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Pinky Promise  作者: きちょう
第4章 いつか蝶になる夢
15/30

15.イモムシの決断

...085


 街がどこか騒がしい。

 いや、騒がしいのは自分の胸だろうか。

 何か嫌な予感がする。

「どうかしたの、ダイナ? さっきからなんだかそわそわしているようじゃないか」

「ええ、ちょっと……」

 喫茶店の外を眺めるダイナに、レジーナが声をかけた。

「今お隣の同僚が預かってる子どもたちのことが、ちょっと気になってしまって」

「お隣?」

「ええ。色々と大変らしいから。私も手伝おうと思っているのだけど……」

 残ったお茶を飲み干すと、ダイナは慌ただしく帰り支度をする。

「ごめんなさい。そういう訳だから、今日はこの辺りで帰らせてもらうわね」

「仕方ないなぁ。一度こうと決めた君を止めるなんて、僕には無理だからね」

 レジーナはひらひらと手を振って、長年の友人と別れる。

「気をつけて帰りなよ、ダイナ」


 ◆◆◆◆◆


「怪盗ジャックって……」

 夜目にも鮮やかに白い騎士装束。顔の半分を隠す仮面。帝都の夜を翔けるもう一人の怪盗。

 アリスはその有名人を、初めてこの目で見た。

 有名人と言っても、彼もまたマッドハッターと同じく仮面で素顔を隠した犯罪者な訳だが。

「私はしがないパイ泥棒のジャック、クローバーのジャックです」

「クローバー?」

 怪盗の名乗りをアリスは怪訝に思い尋ね返す。

「『不思議の国のアリス』に出てくるパイ泥棒は、ハートのジャックじゃなかったか?」

「気になるのであれば、テニエルの挿絵をよく見てみることですね。服の模様がハートではないことに気づくでしょう」

 怪盗は続けて、元居た木の上からふわりと降り立つとアリスの真正面で優雅に腰を折りお辞儀する。

「初めまして。――我らが待ち望んだ主人公、コードネーム“アリス”よ」

「! なんで、知って……」

 驚くアリスとシャトンに、警戒を強めるヴァイス。そんな中で、探偵のヴェルムだけが酷く冷静だった。冷たい程に。

「……それもジャバウォックの情報か?」

「いいえ。私にも彼とは別の伝手くらいあるのですよ」

 探偵と怪盗、二人の間にぴりりと触れれば切れるような空気が流れる。いや、ヴェルムの方が一方的に怪盗ジャックを敵視しているのか?

「えーと、とりあえずは助けてくれてありがとう」

 険悪な雰囲気の二人に割り込むように、アリスはひとまずジャックに礼を言った。

「いいえ。困った時はお互い様ですから。――それに、私も彼らとは一方ならぬ因縁がありますので」

 ジャックは口元ににんまりとした笑みを浮かべる。どうもこの人物はとても気さくな性格のようである。仮面をしていてさえこれ程表情豊かなのだから、きっと仮面の下の瞳は、一言発するごとにくるくると色を変えているに違いない。

「……“パイ泥棒のジャック”」

「なんです? “チェシャ猫”のお嬢さん」

「そんなことまで……って、あ!」

「シャトン?」

「いきなりどうした?」

 急に大声を上げた彼女に、男たちはびくりと肩を震わせる。

「バカ! みんなして忘れてるんじゃないわよ! 犯人の盗聴器!」

「げ!」

 そう言えばヴェルムが犯人から持たされた電話には、こちらの動向を伺う盗聴器がつけられていたのだった。今の騒ぎでそのことがするっと頭から抜け落ちた四人は、ごく普通にコードネームの話をしてしまっていた。

「ご心配なく。向こうにはもともとバレていますから」

「え?」

「あなた方が御推察の通り、彼らは今回のエラフィ=セルフ嬢誘拐事件の共犯者、睡蓮教団の人間です」

 睡蓮教団には赤騎士と白兎がいて、今回の事件にも関わっている。彼らがアリスたちの情報を流すなら、ここでこんな小細工をしても無駄だと。

 そして、彼らがもしも何らかの思惑あってアリスたちを庇う気なら、襲撃者を寄越した時点で盗聴器のチェックなど外してしまっている。

 すでにこの事件は、ヴェルムと犯人だけの問題ではない。睡蓮教団が動き出している。

 しかしやはり中核をなすのは、犯人のヴェルムへの恨みだと言う。あの男は――。

「エールーカ探偵、あなたが追っている男は、あなたへの恨みを理由に、あなたと対峙するために睡蓮教団へ入団したのですよ」

 ヴェルムがぎりっと唇を噛みしめる。

 探偵と怪盗という敵対関係にありながら、二人はそれ故にお互いの性格をよく知っていた。

 怪盗ジャックはこんな場面でこんな嘘は決してつかない。それはわかっている。

 妙な話だ。よく知っているも何も、ヴェルムはジャックの顔すら知らないと言うのに。

「何故お前がそんなことを知っている」

「偶然ですよ。たまたま次の仕事の下準備の最中に、奴らが妙な荷を運んでいるのに気付きましてね。様子を窺っていたら、探偵殿の幼馴染の少女が攫われる場面も目撃してしまったという訳です」

「エラフィの居場所を知ってるのか?!」

 アリスの問いに、ジャックは本当に申し訳なさそうに首を横に振った。

「いいえ。彼らは途中で四手に別れたため、私もその全てを追うのは不可能でした」

「そうか……いや、教えてくれてありがとう」

「一つ、提案があるのですが」

 勢い込んだ分がっかりした顔を見せないように気を遣って礼を言うアリスに、ジャックはこう言った。

「あなた方の作戦に、私を混ぜていただきたい」

「へ?」

 思わず間抜けな声が零れる。

「同じように睡蓮教団と敵対する者同士、どうせなら手を組んでみませんか?」

 いくら誘拐事件の解決を目指す非日常の最中とはいえ、これはあまりにも意外過ぎる展開だ。

「親愛なるアリス――我ら教団への敵対者たちの旗印となるべきお方よ。あなたがもしも望むなら、私はあなたのために夜を翔けましょう」

「……!」

 アリスは酷く困惑する。

 怪人マッドハッターの時は、こちらから協力を申込みに行った。

 怪盗ジャックとはこれが初対面になるというのに、相手は早速協力体制を申し込んできた。

 今なら、自分たちを前にして複雑な態度だった怪人マッドハッターの気持ちも分かろうと言うものだ。正直言って、この場でどういう反応をすればいいのかアリスにもわからない。

