ?!」

 自らの無事を知らせる意味で、アリスの携帯を借りてかけてきたらしい。

『そっちは今どうなってんの?』

「実は――」

 ヴェルムはエラフィに手早く事情を説明した。焦るヴェルムとは裏腹に、電話の向こうのエラフィの声はやけに平静だ。

 スピーカーになっているらしく、この説明も向こうの全員に聞こえていたようだ。ざわざわと騒がしい様子が聞こえてくる。

『へぇ。なるほど、そう言うこと。で、爆弾の位置は?』

「爆弾の位置は?!」

 電話の向こうとこちらのヴァイスが、同じことを問う。

「だからこいつら、あれだけ幾つもの荷物を……! 畜生! 探偵、爆弾のうち一つは――」

 睡蓮教団の黒服たちが夜中にエラフィを攫い、帝都のあちこちを行き来していたのを知っている怪盗ジャックことネイヴは、彼らが爆弾を仕掛けたと思われる場所の一つの位置を告げた。

「無駄だ……! 爆弾の位置は、それを仕掛けた私たちしか知らない……!」

 電話の向こうからギネカの声が流れてくる。“その男を叩き起こすわよ! 今すぐ!”

「だが貴様らに絶望を与えるために、一つだけ教えてやろう。――最後の爆弾は、あそこだ」

 男は、そう言って硝子張りの温室の天井を指差した。

 四人はハッとして、植物の影に埋もれる向こうに人工的な輝きを見つける。

 日付変更まで残り五分となった時計付の爆弾――。

「ここまでして探偵殿を殺したかったわけか」

 ジャックが低く唸り、ヴァイスが爆弾を止める魔導についてああでもないこうでもないと考え始めるがまとまらない。ゲルトナーも電話がまだ繋がらないようだ。

『爆弾の位置がわかった?! 本当?! ギネカ!』

 “ええ!”

「そのうちの一つは、怪盗ジャックの目撃証言と同じだ」

 電話の向こうから流れてきた情報をヴェルムは咄嗟に判断して告げる。

向こうは相変わらず騒がしい。電話を繋げたまま、どこかへ移動するような雑音がずっと入り込んでいた。

『この展望台から見て、あのビルと、そっちの建物、で、最後が今ヴェルムたちのいるポピー植物園か。ふん、上等じゃない。どれもいい位置だわ』

「ああもう駄目だ! 伏せろ!」

 爆発まで残り一分を切った。爆弾を止めることを諦めたヴァイスが、ヴェルムを腕に抱きこんで魔導防壁を何重にも展開しながら地面に伏せる。

『ヴェルム』

 電話の向こうでようやく名を呼ばれる。ヴェルムはその瞬間だけはこの場で起きている何もかもを忘れて、エラフィの声に耳を傾けた。

『安心しなさいよ。今度は私も立派な戦力だから』

 次の瞬間、大きな衝撃と共に硝子天井の割れる音が響いた。


 ◆◆◆◆◆


「上に上がろう! さっきと同じ要領で、弾丸が届くならここから狙撃すればいい!」

 ルビーツリーの入り口で、テラスがそう叫んだ。もう一度展望台まで上がり、上空から爆弾の仕掛けられた建物を狙い撃つのだと。

「でも場所が……」

「その男を叩き起こすわよ! 今すぐ!」

 ギネカが先程ダイナを撃った黒服を叩き起こして聞き出そうとする。

「行って! エラフィ! レント! ヴェイツェ!」

「シャトン、君も来て! 上がるまでに弾丸の術式をもう一度作ってくれ!」

 テラスがシャトンの手を引いて真っ先に飛び出していく。

 続いて高等部生組から、助けられたばかりのエラフィと先程も狙撃で爆弾解除を実現したレント、もう一人の狙撃役としてヴェイツェ、万一先程の男のように意識を取り戻した他の睡蓮教団と戦闘になった時の盾として、フートとムースがついていく。