「……冗談じゃない」

 絞り出すような低い声が響き、アリスは咄嗟に背後を振り返る。

 ヴェルムは今まで見たことがないような顔をしていた。

「お前のような犯罪者と手を組む気はない」

「……だからあなたは、“アリス”にはなれなかったのですよ、地を這う“イモムシ”殿」

「ちょっと、こんなところで変な喧嘩始めないでよ!」

 さすがにシャトンも二人の様子を見兼ねて割って入った。

「今はそれどころじゃ――」

 傍観姿勢のヴァイスに変わって場を納めようとした子ども二人が、またしても場に割って入った新たな声に邪魔された。

 そしてそれは、こんな時にこんなところで会うとは思わなかった相手、この世で最も会いたくない者だった。

「おやおや。連絡が途絶えたから来てみれば」

 白に近い銀髪と血のように紅い瞳を持つ、凍える程に美しい少年。

 ほっそりとした肢体はまるで重さを感じさせないかのようにいつの間にか星座の道の上に出現していた。

 全ての因縁の始まりに存在する犯罪者、アリスにとって最大の敵である存在が月明かりの下に姿を現す。

「珍しい顔ぶれじゃないか」

「白兎……!」


...086


「白兎……!」

「やあ、アリス。どうやら襲撃は失敗したようだね」

 仇敵どころかまるで旧友のように、白兎はいっそ親しげな様子でアリスに話しかけてきた。

「いつの間に怪盗ジャックと手を組んだんだ?」

「お前に関係ない」

「そうか。ま、仲間集めが順調なようで何より。それでこそ“アリス”だ」

 彼らが本当のところ、自分に一体何を望んでいるのかがアリスにはわからない。

 白兎はアリスから視線を外すと、怪盗ジャックの薬によって気絶した黒服の男たちに近づく。

「やれやれ。こんなことにうちの部下をよく使ってくれたものだよ」

「!」

 白兎がひょいひょいと手を伸ばして触れると、地面に倒れ伏した男たちの姿が次々に消えていく。

「おつかれ~~おやすみ~~」

 ひらひらと気楽に手を振る様子からすれば、別にこの世から消してしまったわけではないらしい。そう言えば服も残されていない。服も武器も全てどこかに転移したのか。

 そもそも、この男たちは睡蓮教団の刺客なのだ。同じ睡蓮教団の人間である白兎が攻撃を加えるはずがない。

「アリス、大丈夫?」

「ああ」

 シャトンに声をかけられて、アリスは自分が背に冷たい汗をかいていることに気が付いた。「落ち着け」と、自らに対し小さく呟いて言い聞かせる。

 自分でも今この瞬間まで知らなかった。白兎の禁呪によって目の前で生きた人間がこの世から消えた光景が、思ったより衝撃として心に強く刻まれていたらしい。

「お前の今回の仕事は、そいつらの回収か? 白兎」

「そうだよ」

 ヴァイスが問いかけると、白兎は敵にも関わらずあっさりと頷く。

「何故私たちにそれを教えるの? 何を企んでいるのよ」

「折角教えてあげたのに、チェシャ猫は疑心暗鬼だなぁ。ま、一言で言うと、今回作戦を手伝ってやれと言われた男は、俺にとってどうでもいい相手だからかな」

 白兎にとっても、教団にとっても、どうでもいい相手。

「名探偵に逆恨みして、自分なら完璧な計画で世間や警察を出しぬけると信じている。愚かな男だ」

「お前たちが彼を唆したのか?」

 ヴェルムは一言問いかけた。その声は凍り付いていて、何の感情もないように聞こえた。

「違うな。あの男は自分から教団へ接触してきた。エールーカ探偵に恨みがあると言って。そしてハートの女王に進言し、お前を殺すための策を練り我々に協力させて実行した」

 ヴァイスが眉根を寄せて言う。

「お前が誰かの手下になるとは珍しい」

 先程の黒服たちも白兎の部下だったと言うし、ヴェルムに復讐を望む犯人のために、教団側は予想以上に多くの人手を割いているらしい。

「手下? 馬鹿を言わないでよ。俺たちはあの男への協力者と言う名の試験官さ」

「試験官?」

「そう、もしもあの男が女王の御眼鏡に適わなかった場合、始末をつける役」

 『不思議の国のアリス』において、女王は命令する。

 “首をお斬り!”と。

 物語の中ではグリフォンが、誰も首を斬られたものなどいないと馬鹿にする。けれどこの、睡蓮教団に所属する不思議の国の住人たちは――。

「お前らは彼を殺すつもりなのか?!」

「さぁ、どうだろう? 彼が君を上手く殺せたら、生かしてやっても良いだろうさ」

 ヴェルムもアリスももちろん死ぬ気はない。だからと言って、犯人を死なせるつもりもないのだ。だが。

「それよりも急いで暗号を解かなくていいのかい、探偵さん?」

 白兎はそう言い置くと、さっさと姿を消してしまう。懐から手品のように黒い布を出して被ると、元が白いだけにその姿は呆気なく暗闇に紛れてしまった。

「……ッ!」

 ヴェルムは唇を噛みしめた。

 教団がバックについているということは、この事件は当初に想定していたものとは桁違いの規模だと考えた方がいいだろう。

 エラフィの命、帝都の住民の命、ヴェルム自身、そして犯人の命までも――。

 ヴェルムの肩に乗っているのだ。

 そこに、気負いない声が響いた。

「ま、私たちのやることは変わらないな」

「そうだな」

「――二人とも」

 ヴァイスとアリスの二人は、今の話を聞いても慄くでもない。あっさりとそう言ってのけた。

「ヴェルム、絶対に暗号を解いて、みんなを助けような! 犯人にしたって、教団に殺される前に警察に捕まったら手出しはできないだろ?」

「アリス……」

「白兎の侮った態度からすれば、相手は教団の事情をほとんど知らされていない可能性もある。そうなれば警察に捕まっても、場合によっては粛清を受けずに済むかもしれないわ」

「シャトン」

「いいから次の暗号を解くぞ。その箱をさっさと開け」

 噴水から取り出したはいいものの、ヴェルムがずっと持ちっぱなしだった箱を指してヴァイスが言う。

 そうだ、今回は彼らを信じると、ヴェルムも決めたのだ。エラフィ救出は学院の面々に任せる。そして犯人を捕まえて、帝都の爆破を止めるのだと。

「私の存在も忘れないでもらいたいものですね」

「怪盗ジャック……」

 これまで散々対決を重ねてきた怪盗を、ヴェルムは真正面から見つめる。

 ジャックは犯罪者ではあるが、人を人とも思わず傷つけるような根っからの悪人では決してない。それはヴェルムにもわかっていたが、今まで決して認めたくないものだった。

 ヴェルムは犯罪的宗教組織、睡蓮教団によって両親を殺された。

 だからこそ犯罪を憎み、罪人を見つけ出す探偵になろうと思った。

 しかし今回の出来事の発端でもある二年前の事件や、今目の前にいて人々を救うために手助けを申し出る怪盗などの存在が、ヴェルムがこれまで探偵として形作ってきた基盤を静かに揺るがして行った。

 罪を赦せと言うのか?