「あなたたちはそこにいてね、ダイナ先生のために!」

「う、うん」

 残された子ども四人、カナール、ローロ、ネスル――そしてアリスは、負傷したダイナの傍についていた。

 否、前者三人は頼まれて残ったが、アリスは――……。

 気絶した男を叩き起こす……のは無理だったが、サイコメトリーで聞き込み以上に的確に記憶を引き出したギネカが、早速展望台に上がったエラフィたちに連絡を入れる。

 ポピー植物園を含めて三カ所とも、何とか魔導ライフルの射程距離内だ。

 やがて上空から、ここからでもわかるような大きな音が響いた。

 そして日付が変わっても何も起こらない。

 恐る恐る時計の時刻を見守っていたカナールたち三人は、長針が12を回った瞬間息を呑む。

「帝都のどこも爆発……してないよね?」

「うまくいった……ん、ですよね?」

 爆発が起きない。それが答だ。

『帝都防衛成功!』

 などとふざけたエラフィの声で報告が入り、子どもたちはついに歓声を上げる

「やったぜ! 姉ちゃんたち!」

 パトカーのサイレンの音が響く。

 ダイナが呼んだ警察がルビーツリーとポピー植物園に着く頃には、全てが終わっていた。


 ◆◆◆◆◆


 ヴァイスの拘束が外れた瞬間、犯人は睡蓮教団の仲間を捨て置き一人で植物園の外に逃げ出していた。

 ある程度の距離を走って逃げ、ようやく安全な距離まで来たと思えた地点で恐る恐る振り返るものの、爆破の気配はない。

 一体どういうことなのか。気にはなるものの、確認に戻る訳にも行かない。

「はぁ……はぁ……くそっ、この私が、あんなガキに……」

 彼の頭にあるのは、探偵とその周囲に自らの完璧な――と彼は思いこんでいる――復讐計画を覆された怒りだけだった。

 次こそは、と新たな復讐計画を脳内で練りつつ、まずはこのみすぼらしく汚れてしまった格好をなんとかしようと路地裏を再び歩き出した時。

「よお」

 前方に人影が舞い降りた。猫のように軽く、音もなく。同じ人間とは思えないような見事な動きで。

 その人物は背後に輝く雑踏の灯りを逆光として切り取り、暗い影絵のようになっている。

「あ、ああ、赤騎士殿。良いところに……私は……」

 助けを求める男に対し、赤騎士は見えない影の中でにっこりと笑う。

 そして次の瞬間、男の胸に刃を突き立てた。

「な……」

 こみ上げてきた血の塊をごぼりと吐きだしながら、男は叫んだ。

「何故だ! 何故、私が――……!」」

「女王の怒りだ。お前はもう用済みなんだとさ」

 部下である教団員たちへの杜撰な扱い、驕り高ぶる性格で反感を買うどころか、自らを過信して探偵にあっさりと敗北。計画にない人間の巻き込み。教団の存在をひけらかすような迂闊な行動の数々。

 赤騎士が並べ立てた罪状の数々は、しかし男の耳を素通りする。それでいい。そうして死だけが残される。

「な、ぜ……」

 愚かなトランプは、永遠に悪夢から逃れることはない。彼は最期まで、この世界を呪ったままだった。


...094


 腕を撃たれたダイナは、病院で治療を受け、念のため一晩泊まることになった。

「ごめんなさい。俺のせいで」

 しょげ返るアリスに彼女は言う。

「いいのよ。アリス君はまだ子どもだもの」

 慰めの言葉は、アリスの胸に突き刺さった。

 隣にいるシャトンが気遣わしげに視線を向けてくる。

「自分にできることをする姿勢は大事だけれど、それでも無理はしないでね。あなたぐらいの年頃なら、まだまだ大人に守られていていいのよ」

 ダイナにとっては労わる台詞でも、本来は七歳の子どもではないアリスにとっては辛い。

 これが現実なのだ。これが今の自分なのだ。無力な子どもでしかない。ただ大人に守られることしかできない。

 それでも十七歳のアリストとしての知識があれば、普通の子どもよりは役に立てると思っていた。

 だが結果はどうだ。最後に帝都に仕掛けられた三つの爆弾を止めたのはエラフィたち。テラスとシャトンはそれを手伝いに行き、カナールたちは怪我をしたダイナの様子を見るために残った。けれどアリスは……。

 アリスは、あの時動けなかった。

 ダイナが自分を庇って怪我をしたことに動揺し、咄嗟に的確な行動がとれるような状態ではなかったのだ。

 そして自分が呆然としている間に、仲間たちは全てを終えていた。

 あの時、一番役に立たない「子ども」は他でもない自分だったのだ。

 ダイナの病室を辞して歩き出したところで、シャトンが尋ねてくる。

「アリス……大丈夫?」

「平気……」

 口ではそう告げ、確かに健康状態としては異常なかったものの、精神的にはとても元気だとは言い難い。

 しょぼんとしながら病院の廊下を歩いていると、角の向こうから、見知った顔が現れた。

「あ、あなたたちまだいてくれたんだ」

「エラフィお姉さん」

 エラフィはエラフィでほとんどの時間眠らされていたとは言うものの、ほぼ丸一日監禁されていて実は衰弱が激しかったらしい。植物園の爆弾を止めるために彼女得意の精密狙撃の腕を見せたものの、そこで限界だった。ダイナと同じく今日は一晩入院するとのことだ。

 本人は元気だと言うものの、誘拐事件の被害者の容体を確認するのは当然のこと。被害者だったのだ、そう言えば。

 睡蓮教団の下っ端である黒服の男たちは警察が引きずって行ったものの、肝心の今回の主犯は捕まらなかったそうだ。

 今はヴェルムが事件について関係者――参考人として事情聴取を受けているところだ。彼もエラフィの次に疲れているだろうが、さすがに探偵としてそこをおざなりにするわけには行かないと言う。ヴァイスもそれに同伴していた。