 自分のやり方は、これまでやってきたことは間違いだと。

 今回の犯人のことも、ヴェルムにとっては怒りこそ覚えるものの、本当の意味で憎むべき相手ではない。

 復讐と言う感情を誰よりよく知っているのは自分自身。

 罪を憎んで、憎んで、憎んで、赦せない気持ちはよくわかるから――……。

 だからこの事件に際して、ヴェルムは今でも自分のとるべき道がこれでいいのかよくわからない。

 ――差し出された手を取るべきなのだろうか。

「ヴェルム」

 ふいに服の裾を引かれて視線を落とす。

「直感だけど、俺は信じていいと思う」

 アリスは言った。

「ヴェルムは嫌かもしれないけど、俺は今は一人でも有能な協力者が欲しい。元々怪人マッドハッターにだってそういう意図で声をかけたんだ。ジャックの方から接触してきてくれるならありがたいじゃん」

「おや、私は帽子屋さんの次という扱いなのですか? 彼と直接対決したことはないとはいえ、比べるまでもなく下風に置かれるとは寂しいですね」

「えーと、それに関しましては我々にも日程の都合というものがあり……」

 ポピー美術館の時は、単に折よくマッドハッターが予告状を出していたから押しかけて行っただけである。 

 それはさておき、アリスはヴェルムとの会話に戻る。

「ヴェルムがもしどうしても、“怪盗ジャックは本物の極悪人なので手を組むなんてありえない!”って言うならやめるけど」

「いや、それは……」

「違うならいいだろ? 世間の評価は当てにならないとか言うけど、少なくとも俺は怪盗ジャックも怪人マッドハッターも心の底から悪人だとは思わない。むしろ二人とも、何か睡蓮教団と因縁があって、それを解決したいから顔を隠して奴らと戦ってるんだろ」

「顔を出せない時点で胡散臭いよ」

「俺も同じだ」

 ヴェルムは目の前の怪盗から、隣の少年へと視線を移す。

 七歳の面立ちの中、確かに十七歳の少年の面影を宿して“アリス”は告げる。

「この姿も名前も本物じゃない。“アリス”はただのコードネーム。でもこの俺も、俺だ」

「だって、アリスは、それこそ教団のせいで元の姿を失ったんじゃないか」

「怪盗がそうじゃないって、どうして言えるんだ?」

 ヴェルムはハッと目を瞠る。目の前で風船を割られた気分だった。

「俺は、確かに怪盗ジャックのことを何一つ知らない。だから、俺が知らない彼の事を、ヴェルムが教えてくれ。俺が道を間違えそうになったら、正しい方向へ導いてくれ」

 尚も言葉を重ねるアリスに、シャトンが穏やかに加勢する。

「……『不思議の国のアリス』において“イモムシ”の役割は助言者ね」

 アリスをこの道に連れてきた“チェシャ猫”は告げる。

「今があなたの役目を果たすべき時なのかもよ、イモムシ。アリスがここにいる、今この時こそが」

 探偵だけでも駄目で、怪盗だけでも駄目で。

 けれど今は、その両者を不思議の国の名で繋ぐ主人公――“アリス”が存在する。

 素顔は知らない。本名もわからない。年齢も、性別も、職業も、何故睡蓮教団と敵対しているのかも。

 それでも彼を信用できるのか、否か。

 ヴェルムの脳裏に、これまでの怪盗との様々なやりとりが過ぎる。

「――信じられる」

 そしてついに、彼はその言葉を口にした。

「少なくともこんな場面で、こんなところで人を陥れる奴じゃない」

「なら、協定成立ですね」

「だな」

 滑り落ちた言葉はこれまで越えられなかった壁とは思えないくらい、するすると簡単にこの事態を越えて行く。

「私のことを直接知ってもらうのは、またの機会にいたしましょう。今は睡蓮教団の連中をとっちめて、帝都の民とエラフィ=セルフ嬢を救わなければ」

「よろしく頼むよ、怪盗ジャック」

 騎士装束の怪盗は、優雅に腰を折って告げた。

「こちらこそ。――我らが待望の“アリス”よ」


...087


 “壊れやすい国を越え、百獣の王とならん”


「えーと、えーと、ライオンが百獣の王になる前に通ったのは」

 カナールが必死で暗号の意味を考えようと、最初の疑問点を口にする。

「せとものの国だね。目次の並び的に」

 レントが図書室から借りた本を開いて内容を確かめた。

「あ。じゃあもしかして」

 ムースがガイドブックの一部分を指し示す。

「帝国立博物館の、せとものコーナーじゃありませんか?」

「ありえるわね。帝都で有名なせとものの話題と言えばここだし」

 ギネカもムースの持つ観光ガイドを横から覗きこんで確かめる。

 エメラルドタワーの駐車場南口で手に入れた暗号を解読し、学院のエラフィ救出班は帝国立博物館へと向かった。

 ヴァイスのように車を出してくれる人間もいなければ、人数も多いので移動は全て電車である。更に、エメラルドタワーもこれから行く博物館も、入場料をとられるのである。

 子どもたちの交通費を立て替えている高等部生たちは、この費用は後で別の人間から請求しようと皆心に誓っていた。

 それはさておき、ギネカ、フート、ムース、レント、ヴェイツェの五人の高等部生と、カナール、ローロ、ネスル、テラス、フォリーの五人の小等部生、合わせて総勢十名にもなる集団が、博物館へと辿り着いた。

 帝国立博物館は、国内でも最大級の総合博物館だ。

 広い敷地内は幾つかのブロックに分かれ、帝国全土のみならず、別大陸をも含めた世界中の学術的資料、重要文化財、美術品などが収められている。

「そう言えば前にみんなで行ったミラーズ遺跡、あそこで発掘したものもここに預けたんだったよね」

 テラスがふいに思い出して言う。

「え、じゃあ今見られるの?」

「まだ調査中の資料扱いだろうから、展示はやってないと思うよ」

「なんだー」

 わくわくしていた子どもたちは、途端につまらなそうな顔になる。

「はいはい、そっちはまた今度の楽しみにしましょう。今は暗号が先よ」

 高等部生たちは見学等で何度も訪れたことのある博物館だ。常設展示の配置も慣れたもので、迷わずに陶器のコーナーを目指す。

 古代生物の化石も過去の偉人の彫刻も滅びた民族の衣装や生活用品も、今は用のないものである。

「でもこの“百獣の王とならん”って?」

「『オズの魔法使い』にライオンが出て来るよ」

「せとものコーナーで、ライオンを探せってこと?」

 動物好きの子どもたちのおかげで、ライオンの姿はすぐに見つかった。

 鮮やかな色も褪せ古びた味のある陶器の動物の置物たち。それらが並んで、森の中にいるという光景だった。

「……で、これからどうするの?」

 目的のものを見つけたはいいものの、ここからどうすればいいのかがわからない。

「駐車場の時は刻んであった暗号を見つければ良かったけど」

「まさかあのライオンに何かしてる訳はないよね……」

 博物館の展示物だ。いくら誘拐犯と言えどこんなところに細工はできないはず。

「でも、他に陶器のライオンなんてある?」

「いや、待って。目的のものは陶器とは限らないよ」

「ヴェイツェ」

 暗号文を読み直したヴェイツェが指摘する。

「“壊れやすい国を越え、百獣の王とならん”ってことは、百獣の王は壊れやすい国……この陶器コーナーの向こうにあるってことじゃないか?」

「この向こうは土産物屋くらいしか……」

 エメラルドタワーで「オズの気球」と言う名の土産物屋に寄ったが、結局あれも関係なかったことを思い出す。

「あ、でも……展示物と違って、土産物屋なら客でも店内を触れるはずだ」

「行ってみよう!」

 子どもたちが率先して、土産物屋に走った。

 どこでも買えるような物もあれば、ここでしか買えないオリジナル商品も並んでいる。

「あ、陶器のコーナーがあるよ!」

「何?!」

 先程展示場で見かけた陶器の動物コーナーを模した、可愛らしいストラップのコーナーがあった。

「これを買うの?」

「いや、俺たちやヴェルムがどの商品を買うのかなんてわからないのに、一々全部に暗号なんて仕込んでられないだろう」

「と言うかそもそも、商品に仕込むなんて……」

「ねぇ、これは?」

 テラスが棚に括りつけられたサンプル品のパッケージを裏返した。

 そこには小さなシールが貼ってあり、何か文章が刻まれている。

「これだ!」

「なるほど、サンプルなら普通の客は購入しないし、店の人も普段から裏側までは気にしないってわけね」

 だからって店の商品に悪戯するなよ……と全員が思いつつも、とにかく次の暗号を手に入れることに成功した。


 ◆◆◆◆◆


「あ、私この場所知ってるよ」

「俺もだぞ」

「この前特番やってましたよね」

 面白いことと冒険が大好きな子どもたちが、テレビで見たという情報を口ぐちに話す。

「遺跡?」

 今度の暗号では、向かう場所が直接指示されていた。

「少し遠いな。急ごう」

「みんな大丈夫? 疲れてない?」

 次の目的地は鏡遺跡の時のように新たな発見があったわけではない、ごく普通の遺跡だ。

 以前のようにトレジャーハンターで賑わうということも考えづらく、普段は寂れて放置されているようにしか見えないらしい。

 しかし彼らにとっては、この犯人が用意したお宝こと次の暗号や何かが仕込まれている可能性がある。

「大丈夫! 早くエラフィお姉さんを助けなきゃ!」

 もう空も暗くなり始め小等部生が動き回るには大分遅い時間となっている。カナールたちだけでなく高等部生にだって疲労が溜まっている。

「まぁここで帰れっても聞かないだろ?」

 それでも健気な子どもたちの意志を尊重し、彼らはそのまままたモノレールで移動し、次に指定された場所へと向かうことにした。

「ここね」

 そこは地下に絡繰りが仕込まれている旧時代の遺跡の一つ。

「かつて偉大な魔法使いが住んだとされる場所」

 帝国の中心部は今も昔も世界の中心だった。かつてこの地に存在した学術都市オリゾンダスが、現在の帝都エメラルドの前身である。

 オリゾンダスにはありとあらゆる地域から魔導や学問をする者たちが集まってきていて、中央大陸の文化や技術の発展を担うと共に、過去の知識や遺跡などの保護にも努めた。

 この屋敷に住んでいた魔法使いと言うのも、そうして魔導技術を保護していたうちの一人なのかもしれない。

「この遺跡の中を探索しろってことなんだろうな」

 彼らがまずは遺跡の外観から確認していた時だった。

「そこまでだ」

「へ?」

 突然かけられた険しい声に、一行は驚いて振り返る。黒服の襟元に青いピンをつけた男たちが、十人以上の集団で現れた!

「へ? な、何?!」

「まさか」

「ルール違反だろ? お子様たち。探偵の手伝いをするなんて」

「! ……ついにバレたか!」

 怖がってしがみ付く子どもたちを庇いながら、フートやギネカは黒服の一団を睨み付ける。

 “帽子屋”にも“料理女”にも、彼らの格好からその正体に推測がついた。同時にこの事件が、思った以上に厄介な代物だということにも察しがついてしまった。

 何とか切り抜けたいが、今の状況はまずい。

 この場で男たちと戦えそうなのは、フートとギネカ、ヴェイツェの三人だけだ。今回は強盗団を相手にした時と違ってヴェイツェはいるが、ヴァイスがいない。助けを呼ぶ暇や当てもない。

 子どもの姿になってはいるが本当は子どもではないアリスとシャトンもいない。あの二人がいれば最低限子どもたちの世話を任せられるのだが、今いる子どもたちは全員、自分で自分の身を守るのも難しいただの小等部生だ。

「お前らみたいなガキに何かできるとは思えねーが、実際にあの暗号を解いてここまで来ちまったことだしな。余計なことされる前に、悪いがここで死んでもらうぜ」

 睡蓮教団からの刺客が、彼らに銃を向ける。


...088


 敵は睡蓮教団。暗号読解はまだ途中。

「こんなところで邪魔をされるわけには行かないのに……!」

 ギネカは唇を噛みしめ、フートは一行を庇うように前に出て男たちを睨み付けた。

「フート、ギネカ」

 ヴェイツェが小声で二人に相談する。

「最悪の場合、相手を殺してもいいなら僕たちが生き延びる術もあるけど」

 すでに魔導防壁の準備をしているヴェイツェが言った。

 向こうはこちらをただの子どもと侮っているかもしれないが、彼らはジグラード学院の生徒。特にヴァイスから魔導を習っている面々は、生半な相手に負ける気はしない。

 だがそれはいつ何時も準備なしに困難な事態を乗り切れるという訳ではない。

 魔導は万能ではないのだ。銃を持った成人男性十人以上を相手にするとなると、お互いに無傷という訳には行かないだろう。

「いやさすがにそれは」

「人殺しはまずいわよ」

 彼らはあくまでエラフィを助けに来たのであって、犯人に危害を加えに来たわけではない。

「でも、ならどうする?」

 ヴェイツェは焦るでも不満を告げるでもなく、不自然なまでに落ち着いた様子でただ淡々と問いかけてきた。

「――少なくとも僕は、こんなところで死ぬ訳には行かないんだ」

「ヴェイツェ」

 自分の意見こそ常にはっきりしているものの、普段はそれを激しく主張することはなく聞き役に回ることの多いヴェイツェには珍しい態度だ。

 しかし今のフートにもギネカにも、それを気にしている暇はない。

「一応魔導防壁の準備はできましたけど」

「隠れようにも、今回は場所が……」

 三人程戦闘能力の高くないムースとレントも不安気な顔で、子どもたちを庇いながらフートたちの様子を伺う。

「仕方ない。俺が戦う」

「私もよ。だからムースとレント、ヴェイツェで子どもたちをまず遺跡の中に」

「あの時と同じやり方か? でも」

 鏡遺跡で強盗団を躱した時と同じやり方をフートが提案するが、あの時とは条件が違う。

「ぐずぐず迷ってる暇はない。やるぞ!」

 男たちは銃を持って近づいてくる。さすがにいきなり乱射してきたりはしないだろうが、すでにエラフィという人質を得ている彼らにとって、フートたちを生かして捕らえる意義は薄い。