 他の生徒たちの事情聴取はちょうど土曜日で休日の明日になる。アリスたちも明日、警視庁に呼ばれている。

 けれど今はその前に。

「ねぇ、ちょっと私と話さない?」


 ◆◆◆◆◆


 病院内の談話室で、三人は飲み物片手に向かい合った。時間が時間なので、事実上の貸切状態だ。

 すれ違う看護師には良い顔をされなかったものの、事件の関係者だと言うことで一応は納得された。ここはつまり帝都の中でもそういう病院だということらしい。

 アリスとシャトンはエラフィのおごりである缶ジュースに口をつける。

「今日は本当にありがとうね、二人共。疲れてない?」

「疲れてるけど、ある意味観光名所めぐりで意味のある疲労だから良かったわよ。思いがけず帝都の名物を堪能したわ」

「遺跡探索の時は、ほぼ強盗団との緊迫の追いかけっこに費やされたからな。自分たちの懐にお宝が入るわけでもないから、服を汚して帰っただけだし」

「あははははは。そっかそっか」

 シャトンが正直な感想を口にし、アリスも一緒に頷くとエラフィは笑った。

 単純な疲労度では、車移動のアリスたちよりもエラフィを救出するために電車と徒歩で帝都中駆けずり回った他の面々の方が大きいだろう。

「そうなの? 道理であのフートやギネカまで全員死にそうな顔してたワケだわ。うわぁ、みんなにも今度何か御礼しなきゃ」

「エラフィお姉さんは被害者なんだから、あまり気にしない方がいいよ」

「気にしないわよ、もちろん。御礼と言っても、金はヴェルムから出させるつもりだし」

 ふふん、とピースを突きだすエラフィの不敵な笑みに、アリスとシャトンは危うくその場でひっくり返りそうになった。しかしその印象も、次の台詞で変わる。

「ま、そのくらいやった方が、ヴェルムも気が楽でしょうしね」

 二人は思わずエラフィの横顔を見つめた。

「あいつみたいに貸しだの借りだのうるさい奴には、そのぐらいはっきり取りたててやった方が本人の気が軽くなるのよ」

「エラフィ――」

「私たち、ダイナ先生に怪我させちゃったしね。あなたも気にしてるんでしょ?」

 エラフィはシャトンではなく、アリスに視線を向けた。

「私のせいにしていいんだよ。私にもっと、自分の身を自分で守れるだけの力があれば――」

「違う!」

 エラフィの言葉を、アリスは中途で遮った。

「俺が、俺が悪かったんだ! 俺が力不足だったんだよ! もっと大人なら、みんな守り切って、傷つけさせたりしないで――」

「アリス」

「そんなの無理よ」

 それを止めようとしたシャトンの台詞を、今度はエラフィが遮る形となった。

 子ども姿の二人が唖然とした顔で彼女を見つめる。

 おいおい、さっきと言ってること違くない?

「無理でしょ? 一人で何もかも出来る訳ない。名探偵なんて持て囃されるヴェルムにだってできないのよ? 例えあんたがあと十年歳とって、世界で一番有能な魔法使いだったとしても、あの場面ではできることが限られているわ」

 例えアリス=アンファントリーではなく、アリスト=レーヌの姿だったとしても。

「ヴェルムを助けてくれてありがとう。あんたはあいつを支えてくれた。あいつにできないことをしてくれた。その代わり、あんたも自分にできないことは、他の誰かにしてもらえばいいじゃない。世界ってそう言うものじゃないの?」

「……もしかしてさっきも、最初からそれ言いかけた?」

「あんたがもっと単純な子だったら、私のせいにしとけ! 私もヴェルムのせいにしとくから! で済ませるところだったんだけどね」

 見くびっていたわけではないが、予想外だったとエラフィは告げる。

 だから、「本当の」本音を吐露することにしたのだと。

 嘘をついているわけではない。でも皆何かを隠している。それを止めて晒して見る。一切の気遣いも理性的な判断も剥ぎ取った、純粋な本心を。

「私は昔、ヴェルムにそれを言いたかったけれど、上手く伝えられなかった。そして、もう決して届かない」

「そんなことは――」

「あるのよ。あんただって今、あたしの口から聞いたから半分受け入れたけど、ダイナ先生から同じこと言われたらどうする?」

「っ……!」

「ほらね。口では良い子のフリで頷いても、心の中では自分自身を責め続けるでしょ? それじゃ意味がないよ」

 守り守られるなんて言葉は、自分と相手が対等でなければ成り立たない。

 相手が自分を一方的に守らなければならないなどと考えているなら、それはただのお荷物だ。

 エラフィはヴェルムにとって、これからもただのお荷物にしかなれないのだろうか。

「ただの幼馴染の私の言葉じゃヴェルムを一々納得させるのは難しいけれど、あんたたちの言葉はあいつの中にしっかり届くみたい」

 ならば、もっとヴェルムに対等な目線で力を貸すことのできる――本当の友人は一体誰なんだろう。

「だからさ……あいつのこと、よろしく。ギネカたちが言ってた通り、二人共本当に頼りになるんだもの。あいつの周りに今、そういう人間がいてくれて、良かった」

 その答は、今目の前にいる、この小さな子どもたちなのかしれない。エラフィにはようやくそう思えた。

「エラフィお姉さんは、ずっとヴェルムのこと心配してたんだね」

「そりゃまー、あいつがただのちょっと頭いいガキだった頃から知ってるんだもんよ。なまじ私の周囲には今もフートや、あー、帝都にはいないらしいけどアリストみたいな奴がいるし」

 自分の名前を出されて一瞬どきりとするが、すぐに平静になる。

「私からしてみれば、フートやアリストとヴェルムは何ら変わらないただの男子高生。なのにヴェルムはそういう青春全部棒に振って、危険な探偵業に生きるために、昔の友達とみんな縁切っちゃった。一生を復讐に捧げるつもりでもないだろうに、終わった時どうするつもりなのかしら」