 睡蓮教団は組織的な殺人とその隠蔽をも行っている。一部の犯罪者たちのように、少しでも罪を軽くするために無関係な人間の被害を減らすことを考えてくれるとは思えない。

 フートとギネカが臨戦態勢に入り、男たちもその意志を読み取ったか顔つきを険しくして次々と懐から拳銃を取り出していく。

 そこに。

「ありゃ、先客?」

「……なぁ、気のせい? 何か非常に物騒な光景に見えるんだけど……」

 若い女性と少年の二人組が訪れた。遺跡を見に来た客だろうか。

 ただでさえほとんど訪れる者はいないと聞いた遺跡だったのに、今日に限って一般客が来るとは。しかも、こんな時間に。

「セブン様、あちらは――」

「仕方ねぇ。こんな時間にこんなところうろちょろしてる奴らが悪いんだ。まとめてやっちまえ」

「待て!」

 フートたちも自分たちのせいで、何の関係もない人物を巻き込む訳にはいかないと慌てだす。咄嗟に制止の言葉をかけるが、睡蓮教団の連中が聞いてくれるはずもない。

「あんたたち、逃げ――」

 この場面を目撃したがために標的とされてしまった二人の方へ注意を促す。しかしその忠告は、最後まで形にはならなかった。

「銃を持ってるからほぼ確定でいいと思うけど」

 この場面に遭遇した二人は、不自然な程に落ち着いていた。

 少年の方は先程から微動だにせず、ついでに表情の一つも動かない。

 女性の方は荷物を彼に預けると、黒服の男たちに恐れる様子もなく歩み寄っていく。

「もしも悪者じゃなかったら、その時はごめんなさいね」

 鮮やかな笑顔から始まったのは、一方的な蹂躙だった。


 ◆◆◆◆◆


「エイスたちの知り合いか!」

「そうよ。あなたたちの方も、うちの大将と面識あったのね」

 ブロンズ色の長い髪をポニーテールにした二十歳程の女性は、たった一人であっさりと黒服の男たちの大部分を伸してしまった。

 仲間が一人また一人と叩きのめされていくのを見て、残った数人は慌てて捨て台詞を吐きながら退却していった。

「何、あれ」

「えーと、強盗?」

 女性に聞かれて、彼らは戸惑いながらも当たり障りのない答を返す。

「何か盗られたの?」

「ううん」

「なら良かったわね。それにしても、モデルガンなんて持って物騒な連中だね」

「え……いや、あれは」

「ちょっと待った」

 ヴェイツェが仲間たちを引きとめて囁く。

「今ここで警察に連絡されたらまずいんだ。上手く誤解してくれたならそのままにしておこう」

「……そうか。それもそうだな」

「エラフィお姉さんの命がかかってるものね」

 彼らは事態を誤魔化すことにした。フートやギネカに関しては、例えここで通報したところで、警察が睡蓮教団を逮捕することは無理だろうこともわかっている。

 女性はフートやギネカも驚く程に荒事に慣れた手並みだった。礼を言いつつ後で素性を尋ねれば、トレジャーハンターという、何処かで聞いたような職種だ。

 最近は帝都に宝探しブームが来ている……と言う訳でもなく、なんと彼らは一行と面識のある少年三人組のトレジャーハンター、エイス・ラーナ・サマクの知人であるらしい。

 もう一人は、フートたち高等部生と同じぐらいの年代だった。人形のように綺麗であまり表情を変えない、黒髪に緑の瞳の少年である。

「エイスお兄さんたちなら今日エメラルドタワーで会ったよ!」

「ええ。確かに彼らは今日、いつものタワーの展望台に行くって言ってたけど……」

 少年の方が、不思議そうに学院の一行に問いかける。

「……あんたたちもエメラルドタワーに行ったなら、なんでこんな時間にここに? 普通こことタワーは一日で梯子するような観光名所ではないと思うんだけど」

「「「う」」」

「答えにくい質問のようね。いいよ、別に無理に言わなくても。ただ、私たちと目的が被ると困るから、お宝目当てなら先にそう言って欲しいんだけど」

「違うぞ! 俺たちはエラフィ姉ちゃんのいるところを知る為に、暗号の続きを探しに来たんだ!」

「暗号?」

 ネスルの正直すぎる言い方に周囲は慌てだすが、フリーゲ=カルッセルと名乗った女性は別の受け止め方をしたようだ。

「なあに? 帝都中使ってかくれんぼでもしてるの? あなたたちが鬼なのかしら?」

「えーとまぁ」

「そんな感じです」

 相手が勘違いしていてくれるならその方がいいだろうと、フートたちは頷いた。まさか初対面の人間に、友人が誘拐されたので救出するために動いていますとは言えない。

「でもこの遺跡、中は結構物騒だって言うぞ。あんたたちだけじゃ危ないんじゃ……」

 黒髪の少年――ペタルダ=パンブールが心配そうに顔を曇らせる。

 確かに小等部生五人も連れて遺跡探索など普通はやらない。いや、この五人は彼らがついていようがいまいが遺跡探索をしたければするのだろうが。

「じゃあ私たちと一緒に行動する? こっちはそう急いでないし」

「え? いいの?!」

 思いがけない申し出に、一行は二人組のトレジャーハンターをまじまじと見つめ返した。

「でもこれ以上ご迷惑をかける訳には……」

「ご迷惑っても、あのおっさんたちが一方的に襲ってきただけだよ。少なくとも私が一緒なら、あんな連中ぐらい楽勝。その代わり遺跡探索に知恵を貸してもらえると嬉しいんだけどね」

「俺たちは俺たちで、どうせ遺跡内部を網羅した地図を作る為に全部屋回らなきゃいけないから。エイスの命令で」

 エイスは一体何者なのだろうか。フリーゲよりは明らかに年下で、他の少年たちと比べても幼く見えるのに、あのトレジャーハンター集団の中で一番偉いのは彼らしい。

「そうと決まれば早速行きましょうよ。大丈夫、私たちの方は準備も万端だし」

「俺たちの方が準備不足なんですが……」

 フートたち一行は学院を出てきた際は遺跡探索のつもりなどなかったので、皆制服のままだ。

「この遺跡は元々は魔導士の住居として使われていたくらいだから大丈夫。ただ、埃や砂で汚れることは覚悟してくれ。転ばないよう気を付けて」

 二人は遺跡探索もまるで簡単なことのように、一行を促して遺跡に入ろうとする。

「どうしてこんなに手を貸してくれるの?」

「うちの大将が、元々そっちに世話になったんだろ?」

 あの時はフートたちもトレジャーハンター三人組に助けられたのだからお互い様、むしろこちらが世話になったくらいかも知れないのだが、二人は気にする様子はない。

「あの人、本気で手がかかるんだ。面識を持った人間に変な恨み買ったりしないように、恩を売れる時は売れるだけ売っておくわけ」

「……」

 本当にエイスは一体何者なのか。彼に従っている様子のこの二人や、ラーナやサマクはどんな立場なのか。

 フートやギネカは不思議に思うが、どうにも聞ける様子ではない。

 二人は巧みに話題を逸らし、それどころかフートたちの遺跡探索が終わるように手助けしてくれる。

「さぁ、黄金の帽子とやらを探しに行こうか」


...089


 “黄金の帽子の力で空飛ぶ猿に命ぜよ”