「終わった時……」

「あいつ、帰る家がないのよ。正確には、家はあるけど家族がいないのよ。復讐が終わったら、本当にやることも迎えてくれる人も……って、あ」

 幼馴染の事情を滔々と話し続けていたエラフィは、伝え聞いたアリスたちの事情を思い出してしまったという顔になる。

「ごめん、あなたたちも今、事情があってヴァイス先生のところに預けられてるって」

「いや、いるよ」

 アリスは今度はエラフィを安心させる意味で、見当違いの気遣いの言葉を遮った。

「今は事情があって離れて暮らしてるんだけど、俺には姉さんが一人いる」

 帰る場所ならある。ちゃんとある。

「全部終わったら、俺も家に帰って姉さんと暮らせるようになるんだ」

「……そっか。じゃあ、早くその事情が良くなるといいね」

「あ、でもシャトンは――」

「私にもいるわよ、姉さん」

「え、いるの?!」

「正確には血の繋がった実の姉じゃないけどね……前に言ったわよ」

「そ、そうだっけ」

「なんだ、二人共ちゃんと、帰る場所があるんだね。安心したわ」

 エラフィのほっとした顔を見て、ふとアリスはあることを思い出した。

「そう言えば、ヴェルムって恋人いるんじゃないの?」

「何?! あ、いや待てよ! そう言えば私もこの前、あいつのマンションの下で物静かそうな美人を見たんだった! この話まだヴェルムに聞いてない!」

 今度絶対追求しなきゃ、とエラフィが目を輝かせる。

 そうして真面目な話に一区切りがついたところで、ちょうど携帯に連絡が入った。

「あ、ヴァイスからだ」

 警察での事情聴取を簡単に終えて、アリスたちを迎えに来たのだ。

「もうそんな時間? 長々と引き留めてごめんね」

「ううん。俺たちもヴァイスが迎えに来るまで暇だったから」

「じゃあ、私も病室に戻るわ。またね。どうせ明日……っていうかもう今日だけど、警察の方で会うだろうし」

 エラフィは病院の玄関口まで二人を送ってから、ヴァイスの車が来たところで中へ戻っていく。

「なぁ、シャトン。……ドロシーは家に帰れたんだよな」

 ヴァイスのマンションへと戻る車の中。今日一日彼らを振り回した暗号のちなんだ物語。その主人公の名前を口にして、アリスはなんとなくシャトンに尋ねてみる。

「そうよ。南の良い魔女グリンダのおかげでね」

「俺たちも帰れるかな」

 シャトンは一瞬だけ考え、こう口にした。

「……『不思議の国のアリス』のアリスは夢から覚めて姉のもとに、『オズの魔法使い』のドロシーは彼女自身の足下にあった銀の靴の力を使ってカンザスに、それぞれ帰ったわ。だから私たちもきっと……」

 二人は車の中から、窓の外を行き過ぎる明け始めの空の星を見上げた。


...095


 疲労困憊で家に帰ると、早朝にも限らず灯りがついていた。

「おかえりなさい、ヴェルム」

 気配を消していたはずなのに、家の中で恐らく彼の帰りを待っていただろう女性はすぐに気づいて出迎える。

「……起きてたのか? ジェナー」

「少し前に起きたところよ」

 そうは言うものの、彼女の身支度はこの時間にしてはしっかりしていた。眠ると言っても、仮眠程度しかとってないのだろう。

「事件は無事に終わったようね。朝の様子が様子だったから心配だったのだけれど、なんだかすっきりした顔してるわよ」

「そう……かも」

 ヴェルムは今回自分を発端とした事件に、幼馴染始め多くの人間を巻き込んだ。けれど蓋を開けてみれば何のことはない。幼馴染は、最初からヴェルムの手を必要ともしない、頼もしい人間にいつの間にか成長していた。

 この手から滑り落ちて行ったものとまだ残されたもの。手に入れてもその大切さに気付かなかったもの。いくつもの感情が彼の内側を去来する。

 のろのろと地を這う芋虫にも、いつの間にか時間は流れていたのだろう。蛹の中で見る夢の果てに、いつかは本物の蝶になれる日も来るのだろうか。

「ジェナー」

 旅をしなければ、人は自分の足元の銀の靴に気づかない。

 物語を終わらせて自分の家に帰る為に、まずは一歩を踏み出さなければ。

「君に……会わせたい人がいるんだ」


 ◆◆◆◆◆


 エラフィの行動は早かった。アリスたちに話をした翌日の夜には、もうレストランを貸切で手配したと言う。

「……と、言う訳で皆様、私を誘拐犯から助けてくれてありがとう! そして帝都を救ってくれた英雄たちよ! 今日はその御礼にこのヴェルム探偵の奢りだから、好きなだけ食べてってね!」

「「「わーい」」」

 純真な子どもたちは歓声を上げるが、高等部生組は一様に戸惑っていた。

「いやその……本当にいいのか? エールーカ探偵?」

「世話になったし。エラフィを助けたのも、爆弾を止めたのも結局ここのみんなだったしね。ほんの御礼の気持ちだから気にしないでよ」

 一行が先日の事件の礼としてヴェルムとエラフィに本日招かれたのは、目玉が飛び出る程高いと噂のレストランだった。もう店の空気から普段彼らが通っているファミレスとは全く違う。

「ここって凄く高いお店なんですよね!」

「この前テレビで見た! ママがパパに行きた~いってねだったらパパが青くなってたの!」

「どの料理もうまそうだぜ!」

 はしゃぐ小等部生たちと、真剣な顔つきになる高等部生たち。

「……わー、本当に高そうな料理……と言うか、呪文にしか見えない……」

「って言うか、メニューに値段が書いてないぞここ!」

「こ、高級店ですね……!」

「えーと、せっかくだから注文しよっか?」

「レント~あんたなんで一人だけ慣れてるのよ~」

「……実は、親父の付き合いでよく来ます」

「お前実はお坊ちゃまだったの? もしかして、だから身を守るために狙撃クラス?」

「……えへ」

 これまで宝石展のチケットを手に入れたりと、謎のツテを発揮していたレントの事情が地味に明らかになった。

 高等部生たちが高級そうな店の雰囲気に遠慮をするのしないので苦悩するのを聞いていたアリスとシャトンは、こそこそと相談し合う。

「……なぁ、シャトン。エラフィの思惑、あいつらに伝えるべきだと思う?」

「いっそ教えちゃった方がみんなの気は楽になりそうね」

 ヴェルムが借りを作ったと思わないよう、遠慮せず思い切り騒げという話だったのだ。しかしカナールたち小等部の子どもたちはともかく、高等部の面々はそう簡単に割り切ることもできまい。

「まぁ、とにかく」

 今まさにアリスとシャトンがこっそり説明しようかと思っていたことを、ヴェイツェが口にする。

「僕たちは結果を出したんだから、その見返りを少しぐらい貰っても構わないんじゃない? その代わり、エールーカ探偵もこうしてしっかり礼を返してくれたんだから、事件のことはあんまり気に病まないようにね」

 ヴェイツェの言葉に、事の発端であるエラフィも頷く。

「そうそ。ここでふんだくってやらないと、こいつはいつまでもみんなに迷惑かけた~って気にするのよ。それに比べたらここの料理の値段なんかはまったく気にしないから、滅多に食べれないもの全部頼んでいいわよ」

 それでようやく、ギネカやフートたちも事情を理解して緊張がほぐれたようだった。

「ま、まぁ。そう言うことなら……折角だしみんなで頂きましょうか」

「「「さんせ~い!」」」

 元よりそんな遠慮を知らない子どもたちがいつものノリで声を揃える。

「私も好きに頼んでいいのかしら?」

「もちろんです。レーヌ教諭。この度は誠にご迷惑をお掛けしまして……」

「こちらが首を突っ込んだのですから、もうあまり気になさらないで。でも、折角御招きに預かったのだから、お料理は頂くわね」

 ダイナとヴァイスの二人ももちろん、この食事会に招かれている。

 今日の帰りはタクシーを呼ぶだとかで、ダイナは嬉々として高い酒を注文していた。美人は高級店で人の金で高い酒を頼むことにも慣れているのだ。

 ちなみに彼女はザルとか枠とか言われる人種である。

「なーなーヴァイス先生、先生の給料でこの店の酒って買えるのか?」

「……ネスル=アークイラ。いい子だからそんな残酷な質問を周囲の大人たちに決してしないように!」

 ヴァイスが手元のメニューを見て青褪めている。この場で唯一成人男性である彼が主催だと思われたらしく、実は彼のメニューには料理も酒も全て金額が記載されているのだ。

 高級レストランでは接待された女性やゲストが料理の金額に気を遣わないよう、金を支払う側にしか料金表示のあるメニューは渡されないと言う。

 ヴェルムは両親が生きていた頃に何度も通った店なので料理の値段は大体わかるが、エラフィの言うとおり気にしていない。

 レントも富豪の両親に連れられてよく来る店なので値段を知っているが、お坊ちゃまなので怯まない。

 エラフィはヴェルムの稼ぎを何故か知っているので、このぐらい平気だろうと、むしろ少し金額的に無理をさせるぐらいでいいのだと余裕の表情である。

 この場で一番遠慮しているのは、フートとムース、そしてギネカの三人だった。怪盗とその相棒と別の怪盗の相棒として何十億円もする美術品や芸術品に触れることもあるくせに、何故か高級料理は駄目なようだ。

「ねぇねぇテラス君、この料理なに?」

「ああ、これはね……」

 テラスは周囲に尋ねられて一々メニューに関する質問に答えてやっていた。彼は料理にも詳しいようだ。恐らく値段についても知っているだろうと思われるが、やはり動じた顔は見せない。

「……気にせず私たちも御馳走になりましょう?」

「そうだな」

 シャトンとアリスも腹をくくって――と言うのもおかしいが、メニューを見比べ始めた。

「今日は私たちの貸切だから遠慮しなくていいわよ。わからないことは聞いてみれば? どうせこのホテルは犯人が爆破しようとしていたうちの一つなんだから、あのままだったらここの人たちもみんな今頃職なしだったかも知れないしね」

「わー! セルフ! お前の発言で罪のないウェイターのお兄さんが倒れたぞ!」

 衝撃の発言に、品の良い給仕の青年が足を滑らせる。フートとギネカが思わず彼女の代わりに謝りに行った。

「なによ、本当のことじゃない」

「エラフィ……」

「あのねぇ、攫われたのが私だったからこそ、これだけの有能な人材が動いてくれたのよ? そしてあの時助けられたのが私だったからこそ、一キロ先の植物園をルビーツリーの展望台から狙撃できたのよ? このぐらい当然のことでしょ?」

 ふふん、と笑うエラフィの顔を見ながら、アリスはあの展望台や植物園、ここのビルやもう一カ所の建物の割れた窓ガラス代は、結局誰が払うのだろうかと考えていた。

 所詮魔法は万能ではない。何かを救うために犠牲は付き物だ、とでも思っておこう。

 エラフィとヴェルムの会話は続く。

「あんたが、あんな逆恨み男のことを気にする必要はないの。あんたは何も悪くないし、私はただの被害者じゃない。被害者ではあるかもしれないけれど、同時に帝都を救った救世主なんだからね!」