「わぁ! なんか面白ーい!」

「これ本当に鏡遺跡と同じ遺跡なのかよ!」

「この遺跡そのものが、まるでさっきまでいた博物館みたいですね!」

 昔の魔法使いの住処は、遺跡と言う名の絡繰り屋敷だ。

 ローロの言うとおり、一般住宅としては大きすぎるが、遺跡というには現代的な生活感も存在する作りは博物館や美術館のそれに近い。

 入り口から入ってすぐの広間とも言うべき空間に、真正面と両側の壁の中央にその先の部屋や廊下へ続く入り口があり、部屋の四隅には大小様々な彫刻が並べられていた。

「迂闊にその辺のものに触らない方がいいぞ。どんな仕掛けがあるかわからないし」

「おわあ!」

 ペタルダの忠告を無視したネスルがさっそく悲鳴を上げる。

「おい、大丈夫か?!」

「だ、大丈夫」

「ここの壁を触ったら、これが……」

 カナールが指差す先で壁の一部が開いて不気味な人形が飛びだしているだけなのを見て、フートは溜息を吐いた。

「脅かすな」

「悪かったよ~」

 ネスルがしゅんと頭を垂れ、カナールとローロに慰められている。

「でも、このぐらいの仕掛けなら命にかかわるものはなさそうだね」

「そんなのまだわからないわよ」

 一行は一応気をつけながら屋敷の中を探ることにする。

「ところで、その暗号ってのはどんな?」

「これなの!」

「……何これ」

「黄金の帽子? 空飛ぶ猿?」

「『オズの魔法使い』を元ネタにした暗号なのよ」

「へぇ~」

 フリーゲとペタルダは、差し出された暗号文に見入る。

「この暗号からすると、まずは“黄金の帽子”を見つけれいいのね」

「とりあえず、屋敷の中を一つ一つ当たってみるか?」

「手分けして探す? それともこのまま?」

「小さい子が多いし、大人でも遺跡内じゃ何があるかわからないし、全員一緒でいいんじゃないか?」

 一行はトレジャーハンター二人の先導で、遺跡の中を“黄金の帽子”求めて歩き出した。


 ◆◆◆◆◆


「……これで部屋全部回ったぞ」

「ええ?!」

 フリーゲたちのおかげで実にスムーズに遺跡内を探索できた一行だったが、それでも肝心の“黄金の帽子”も“空飛ぶ猿”も見つけられなかった。

「おかしいわね」

「と言うか、私たちも何か見落としているのよね、絶対。この暗号を作った人間は少なくとも黄金の帽子やそれに類する物を遺跡の中に隠した、あるいは最初から存在していることを知っていて暗号を作った訳だから」

「……手を組んで良かったな。それが早めにわかっただけでも、俺たちにとっては収穫だ」

 ペタルダの言葉に、フリーゲも頷く。

「もう一度暗号を考え直してみるか」

 “黄金の帽子の力で空飛ぶ猿に命ぜよ”

 帝国立博物館の土産物屋で手に入れた暗号だ。

「『オズの魔法使い』の原作を確認してみるか? この辺りって、具体的にどういうエピソードだったっけ」

「ええと……」

 レントが借りた本を開き、子どもたちはシャトンから聞いた話を思い返す。

「南の良い魔女が治めるクワドリングの国に向かう途中難儀したドロシーたちが、黄金の帽子を使って空飛ぶ猿たちに色々と命令してそれを解決する……って話だけど」

「なんで黄金の帽子で命令できるの?」

「ドロシーの銀の靴と同じように、帽子自体に三回だけ空飛ぶ猿を呼びだして命令をすることができる魔法がかけられているんだ。元は西の悪い魔女の持ち主だった帽子だ。西の悪い魔女を倒した時に手に入れたんだって」

 ギネカがレントの手元を覗き込みながら確認する。

「確かその帽子の力に関して、ドロシーたちは野ネズミから教えてもらうのよね?」

「ああ、旅の前半で仲良くなった野ネズミとその女王な」

「と言うことは、“黄金の帽子”や“空飛ぶ猿”に辿りつくために、まずは野ネズミを探さなければいけないんじゃないか?」

 ヴェイツェの言葉に、全員がハッと息を呑んだ。

「あ! 私さっき見かけたよネズミさん!」

「僕もです!」

「俺も!」

 そして子どもたちが顔を見合わせると、勢いよく手を挙げる。

「え? そんなのあったか?」

 カナールたち三人に比べ、高等部生たちはこの屋敷の中で特にネズミらしいものを見た覚えがなくて困惑する。

「あったよ! 一番最初に入った部屋!」

「……入り口のホールか!」

「もしかして、彫像の足下?」

 フートたち高等部生は人間大の彫像は気にしていたが、その足元にちょこちょこと置かれていた像まで注目していなかった。恐らく何かの飾りだろうと判断して、それが野ネズミの形になっていたことには気づかなかったのだ。