 ジグラード学院の魔導狙撃の成績は、エラフィ=セルフが一位でレント=ターイルが二位。

 他のことならばフートやアリスト、ギネカが圧勝するも、これだけはエラフィやレントに敵わないのだ。

 それは、他の誰かが簡単に代わることはできない彼女たちだけの力だ。

 ちなみにヴェイツェは白兵戦も狙撃も両方でそこそこ好成績を残すがそれ故にトップではない、という器用貧乏タイプだ。それでも狙撃に関してはフートたちより余程上である。

「それに」

 エラフィは一度席を立つと、小等部のテーブルに近寄った。

「ピンチの時に助けてくれるような私の王子様は、今はこの子なの!」

「ん?」

 突然エラフィに背後から抱きつかれて、アリスは目を丸くする。

 何かこう、背中に柔らかい感触が当たっているようだ。

「銃を向けられてもう駄目かってところで庇ってくれたのよ! ヴェルムよりよっぽど頼りになるわ~」

「て、テラスー、助けてー」

予想外の展開にあわあわとしながら、アリスはたまたま目が遭った小等部の友人に助けを求めてみる。

「何言ってんのさ、モデル体型の美女子高生のFカップに無条件で埋もれることができるのなんて今だけじゃん。じっくり堪能しときなよ」

「なぁお前本当に七歳?! 実は年齢詐称してねぇ?!」

 会話をこっそり聞いていたギネカは危うく飲み物を噴き出すところだった。

 年齢詐称してるのはお前だ、アリスト。

「……」

 ヴェルムは何とも言えない顔で、アリスを抱き上げるエラフィを眺めやる。

「なんて言うか……強くなったな、エラフィ」

「か弱い乙女に向かってなんてこと言うのよ、あんたは。……私は昔から変わらないわ。あんたが見えてなかっただけじゃないの?」

「……その通りかもな」

 自嘲混じりにヴェルムは笑い、どこか陰を残しながらも幾分かはすっきりした顔で告げる。

「でも多分、色々な人たちのおかげで、今は目を開かされた気分だ」

「そりゃ良かったわね」

 エラフィは、いきなり目を輝かせて幼馴染の浮いた話について尋ねる。

「で、この間の彼女のことはどうなの?」

「だ~か~ら、あの人はそういうんじゃないって言ってるだろ!」

 結局良いところのお坊ちゃんで名探偵とは言え、ヴェルムもただの十七歳の少年なのだ。エラフィと気の置けないやりとりをする姿に、ジグラード学院の高等部生たちとの違いは何一つない。

「大丈夫そうね」

「ああ、そうだな」

 幼馴染同士の会話にこっそり耳をそばだてていたシャトンは、ようやく彼らのもとを抜けてきたアリスと顔を見合わせて頷き合う。

 賑やかな食事会は、全員が満足して笑顔になるまで続いた。


 ◆◆◆◆◆


 レストランで食事を終えて解散した後、アリスとシャトン、ヴェルムの三人は、ヴェルムが予約したというホテルの部屋に移動することになった。

 ちなみにヴァイスはダイナと今度はバーで酒を飲むらしい。アリスとしては大いに邪魔したかったのだが、ヴェルムに引き留められた。どうせあの二人がここで色気のある会話になどなるはずないと。

 姉の隠れ酒豪っぷりを知っているアリスは、それもそうかと思い直す。

 それよりもヴェルムは、シャトンにこれからある人と会ってほしいと言いだしたのだ。

「会ってほしい人って?」

 警戒するシャトンにヴェルムはいたっていつも通り話しかける。

「別に何も企んじゃいないよ。いつ話そうか迷ってたんだけど」

 キーを使って扉を開ける。連絡はあらかじめ入れていたようで、中の人物は驚いた様子もなく、支度を整えて待っていたようだ。

 その人物を見たシャトンの目から、涙が溢れだす。

「姉さん……!」

 “公爵夫人”と呼ばれる女、教団時代のシャトンの姉代わりだった人物、ジェナー=ヘルツォークがそこにいた。


...096


 ようやくの再会を果たしたシャトンとジェナーを二人きりにさせてやるために、アリスとヴェルムはホテルの屋上へと上がった。

「今回は本当に迷惑をかけてすまない、アリス」

「それはもう言うなって。あの食事会でチャラのはずだろ」

「でもお前は、レーヌ教諭の怪我を気にしてるだろ?」

 超高層ビルの屋上から一望できる帝都の夜景を眺めながら、ヴェルムはアリスに言った。

「だから、ごめんな」

「違うよ、ヴェルム」

 アリスは、その言葉を否定する。エラフィに気遣われた時と同じ、けれど少し違う決意で。

「俺が悔しいのは、今の自分のこの姿だ。俺が白兎に後れを取って時間を盗まれたせいで、一番大事な時に役に立てなかったって」

 髪型はずっと変えていないから、ビルの屋上で感じる強い風になびく金髪は今も昔も同じ。けれどこの景色を見る視線の高さは、全く違う。

「でもある人が言うには、そんなの関係ないんだって。“一人で何もかも出来る訳ない”“って。だから、自分にできないことを誰かにやってもらう代わりに、誰かができないことを自分がやるんだって」

 エラフィは実際にそうした。

 白兵戦の能力や魔導の才自体は優れたもののない彼女は、代わりにヴァイスの補助を受けての魔導狙撃を学んだ。今回の事件は彼女の狙撃能力がなければ、あそこまで被害を減らすことができなかっただろう。

 同じように狙撃能力を有するレントやヴェイツェ、接触感応能力をフル活用したギネカ、肉弾戦担当のフートやその補佐役のムース。エラフィの友人たちは、高等部から小等部まで全力を挙げて彼女を助けに行った。

 一人では成しえないことも、周囲の協力があればこそ実現できる。けれどそれには、そのための日頃からの努力も何より必要なのだ。

「ヴェルム。お前はどうして、そんなにも周囲を遠ざける。人を傷つけることを恐れて、差しのべられた手さえ振り払って」

 アリスは真っ直ぐにヴェルムを見つめた。

 元のアリストとヴェルムは同じ金髪で比較的似たような顔立ちなのだが、瞳の色がはっきりと青と緑で違うために普段は変装でもしなければ間違えられることはない。

「……俺は」

 そしてヴェルムは、ようやく本心を吐露する。二年前の事件に関する彼の本当の気持ちを。

「人を殺した」

 差しのべられた周囲の手を、救いを受け取る資格などない。それがヴェルムの自分自身に対する認識。

「一人の女性が全てをかけて費やした復讐を解き明かし、その後彼女が死を選ぶのを止めることができなかった」

 直接この手にかけた訳ではない。それでも彼女を殺したのは自分なのだ。

「今回の犯人は、その女性の婚約者だ。だが……彼女は、復讐のために彼に近づいた。彼もそれを直接彼女から聞いた」

「……それって、本心だったの?」

 愛する恋人への嘘だったならば、まだ救いもあっただろうが……。

「俺には真実だと思えた。彼がどう思ったか、どう思いたかったのかはわからないが……」

 それを知ることはもうできない。

 今回の事件の犯人は、すでに何者かに殺害されていた。白兎が言っていたように、恐らく、睡蓮教団の粛清。

 ヴェルムはそれを止めることができなかった。アリスも。

 警察はヴェルムたちから一通り事情聴取をしたものの、帝都への影響や睡蓮教団の名を出す危険さを考えてこの事実の大部分を世間には伏せることにしたらしい。当たり障りのない部分だけが、翌朝の新聞の紙面を飾っていた。

「俺は、自分にはもっと力があると信じていたよ。けれど何もできなかったんだ。今回も……彼女にも」

 ヴェルムが復讐を望むように、その女性も復讐者だった。だからだろうか、事件解決までに色々と話をした際も波長が合った。まるで長い付き合いの友人のように。

「彼女の殺人を止めたいと思ったけれど、同時に自らも復讐者である俺にそんなことを言う資格はないと思って、真実を明かすことを躊躇った」

「……でも、最後には全て解き明かしたんだろ?」

「ああ」

 解き明かした。解き明かしてしまった。全ての真実を。

 封じられたままでいい秘密も。優しい嘘も。

 この世の残酷さを露わにしてしまった。

 ――ごめんなさいね、『――』さん。私、そのためにあなたに近づいたの。

 ――愛していないの。あなたのこと。

 ――あなたに近づいて、あなたの両親を殺せれば、それで良かったの。

 ――だからもう、あなたには興味がないの。

 彼女の婚約者であった男は、その残酷さに耐え切れなかった。それが今回のエラフィ誘拐と帝都爆破未遂事件の真相だ。

 あの時、ヴェルムがもっと気を遣って、彼にそれを聞かせないようにしていれば、彼が睡蓮教団への接触などという危険な道を選ぶことはなかったかもしれない。

 自分自身のためには真実を隠すことさえ考えたのに、彼のためにそうすることもできない程、あの時のヴェルムは幼稚な子どもだったのだ。

 ――彼女は彼を愛していなかった。けれど彼は愛していた。

 愛していたからこそ、自分を裏切った女よりも、その真実を解き明かしたヴェルムを憎んだ。

「いや、それは違うだろ」

 途中まで大人しく話を聞いていたアリスは、けれどここで首を横に振る。

「自分の道を選ぶのは自分なんだ。その状況で本当に誰もが、あの男みたいに大きな事件を巻き起こすと思うのか? そうじゃないだろ」

 人はそれ程弱くない。

 それが、アリスの考えるこの世で唯一永久不変の真理だ。

「でも……誰もが自分の力だけで全ての問題を解決できる程強くもない」

 だから心を許せる家族だったり、友人だったり、導いてくれる師であったり、集団の統率者であったりが必要なのだ。

「そうだな。だから」

 ヴェルムは絞り出すように口にした。

「俺は、“アリス”にはなれない」

 二年前、事件の最中に知り合ったヴァイスから、睡蓮教団の敵対者たちをまとめ上げる“アリス”になってくれと頼まれたことを語り出す。

「なれないんだ。物語を終わりに導く主人公には……」

 どれ程残酷だとしても真実に拘るヴェルムに書けるのは、全てを破滅させる悲劇だけだ。幸福な作り物としての物語を書くことができない――。


「“アリス”になんてならなくていいだろ。……俺が“アリス”なんだから」

「!」


 ヴェルムがハッと目を瞠る。

 アリスはヴェルムと違って、その名が背負う重みに関しほとんど考える暇は与えられず、半ば勢いでこの名を背負った。

 だが後悔はしていない。ヴェルムがアリスになれないように、アリスもまた、いつ訪れるかわからない主人公を辛抱強く待ち続けることなどできない。そのぐらいなら自分が“アリス”になってやる。

「この姿になって、俺はこれまでの俺でいたら知らなかったことをいくつも知るようになった。……一度自分の足で別の世界を旅してみなければ、わからないこともあるもんだな」

 幼馴染に対するエラフィの本音など、アリスト=レーヌからこの姿……アリス=アンファントリーと言う名の子どもにならなければ、一生聞くこともなかっただろう。

 人は自ら旅をしなければ、足元にある銀の靴の持つ力に気づけないのだと。

「独りじゃ物語は紡げないんだよ」

 敵も味方も通り過ぎるだけの人々も、確かに存在してこその物語。主人公一人で回る訳ではない。それは、現実にしたって同じことだ。

「ヴェルム、俺に力を貸してくれ。俺は睡蓮教団から、盗まれた時間を取り戻して元の自分に戻りたい。その代わり、俺もヴェルムの力になる」

 夜の屋上で向かい合ったヴェルムに、アリスは右手を差し出した。

「頼むよ、助言者“イモムシ”」

 アリスとヴェルムの関係は、二人を繋いだヴァイスの存在が大きい。名探偵の助力を得ることに関しアリスは何の努力も必要としなかったし、ヴェルムも自分で“アリス”を探し出したわけではない。だからこそ。