「よし、じゃあ入り口まで戻るわよ!」

「「「おう!」」」

 フリーゲの号令で、一行は再び遺跡の入り口に戻る。正面と両側の壁には通路に続く入り口があって、四隅に様々な動物たちの彫像が置かれた部屋に。

「ほら、あったよネズミさん!」

「本当だ!」

 大きな熊や虎の足下に、ちょこりと小さなネズミの像が立っている。

「こっちにもありましたよ!」

「こっちもだぞ!」

「……こっちも」

「え?」

 最初に発見したカナールだけではない。ローロやネスル、フォリーまでもがそれぞれ別の場所で別のネズミ像を発見していた。

「……で、どれが正解?」

 四つの像をそれぞれ見て回り、彼らはまた頭を抱えた。

「とりあえず全部弄ってみる? どこかにスイッチがあるかも!」

 フリーゲの提案で子どもたちは一斉にぺたぺたとネズミの像を触ってみるが、何も見つからない。

「手が真っ黒になったよー!」

「あ、ごめん」

 四人の掌が砂と埃で汚れただけである。

 皆が唸っている中、不意にこれまで黙り気味だったテラスが口を開いた。

「……この像、一つの像が次の像に顔を向けてるんじゃない?」

「へ?」

「ほら。遺跡の入り口から部屋の奥の像に向かうにつれて、ネズミたちは次の像を見てるんだ」

 テラスの言うとおり、野ネズミの像の視線は自分の次に部屋の奥にいるネズミを追っているようである。

「よくこんなことに気づいたわね」

「周囲の彫像との違和感。他の動物たちはそれぞれの向きが極自然に調和しているのに、このネズミたちの位置だけ何かそぐわない感じがしたから」

「テラス君って、観察力あるなぁ」

 七歳児にきゅんきゅんしているフートは放って、皆は暗号を解くためにもう一度野ネズミの像を観察し直す。

「でも、この像にはやっぱりスイッチも暗号も何もないよ」

「……それに、この最後のネズミだけ何もない壁側を向いている」

「壁には何かない?」

「調べて見るわね」

 像の傍らに立っていたフォリーを下がらせ、フリーゲが近くの壁を探る。だが秘密のスイッチや抜け穴どころか、最初のようにくだらない玩具の仕掛けすら仕込まれていない。

「ふむ……部屋やこの向こうの廊下の構造からしても、壁に仕掛けはなさそうね」

 そもそも厚さからして、この壁では何かを隠すには足りないと言う。

「……仕掛けが壁にないとしたら、あとは……」

 テラスは自分でも四隅全てのネズミ像を確認し、言った。

「この像、動くんじゃない?」

「え?」

 先程壁を調べた傍のネズミ像だ。

「本当だわ!」

 フリーゲが力を込めると、ネズミの像はごりごりと重そうな音を立てながら左右に回転する。

「試しに、一番最初の女王ネズミの像の方向でも向けてみる?」

「了~解」

 ネズミ像が一周して最初の像の方を向くようにした時だった。

 ガコン!

「隠し階段!」

「入り口がこの床の模様でカムフラージュされてたのか」

 部屋の中央に空いた入り口から、一行はその中の階段を降りていく。すると、小さな秘密の書斎じみた小部屋に辿り着いた。

「うわー、これまた“庭師”たちが喜びそうな魔導士の遺産だねぇ」

 トレイシーの言葉に、ギネカはふと何かが意識を過ぎった。

「庭師……」

「私たちの知り合いよ」

 けれどそれが何かこの場ですぐには思い浮かべられなかった。それよりも今はまず、エラフィの救出を急がねばならない。

「金色の帽子」

 机の上には、埃にまみれた黄金の帽子。だがこれも本物ではなく金箔の貼られた置物らしい。

「部屋の主が『オズの魔法使い』好きだったようね」

「次の暗号、見つかったよ!」

 ここまで手をかけさせられた分か、今度は捻りも何もなくストレートに黄金の帽子の置物にその紙が貼られていた。

 その内容に目を通して、エラフィ救出を望む一同は歓声を上げる。

「もしかして……これで最後か!」


 “クワドリングの国にて『南の魔女』が待つ”


...090


 今でこそ“帝都の切り札”と呼ばれる探偵ヴェルム=エールーカだが、彼にも半人前の時代はもちろんあった。

 幾つもの事件を解決に導いてきたのは確かだが、捜査の途中で徒労に人を動かしてしまった回数は一度や二度では済まない。それも父の昔からの友人である、シャフナー=イスプラクトル警部に頼み込んでまでだ。

 それでもそうした失敗の数々を積んだからこそ、今の自分があることも知っている。ヴェルムはどちらかと言えば泥臭い探偵だ。大衆文学に好まれる創作上の名探偵のように、椅子に腰かけたまま推理だけで見事に何もかも言い当てて見せることなどできない。

 自分の足で現場を巡り、関係者の話を聞き、被害者の人生を追って追って、そうしてようやく真実の切れ端に必死でしがみ付いてなんとかその姿を目にしようと迷宮の闇から引きずり出す。

 その甲斐あって少しずつ探偵としての実績を積み上げ、今ではこの稼業を通じた知己や協力者なども得ることができた。

 しかし。

 忘れられない事件がある。

 それはヴェルムに、この先一生、探偵として生きることを強く決意させた事件。


 ◆◆◆◆◆


 “西の魔女を倒し『偉大な魔法使い』の名を唱えよ”


「西の魔女は確か」

「ドロシーがバケツの水をかけると溶けて消えてしまったの」

「……魔女ってこれじゃないんですか?」

 怪盗ジャックが手袋をはめた手で指し示したのは、目の前の噴水だった。

「あ、魔女だ」

「確かにこれは……魔女ね」

 これまで目にはしていても特に気にかけていなかった噴水の彫像なのだが、珍しいことに魔女の姿をしていた。

「……そんな安直な」

「でも俺たち結構順調に暗号解いてきたと思うのにもうこの時間だし、そろそろ最後に辿り着いてもいいと思うんだよな」

「どちらにしろ、水をかければはっきりするだろう」

 ヴァイスが魔導で噴水の水をまきあげて、周囲が濡れるのも構わずに彫像の上に降らせる。

「ぎゃー! 俺たちが避けてからにしろよ!」

「ほら、出て来たぞ」

「え?」

 水をかけた途端、噴水の彫像から光る文字が浮かび上がってきた。

「足元を見よ……噴水の足下か?」

「今回いちいち引っかけが多いわね。今までみたいに一つ解くために車に戻ってたら絶対二度手間になってたわ」

 上手くその失敗を避けて、噴水の足下に置かれたもう一つの小箱を見つけた。

「これもさっきの鍵で開くの?」

「いや……違うようだ」

「パスワード制。……もう答は一つしかないわよね」

 ヴェルムは頷き、“偉大な魔法使い”の名を入力した。

 『OZ』

 カチリと小さな音がして、箱が開く。

「次の暗号か?」

「いや」

 その紙に書かれていたのは、もはや暗号ではない。

「直接的なメッセージだ。“罌粟畑にて待つ”」

「! 確かこの近くには、有名なポピー植物園があったはずよね」

「ああ。まずそこで間違いないだろう」

「いよいよ犯人との対決だな! ……って、あれ? 電話?」

 それもギネカからだ。これまで盗聴器を警戒して直接連絡を取ることは避けていた。先程の白兎の登場でもう盗聴器を気にする段階ではなくなったが、それでも向こうがその様子を知る由はない。

 と、思ったのだが。

「襲撃された?! 畜生、そっちもかよ!」

「襲撃?!」

『大丈夫。全員無事だったのよ。たまたま親切な人と知り合ってね』

「親切な人?」

 ギネカの説明によると、エイスたちの知り合いのトレジャーハンターが一行を助けて、おまけに暗号の隠された遺跡探索の手伝いまでしてくれたらしい。

『彼女たちはここまで来たら最後まで付き合ってくれるって言うんだけど、さすがに遠慮したわ』

「そりゃまぁ、そうだろう。最後の暗号は解けたのか?」

『ええ』

 エラフィ救出ルート最後の暗号は。

 “クワドリングの国にて『南の魔女』が待つ”

 と言うものらしい。この南の魔女が恐らくエラフィのことだろうと向こうは検討をつけたのだ。

 その推測で多分正しいだろうと、ヴェルムも補足する。

「こっちは暗号の後に謎解きじゃないただのメッセージが出てきた。最後の暗号で『偉大な魔法使い』ことオズの存在を示したからには、彼は自分をオズ、エラフィを『南の魔女』グリンダになぞらえているんだと思う」