「こちらこそ、よろしく頼む。我らが“アリス”」

 ヴェルムがアリスの手を握り返す。

 お互いの本心――その強さと弱さに触れあった今この時、ようやくアリスとヴェルムは彼ら一対一の関係を始める。

「悪夢の連鎖を断ち切って、この物語を終わりに導くために」

 彼ら自身の帰るべき場所に帰るために。


 ◆◆◆◆◆


 月曜日。

 学院の教室にエラフィがいる様子に、ようやく日常が戻ってきたことを、彼らは実感する。

「あ、そういえばエラフィ、これ」

 休み時間になると、レントは以前皆に見せたチケットを、戻ってきたエラフィにも差し出した。

「宝石展? あ、これマッドハッターが狙ってるって言う?!」

 ベルメリオン=ツィノーバーロートの宝石細工展、しかも怪人マッドハッターの次の標的として注目されているというオマケ付きだ。

 むしろ美術鑑賞に興味のない一般客としては、オマケの方が本命かもしれない。

「小等部の子たちも誘ってみんなで行こうって話になってさ。エラフィも行くよね」

「もちろん」

 チケットの裏表を眺めながら、エラフィは即答する。遺跡探索のようなアウトドアは嫌いな彼女も、前回の美術館と同じくこういうイベント事には付き合うのだ。

「最近の帝都は物騒と言いつつも、昼間はなんだかんだで平和だしね」

 平和な日常が戻ってくる。

 嵐の前の静けさが戻ってくる。

 つい最近誘拐されたばかりのエラフィの言葉に乾いた笑いをもらしつつ、レントはその台詞で、ここ数日の平穏を思い出して言った。

「そう言えば、今週はハンプティ・ダンプティの事件がなかったね」

「いいことじゃない。連続殺人がないなんて」


 ◆◆◆◆◆


 エメラルドタワー内の喫茶店の一つ。フリーゲとペタルダの二人は、久々に帝都に戻ってきた機にと、ゲルトナーと顔を合わせていた。

「それで結局、あの遺跡には何もなかったのよ」

「そりゃ残念」

 トレジャーハンターの彼らはもう何年もこの国で、帝都内外の遺跡を調査している。フリーゲとペタルダの二人だけではない。エイス、サマク、ラーナの三人もだ。

 長い長い戦いを、彼らは続けている。

「そっちはどうなのよ。女子高生誘拐事件」

「ニュースになってたね。犯人が殺された方だけど」

「ああ」

 ゲルトナーはあの事件に間接的にとは言え関わった二人に対し、ある筋から手に入れた情報と共に顛末を話した。

「エラフィ=セルフ嬢は無事に助け出されたよ。犯人を殺したのは、どうやら赤騎士のようだね。内部の粛清だろう」

 彼が苦い顔をしているのは、今飲んでいる珈琲のせいではない。

「白兎と赤騎士か……あの二人にも困ったものね」

「けど、彼らは肝心な時には僕らの邪魔はしないと思うよ」

「あの二人は、基本的にこの世界に興味がないから」

 まったく厄介な二人組だ。三人の意見はそれで一致していた。

「それで、どうだった? うちの生徒たちは」

「なかなかの粒ぞろいね。どうせならこっちで話しやすいように、勝手に呼び名をつけてしまいましょうか」

 トレイシーは黄金の帽子屋敷で出会った一団の顔を思い浮かべて指を折り始める。

「小等部の三人はシンプルにカナール=ハウスエンテちゃんが“アヒル”、ローロ=プシッタクス君が“オウム”、ネスル=アークイラ君が“子ワシ”でいいんじゃない? それに加えてレント=ターイル君が“ドードー”ってところか」

「涙の湖で濡れた服を乾かすコーカス・レースの参加者たちだな」

「それにエールーカ探偵の幼馴染エラフィ=セルフは、名前を忘れてアリスと仲良くなる“小鹿”ちゃんだね」

 これだけの人数がいると二つ名があることは便利なのかややこしいのか。まぁ、小さな子どもたちの方はそうそうコードネームなどで呼ばれる機会はないだろう。

 と、ゲルトナーとフリーゲは考えていたのだが。

「後の連中は」

「必要ない」

 ペタルダが言った。彼らが出会った一団の中にも、ゲルトナーが認識している彼らの交友関係もまだ残っているというのに。

「あとは全員、すでに自分のコードネームを持っているから」

「……マジで?」

「え? そうなの?! 僕も知らない奴が何人もいるんだけど?!」

 古い時代の魔導士であるペタルダは、所謂“辰砂の弟子”たちとはまた違った魔導の知識と技術を有している。

 彼の眼には“不思議の国の住人”と呼ばれるコードネーム持ちは普通の人間とは違った形で視界に映るという。

 今回エラフィ救出班の一行に声をかけたのも、彼らの中に何人もコードネーム持ちがいることをわかっての行動だ。それで彼らと接触後、ゲルトナーに連絡して確認をとったのだ。

「“アリス”たちはわかるけれど……あ、でも、その調子だとギネカ君にもコードネームがあるってこと? ……何も言ってなかったけどな……」

 アリスやギネカたちと直接面識を持ち秘密を共有するはずのゲルトナーでさえ、全てを聞き出せてはいないらしい。

「で、その名前って?」

「そこまでは俺にも。ただ、彼らの魂にかかる影を見ただけだ」

 不思議の国のコードネームを持つと言うことは、邪神として奉られるかの神に近づいているということ。

「それってまさか……うちの生徒たちに睡蓮教団の信者がいるかも知れないってこと?」

「そこまではわからない。でも」

 ペタルダは目を伏せて、この世ではないどこか別の場所を見つめたまま告げる。

「“庭師の5”」

「はいはい」

「気をつけておいてやれ、お前の生徒たちに」

 暗い予感を覚えさせる忠告の言葉に、ゲルトナーが顔を引き締めた。



 第4章 了.


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