『そのようね』

「この“クワドリングの国”ってのは?」

『そっちの暗号の最初が“大王の都”としてエメラルドタワーのことを示していたでしょ? なら、南の良い魔女グリンダが治める赤色の国は一つ』

「そうか! ルビーツリーだな!」

 帝都のもう一つの象徴、赤い電波塔ルビーツリーのことだと言う。

『そっちはどうなってるの?』

「実は……」

 アリスたちはこちらも睡蓮教団の妨害を受けたこと、そして怪盗ジャックの協力を取り付けたことを話す。

『……ジャック? 怪盗ジャックがそこにいるの?』

「ああ、信じられないだろうけど、本当なんだ。……ギネカ?」

 電話の向こうの友人の様子がどこかおかしい気がする。

『いえ、なんでもないわ。そう、それは強力な手駒を手に入れたわね』

「手駒って……」

『事実でしょ。ならいっそ、戦力配分を見直さない? そっちは犯人をブッ飛ばすだけで済むでしょうけど、こっちはできればもう少し人手が欲しいわ』

 アリスたちはお互いに顔を見合わせた。真っ先にヴェルムとジャックが告げる。

「俺は当然、あの人を止めるためにこのまま行くよ。エラフィのことは、信じていいんだろう?」

『ええ、もちろん』

「私は他の皆様の信頼を得ているような立場ではありませんので、急に向こうに参加しても戸惑わせてしまうだけでしょう。こちらで探偵殿と一緒に犯人の確保に御協力しますよ」

 電話の向こうから『えー、怪盗ジャックに会ってみたかったのにー!』という主に子どもたちの愚痴が流れて来るが聞こえなかったことにしよう。

「私もこっちだな。何かあった時魔導を使える人間がいた方がいいだろう」

 ヴァイスはヴェルムのフォローをすることに決めた。彼にとっては年下の友人と教え子を秤にかけることになり、どちらをとっても苦渋の選択だ。

「……だから、アリス」

「わかった、俺は向こうと合流するよ」

「なら私も向こうに」

「シャトン?」

「……この姿で教団の幹部と顔を合わせたくないし、妥当なところでしょ?」

「そっか。魔導関係はお前がいてくれたら心強いな」

 ギネカたちの方は先程襲撃を受けた時も、守るべき人数に比して戦える人間が少なすぎて苦労したらしい。今は非力な子ども姿のアリスとシャトンでも、いないよりはマシなはずだ。何かあった時に誤魔化してくれるギネカもいる。

『でも、そっちがさすがに三人じゃ厳しいかしら』

 戦力追加を希望したものの、アリスとシャトン二人が抜けるとなると、何かあった時に手が回らなくなるかもしれない。

「なら、僕が参加させてもらおうかな」

「は? ……ゲルトナー先生?!」

「よ、皆さんお揃いで」

「来たのか、お前」

 神出鬼没にも程がある突然のフュンフ=ゲルトナーの登場に、ヴァイス以外の全員が度肝を抜かれた。

「なんであんたがここに?!」

「そりゃ知人から連絡をもらって」

「知人?」

「マギラスさんたちが会ったんだって? 魔王様たちに」

「魔王様?」

「……おっと。ごめん、そこは聞かなかったことにして。とにかく、フリーゲとペタルダの二人は知り合いなんだよ。あの二人がジグラード学院の生徒のことならって、僕に連絡をくれてね」

 電話の向こうが騒然としている。

『ちょ、あの二人何者……!』

『と言うかエイスたちといい、トレジャーハンターって一体何なの……?』

「はっはっは。魔導士に不可能はないの」

 あらゆる疑問をさらりと受け流し、ゲルトナーは参戦を表明する。

「魔導の権威ことルイツァーリ先生に僕が加われば戦力は充分だろう。今ならそこの怪盗君も手伝ってくれるらしいしね」

「あなたは、まさか……」

 ジャックはゲルトナーと出会って何かに気づいた様子。しかしウィンクを一つ返されて、それ以上の言葉を封じてしまう。

「……ええ。御協力いたしますよ」

「ならこっちの戦力は充分だろう。だからアリス=アンファントリー、シャトン=フェーレース、君たちは心置きなく、セルフさんを助けに行っておいで」

「……はい、先生!」

 本当は最初から、その言葉を待っていた。

 ヴェルムを手伝って帝都の民を救うのも大事だが、アリスたちがずっと助けたかったのは攫われたエラフィであり、二つの選択肢の間で彷徨うヴェルム自身なのだ。

「上手く話がまとまったな」

 もう少しで深夜になる。日付が変わるまでに、双方の約束の場所へと向かわなければ。

 シャトンがヴェルムに語りかける。

「さぁ、行きましょう、臆病なライオンさん? それとも全ての謎を解く時間の足りなかったあなたは脳のないかかし? 人でなしと呼ばれた、心臓のない木こりかしら?」

「向こうは俺をドロシーにしたかったんだろうが、そうだな……俺は臆病なライオンで脳のないかかしで心臓のない木こりだ。主人公になんかなれやしない」

 偉大な魔法使いを名乗りながら実態はペテン師であるオズは、ドロシーを家に帰すことができなかった。南の良い魔女グリンダは、ドロシーを元のカンザスへ送り返すことができた。

 物語と暗号の意味を照らし合わせるならば、犯人を追って帝都の民を救う道を選んだヴェルムを、犯人は生かして帰す気がないのだ。

 けれど、それがわかっていてもヴェルムはここで退くわけには行かない。

 そして。

「いいのよ。偉大なる魔法使いを名乗っていたオズの実態はペテン師。それでも彼らは必要なものを手に入れた。知恵と心と勇気を、共に旅する仲間のために」

 オズがペテン師であればこそ、ドロシーの仲間たちが手に入れたものは、オズに与えられたものではないということに気づけるのだろう。

「それは最初から彼らの中に存在したのかもしれないけれど、きっとドロシーと一緒に旅をしなければ気づくこともできなかったもの」

 長い旅をした。その旅の途中で大切なことに気づけるなら、それで良かったのだ。

 ……あの時も、そう伝えられれば良かったのに。

「だから、行きましょう」

 シャトンに背を押され、ヴェルムは二人とここで一旦別れる。

 本当は人は皆、かかしで木こりでライオンでドロシーなのかもしれない。誰もが自分のいるべき場所に帰りたがっているけれど、自分の力で旅をしなければ、最初から手に入れていた銀の靴に気づけない。

「シャトン、君はどうして『オズの魔法使い』がそんなに好きなんだ?」

「私の大事な人が……姉とも慕う“公爵夫人”が好んでいた物語だからよ」

 ヴェルムは驚きに目を瞠った。

 ――大切なものはいつも足下にあるのよ。

 事件の始まりに、ジェナーがくれた言葉を思い返す。

 だが今はこれに関して話している時間はない。

 このことについて、二人の女性にきちんと伝えるためにも、早く事件を終わらせて家に帰らねば。

 ヴェルムにとっての家。今は“公爵夫人”ことジェナーが待つあの家に。

 そろそろ出発しようと、怪盗ジャックが演技がかった仕草で促す。

「――さぁ、会いに行きましょう。偉大なる魔法使いを名乗る、不遜な詐欺師に」


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